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2011年 11月 30日

ガイドブックでわかる旅行市場の成熟度(トラベルマート2011 その5)

ここ数年、外国人観光客向けのフリーペーパーが多数発行されるようになったことにお気づきの方も多いと思います。空港やホテルによく置かれていますね。もともと英語版がメインだったのですが、最近では中国語版(繁体字、簡体字)も増えています。

トラベルマートの会場にも、フリーペーパーを発行する制作会社がいくつか出展していました。以前、ぼくは
やまとごころ.jpの連載で、現在発行されている外客向けフリーペーパーの問題について指摘したことがあります。そこでは「本当に外国人観光客に読まれているのか?」という根本的な疑問を呈しています。そうした残念な現状があるなか、ちょっと面白い会社のブースを見つけました。

その会社はインフィニティ・コミュニケーションズ株式会社といいます。東アジア(韓国、台湾、香港など)で発行されている現地メディアと、観光客の来店を期待する日本のクライアントをつなぐ広告出稿業務を行なう代理店です。秋葉原などでよく見かける外客向けマップ「東京導遊図」の発行元でもあります。この地図は年間250万部以上発行しており、中国語版フリーペーパーとしては国内最大級の媒体だそうです。

同社のサイトには、東アジアで広告出稿業務を行なっているメディアが多数紹介されています。『旅游天地』や『新民晩報』など、中国でもおなじみの媒体ばかりです。

なぜこの会社が面白いと思ったかというと、彼らが外客向け情報発信メディアを自分たちの手で作るのではなく、現地メディアの編集者や記者に作らせるというスタイルを取っていることです。

一般に日本で発行される外客向けフリーペーパーは、日本人が作ってそれを翻訳する場合が多いようです。もともと日本の情報誌などを編集していた人たちが、同じ要領で取材し、デザインしているわけですが、実はこれが外国人に読まれないいちばんの理由といえます。なぜなら日本の編集者たちは、外客のニーズや嗜好をよく理解していないうえ、基本的に日本側のクライアントの広告に頼るビジネスモデルですから、読者不在の媒体が量産されてしまうという構造にあります。

インフィニティ・コミュニケーションズの女性担当者に話を聞いたのですが、彼女はその弊害をよく理解していました。同社のやり方はこうです。たとえば、台湾で発行されている情報誌やガイドブックの記者の来日時に、彼らの取材協力をしながら、日本のクライアントの広告をねじ込んでいく。記者側も取材経費の軽減につながる広告出稿は望むところです。しかし、クライアントに関わるページ以外は、自分たちの編集方針や取材の中身に日本側から口を出してもらいたくはない。

実は、これがいちばん重要なことなのです。海外の記者たちは、自分で見つけた日本の魅力的なスポットを自分なりの表現で自国の読者に紹介したいと考えるものです。その情熱こそが、読者を刺激し、誘客効果を生むのです。このやり方は、日本の旅行ガイドブックや雑誌などが海外取材する際の作法とまったく同じです。大事なのは、押しつけではなく、彼ら自身に発見させ、彼らの好む表現で自由に魅力を伝えさせること。日本側はそのお手伝いをするというスタンスに徹すること。それが賢いやり方なのです。

一口に東アジアといっても、観光客の特性は大きく違います。たとえば、中国と台湾でどのくらい違うかを理解するうえで、現地で発行されているガイドブックに表現されるコンテンツの比較は参考になります。

先日、北京の西単の新華書店で購入した2冊の旅行ガイドブックを紹介しましょう。一つは、台湾で発行されたガイドブックを中国の出版社がそのまま簡体字に変えただけの『东京攻略完全制覇』(2010年6月発行 人民郵電出版社)と、中国オリジナルの『东京好吃好玩真好买』(2011年10月発行 中国旅游出版社)です。
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左が『东京攻略完全制覇』(2010年6月発行 人民郵電出版社)で、右が『东京好吃好玩真好买』(2011年10月発行 中国旅游出版社)




表紙をひと目見ただけでも、台湾で作られたガイドブックは日本の媒体に限りなく近いことがわかると思います。さらに中身を見ると、その違いは歴然としています。お台場を紹介するページを見比べてみましょう。
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『东京攻略完全制覇』の紹介する物件数の豊富さや情報の細かさは、日本のガイドブックと比べても遜色ありません

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『东京好吃好玩真好买』は物件数も少ないうえ、解説の文章も写真のクオリティも残念のひとこと

両者の違いを見て何をお感じになったでしょうか。なにもぼくは中国のガイドブック編集者を貶めるためにこの2冊を比べてみせたのではありません。かつて台湾にも、中国と同じような時代があったはずです(それをいうなら、日本もそうでした)。

ここで読み取るべきなのは、東京という高度に発達した消費社会に対する両者の理解の深さの違いです。それはすなはち、両者の旅行者の成熟度の違いを意味しています。台湾からの観光客は地方から上京してきた日本人とさして変わらない感覚で東京を歩き、豊富な体験ができるのに対し、中国からの観光客の大半は、彼らのガイドブックに表現されているようなざっくりとした世界しか認知できていないということです。同じ東京にいても、見ている世界がまったく違うのです。そのタイムラグはおそらく20年以上はあるといえるでしょう。

であれば、台湾向けと中国本土向けの情報発信は、まったく中身を変えるべきなのです。そうしないとまったく相手に伝わらないからです。ところが、たいていの日本の中国語版フリーペーパーでは、繁体字版と簡体字版は文字こそ違っても、同じ内容になっています。

インフィニティ・コミュニケーションズの女性担当者はこう話してくれました。「中国客は基本団体ツアーですし、彼らに台湾や香港と同じような細かいガイドブック的な情報を発信しても意味がないので、いまは現地の高所得者向け雑誌に日本の自治体のイメージ広告を出稿することが多いです。それでも、最近中国側からカメラマンや記者を招聘するケースが増えています」。

同社では、単にインバウンド外客メディアの広告代理だけではなく、日本企業が現地に進出する際の現地媒体を使ったPR広告なども手がけているそうです。実は、そちらのほうがビジネスとして可能性が大きい気もします。いずれにせよ、現地メディアに直接アピールする取り組みはもっとあっていいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-30 18:54 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2011年 11月 28日

日本の景観は値踏みされている(トラベルマート2011 その4)

トラベルマートの初日を終え、その日は横浜に泊まることになったのですが、パシフィコ横浜の外に広がるみなとみらいと横浜港の夜景がとてもきれいでした。
b0235153_21164341.jpg観覧車の前で記念撮影に興じる外国人バイヤーの姿も見られます。その瞬間、ぼくはハッとしました。昼間繰り広げられていたインバウンド商談会では、ぼくの目の前にある横浜の夜景もそうですが、自然景観から食、伝統文化、都市の魅力、サブカルチャーに至るまで、あらゆる日本のバリューが外国人の目によって値踏みされているという現実にあらためて気づいてしまったからでした。

観光庁長官もアピールしたように、横浜の夜景は悪くないとぼくも思いますが、外国人記者やバイヤーの頭の中では、他の国々の都市の夜景と比較され(たとえば、シドニーや香港、シンガポールと比べるとどうかしら?)、同時にコスト面や交通の利便性、付帯するショッピングやアミューズメントの質などの観点から検討され、横浜の優位性は何なのか、自国の消費者の嗜好や特性を勘案しながら品定めされているのです。

そういう目で日本の景観が見られていると考えると、インバウンドってなんて残酷な世界なのだろうと思います。地元の人間にしてみれば、自分の愛する街のよさは自分がいちばん知っている。よその土地との比較なんてどうでもいい話でしょう。ところが、観光客は「あそこはよかった、ここは悪かった」と無邪気に評定し、すべてが比較の対象となるのです。それは自分が観光客になったとき、無意識のうちにしていることでもあるわけです。

ただし、その比較検討の基準や観点はそれぞれの国によって違いますから、絶対的な評価はありえないともいえる。ある国と比べて優位性となることが、他の国からみればかえって弱点になることもある。外客誘致を始めるということは、そんな相対的な価値の比較の世界に自らを投げ込むことにほかならないことをある程度覚悟しなければなりません。

トラベルマートが招請するのは、ビジット・ジャパン・キャンペーン事業の対象15市場(韓国、台湾、中国、香港、タイ、シンガポール、インド、マレーシア、米国、カナダ、フランス、英国、ドイツ、ロシア、オーストラリア)のバイヤーです。その業者の選定と承認は日本政府観光局が行っています。

本ブログでは行きがかり上、中国インバウンドの動向を中心に追いかけていますが、日本の自治体やサプライヤーにとっては、何も中国ばかりが商談相手ではありません。自分に見合った相手探しをすることが本来あるべき姿です。相手は常に我々のバリューを品定めしているのですから、こちらも受身ではなく、相手を知り、我々の価値をどう認めてくれるのか、探っていく姿勢が必要でしょう。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-28 21:17 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2011年 11月 28日

マルチビザ発給後の沖縄現地事情

今回のトラベルマートでは、沖縄のインバウンド関係者と面会することができました。今年7月1日より沖縄1泊が条件という変則的なルールで始まった中国人の個人観光マルチビザ(3年間有効)発給後の沖縄への中国人観光客の動向が気になるところでしたから、実際に現地で何が起きているのか、担当者に直接話を聞いてみたかったのです。
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中国の旅行会社向けに沖縄県が作った個人観光マルチビザ発給の広報資料


以下が沖縄のインバウンド関係者とのやりとりです。

――7月以降中国の個人ビザ客は増えていますか?
「これについては公式の見解と本音の部分の話があります。2009年7月に始まった中国人の個人観光ビザ発給は昨年の条件緩和をへて今年のマルチビザ発給に至るわけですが、沖縄に来る個人ビザ客は前年度の20倍以上になりました。これだけ聞けば、順調に伸びているといえる。しかし、いかんせん母数が小さい。昨年まで毎月50名程度だったのが、1000名を超えるようになったという話です。本音でいえば、ビザ効果でもっと爆発的に増えるだろうと思っていたが、それほどでもなかったといえます」

――7月末に海南航空の北京・那覇線(週2便)が新規就航したものの、傘下のCAISSA社による独占販売で、いきなり沖縄4泊5日4000元という激安ツアーが登場。中国側の関係者からも、沖縄が激安観光地に位置付けられることを懸念する声がありました(やまとごころ.jp)「中国人の日本ツアーはメイド・イン・チャイナである【前編】」沖縄側の反応はどうですか?

「我々もなぜそんなに安く売るのかとCAISSA社に申し入れましたが、聞き入れられませんでした。当初は同社を支援するつもりだったのですが、やめました。ただ来年1月から中国国際航空の北京・那覇線(週2便)が就航するため、市場が開放されることを期待しています。また上海・那覇線はすでに週6便飛んでいます。

沖縄はリピーターに支えられているという統計があります。国内客の80%以上はリピーター。一方現在中国客の大半は団体ツアーです。彼らの占めるシェアは全体から見ればまだとても小さいのですが、今後リピーターになってもらうことが大事だと考えています」

――ただせっかくマルチビザ発給の条件というインセンティブを得たのに、激安ツアーしか来ないというのでは、東京・大阪ゴールデンルートと同じ轍をふんでしまったのではないかという気もしますが……。

「外客受け入れという観点でいうと、沖縄には中国客の前に台湾客の問題があったんです。かつて台湾の方にとって初めての海外団体ツアーは沖縄という位置づけで、やはり激安だった。それを変えていくためにいろんな手を講じてきた経緯があるんです。まず『台北ウォーカー』などの若者向け情報誌で沖縄のビーチリゾートとしての側面をPRしました。台湾の方が沖縄でレンタカーを利用してもらうプランも打ち出しました。団体ではなく、個人客を増やしたかったのです。現在、台湾客の個人旅行は一般化しています。中国客にも今後同じような手を打っていくことになると思います」
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「アジアと日本文化が融合したリゾートアイランド沖縄」と題された沖縄県の映画やテレビドラマの誘致を図る広報資料。2011年は日中台合作のテレビドラマ『陽光天使』のロケが沖縄で行なわれたばかり


――なるほど、沖縄はすでにアジア客受け入れの初期段階に起こる苦い経験を、台湾客を通して知っているわけですね。アジアインバウンド市場は、団体客中心の時代から個人客へというプロセスをたどるのが常ですが、沖縄以外の自治体や観光業者をみていると、台湾からのツアーが今日の中国ツアーと同じように問題とされていた1980~90年代の事情を知っている人は少ないようです。当時は観光立国としてインバウンド振興を進めるという時代ではなかったからでしょうが、やはり沖縄は外客受け入れの難しさをよく知っているという意味でも、インバウンド先進県ですね。

「沖縄には観光しかないですからね。それでずっとやってきたのです。しかし、いま我々は強い危機感を持っています。内地からの旅行者が減少しているからです。

今回の個人マルチビザをめぐっても、いくつかの問題があります。沖縄1泊という条件も、実際どこまで守られているのか。関空経由で沖縄に寄って帰るツアーもありますが、ビザ発給時点で沖縄に立ち寄るスケジュールを組んでいたとしても、本当にその人が沖縄に立ち寄ったのかチェックする公的機関はないからです」

――えっ、私は勘違いしていました。今回の条件では最初の入国地を沖縄にしなければならないのでは?

「違います。1泊立ち寄るだけでいいんです。今回のマルチビザ発給は政府の急ごしらえの施策で、中国にある日本領事館では膨大な発給数を処理するだけでも大変な作業、対応に苦慮していると聞きます。近い将来、個人マルチビザの沖縄1泊という条件ははずされることでしょう。つまり、全国に解禁される。沖縄はそれまでが勝負といえます」

沖縄のインバウンド関係者の話からもわかるように、沖縄に立ち寄ったかどうかチェックを云々というような問題が起こること自体、今回のマルチビザ発給がいかに「急ごしらえ」の施策であったかを物語っています。

今回の施策をめぐって、当初中国側の一部から「どうして日本の地域振興のために沖縄に1泊しなければならないのか」というイチャモンがあったそうです。彼らにすれば、もっともな話ではないでしょうか。こうした中国側の受けとめ方と、かの国の富裕層の沖縄に対する認識については、以前「北京ラビオン社周社長の語る沖縄マルチビザ発給の訪日促進効果について」で書いています。

これは別の機会に考えるつもりですが、こうした「急ごしらえ」の施策も、日本のインバウンド市場の法整備に関わる政策担当者の圧倒的な経験の不足が背景にあると思います。もっとも、経験がないのは政策担当者に限った話ではなく、日本の大半の人たちがアジアインバウンドの時代を経験するのは初めてのことですから、無理もないといえる。そういう意味でも、沖縄の経験は貴重です。これからももっと耳を傾けていきたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-28 21:11 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2011年 11月 27日

沖縄や北海道の関係者と面会(トラベルマート2011 その3)

トラベルマートには全国からインバウンド関係者が集まってきますから、普段電話取材でしかお話したことのない方にも会えるのはありがたいことです。

今回、沖縄と北海道という日本の最北・最南端の関係者とお会いすることができました。

日本のインバウンドは、実のところ、日本の両極で最も新しい動きが起きているということをぼくらは知らなければなりません。

<沖縄事情>
マルチビザ発給後の沖縄現地事情
<北海道事情>
北海道ニセコにSir Gordon Wu 現わる
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by sanyo-kansatu | 2011-11-27 17:28 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2011年 11月 26日

外国人記者説明会(トラベルマート2011 その2)

トラベルマートの初日午前には決まって外国人記者を集めた説明会があります。主催者である観光庁が外国メディアに向かって訪日旅行促進のための日本政府の考え方やプロモーション活動について広報する場です。
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今回外国人記者たちが注目していたのは、今年10月観光庁が打ち出した外国人1万人の訪日無料チケットの提供(Fly to Japan事業)に関する詳細でした。日本政府が本当に無料航空券を提供してくれるとなれば、外国人記者たちが「次号のトップページの見出しはこれだな」と期待をこめるのも当然です。

外国人1万人に無料航空券…観光庁11億円予算
ところが、説明会の担当者である観光庁国際交流推進課の課長さんの口は実に重かったのでした。本来であれば、外国人記者の最大の関心事である「無料チケット」情報の発表は、この説明会を成功裏に終えるための格好のアピールポイントだったはずです。ドカーンと鳴り物入りで発表したっていいくらいの大ネタです。

それなのに、担当官氏はその実施時期をめぐって「12月の国会審議が通って、うまくいけば来年4月にプロモーションが始まるだろう」などと内輪の事情を真正直に明かしてしまったのです(そんなこと、外国の皆さんに知らせる必要があったでしょうか)。本来広報とは相手に伝えなければならないメッセージをどこまで明快かつ印象的に伝えられるかが勝負のはずです。

担当官氏の英語力に関しては、同じ日本人として追及するのは控えたいと思いますけど、せめて説明会で想定される質問にどう答えるべきか事前にシュミレーションするなり準備はしてほしいものです。今回呆れたのは、事前に外国人記者から用意してもらった質問を、氏は順番に読み上げ、それに答えるという一人芝居を始めてしまったことです。

なぜその場であらためて質問記入者に声をかけ、質問の意図を披露してもらった後で、それに答えるというようなインタラクティブな演出ができなかったのか。

ここ何年か、外国人記者説明会に出席しているぼくからすると、観光庁側の準備不足が目に余ります。せっかくのPRの場が台無しです。

こんな無味乾燥な説明会がさして問題とならないのは、理由があります。観光庁側のスピーチ担当者は毎年コロコロ変わりますが、来日する外国人記者の半分くらいは常連なので、説明会の中身のなさについては、彼らも想定内だからです。

ぼくはすでに何人かの外国人記者とは顔見知りで、彼らとは冗談を言い合ったりする関係です。ひとりの日本人として、日本のお役人さんの仕事ぶりに情けない思いをしていることを、いつの日か気がついてもらいたいものです。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-26 18:21 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2011年 11月 26日

インバウンド商談会って何?(トラベルマート2011 その1)

今週火曜日(11月22日)、パシフィコ横浜で開かれた「VISIT JAPAN トラベルマート2011」に行ってきました。
VISIT JAPAN トラベルマート

トラベルマートは、日本政府(観光庁)が主催するインバウンド商談会です。海外から日本ツアーを造成するバイヤー(大半は旅行会社)が来日し、国内からは彼らに旅行素材を提供するサプライヤー(セラーともいう。ランドオペレーターやホテル、観光地のアトラクション施設、全国の自治体など実に多彩)が集結。一堂に介して訪日旅行市場を盛り上げていこうという年に一度のイベントです。

ぼくにしてみれば、海外はもちろん全国各地からインバウンド関係者が集ってくるまたとない取材チャンスです。中国で知り合った関係者もそうですし、地方取材でお目にかかった現場の担当者にまとめてお会いできるので、こんなにありがたいイベントはありません。

こうした動機で会場をうろついているぼくとは違い、参加した関係者の皆さんにとっては真剣な商談の場であり、これほど収穫の多い海外の関係者とのマッチングの場はないといえます。

トラベルマートの初日には恒例の開会式があります。今年も溝畑宏観光庁長官のあいさつから始まりました。
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溝畑長官は日本人にしては珍しいオーバーアクションで、一部週刊誌に取り上げられたこともある個性的な人物です。今回も最初は原稿を読みながらの退屈な英語のスピーチでしたが、場が沈んでいることに気がついたからでしょうか。若かりし頃、当時付き合っていた彼女と横浜(トラベルマートの開催地)にデートに来た話をアドリブで紹介し、得意のアクションを披露していました。実際はかなり微妙な反応でしたが、一部外国人記者にはウケていたようです。

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それから何人かの関係者のスピーチのあと、2011年ミスジャパンの谷中麻里衣さんによるあいさつがあり、テープカットとなりました。やはり日本を世界に売り込む場には、着物の女性がつきものですね。彼女、慶応の学生だそうです。

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2011年度ミス日本グランプリの谷中麻里衣さん

会場に戻ると、すでに日本のサプライヤーと海外のバイヤーによる商談が始まっていました。日本のサプライヤーが幅2m×奥行き1.5m×高さ2.4mの出展ブースに支払う参加料は5万2500円。2日間にわたって海外のバイヤーと各20分間のマッチングタイムを利用して商談するチャンスを手にします。

とはいえ、相手は外国人ですから、限られた時間で商談を成立させるためには周到な準備が必要です。通訳は頼めばトラベルマート側が用意してくれますが、やはり売り込みのためには、自らの商材を外国人バイヤーにきちんと伝えられるスタッフの存在が不可欠です。
b0235153_1815661.jpg一方、海外のバイヤーは、自国の消費者に売り込む価値のある日本の商材の提供者と出会うことを望んでいるわけです。実際には双方の思惑がマッチすることはそれほど多くありません。日本のサプライヤーが売りたいものと海外のバイヤーが買いたいものが一致するとは限らないからです。

トラベルマートではインバウンド商談会以外にも、ファムトリップといって、外国人記者や海外のバイヤーを国内観光地の視察に招待するツアーもあります。今回は以下のコースが設定されていました。

1. 北海道2泊3日:(札幌・小樽・ニセコ・富良野・旭川) 定員:30名
2. 関東近郊2泊3日:(鬼怒川・日光・スカイツリー) 定員:70名
3. ゴールデンルート2泊3日:(東京・大阪・京都) 定員:40名
4. 九州3泊4日:(熊本・ハウステンボス・長崎) 定員:30名
5. 沖縄本島3泊4日  定員:30名
6. FIT・ニューツーリズム1泊2日(箱根・都内) 定員:70名
7. メディア推奨コース3泊4日(東京・大阪・京都) 定員:30名限定
8. 東北応援コース2泊3日(平泉・松島) 定員:30名

日本の新しい魅力を海外の関係者に発掘してもらうため、毎年コースの内容は変えていますが、今年目を引くのはやはり「東北応援コース」でしょうか。日光とスカイツリーというのもありますね。

トラベルマートは日本の魅力を海外に売り込むビッグチャンスの場なのです。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-26 18:16 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2011年 11月 24日

満洲国の工場遺産-映画『鉄西区』と瀋陽鋳造博物館

旅行作家の蔵前仁一さんが発行する『旅行人』2011《上期号》(163号)で、日本人が満洲に残した近代化遺産を紹介しました。

南満洲鉄道株式会社によって1930年代に開発され、新中国に受け継がれた重工業地帯「鉄西区」(遼寧省瀋陽市)は、2000年代に入ると政府主導の再開発によってほとんどの工場が撤去され、高層マンションの並ぶ街へと変貌しました。2007年にオープンした瀋陽鋳造博物館は、無人となった工場内の廃墟空間に往時の歴史を展示するユニークな施設です。
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満洲国の工場遺産-映画『鉄西区』と瀋陽鋳造博物館            

文/中村正人 写真/佐藤憲一

雪の舞う一本の線路を貨物列車が前に向かってゆっくりと走っていく。進行方向に固定されたデジタルビデオカメラが映し出すのは、線路脇に広がる老朽化した無人の工場群。石炭の煤で汚れた工場の壁面には消えかかった文革時代の標語が見える。その合間に労働者の住居がもたれあうように並んでいる。中国東北地方によくある石炭オンドルの煙突が屋根からニョキリと隊列のように突き出している。

沿線には工場地帯の躍動感はまるでない。ただ車輪の走行音だけが響き、あたりは静寂に包まれている。時折中国の鉄道特有の耳をつんざく警笛が凍えた空気をぶち破る。レンズに吹きつける雪片が風景を徐々に曇らせると、前方に蒸気機関車が現れる。台詞もモノローグもないまま、場面が変わり、巨大な工場の内部にカメラは侵入する――。

満州国時代に建設された工場町

『鉄西区』という風変わりな中国のドキュメンタリー作品がある。

上映時間はなんと9時間5分。最後まで観るのは正直勇気がいる。

舞台は旧満州、中国遼寧省の省都瀋陽。かつて奉天と呼ばれた中国東北地方の中心都市で、清朝を興した満州族の故地としても知られる。20世紀前半、ロシアから南満洲鉄道の権益を受け継いだ満鉄は、1919(大正7)年、東京駅を模した風格あるレンガ造りの奉天駅(1910年竣工。現瀋陽駅)の西側の広大な農地を工業用地として買収。満州事変(1931年)後、本格的な経営に着手し、日本内地や地元中国の企業が相次いで進出、満州国随一の重工業地帯を形成した。新中国建国後の1950年代には1000を超える工場と100万人の労働者が住んだ町、それが鉄西区である。ところが、中国最大規模を誇った近代的な工場地帯は、90年代以降、国有企業改革が進められたことで衰退に向かう。作品は、地区内の9割の工場が操業を停止し、大量の失業者が町にあふれた2000年前後に撮られた300時間もの記録映像を編集したものである。

同じ時期、似たような社会状況を題材にした中国映画として、北京オリンピック開幕式の演出で知られる張芸謀の『至福のとき』(2002)がある。国有企業の経営破綻で閉鎖された大連の工場跡地を舞台にした盲目の少女をヒロインとしたメルヘンの物語だが、どんな深刻な状況も彼の手にかかると安易にメロドラマ化してしまうところがあり、『鉄西区』の思想とはまったく別物である。

監督は王兵という1967年陝西省生まれの中国人映像作家で、長回しの映像を好んで撮る人だ。同作品は2003年山形ドキュメンタリー映画祭で大賞を受賞。2007年にも、1950年代後半の反右派闘争による政治弾圧で粛清されかけたひとりの中国女性の語りを記録した『鳳鳴』という作品で連続受賞している。フランスでも評価が高い。

ぼくはこれらの作品を2008年の年末、東京駿河台のアテネフランスに3日間通って観た。その後、上海で仏語版DVDを入手。あとで知ったが、百度など中国の動画サイトで簡単に観ることができる。そこには彼のインタビュー映像などもある。

ここまで晒すか!労働者の日常

1992年に瀋陽の魯迅美術学院写真学科に入学した王兵は、鉄西区の工場や線路沿いをよく歩き、写真を撮って過ごしたという。彼が『鉄西区』を撮り始めたのは、97年のアジア通貨危機後、工場地区の崩壊が決定的になり、倒産が相次いだ99年からだ。

この作品の何が風変わりかといって、中国のしがない労働者や、どうにも浮かばれそうにはない(失礼!)庶民、若者の日常をひたすら撮り続けていることだ。英雄好きの中国人の本分からすれば対極にある、取るに足りない人々、そのあられもない生身の姿が美化されることもなく、ここまで晒すか!といった感じで映し出される。かつては街を支えた巨大工場の殺伐とした廃墟の跡が重苦しい虚脱感やうすら寒い終末観を感じさせる。

『鉄西区』は「工場」「街」「鉄路」と題された3部構成の作品である。

第1部「工場」には3つの工場が出てくる。そのうちふたつの工場(瀋陽ケーブル工場、瀋陽圧延工場)はすでに操業停止され、なすすべもなく労働者たちが工場周辺をたむろしているだけだが、唯一稼動しているのが最初に出てくる瀋陽精錬工場だ。

Youku第1部「工場」

工場内に侵入したカメラが最初に映すのは、素っ頓狂な映像だ。着衣場がないのか、股間を手で隠して素っ裸の男が廊下を走ってくる。後を追い、カメラもシャワー室へ。レンズは湯気で曇り、裸の群れと水しぶきの音がこだまする。工場内の休憩室で将棋をさす男たちの場面に移ると、「ここはかつて国家一級先進企業だった」と自嘲的に語り始める男がいる。また別の中年男は自分の境遇を語り、「自分には学がない。文革世代だったから。仕方がない」と愚痴をこぼす。東北の男たちはそこらかしこで手鼻をかみ、シャツの腹をめくり、飯をかき込む。ささいなことで口論し、タバコを口から離さない。

第2部「街」の舞台は強制立ち退き直前の住居区で、前述の労働者の子供たちと思われる10代の若者たちが主人公だ。北京や上海なら彼らも1980年代生まれ、消費時代の申し子ともてはやされる「80後」世代だが、ここは瀋陽、衰退した工場労働者の町である。次々と古い社員住宅が壊され、あちこちに空き地が生まれるなか、悪臭が鼻をつく扉のない公共トイレが残っているような住環境だ。

Youku第2部「街」

それでも彼らは恋をする。華流ポップスを口ずさみ、バレンタインデーには好きな女の子に花を贈ってみたりする。田舎の若者がやることは、なにしろ初心でせつなく痛々しい。

それにしても、なぜこの町の若者は家でぶらぶらしているのだろうか。上海や華南の工場にでも出稼ぎに行けばいいのにという気もするが、親と同様十分な教育を受けていないうえ、工場労働者の悲哀をよく知る彼らの腰は重いようだ。

第3部「鉄路」は線路小屋を仮住まいとする親子の話だ。元鉄道職員だが失職し、妻から逃げられた父親は、線路沿いに落ちている屑鉄や石炭を拾って暮らしている。ある日、彼は石炭泥棒として警察に拘留されてしまう。数週間後、息子は釈放された父親と食堂に行き、泥酔し泣き崩れてしまう。父親に背負われ家路に向かうふたり。不幸を絵に描いたような展開が続き、ついに親子は線路小屋を追い出される。

Youku第3部「鉄路」

ところが、1年後、父親は新しい女と生活を始めている。ずいぶん楽しげである。経緯は詳しく触れられないが、なんとも意外な展開だ。これは希望ということなのか……釈然としないまま、映像は終わる。ことの次第を喜んでいいのか、重く受けとめるべきなのか、匿名の群集ドラマを見せられた膨満感と解放感を味わいながら。

カメラの背後で何を考えていたのか

繰り返すが、9時間5分である。いったいどこまで彼らの世界につき合わされるのか。なぜ自分はこんな美学のかけらの微塵も感じられない中国オヤジたちのナマの生態を見せられ続けなければならなかったのか。そもそもこれは本当にドキュメンタリーなのだろうか。この映像のどこが面白いのか――。そう感じた観客も多かったのではないか。

そういいながら、このうんざりするような中国庶民が繰り広げる蕪雑な世界に、ぼくは気がつくと、なじんでいたことを告白する。確かに最初の1時間はキツかった。早く終わらないかとイライラした。ところが、4時間を越えたあたりから、登場人物にだんだん感情移入していたのだ。その頃にはもう観客もまばらなアテネフランセのシートに寝転がってスクリーンを観ていたように思う。

たぶん極私的な理由もあるだろう。学生だった1980年代半ば頃から所用あってぼくは瀋陽を何度も訪ねており、登場人物たちの住む世界をある程度見知っていたからだ。

映像を観ながら、こういうオヤジ、確かにいるね。中国のヤンキー、化粧のケバいおねえちゃん、こういう感じだな……。実は、王兵が『鉄西区』を撮っていた2000年の秋も、ぼくは瀋陽を訪ねていた。定点観測のつもりで数年ぶりに訪ねた瀋陽の変わりゆく街の様子や人々の暮らしを眺め、写真を撮ったりした。当時の瀋陽の人たちはカメラに対してガードをつくったりはしなかったと思う。まだそんなゆるい時代だったのだ。

そうだとしても、どうして王兵は登場人物の生活の内部深くまで入り込むことができたのだろうか。編集上カットされた290時間の撮りためた映像が他にあるとしても、人びとはカメラの前で、まるで撮られていることに気づいていないかのように、涙を流し、怒り、笑い、裸になっている。私情を晒すことの意味を訝しがることなく、王兵の立会いを許していたのはなぜか。彼は常にビデオカメラの背後にいたにもかかわらず、透明な存在であり続けられたこと。この作品の驚くべきところは、そこにある。

制作ノートの中で、彼は事前に関係者たちへの聞き取りや調査を行っていたという。もちろんそうだろう。すでに十分顔見知りとなっていたのだ。だが、1年半の時間をかけてビデオを撮り続けた王兵が終始透明な存在でいられたのは、それだけの理由ではないだろう。自分の営為が「ひとつの時代の終わりを見つめ、終わりに立ち会うことの重みを投げつけてくる」(映画評論家・刈間文俊)作品となることを自覚し、歴史の記述者であろうとする明確な企図を最初から強く胸に抱いていたからと考えられる。いうまでもなく、「ひとつの時代」とは、中国が社会主義を標榜した時代である。

中国の近代化遺産-瀋陽鋳造博物館

2008年の初夏、ぼくは映画の舞台の地である瀋陽の鉄西区を訪ねていた。現地の知人から日本統治時代の古い工場を改装した新しい歴史博物館ができたと聞いたからだ。2007年6月26日にオープンした瀋陽鋳造博物館である。

1933年に建てられた森田鉄工所、松田機械、満洲鉛板など12社の日系合弁会社からなる工場跡を改装して展示スペースにしたものだ。新中国後は1956年に瀋陽鋳造工場と改称され、最大従業員5800人のアジア最大級の鋳造企業だったという。現在はその一部しか残っていないが、博物館の敷地面積は4万㎡、1・8万㎡という巨大な工場内部が見学できる。現在でも稼動可能な天井の作業リフトや金属を高温で溶かした鋳造釜などがそのまま置かれており、まさに満州国時代の工場遺産を見学している気分なのだ。20世紀の近代工業空間が持つ迫力は、もう壮観、いや絶景というほかない。

展示コーナーでは、中国を代表する近代化工業遺産として満鉄時代から近年までの工業機械や車両など、計画経済の国らしく5カ年計画ごとに発展状況を解説している。また胡錦濤国家主席の訪問や、労働者劇場風の特設ステージ、天井の高い廃墟空間を活かした斬新なスペースで行なわれたドイツ企業とのパーティの様子が写真で展示される。

その印象が鮮烈に残っていた同じ年の冬にぼくは『鉄西区』の上映を知った。瀋陽鋳造博物館で見た空間が10数年前には疲弊し、操業停止していたこと、それが満州国時代に日本人によって建設された工業遺産だったことを、作品を通してあらためて確認することになった。

最初に少し触れたが、この地区の歴史的な経緯は複雑だ。

『鉄西区』の冒頭の字幕解説では、鉄西区は主に日本の軍用物資の工場地区として1934年に建てられたとある。その先の記述は一気に飛んで1949年の新中国建国からになる。以後、ソ連や旧東ドイツの援助があったことが記される。今日の中国人が新中国建国前の歴史を語るとき、日本は軍隊という記号に結び付けられ、あっさりと片付けられてしまうのが常だ。だが、実際には日本の敗戦後に残された工業設備や生産技術は、国共内戦で国民党やソ連による支配期を経て新中国に継承され、当時としては先進的な工業インフラとして毛沢東時代の中国に影響を与えたことは確かである。

こうして鉄西区は中国の社会主義経済の牽引役として発展を遂げたのだが、栄光の日々は改革開放を迎えた1980年代に転機を迎える。海外からの投資は政策的に華南や沿海地域に集中したため、徐々に地盤沈下が始まった。90年代以降、中央政府が進めた市場経済化で国有企業は非効率な経営と社会保障制度の維持が重荷となって疲弊し、旧式な工場や粗末な住居が残る煤煙と失業者の町となっていく。鉄西区は改革開放や市場化の恩恵から取り残された社会主義の敗北を象徴する街とされたのである。

煙突からマンションの街へ

ところが、ここにどんでん返しがある。『鉄西区』で撮られた社会主義時代の崩壊寸前の工場町は2010年現在、どうなっているのか――。

実は、高層マンションやオフィスビルの並び建つニュータウンに生まれ変わっているのである。

その変転ぶりは、今日の中国社会を象徴する光景といえる。何が起こったのか。2003年に中央政府から東北振興政策が打ち出され、鉄西区にある国有企業を郊外移転することが決められた。そのための資金は、鉄西区を再開発し、商業用地や住宅用地として転売することで地価を上げ、その売却益でまかなうことにしたのだ。この10数年間、中国全土を覆った不動産投資の波がこの地にも襲来したのである。

とりわけ鉄西区の風景が大きく一変したのは2004年のことだ。百度動画で王兵の『鉄西区』を検索すると、中国中央電視台(CCTV)が制作した同地区をテーマとしたドキュメンタリー番組が見つかる。そこでは同年3月23日、高さ約100mの巨大煙突3本が倒壊する映像が見られる。一切の工場建築を取り払った粉塵舞う平坦な荒地に、なぜか煙突だけが残され、それを一気に倒壊してみせるのだ。まるで強制的に執行された壮大なフィナーレを告げる儀式のようでもある。中国版ナショナル・グラフィックにあたる雑誌『中国国家地理』2006年6月号では、中国の工業遺産の特集を組んでいて、2004年前後の数年間で鉄西区にあった4000本を超える煙突が再開発のために倒壊させられたとある。

『鉄西区』が撮られたすぐ後、その地ではとんでもない変化が起こっていたのだ。

実際、線路をはさんだ瀋陽市中心部でも、この数年再開発が急ピッチに進み、今年の年末にはついに地下鉄が開通する。その発展段階は、直感的にいうと10数年前の上海だ。

鉄西区にあるマンション販売会社を覗いたら、富裕層向け高級マンションのジオラマが置かれていた。マンション価格1㎡7000元相当といえば、確かに10年前の上海、北京の価格帯に近い。はたして瀋陽でも同様に今後10年かけて不動産価格が3~5倍に上昇するのだろうか。それを見込んだ利権にさとい投資家たちが不動産を買い込み、価格上昇で売り抜けして資産を稼ぐという、同じことが10年遅れで繰り返されるのだろうか。

登場人物たちはどこへ行ったのか

「ひとつの時代」の終わりに立ち会ったはずの街の風景が見事に豹変していたこと。だとすれば、当局が造らせた博物館もまた「ひとつの時代」が終わったことを公式に承認し、新しい時代の到来の宣言と告げるものだろう。だが、なんともスッキリしないものが残る。

『鉄西区』で王兵が見つめ続けた中国庶民の日常を圧迫した問題の数々は、これで一挙に解決したのだろうか? そう思うと、この作品はまだ完結していないのではないか、と思えてくるのだ。王兵には『鉄西区』の登場人物たちがその後どうなったか、追いかけてほしいものだ。また中央電視台の番組での煙突倒壊シーンをきっと彼も観たと思うが、何を感じただろうか。彼だったら、そのシーンをどう映像で切り取り、どうその意味を位置づけるのか、知りたいものである。

これは無理な注文だろうか。だが、彼のドキュメンタリー作品を観た後、最初にぼくの頭に浮かんだのは、事前に目にしていた『鉄西区』後の中国の変貌をどう理解したらいいのか、ということだったのである。

皮肉を言いたいのではない。こうした見かけの大変貌が日常的に全土で起きているのが、今日の中国の姿である。前述の中央電視台の番組では、永く苦難の時代を生きた鉄西区の歴史を関係者らのコメントを交えて延々と語った後、最後に新興マンション住まいの幸せそうな家族の団欒シーンが挿入される。すべての恩恵は中央政府の政策がもたらしたというわけだが、いかにもきれいごとすぎて疑問に思うからである。

というのも、『鉄西区』は10年前の映像だが、いまもなお中国には発展から置いてきぼりを食った何億もの匿名の民衆の姿があるからだ。実際に、中国では当時の登場人物たちとたいして変わらない生活ぶりを送っている人々を至るところで普通に見かける。たとえば、北京の高層ビル群から車で30分ほど離れた郊外の一角には、地方からの出稼ぎ農民工の暮らす工場町がいくつもある。彼らもいずれ当局主導の不動産開発によって住居の強制立ち退きを迫られる存在になりうるという意味で、『鉄西区』の住人と同じなのだ。こんなことがこの国ではいつまで続くのだろうか――。中国を訪ねるたびにいつも思うのだ。
                 ※            ※    
こうしたテーマにぼくが関心を持つようになったのは、数年前に友人の紹介で「地球の歩き方 中国東北編」(ダイヤモンド・ビッグ社)の編集を請け負うことになり、大連や瀋陽といった旧満州の都市や町を定期的に訪ねるようになってからのことだ。沿海地域に比べ発展が遅れたぶん、日本統治時代の建築遺産や住居が長い間使われ残されていたが、2005年前後から急速に状況が変わりつつあることを感じていた。すべてが消失する前に、せめて写真に残していこう。そう考え、友人の写真家・佐藤憲一さんと作業を進めている。もしこうしたテーマにご関心のある方がいたら、情報交換していただけるとうれしいです。

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【追記】
現在、瀋陽鋳造博物館は中国工業博物館として生まれ変わって、公開されています。2016年7月、現地を再訪する予定です。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-24 10:52 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 11月 24日

「温泉エッセイスト山崎まゆみの満洲三大温泉めぐり」(2010~11年版)

中国に温泉があるということはあまり知られていませんが、かつて日本人を癒した温泉がありました。清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀が入った温泉、夏目漱石、与謝野鉄幹、晶子夫妻、田山花袋らが訪ねた温泉。
それらの温泉が中国東北地方にあると知ったわたしは中国に飛んだのでした。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-24 10:46 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2011年 11月 24日

「ローカル線で行く『坂の上の雲』名場面を訪ねる旅」(2010~11年版)

司馬遼太郎原作『坂の上の雲』は日本の近代の青春期を描いた物語とされる。
小説のハイライトである日露戦争の舞台(中国遼寧省)を中心に、ローカル鉄道に乗って名場面探しの旅に出た。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-24 10:41 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2011年 11月 24日

「祝!開放 旅順最新案内」(2010~11年版)

日露戦争(1904~05年)の激戦地で知られる旅順が60数年ぶりに、一部の軍事施設を除いて、外国人の立ち入りを全面開放した。日本統治時代の建物や戦跡が今も残る、封印の解かれた町を自由に訪ね、歩ける日がついにやってきたのだ。
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by sanyo-kansatu | 2011-11-24 10:37 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)