ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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カテゴリ:このブログの目的( 4 )


2014年 04月 14日

戦前期も今も変わらない外客誘致の3つの目的(このブログの目的その4)

ここ数年、日本のインバウンド振興の目的について、いろいろ考えさせられる事態が起こりました。とりわけ2010年と12年秋に起きた中国との尖閣諸島をめぐる確執によって、いかに外客誘致が国際関係に影響されるか、あらためて思い知らされました。

東アジアのグローバル化によって日本を取り巻く国際環境が大きく変わるなか、その変化の意味を国民的な理解として深めるうえで、訪日外国人旅行市場の動向はとても有効な現象だとぼくは考えてきました。

しかし、近年の国際環境の変化は、インバウンドの目的を単なる「経済効果」にのみ求めようとすることの虚しさを感じさせられます。

こういうときは、歴史をひも解くことで、今日にも通じる知見を得られないものだろうか。それが、戦前期の日本のインバウンドの歴史を調べてみようと考えた理由です。

歴史から学ぶインバウンド
http://inbound.exblog.jp/i38/

恰好の資料となったのが、ジャパンツーリストビューローが発行した「ツーリスト」でした。同誌は1913年6月に創刊され、敗戦間際の1943年まで刊行され続けます。

※ジャパンツーリストビューローは、1912年鉄道院(現在の国交省に近い)の外局として設立された観光広報機関。現在のJTBの前身でもありますが、むしろ日本政府観光局(JNTIO)の前身といったほうが実態に近い。

同誌は、戦前期、すなはち1910年代から30年代にかけての国際環境に、日本の外客誘致がいかに翻弄されたかを記録しています。先人たちが時局の悪化の中で、何を考え、どう取り組もうとしたかについて、今日の感覚では考えられないほどストレートな言論が繰り広げられています。

と同時に、外客誘致の目的について、当時は今日以上に明確な認識を持っていたことがわかるのです。では、その目的とは何か? 当時3つの目的があったと記録されています。

その内容については、以下のとおりです。これは「やまとごころ.jp 28回 100年前の外客誘致はどうだった? 戦前期からいまに至るインバウンドの歴史の話」の一部抜粋に、あらたに加筆したものです。

外客誘致の目的はいまも昔も変わらない

100年前の日本は、日露戦争に勝利し、世界デビューを果たしたばかりでした。しかし、国民経済は西欧諸国に比べるとまだ貧しく、彼らから学ぶべきことが山のようにありました。

では、そもそも当時の外客誘致の目的は何だったのでしょうか。

ツーリスト創刊号(1913年6月刊)の巻頭には、「ジャパン、ツーリスト、ビューロー設立趣旨」なる以下の文章(一部抜粋)が寄せられています。

「日本郵船会社、南満州鉄道会社、東洋汽船会社、帝国ホテル及我鉄道院の有志聯合の上『ツーリスト、ビューロー』を設立せんことを期し、諸君の御会合を請ひたるに、斯く多数其趣旨を賛成して、御参集を辱ふしたるは、我々発起人一同の感謝とするところである。抑も漫遊外客は、我日本の現状に照らし、各種の方面より大いにこれを勧誘奨励すべきは、今更贅言を要せない次第である、外債の金利支払及出入貿易の近況に対し、正貨出入の均衡を得せしめんが為め、外人の内地消費を多からしむるに努め、又内地の生産品を廣く外人の耳目に触れしめて、我輸出貿易を発達せんが為め、国家経済上の見地より、外国漫遊旅客の発達を促すは、刻下焦眉の急たること申す迄もなく、更に一方により考ふれば、東西交通の利便開け、東西両洋の接触日に頻繁を加ふるの際、我国情を洽く海外に紹介し、遠来の外客を好遇して国交の円満を期すべきは、国民外交上忽にすべからざる要点である」。

ここでは、当時の外客誘致を提唱する基本的な考え方として、以下の3つの目的を挙げています。

①「外人の内地消費」
②「内地の生産品を廣く外人の耳目に触れしめて、我輸出貿易を発達せんが為め」
③「遠来の外客を好遇して国交の円満を期す」

①「外人の内地消費」とは、文字通り「訪日外国人の消費による経済効果」のことです。まだ貧しかった当時の日本にとって、国際客船に乗って訪日する富裕な欧米客の消費力に対する期待は今日以上に高かったことでしょう。当時はまだ航空旅行時代ではありません。島国である日本へは船で来るほかなかったのです。ちなみに、世界で航空旅行時代が始まったのは1940年代頃からです。

興味深いのは、②「内地の生産品を廣く外人の耳目に触れしめて、我輸出貿易を発達せんが為め」です。ここにあるのは、外客誘致の本当の目的は、日本滞在中多くの外客に国内産品を消費してもらうためだけではなく、その良さを広く知ってもらうことにあるという輸出立国的な認識です。インバウンド振興の目的をツーリズム産業内の市場拡大や地域振興とみなすだけでなく、それを輸出産業につなげてこそ意味があるという論点は、すでに戦前期からあったことがわかります。むしろ、「訪日外国人の旺盛な消費への期待」ばかりが語られがちな今日よりも、当時のほうが物事の本質が明確に意識されていたようにも思います。

さらに、この論点を深めると、こういう言い方もできます。インバウンド振興の真の意義は、製造業をはじめとするさまざまな国内産業やインフラに対する投資の誘発や新しい雇用を生むことにある。それは目先の消費効果より重要だというべきなのです。

③「遠来の外客を好遇して国交の円満を期す」は、外客誘致の目的は国際親善にあるという認識です。

「ツーリスト」誌上では、その後、外客誘致に対する「経済効果」論争が繰り広げられます。外客による消費を重視する立場と、国際親善こそ重要で経済効果は二義的なものだという主張に分かれるのです。後者の主張が生まれた背景には、1914年に始まった第一次世界大戦で戦場となったヨーロッパ諸国からの訪日旅行者が一時的に減ったことや、その後の長い日中対立がありました。

たとえば、ツーリスト10号(1914年12月)では、「(第一次世界大戦で)欧州方面に失ひたるものを米国方面に補ひ」(「時局と外客誘致策」)というようなヨーロッパに代わる外客誘致先としての米国への取り込みを促す論考。またツーリスト26号(1917年7月)では、「日支两国民間に繙れる空気を一新し、彼の眠れる友情を覚醒し以て日支親善の楔子(くさび)たらん事を期す」(「日支親善の楔子(支那人誘致の新計畫)」と、悪化する当時の日中関係を中国人の訪日誘致によって相互理解を深め、改善しようと提言しています。国際情勢がいかに外客誘致に影響していたかがわかる話ですが、今日においてもそれが同様であることは、ここ数年の近隣諸国との関係悪化で私たちもあらためて理解したばかりです。

これは今日の言葉でいうと、「パブリック・ディプロマシー」(伝統的な政府対政府の外交とは異なり、広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動のこと)といっていいと思います。日本は過去の歴史を鑑みて、その教訓を学ぶとすれば、周辺国のみならず広く対日イメージを良好にするよう努めることが大切です。訪日外国人市場を盛り上げることは、そのために最も友好な手段のひとつなのです。

パブリック・ディプロマシー(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/faq/culture/gaiko.html#01

こうしてみると、戦前期の外客誘致の目的や課題は、今日となんら変わらないものであることがわかります。現在の日本政府や観光庁が主導する官民挙げたインバウンドの取り組みは、すでに100年前に企画され、実施されてきた事業だったのです。

その後、昭和(1930年代)に入り、日本のインバウンドは進展を見せます。国策として全国各地に外客のための西洋式ホテル建設が積極的に進められました。志賀高原ホテルや川奈ホテル、志摩観光ホテルなどのリゾート系クラシックホテルの多くはこの時期建てられたものです。全国の行楽地に、とりあえず西洋人が安心して泊まれるベッドを備えたホテルをつくらなきゃと懸命になっていたことを思うと、なんとも健気な時代だったといえます。

しかし、時局は戦時体制に向かい、結局のところ、外客誘致どころではなく、敗戦を迎えます。それでも、戦後の混乱期を抜けると、再び外客誘致が始まります。その契機となったのが、1964年の東京オリンピックでした。

そして、いま私たちは2020年開催予定の東京オリンピックをひとつの節目として見据え、インバウンド振興を進めています。こうして歴史を振り返ると、日本はすでに外客誘致に関してそれなりの経験を積み重ねてきたことを知ると同時に、いいことも悪いことも含め、これから先も似通った経験をしていくことになるのだろう、という気がします。

それだけに、過去の歴史には、今日から見ても学べる多くの知見があります。今後は、ツーリスト創刊号で提唱された外客誘致の目的のうち、②や③の視点がより重要になってくるように思います。すなはち、訪日外客による直接の消費を期待するだけでなく、それを日本のものづくりと直結させていき、国内産業への新たな投資や雇用に結びつけようとする動き。さらに、近隣諸国との関係も含め、訪日旅行プロモーションをいかに国際親善につなげていくかという点でしょう。

大正期に一から始まった日本の外客誘致の取り組みを知り、先人の思いや心意気を思うと、それを断絶することなく、きちんと受け継いでいく必要がある。そんな殊勝な気持ちになります。

※このブログの目的 その他
インバウンドって何? (このブログの目的 その1)
http://inbound.exblog.jp/16731053/
移民労働者からレジャー観光客に変貌した中国人(このブログの目的 その2)
http://inbound.exblog.jp/16898533/
中国人観光客は新興国の消費者の貴重なサンプルです(このブログの目的 その3)
http://inbound.exblog.jp/16998645/
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by sanyo-kansatu | 2014-04-14 12:17 | このブログの目的 | Comments(0)
2011年 11月 20日

中国人観光客は新興国の消費者の貴重なサンプルです(このブログの目的 その3)

ちょっとしつこいですが、ブログの目的のその3。

中国人観光客の実像を明らかにする、なんてことにどれほどの意味があるのか。その理由について、もう少し俯瞰的な視点から自分の考えを述べたいと思います。

ぼくは以前の勤め先(旅行ビジネス系の版元)に在籍していた2000年前後の頃から日本のインバウンド振興の周辺を取材し始めていました。ビジネスの新しいトレンドをいち早く追いかけたいというごく一般的な編集者としての動機からでしたが、その関心の背景にはグローバル化の問題がありました。一時的な滞在者にすぎないとはいえ、外国人観光客が日本中にあふれ、消費活動に貢献してもらうというインバウンド振興の掲げる目的は、日本社会のグローバル化の問題と直結します。

こうしたことはすでにヨーロッパや一部のアジアの都市では当たり前の光景になっていますが、日本においてもそれが現実のものになるには、モノ・ヒト・コトの各方面で受け入れのためのインフラが必要となります。単に外国語表示の看板を増やせばいいというような話ではありません。少々大げさにいうと、それは自分たちがこの島国で生きていくことの意味を問い直す契機を含んでいます。自分の暮らす地域経済の自立のためには、グローバルなつながりなしには立ち行かない状況をどう自覚し、自らのありようを変えていくか。インバウンド振興というテーマはグローバル化の問題を考えるうえで、さまざまな視点や材料を提供してくれます。

ところで、近代以降の日本は3度のインバウンド振興の時代を経験しています。それぞれの背景はだいたい以下のようなものです。

第一次 1930年代 世界恐慌後の外貨獲得が目的
第二次 1950~60年代 戦後の経済復興。東京オリンピック開幕に向けて
第三次 2000年代 「失われた10年」と日本経済の地盤沈下。リーマンショック後の世界同時不況

それぞれ類似点と相違点があります。まず類似点は、第一次と第三次が国策として明確に進められたこと(第二次は国策としての位置付けはなくても、戦後復興の文脈で捉えられるでしょう)。第一次では1930年に鉄道省の下に観光局を設置。主に国内山岳リゾートに西洋式ホテルを建設し、欧米客誘致を図りました。第三次では2003年に官民を挙げた訪日旅行プロモーションとしてビジット・ジャパン・キャンペーンがスタート。08年に国土交通省の下に観光庁を発足させています。ともに世界経済の退潮期に重なっているのが共通しています。

相違点は第一次、二次の誘致の対象が欧米客であるのに対し、第三次はアジア客、すなはち新興国市場であること。実際、2010年度の訪日外客のうちアジア系は4分の3を占めます。アジア経済の成長によりグローバルな観光人口が拡大していることが背景にあります。

歴史的にみても日本は欧米客の受け入れは慣れていても、アジア客の本格的受け入れは初めての経験ですから、彼らをお客さんとしてどう扱うべきかわからない。これが日本のインバウンド振興がうまくいかないもうひとつの理由といえます。自分たちより所得の多い成熟した国の消費者を観光客として受け入れるのはそれなりにたやすいですが、成長途上にある国々の消費者が相手では勝手が違って思うほど簡単にはいかないものです。そうはいうものの、いまや日本を訪れるアジア客の中には一般的な日本人よりはるかに高所得の人たちも増えている。時代は大きく変わったのです。

これは日本の輸出産業が欧米先進国中心に売上を得ていた時代から、2000年前後を境にアジア市場にシフトしていく状況と基本的に同じ話だと思います。

ものすごく単純な理解ではありますが、グローバル化によってモノとサービスの値段の平準化が進んだことで(こうして先進国はデフレに、新興国はインフレになった)、先進国と新興国との間で世界の富の取り分のバランスが変わっていったこと。その結果、1970年代までの先進国が世界の富の大半を独占するという極端な不平等のままで安定していた世界の構造が、中国などの新興国の台頭により地盤変動を起こし、2000年代以降その影響が鮮明に現れるようになったこと。それが今日の日本が抱える多くの問題の背景にあると思います。

ぼくはいわゆるグローバル主義者ではないつもりですけれど、中国の新興国化の過程を見てきた人間のひとりとして、70年代までの世界への郷愁にかられていても立ち行かないのであれば、考え方を変えていかなければならないだろうと思うわけです。かつての不平等な時代に戻ろうというような先進国のご都合主義を新興国は受け入れないでしょうし、戻す力はもはや先進国にはない。グローバル化のいいとこ取りだけしようとしても、できない相談だったのです。それにぼくは民間の一事業者です。学校の先生やお役人ではないので、自立しなければなりません。

日本の都市や景勝地に現れる中国人観光客の存在は、まさに新興国市場の消費者の貴重なサンプルです。

インバウンドの現場には、日本が新興国市場にアクセスするためのノウハウや課題解決のための種があふれています。そこから得られる経験や知見は、世界の構造の変化に立ち向かっていくうえで貴重な糧になると思います。

比較的長期間安定した社会を生きてきた日本人だけに、世界の地盤変動をまっすぐ受けとめられずに戸惑いや迷走が見られるのもある程度やむを得ないことだと思います。ぼくのいう考え方を変えるとは、グローバル化の波に備えて防波堤を築くことでも、「国際化」せよと強迫観念に訴えるようなことでもなく、じっくり対象を観察し、対策を練っていきましょうということです。

このブログが対象とする中国人をはじめとした外国人観光客の実像を明らかにすることを通して、新興国市場の消費者に対する適切な理解を深めることにつなげていきたいと考えています。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-20 13:27 | このブログの目的 | Comments(0)
2011年 11月 15日

移民労働者からレジャー観光客に変貌した中国人(このブログの目的 その2)

ぼくと中国との縁は1980年代半ばに初めて中国に足を運んだことから始まります。当時は中国が慎重すぎるほどゆっくりと対外開放を進めていた頃でした。もともと社会主義の鉄のカーテンの中に閉じこもっていた国ですから、ホテルや交通機関の予約なしに外国人が中国国内を移動できるようになったのは82、3年頃になってから。ちょうどその頃大学に入ったぼくは、いつの時代も若者がそうであるように、まだ誰もやっていないことをやってみたい――ささやかながらも、それが夏休みを使った中国自由旅行でした。

それはぼくにとって「アジア」(=発展途上国)と呼ばれる世界を初めて知る機会となりました。当時の中国では快適に旅行するためのインフラは整備されていませんでしたから、見るもの聞くもの信じられないことばかりで、呆れたり怒ったり情けなくなったり、とにかく大変でしたが、腹の底から笑えるような出来事も多く、とても新鮮に思いました。中国の庶民に囲まれて2泊3日、硬い座席に揺られて鉄道で旅をする苦労なんて、むしろ未知の体験として面白かったのです(以前この話を自分より若い中国の30代の研究者にしたところ、「それは異文化体験でしょう。私たちはそこで生活してたのよ」と言われて苦笑したことがあります)。

その頃から中国社会の変わっていく様子を見てきたものですから、2000年代に入って中国人が海外旅行に出かけるようになったということに強い関心を持ちました。ほんの10数年前まで、一部のエリートを除いて、中国の海外渡航者の大半は移民労働者か留学生でしかなかったことを思えば、彼らが観光客としてレジャーのために海外に出かけられるようになったことは、豊かになったことの反映以外の何ものでもありません。大いに歓迎すべきでしょう。時代は中国のことを「新興国」と呼ぶようになっていました。

ぼくは専門的に中国語や中国経済を学んだ者ではありません。本来の関心事はもっと別のところにあります。

ただ、これもおかしな話ですが、大学時代の都市社会学のゼミで1920年代のアメリカを舞台とした移民コミュニティ研究の文献(たとえば、『ストリート・コーナー・ソサエティ』 w・ホワイト著などのエスノグラフィー)を少しだけかじったことをきっかけに、社会調査の実習先だった都内のダウンタウンで、来日したばかりの「アジア系外国人」の存在に出会うことになります。

それは1980年代のことでしたから、パキスタンやバングラディシュといったイスラム系も含めた実に多国籍の人たちがいましたが、中国系はやはり多かった。ぼくにしてみれば、夏休みの旅行先で会った海外の同年代の若者たちが東京を訪ねて来たようなものでしたから、なんだか面白いことになったなと思ったのです(彼らの国を渡る必死な覚悟に対して、なんとのんきな受けとめ方だったことでしょう。でも、実際に現地ですでに会っていた人も何人かいたんです。特に80年代後半、上海をはじめとした多くの新華僑が来日したのです)。

そんな妙な縁から彼らの存在を知ってしまったことで、ぼくは大学卒業後も、日々の仕事とは直接関係のない在日華人(=移民コミュニティ)の世界の周辺をうろつくようになっていました。どうしてそんなことになったのかな……。見知らぬ世界をうろつきたがるのは、ぼくの習性のようです。この習性を都市社会学におけるフィールドワークとみなすことにして、彼らとのお付き合いを“参与観察”などと称してみるのは戯れにすぎないかもしれません。

一般に参与観察とは、調査対象の現場に入り込み、ときに関係者らと生活をともにしながら、内部から状況を観察していく社会調査手法のひとつ。研究者っぽくいえば、「調査者が対象者の生活する社会や集団に参加し、彼らの視点から対象社会の構造や対象者の解釈過程を観察しようとする方法」です。都市社会学では、異なる出自や背景を持つ人たちが同じコミュニティの中でいかに共生できるかをテーマにする場合が多いようです。……ですが、ぼくは研究者ではないので、もっと自由奔放にやらせてもらっています。

そんな風変わりな“参与観察”の意味を、ぼくが再定義する必要を感じるようになったのは、中国が「発展途上国」から「新興国」へ、あるいは「世界の工場」から「市場」へと変貌していく過程を目撃してきたことと関係があります。移民労働者からレジャー観光客という存在への彼らの転身ぶりは、ぼくにとって世界の構造が大きく変化しつつあることを象徴する現象に見えたのです。

このブログのタイトルには、自分にとって習い性となった“参与観察”を通じて、新しい対象として中国人観光客という外来消費者の実像を明らかにしていこうという意思が込められています。中国インバウンドの実態の理解はどうすれば可能となるのか、という問いに対するぼくなりの変則的なアプローチです。

※実はこのエントリーを書いた当時、本ブログのタイトルは「中国インバウンド“参与観察”日誌」でした。その後、中国だけ見ていては全体像がつかめないと判断し、現行のように変更したのです。観察の対象を広げただけで、基本的なスタンスは変わっていません。

このブログは、気まぐれなぼくの嗅覚に吸い寄せられたモノ・ヒト・コトとのめぐりあいの記録を公開するものです。いわば“参与観察”のフィールドノートです。その一部はちょっとよそゆきに書き換えてビジネス誌やネットメディアに配信してきましたが、とても収まりきらないさまざまな状況の変化と大局とディティールの絶え間ない交錯があり、それらを随時報告していこうと思います。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-15 19:14 | このブログの目的 | Comments(0)
2011年 11月 07日

インバウンドって何? (このブログの目的 その1)

近ごろときどき耳にするけど、「インバウンド」って何のこと? 

海外からの外国人の訪日旅行を促進し、経済効果を手に入れようという官民の一連の取り組みのことをいいます。もともと観光産業が使っていた専門用語で、日本人が海外旅行に行くのをアウトバウンドというのに対し、外国人が日本に旅行に来るのがインバウンドです。その際に生じる外国人による消費マーケットを拡大していこう。彼らの消費は日本の渋りがちな内需の成長に貢献してくれるからです。

とはいえ、インバウンドに関連する業界は、宿泊施設や運輸交通といった観光産業だけではありません。小売や流通、金融、情報通信といったサービス産業に、エンターテインメント産業、さらには製造業や不動産業、国・地方自治体まで広範囲にわたるのが特徴です。外国人が日本に外貨を落としてくれるという意味で、実は輸出産業の一形態ともいえるでしょう。来日した外国人が目に触れる日本の姿そのものが、メイド・イン・ジャパンのショーケースになっているといってもいいかもしれません。

世界にはたくさんの国・地域がありますが、とりわけ人口が膨大で経済成長著しい中国本土客の訪日に力を入れていこうという意思を込めたのが「中国インバウンド」ということばです。

中国インバウンドについて「低迷する日本経済を救う」などとおおげさに世間を煽る向きもある一方、その効果を訝しがり、受け入れを歓迎しない声もあります。それでも、少子高齢化や地方経済の疲弊で縮小する内需を補う存在として、海の向こうから日本を訪ねてくれる外来消費者をうまく取り込んでいこうというコンセンサスは、国民の間でもある程度共有されてきたと思います。なぜなら、グローバルな観光人口の動向を見る限り、日本の近隣諸国である東アジア経済圏の旅行マーケットは成長基調にあり、そこに希望を見出すのは自然の流れといえるからでしょう。

ただし、今日の問題は、いかに彼らを取り込むかをめぐって各方面で大いなる迷走が見られることでしょう。要するに、思うように成果があがっていない。現状がいまどうなっているのか。なぜ思い通りにいかないのか。関係者らの間でも、どこまでその要因が把握できているのかあやしい。また仮に取り込めたとしても、経済効果とはほど遠く、地元に利益が還元されることはほとんどないのが実情ではないでしょうか。

中国インバウンドがうまくいかない理由のひとつとして、日本式のマーケティングやプロモーションといったルーティーンな手法に頼りがちなことがあると思います。なぜなら、中国人観光客というのは、日本人と同じような旅行をするわけではないからです。我々とは異なる中国の消費マーケットの特性を理解することは簡単ではない。ところが、関係者の多くは、日本とはどこがどう違うのかについて厳密に精査することを無意識のうちに避けてきたところがあるのではないでしょうか(一部の切実に受けとめた人たちはともかく、きっと大半の人たちが本気じゃなかったんじゃないかな)。

インバウンド市場の健全な発展のためには、日本側は受け入れ態勢さえ整備すればいいという話ではないし、中国側も客を送り出せばそれですむということではありません。そもそも両国は政治体制や法制度が異なり、ビジネスの考え方も驚くほど違います。単にモノを売り買いするだけでなく、人の往来が関わってくるだけに、日中のビジネス運用上の齟齬がもたらすいろんな問題が起きています。

ここ数年、ぼくは中国インバウンドの現場やモノ・ヒト・コトの動きを観察してきました。また年に数回は中国に足を運び、中国側の関係者に会い、事情を聞いています。そこで目の当たりにするのは、中国が日本人にとって強烈なアウェイであるという現実です。

短絡的なメディア・行政・業界批判をするつもりはありませんが、表向き語られていることと実態がなぜこれほど違うのか。どうすればこの状況を少しでも変えていけるのか。関係者の声や知見を交えながら、多くの方にことの次第を理解してもらうことを第一義に考えています。

そのためには、中国インバウンドの実態面を日中双方向から見ていかなければなりません。このブログでは、複眼的な視点から中国インバウンドの行方を追いかけながら、ときに応じて発言していきたいと思います。

※実はこのエントリーを書いた当時、本ブログのタイトルは「中国インバウンド“参与観察”日誌」でした。その後、中国だけ見ていては全体像がつかめないと判断し、現行のように変更したのです。観察の対象を広げただけで、基本的なスタンスは変わっていません。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-07 16:39 | このブログの目的 | Comments(0)