ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2013年 02月 28日

中国の大気汚染は政府頼みでは解決しないと思う

先日、北京の知人に「そちらの大気汚染、報道で見ると大変そうだけど、大丈夫?」と聞いたら、「大丈夫でしょ」とそっけなく答えます。原発事故による放射能汚染を心配して「東京は大丈夫?」と尋ねられたとき、私たちもそう答えるしかなかったように、彼らもそう答えるしかないのでしょう。

前回(「いくらお金があっても水と空気は買えない。さあ、どうする?」)、中国の大気汚染に関するニュースを時系列的に眺めてみましたが、汚染の「程度」をめぐる中国当局と海外メディアや米国大使館との論戦の中、国内からもついに告発が始まることで帰趨を決していくというプロセスは、10年前のSARSの頃にも起きた、いつか見た光景だったことがわかります。

ただし、一過性のSARSと違い、今回の大気汚染は中国の経済活動とリンクして起きていることです。こうした経済成長と国民の健康被害のバランスをめぐる葛藤は、新興国が必ず通過しなければならない道であり、おそらく同じようなことはかつての日本でも起きていたはずです。

中国の場合、気になるのは、この問題を主体的に解決しようとする存在が誰なのか、はっきり見えないことです。そんなの政府が何とかするさ、と多くの中国の人たちは考えるのかもしれませんが、本当にそうでしょうか?

今回ばかりは、政府頼みでは問題は解決しないのではないか、とぼくは思います。リーマンショックからの立ち直りの早さでその優位性をアピールした国家権威主義体制も、逆効果に働くのではという懸念があります。全国各地で起きている個別の公害問題について、それぞれの地元に住んでいる人間が自分たちの問題として話し合ったり、企業に対してルールづくりを起案したりという、自発的な住民「運動」を行使できないようなことでは、解決は難しいのではないでしょうか。

だからといって、中国には「民主化」が必要なのだ、などといきなり言い出すつもりはありません。そもそも中国という国にとって「民主化」とは何を指すのか? どこにも明確な定義はないし、大半の中国の人たちはこの件について思考停止させられています。

たとえば、南方周末が主張しようとした「憲政」(党よりも憲法が上位にある法治国家)を目指すべきだというのはそのとおりでしょうが、今回の一連の騒動をみてもわかるように、そもそも為政者の側にその気はまったくなさそうです。もちろん、党も一枚岩ではなく、さまざまな考えを持つ勢力があることは確かですが、大半の中国の人たちも、この先大きな社会変革が起こることで望まない結果になるよりは現状のままでいいと考えているだろうことは、彼らと普通につきあっていると感じることです。

中国では、社会を安定的に維持するための原理原則が我々とは異なるようです。たとえば、この国では国民各層に与えられた(あるいは勝ち取った)「権限」が、結果的に社会の安定維持の装置のように機能しています。各人が手にした「権限」は、相当に深刻な問題でもない限り、他人が口出しできないと考えられているようです。

本来は「権限」というものをいかに公平に運用し、広く公の利益のために使えるかが社会運営のキモなのだと我々は考えますが、この国の人たちは、トップのエリート官僚から末端のそれこそ公衆トイレ清掃人に至るまで、自分の「権限」を駆使して自らの利益をいかに確保するか。それを当然の権利として各々勝手に生き延びることまでは許容されてきたという面がありそうです。それなのに、自己を犠牲にして公のために運用しようだなんてまともなことを言い出したら自分は生きていけないと、エリートはともかく、末端に近い人たちほど息巻いてしまうのではないか。自分たちの生存のためにはそもそも「民主的」なルールづくりという原理自体がそぐわない。彼らは本音のところでは、そう考えているように見えます。

でも、それで本当にきれいな空気と水は取り戻せるのでしょうか?

そのためには、せめて比較的生活に恵まれ始めた都市住民がこの問題にどう向き合うかが問われていると思います。

ぼくはよく中国の留学生と話をする機会があるのですが、先日もこんな話をしました。

「ぼくは1970年代に小学生だった世代だけど、当時の社会科の教科書には、静岡県の田子の浦のヘドロの写真であるとか、日本が公害問題に直面していることが書かれていました。それは子供心にちょっとショックな写真だったので、いまでもよく覚えています。結果的に、ぼくが大人になる頃には問題はかなり解決されてきたのですが、子供のころに刷り込まれた環境危機意識によって、たとえば日々のゴミの分別などでも、当たり前のこととして身についています。では、いま中国の小学生が学ぶ教科書には公害問題について書かれているでしょうか? もし政府がそれを未だに隠したいと考えているのだとしたら、それは国民にとって何を意味すると思いますか?」

たいていの場合、この話をすると留学生は黙り込んでしまいます。なにもぼくは彼ら彼女らをいじめたくてこんなことを言っているのではありません。最近の中国の留学生は、こうした基本的な日本と中国の社会の成り立ちに関わる違いについて驚くほど鈍感です。たいていが都市部の出身なので、中国社会の格差の構造や農村の問題などについても無頓着です。彼らは社会不安につながりかねない問題を自分ごととして考える契機を最初から奪われているように見えます。こうしたことも中国の公害問題にとっては足かせになりそうです。

それはパトリ(郷土愛)の問題にも関係があります。地元を大切に想う気持ちというものを、中国の人たちはどう考えているのか、という問題です。

そりゃあ中国の人たちだって郷土愛くらいはあるでしょう。春節になると、あれだけの民族大移動が起きるのですから。ただし、それは郷土に対する想いというより、血縁のある親や親族との関係性が大事だからでしょう。彼らは基本的に地縁より血縁を重視する人たちだと思います。

そのこと自体によしあしはないのですが、これが公害問題となると、都合悪く働く可能性は考えられます。

確かに、最近では中国でも工場排気物などに対するデモが頻発していますが、それは自分たちの深刻な健康被害に直接関わってくるからで、やむにやまれず行動に出るのは当然のことです。ただしその結果、工場が別の場所に移転したとしても、国土を広く覆う「有毒」大気の問題は解決しないでしょう。「自分たちのため」にだけ行動するのでは十分ではなく、「誰かのため」にという意識がなければ期待した結果を生まないのです。その際の「誰かのため」が、もし血縁や友人の範囲にしか及ばないのであれば意味がない。自分の住む地域の人たちのためにという認識がないと状況は変わらないということです。要は、危機意識を誰とどのように共有するのか。ことは、広い意味での公の意識やそれぞれの地域における階層を越えた共生の問題をどう考えるかという段階に入っているのだと思います。

なぜなら、繰り返しますが、いくらお金があっても水と空気は買えないし、人の住めない土地になったら元も子もない、からです。

今後中国政府はこの問題をどう解決を図るのでしょうか。いま実施されているのは、強制的に一部の工場を閉鎖したり、自動車の走行規制をしたりといった上からの対策のようですが、実際のところ、もっと本質的な意味での国民の協力なくして、解決は難しいはずです。

国民の協力を得るためには、これまで政府が地域分裂や独立につながる懸念があるとして許してこなかった住民の自発参加型のグループづくりや活動の自由を広げるべきでしょう。またそこにはグループのリーダーにふさわしい人材、たとえば中国の環境NPOなどで地道に活動してきた人たちに「権限」を与えることが必要ではないでしょうか。

中国の大気汚染はいまや国民運動でも起こさない限り、解決は難しいと思います。しかし、それはナショナリズムに煽られた「動員」によるものではなく、郷土愛に基づく「運動」として進めないと実質的な効果は生まれないと思います。

その進め方は、日本や欧米のいうような「民主的」なプロセスでなくても構わない。自分たちが不得手なやり方ではなく、やりやすいやり方でいい。なにしろ公害問題の解決という目的は誰にもわかりやすく、目標も明確なのですから。

そんなことがいまの中国でできるのか。留学生など、若い中国の人たちにはまじめに考えてほしいものだと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-28 16:01 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 02月 27日

いくらお金があっても水と空気は買えない。さあ、どうする?

中国の深刻な大気汚染問題が、2013年に入ると堰を切ったように報道されるようになりました。さすがに中国政府も、環境悪化にともなう国民の健康被害の懸念を隠し通せなくなったということでしょう。

おそらく最初の報道は、以下のニュースサイトに転載された人民日報の記事と思われます。

2013年1月13日(レコードチャイナ)
限界突破!観測不能レベルの大気汚染に=各地で濃霧・大気汚染の報告

「12日、人民日報は記事『中国各地で濃霧が発生、大気汚染は観測限界を突破』を掲載した。河南省の一部では空気品質指数が最悪となる500を表示。観測限界を超えた汚染となった」。

人民日報がこう報じているわけですから、中国政府も覚悟を決めたと考えていいようです。この報道以後、中国の大地の広範囲を含むエリアを「有毒」の大気が覆っている事態も明らかにされるようになりました。

ここ数年、秋冬シーズンに北京に行くと、わずか1週間かそこらの滞在でも、ぼくは必ず喉をやられて、長く咳が止まりませんでした。北京に到着した翌朝にはすでに喉が腫れて痛み出すのです。帰国後も気管支炎を患い、翌年春先まで咳が止まらないというひどい年もありました。体質的に喉が人より弱いせいですが、カナリヤみたいなもので、ぼくは北京の空気の悪さを誰よりも感じている人間のひとりです。

例の肺がん物質を多く含むという濃霧のため、北京空港の視界が悪くなり、飛行機の離着陸が不能となって帰国を延期しなければなかったこともあります。

中国メディアの記事を翻訳して掲載するニュースサイトの「レコードチャイナ」で「大気汚染」を検索すると、同サイトがオープンした2006年から今年2月下旬までの間、約300本の記事が出てきました。それをざっと見る限り、大気汚染問題は6年前から少しずつですが、警鐘を鳴らされていたことがわかります。ただし、少なくとも昨年までは、中国当局はそれを大っぴらには認めようとはしませんでした。特に北京オリンピックが開催された08年当時は、海外メディアとのいじましいほどの論争が繰り広げられていました。以下、ざっとこの6年間の「大気汚染」をめぐる記事を追ってみましょう。

■2006年
12月21日
大気汚染がひどいアジアの都市ランキング、北京がワースト1―北京市
「大気中に含まれる汚染物質の量は、北京市が1立方メートルあたり142ミクログラムで、アジアで最も汚染がひどい都市と分かった」。

■2007年
6月3日
大気中の二酸化炭素濃度が観測史上最悪に!進む大気汚染
「6月1日、中国気象局は北京をはじめとする中国4か所での大気分析の結果を発表した。大気中の二酸化炭素濃度が観測史上最悪の数値を記録した」。

7月1日
北京五輪 世界新記録樹立は不可能、大気汚染が選手に悪影響!―海外医療専門機関
「6月30日、来年の北京五輪に参加する各国選手に北京市の深刻な大気汚染が健康面で何らかの悪影響を及ぼすため、世界新記録の樹立は不可能とドイツの週刊誌が報道、問題になっている」。
 ★このあたりからオリンピック開催と大気汚染の影響がささやかれ始めます。

8月5日
大気汚染を改善し緑のオリンピックが実現か⁈ 環境対策になんと2兆円近く投入―北京市
「8月、五輪まであと1年と迫った北京市では、累計で1200億元(約1兆9000億円)の巨費を投じて、環境問題を改善するプロジェクトを推進中だ」。
 ★当然中国政府はオリンピックへの影響をかき消そうとしています。

12月14日
<北京五輪>大気汚染悪化なら競技日程変更も、IOC発表―中国 
「大気汚染が問題視される北京、改善が見られなければオリンピックの競技日程の変更もあり得るとIOCが発表した」。

■2008年
3月13日
<北京五輪>「世界中の参加選手が、北京の空気に満足」=楊外相が会見で反論―中国
「12日、中国の楊外交部長は記者会館で、『北京五輪に参加する世界中の選手のうち、大部分は北京の空気の質に満足している』と述べた。先日「大気汚染」を理由に五輪のマラソン競技不参加を表明したエチオピア選手に対する反論」。

7月9日
汚染物質排出データを発表、北京市が減少幅最大に―北京市
「7日、『07年度の各省・自治区・直轄市及び電力各社に対する汚染物排出量に関する調査』が終了したが、全国で排出量の減少幅が最大は北京市だった」。

7月12日
大気観測データに外国メディアから疑問―北京市
「10日、外国メディアから北京の大気観測データの信頼性に疑問が出ている」。

8月1日
オーストラリアは開会式にマスク着用せず―北京市
「31日、北京五輪まであと1週間に迫った選手村で、オーストラリア五輪委員会(AOC)のジョン・コーツ委員長は、『開会式にはマスクを着用しない』方針を明らかにした」。

8月7日
<マスク着用>「侮辱や挑発を意図していない」、米選手4人が謝罪―中国
「6日、北京五輪に参加する米の自転車競技選手4人が、前日に北京空港へ到着した際マスクを着用していた問題で、『北京五輪や中国国民に対する侮辱や挑発ではない』と五輪関係者と中国人に対して謝罪を行った」。
 ★五輪開幕以後、大気汚染報道は出てこなくなりましたが、中国の面子とからんだ不可思議なニュースがちらほら出てきます。外国人がマスクをしたから中国を侮辱しているだなんていいがかりじゃない? 当局だけでなく、中国の国民もこの問題に神経質になっていたことがうかがえます。

8月31日
五輪閉会、早速大気汚染が復活!汚染指数110に―北京市
「29日、明報が伝えたところによると、五輪が終わってわずか5日で、大気汚染指数の悪い日が出現した。28日、北京の空気汚染指数は110となり、軽度汚染の天候となった」。
 ★さすが香港メディア。五輪が終わると汚染も復活と一撃しています。

10月10日
中国の大気汚染、元凶は「粗悪な石炭」利用の発電に―米メディア
「7日、中国の大気汚染を引き起こしている原因は廉価で粗悪な石炭を利用した発電にあると米国MIT(マサチューセッツ工科大学)の研究チームが発表した」。
 ★このあたりからようやく大気汚染を自明のこととして原因解明(ただし海外メディアを利用した)が始まります。

■2009年
2月11日
<重度汚染日>今年初、旧正月の花火・爆竹で―北京市
「10日、旧正月の最後を飾る元宵節を迎えた9日、北京市でも多くの爆竹や花火による祝砲が打ち上げられた結果、今年最も深刻な大気汚染が発生したことがわかった」。
 ★ついに春節の爆竹と大気汚染の関係が取りざたされるようになってきました。

2月22日
肺がんによる死亡、30年間で1800万人に達する見通し―中国
「20日、米ハーバード大学公衆衛生大学院がまとめた報告書によると、2003年から2033年までの30年間で、中国では8300万人が慢性閉塞性肺疾患や肺がんで死亡する恐れがあるという」。
 ★大気汚染と肺がんの発生が関連づけられました。ただし、この時点では海外からの指摘です。

6月24日
灰色の空、当局の認定は「軽度の汚染」=米大使館発表の「非常に危険」と大違い―北京市
「6月18日、北京市は灰色の霧にすっぽりと覆われた。今年の4月、5月は珍しくも青空指数が高かったが、視界すら通らないような霧を前に北京市の大気汚染が悪化しているのではとの声もあがっている」。

6月30日
空気は「良好」それとも「危険」?米大使館と市政府、食い違う測定結果―北京市
「6月、北京の米国大使館が発表している大気汚染測定値が注目を集めている。18日には微小粒子状物質PM2.5の観測量が最悪レベルの危険域に達したという」。
 ★ついに中国当局と米国大使館との大気汚染論争の勃発です。

9月6日
中国の汚染に関する情報公開度・透明度が徐々に向上―米メディア
「2日、米メディアは中国各都市の環境汚染に関する情報公開度が改善してきていると報じた」。

10月20日
北京の大気汚染、改善は進んでいるがまだまだ不十分―米紙
「17日、ニューヨーク・タイムズは『北京の大気汚染状況は改善されたが、まだまだ不十分』と題した記事を掲載した」。
 ★なぜかこの時期、米国側から北京の大気汚染対策の改善を評価する記事が出ています。ちょうど世界が中国の大規模な景気対策を持ち上げていた時期に重なる気も。

■2010年
3月27日
<外国人が住みやすい都市>シンガポールがアジア首位、北京は大気汚染が影響し100位
「25日、国際人材コンサルティング企業ECAインターナショナルが行った調査で、シンガポールが11年連続で外国人にとって最も住みやすいアジアの都市に選ばれた。北京は大気汚染が影響し、100位止まりだった」。

9月7日
大気汚染、全国2割の都市で深刻、自動車が主因と政府が発表―中国
「5日、中国環保部科学技術基準局の責任者が、2010中国自動車産業国際発展フォーラムで講演を行い、中国の都市のおよそ5分の1で大気汚染が深刻となっていることを指摘した」。
 ★自動車数の増加と大気汚染の関連を中国環境部の幹部も指摘し始めました。

10月12日
年間の新車販売台数、米国の過去最高記録を上回る1700万台へ=渋滞、大気汚染も激化へ―中国
「10日、今年1~8月中国国内における自動車販売台数が前年比39%増の1200万台近くに達し、年間では米国の過去最高記録を抜く1700万台の大台が射程距離に入っている」。
 ★リーマンショックからのすばやい立ち直りを世界が評価し、自動車販売台数も米国を上回ったものの、深刻な副産物が発生していることを、ついに中国メディアでも報道し始めました。

12月6日
<大気汚染>過去5年で最悪の状況に!万博終了による規制解除が主因―上海市
「11月30日、上海万博期間中実施されていた多岐にわたる規制が緩和あるいは解除されたため、上海市の大気汚染が万博終了後わずか1カ月の間に過去5年間で最悪の水準になったと英メディアが報じた」。

■2011年
2月25日
測定不能レベルの大気汚染=米大使館が北京市の汚染にコメント―米大使館
「2月23日、環球時報は記事『米大使館発表=北京の空気は汚すぎて測定できない』を発表した。21日、北京市で深刻な大気汚染が観測されたが、米大使館は『危険、測定不能なレベル』と伝えている」。

10月14日
北京の「空気の質」が警戒レベル超え、米大使館が独自観測=中国当局は「軽度の汚染」―香港紙
「11日、香港の英字紙は『濃霧に覆われた北京』と題した記事で、米国大使館が発表した北京の空気の質は警戒レベルを超えていたと報じた」。
 ★2010年にはいったん収まっていた、米国大使館の北京の大気汚染宣告が再び開始されました。

11月4日
北京の大気汚染指数は国家基準を20%超えている―北京市環境保護局
「3日、北京市環境保護局の杜少中報道官は同市の空気の質について、浮遊粒子状物質の数値が国家基準を20%上回っていると明らかにした」。
 ★米国大使館の警鐘についに北京市環境保護局も呼応し始めます。

11月11日
<大気汚染>霧に高濃度の発がん性物質、復旦大の教授らの調査で判明―上海市
「10日、中国・上海の復旦大学の研究チームが市内で霧を採取し成分を調べたところ、発がん性や催奇形性の強い多環芳香族炭化水素(PAH)が複数種類含まれていたことが分かった」。
 ★さらに、上海復旦大学の研究者が大気汚染と肺がんを関連付けるデータを発表します。

■2012年
1月5日
健康的?それとも危険?「中度の大気汚染」の中、1万人がランニング―甘粛省蘭州市
「1日、甘粛省蘭州市で、第40回元旦都市ランニング、2012年蘭州国際マラソン・エキジビションが開催された。大気汚染を心配したネットユーザー、保護者からは中止を求める声が上がっていた」。
 ★ついに中国国民の側からも大気汚染による健康被害の懸念の声が上がり始めます。

1月21日
旧正月の爆竹で空気を汚すのをやめよう!「つもり募金」でPM2.5測定機を―中国環境NGO
「20日、中国の旧正月といえば、盛大に爆竹を鳴らして祝うのが習わしだが、空気を汚すという弊害も。そのため、今年は爆竹を控えてその分をPM2.5測定機の購入資金に充てようというつもり募金が呼び掛けられている」。
 ★NGOも春節の爆竹は大気汚染につながるため、控えようとの声も出ます。

2月13日
中国本土とのマイカー相互乗り入れに反対、大規模な抗議デモ―香港
「12日、香港と中国本土とのマイカー相互乗り入れが、早ければ来月から始まることを受け、これに抗議する大規模なデモが香港のビクトリア公園で行われた」。
 ★香港住民も、これ以上車が増えるとさらに大気汚染が悪化すると、中国大陸人の車の乗り入れを反対しました。

6月6日
中国の「大気汚染情報」を勝手に流すのはウィーン条約違反、各国大使館に苦言―中国環境部
「5日、世界環境デーに合わせ、中国環境部の呉暁青・副部長は、中国の空気の質に関する測定と発表は中国政府の管轄であり、各国の在中国大使館などが独自に測定・発表することはウィーン条約に反する行為だと非難した」。
 ★米国大使館との三度目の大気汚染論争が始まります。さて三度目の正直となるのか?

7月23日
<レコチャ広場>金メダル獲得数ではトップ級の中国よ、「国民健康度は世界81位」の現実を顧みよ
「20日、中国北京市社会科学院体育文化研究センターの金汕主任が『米国や日本は高いレベルで金メダルを目指している』と題した記事を中国のブログサイトに掲載した」。
 ★健康度世界81位の現実を直視せよ、とのブログの声も出ます。

11月27日
肺がん罹患率が10年で56%増、女性でも増加―北京市
「25日、2010年に肺がんが北京市に戸籍を持つ男性で罹患率の最も高い悪性腫瘍となっており、女性でも乳がんに次いで罹患率が高くなっていることが明らかになった」。
 ★これは大気汚染と肺がんの関係性を裏づけるかなり決定的なデータです。

■2013年
1月13日
限界突破!観測不能レベルの大気汚染に=各地で濃霧・大気汚染の報告―中国
「12日、人民日報は記事『中国各地で濃霧が発生、大気汚染は観測限界を突破』を掲載した。河南省の一部では空気品質指数が最悪となる500を表示。観測限界を超えた汚染となった」。
 ★「観測限界」を突破! これが転機となったようです。

1月14日
「今後3日間は有毒の霧が発生」の警報!市民は「我々は汚染物質吸い込む人間掃除機だ」と嘆く―北京市
「13日、中国各地で広範囲にわたって有害物質を含んだ濃霧が発生している問題で、北京市の観測センターでは今後3日間はこの天気が続くと予想している」。
 ★さらに「有毒霧」警報。大変なことになりました。

1月15日
北京の濃霧を世界が報道、工業化に警鐘―中国メディア
「13日、『北京市全体が空港の喫煙所のように見える』―ある米国の主流メディアは中国の首都を覆って全世界を驚かせた有害物質を含む狂気じみた濃霧をこう形容した」。
 ★北京の大気汚染が世界中で報道されたことを伝えています。

1月15日
大気汚染が深刻な北京市、有名小児科病院の患者3割が呼吸器系―中国
「14日、中国・北京市ではここ数日の深刻な大気汚染により、呼吸器系の病気を患う人が増加している。なかでも、年配者や子供の患者が目立っている」。
 ★大気汚染の子供たちへの影響がようやく報道されるようになりました。

1月15日
大気汚染都市ワースト10のうち、7都市は中国に
「15日、中国では北京市を中心としてこの数日間にわたり、重篤な空気汚染が発生している。最新の報告では、大気汚染指数で世界ワースト10に列挙された都市のうち、中国から7都市がランクインしている」。 
 ★こうして1月中旬から2月にかけて、いっせいに大気汚染報道が続きます。

1月21日
“北京咳”…北京滞在時だけ発症する呼吸器疾患、外国人在住者が命名
「21日、年初から重篤な大気汚染の状況が報告され、国内外で大きな注目を浴びた北京市。外国人在住者の間では、北京に滞在しているときにだけ発症する呼吸器症状を“北京咳”と呼んでいるという」。
 ★ぼくが北京で患っていたのは北京咳だったんですね。

1月24日
日本の澄み切った青空、大気汚染からどうやって取り戻したのか?―華字紙
「21日、過去に深刻な大気汚染を経験した日本だが、その後短期間で青空を取り戻している。日本はどうやって環境汚染問題に取り組んできたのだろうか?」
 ★日本在住の中国人研究者が日本の大気汚染対策について書いています。ただし、これは在日華人メディアの中文導報の記事です。

1月30日
中国を覆う有害濃霧、日本の国土3倍に相当=北京市は発生日数が1954年以来最多
「30日、中国の有害物質を含んだ濃霧がここ数日再び深刻化しており、日本の国土の3倍以上に当たる約130万平方キロメートルを包み込んでいる」。

2月2日
深刻化する環境問題、中国の奇跡的成長も台無し―米誌
「31日、環境問題で中国政府は大きなリスクに直面することになるかもしれない」。

2月8日
「北京はまるで動物実験の最中」大気汚染で日本大使館が説明会、反省と怒号が入り乱れる中国版ツイッター
「6日、年明けから中国で深刻な大気汚染が広がっていることで、日本在北京大使館が在住邦人を対象とした説明会を行った」。

2月11日
反日よりも命が大事、中国で日本製空気清浄機がバカ売れ―香港紙 
「9日、香港紙アップルデイリーは記事『日本製品ボイコットよりも命が大事、日本製空気清浄機がバカ売れ』を掲載した。日本メーカーは増産、工場操業繰り上げを急いでいる」。

2月14日
<大気汚染>公害を嘆きながら自ら空気を汚す中国人の市民意識―中国紙
「12日、北京晩報は記事『マスクをして花火、爆竹をするとはどのような市民意識か?』を掲載した」。

2月20日
日中が環境保護で協力拡大=日本車の魅力が再確認される可能性あり―日本メディア
「19日、中国はこのほど、大気汚染軽減のために自動車燃料の環境水準向上を決定した。これに対し、日本メディアは『日中が環境保護に関して協力を拡大する可能性がある』と伝えている」。

そして、大気汚染ではないのですが、中国の環境悪化と健康被害を象徴する極め付けのニュースがこれでした。

2月22日
中国当局、環境汚染が原因の「がん村」の存在認める=全国に100カ所以上
「21日、中国には環境汚染が原因でがん患者が多発する『がん村』が100カ所以上存在している」。

さて、この6年間、中国政府が大気汚染問題の所在と責任を認めるに至るまでのプロセスをざっと見てきたわけですが、経済成長と国民の健康被害の甚大さとをどう秤にかけるのか、そのバランスを図るうえでの政府としての確固とした理念や原則があったようには見えないことが残念です。

この間、オリンピックや万博など、世界に胸を張って自らの偉大さを高言するための数々の国家イベントや、リーマンショックによる世界経済の低迷を尻目に、果敢な景気対策で評価を上げたことなど、彼らの自尊心を喜ばせるに足る輝かしい側面があったものの、そこで手に入れた面子がかえって邪魔をして、大気汚染問題の公表や対策に遅れをもたらすことにつながったのだとしたら、やりきれない気がします。

いずれにせよ、中国が人の住めない土地になってしまったら元も子もないわけで、これまで避けてきたこの重く厄介な問題に対して、この国の人たちがどう向き合おうとするのか、注視していくほかありません。

いくらお金があっても水と空気は買えない。そのことに、いまようやく中国の人たちは気がつき始めたようです。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-27 12:13 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 02月 23日

18回 春にはちょっぴり中国客が戻ってきそうな気配ですが……。中国の旅行会社のHPを読み解く

今年も春節がやってきました。昨年秋からすっかり姿を消してしまった中国団体ツアーバスは、1月下旬頃からわずかながらですが、姿を見せるようになっています。

先日(1月31日)もいつものように仕事の帰り道、新宿5丁目のツアーバス路駐スポットを通りかかると、1台のバスが停まっていました。

乗車扉の脇に「南湖国旅 豪华六天(デラックス6日間)」というプレートが貼られています。ツアーバスから特定の旅行会社名がわかることは珍しいのですが、南湖国旅といえば広東省の旅行会社。すぐに同社のホームページをチェックしてみました。

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南湖国旅 http://www.nanhutravel.com/








グーグルに日本語で「南湖国旅」と入れると、同社のホームページが最初に出てきます。トップページから「出境游(海外旅行)」→「日本」とたどると、2月9日発の4泊5日北海道ツアーや16日発の東京・大阪ゴールデンルートなど、春節から3月にかけての日本ツアーが何本か募集・催行されていることがわかりました。

ホームページにツアーが告知されているからといって、実際にツアーが催行されたかどうかわからないものです。でも、同社のホームページには、出発日ごとにツアーの募集定員に対して空きが何名あるかを表示しているので、集客状況がわかるようになっています。この感じでは、春には中国客がちょっぴり戻ってきそうな気配です。

広東地区では、昨年の尖閣事件以降もいち早く日本ツアーは再開されていましたが、中国海軍のレーダー照射問題で日中関係が緊張するこの時期、上海や北京ではどうなのか? ひとつの目安になるのが、中国の旅行会社のホームページに掲載される商品造成の状況です。今回は広州、上海、北京各社のホームページから、春以降の日本ツアーの動向を探ってみようと思います。

超低価格志向で代わり映えしない広東発

まずは南湖国旅から。広東省ではどんなツアーが造成されているのでしょうか。

2月上旬現在募集中の日本ツアーを探すと、2月23日と25日出発の「东京、富士山、河津川早樱、京都、大阪六天游超级贵宾团」がありました。

ツアー名では「超级贵宾团(VIP)」を謳っていますが、定番の5泊6日東京・大阪ゴールデンルート、しかも5199元(約7万8000円)という激安料金です。成田inで2日目に東京観光、3日目に富士山、4日目はここがこのツアー唯一のポイントなのですが、西伊豆の河津桜見物と清水市のちびまる子ちゃんランドを訪ね、豊橋泊。5日目に京都と大阪を回り6日目の午後便で帰国というもの。いつも思うことですが、広州と東京・大阪のオープンジョー航空券代や中国側の旅行会社の利益を差し引くと、日本国内の手配費用はいくら残るのでしょう?

宿泊ホテルは、「成田日航」「サンシャインシティプリンス」「富士五湖地区豪華ホテル(豪華? おそらく河口湖と山中湖にある某インバウンド専用ホテルでしょうけど……)」「ロワジールホテル豊橋」「関西エアポートワシントンホテル」と記載されていますが、ホテル名の隣に「或同級(同等)」と書かれてあり、確定されているわけではないようです。

2月下旬のこの時期しか見られない河津桜見物を加えるなど、新たな趣向がまったくないとはいえませんが、基本的には「弾丸バスツアー」です。先日ぼくが新宿5丁目で出会ったのも、こうしたツアーの1本だったのでしょう。3月以降には、関西周遊4泊5日5999元、北海道周遊5泊6日6899元、8999元、東京・大阪ゴールデンルート+北海道6泊7日8899元、9499元などが募集されていますが、ツアー行程を見る限り、広東発の日本ツアーは相変わらずの超低価格志向で、代わり映えしないといわざるを得ません。

ツアーの多様化が見られる上海発

次に、上海の錦江旅游のホームページを見てみましょう。

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錦江旅游 http://www.jjtravel.com/





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錦江旅游の日本ツアーの豊富なラインナップ








こちらはツアーの種類も数も豊富で、さすがは中国の最先端消費地である上海の旅行会社という印象です。春節期間中のツアーでは、2月11日発「日本精华特惠6日(全日空利用の東京・大阪ゴールデンルート)7800元」「迎春爱恋九州—乐活特惠4日之旅(福岡、熊本、大分周遊。主な訪問地は別府温泉と阿蘇山観光)5999元」、12日発「日本北海道札幌、小樽、函馆、登别、洞爷湖5日游(北海道周遊)13800元」など、すべて満席でツアーが催行されるようです。広東省に比べると、旅行ルートの新しさもそうですが、さまざまな付加価値を付けることで、価格帯もそれなりのバリエーションがあります。

なかでも面白いと思ったのは、2月13日発の「迎春『御享温泉•饕餮盛宴』日本九州大纵断5日之旅(独家私房)11999元」です。これまで中国からの九州ツアーは、クルーズを除けば福岡や長崎、大分方面に集中していたのですが、これは鹿児島、宮崎、熊本など南九州を周遊するコースです。指宿の砂風呂や桜島、阿蘇山を周遊し、各地の温泉旅館に宿泊。特に2日目の宿泊先は鹿児島県霧島市にある旅行人山荘で、ここは旅行作家の蔵前仁一さんのご親族が経営する温泉旅館です。

錦江旅游のホームページには、ツアー行程が詳細に書き込まれていることも特長です。ふだんから中国のツアーにケチをつけてばかりいるぼくですが、上海発のツアーに関しては、台湾市場の成熟度にだんだん近づきつつあることを実感します。2月上旬現在まだ定員は埋まっていないようですが、3月7日発の「日本深度探索系列—中部探幽6日游9999元」のように、以前台湾でヒットした立山黒部アルペンルートの雪の壁を歩くコースが約10年遅れとはいえ企画されているのを見ると、ゆっくりした歩みではあるけれど、上海に限っては日本ツアーの多様化が進んでいることがうかがえます。

残念としかいいようのない北京発

では、北京はどうでしょうか? 北京中国国際旅行社のホームページを見てみましょう。


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北京中国国際旅行社 http://www.citsbj.com/









最初に気づくのは、日本市場に対する消極的な姿勢です。広東や上海の旅行会社の「出境游(海外旅行)」コーナーでは「日本」は当然のように独立したページだったのに、北京中国国際旅行社では「日韓旅游」と日本と韓国がひと括りにされています。しかも、最初のページは韓国ツアーばかり。日中関係の悪化で、今年の春節は中国客が大挙して韓国に訪れるとは聞いていましたが、そうした市場の変化はホームページにも表れています。

それでも、掲載されている「日韓旅游」計61本のツアーのうち40本は日本行きで、ツアーコースも上海発の多様さには及ばないものの、広東発にはない沖縄ツアーや1万元を超える東京滞在型があるようです。たとえば、2月10日と13日発の「动漫乐园东京迪斯尼双园宫崎动漫5日11880元」では、初日に富士山、東京ディズニーランド&シーを2日かけて遊び、最終日に都内観光と三鷹の森 ジブリ美術館を訪ねるものです。

とはいえ、この種のツアーは何年も前からすでに催行されていたものですし、はっきり言ってやる気があるとはとても思えない保守的な商品ばかりです。政治の影響が強い土地柄だからなのでしょうが、これが首都の旅行会社かと思うと、残念としかいいようがありません。明らかに日本ツアーのマンネリ化が感じられます。

このように、中国の海外旅行市場の成熟度は北京、上海、広東で大きく異なっています。よく巷で中国経済に対する両極端の評価が聞かれますが、それは中国のどこの話をしているかで違うのであって、上海とそれ以外の中国を分ける必要性が自覚されていないせいだと思います。上海で起きていることは、中国ではかなり特殊で局地的な状況だと考えた方がいい気がします。その違いは各社のホームページを比較すると、つかめるのではないでしょうか。今後も定期的にチェックしてそれぞれの動向を検討する必要がありそうです。

ツアー代金は日本行きと変わらない国内旅行

せっかくですから、今年の春節期間中に延べ34億人の大移動があるというレジャー大国、中国の国内旅行の状況も少し見てみましょう。

中国でいちばん人気のある国内旅行先といえば、「中国のハワイ」と呼ばれる海南島でしょう。北京中国国際旅行社では、2月6日発の「环海深度游三亚往返双飞5日5780元」が催行されています。海南島の最南端にある三亜にはアジアンリゾート風のビーチホテルがあり、基本そこに滞在しながら南国体験をするものです。ツアー代金の内訳は往復の航空券+ホテル代+島内バス観光ですが、料金は東京・大阪ゴールデンルートと変わりません。

第2の人気先は世界遺産である雲南省の麗江でしょうか。春節期間中の北京発のツアーは、昆明まで飛行機で飛び、鉄道やバスで周遊する5泊6日のコースが一般的で、価格帯は1000元台から5000元台までと、それなりのバリエーションがあるようです。同じ目的地で価格帯に広がりがあることは商品の多様化を意味し、市場の成熟度の目安といえます。日本ツアーに必要なのは、まさにこうした価格のバリエーションでしょう。

最近は中朝国境にある長白山へのツアーも人気があるようです。ふだん雪を見ることのない広東省では冬季の東北旅行はもともと人気でしたが、南湖国旅の2月上旬現在の国内旅行で注目の商品となっているのが、2月19日発の「长白山北景区 长白山万达国际度假区 激情滑雪 中国雪乡 东北三大省会(哈尔滨、长春、沈阳)双飞六特惠贵宾5299元」です。このツアーは広州から飛行機で遼寧省の瀋陽に飛び、バスで吉林省の長春や長白山の山岳スキーリゾートを訪ね、黒龍江省のハルビンから戻る5泊6日のコースです。

実は、昨年ぼくは取材で長白山を訪ねているのですが、天池と呼ばれる美しいカルデラ湖があり、富士山に似たなだらかな山麓の広がる中国では珍しい休火山で、周辺にスキー場がいくつもできています。ここ2、3年で山岳リゾートホテルも続々と誕生しています。2008年にできた長白空港には北京からの直行便もあり、アクセスも飛躍的に向上しています。

ただし、このツアーではせっかくスキーリゾートを訪ねているのに、一泊しかしなく翌日から移動を続ける日程になっています。なぜなのか。実は、これは冬の北海道ツアーに参加する中国客に見られるのと同じ光景で、実際にスキーをするわけではなく、スキー場の入り口付近で雪とたわむれるだけというのがほとんどのケースだからです。

スキー人口はまだ少ないのに、スキー場だけがいくつも開発され、すぐにつぶれていくというような中国のゆがんだレジャー投資ブームの顛末をいくつも見てきただけに、苦笑するしかない話なのですが、これらのいくつものツアー行程をみていると、今日の中国の国内ツアーの多くが基本、「弾丸バスツアー」であることに気づかされます。

ゴールデンルートを旅する中国客を見ながら、「毎日バスに乗りどおしで面白いのかな?」とつい思ってしまいますが、いまの中国の人たちにとって、旅行とはそういう“欲張り”なイベントなのでしょう。「いろんな場所に行きたい」が最優先。これは「ロンパリローマ」と呼ばれた1970年代前期の日本人のヨーロッパツアーに似ているのだろうと思います。

今回紹介した中国の国内ツアーはすべて東京・大阪ゴールデンルートと同じ5泊6日で、価格帯も5000元前後のものを選んでいます。今日の中国には、同じ日程でツアー代金も日本行きと変わらない国内旅行商品がたくさんある。本コラムでこれまで何度も書いてきたように、日本ツアーの不当な安さにはさまざまな背景や経緯があることは確かですが、少なくとも中国の消費者にとっては関係ないことです。安けりゃ安いに越したことはない。価格帯で見れば、中国の国内ツアーはすでに日本の競合相手となっているのです。

まずは日本の競合相手を知ること

競合相手を知るという意味では、日本以外の海外ツアーの事情も気になります。

錦江旅游の「出境游(海外旅行)」のトップページをみると、主なツアー商品のトレンドや価格帯がざっとわかります。

たとえば、激安ツアーの氾濫でトラブルが続出した香港にも、いまでは5000元台のツアーもあること。台湾での個人旅行がすでにはじまっていること。上海発の国際クルーズ商品が人気なこと。上海人の平均的なヨーロッパ周遊ツアーが12日間で15000元相当、アメリカ周遊が2週間で25000元相当であること。かつて日本人のビーチリゾートのメッカだったサイパンの主要客が中国にとって代わられようとしていること。激安商品の多い東南アジア方面でも、モルジブのビーチリゾートに限っては5泊6日で23000元という高額商品を造成していることなど、上海人の海外旅行の現在形がうかがえます。

一方、北京中国国際旅行社の「出境游(海外旅行)」には、欄外に「热点目的地(ホットな目的地)」として20の国名や都市名(ロンドン、ローマ、スイス雪山、北海道、済州島、ケニア、トルコ、南アフリカ、ハワイ、オーストラリア、ニュージーランド、モルジブ、サイパン、東南アジア、パタヤ、ロシア、スペイン、カンボジア、ドバイショッピング、ネパール)が雑然と並べられています。これが北京で旬の旅行先だということでしょう。日本からは東京や大阪ではなく、北海道がランキングしていることからも、北海道は日本で唯一、単独で中国客を呼べるブランドとしての地位を確立していることがわかります。第2、第3の北海道が出てきてほしいものです。

次に、海外旅行商品のエリア別カテゴリーを見てみましょう。錦江旅游では、「香港・マカオ」「台湾」「国際クルーズ」「自由旅行」「アメリカ・カナダ」「オセアニア」「サイパン」「日本」「ヨーロッパ」「東南アジア」「中東アフリカ」「韓国・朝鮮」(掲載順)に分けています。

この区分けは重要です。これがいまの上海人が海外旅行先を選ぶ際、頭に浮かべる世界地図だといえるからです。もっとも、それは固定化されたものではなく、常に新しいトレンドが登場することでこれから先も変化していくものです。

一方北京中国国際旅行社では、「ヨーロッパ」「東南アジア」「中東アフリカ」「アメリカ」「ビーチリゾート」「ロシア」「オセアニア」「日韓」「ネパール・インド」(掲載順)に分けています。上海と北京の市場の違いはエリアの区分けや掲載順にも表れていると見るべきです。

ともあれ、これらもまた「観光立国」を掲げる日本にとっての競合相手だということです。この中で、中国人消費者から日本が選ばれるためにはどうすればいいのか。まずは日本が相対的にどんな位置付けにあるのか。長所と短所は何か。それをふまえ、今後何を目指し、どう差別化を打ち出すべきか。こうしたことを明確に意識して戦略化する必要があります。

それを考えるうえで参考になるのが、ツアー検索のための目的別キーワードです。

たとえば、錦江旅游では2月上旬現在、「アウトドア」「ハネムーン」「健康診断」「親子旅行」「ディズニー」「ヘルスツーリズム」「桜見物」「名校游」「シルバー」「スキー」「温泉」「美容」「フラワーツーリズム」などのキーワードが挙げられています。ちなみに「名校游」というのは、主にアメリカでハーバードなどの有名大学のキャンパスを訪ねるもので、いかにも教育熱心な中国らしいですね。

また北京中国国際旅行社では、「親子旅行」「絶景の旅」「ビーチリゾート」「チャーター便利用」「映画の旅」「ディズニー」「春節特集」「神秘を訪ねる旅」「美食の旅」「自由旅行」「クルーズ」「ハネムーン」「サマーキャンプ(自然満喫の旅)」「Club Med」など。

さまざまなキーワードが入り混じっていますが、これがいまの上海と北京の消費者の海外旅行シーンを理解する鍵だと考えられます。それぞれのキーワードで検索される商品群からツアーの価格帯や、彼らが何を求めているのかが少しずつ見えてきます。

話をわかりやすくするために、同じことを日本の旅行会社の場合と比較してみましょうか。海外旅行大手のHISのホームページでも、ツアー選びがエリアと目的から検索できるようになっていますが、2月上旬現在の「目的から探す」には以下のキーワードがあります。

「間際出発」「家族旅行」「ゴールデンウィーク」「学生旅行」「ウェディング」「ハネムーン」「海外発航空券」「スポーツ」「留学」「鉄道」「世界遺産・秘境」「社会貢献」「音楽鑑賞」「登山・トレッキング」「バリアフリー」「クルーズ」「温泉」

日中双方には共通するキーワードもありますが、海外旅行商品のトレンドはもちろんのこと、ツアーを選ぶ際のポイントや目的についての認識も違っていることがわかると思います。たとえば、いまの中国の人たちが「留学」をお手軽な海外旅行商品と捉えることは少ないでしょうし、「社会貢献」や「バリアフリー」といったキーワードで差別化される商品群もまだないでしょう。それを市場の成熟度の違いといってしまえばそれまでですが、ここで考えなければならないのは、中国客に日本をPRする際、決して日本市場のトレンドに囚われてしまってはならず、中国市場が求める嗜好や目的に、日本側が合わせて訴求する必要があるということです。

ツアー価格の相場観とマンネリ化を打破するために

日本のインバウンドが今日抱える問題は、中国市場で定着した日本のツアー価格の低すぎる相場観と商品のマンネリ化です。どうすればこれを打破できるのでしょうか。

ひとつの方向としては、上海でモルジブ5泊6日23000元の高額ツアーが造成されていることをふまえ、日本でも超高級リゾート路線を打ち出すことが考えられます。ただし、その際の競合相手はインド洋に浮かぶ水上ヴィラが売りのモルジブです。ビーチリゾートでそれに打ち勝つだけの素材が日本にあるかどうか。またあるとしても必ずしもビーチリゾートである必要はなく、山岳リゾートでも都市観光でもジャンルは何でもありといえるのですが、相当インパクトのある斬新さでアピールできるかどうかが問われます。

というのも、いまの中国の消費者は、日本が得意とするきめの細かい商品の差別化に慣れておらず、とりわけ海外旅行のような形のない商品においてそれを理解することが難しいので、誰もが見てわかるようなド派手な仕掛けが必要なのです。これはバブル崩壊後、“まったり”と過ごしてきた日本人のセンスではなかなか難しい取り組みかもしれません。

もうひとつの路線は、コツコツと日本ツアーのバリエーションを増やしていくことに尽きるでしょう。そのための手本は台湾の訪日市場にあります。台湾の旅行業界が長年かけて日本全国をいくつかの広域に分けて造成してきたチャーター便のツアーのいくつかは、いま上海市場で地方空港やLCCを利用した集客がはじまろうとしています。ただし、「弾丸バスツアー」の時代を生きるいまの中国の消費者に対して、それらがどこまで支持されるかは、こちらが黙っていても日本を愛好してくれる台湾の消費者ほど簡単ではないでしょう。彼らの旅行意欲を焚き付ける新たな仕掛けが必要になると思います。

ここ数年、中国で欧米諸国への観光ビザが相次いで緩和されたことは、日本ツアーのマンネリ化に影響があったとぼくは思います。中国の消費者もそうですが、商品造成に関わる旅行業者の人たちも、次々と新しい旅行先が解禁されると、そちらに関心が向かうのは無理もないからです。また、宿泊施設や交通機関をはじめとした中国の国内旅行のクオリティがそれなりに向上したことで、相対的に日本ツアーのバリューが、我々の気がつかないうちに低く見積もられてしまっている面もありそうです。

それでも、上海市場に限っていえば、北海道に次ぐ旅行先として九州のツアーが増えており、新しい可能性も感じられます。中国映画のヒットで突如中国人に“発見”された北海道のようなラッキーなケースを望んでも仕方ありませんが、九州を単独で中国客を呼べるブランドに育てるための、いまは正念場といえるでしょう。

もともと九州には、戦前の上海・長崎航路を利用して雲仙温泉で避暑を楽しむ上海租界のロシア人や中国の富裕層がいたことが知られています。これは思いつきにすぎませんが、1930年代の雲仙温泉に中国客が訪れた当時の歴史を掘り起こし、九州の温泉地を中国人にとっての避暑地として美しくイメージ化して売り出すというのはどうでしょう。

日本人にとっての避暑地は箱根や軽井沢と相場が決まっていますが、ここは目をつぶりましょう。誰にとっての避暑地かということが問題なのです。その土地に住む人と旅する人の視点は違うのです。そういう発想の転換が大事です。中国の人たちが北海道の美しい自然というサプライズに魅せられたように、九州では温泉という素材を避暑という歴史的な縁とつなげてサプライズとして仕掛けるのです。

そのためには、歴史を巧みに落とし込んだ甘美なストーリーと魅力的なキャッチコピーも必要でしょう。中国の旅行会社のホームページには、世界各地の旅行先のキャッチコピーがあふれています。たとえば、錦江旅游だとこんな感じです。

「“峰”景如画瑞士自然之旅(絵画のようなスイス自然の旅)」

「花色夏威夷浪漫假期之旅(ロマンチックな色彩あふれるハワイの休暇)」

「西葡太阳海岸热情之旅(西ポルトガル太陽海岸情熱の旅)」

「巴厘甜蜜蜜(スィート・バリ)」

日本の旅行会社のツアー名ともよく似ていますが、中国語で表現されると独特の味わいがありますね。では、この並びで日本各地のツアーにどんなキャッチコピーを付ければ中国の消費者の心をつかめるのか。ツアーのマンネリ化を打破するには、こうした検討作業も必要でしょう。ただし、こればかりは中国のビジネスパートナーと時間をかけて取り組んでいくしかありません。

日中関係が政府間で緊迫するなか、この春節の時期、例年と比べて沈みがちな中国の訪日旅行市場の話題をあえて提供したのは、今回ぼくが新宿5丁目で1台のツアーバスに出会ったことをきっかけに、その旅行会社のホームページを覗いてみたことで多くの発見があったことをどうしてもお伝えしたかったからです。震災や尖閣問題で厳しい停滞を迫られた訪日市場ですが、少なくとも民間ベースでは中国側にもそれなりの動きがあることに、あらためて気づかされました。今後も雲行きはあやしく、どんな揺り戻しが起こるかわかりませんが、こんなときこそ、中国の旅行会社のホームページをご覧になってみられることをおすすめします。

やまとごころ.jp http://www.yamatogokoro.jp/column/2013/column_113.html
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by sanyo-kansatu | 2013-02-23 06:55 | 最新インバウンド・レポート | Comments(0)
2013年 02月 22日

さえない中年男たちのドタバタ劇だが、身につまされる?(中国インディペンデント映画祭2011 その10)

2011年12月16日は『花嫁(新娘)』(2009)を観ました。

花嫁(新娘)
http://cifft.net/2011/xn.htm

四川省巫山県という長江中流域の地方都市に暮らす4人の中年男の物語です。この作品はフィクションです。映画祭の公式サイトによると、こんなあらすじです。

「長江のほとりの町で暮らす、何をするにも一緒な中年おやじ四人組。彼らはいずれも円満とは言いがたい家庭生活をおくっている。そのうちの一人、妻に死なれたチーさんのために、彼らは嫁探しを始める。ただ、彼らには人に言えないたくらみがあった。哀愁ただよう間抜けな男たちをシュールでユーモラスに描いた、ベテラン監督ならではの味のある一本」。

これだけ読むと、中国の片田舎に住むダメおやじ4人組が繰り広げるほのぼのコメディのようですが、ここでいう「人には言えないたくらみ」の中身を明かしてしまうと、ちょっとガクゼンとしてしまうかもしれません。というのは、主人公のひとりで妻に先立たれた茶館の店主が、山村に暮らす田舎娘と偽装結婚したのち、保険金殺人を図り、それを4人で山分けしようと結託するという大そうな悪だくみだからです。

物語は、4人組がハイキングにでも出かけるような軽装で山あいの村を訪ね、保険金殺人の餌食となる娘を探すために山道を歩いているシーンから始まります。しかし、それはのどかなもので、自分たちがこれからしでかそうとしている非情な行為に対する罪の意識は感じられません。まったくいまどきの都市部に住む中国人というのは、農村やそこに住む人たちのことをどこまでなめきっているのでしょうか。

今日の中国社会には、自分の利益のために他人を道具として利用するという行為は必ずしも悪ではない、という空気が蔓延しているように思います。社会主義から市場経済へのなしくずし的な移行の中で、他人を出し抜いてでもサバイバルしていかなければバカを見るという強迫観念があるからなのか。

実際、彼ら現代中国人の抱えたプレッシャー(中国語でも「圧力」といいます)は、外国人の目から見ると、気の毒なほどです。なぜそこまで無茶しなければならないのか……。男たちは、多額の保険金のために村娘をかどわかし、殺害する計画を、いい歳して実践します。彼らはごくふつうの市井の人間で、特別悪人というわけではないのです。もちろん、これはフィクションですが、昨今の中国社会の風潮をふまえた設定だけにリアリティがあります。

山道でひとりの老人と一緒におとなしく座っている娘に彼らは出会います。声をかけても黙ったままですが、結局、その家族にお金を渡して昼食をとります。最近の中国では手軽なレジャーとして、ふだんは静かな山村に住む農家が観光客相手に地場の食材を使った料理をふるまう「農家菜館」が人気です。男たちは料理を目の前にすると、本来の邪悪な目的もすっかり忘れて舌鼓を打ち、その日は何の収穫もないまま街に帰ります。

ところが、ふとした縁で茶館の店主はその娘と再会します。店のアルバイトを探していたところ、紹介されたのが彼女だったのです。

その子は見るからに地味な田舎娘です。うつむきがちで起伏のない面立ちに小太りの体型。感情を表に出すことはありません。しかし、それには理由がありました。彼女は心臓が弱く、村出身の同年代の多くの若者が都会に出ていくなか、ひとり山村に残っていたのです。

そんな彼女ですが、茶館の住み込みウエイトレスという仕事であれば、重労働とはいえませんし、本当のことをいえば、都会に出てみたかったのです。店主はこれ幸いとばかりに、件の保険金殺人の構想を胸に秘めながら、彼女を雇い入れます。

物静かな娘ですが、初めての都会暮らしとあって、仕事にも慣れていくにつれ、笑顔を見せるようになります。4人組の仲間も店に来て、彼女を見るや、当初の計画を決行するまたとないチャンス到来と小躍りします。そして、店主に早く彼女と結婚するように迫るのです。

こうして田舎娘と晴れて同居することになった店主は、若い彼女にだんだん情がわいてくるのを抗えません。そしてある日、結婚を申し出ると、なんと彼女は承諾するのです。身体的な理由で人並みの人生を送ることをあきらめ、山にこもっていた彼女は、都会の男と結婚したら、自分の運命も変わるかもしれない。いつか子供をみごもって、そのまま都会で暮らすことができるかも。そんな夢に賭けてみたいと考えたのです。

ふたりは新婚旅行に出かけ、初めてホテルで一夜をともにします。実は性の営みは彼女の心臓にとって大きな負担であり、行為の途中ですぐに失神してしまいます。店主は驚きますが、かえっていとおしさがわいてくるばかりです。

歳の離れた若い新妻を手に入れた店主は、新婚生活を満喫します。ところが、それが気に入らないのは、悪だくみを計画した4人組の仲間たちです。彼女の生命保険の支払いもそうですが、ふたりの結婚式や新婚旅行の費用もみんなで用立てていたからです。投資した以上、いつかは回収しなければならないというわけです。

決行を迫る3人との間で葛藤する店主ですが、ついに新妻を手にかけることを決意した夜、家に戻ると、シャワー室で彼女が倒れています。シャワー室に突然侵入したネズミに驚いて倒れたことを暗示するシーンも挿入されますが、彼女は妊娠していたこともあり、心臓がその負担に耐えられなかったせいでもあるようです。そう、彼女はあっけなく亡くなってしまうのです。もともと彼女は出産に耐えられるような身体ではなかったのでした。

実は、3人の仲間も口では決行を店主に迫りながら、彼が決意をしたすぐあとになって、やっぱり人殺しなんて大それたことはやめようと、彼のあとを追いかけてきて、無残な彼女の姿を見ることになります。所詮、人間なんてそんなに冷酷にはなれないものです。彼らは、結果的に自ら手を下すことなく計画を遂行したことになったのですが、後悔と罪の意識にかられ、彼女の故郷の葬儀に出席します。深い山あいの村で繰り広げられる厳かな葬儀のシーンで物語は終幕を迎えます。

この作品の舞台である四川省巫山県は、監督の故郷だそうで、ストーリーも現地の友人から想を得たといいます。きわめてドキュメンタリータッチな作風ゆえに、長江流域の地方都市の雰囲気がよく伝わってきます。

主人公の店主以外の男たちの人生と生活の舞台となるさまざまな場所(住居や職場、遊興地など)や、そこで起こる出来事もなかなか興味深いです。4人組の悪だくみの会合でよく使われるレストランは長江の眺めが抜群ですし、ここでもお約束のように、風俗床屋とそこで働く女たちとのやりとりが出てきます。大学の社会人講座で経済を講じる4人組のひとりは、中国経済の成長ぶりがどれほど素晴らしいか、教壇の上で弁をふるっていますが、これなどいかにも2000年代の中国らしいシーンだと思います。

その講師は、自分の妻とホテルにしけこむ不倫男を目撃し、ボコボコにしたところ、その男は公安の幹部で今度は自分が命を狙われることになり、しばらく山に逃亡するというシーンもあります。一般に中国コメディの笑いのセンスは、日本の感覚とはずいぶん異なり、笑いのツボがつかみづらいことも多いのですが、これには笑いました。

とはいえ、この作品はいわゆる娯楽作ではありません。作品を撮った章明監督については、以前当ブログでも紹介したことがありますが、どうやら『花嫁(新娘)』は中国当局の検閲を通していないものらしく、ミニシアターなどで上映するほかなく、観客は1000人に満たない(2011年12月現在)とご本人が語っていました。

ではなぜそのような作品を撮るのかといえば、誰もが知る首都北京や上海を舞台にした作品ではなく、地方都市に生きる人たちこそ、中国の一般大衆であり、彼らの姿を描くことに意味があると考えているからのようです。以前、章明監督はこう語っています。

「私の作品の特徴は、登場人物に語らせるというスタイルであることです。『花嫁(新娘)』の場合も、地方の小都市に住む人々の生活やモノの見方、態度を描いています。彼らこそ中国の一般大衆です。中国の人々の大部分は大都市ではなく地方の小さな町に住んでいるのです」

作品の舞台として自分の故郷を選び、日常に潜む題材からストーリーを脚色していくという創作スタイルは、現在北京電影学院の教員である章明監督の教え子たちにも受け継がれているようです。たとえば、今回の映画祭の出品作の『冬に生まれて(二冬)』の楊瑾監督、『独身男(光棍儿)』の郝杰監督。またこれはフィクションではありませんが『天から落ちてきた!』の張賛波監督はみんなそうです。

ただし、この創作スタイルでは数多くの観客を得ることは難しいところにジレンマがあります。いわゆる娯楽大作のように、あの手この手で観客を惹きつける魅力的なエピソードや笑いや涙を盛り込むこともなく、その土地の日常を淡々と撮っていくという手法は、そもそも目指すところが違うということでしょう。そこをつくり手としてどう考えるかについては、張賛波監督のように、「(自分のドキュメンタリー作品は)あくまで自己表現の手段です。個人的な考えを表現するためには、フィクションや小説でも構わないのですが、たまたま私はドキュメンタリーを選択しました」と言い切ってしまえば潔いのでしょうが、つくり手によっても考えはいろいろなのだと思います。

今回、『花嫁(新娘)』を観ながら、ともに中年男の悲哀を描いているという意味で、中国人の北海道旅行人気に火をつけた『非誠勿擾』(2008 馮小剛監督)とつい比較してしまったのですが、前者が地方都市に住むさえない男たちの保険金殺人未遂にまでからむドタバタ劇であるのに対し、後者はアメリカ帰りで金には困らない男の優雅でとりすました婚活ラブストーリー。当然、作品を観たあとの登場人物たちに対する印象が違ってきます。

『花嫁(新娘)』では、そこで起きている出来事のすべてが理解できるわけではないのですが、登場人物たちが悪戦苦闘している姿は伝わってくるぶん、許せる気がしてくるのです。だから異質さを強く感じながらもどこか親しみをおぼえるところがある。それに比べ、『非誠勿擾』では主人公に対して“いけすかないヤツ”とツッコミを入れたくなったものです(北海道の小さな教会の牧師の前で主人公がひたすら懺悔しまくるシーンは笑えましたけど)。

日本で『非誠勿擾』の興業を試みた人たちがいましたが、北海道以外ではうまくいかないのは無理もないと思ったものです。日中の笑いのセンスの違いもそうですが、はっきり言っていまの日本人にはバブル臭い設定やストーリー展開がとても古臭く感じられて、たいして面白い映画ではないのです。一方、我々とは異なる時代を生きている中国の観客は逆にそれがいいと感じたはずです。だから大ヒットしたのです。

遠く離れた異国の地、自分とは生活環境も異なるし、一度もその地を訪れたことのない場所に住む人間に対して、一瞬でもなにがしかの親近感をおぼえるというのは、たぶん彼ら間抜けな4人の中年男が繰り出すしがないエピソードの数々、そのディティールにぼくがどこかで身につまされたからでしょう。それは、ちょうど新宿の町に突如現れた、どう見ても都会的な洗練からはほど遠い中国団体ツアーのグループと横断歩道ですれ違う瞬間、場違いにも思える異質な存在に軽い戸惑いをおぼえつつも、よく見るとカメラをあちこちに向け、日本の旅行を楽しんでいる彼らの無邪気な姿を発見することで、親しみの感情が生まれる。そんな日本でもしばしば見かけるようになった異文化接触の光景に似ていたように思います。

監督:章明(チャン・ミン)
重慶市巫山県出身。96年にデビュー作『沈む街』がベルリン国際映画祭で紹介されると、その年の数十カ国の映画祭で上映され、多数の賞を受けた。現在は北京電影学院の教員として多くの監督を育成しながら、脚本家や監督として活躍している。代表作は他に『週末の出来事』(01)、『結果』(05)など。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-22 13:18 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 02月 21日

雲南省の廃墟の町でリス族の歌う賛美歌が美しい(中国インディペンデント映画祭2011 その9)

2011年12月11日は、『ゴーストタウン(廃城)』(2008)を観ました。

雲南省の辺境にある元漢人村と思われる小さな町の日常を撮った作品です。雲南省といっても、最近、中国の都市部の若者にもよくいるバックパッカーや外国人ツーリストが訪れる見所やゲストハウスのあるような気の利いた土地ではありません。いずれにしても、上海や北京の喧騒とは遠い世界の話です。

映画祭のパンフレットによると、このドキュメンタリーのあらすじはこうです。

「リス族とヌー族が暮らす雲南省の山岳地帯。政府によって放棄され廃墟となった街に、農民たちが住みついている。ここに住む人々は町の人の暮らす家や道路を享受し、頭上には真っ青な空と暖かな大地がある。

本作は3つの独立したパートにより、ゴーストタウンに生きる人々の状態を表現している。

・「神の御言葉」……二世代の宣教師の平淡で味気ない家庭生活と宣教師の仕事について描く。平淡さの影には、父子の長年にわたる苦渋と矛盾が隠されていた。

・「記憶」……分裂した家庭、誘拐されて売られた女性の心に閉じ込められた長年の苦悶。二つの異なる物語に共通する結末――ゴーストタウンからの別れ。かつての生活は、記憶へと変わる。

・「少年」……12歳の阿龍少年の物語。何ものにも縛られず、毎日仲間とともに働いて金を稼ぎ、鳥を捕まえて遊ぶ。時にお化けを信じ、時にキリストを信じる」。

なぜこの町は政府によって「放棄」されたのか。この地域の事情に疎いぼくには正確なところはわかりませんが、町の中心にある旧政府の建物の前に毛沢東像がいまも立っていることから、ここは文革時代(あるいはそれ以前に)に都会から下放(政策的に移住)した漢族の若者が建設した町で、改革開放とともに彼らが都会に戻ってしまい、廃虚となってしまったのではないかと思われます。

それはいってみれば、満州国の消滅で日本人が帰国したのち、無人となった家屋に中国の民が住み着くようになったのと同じように、用なしとなった町に、周辺に暮らしていた少数民族たちが雨露をしのぐために移り住むようになったというようなことではないでしょうか。

監督には、何らかの政治的な意図があるのだろうと思います。ただし、いまどき文革時代の検証や批判といったものは、中国では流行らない気がします。そんなことより、いま現在の問題をどうするのか、ということに多くの人たちの関心があるからです。この作品が映し出す辺境の町の人々と暮らしは、もっと別の何かを訴えかけてくるのですが、正確な現地事情がわからないため、それをうまく言語化できないのが残念です。

いちばん印象に残ったのは、インドシナの国々の北部国境地帯と中国にまたがって暮らす少数民族のリス族たちが、町のキリスト教会で賛美歌を歌うシーンです。村人が建てた小さく粗末な教会ですが、まるで中南米のグアテマラに土着化したカソリック教会のミサを連想させる幻想的な光景でした。

欧米列強がアジアを植民地化した時代、インドシナの少数民族の住む地域に多くの宣教師が入り込み、キリスト教を普及しました。では、現在中国に住む少数民族たちの中にはどのくらいの信者がいるのでしょうか。今回の映画祭の出品作の「冬に生まれて(二冬)」の中にも、主人公が親に連れられ、更生施設としてのキリスト教の学校に入れられるシーンがありますが、漢族の住むエリアでも、農村に行くとかなり広範囲にキリスト教が普及していることがうかがわれます。

いま中国は膨張主義の時代に突入しているように見えます。尖閣沖や南シナ海もそうですが、人口減に悩む極東ロシアでも中国人労働者流入のプレッシャーにさらされています。中国からインドシナに高速鉄道を延ばす計画もある。周辺国の懸念は国によって濃淡はあるものの、高まりつつあります。

その一方で、国内ではこの町のようにゴーストタウン化する地域も増えています。この町の場合は、政治路線の転換に伴う「放棄」が理由ですが、最近では不動産バブルの崩壊でゴーストタウン化する町もあります。中国の膨張主義もまた、改革開放という政治路線の延長線上にあるものですが、そうした路線がひとたび行き詰まったあとに残るであろう静寂というものを、この小さなゴーストタウンはある意味先取りした光景なのかもしれない。そんな気もしてきました。

監督:趙大勇(チャオ・ダーヨン)
1970年遼寧省撫順市生まれ。美大で油絵を学び画家として暮らしていたが、2001年からドキュメンタリー映画の制作を開始。本作は『南京路』につぐ2作目。現在はドキュメンタリーのみならず、フィクションや実験映画なども制作し、活躍の幅を広げている。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-21 13:07 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 02月 20日

ドキュメンタリーは中国の歴史を記録するという自負(中国インディペンデント映画祭2011 その8)

2011年12月10日、ポレポレ東中野の1Fのカフェで中国インディペンデント映画祭2011の関連イベントとして、「場外シネマシリーズ3-轟轟烈烈!! 中国インディーズ・ムービー <冬>パート2 新星」という作品上映&トークイベントがありました。

上映されたのは、張躍東監督の『犬吠える午後(下午狗叫)』というアート系作品でした。中国の現代アートの映像作品によく見られる、さまざまな寓意を含んだ実験的な作品で、今回映画祭に出品されたドキュメンタリー作品や自主映画のように、特定の場所や登場人物の境遇、それぞれのシーンを社会的な文脈にのせて意味を読み取ることのできるようなタイプの作品ではありません。感想はというと、寓意もまた文化的なコンテクストを共有していないとなかなか面白さが伝わりにくいなあ、という印象です。

会場で配られた資料によると、張監督のプロフィールは「1975年山東省生まれ。98年山東美術学院油画科卒、2002年北京電影学院監督専攻卒。CCTV勤務などを経て、05年に韓東らとインディペンデント脚本家のグループ『北門』を発足。現在はフリー監督」とあります。彼もまた今回の映画祭に出品している監督たちと同様、フリーランサーとしていまの中国で制作活動を行っている映像作家のようです。

このあとのトークイベントにも関係する話ですが、今日の北京は、表現に携わるフリーランサーたちでもなんとか“食っていける”ような環境にある数少ない中国の都市のひとつといえそうです。中国のアートシーンを切り開いてきた先行世代が過ごしてきた1990年代までとは違い、昨今バブル状況にある北京では、広告やテレビ業界に入り込めば、仕事の場もそれなりにあるでしょうし、時代を謳歌し、うまくしのいでいる人も多そうです。これは日本の1980年代にクリエイターと呼ばれた人種のありようと似たようなところがあるかもしれません。そういう環境下で、あえてドキュメンタリー制作を志すことにはどんな意味があるのでしょうか。

さて、トークイベントは「中国インディーズ制作の魅力と困難」というものです。

ゲストは、来日中の中国人監督で、これまで当ブログでも紹介した『占い師(算命)』『収穫(麦収)』の徐童監督と、『天から落ちてきた!』(2009)の張賛波監督のおふたり。司会の女性と映画祭主催者で通訳の中山大樹さんが登壇しています。

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右から徐童監督、中山大樹さん、張賛波監督


まず、それぞれのプロフィールを以下記しておきます。

●徐童(シュー・トン)
1965年北京市生まれ。中国伝媒大学卒業。かつてはスチールカメラマンをする傍ら、小説を発表していた。デビュー作『収穫(麦収)』(08)が世界で評価され、ドキュメンタリー作家に転向。『占い師(算命)』は2本目、3作目『老唐頭』も2011年完成し、各国の映画祭で好評を得ている。

●張賛波(チャン・ザンボー)
1975年湖南省生まれ。2005年北京電影学院大学院修士課程終了。北京電影学院では『花嫁』の章明から指導を受けていた。故郷である湖南省を舞台にした作品を撮っている。『天から落ちてきた!(天降)』は初のドキュメンタリー作品。映画評論家でもあり、雑誌などにコラムを執筆。

おふたりに共通するのは、北京在住のフリーのドキュメンタリー映像作家であるということです。

資料の中に、「中国のインディペンデント映画」に関する解説があります(以下、抜粋)。おさらいしておきましょう。

「1980年代末からテレビ制作に携わる者が自主的な作品づくりを試み始め、90年代末にデジタルビデオカメラが普及すると、さらに様々な立場の個人による映画制作が急速に広がった。初期の作品として知られるのは、呉文光の『流浪北京 最後の夢想家たち』(1990)『私の紅衛兵時代』(1993)や、張元の『北京バスターズ』(1992)『広場』(1995)など。今や知名度の高いジャ・ジャンクーもインディペンデントの映画制作を始めた草分けのひとり。最近では、ロウ・イエ(『スプリング・フィーバー』2009)やワン・ビン(『溝』2010)などが各国の映画祭で注目を浴びている。そして彼らだけでなく、中国では個人的に映像作品を手がけている人が数多く存在する。しかし、中国国内では公に認められていない表現活動であるため、表立って公開される機会は得られない。どの作家も、海外の映画祭に応募したり、市街のカフェで上映したり、DVDにして知人を通じて配ったりという方法で作品の発表をしている」。

この解説を読むだけで、中国のドキュメンタリー映像作家たちの社会に置かれた立場がわかると思います。こうした環境の中で、なぜ彼らが作品制作に取り組もうとするのか。それにはどんな困難が伴うのか。以下、おふたりのトークを収録することにします。

司会「おふたりはどういう経緯で映画をつくり始めたのですか?」

徐童「私が東京に来て感じたことは、インディペンデント映画を取り巻く空気がとてもいいことです。たくさんの観客のみなさん、特に若い人たちが来ていることがすばらしい。私たちのような中国の現実を反映した作品を海外の多くの人たちに観ていただく仕事はとても重要だとあらためて感じました。

中国はこの30年間大きな変化を遂げました。でも、必ずしもいい変化ばかりではありません。中国の現代化は、私の作品の登場人物たちにも大きな影響を与えています。下層を生きる人たちに大きな代償を強いているのです。ですから、彼らの生活を記録することは、中国の歴史の一部を記録に留めることになると考え、私はドキュメンタリーを撮り続けています。

私は以前、小説を書いたり、写真で現代アートをやったりしていましたが、映像はより現実をいきいきと伝えることができるので、ドキュメンタリーを撮るようになりました。私の最初の作品は『収穫(麦収)』(2009)で、今回の出品作は『占い師(算命)』(10)、最新作は『老唐頭(老唐头)』(11)といいます。この3作品を私は『遊民三部作』と呼んでいます。私はいま、新しい作品に取り組んでいます」。

張賛波「私が映画を撮るようになったのは偶然です。2009年の『天から落ちてきた(天降)』という作品が最初です。それ以前は、北京電影学院で劇映画の勉強をしていました。08年に作品の舞台となっている湖南省綏寧県のことを知り、ドキュメンタリーを撮ろうと思い立ちました(この土地は中国の衛星ロケット発射基地のすぐそばにあり、発射のたびに残骸や破片が落下してくるため、住人にとってはとても危険。北京オリンピックが開催された2008年においても、その危険は続いている)。

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張賛波監督



それ以降、この道を進むことになりました。電影学院時代の同級生の眼からみると、私は本来やるべきことをやらずに邪道なことをやっている輩と見られていると思います。毎年1本つくっていて、今回の出品作の『恋曲』(2010)、そしていまは『ある種の静けさは草原という名である』という作品を撮っています。

私の作品に対する考え方は徐童監督とは少し違い、海外の観客に観せることはあまり考えていませんでした。あくまで自己表現の手段です。個人的な考えを表現するためには、フィクションや小説でも構わないのですが、たまたま私はドキュメンタリーを選択しました。私のドキュメンタリーは、そこに登場する人々の存在や感情、抱えている困難な状況を描いています。その困難は集団としての場合、個人の問題である場合、民族としての場合もあります。彼らが困難に直面したときの精神状態はどのようなものか。それが私のテーマです。

私の制作方式は、ひとりで現地に行き、撮影し、編集するというものです。集団でつくるというやり方は選んでいません。小さなビデオカメラがあれば、ひとつの作品をつくることができる。ペンを持つのと同じことです。観客のみなさんに私の作品を好きになってくれればうれしいですが、もしそうでないとしても、これからも私は作品はつくり続けます」。

司会「中国と日本ではインディペンデント映画を取り巻く状況は違うようです。中国では国からの圧力があるといいます。政治的な理由で作品を発表できないこともある。それでもやる理由は何でしょうか。どんな魅力があるのですか」

徐童「中国で作品をつくるというのは大変なことです。もちろん、世界どこでも大変ですが。まずお金がないこと。ただし、中国の場合、資金的な問題以外に政治的な障害があります。映画館で上映する場合、作品を電影局の検閲に通さなければなりません。検閲を通ったという承認がなければ、映画館で上映できないのです。

最新作の『老唐頭』は広州の映画祭で上映する予定でしたが、公的なイベントだったため、広東省政府の検閲を通さなければならず、結果的に上映禁止にされました。問題はこうしたことが私個人だけではなく、普遍的に起こっていることです。ある監督は当局に呼ばれて、これを中国では『喝茶(お茶を飲む)』というのですが、事情聴取されています。それは尋問というような厳しいものではありませんけれど。私はまだそんな光栄に浴した経験はないのですが、当局から警告を受けている友人は他にもいます。

ですから、自由な表現をするということが、中国のインディペンデント映画にかかわる最も重要な問題です。民主的な国の人たちには理解できないかもしれませんが、私たちのいう『独立(インディペンデント)』という言葉にはこうした意味が多く含まれています。これが私たちの置かれた現状です。

ただし、私たちの抱えた政治的な制約によって、欧米の映画祭などでは中国人監督の作品がことさら着目される。それは誇張されている面もあると感じています。私たちは何も政治的なテーマばかりを扱っているのではなく、個人の問題を扱っているのだということを忘れないでいただきたいのです。そういう誤解を海外の人たちに与えているのではないかという懸念もあります。

もちろん、中国ではどんな内容であってもそこに政治的な意味が含まれないものはないとはいえる。下層に生きる人たちを、その個々の人たちの姿を撮るということは、それ自体が政治的な意味を帯びないということはありえません。しかし、私の作品が政治的、または芸術的な文脈を越えて、多くの人たちに伝わることを望んでいます」。

張賛波「私も基本的に徐監督に同感です。私たちの創作活動というのは、社会や時代に対する芸術性や政治性を超えて、普遍的な人々の感情や存在を表現するものでありたいと思います。

実は、先ほど私はひとりの日本の観客と話をしました。彼女は日本のテレビ局で青海省のチベット族のドキュメンタリーを制作しているという人です。彼女は映画祭のカタログにある『天から~』の解説文を読んで、私の作品が扱う題材が政治的に敏感なテーマであることを知りました。

彼女は私にこう質問しました。『こういう作品をつくると、当局からの圧力や投獄はないのですか』。彼女が心配したのは、自分が撮った映像を編集し、発表したとき、現地で協力してくれたチベットの人たちが巻き添えを食うのでは、ということでした。

そこで、私はこう言いました。『何かをやろうとするとき、怖れを抱いてはいけない。私はいつも、結果がどうなるかを心配するより、まず撮影してしまう。何か問題が起こったとき、初めてそれを考えるということにしている。もし私があなたのように心配していたら、作品はつくれなかったろう』。 

中国では常に何の危険もない状況というのはなく、何かをやろうとすれば何かしらの影響がありますが、かつての中国とは圧力といっても少し違います。私たち、ドキュメンタリー制作の関係者はとても狭い世界にいますが、今後は何らかの道を見つけていけるはずだと思っています。

いま中国でつくられているドキュメンタリーは、民間の歴史を記録として残すという意味で大きな貢献をしていると考えます。私の創作は個人的なものではあるが、長い目で見れば歴史の一部になりうる。これから数十年後、100年後、その仕事は大きな意味を持つと思っています。 

外国人が中国を撮ることも、同じ意味を持つでしょう。イタリア人の映画監督、アントニオーニが1970年代に中国に来て撮影した『中国』というドキュメンタリー作品があります。これは中国の歴史にとって重要な価値を持っています。文化大革命の時代に中国を訪れた外国人と同じように、いま中国で記録を残すことも価値となるはず。だから、怖れることなく作品を完成させたほうがいいと私は彼女に伝えたいと思います」。

おふたりの発言は、以前紹介した章明監督とも共通していて、いまの中国において、どんなに小さな個人の世界を扱うのだとしても、ドキュメンタリーを撮るということは、中国の歴史を記録することになるという自負があることです。

こうしたもの言い、すなはちリアルな社会の問題に対しても歴史を持ち出す態度というのは、ぼくから見れば、そのよしあしはともかく、まったく中国人らしいというほかありません。張監督の以下のような発言もそうです。

『何かをやろうとするとき、怖れを抱いてはいけない。私はいつも、結果がどうなるかを心配するより、まず撮影してしまう。何か問題が起こったとき、初めてそれを考えるということにしている。もし私があなたのように心配していたら、作品はつくれなかったろう』。 

このような物事の進め方は、表現に携わる人たちだけでなく、いまの中国を生きる一般の人たちの、たとえばビジネスに取り組む姿とも重なるように思います。それは敬服に値するということばだけでは言い表せないものですが、力強さはある。それも彼らの生きる環境のなせるわざなのでしょうか。

中国の知識層の中には、歴史に対する考え方がいかにも夜郎自大で、大衆に対する態度も超然とふるまうことを良しとするようなタイプもいて、鼻につくことが多いのですが、中国のドキュメンタリストたちは、むしろ取るに足りないと思われがちな社会的弱者にまなざしを向けようとしていることに好感をおぼえます。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-20 15:27 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 02月 17日

中国の成長の代価を負わされた存在をめぐって(中国インディペンデント映画祭2011 その7)

2011年12月9日、武蔵野美術大学で開かれた徐童監督の『収穫(麦収)』の上映会の続き、質疑応答の時間です。

作品の上映後、徐童監督と映画祭の主催者である中山大樹さん、そしてひとりの中国女性がステージに登壇しました。

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左から徐童監督、中山大樹さん

最初に司会の女性から、監督がこの作品を撮るきっかけについての質問がありました。徐童監督は自分の経歴にも簡単に触れながら、主人公ホンミャオとの出会いとこの作品を撮るに至った経緯について、以下のように話しました。

「私は1987年に北京の大学を卒業し、その後、スチールカメラマンとしてテレビ局や雑誌社などで仕事をしていました。2000年頃から、中国の現代アートが世界的に注目されるようになり、私もアートの世界で評価されるようになりたいと考えていました。ところが、中国の現代アートはその後バブル状況に陥り、誰もが欧米で売れるような、たとえば毛沢東がらみの作品ばかりになった。そんな中国の現実から乖離した作品があふれるようになったので、私は大いに不満でした。

2007年、私はそんな思いを表現するため、小説を書きました。社会の下層の人々の生活や苦悩を書きたいと思ったのです。しかし、小説では十分書ききれなかったというか、書き足りないと感じました。そこで、ドキュメンタリーを撮ろうと考えました。ちょうどそんな頃、ホンミャオと偶然街で出会ったのです」

ホンミャオの「職場」は北京市の南はずれ、朝陽区高西店にある風俗床屋です。現在の北京市は、中心部をぐるりと取り囲むように、地下鉄沿線上に新興住宅地として開発された高層マンション群と、老朽化したまま放置されるスラムが混在して広がっています。こうして増殖していく都市空間の内部には、都市戸籍を持たない「外地人」が暮らすスラム=“都市の辺境”がエアポケットのようにまだらに存在しています。

2000年代に入り、猛烈な不動産投資ブームによる高層ビルの建設ラッシュで北京の相貌が大きく変わっていくなか、徐童監督は時代の変化と社会の矛盾に戸惑いを覚えながら、引き込まれるように“都市の辺境”に足をふみ入れることになったのではないかと想像します。徐童監督は1965年生まれ。ぼくとは同世代で、1980年代から今日に至る北京の変化を眺めてきたところもあり、彼の気持ちはわかる気がするのです。

ぼくは外国人ですから、北京では階層縦断的にさまざまな人たちとそれなりに交流できる特権を手にしています。ある日は外資系高層ホテルのハイソなバーに出入りするような小資(プチブル)たちとも会いますし、またある日は「農民工生活区」の住人たちとも一緒に食事をするというようなこともあります(中国は階層が断絶している社会ですから、両者の交流はまずありえないといっていいと思う。徐童監督のような奇特な人物を除くと)。

ぼくから見れば、プチブルの連中は、たいていの場合、中身は薄っぺらなくせに強欲で自尊心が肥大化していると感じることが多くてうんざりです。残念な人たちに見えます(文化人、読書人はまた別の話です)。それに比べれば、「農民工生活区」の人たちからのほうが学べることはずっと多い。彼らは、自分たちの生きる社会の矛盾や痛みについて、否が応でも思い知らされている人たちだからです。

徐童監督の作品はすべてそうですが、これら両者の深い階層断絶の裂け目から放擲され、置き去りにされた社会的弱者とされる人たちの人生に向き合おうとしているのだと思います。一見取るに足りないと思われがちな彼らの人生の深淵に目を開かせてくれたのが、都市と農村を往復する農民工のひとりであるホンミャオの存在だったのでしょう。だから、彼はこんなことを言うのです。

「初めて彼女に会ったとき、このような境遇にありながら、当時20歳の彼女に、なぜこんなに力があるのだろうか、と思いました」。

そう語る徐童監督は北京市民のひとりであり、ホンミャオとはもとより別世界の住人です。しかし、いまの中国で「外地人」に対して、彼のような視線を向けることのできる都市民はまだ少数派のように思います。

監督はこんなことも言います。

「私自身、フリーランサーでもあり、“都市をさまよう人間(盲流)”のひとりです。そういう意味では、ホンミャオと自分は境遇が似ていると思いました」

ここでいう“都市をさまよう人間(盲流)”とは、今回の映画祭の関連イベントでも上映された中国初のドキュメンタリー作品とされる『流浪北京 最後の夢想家たち』(1991)の世界につながる自己認識だと思われます。北京でアート表現に携わる人間の多くは、天安門事件当時の若い北京のアーチストたちの精神状況を描いたこの作品の登場人物と同様に、自らを“都市をさまよう人間(盲流)”とみなしているところがあるのでしょう。その意味で、少々カッコよすぎるとは思いますが、彼は自分の不安定な境遇を彼女と重ねているわけです。これもまあ理解はできます。

そして、この作品を撮るに至った理由について彼はこう説明します。

「中国における下層社会の住人は、この30年間の経済発展の代価を負わされている存在です。映像を通して代価を払わされている人たちの姿を記録することは重要な仕事だと考えています」

徐童監督に限らず、中国のドキュメンタリー作家たちが共通して語るこうした「公式見解」は、ちょっと優等生すぎて、「記録」するだけで本当に事足りるのか? 体制に日和見しているのではないか、と思わないではありません。下層の人たちの世界をいちばんよく知る彼らがそんな悠然とした態度であれば、社会は変わりようがないではないか、と思うからです。

しかし、そんな邪推も、彼らが作品化している舞台である北京周辺の郊外村やスラムを訪ねたり、「外地人」とつきあう機会が増えたりしていくうちに、ぼくにも少しずつ納得できるようになりました。それ以上のことを軽々と口にできるほど、中国は悠長な社会ではないからです。特権階層に限らず、この国の多くの知識階層も、中国はとても不安定な社会であることを自覚しているため、自分たちにはコントロール不能の社会変動につながりかねない「民主化」など、そんなに気安く口にすることはありません。そうした主張をする人たちもいるのは確かですが、それこそ「夢想家」と呼ばれかねないのではないでしょうか。

さて、『収穫(麦収)』という作品の最も驚嘆すべきところは、なぜこのような映像を撮ることが可能だったのか、でしょう。徐童監督はこんな風に説明します。

「ドキュメンタリーは真実そのものではない。つくられたものと考えるべきです。ただし、同時に現場にいて感じたことは真実といえる。私にとってカメラは決して冷たい機械ではありません。交流の道具なのです。私はホンミャオとその周辺にいる人たちすべてに対して、監督ではなく、友人のひとりとして付き合いました。そうした信頼関係があってこそ、撮影が可能となるのです」

当然のことですが、風俗嬢たちの日常を収めた長回しの映像の背後には常に徐童監督がいて、ビデオカメラを回し続けていたわけです。それが可能になる「信頼関係」というものは、日本のような国ではちょっと想像できないことで、もしかしたら中国においてもあと10年もすれば社会が成熟化して不可能になってしまうかもしれない、撮る側と撮られる側の間にある微妙で率直な関係性を唯一の成立条件としているように思えます。

こうした関係性による映像の成立条件に対する疑義が呈されたのが、香港「収穫(麦収)」事件です。2009年、この作品は日本をはじめ国内外のドキュメンタリー映画祭に出品されましたが、香港の映画祭会場において、性産業従事者のプライバシーを著しく侵害した作品として上映停止を求める運動が起こり、上映会場のスクリーンの前に横断幕が掲げられたといいます。

ここで問題となっているのは、このような映像が撮られたことではなく、上映することに対してで、同じ中華圏の香港やその後の台湾でも強い批判が起きたのです。日本をはじめ中華圏以外の国では所詮外国の話ということからか、作品の世界をどこかフィクションのように受け流すことができるのかもしれませんが、同じ中華圏で「民主化」を経た地域に暮らす人たちにとって、ホンミャオ個人の人権問題として物議を醸すことになったというのは興味深い話です。

要するに、「このような映像を撮られてしまった彼女の今後の人生にどんな悪い影響を与えることになるのか、監督は自覚しているのか。その場合、どう責任を取るのか」という主張です。これはこれでもっともな意見です。たいていの国では、こうした「人権意識」が常識としてあるゆえに、このような映像を撮ることがはばかられてしまうからです。

その件について徐童監督はこう語っています。

「私の作品を批判する社会運動家の人たちにも良心があることは私も理解しています。ただ登場人物の顔にモザイクをかけたからといって身元が割れないということでもありません。むしろ彼女らが風俗嬢ということで、決して社会の表に出ることのない存在として隠されるより、堂々と顔を出して生きるべきではないかと思うのです」

こうした「事件」を経て、『収穫(麦収)』はさすがに中国国内では上映しないこと。海外での上映は構わないけれど、すべて監督の了承を得たうえでなければならないという取り決めになったそうです。実際、この作品は中国のなんでもありの動画サイトでも観ることはできなくなっています。

おそらく徐童監督自身、撮影当時はもとより、上映にあたって「人権意識」が問われるようなことなど想定していなかったでしょう。香港の社会運動家が言うように、ホンミャオの将来への影響や責任など、考えてもみなかったに違いありません。そんなことまで自覚していたら、決して撮り続けることはできなくなったと思いますし、逆にそういう「人権意識」の持ち主が回すカメラであれば、ホンミャオの側も撮られることを拒絶したのではないか。そんな気がします。

風俗嬢とカメラマン、両者の間に取り交わされたある種の無頓着さからくる了解事項、そこにはお互いを対等に尊重する姿勢と関係性の相互承認があって、初めて『収穫(麦収)』の成立条件として機能したのだと思われますし、2000年代に入ってなお中国が「人権意識」の抜け落ちたような社会であることも、この奇跡的ともいえる記録映画の誕生に寄与することになったといえなくもありません。結果的に、オリンピック開催に象徴される中国の表向きの華やかさとは対極の世界を描いているようで、やはりこの作品にはどこか救いがあることも、2000年代という時代に撮られた作品らしい気がします。

こうした「事件」の複雑な経緯に触れたあと、徐童監督はこんなことを言っています。

「私とホンミャオはカメラを通してお互いの属する別世界を知ることになりました。このことが私たちにとっていちばん重要なことでした」

ちょっときれいごとすぎるもの言いに聞こえるかもしれませんが、徐童監督のホンミャオに対する終始一貫した態度によって、私たち観客も農民工という「別世界」を知ることになったのは確かです。この作品を通じて、都市で暮らす農民工たちが中国の成長の代価をいかに負わされているかという実相について、多くの知見を得ることができたのと同時に、彼らのしたたかさや強さを知ることができたのも、大きな収穫といえるでしょう。

ところで、この作品が撮られた3年後、ホンミャオは故郷で結婚し、娘が生まれたそうです。徐童監督は結婚式には顔を出さなかったそうですが、1000元の紅包(中国の祝い事の際、包むお金のこと)を彼女に送ったとのこと。中国人というのは、自分が出した金については、はっきり額を明かさないと気が済まないようですね(笑)。

最後に、この質疑応答中に起きたちょっとしたサプライズについて触れておきます。最初に監督と中山さんとひとりの中国女性が登壇したと書きましたが、この女性、なんと今回の映画祭の出品作『占い師(算命)』の登場人物のひとり、唐小雁さんだったのです。

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唐小雁さん

実は、『収穫(麦収)』の上映中、彼女はたまたまぼくの隣の席に座っていたのですが、独特の存在感のある女性でもありますし、そもそもどこかで見たことのある人だなとずっと気になっていたのです。それはそうでしょう。数日前にぼくは『占い師(算命)』を観ていたからです。撮影当時の彼女は、幸の薄そうな、これまた風俗嬢で、泣いたりわめいたり、警察につかまったりと(もちろんドキュメンタリーですから、事実です)、波乱万丈な人生を垣間見せてくれた当人です。その彼女が日本に来ているということにびっくりしました。このドキュメンタリー作品に出演したことで、彼女の人生は大きく変わったそうです。

半年後、北京で監督と唐小雁さんに再会することになるのですが、また後日報告します。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-17 16:52 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 02月 14日

定点観測ツアーバス調査のまとめ(中間報告)

2月13日、「二水会」という観光関連の交流会で、お話をすることになりました。幹事の方から「中国インバウンドの話をしてください」といわれていたのですが、日中関係が政治的に緊張するさなか、大局的な意味での今後の展望などぼくにはできるわけありませんし、そもそも3月の習近平政権の本格的始動で、再びどんな揺り戻しがおこるかわかりません(いまは北朝鮮核実験の直後で、中国政府も日本に対する挑発を一時的に緩めているだけかもしれません)。

その一方で、昨年秋の尖閣問題再発以降、新宿5丁目に現れるバスはめっきり姿を消していたものの、1月下旬ころから徐々に姿を現わし始めていました。中国からの団体ツアーは数は少ないながらも、動き始めていたのです。さらに春節期間中、とくにそのピークと思われる13日、新宿5丁目および歌舞伎町界隈にはインバウンドバスを多く見かけました(さすがに、2012年、11年、10年とこの3年間の春節に比べるとその勢いは控え目だったとはいえますが)。

いうまでもないことかもしれませんが、中国の民間レベルでは、政治向きの話とは違った動きが起こるものだということをあらためて実感します。

さて、そんなわけで、「二水会」では、日中間の大局の話とは真逆のミクロな世界――再び姿を現し始めた中国ツアー客の動向や実態についてお話しすることにしました。そのうえで、ふだん定点観測している「新宿5丁目中国ツアーバス路駐台数調査」の2011年11月~13年2月までのデータをこの機にまとめてみようかと考えました。以下、「定点観測ツアーバス調査のまとめ(中間報告)」ということで、お話しをするために用意したレジュメとメモを記すことにします。

新宿5丁目ツアーバス路駐スポットから見る中国インバウンドの現在   2013.2.13

ぼくの事務所は、東新宿にあります。そのすぐそば、新宿5丁目にある伊勢丹パークシティをはさんだ明治通り沿いは、中国客を中心にアジアからの団体ツアーが歌舞伎町散策と夕食をとるために訪れる、知る人ぞ知る「インバウンドバス路駐スポット」です。

仕事帰り、ぼくは毎日そこを通るので、以前からたまにバスが何台停まっているか、カウントしたりしていました。暇なときには、運転手さんに声をかけて、中国のどの省から来た人たちか。何人くらいのどんなツアーなのか、尋ねることもあります。

2011年11月以降、ツアーバスの路駐台数をカウントしてブログに載せることにしました。実際、中国客が大挙して来日した2010年、12年の夏は多い日には5~7台も停まっていましたが、尖閣問題が再発した2012年の秋以降はほとんど見かけません。

こうしたミクロな世界から見えてくる中国インバウンドの現在を、今回は報告します。

【MEMO】
●調査のきっかけ(定点観測-新宿5丁目中国ツアーバス路駐台数調査)

・2010年4月東新宿に事務所移転。通勤途上の横断歩道で中国団体客に遭遇。いったい彼らは何者か?
・伊勢丹パークシティ前――ツアーバスの路駐スポット(都心の駐車場不足問題と関連) 
・東新宿という場所――都内におけるホテル集中地区のひとつ。ただし、西新宿と違い、宿泊特化型ホテルが多い。近年新規オープン多し。実際、欧米系、アジア系のFITの姿を多く見かけるエリア。 
・中国客専用中華食堂の存在(「林園」「馥園」) 

一般にメディアでは中国インバウンドの話題は小売店で中国客が見せる購買実態と結び付けられて語られることが多かったが(とくに2008年以降)、彼ら旅行者の視点に立てば、滞在中のすべての「体験」が「日本」を評価する対象になる。リピーターもそこから生まれる。そこで、この定点観測では、ひとまず日々の路駐バス台数をカウントするのを基本としながら、ときに運転手やガイドなどにも話を聞くことで、日本ツアーの実態を探ることにした。

●経過 2011年11月~13年2月

震災の影響未だありか(ツアーバス路駐台数調査 2011年11月)
回復の兆し見える(ツアーバス路駐台数調査 2011年12月)
春節つかのまのバスラッシュ(ツアーバス路駐台数調査 2012年1月)
すっかり姿を消す(ツアーバス路駐台数調査 2012年2月)
あいかわらずバスは来ず(ツアーバス路駐台数調査 2012年3月)
花見のピークにバスも過去最多(ツアーバス路駐台数調査 2012年4月)
ついに中国専用食堂に潜入(ツアーバス路駐台数調査 2012年5月)
ほぼ毎日バス来訪(ツアーバス路駐台数調査 2012年6月)
バスの数目立って増加(ツアーバス路駐台数調査 2012年7月)
都心に駐車場がない問題(ツアーバス路駐台数調査 2012年8月)
尖閣問題再発(ツアーバス路駐台数調査 2012年9月)
国慶節もバス現れず(ツアーバス路駐台数調査 2012年10月)
昨年に比べさびしすぎる(ツアーバス路駐台数調査 2012年11月)
ちらほら現れる(ツアーバス路駐台数調査 2012年12月)
南湖国旅のバス現る(ツアーバス路駐台数調査 2013年1月)
春節くらいはこうでなくちゃ?(ツアーバス路駐台数調査 2013年2月)

●中間報告(わかってきたこと・考えたこと)

・この1年数か月の日中関係の変転とツアーバス台数には、当然のことながら、強い相関関係がある。
・12年4月(桜シーズン)と8月(夏休み)は過去最多→12年の訪日中国人数143万人はこの時期稼いだことがわかる。
・ここに来るのは初来日のゴールデンルート組。ツアーの実態は「弾丸バスツアー」→中国旅行会社のHPでツアー造成状況がチェックできるため、検証可能(やまとごころ連載18回で報告します)。
・ここには市場の成熟度が進んだ上海客はいない(と思っていたが、そんなことはないようでした→ツアーバス調査2013年2月参照)。多くは、広東省を筆頭に一級都市かたまに二級都市の住民。そのせいか、ある友人が新宿5丁目で中国客に遭遇したときのことば―「なんだ、(連中、金持ってるというけど)ただの田舎モンじゃないか」―も一般の日本人の目から見れば無理もない面もある(中国人は一般に海外旅行だからと着飾ったりしないし、そもそも「弾丸バスツアー」の乗客である。ファッションにうとい中高年が多いので、洗練された印象はまずない)。

(参考)
一級都市:北京、天津、沈阳、大连、哈尔滨、济南、青岛、南京、上海、杭州、武汉、广州、深圳、香港、澳门、重庆、成都、西安
二級都市:石家庄、长春、呼和浩特、太原、郑州、合肥、无锡、苏州、宁波、福州、厦门、南昌、长沙、汕头、珠海、海口、三亚、南宁、贵阳、昆明、拉萨、兰州、西宁、银川、乌鲁木齐

訪日中国客とひとくちで言っても、143万人のうち、商務・公務旅行や親族訪問、留学生など、観光以外の目的の渡航者も3~4割はいる。また観光目的でも、近年個人ビザ取得者が増えている。

それでも、全体でみれば団体ツアー客の比率はまだ高いといえる。中国にはまだたくさんの潜在的な「初来日組」がいることは確か。

である以上、もし訪日客数を稼ぎたいのであれば、この層を増やすのが手っ取り早い。でも……それでいいのか?

なぜなら、中国からの団体ツアーが抱えるふたつの問題があるからだ。これが、今回の「まとめ(中間報告)」の結論である。

①低すぎる日本ツアー価格の相場観の定着 ……中国では日本ツアーの価格は5000元くらい、という相場観が定着。「安かろう悪かろう」ツアーが蔓延した結果、日本という旅行先は、中国からみて実情以下に低く見積もられてしまった。残念である。

②ツアーのマンネリ化 ……現状では、定着しているコースは東京・大阪ゴールデンルート+北海道しかほぼない。

今後の課題は、それをいかに打破するか。

そのためには、こつこつとツアーのバリエーションを増やすことだろう。安いツアーがあってもいいが、現状のように「それだけ」では困る。なんとしても、従来にはない高価格のツアーを造成することで、価格帯の幅を広げることだろう。これからは単なる地域の観光PRではなく、どうやったら価格帯を上げることができるか、具体的な方策を考えなければならないと思う。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-14 07:55 | 定点観測ツアーバス調査 | Comments(0)
2013年 02月 13日

北京の風俗嬢と農民工生活区のすべて(中国インディペンデント映画祭2011 その6)

1年ぶりに中国の自主映画(中国独立电影)の作品について書きます。以下、「中国インディペンデント映画祭2011」の報告の続きです。
          
2011年12月9日、中国インディペンデント映画祭の関連イベントとして、武蔵野美術大学で開かれた徐童監督の「収穫(麦収)」の上映会に行きました。この作品は、第2回中国インディペンデント映画祭(2009)の出品作です。今回の出品作のひとつ、「占い師(算命)」と同じ監督の作品です。

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このドキュメンタリー作品のあらすじを語るには、ちょっと下世話な話から始めなければなりません。中国の床屋が、いわゆる風俗店として使われていることをご存知でしょうか。現地駐在の方や出張などで何度か中国の地方都市に足を運んだことのある人なら見たことがあるのではないかと思います。見た目はただのうらぶれた床屋ですが、窓越しに中を覗くと、なにやらケバケバしい女たちが何人も腰かけていて、目でも合おうものなら手招きされそうな妖しい雰囲気がある。そこは地方出身者と都市の下層階級向けの風俗施設というわけです。

北京などの大都市でも、中心部から車で10分も走れば姿を現わす、地方からの出稼ぎ労働者たちが暮らす居住区(「農民工生活区」といいます)にはたいていどこにでもあります。そんな風俗床屋で働く20歳の娘がこの作品の主人公です。

彼女の名はホンミャオ(仮名)。細くつりあがった瞳、平たい顔と低い鼻、決して器量よしというタイプではないのですが、まだあどけなさの残る屈託のない表情と、農民工によく見られる気の強さが彼女の中に同居しています。見た目でいうと、そんな商売に身をやつしているとは思えない子です。出身は北京の南方約90キロの場所にある河北省定興県閻家営村。北京市西南のはずれにある「農民工生活区」に暮らし、東南のはずれにある店に「上班(通勤)」しています。

話は、彼女が河北省の実家に帰省し、父親と会うシーンから始まります。父親は病気のため点滴を受けながらオンドルに横たわっています。彼女は父親に北京の市場で買ったポロシャツをお土産として渡します。それから家族みんなで卓を囲んで食事をします。

そんなのどかな農民一家の団欒風景から一転して場面は天安門広場になり、けたたましいサイレンの音が響き渡ります。この作品が撮られたのは2008年。撮影期間中に起きた5月12日の四川大地震直後の被災者への黙祷シーンがさりげなく挿入されています。つまり、この話は世界中から注目された北京オリンピック開催と同じ年に起きている出来事だということを伝えようとしています。

さて、作品ではホンミャオの私生活のいっさいが次々と公開されます。彼女の仕事や友情、恋愛、家族との関係など、こんなに何もかもさらしてしまって大丈夫なのか、と心配してしまうほどの赤裸々さです。ところが、曇りのない彼女のキャラクターがなせるわざというべきか、決して賤業に身をやつしているというようなじめじめしたところはなく、ある種のすがすがしさすら観客に感じさせるところがあり、これは驚くべきことに違いありません。

「ホンミャオの生活圏」として、作品中に登場する場所を書き出してみました。彼女は北京市南部にある生活圏と実家のある河北省定興県閻家営村をこの1年のうち何回か往復しています。
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ホンミャオの北京の部屋は、豊台区の「農民工生活区」にあります。北京と広州を結ぶ京広線の線路のすぐ脇、レンガ塀一枚で隔てただけの場所にあるため、騒音が相当激しそうな環境です。北京では一般に「東富西貴北賎南貧」といいますが、ここはその「南貧」に位置しており、結局のところ、彼女は多くの「農民工生活区」の住人たちがそうであるように、北京中心部の高層ビル群が並ぶ世界に自ら足を運び、越境していくことはまずありません。彼女ら「外地人」は、空間的にも北京生まれの都市戸籍者たちとはまったく分断された生活圏を生きているといえます。

オンドルが中心を占める彼女の小さな部屋には、テレビと衣装棚とわずかな家財道具があるだけですが、女の子らしくクマのぬいぐるみが置かれていたりします。同じ農民工の彼氏と携帯でおしゃべりするのもオンドルの上です。

彼女の「職場」は、朝陽区高西店の風俗床屋です。昼下がり、彼女と同じく地方出身である同僚の女たちは昨晩相手をした、たちの悪い客に悪態をついています。「河北省出身の17歳の処女が1万元で買われたが、そのうち彼女の手元に残るのは7000元だ」などという噂話も、姉御風の同僚が訳知り顔で話しています。

この作品では、彼女らの「職場」の風景が、あきれるほどの率直さで日常的に映し撮られています。女たちは床屋の中の長椅子に座って客が現れるのをひたすら待っているのですが、ひまなときには音楽を聴きながら踊ってみたり、みんなで食事をしたり……。徐童監督は彼女らと同じ場所にいて、その姿を長回しで収めているわけです。

これだけで十分興味深い光景ですが、さらに面白いのは、さまざまな登場人物の姿を通じて、彼女らの「職場」の外に広がる農民工の多様な日常が映し出されていることです。

ホンミャオには農民工の彼氏がいます。彼は建築現場で巨大なクレーンを扱う仕事をしていて、休日に彼女を現場に連れていき、自分の仕事がいかに大変か自慢げに語ります。こういういじらしい感じは、若き日の吉永小百合の主演映画『キューポラのある街』(1962年)みたいです。ただし、前述したように、いまの北京にはそこから車で10分ほどの場所に高層ビル群が林立している別世界があるという現実があります。よくいわれるように、中国にはいくつもの「時代」がモザイクのようにバラバラに折り重なりながら共時的に存在しているのです(もちろん、その「時代」というのは、我々先進国がこれまで経てきた時間軸の括りを便宜上そう呼んでいるにすぎないのかもしれませんが)。

農民工カップルのふたりは、中国の消費時代の申し子とされる都会生まれの「80后」と同年代の若者ですが、三里屯あたりのおしゃれなカフェやレストランには縁がなさそうです。夜のデートは屋台の食事が定番。そこには、いろんな年代の地方出身者たちが集まっていて、世代を超えた会話が繰り広げられています。ランプの明かりに照らされた彼らの表情はリラックスしていて、和気あいあいとしています。

風俗店の老板(経営者)は江西省出身の女性で、ある日彼女の誕生日を店の女の子と一緒に祝うことになりました。彼女の自宅にはなかなか男前の愛人がいて、料理も上手です。食事をすませると、みんなでKTVに行きます。そこは、彼女らと同じ地方出身の若いホストのいる店です。一晩のチップは100元。ホンミャオも遊びと割り切っているのでしょう。お気に入りのホストのひざの上に乗ってカラオケを歌っています。そして今日の主役、老板が歌うのは、テレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』。ああ、なんという場末感。しかし、彼女たちにとってこの時間がどれほど気晴らしになっているのか、よく伝わってくる光景です。

こうして同僚や男友達にも恵まれたホンミャオは、北京でそれなりに楽しく毎日を過ごしているようです。おしゃれしたい年頃ですから、「農民工生活区」にある小さなネイルサロンに行ったりもします。しかし、直接的ではないものの、彼女の職業の内実を暗示するいくつかのシーンも挿入されています。たとえば、彼女がある検査のため病院に通う冒頭のシーンがそうです。検査の結果は問題がなかったことを彼氏と一緒に喜ぶ姿も映されていますが、性病の懸念を彼女がずっと抱えていることがわかります。また、北京で最初に働いた風俗床屋のあった場所を訪ねると、そこは当局によって閉鎖されており、近所の人の話では、老板は懲役5年の刑に服していることを知らされます。北京における彼女自身も、いかにあやうい存在であるかがわかります。

そのうえ、実家の父親が深刻な病気を罹っており、彼女はその治療費を負担しているのです。家族への送金のために双井郵便局に行くシーンもありますが、別の日には手術のために父親が入院した河北省保定市の第一中心医院の病室を見舞いで訪ね、母親に3000元を手渡します。すると、母親はそのうち200元をそっと娘に返しました。

中国では、金勘定は現ナマを第三者に見せないと意味がありません。そもそもなぜ3000元を渡したかわかったかというと、母親が娘から渡された100元札の束を数えるシーンを見ながら、ぼくが枚数をカウントしたからです。カウントできるほど他者にはっきり見せてこそ、親を扶助する孝行娘とその母という関係性が表ざたになるわけで、母娘ともに「面子」が立つというわけです。しかも、いったん娘からもらった金の一部を返すことで、母親の「面子」も維持される。金銭をめぐるこうしたやりとりも、彼らにとって「面子」に関わる重要な行為といえます。外国人からすると一瞬違和感を覚えるような光景ですが、徐童監督はこうしたなにげない、いかにも中国的な親と子のリアルな情愛を感じさせるシーンをしっかり収めています。

さてそのころ、彼女の実家では、麦の収穫の季節を迎えていました。実家の外には、すっかりコムギ色に染まった麦畑が広がっています。北京の「農民工生活区」や風俗床屋の世界をさんざん見せられてきた観客にとって、ハッと胸を打たれる光景です。旧式のコンバインが音を立てて麦を刈り取っていきます。

ホンミャオは農民の娘です。病気の父親に代わって刈り取った麦の籾殻を庭先で分けたり、収穫のすんだ土地にトウモロコシの種を蒔いたりするのは彼女の仕事です。

そんな農作業に明け暮れる彼女も、実家の部屋に戻ると、北京の彼氏からの電話を受けるのですが、なんと彼氏の浮気がばれてしまいます。しかも、その相手は同僚の女友達だったことが判明し、彼女は涙にくれます。そして、心を痛めた彼女は寝込んでしまいます。

こうして実家のオンドルの上であられもない寝姿をカメラにさらしたまま、長い沈黙のあと、彼女はカメラマン兼監督である徐童に向かって言います。

「拍不拍了?(もう撮るの撮らないの?)」

映像は暗転。テレサ・テンの『阿里山的姑娘』が流れ、唐突にエンドロールを迎えます。

「終幕」。

……とまあこんなストーリーです。

ひとことでいえば、北京の底辺を生きる若い女性、しかも風俗嬢である農民工の私生活をビデオカメラで延々撮り続けるという、常識で考えれば、よくこんなことが可能だったなあと半ば呆れつつも、驚かざるを得ない作品です。

なぜ徐童監督がこの作品を撮るに至ったか、またなぜこのような映像を撮ることができたのかについては、上映後に監督に対する会場からの質疑応答があったので、次回紹介します。
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by sanyo-kansatu | 2013-02-13 11:57 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 02月 03日

春節くらいはこうでなくちゃ?(ツアーバス路駐台数調査 2013年2月)

今年の春節はすっかり諦めていたのですが、1月下旬ころから、新宿5丁目に中国からのツアーバスが姿を見せ始めました。2、3日おきに1台やって来るという感じです。とても回復と呼べるようなものではありませんけれど。

先月の調査で広東省の南湖国旅という旅行会社のツアーが来ていたことから、同社のサイトを調べたところ、春節休み中に日本ツアーが催行されていることを知ったのはすでに報告しました(2月3日に再チェックするとその日出発のツアーの募集締め切りは終わったのか、なくなっていましたが、2月下旬からのツアーの募集は告知されています)。同様に、上海の旅行会社のサイトをみると、同じ時期にツアーが催行されています。もちろん、昨年の春節時に比べるとわずかな本数のようですが。

さて、今年の春節にはどのくらいバスが来るのか。引き続き、定点観測を続けることにしましょう。

※このカテゴリでは、2011年11月から始めた明治通り新宿5丁目付近における中国インバウンドバスの路駐台数(≒中国客の動向)を記録しています。

1日(金)13:00 1台
      19:10 1台(さらに靖国通りの中国大飯店前にも1台発見)
※この日の夜11時頃、西新宿の西口思い出横丁(昔しょんべん横丁といっていたはず)の岐阜屋という中華料理屋台に入ると、男2人女2人の若い中国人観光客がいました。「どこから来たの?」と聞くと、西安、瀋陽、北京、済南とそれぞれいろんな土地の名を言うので、日系企業の社員の報奨旅行ではないかと思われます。ヒルトンに泊まってるそうです。インセンティブツアーは徐々に再開されていると聞きましたが、そのとおりのようです。

それにしても、なぜわざわざ彼らはこの店を選んだのか? この店は調理人のほぼ全員が中国人でもあり、数ある思い出横丁の店の中で、どうしようもなく中国的ローカルな雰囲気が漂っているからではないでしょうか。思うに、初来日した彼らには、いわば「日本疲れ」とでもいう感じがあって、ここに吸い寄せられたというようなことなのかなと。日本人がヨーロッパ旅行中、みそ汁とかラーメンが食べたくなるのと同じようなことなんでしょうね。

2日(土)17:50 2台
※バスを降り、明治通りの信号を渡って「林園」に向かう中国客のみなさんと偶然出くわしました。広東省から来た人たちのようです。同じ中国客といっても、旅行会社が募集した団体ツアーと、昨日会った人たちのようなインセンティブツアー客の滞在中の自由度や出没エリアはずいぶん違うことがわかりますね。
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3日(日)未確認
4日(月)未確認
5日(火)17:20 0台
6日(水)18:50 0台
7日(木)18:20 0台
8日(金)18:50 0台
9日(土)未確認
10日(日)未確認
11日(月)未確認
12日(火)19:10 3台
※ついに春節期間に入りました。連休明けの今日、バスは来ていました。3台のうち1台はマイクロバス。また1台は南湖国旅のバス。同社のホームページに掲載されていた通り、ツアーは催行されていたことが確認できました。

13日(水)12:00 2台
       18:30 5台
※それだけでなく、靖国通りにも停車しているバス発見。歌舞伎町周辺は回遊するバスが何台も見られた。まあ春節くらいはこうでなくちゃ?

14日(木)18:10 2台
※この日のバスのうち、1台は珍しく上海からのツアー客でした。バスの扉のそばに旅行会社とツアー名(「上海錦江旅游有限公司 锦悦-日本精华特惠6日」)が書かれています。そこで、同社のサイトをネットで調べたところ、ありました。2月11日発「锦悦-日本精华特惠6日」。ツアー行程によると、4日目のスケジュールには以下のように書かれています。

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第 4 天 横滨-东京

横滨:【山下公园】【横滨中华街】→东京:【雷门观音寺】【仲见世商业街】【综合免税店】【新宿都厅大厦】【新宿歌舞伎町】→酒店

◆【山下公园】(约20分钟),位于日本神奈川县横滨市,山下公园面对横滨港,沿海岸长约 1 公里,于 1930 年建成开放,是日本最早的临海公园,现已成了市民休憩的场所。园内岸边系留着曾经被称为太平洋女王的船只“冰川丸”,一年四季游客不断。
◆【横滨中华街】(约20分钟):是日本乃至亚洲最大的唐人街,与神户南京町、长崎新地中华街一起并称为日本的三大中华街。在横滨中华街,仅中国餐馆就有200多家。
◆【雷门观音寺】,在寺前的【仲见世商业街】(约50分钟)购买物美价廉的小礼品留作纪念或赠送亲友,“仲见世”长约300米,是古色古香的江户式街道,道路两侧是一排排自江户时代延续下来的大小店铺,朱红门面,出售各种各样最具日本风情的工艺品、和服、布料以及日本人喜食的小吃。扇子店、和服店、玩具店、纪念品店、吉祥物店、偶娃店……各类店铺鳞次栉比,让人目不暇接。
◆【综合免税店】参观购物 (停留约60分钟,因游客购物造成时间延长,延长时间不计入旅行社的客观安排停留时间)。
◆【新宿都厅大厦】俯瞰东京全景,新宿都厅是日本东京都政府的总部所在地,高243米,共48层,第一本厅内的展望室,可以从离地面202米高、45楼的南北展望室可360度尽览东京全貌。
◆【新宿歌舞伎町】眼花缭乱的现代摩天大楼、新建的戏剧区、鳞次栉比、比比皆是的减价商店及位于大街小巷内的小酒店,新宿可以说是应有尽有,也被称作“不眠之街”,到深夜依然灯火通明人来人往,是许多当地居民和外来游客夜生活的首选之地。
用餐情况:含:早餐、午餐、晚餐
住宿情况:新宿新城酒店或同级

上海錦江旅游有限公司「出境游」参照

この日、ツアーバスは横浜を出て、山下公園や中華街を回り、午後には都内に入り、浅草雷門、免税店(店名は書かれていません)、東京都庁展望台(ここは無料なので、中国ツアー客の定番訪問スポットです)を経て、新宿歌舞伎町に来ていたことがわかります。おそらく歌舞伎町近辺のどこかで夕食をとり、ホテルに向かうことになるのでしょう。ちなみに、ホテルは西新宿の新宿中央公園裏手にある「新宿ニューシティホテル(あるいは同等)」とあります。

ところで、同社サイトによると、このツアーの料金は5388元でした。市場の成熟度が進んだ上海では、もうこの手のゴールデンルートの激安ツアーはないのだと思っていましたが、そんなことはないのですね。まだまだ初来日の上海人だってたくさんいてもおかしくありません。

それにしても、旅行会社とツアー名がわかると、新宿5丁目で出会ったバスとそのお客さんたちが日本でどのような旅をしてきたのか、かなり詳細に調べられるというのは面白いことですね。

ここで考えなければならないのは、当然お客さんもこのサイトの内容を見ながらツアー選びをしていることを考えると、中国の旅行市場もネット販売という側面からみると、それなりに進化し、消費者も成熟しつつあることを実感します(2.14)。

15日(金)17:10 3台(うち1台はマイクロバス)
16日(土)未確認
17日(日)未確認
18日(月)20:10 0台
19日(火)18:50 1台
20日(水)18:10 2台(うち1台は南湖国旅のツアーバス)
21日(木)18:20 0台
22日(金)20:40 0台
23日(土)未確認
24日(日)未確認

中国の旅行市場が成熟しつつあることは確かですが、その一方で私たちが中国客を受け入れる際の基本的な構えとして、彼らが異文化圏の人たちであるということと、もうひとつこれが重要なのですが、私たちとは違う時代を生きている人たちなのだという認識が必要だと思います。つまり、彼らが好む旅行先の体験やサービスは、いまの日本人の感覚とはずいぶん異なるのだということです。では、彼らが好む体験やサービスは何か。それについては、彼らのツアーの中身をよく観察したうえで見極めなければならないと思います。その点に関して、今月のやまとごころ.jpの連載に少し書いています。当ブログにも転載したので読んでみていただければと思います(2.24)。

25日(月)18:40 2台
26日(火)17:50 0台
27日(水)19:50 0台
28日(木)18:10 0台
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by sanyo-kansatu | 2013-02-03 11:12 | 定点観測ツアーバス調査 | Comments(0)