ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2011年 12月 31日

中国インディペンデント映画の誕生と現在(中国インディペンデント映画祭2011 その5)

12月7日には、中国インディペンデント映画祭の関連イベントとして「日吉電影節2011」(主催は慶應義塾大学)がありました。この期間中のイベントは何でも見てやろうという気でいたので、久しぶりに慶應の日吉キャンパスに足を運びました。

プログラムは、第一部が中国の若手監督(1980年代生まれが中心)の短編映画の上映で、第二部が北京電影学院教授の章明監督と俳優の王宏偉さん、中国インディペンデント映画祭代表の中山大樹さんの座談会でした。

映画上映についてはあとで触れるとして、この日ぼくにとって収穫だったのは、章明監督による中国インディペンデント映画の誕生の背景と現在の動向に関するスピーチを聞けたことでした。以下、簡単に章明監督の話を紹介します。
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章明監督


「中国インディペンデント映画(いわゆる自主制作映画)が誕生したのは1990年代です。背景には改革開放以降の中国の経済発展と、デジタルビデオカメラのコンパクト化をはじめとした撮影技術の進歩があります。中国ではそれまで映画製作は国家が資金を出す代わりに国家の要求するものしかつくることができませんでした。これが変わったのが天安門事件後です。鄧小平は民主化を抑えるかわりに、経済面の開放を加速化させましたが、その影響は映画製作の現場にも現れました。民間資本による映画製作が可能となったのです。

これは映画製作者にとって、ひとつの門が開いたことを意味しました。国家の要求するものとは異なる作品をつくることができるようになったからです。

私たち映画製作者たちは、当然のことですが、これまでとは違ったものを撮りたいと考えました。内容においては、すべてが政治がらみだったものからそうではないものに、登場人物においては、これまで映画に出てくることのなかった、たとえば泥棒といった世間の片隅に生きている人物を扱うことで、社会の真実をリアルに描きたいと思いました。

もっとも、1990年代はテレビドラマが人気で、街にはハリウッドや香港映画のビデオ上映館が大流行でしたから、映画は衰退していく時期でした。中国映画市場が活況を呈してきたのはここ数年のことで、いまでは天安門事件後に生まれた世代が映画館に足を運ぶ時代になりました。映画館の数も増えています。ただ作品の種類は少なく、そのほとんどはハリウッドか中国政府の後押しした歴史大作です。我々のつくっているような低予算のインディペンデント映画が映画館にかかることはありません。

なぜなら、中国では映画館で上映するためには、当局の検閲を受けなければならないからです。またたとえ検閲を受けたとしても、興行収入を得る見込みのない作品を上映する映画館はないからです。

私の新作『花嫁』(2009年)にしても、中国ではいまだ5~10回しか上映されていません。最初に上映されたのが北京の798芸術区にあるイベリア芸術センターで開かれたインディペンデント映画祭で、その後の南京や重慶の映画祭や大学のキャンパスでしかありません。中国には、海外のようなアートシアターは少なく、自主的に上映することしかできないからです。おそらく私のこの作品の観客は1000人に満たないでしょう。

それでも、中国のポータルサイトのひとつ「捜狐」のように、インディペンデント映画専門のサイトをつくろうとする動きもあります。ある若手の映画作家が、性転換したダンサーを主人公としたドキュメンタリー映画をネットにのせ、2000万アクセスを得たという成功例もあります。ただこうしためぐり合わせは誰にでもあるものではありません」。

その後の質疑応答で、章明監督(1961年四川省生まれ)は映画監督を志した経緯について次のように語りました。

「私は小学生の頃、長江のほとりの農村(四川省巫山)で過ごしました。校舎は古い廟で、教室の四角い窓から長江と行き交う船が見えました。それは映画のスクリーンのように美しかった。中学時代は演劇をやり、高校時代に映画雑誌を初めて読み、映画の脚本の存在を知りました。大学時代は美術大学で油絵を専攻しました。

大学卒業直前の1980年頃、栗原小巻主演の『愛と死』(1971年松竹)を観ました。そのとき、初めてスローモーション映像というものを知ったんです。その後、映画制作を志し、北京電影学院に入学しました」。

(章明監督は、91年に北京電影学院監督科の修士課程終了。北京電影学院教員となり、テレビドラマや広告制作に携わる。初監督作品『巫山雲雨(沈む街)』(1996年)がトリノや釜山の映画祭で最優秀作品に選ばれる)

監督の作風や映画撮影に対する考え方を問う質問に対して、彼はこう答えています。

「私の作品の特徴は、登場人物に語らせるというスタイルであることです。『花嫁』の場合も、地方の小都市に住む人々の生活やモノの見方、態度を描いています。彼らこそ中国の一般大衆です。中国の人々の大部分は大都市ではなく地方の小さな町に住んでいるのです」

実際、外国人である我々は北京や上海といった大都市に住む人たちこそ、そこそこ知っているとはいえ、地方の小都市に住む人たちのことはまるで知りません。彼らがどんな環境で暮らし、何を考えながら日々を送っているのか。監督の作品はそれを知る手がかりを与えてくれます(『花嫁』については後日紹介します)。

また監督の話から、中国インディペンデント映画が扱う題材やテーマが、かつてのように国家が要求する歴史の英雄を描くのではなく(いまでもその傾向が強いですけど)、中国の一般大衆の生活や日常を扱うことに熱心なのは、それ相応の背景や動機があったことがわかりました。

さて、順序が逆になりましたが、第一部に戻ります。中国の若手監督による短編映画の上映です。2009年の重慶インディペンデント映画祭の出品作から選ばれたそうです。以下、作品の簡単な紹介とひとことコメント。

①『阿Q魚伝(Q鱼的下午)』(2005年 林哲楽監督)
金魚鉢の中にいる金魚たちを擬人化してモノローグさせるというユーモア小編です。中国のネット上でよく見かける手法ですが、ぼくにはとても古めかしく感じました。1960年代や70年代の実験映画でこういうのはよくあったんじゃないかと。言っちゃ悪いけど、いまの中国の若い世代が新しげなこと、気の利いたことをやろうとすると、とたんに古めかしく見えてしまうことはよくあると思います。近年大量に生産されている中国産のアニメや漫画を見ていると、その思いを強くします。

②『キャンディ(糖果)』(2007年 趙楽監督)
中国の農村を舞台にしたメルヘンです。ひとりの男の子がいたずら半分に自分の食べたキャンディの包み紙に石鹸を包むと、その包み紙が姉から感謝の印として級友の男の子へ、そして先生へと渡り、最後に自分の手元に戻ってくるという話です。今回の映画祭では、大人の世代の監督たちが中国の農村の異界ぶりをリアルに描き出しているのに対し、「80后」世代の監督は、同じ舞台をキャンディの甘い包み紙でくるんでしまいました。その評価はともかく、この違いをどう理解すればいいのか。ちょっと面白いテーマだと思います。

③『息子とゴキブリ(儿子与蟑螂)』(2007年 欧陽傑監督)
時代の変化についていけない小説家の父と息子の葛藤を描く話。やはりかつての実験映画のようですが、ストーリーの展開や人物の内面がうまく伝わってきません。章明監督も「物語の処理がうまくできていない」とコメント。それでも「重慶のじめじめした重苦しい空気は伝わってくる」とのこと。なんともコメントしにくい作品ですが、息子の自殺後、カメラが映し出す夜の車道の街灯のうすぼんやりした映像が、1970年代の日本の映画やドラマのシーンに似ていたことが印象的でした。

④『北京へようこそ(北京欢迎你)』(2008年 盧茜監督)
コンセプトがわかりやすく完成度の高い作品です。当時ネット上で評判になった記憶があります。2008年、オリンピック開催に沸く北京市政府が『北京へようこそ(北京欢迎你)』(ジャッキー・チェンら中国の芸能人によるキャンペーンソングの曲名)と表向き外来者を歓迎しているように見えて、その実外地人(地方から北京に来た中国人)に対する滞在許可のチェックを厳しくしたことを大いに皮肉る内容です。

ストーリーは、あるマンションの管理人のおばさんが、政府から住人の戸籍管理を徹底するよう通達を受け、マンション内の住人を訪ねて回るというもの。ひとり住まいの老人介護をする四川省出身の小時工(家政婦)や共同住まいの売春婦たち(風呂場に隠れていたもうひとりの女は妹だというが、客と思われる男がのこのこ出てきてしまう)、雲南省出身の偽ブランド品販売業者の夫婦(おばさんは南国フルーツのドリアンをすすめられるが、臭いのきつさに遠慮する)、北京市出身だが農村戸籍であるがゆえに管理の対象となることに憤慨する青年、半地下室をスタジオ代わりに使う上海や湖南出身の外地人ロックバンドの若者たちなど、いまの北京を象徴する多様なキャラクターが登場します(ちなみに、半地下室とは1980~90年代に中国で建てられた団地やマンションの地下にある元核シェルターのことで、いまではそのスペースを間仕切りして、地方からの出稼ぎ労働者や大学卒業後も北京に残った若者たちがアパート代わりに住んでいます)。

まるで都市社会調査の現場に立ち会うようなストーリー立てにぼくはわくわくしましたし、作品の最後に住人の映像と例のジャッキーたちの歌『北京へようこそ(北京欢迎你)』を重ねる手法は絶妙というほかありません。ここまでわかっている人間が中国にもいることを知ると(そういう言い方はそもそも不遜だとは思いますが)、とても頼もしい気がしてきます。もっとも、中国においては、スマートで切れ味がよすぎる社会批評は、かえって当局にはかすり傷にすら感じないという現実もある気がします。

「日吉電影節2011」では、前半の「80后」世代の作品上映と、後半の大人世代にあたる章明監督らのスピーチとの間のつながりがしっくりきませんでしたが、いろんな発見はありました。きっと大学生向けのイベントということで、世代の近い若手監督の作品を選んだという教育的配慮があったのでしょうね。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-31 21:46 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 12月 30日

中国版ミニ角栄のなれの果て(中国インディペンデント映画祭2011 その4)

ここ連日、ポレポレ東中野に通っています。中国インディペンデント映画は、お世辞抜きで面白いと言わざるをえません。外国人であるぼくが生半可な気持ちで取材をしようと試みても、ここまではとても入り込めないという臨界点が中国にはあるものですが、その先に広がる茫漠としたこの国ならではの奥深い世界をリアリティたっぷりに見せてくれます。もうお腹いっぱいですから勘弁してください、というくらい徹底的に。

1日4本立ての上映スケジュールが組まれていますが、1日1本観ればもう十分すぎるぐらい内容が重いので、ぼくにはハシゴは無理です。せめて上映後1日かけて、その作品が撮られた背景や登場人物の言動の意味について自分なりに整理しておかないと、わけがわからなくなってしまうからです。

12月6日に観たのは、新聞記者出身の周浩監督の『書記』(2009年)でした。
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話の結末を明かしてしまうのはルール違反ですが、ノンフィクションであることと、DVD化でもされない限り、誰もがそう簡単に観ることのできない独立系であることをふまえ、最初に言ってしまうと、この作品は、退任15ヵ月後、収賄の罪で懲役7年の刑に処された河南省固始県の郭永昌共産党書記(2007年当時)の在任中最後の3ヵ月の日々を追ったドキュメンタリーです。

中国の地方行政は33の省と直轄市、自治区に分かれ、それらは約1500の県で構成されています。日本では地方行政のトップは県知事ですが、中国では政府と共産党による二重権力構造が常態化していて、実際には県長(日本の知事にあたる)よりも共産党書記の権限が上のようです。2012年秋の党大会で国家主席に就任するとされる習近平が浙江省の書記であったことに比べると相当格が落ちるとはいえ、この作品の主人公が地方行政の事実上トップであることを思えば、元記者によくここまで密着して撮らせることを許したものだという驚きがあります。

河南省固始県といえば、地図でみればわかりますが、中国内陸部の典型的な地方都市です。この作品が撮られた2007年は、上海の不動産価格の高騰がピークになるだろうと外資系投資関係者らの間で言われていた頃です。その狂おしいまでの熱気は一足遅れて地方都市にも波及していました。その渦中に行政トップの要職に座る郭書記の仕事は大きくふたつ。どうやって外資を呼び込み、地元経済の成長を図るか。同時に発展に伴う格差の拡大をはじめとした社会のひずみを解消するか。とはいえ、全国の地方都市が自分たちも上海のように発展したいと一心に不動産開発に明け暮れていた時代ですから、後者の仕事はなおざりになりがちです。

さて、この作品で興味深いのは、地方行政の中南海ともいうべき郭書記の執務室の映像をカメラが収めていることです。一部、映像が真っ暗になり、音声だけになるシーンもありますが(おそらく郭書記以外の他の関係者に禍をもたらす可能性のある人物が映っていたに違いありません)、多くは書記に頼みごとや陳情に来る訪問者たちとのやりとりです。退任を間近に控えた郭書記は慈悲深く寛大な指導者の役割を演じているがごとく、細々とした訪問者が抱える問題の解決を約束してみせます。地上げによる立ち退き費用の支払いを渋る公的機関と結託したデベロッパーとの契約書類に自筆のサインを書き込み、関係各所に指示を出しておくから大丈夫、と優しく語りかける彼は、テレビで見る温家宝首相の姿と重なって見えます。でも、県政府ビルの周辺には、決して招き入れられることのない陳情者たちが大挙して取り巻いているシーンも映されています。

104分間の映像の大半を占めるのが、酒宴の風景です。お抱え運転手に「毎日が午前様」と揶揄されながら、この地を訪ねる国内外の投資関係者や不動産事業者らと日夜酒杯を重ねる郭書記はカラオケ大好きの乾杯大将です。酒宴の背後には地元の若い女歌手やダンサーがいて、その地方色たっぷりの場末感が今日の中国らしさを存分に味わせてくれます。

とりわけ郭書記のハッスルぶりが見られるのが、海外の投資関係者との宴会です。台湾関係者とは肩を組み、デュエットでカラオケを熱唱、同じ“中華民族”としての一体感に酔いしれてみせます。一方、欧米人企業家相手には中国式のカラオケ接待ではなく、個室を借り切った誕生日パーティを準備させるなど、両者の好みを使い分ける気配りを忘れません。が、用意させた誕生日ケーキのクリームを欧米人の顔に塗りたくり、おどけてみせるといった、ついついお里が知れてしまうシーンも出てきます。おそらく彼の胸の内には、中国人も欧米人相手にここまで対等に振舞えるようになったんだぞという自負があったであろうことがうかがえます。

ぼくは以前、仕事の関係で延辺朝鮮自治州のトップに近い役人に面会したことがあります。酒宴にも招かれたのですが、彼は外国人であるぼくに、自らの権限を誇示することに熱心でした。ぼくはそのとき、延辺にある複数の北朝鮮との国境ゲートを視察して回りたかったので、その話をすると、後日、外国人の立ち入りが禁止されている中朝国境のある橋を彼の電話1本で現場の役人に命令を下し、渡らせてくれたりするわけです。

思うに、彼らのような地方役人がなぜ自分の権限を誇示したがるかというと、自分の権限が及ぶ範囲と限界を知っているからでしょう。彼らは、中央政府にたてつくことはできなくても、この地では俺がなんでも決められるということを、とりわけ外国人相手に言いたくなるようです。

しかし、高級カラオケクラブの個室で側近にレミーマルタンを開けさせながら、県内の消費税率をトップダウンで決めてしまうなんて政治手法に道義などあろうはずはありません。「県の書記なんてのは、大旦那みたいなもんさ。歳入3億元なのに、なぜ10億元の歳出が可能か。それは俺が省幹部に顔が利くからだ」。退任間近になると、彼はますます大胆になってこんなことを言い出す始末です。

このシーンを観ながら、ぼくはつぶやいていました。これも2010年までの話だろうさ。11年から先はこうもいくまい。地方財政は破綻の危機だというし、マンション建てれば金が生まれるなんて時代ではもうないのだから。さあ、中国もこれからが大変だ……。

ですから、エンディングの字幕で郭書記の懲役刑が告げられるのを観ながら、溜飲が下がったのは確かでしたが、どこか後味の悪さが残ります。要するに、彼は中国版ミニ角栄。退任挨拶で涙を流したりする情にもろい人物で、時代に乗ったお調子者にすぎない。その小物ぶりに、同情の余地があるようにも思えてくるからです。なぜって、本物のワルなら捕まったりはしないでしょうから。

いまとなっては、実名まで明かされてしまったこの人物、中国で最も面子のない男、カッコ悪いにもほどがある。一見頭がよくて抜け目がないようで、その実スキだらけという中国人ってよくいます。脇が甘すぎたのか、稀代のお人よしだったということか。おそらく彼は自分がこれだけ県を発展させたのだから、任期内の功績は後代に残す価値があり、その記録を撮らせるのも悪くない、くらいの認識だったに違いありません。確かに、2000年代の中国はそんな時代だったと思います。

この人物、世代的には文革時代には紅衛兵でもあった50代でしょう。青年時代には資本主義者を打倒すべく大暴れした人間が大人になり、権力を手に入れたとたん、接待漬け、酒宴三昧の日々を送ってついには監獄行きという結末は、中国の官僚制度の救いようのなさを呆れるほどわかりやすく見せてくれたといえます。ぜひとも中国の国営テレビで全国放映すべき貴重な映像だと思いますが、無理でしょうね。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-30 22:09 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 12月 26日

農村の老人たちの夜這いの物語(中国インディペンデント映画祭2011 その3)

12月5日は、『独身男(光棍儿)』を観ました。数日前、中国の農村の若者の物語(『二冬』)を観て、できることなら農村の性の世界も見せてほしいと書いたばかりですが、この作品ではそれがてんこもりで描かれていてちょっとびっくりしました。

You Tube『独身男(光棍儿)』

舞台は北京市の外縁に張りつくように広がる河北省のどこまでも乾いた大地に点在している山あいの村。初めての大学合格者が出たと村民総出でお祝いするほど、都市文明から隔絶された陸の孤島です。

(話の筋には関係ありませんが、こんな奥地に住みながら、一浪の末合格したこの村の若者はインターネットを使いこなしています。またこうした農村出身の若者が都市部の大学を卒業しても、特権階級の子弟でもない限り、蟻族になるほかないこともなんとなく見えてしまう。それがいまの中国です。

※ちなみに蟻族とは、2000年代半ば頃より中国で急増している大卒でありながら都市生活に見合った収入が得られないため、都市近郊のスラム地区にルームシェアしながら居住する地方出身者のこと。「80后」世代が多い(『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ』(2010年 勉誠出版))
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さて、物語は若い頃(文革の時代という設定)、恋人との結婚を反対された羊飼いの楊が主人公で、彼は50代の今でも村長の妻となった彼女と密通を続けています。そこには不倫という罪の匂いはなく、村祭りの夜、彼女のほうから楊の住む村はずれの小屋へ夜這いにやって来るというあっけらかんとしたものです。情事のシーンは直接撮られることなく、真っ暗闇の映像に白い字幕でふたりの会話だけが映されるという奥ゆかしい表現なのですが(これは他の中国インディペンデント作品『花嫁』でも同じでした)、驚いたことに、その村長の妻は楊だけではなく、同じ夜、村の独身男たちの家を何軒もハシゴしていくのです。

独身男といっても、冒頭で明かされるように、楊ですら最も若く、60~70代の老人たちです。若い頃、さまざまな事情があって結婚できずに老年を迎えた男たちですが、出張がちの夫の外出時を見計らって、彼女は男たちの家を訪ね歩き、ひとときの性を楽しみ、いくばくかの小遣いをせしめて帰るのです。その金は息子の大学進学のために使われることは一同承知しています。

外界から閉ざされた辺境の地での、一同納得済みで維持される性とわずかな金銭の交換を通じた複数の男とひとりの女の関係。まるで文化人類学のフィールド調査の対象を見ているようでもありますが、中国の農村では老人たちの性の供宴がこんな形で行なわれていたのか(もちろん、これはフィクションです)と正直呆れつつ、どこか納得させられてしまいました。

彼らの関係性のバランスが崩れるのは、楊が四川省出身の嫁を買ったことから始まります。中国の農村では人身売買が日常的に行なわれているとは聞いていましたが、6000元(約7万5000円)ほどの金と引き換えに現れた色白の若い女が、はるか彼方の四川の山奥で人さらいに遭い、拉致されてこの地に連れて来られた哀れな身の上であることは村人みんなが承知しています。それでも、誰も楊を非難したり見下すどころか、村の男たちはうらやましがるばかりです。これでは人権という観念がこの国では通じないのも無理はありません。このあたりの展開はいかにも今日の中国的で、よくできています。

面白くないのは村長の妻です。その6000元は口約束とはいえ、息子の大学進学資金に用立ててやろうと身寄りのない楊が以前話していた金だったからですし、何より楊が若い女に執心している姿を見るのは口惜しい……。ところが、女は楊のもとから逃亡を企てるのです。金で買ったとはいえ、年の差には抗えません。落胆する楊を尻目に、村の若い男が彼女を見初めて自分の嫁にしたいと言い出します。そのためには、楊に女を諦めさせ、代わりに彼が6000元を用立てなければならない。ひとりの女の売買をめぐって村中で金の工面の話をしている光景の異常さもそうですが、一人っ子時代の親に対する息子の甘ったれぶりには呆れてモノが言いようのない始末です。息子は老いた父親に迫るのです。「なぜ息子のために金を用意できないんだ。オレはあの女を嫁にしたいんだ」と。

結局、四川の女はその若い男すら置いて村を後にしてしまうのですが、我に返った楊は手元に戻った6000元をあっけなく村長の妻に渡します。こうして村の独身男たちと女の奇妙な関係はひとまず元に戻っていくのでした。

この作品を撮った郝杰監督は、河北省出身の1981年生まれ。なんでもこの物語は、すべて彼の地元の顧家溝村で実際に起こった話に基づいているそうで、劇中の人物は本人や彼の家族や親戚が演じているとか。夜這いの関係者がいるその村で撮影を行うというような無茶ぶりは、都会育ちの「80后」世代にはとうていできないやり方でしょう。

映画を観始めてから最初の30分くらいは、中国のとんでもないド田舎で繰り広げられる老人たちの夜這いの話とは、なんてたちの悪い露悪趣味だろうと思いましたが、観ているうちにだんだん認識が改められていきました。監督本人も「独身男のセクシーさに気づいたとき、我々は敬意をもって彼らの生命の軌跡にストップモーションをかける。その価値は永遠だ」とパンフレットの中で語っています。彼らがセクシーかどうかはともかく、この監督の人間の見つめ方はどこか魯迅的なところがあるようにも思えてきました。

もっとも、この若い監督が老人の性の問題をどこまで切実に理解して描いているのか。その生身の感触を知るはずがないからこそ、こんなにカラッと妙味たっぷりに表現できたのだと思いますが、そもそも「80后」の彼が、なぜこの題材を選んだのか。一人っ子政策の徹底と男尊女卑の社会風潮から男女比率の均衡が急激に崩れた結果、適齢期の男子が3000万人もあぶれてしまうという今日の中国社会、今後もさらなる超少子高齢化の未来が待ち受ける自らの老後の時代を見通してというわけでもないのでしょうけれど。

日本でいえば、老人ホームの色恋話がこれに近いのかもしれませんが、中国の農村出身の映像作家が描くこの特異な物語は、ずいぶん遠い世界の出来事だと思わざるをえません。老人の性を日本で描くとしたら、もっと違った表現になるのではと思うからです(そうでもないのかな。ぼくにはまだその境地がわからないので、なんともいえませんけど)。

中国の農村というある種の異界を、その地で生まれ育った若い世代がどう認識しているのか。こうした作品を観なければ、我々には思いもつかないものです。この作品の海外での評価が高いというのも、うなずけるところがあります。

今日中国において徹底的に貶められている農村社会に対する見方がちょっぴり変えられた作品でした。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-26 18:00 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 12月 26日

北京郊外村のシュールな異界(中国インディペンデント映画祭2011 その2)

12月4日は、徐童監督の『占い師(算命)』(2010年)を観ました。前回(『冬に生まれて(二冬)』は農村が舞台でしたが、今回は北京近郊の移民労働者の住む街(郊外村)で撮られたドキュメンタリー作品です。

Youku『占い師(算命)』

足に障害のある50代の貧しい占い師と知的障害者の妻が主人公。登場人物は自分の身の上を占ってもらうため彼を訪ねてくる売春婦や元炭鉱夫たち。社会の底辺を生きるキャラクターが勢揃いです。
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フィクションではないため、そんなに観客に都合よくドラマが展開するはずもなく、それぞれの登場人物ごとに章を分け、監督はカメラを執拗に回していく構成です。最初はかなりトウのたった30代の売春婦の話です。彼女は占い師から男運の悪さを指摘されながら、カメラの前で若い頃の思い出を語り、今日の落ちぶれた姿を嘆き、ときにあられもなく泣きじゃくるのですが、ある日しつこい男客を店の前で殴り倒し、警察に拘留されてしまいます。その後、売春取締りで店をつぶされるという災難続きで、ついに行方知れずとなってしまいます。

次の章では、占い師は妻の故郷に夫婦ふたりで里帰りします。実家では彼女の兄弟たちに歓待されるものの、知的障害を負った彼女が人生の大半を過ごした場所が家畜小屋だったことを観客は知らされます。家族は彼女を決して家屋には住まわせなかったというのです。食事も残飯同然でした。

占い師はそれを承知で嫁にもらうことに決めたそうです。カメラがかつて彼女が寝起きしていた小屋を映すと、一頭のヤギがぬっと現われ、憎らしげにこちらをにらんでいました。

最後の章で、ふたりは縁日に占いの店を出します。粗末な机をひとつ置いただけの露店の占い師の隣には、妻がイスに腰掛け、物乞いをしています。障害者であることが記された肩掛けをした彼女は、日がな夫とともに客が来るのを待っています。普段は哀れな老婆にしか見えない彼女が童女のようにふりまく純真な笑顔に、観客は思わず見とれてしまいます。結局、冷やかし客がほとんどで、たいした売上がないまま看板をたたみ、ふたりが引き上げていくシーンで映像は終わります。

障害を負った男が知的障害のある女を妻にするという設定は、映画『歌舞伎町の案内人』で知られる上海出身の張加貝監督が2007年に撮った『さくらんぼ 母ときた道(桜桃)』でも採用されていたように、中国ではわりと普通の感覚のようです。障害者同士の婚姻は、自分に見合った相手を伴侶とするもんだという、人としての常識の範疇に属するという理解でしょうか。この国では「人としてみな等しく」といった障害者福祉の観念が大半の国民に及んでいない以上、無理もない話かもしれませんが、逆にいえば、身障者であっても結婚を諦めることはないという意味で、ポジティブな生き方ができるともいえるでしょう。

それにしても、北京中心部からそれほど離れていない場所に、こんなシュールとでも呼ぶほかない生活が普通にあることに、あらためて中国のリアルを思い知らされます。

中国では社会福祉に頼ることはできないという現実だけでなく、公安による無慈悲な処遇(中国では占いは非合法。ゆえにガサ入れも入る)も受け入れなければならない。一般に中国政府や中国を研究する人たちは、はっきり言いたがらないように見えますが、郊外村はアジアの大都市ならたいていどこにでもあるスラムと呼んでいい場所だと思います。

前回観た中国の農村と比べると、大都市周辺に広がる郊外村の生活は、高層ビル街が身近な場所に見えているぶん、いっそうみじめさを感じてしまいます。しかし、それはぼくが日本人だからそう感じるのであって、中国の人たちからすれば、特別なことではないのかもしれません。いまの中国、高層ビル街ではなく、郊外村で生きる人たちのほうが多数派であることも事実でしょう。

何より『占い師(算命)』を観ながら驚くのは、撮影者と被写体の近さです。これは戦前期、南満洲鉄道株式会社によって建設され、新中国後、共産党に引き継がれた瀋陽の重工業地帯の労働者たちの日常を撮り続け、中国社会主義の終末の光景を記録した記念碑的作品『鉄西区』(2003年 王兵監督)と同様、中国のドキュメンタリーの手法上の大きな特徴といえそうです。

なぜこの人たちは他者に撮られることをここまで許したのか? 

それが可能であったのは、第一に彼らが底辺の人間だったからといえるのでしょうが、たとえ境遇は恵まれていなくても、彼らは自分が取るに足りない人間というようにはどうやら思っていない。どこまで当人が言語化できているかはともかく、自らが誇り高き中華民族の老百姓の代表なんだという自負があるように見えます。そこがとても中国人らしい。それは自分の人生すら壮大な歴史の一部なのだと納得することで自らの境遇を受け入れていく諦念と裏腹の自己認識とでもいえばいいのか。

このドキュメンタリー作品の題材は、あまりに地味で、どうしようもなく救いようのない中国の現実をさらしていますが、その映像につきあうことで初めて見えてくることがあります。いまの日本人にとってはおよそ遠い世界の出来事だけに、今日の中国がなぜかくあるのか、その秘密が開陳されているようにも思います。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-26 17:52 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 12月 23日

回復の兆し見える(ツアーバス路駐台数調査 2011年12月)

2011年11月から始めた明治通り新宿5丁目付近における中国インバウンドバスの路駐台数(≒中国客の動向)を記録しています。

1日(木)18:20 2台
2日(金)20:00  0台
3日(土) 未確認
4日(日) 未確認
5日(月)18;30 2台(広東省からのグループ)
6日(火)19:20 0台
7日(水) 未確認
8日(木)18:20  1台
9日(金) 未確認
10日(土) 未確認
11日(日) 未確認
12日(月)17:10  2台
13日(火)18:40 3台
14日(水) 未確認
15日(木)18:30 5台(うち2台はマイクロバス)
16日(金)19:00  3台(うち2台はマイクロバス)
17日(土)13:30 1台
18日(日) 未確認
19日(月)19:30 1台
20日(火)18:40 0台 
21日(水)19:00 1台
22日(木)18:20 1台
23日(金) 未確認
24日(土) 未確認
25日(日) 未確認
26日(月)18:10 0台
27日(火)12:00 1台
28日(水)18:00 2台(うち1台は広東から)
29日(木)18:20 2台(うち1台は広東から)
30日(金) 未確認
31日(土) 未確認
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by sanyo-kansatu | 2011-12-23 13:28 | 定点観測ツアーバス調査 | Comments(0)
2011年 12月 07日

アニメ王国ニッポンを旅しよう!

ちょうど北京で国際マンガサミットが開かれていた2011年10月下旬、ぼくは北京の知り合いの日本のアニメファンの女の子が主催する「六次会」という集まりで、ちょっとしたおしゃべりをしました。六次会では北京の大学の日本語学科を卒業した若い社会人のみなさんが交流のために、年に何度かたいてい学生街の五道口あたりのカフェで集まっているそうです。

六次会 http://neo-acg.org/supesite/?action-viewnews-itemid-2844

そのときぼくは、国際マンガサミット開催時期ということもふまえて、日本全国のアニメスポットを紹介しました。

そのためにつくったのが、下記のパワポの資料です。タイトルは「一起来动漫王国日本旅行吧(アニメ王国ニッポンを旅しよう!)」です。

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六次会に参加したみなさんはみんな日本語が上手で、日系企業などにお勤めの方も多かったのですが、ふだん自分が動画サイトなどで愛好しているアニメの作品の舞台=実在の場所と日本の旅行をつなげて考えるという、いわゆる「聖地」めぐりの発想はまだピンとこないみたいでした。作品の登場人物たちが繰り広げているのはフィクション空間にすぎないけれど、その場所は実在するのだから行ってみるといろいろ発見があったり、感じられたりして面白いよ、というようなメタな楽しみ方は、中国に住むみなさんにはまだちょっと距離があるのかもしれません。

ただひとり日本の名古屋に留学していた人がいて、彼女だけはその面白さを少し理解できたようでした。彼女は旅行好きで、1年間の留学期間中、全国各地を旅したそうです。そういう人なら、日本各地の風景や食文化などの地域性の微妙な違いもそれなりにわかっているので、それが作品の設定や物語に登場してくるさまざまなディティールに反映されていることに想像力が働くからでしょう。

そう考えると、海外の人たちに「聖地」巡礼の面白さをすすめるのは、現段階ではちょっとハードルが高いような気がしました。いまでこそ、たくさんの中国人観光客が来日する時代ですが、実際には誰もが簡単に日本に旅行に行けるわけではないことも、いまの中国の実情だからです。日本のアニメ好きだから、日本人と同じように日本のことをわかっているわけではないのです。とはいえ、海外にもおたくはいるので、彼らにならその面白さがわかるのかもしれません。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-07 07:29 | アニメと「80后」の微妙な関係 | Comments(0)
2011年 12月 04日

中国農村版ロードムービーか?(中国インディペンデント映画祭2011 その1)

12月3日(~16日)から「中国インディペンデント映画祭2011」がポレポレ東中野で始まりました。今年で3回目だそうです。

中国インディペンデント映画祭2011
http://cifft.net/2011/index.htm
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中国現代アートの作家たちと同じように、この社会を生きるひとりの人間として、多くの人の目に触れることはなくても、自由な映像表現を志す中国人というのは確かに存在しています。彼らの制作するいわゆるインディペンデント系作品は、多くの場合、自国の人たちにではなく、海外の映画祭に出品されることで、外国人たちの好奇と鑑賞の対象とされるという構造は、ことの良し悪しはともかく、今に始まったことではありません。

彼らは中国社会全体から見れば芥子粒のような集団かもしれませんが、この国の良心とも呼ぶべき存在になりつつあると思います。本人たちは自分たちのことを「地下工作者」などと自嘲的に呼ぶことが多いですが、ここ数年国際的な評価を勝ち得ていくなかで、自信を持ち始めているように見えます。

凝ったシナリオや舞台装置、演出によらず、対象にギリギリまで近づいてカメラを回すことで、ある意味無防備なまでに中国の生の現実をさらけ出していくような作風の多い中国のインディペンデント系の映像作品を観ることは、ぼくにとって“参与観察”の延長線のようなところがあります。場所が日本でも中国にいるときでも、中国の人たちに交じって彼らの世界を“参与観察”しているときの心境は、映画館で映像作品を黙って観ているのと似ています。

それでも、初日に観た楊瑾監督の『冬に生まれて(二冬)』(2008年)は、ぼくが普段カバーしているつもりの“参与観察”の領域をはるかに超えていたと観念せざるを得ませんでした。終映後、監督への質問タイムがあったのですが、中国の農村の若者の物語について何をどう聞いたらよいのか思いつかず、しばらくの間言葉を失ってしまった、というのが正直なところです。

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『冬に生まれて』楊瑾監督作品 2008年 150分


あらすじはこうです。山西省の片田舎で片親に育てらた二冬という若者が、喧嘩に明け暮れ、地元で問題ばかり起こすものですから、母親によってキリスト教会の学校に入れられてしまいます。しかし、そんな彼が学校になじめるわけがなく、退学されてしまうのですが、そのとき同級生の女の子を連れて学校を出て行くのです。それは駆け落ちなのか何なのか、結局彼は知り合いの炭坑現場で働くことになるのですが、すぐに彼女を妊娠させてしまい、ふたりはあっけなく結婚、母の家で暮らすことになります。それでも、二冬の仕事は長続きしません。ついには不法伐採をして警察に拘留され、帰宅すると、女の子の赤ん坊が待っていました。

その後、彼は自分が母親の実の子ではないことを知ります。村はずれにある子捨ての場所として知られている巨石の下に捨てられていたのを、いまは亡き父親が拾ってきたのだと、母に告げられるのです。彼はその巨石を爆破し、旅に出る……。

そんな切ないといえば切ないけれど、なんとも間の抜けた主人公のさえない日常が延々と150分間映し出されるという映画です。

これまでぼくは中国の相当辺鄙な場所までのこのこ出かけて、うろついてきたつもりなので、この作品の舞台となっている中国の辺境地域の農村風景や轟音を立てて走る旧式のバス、粗末な家屋などの世界を見知ってはいます。でも、そこで暮らす人たちの内面、今回でいえば、主人公の二冬や彼の子を身ごもる彼女が何をどう考えて、そのようにふるまっているのかといった微細な心理や彼らの置かれた境遇の深い背景まではよくわからない。都会の若者ならともかく、中国の農村の若者の心というのは、我々には難題です。今日の日本人が考える田舎のイメージとは激しく隔たりがある世界といっていい。我々にとって、中国の農村でいま起きている出来事について、リアルな想像力を働かせることはそんなに簡単ではないと思います。

そうした戸惑いは、会場にいた若い中国人たちの質問からも感じられました。「方言がほとんど聞き取れなかったため、日本語字幕に頼るしかなかった」との発言もあったように、インディペンデント映画祭に来るような在日中国人の大半は都市出身者でしょうから(質問したのはなぜかみんな女性でした)、農村についての理解は日本人とそれほど変わらないのかもしれません。

ところが、楊瑾監督はこの地で少年期を過ごし、物語自体も実在する知人の境遇から創案したものだといいます。彼自身、かつてこの作品世界の住人だったというわけです。

一般に都市出身の映像作家が、外国人や大都市の住人がまず訪れることのない農村を舞台に選ぶとき、自然の過酷さや人びとの暮らし向きの悲惨さを強調してみせるか、あるいは詩情あふれるシーンを作り込むことで物語化するか。そのいずれかになる場合が多い気がします。これは現代アートの世界でも同じで、たとえば、煤煙で顔の真っ黒になった炭鉱夫たちの写真展が、炭鉱事故が頻発した2000年代中頃、北京の画廊では大流行でした。あくまで都市の側から異界としての農村を視ているわけです。

楊瑾監督は、黄河中流域の濁流以外にはこれといって目を引く特徴のない農村を舞台に(まあ中国の農村ってたいていこんな感じなのですが)、ひとりの若者の青春の彷徨(?)をほとんどドキュメンタリー作品のように撮っています。制作予算の少ないインディペンデント系作品では普通のことなのでしょうが、一般の興行映画の観客であれば、こんな世界に付き合わされてはたまらない。観客を泣かせるなり、深い感動やカタルシスを与えるなり、もっとメリハリの利いたドラマにしてくれよ。そう思うに違いありません(東日本大震災で日本での上映が取りやめになった『唐山大地震』のように!?)。

映画の最後で、自分の出自を知った二冬が彼女と赤ん坊を背中に乗せ、雪原をバイクで走っていくシーンが、アメリカンニューシネマみたいだという観客の声もありましたが、これってやっぱり青春映画だったんでしょうか? つまりは中国農村版のロードムービーなのか? ……なんて思っちゃうこと自体失礼な話でしょうけど。でも、誰に対して失礼? 監督に、それとも中国の農村に住む人々に対して? あー、ちょっとめんどくさいな。中国の農村の話を自分ごととして考えるにはあまりに世界が遠くて、正直お手上げです。

そんなボヤキが頭の中を飛び交いながらもあらためて思うのは、いったい二冬にはどんな未来が待っているのだろうか、という問いでした。そもそも監督は中国の農村にどんな未来を夢見ているのか? 直球すぎて、そんなことを急に聞かれても監督も困るかもしれませんが、質問タイムで聞いてみてもよかったかな、とあとになって思った次第です(もうひとつ聞いてみたいと思ったのは、中国の農村ではキリスト教がどのくらい普及しているのか。人びとの精神生活にどの程度影響を与えているのか、です)。いずれにせよ、普段中国の農村について考えたこともなかったひとりの日本の観客にこのような問いかけをさせたということに、この作品の持つ意味もあるのでしょう。
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終映後の質問タイムにて。右が楊瑾監督

終映後、スクリーンの前に現れた楊瑾監督と観客の受け応えを見ているとき、こういう人ってもう日本にはほとんどいないんじゃないかな(今日の中国の農村社会のような環境で少年期を過ごした人という意味です)。いるとしても団塊世代以上の年代か、相当辺鄙な山村か離島生まれじゃないとありえないのでは、と思ってしまいました。

彼は1982年生まれだそうですから、中国史上初めて現れた消費世代といわれる「80后」なのですが、都会育ちの子たちとは雰囲気が違います。子供時代を中国の農村で過ごした人間特有のおおらかさとふてぶてしさを併せ持っているとでもいうのか。都会の人間から見ると、ちょっととりつくしまのない感じもする。でも愛嬌のある人のようです。

実際、北京には彼のような農村出身のクリエイターもそれなりにいて、文化の多様性を生んでいるように思います。ここでいう多様性とは、相手のすべてを理解することは到底できないほどお互いの境遇や世界観が隔たっているということは中国では普通のことだし、すべてをわかりあえなくても仕方ないではないか、というような大ざっぱな感覚の共有が前提となって織り成されている世界とでもいいましょうか。中国社会の一面としての異質なものへの許容度の高さは、多文化社会に対する自覚的な認識からではなく、やむを得ないこととして社会に容認されている結果という感じでしょう。厳密さや完璧性を好む日本人には、雲をつかむような感じですが、楊瑾監督を見ていると、とても中国的な映像作家なんだなと思えてきます。

ただ、ご本人も質問タイムで白状していたように、女の子があまりきちんと描けていないのはちょっと残念でした。せっかくだから、もっと農村の若者の恋愛の機微を見せてもらいたかったな。二冬と彼女の性愛の描写だって、プロの役者ではないから無理とはいうけど、撮ってほしかった気がします。都市における性描写なんて目新しくともなんともありませんが、中国の農村における性のあり方というテーマは、単なる好奇心を超えて、監督の次回作品の題材だという一人っ子政策をめぐる問題とも直結していると思うからです。

もちろん、それは監督も承知でしょう。観客の質問に対してもいちいちボケを入れた返しを繰り出してくるような独特のほのぼのキャラクターですから、どんな新境地を切り拓いていくのか、次作を楽しみにしたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-04 20:29 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2011年 12月 01日

総合ワールドトラベルとAISOのこと(トラベルマート2011 その6)

中国本土客の“爆買い”ぶりが話題になったことで、いまでこそ中国人観光客の存在が注目されていますが、もともとアジア系外国人の訪日旅行は1980年代に始まっています。その主役は、台湾や香港、韓国の旅行者でした。

ところが、当時の日本はバブル期に向かう絶頂期で、自分たちの海外旅行のことで頭がいっぱいでしたから、アジア系外国人の訪日旅行の実態を知る人は少なかったようです。実際のツアーの手配を手がけたのも、日本の旅行会社ではなく、在日アジア系外国人が経営する手配業者でした。つまり、日本のアジアインバウンド業界を支えてきたのは、最初からアジア系の業界人たちだったのです(今日もそれは基本的に変わっていません)。

総合ワールドトラベル株式会社の王一仁社長も、アジアインバウンド業界を支えた草分けのひとり。1948年上海生まれの王社長は、新中国建国時にご両親とともに香港に渡り、68年来日。東京工業大学で学んだ後、アメリカ留学を経て、81年に日本で旅行会社を立ち上げています(王一仁氏の略歴についてはやまとごころ.jpのインタビュー参照)。
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総合ワールドトラベル株式会社の王一仁社長とスタッフの皆さん

中国インバウンドの実態を知るうえで、王社長をはじめとした在日アジア系ランドオペレーターの関係者の話はとても示唆に富んでいます。ぼくは数年前に王社長と知り合って以来、懇意にさせていただいています。

王社長たちは、2000年の中国本土客の訪日団体旅行解禁を受けて、アジアインバウンド市場の拡大がもたらすビッグチャンスに期待を寄せていました。ところが、ふたを開けてみると、中国側旅行会社によるコストを無視した激安ツアーの乱発で、とてもまともなビジネスのできない市場であることを思い知らされました。

しかし、こうした中国による激安ツアーの乱発を許したのは日本側にも非があります。なぜなら、日本には、他国では当たり前のインバウンド市場に関わる法整備やルールがまったくといっていいほど存在していないからです。

そこで、王社長をはじめとした在日アジア系経営者や日本のインバウンド業者ら有志が立ち上げたのが、アジアインバウンド観光振興会(AISO)です。

※2013年、AISOは「一般社団法人 アジアインバウンド観光振興会」として生まれ変わりました。

王社長たちは、日本のインバウンド市場の健全化を訴えています。訪日市場の主導権を外国勢力にすっかり奪われてしまっているいま、日本はそれ取り戻すべきだ、というのが基本的な主張です。在日外国人である彼らが先頭に立って日本のインバウンド市場をよくするために活動している姿には、日本人としては情けないやら、頭が下がります。

彼らの主張の具体的な中身については、今後少しずつ紹介していきたいと思います。

※同社は2013年に日本総合ワールド株式会社と社名変更しています。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-01 13:36 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2011年 12月 01日

北海道ニセコにSir Gordon Wu 現わる

今回のトラベルマート会場で拾った面白いネタのひとつに、北海道ニセコの関係者から聞いたこんな話があります。

今年、香港を代表するコングロマリット、合和実業グループ(Hopewell Holdings Ltd.)会長のSir Gordon Wuこと胡應湘氏が、自らのペントハウスを兼ねたリゾートホテル建設のため、ニセコに投資したというのです(2011年11月27日のフジテレビ系『新報道2001』でも報道されたそうです)。

ニセコは日本を代表するスキーリゾートで、雪質の素晴らしさは海外にも知れ渡っています。10年くらい前からオーストラリアのスキーヤーが大挙してやって来るようになったことはご存知かもしれません。関係者によると、近年のスキーシーズンに占める海外客の比率はすでに50%。ニセコのゲレンデには日本人と外国人が半々の割合でスキーを楽しんでいるというわけです(ただし、震災後の今シーズンは外客の予約キャンセルが多数発生し、風評被害の直撃が懸念されています)。
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オーストラリア人スキーヤーの多いニセコ


さて、Sir Gordon Wuとはいかなる人物か? ネット情報を寄せ集めると、Sir Gordon Wuこと胡應湘氏は1935年香港生まれのアジアを代表する実業家です。58年に米国プリンストン大学を卒業。69年に香港で土木建築業を手がける合和実業有限公司を設立。70年代には東南アジアに高速道路や発電所などのインフラ建設を進め、80年には彼が子供時代を過ごしたという香港島湾仔に当時の香港では最も高い「合和中心(ホープウェルセンター)」を建設。80年代以降は、改革開放を迎えた中国でインフラ事業やホテル開発を行いました。香港返還の97年には英国から爵士(ナイト)の称号を授与されており、中国政府との関係は……一筋縄では説明できないところがあります。
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アメリカ人ジャーナリストの書いたGordon Wu氏の評伝


なぜそんな香港の大立者がニセコにペントハウスを? その理由は、ニセコのこの20年間の変遷と関係があります。実は、オーストラリア人ほど知られていませんが、90年代後半頃からカナダ系香港人たちがちょくちょくニセコに現れるようになっていたのです。

2010年秋頃から今年の初めにかけて、中国人が北海道で森林や水源地を購入しようとしているという一部報道がありました。昨年ニセコではマレーシア華僑によるホテルの買収がすでに行なわれています。ただし気をつけてほしいのですが、ニセコでホテル経営を始めるGordon Wu氏もマレーシア実業家も、中国本土の人間ではないということです。

それにしても、いったいニセコでは何が起きているというのでしょうか。
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繁体字で「新年快樂(Happy New Year)」。つまり、中国本土客向けではないことに注意


ひとことでいうと、ニセコは日本のグローバル化の最前線にあるといえます。日本のインバウンド時代を先取りしたさまざまな現象がこの地で起きているのです。今年1月ぼくはニセコを訪ねて、現地関係者の話を聞いているのですが、その詳細については話が少々込み入っているため、あらためて別の機会に紹介したいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2011-12-01 13:29 | “参与観察”日誌 | Comments(0)