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2013年 03月 26日

ミャンマー人が日本旅行で行きたい場所は?

昨日、あるミャンマー人の知り合いから、ぼくの携帯に電話がかかってきました。

10年ほど前、ぼくはミャンマーを訪ねたことがあるのですが、そのとき現地でお世話になった旅行会社のミョ・ナインさんという人からでした。

彼は子供の頃、家族で東京に住んでいたことがあります。母国で政変があり、帰国後、ミャンマーの大学を出て、家族で旅行会社を経営しながら、日本との貿易の仕事をしている人です。

その彼から、10年ぶりに突然電話があったのでびっくりしたのですが、ミャンマーでは大変お世話になったし、何よりミャンマー旅行のことを懐かしく思い出したので、すぐに会おうということになりました。翌日からぼくは地方出張の予定があり、その日しか時間がとれなかったからです。

彼の話によると、この1年でミャンマーは政治的にも、社会的にも、大きく変わりつつあるようです。彼は3つの名刺を持っていて、うち2つは旅行会社と貿易会社のものですが、もうひとつはミャンマーに進出する日本企業に対するコンサルタントという肩書きでした。今、ヤンゴンではホテル投資が盛んに行われているそうで、日本企業にとってもホテルは有望なおすすめ投資先だというのです。

彼が言うには、最近はミャンマーでも海外旅行に出かける人たちがいるそうで、大半の旅行先はお隣のタイですが、日本に旅行に行きたい人たちもいて、彼の旅行会社でも日本ツアーの催行を準備しているそうです。だいたい1週間で、日本円で15万円くらいのツアーを考えているようでした。そこで、彼に尋ねてみました。

「ミャンマーの人が日本で行きたいのはどこですか?」
「鎌倉や牛久」
「えっ、あの大仏のある……」
「そう、ミャンマー人はお寺が好きなのです」
「牛久も知っているの?」
「知っています。ミャンマー人は仏教徒ですから。あとは東京ディスニーランドと買い物です」
「そこはよその国の人と同じなんですね」
「はい」

ミョ・ナインさんはヤンゴンの空港と市街地を結ぶリムジンバスを運行するビジネスをこれから始めたいとか。

「ヤンゴンにはまだリムジンバスがないんですね」
「はい、まだそんなに空港を利用する人は多くないですから。でも、これから海外旅行に行く人も増えてくるので、バスがあると便利だと思います」

10年前にヤンゴン空港に降り立ったとき、旅客機から乗客を空港ビルに運んでいるのは、日本の地方都市の路線バスの廃車を再利用していたことを思い出しました。面白いことに、バスの行先の日本語表示が残ったままで、ヤンゴンの空港内を走っていたのです。ミャンマーの人は日本語が読めないから関係ないみたいでした。

ミョ・ナインさんは、ミャンマー人向けの日本の旅行案内もつくりたいと言いました。

「じゃあぼくが日本の情報や写真を送ってあげるから、ミョ・ナインさんがミャンマー語に翻訳して、向こうで印刷しちゃえば」

軽い思いつきでぼくがそう言うと、彼はうれしそうに、「そうしましょう。よろしくお願いします」と言います。

……もしかしたら、この話、本当に実現したりして。そう思うと、ちょっと面白い気がしてきました。

「じゃあまずミャンマーの人が日本で行きたい場所や、特に興味のあるお寺はどれか教えてくれますか。そして、1週間くらいの日本旅行のコースを考えてみてください。それに合わせて情報を集めてみますから」

ミャンマーでは、いまようやく海外旅行が始まろうとしています。そんなにすぐには大量送客なんてことにはならないと思いますが、ミャンマーはすべてがこれからの国です。リムジンバスの話もそうですが、社会のインフラやサービスなど、いろんなことをこれから一から作っていくことになるのです。

そんな時代を生きている人たちと一緒に仕事ができるなんて、とても面白いことではないか、そう思えてきました。

それにしても、なぜ彼は突然ぼくに電話をしてきたのだろう? 

不思議な一日でしたが、彼の今後のアプローチを楽しみに待ちたいと思います。

彼との久方ぶりの出会いを通して、すべてを一から始めようとしている国の人たちとぼくらは一緒に何ができるのか……もはやあらかたのことが揃い、成熟しきってしまって身動きが取れなくなっている日本の社会を生きるぼくらにとって、彼らのために何かお手伝いすることで自分自身もなんとか生き延びていく、そんな時代をいま迎えているのではないかと、あらためて思ったものです。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-26 22:48 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2013年 03月 25日

フラワーハイキングに行くなら高山植物の宝庫、長白山(白頭山)へ

中国吉林省と北朝鮮の国境をまたぐ長白山(白頭山)は、知られざる高原植物の宝庫です。

中国大陸では珍しいカルデラ湖のある長白山(白頭山)のなだらかな山麓は、冬場はスキー場として知られていますが、夏は高原植物を愛でながらフラワーハイキングを楽しめる場所として、最近ひそかに注目されています。日本からも登山専門旅行会社のアルパインツアーサービスが長白山フラワーハイキングを行うツアーを催行しています。

2012年7月上旬、ぼくは長白山を訪ねました。長白山の中腹で、高原植物が咲き乱れるお花畑にめぐりあうことができました。これはちょっとした感激でした。とにかくいろんな花々に出合ったのですが、花の名前については疎いものですから、いろいろ写真を撮ったあと、アルアパインツアーサービスと提携している現地の延辺大衆旅行社というトレッキング会社の朴春虹さんに教えてもらいました。

アズマギク
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オダマキ
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オヤマエンドウ
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キバナシャクナゲ
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キンバイソウ
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チョウノスケソウ
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ツガザクラ
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ヒナゲシ
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ベンケイソウ
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リシリエンドウ
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高原に咲くキンポウゲのお花畑
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以下、花の名前は調べられていません。来年ぼくは長白山のトレッキングを計画しているので、今度調べてみるつもりです。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-25 23:02 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 03月 25日

東京国際アニメフェア2013に行ってきました

東京国際アニメフェア2013に行ってきました。毎年時間を見つけて足を運んでいるのですが、今年は例年に比べ出展ブースが少ない印象でした。去年まで多数出展していた中国のアニメ制作会社のブースがなかったことも影響しているかもしれません。ビジネスデーの2日目(3/22)の午前中ということで、会場は少し閑散としていましたが、目についたのは外国人で、商談以外にも若い人たちがたくさんいて、楽しそうに回遊していました。

東京国際アニメフェア2013 http://www.tokyoanime.jp/ja/

個人的には、「テレビアニメ50年の軌跡」という展示コーナーが面白かったです。1963年以降のテレビアニメを年代別に書き出して、当時のキャラクター商品をちょろっと展示しているだけのブースなのですが、1970年代に少年期を過ごした世代としては懐かしかったです。なにしろぼくは「鉄腕アトム」の放映された年に生まれた人間なのですから(まいっちゃいますね)。
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「Tokyo Otaku Mode」というブースも目を引きました。海外アニメビジネスの可能性を探るシンポジウムもあるようでした。
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報道によると、東京国際アニメフェア実行委員会の発表する来場者数は、21日、22日のビジネスデーは伸び悩んだものの、パブリックデーで大きく取り返し、昨年大幅に減少した9万8923人(前年比24.5%減)から当初目標の10万人を超えたそうです。

ビジネスデーは、ビジネス関係者と学生のみを対象としている日ですが、やはり今年は少し元気がなかったのですね。対してパブリックデーは、子供や家族、アニメファンのための日で、『ドラえもん』や『名探偵コナン』「プリキュアシリーズ」などの人気作品が動員の牽引力になったようです。

ぼくはアニメ業界の人間ではないので、一般の来場者とはそもそも観点が違うのかもしれませんが、たまたま会場で「アニメと、メディア・商業・観光の世界展開」(第1期の成果と第2期展開への期待を背景に、アニメ&キャラクターコンテンツの、国際的な放送やオンライン・モバイルのメディア展開によって生み出される二次利用商品や観光などグローバルな波及効果について、メディア、商業、観光の立場の方とアニメ製作者が語り合う)というパネルディスカッションをやっていたので、途中からでしたが話を聞くことにしました。
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出版社や通信会社、ショッピングモールの関係者などと並び、JTBコーポレートセールス事業開発部 地域×メディアマーケティング室の古関和典室長という方も登壇者のひとりで、アニメの「聖地」巡礼で観光を盛り上げようという話をされていました。
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旅行会社として、いかに地域やメディアと関わり、アニメのコンテンツを活用した観光誘致や地域振興を行うかという話です。大ヒットした映画『テルマエ・ロマエ』と全国の温泉地を結びつけた特集企画を旅情報誌の「るるぶ」で展開したことや、中国人観光客向けに、昨年上海でアニメ「聖地」巡礼をアピールするイベントをした報告もありました。ただし、日中関係の悪化で、ツアーの催行には至ってないそうです。
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ぼくも2年ほど前、北京の大学の日本語学科卒業生のみなさん相手に、同じような話(アニメ王国ニッポンを旅しよう!)をしたことがありますけど、この手のイベント、その場はそれなりに盛り上がるのですが、だからといって日本に旅行に行こう、という動きにはすぐにはつながるものでもないようです。

ちょっと面白かったのは、日本動画協会の松本悟さんという方が、アニメに出てくる食事シーンを観光プロモーションに結び付けようという話をされていたことです。ご当地アニメをつくって、登場人物たちに地元料理を食べさせることで、視聴者にも食べてみたい、行ってみたいという気にさせるということでしょうか。

最近、地方を舞台にしたアニメ作品が増えているのは、製作者側が地域と連動した動きを始めているからでしょう。確かに、自分の街が作品の舞台になるのって、ちょっと楽しいことかもしれません。

実際、今回の出展者には、自治体もいくつかありました。個人的にたまたま縁があったのは、埼玉県羽生市です。ある大学の学生さんと一緒に羽生のまち歩きマップの制作をしたことがあるのですが、なんでも昨年11月、「ゆるキャラさみっとin羽生」というイベントがあって、全国のゆるキャラのコンテストをやったんだそうです。
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ちなみに羽生には「ムジナもん」と「いがまんちゃん」というゆるキャラがいます。よその土地の人にはなんだかよくわからないと思うのですが、「ゆるキャラさみっとin羽生」のパンフレットをみると、全国265のゆるキャラが勢ぞろいしたそうです。こういう最近のブームって悪ノリすぎではないのか、そもそも地元のアピール効果が本当にあるのか疑問ですが、なんだか世の中すごいことになっているなと思ってしまいました。
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もうひとつが「まんが王国とっとり」のブースです。昨年世界マンガサミットをやったばかりですが、どうやら鳥取県では本気でマンガを地元の産業振興につなげていきたいと考えているようです。

鳥取県は、水木しげる、「名探偵コナン」の青山剛昌、谷口ジローという3人の日本のマンガ界を代表する作家を輩出しています。ただ中国の例をここに持ち出すのもどうかと思いますけど、お役所主導の文化産業振興はなかなかうまくいかないものです。応援したい気持ちはあるのですが、いったいどう進めていくのか。注目していきたいと思っています。

最後に会場で見かけた中国人関係者たち。視察という名目で来場しているのだと思われますが、みなさんそれほどアニメに関心があるようには見えないところが不思議というか。今年から一斉に消えた中国関連ブースも尖閣の影響なのかよくわかりませんが、会場には他にもたくさんの外国人がいるなか、ちょっと異質な存在感を見せているグループでした。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-25 11:41 | アニメと「80后」の微妙な関係 | Comments(0)
2013年 03月 24日

延吉の食文化は韓国化しつつあります

大都市なら全国の地方料理が何でも味わえるほど、食文化が多様化しているのが、いまの中国です。延吉のような地方都市でも、各種中国地方料理が味わえますが、この地に特徴的なのは、食文化における韓国化の影響が強まっていることではないでしょうか。

もともと延辺の朝鮮族料理は、図們江を挟んで南にある北朝鮮咸鏡北道の料理がベースにあるといわれます。そこから河を渡って住み着いた人が多いからです。ところが、1992年の中韓国交樹立以降、たくさんの韓国人がこの地を訪れたのもそうですが、労働者として多くの延辺の朝鮮族が韓国に渡りました。同じ朝鮮民族であったとしても、経済の発展段階が違ったことから、現代的な生活文化や習慣は、延辺の場合、韓国から流入してくることになったのです。当然、それは食文化にも影響します。

そんなこともあってか、延吉の人と話していると、「最近、延吉でもおいしい韓国料理が食べられるようになったから、行ってみましょう」と言われることがあります。こちらとしては、「韓国料理なんてそんなに珍しくないので、むしろ延吉でしか食べられない地元料理を味わいたいのにね」と思うのですが、韓国の影響下の強い延辺では、我々旅人と住人の間にこうした認識ギャップが起こるのは、やむを得ないことかもしれません。彼らにしてみれば、韓国料理が食べられることがちょっとした自慢なのですから。

そこで、ここではまず先に正真正銘の延辺料理≒咸鏡北道料理と思われるものを紹介します。これ、なかなかグロテスクでしょう。
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切って盛り付けるとこうなります。スンデといって、もち米入りのブタの腸詰です。
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次はジャガイモチジミとヨモギのチジミです。こちらのチジミは一口サイズみたいです。
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これは延辺風山菜炒めです。延辺に近い長白山のふもとではたくさんの山菜がとれます。実は延辺から日本へ大量の山菜が輸出されていることはあまり知られていないかもしれません。
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トウモロコシ麺も朝鮮族らしい料理です。中国東北地方ではトウモロコシがたくさんとれるので、満洲族の人たちもトウモロコシ麺を食べます。あと延辺の冷麺もソウルとはちょっと違った味です。
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それから、延辺では犬鍋をよく食べます。最近、韓国で犬鍋がどの程度食べられているのか、ぼくは詳しくないので何ともいえませんが、延吉には犬鍋料理店の並ぶ通りがあるほど人気です。独特の濃いタレを付けて食べます。
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最後は、延吉で食べた韓国料理です。プルコギ、ポッサム(ゆで豚肉)、コングクス(豆乳スープ冷麺)、ジャージャー麺など。延吉の人たちは、こういう韓国料理をふつうに食べられるようになったことをいいことだと思っているようです。そのこと自体は別におかしいわけではないのですが、旅人はあんまりときめかないですよね。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-24 23:20 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 03月 24日

延辺でおいしいのはタッコン(鶏飯)と串焼きです

中国吉林省にある延辺朝鮮族自治州でおいしいものといえば、断然タッコン(鶏飯)と串焼きです。朝鮮族の暮らす土地ですから、当然朝鮮族料理≒韓国料理が基本なのですが、韓国でも地方によって素材や味付けが変わるように、ここ延辺では独自の地方料理が味わえるのです。

これがタッコン(鶏飯)です。簡単にいうと、汁なしサンゲタンのようなものです。延辺産のお米は、おそらく中国一おいしいと保証します(これ本当です。戦前、寒さに強く品種改良された日本の稲を持ち込み、水田をおこしたのが延辺の稲作の始まりです。もともと寒冷地なので、それまで稲作はやっていなかったのです)。ホクホクの地鶏のうまみともち米がやさしくマッチした絶品の味です。
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ちなみに、これがサンゲタンです。もちろん、こっちもおいしいんですが、延辺に来たら、汁なしがおすすめです。
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この写真を撮ったのは、延吉で最初に韓国風サンゲタンを始めた店で、「藝玲参鶏湯」といいます。ごくふつうの食堂風のお店です。
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延辺では、この地方独特の羊の串焼きが有名です。特徴的なのは、「串料」といって串焼きにつけるスパイスに凝っているところです。ただのトウガラシだけではなく、クミンとか複数のスパイスを混ぜ合わせて店ごとに違う味を出しています。お店の人に、スパイスの中身や比率を聞いても、もったいぶってるわけではないのでしょうが、教えてくれません。門外不出の“秘伝”というやつなんだそうです。
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地元の人の話では、串焼きのしめに、汁なし冷麺を食べるのが延辺では流行っているそうです。こういうそのときどきで変わる地元の流行というものは、旅人はあんまり気にせず、やっぱり自分は汁あり冷麺が食べたいというべきでしょう。いえ、汁なしがまずいわけじゃないんですが、やっぱりしめはさっぱりスープの冷麺がほしいじゃないですか。
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この串焼きは「白玉串焼」というチェーン店で、11種類のスパイスをブレンドした串料で人気なのだそうです。羊の串焼きは1本2元。うれしい安さです。
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これらのお店の情報は、「地球の歩き方 大連 瀋陽 ハルビン」2013-14年版を参照ください。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-24 22:19 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 03月 24日

ドラマ『朱蒙』の物語が身近に感じられる五女山城博物館

五女山城の西門の登り口に、五女山城博物館があります。ここでは高句麗建国の歴史を中心にしたこの地域(中国遼寧省桓仁満州族自治県)の古代史を展示しています。
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紀元前37年に朱蒙がこの地に高句麗を建国し、34年に五女山城を築いたとあります。
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王宮の復元模型だそうです。韓国歴史ドラマ『朱蒙』の中に出てきた高句麗の王宮の規模や壮麗さと違ってえらく貧相なものです。五女山城の山頂で見た城門や住居跡の遺跡も解説しています。
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五女山城周辺では鉄の武具が多数出土しています。ドラマに出てくる朱蒙に最後まで忠実だった鍛冶頭モパルモを思わせるような蝋人形が展示されていました。高句麗の2番目の都である集安(中国吉林省)にある古代の墓室の復元模型も展示されています。
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五女山城博物館がオープンしたのはわりと最近のことで、2008年5月。『朱蒙』の放映より後のことです。五女山城の遺跡の発掘も1990年代の後半に始まったそうで、山頂までの石段を造り、遺跡跡を有料で公開するようになったのも2000年だとか。その後、2004年に五女山城は世界遺産の一部になります。

蓮池薫さんは『私が見た、「韓国歴史ドラマ」の舞台と今』(2009 講談社)の中でこう書いています。

「韓国で高句麗ブームに火がついたのは、もう一つの理由があった。

2002年から2007年にかけて中国社会科学院の辺疆史地研究センターが行った『東北辺境の歴史と現状系列研究工程』(以下、『東北工程』)と呼ばれる5ヵ年プロジェクトが韓国人を刺激したのだ。(略)中国人研究者たちは古代歴史に関する研究の結果として、『高句麗は独自の国ではなく、中国の一部であった』という結論を出したのだった」。

「高句麗が中国の一部だったという中国の公式見解は、漢民族と55の少数民族からできている多民族国家の現代中国の構図をそのまま過去に当てはめたもの、つまり少数民族を『大中国』の構成要素と考える現代の骨組みを遠い昔にそのまま適用したものなのだ。多くの学者たちは中国の『東北工程』が純粋な研究というより『中国が自国の領土と安定を維持するための行動』だったと考えている」。

このように韓国で歴史ドラマが盛んに制作された背景に、中国の「東北工程」への強い反発があったことを蓮池さんは指摘しています。

現地の旅行会社によると、五女山城のふもとにある桓仁には、毎年2~3万人の韓国人が観光に来るそうです。ドラマで朱蒙を演じた俳優のソン・イルグクも、この地を3回訪れたとか。それだけならいいのですが、2011年に高句麗史の研究者や運動家たちが来て、講演会を開き、会場で「東北工程」に反対するスローガンを掲げるという計画があり、それを事前に知った市の安全局が取りやめさせたということもあったそうです。

ぼくには中韓いずれも似た者同士で、「現代の骨組みを遠い昔にそのまま適用」しようと争っているようにしか見えません。北東アジアのナショナリズムは、古代史とのからみで火がつくところが特徴といえそうです。正直そんなことどうでもいいとぼくなどは思ってしまいますが、蓮池さんも書いているように、彼らの独特の歴史観に対して「相手の主張に従うということではなく、相手の主張に耳を傾け、その背景を知ろうとする姿勢が相互間に必要だろう」ということなのでしょう。

そのうえで、「相手の歴史観を知る上では、韓国の時代劇ドラマが素晴らしい『材料』になる」と蓮池さんは書いています。今回、五女山城を訪ねて、『朱蒙』の物語が身近に感じられたのは確かなので、本当にそのとおりだなと思ったものです。
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五女山城博物館 http://www.wnsjq.com
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by sanyo-kansatu | 2013-03-24 11:27 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 03月 24日

朱蒙が建国した高句麗の最初の都、五女山城を訪ねる

高句麗建国を描いて大ヒットした『朱蒙』(2006)やぺ・ヨンジュン主演の『太王四神記』(2007)など、2000年代半ば頃より盛んに制作されている韓国歴史ドラマの多くは、現在の中国遼寧省や吉林省の一部が舞台となっています。その地は2004年に「古代高句麗王城と古墳群」として世界遺産にも登録されています。
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2012年7月、朱蒙が建国した高句麗の最初の都、五女山城を訪ねました。そこで取材したことは、「地球の歩き方 大連 瀋陽 ハルビン」2013-14年版の「韓国歴史ドラマの舞台を訪ねよう」という特集の中で簡単に紹介していますが、ここでは五女山城の現在の姿をもう少し詳しく案内します。
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五女山は中国遼寧省桓仁満州族自治県桓仁鎮の北8kmに位置しています。主峰の海抜は804m。岩肌を露出している山頂部は、登ってみるとわかるのですが、南北1500m、東西300mという長方形をした平たい台状になっています。周辺は断崖絶壁に囲まれているため、ここが天然の要塞として山城を築くのにきわめて適していたことがわかります。高句麗の山城の建造技術は九州に伝えられたといいます。

999段という長い石段を約15分かけて登ると、城壁と城門跡が見えてきます。
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城門跡を抜けると、祭祀が執り行われた広場や朱蒙の建てた王宮や住居、兵営などの跡、水の湧き出す天池があります。
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展望台からは、満洲国時代に造られたダムによって人工湖となった桓龍湖が見えます。
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高句麗のシンボルは三足カラスです。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-24 08:47 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 03月 23日

2013年の春、中朝国境にある羅先(北朝鮮)にカジノが3つもできました

2012年6月に北朝鮮の羅先を訪ねたとき、香港資本で1999年に開業したエンペラーホテル&カジノを視察したのですが、現地の関係者の報告によると、2013年になって新たに2つのカジノが羅先にオープンしたようです。

エンペラーホテル&カジノ http://www.emperorgroup.com/page.php?p_id=238
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新たに登場したのは、今年1月に開業した羅津ホテルの前にできたカジノと、2月20日に開業した羅津港に停泊するクルーズ客船「皇星号」のカジノです。

羅津ホテルの前のカジノは江西省の中国人が経営しているそうです。また客船のカジノは宿泊も可能で、船籍はシンガポール。朝鮮人やマレーシア人、フィリピン人、カンボジア人、中国人などの船員やサービススタッフが働いているそうです。エンペラーホテル&カジノの場合、最低500ドルを両替しなければ中に入れませんが、これらの新しいカジノに入るには、そうした条件はないといいます。
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昨今の北朝鮮情勢からすると、およそ信じられないような話ですが、現地関係者によると、「カジノの開業と今の朝鮮情勢は関係ありません。どちらも昨年から準備されていたものです。羅津ホテル前のカジノも、建設に1年以上かけて今年1月13日に開業しました。客船のカジノも、1年ほど前から計画は聞かされていましたが、実際に入港してきたのは最近です。いずれも春からの観光シーズンに間に合わせることを目標にしていたのかもしれません」とのこと。

さらに、先鋒でもそうでしたが、羅津の市街地に現在、外国人観光客向けの大型商業施設が建設されています。ホテルやレストランが入るそうです。

いま北朝鮮は国際的な緊張の震源地となっていますが、これまでもそうだったように、同じ時期にまったく別の動きも起きているのです。こうして中朝国境の街では、中国の投資による開発が静かに進められています。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-23 13:43 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2013年 03月 23日

中朝第2の国境、圏河・元汀里は中国車がいっぱい

中国と北朝鮮は鴨緑江と図們江の2つの河川を国境としています。両国のイミグレーション(中国語で口岸)は、それぞれの上流域から下流域まで大小合わせてかなりの数があります。そのうち最大なのが、中国遼寧省丹東市(北朝鮮側は新義州)の口岸です。現在その次に規模が大きいのが、吉林省琿春市にある圏河口岸(北朝鮮側は元汀里)です。

圏河口岸は、北朝鮮側が経済特区の羅先で、最近橋も整備され、自家用車で簡単に入れることもあって、交通量が増えています。

まずは中国側のイミグレーションの風景から。車が列をなして並んでいます。大半は羅先経済特区内限定のマイカードライブ旅行の参加者の自家用車ですが、物流関係のトラックも見られます。イミグレーションの中には、小さな免税店があります。洋酒や中国ワイン、タバコなどが売られています。北朝鮮入国後、現地の関係者にいろいろ融通を利かせてもらうためには、土産を手渡すことは欠かせません。売られているものを見れば、彼らの好みがわかります。図們江に架かる圏河橋は、もともと1937年に架けられたものですが、2010年に整備されました。中朝両国間をつなぐ国際バスもあるようです。
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北朝鮮側の元汀里の税関の中はさすがに写真は撮れませんが、出国手続きをすませ、中国に戻る前に北朝鮮側から見た国境の橋を撮りました。北朝鮮に入国するのも出国するのも、ほぼ中国車です。
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中国側の圏河口岸に戻ると、構内に北東アジアの地図が貼られていました。琿春市を中心に400海里(約740km)の円を描くと、韓国、北朝鮮はほぼすっぽり収まるとともに、ロシア沿海州南部、中国遼寧省、吉林省のほぼ全域に加えて、日本の環日本海側の地域が入ります。この中で中国だけが海に面しておらず、自国の港を持っていません。中国が北朝鮮の羅津港の開発に投資しているのはそのためです。
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構内に、中国の都市部でよく見かける別荘地のジオラマが展示されていました。琿春のような最果ての地でもバブルな不動産投資が進められていることに、中国経済のあやうさを感じざるを得ません。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-23 13:15 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 03月 23日

国境の村から羅先の市街地へ(1930年代の満洲国の地方都市のような世界)

中国吉林省琿春市にある圏河口岸の国境ゲートを抜け、図們江に架かる圏河橋を渡ると、北朝鮮側の元汀里の出入国管理所があります。ここで入国手続きをすませると、バスに乗って羅先に向かいます。経済特区の羅先は、先鋒と羅津が合併してできた直轄都市です。

元汀里の出入国管理所から先鋒まで農村の1本道を走ります。この道路は中国が羅津港を利用するために投資して舗装工事を施したものです。道中、北朝鮮の農村の風景が続きます。
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約40分ほど走ると、先鋒の街並みが見えてきます。市街地に入ると、5、6階建ての団地がたくさん建っています。通りはほとんど舗装されていませんが、掃除が行き届いているというのか、ゴミひとつなく清潔な印象があります。中国の都市と比べると、それは際立って感じられます。もちろん、無駄なゴミの少ない清貧な社会だからかもしれませんが、団地のベランダの上にはたいてい花や植物の小鉢が置かれています。

これらの団地がいつ頃建てられたのかわかりませんが、先鋒の街の印象は、1980年代に日本で刊行された「望郷満洲」ものの写真集に出てくる1930年代の満洲国の地方都市の写真を思い出させます。駅からまっすぐ伸びた広い道にちらほらと建築が建ち始めている開拓途上の風景です。それは、延辺在住のある朝鮮族のビジネスマンが「羅先は80年前からほとんど変わっていません」と話してくれたように、1930年代から時間が停まってしまったかのような光景です。これは1980年代に中国東北地方の省都ではない地方都市を訪ねたときの印象とよく似ています。
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それでも、先鋒の中心部では外国人観光客のためのショッピングセンターが建設されていましたし、羅津に向かう道中、電話局や羅津ホテルといった1990年代以降に建てられたと思われる建築もわずかですが、ありました。
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羅津には先鋒に比べると発展した市街地がありました。中心部に旧羅津ヤマトホテル(南山旅館)があり、飲食店や商店が並ぶいくつかの通りが交差しています。広場には「先軍朝鮮の太陽、金正恩将軍万歳」「全党、全国、全民が農村を支援しよう」といったスローガンが掲げられた巨大なボードがありました。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-23 12:45 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)