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2014年 01月 21日

文革時の蛮行をザンゲする元紅衛兵たち

脱臭無菌化された「文革系雑貨」があふれる一方、最近中国では文革当時の蛮行をザンゲする年老いた元紅衛兵たちが現れています。

先日もたまたま北京にいてキオスクで手にした新京報に以下の記事が掲載されていました。

新京報 2014年1月13日
宋任穷之女向文革中受伤害师生道歉 数度落泪(←これは同記事が転載されたものです)
http://news.sohu.com/20140113/n393382704.shtml
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このニュースについては、産経新聞が以下のように報じています。

文革の元紅衛兵、相次ぎ謝罪 背景に習政権の毛路線模倣への懸念
2014年1月14日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140114/chn14011411420002-n1.htm

「1966年から76年に中国全土を席巻した文化大革命中に、教師や知識人らをつるし上げ、暴行を加えた紅衛兵による被害者への謝罪が昨年から急増している。中国メディアによると、著名な紅衛兵リーダーだった宋彬彬(そう・ひんひん)氏が12日、北京で文革を反省する会合を開き謝罪した。背景には、習近平政権が毛沢東を模倣した政治運動を展開していることを受け、文革再来への懸念が関係者の間で広がっている事情があるとみられる。

13日付の新京報などによると、宋彬彬氏ら元紅衛兵約20人は北京師範大学付属高校に集まり、文革中に紅衛兵の暴行を受けて死亡した同校の元副校長、卞仲耘(べん・ちゅううん)氏の銅像に黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)しざんげした。宋氏は涙ながらに「先生に永遠の追悼と謝罪を表したい」との内容の反省文を読み上げた。」

実は、昨年12月14日、専修大学で宋彬彬氏ら当時の紅衛兵による蛮行をテーマとしたドキュメンタリー映画『私が死んでも』(胡傑監督)が上映されています。同作品は、1966 年8 月に紅衛兵に殺害された、北京師範大学附属高校の党総書記で副校長だった卞仲耘の境遇を扱っており、彼女の夫へのインタビューと彼が当時撮った多数の写真を主たる素材としています。

この上映会は、昨年12月に開催された「中国インディペンデント映画祭2013」の関連企画として実施されたものです。

胡傑監督作品上映とトーク
日時 十二月十四日(土)
『私が死んでも』午後一時一五分~二時二五分
『林昭の魂を探して』二時三五分~四時三五分
胡傑監督トーク「中国現代史とドキュメンタリーの可能性」
会場 専修大学神田校舎一号館二〇二教室
主催①③ 専修大学土屋研究室 http://www.t3.rim.or.jp/~gorge/tsuchiya.html

『私が死んでも』は、文革当時に北京の女子高で起きた教師に対する恐るべき集団リンチ殺人の遺族とその周辺の人々の肉声でつづられた作品でした。なぜ当時の女子高生たちがこのような行為に及んだのか。いまの中国の都市に住む恵まれた階層の若者たちには理解を超えているかもしれません。

1か月ほど前にこの作品を観ていただけに、事件の首謀者たる当人がメディアに姿を現わし、ザンゲしたというニュースを知り、ぼくはかなり驚きました。胡傑監督によると、同作品は中国では一般公開はできませんが、知識人を中心にかなり広範囲にDVDとしてコピーされて広まっているそうです。今回の宋彬彬氏の行動も同作品の存在を抜きにしては語れません。

同作品の概要と胡傑監督のトークの内容については、後日紹介しようと思います。
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胡傑監督(2013年12月14日 専修大学にて)
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by sanyo-kansatu | 2014-01-21 10:07 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2014年 01月 20日

中国の文革系サブカル雑貨は日本の1970年風?

池袋にできた華人経営の「文革レストラン」の店内ディスプレイやポスター、標語の数々について以前、ぼくはこう書きました。

「これらに見られるように、「文革レストラン」に散りばめられた一見政治的かつノスタルジックな文化的意匠は、実のところ、当時への郷愁ではなく、むしろ2000年代の中国の都市部に多く現れた文化雑貨屋で売られていた他愛のない流行商品やキャラクターグッズのたぐいと変わらないものです。パロディーといっても、そこは用意周到毒抜きされています」(「池袋の「文革レストラン」再訪。紅衛兵コスプレ美女に会う」)。

では、ここでいう中国で商品化された「文革系カルチャー雑貨」とはどんなものでしょうか。

北京の人気観光スポットである南羅鼓巷と798芸術区にある文化雑貨屋で売られているものをいくつか並べてみましょう。そこは地方から北京に遊びに来たおのぼりさんでにぎわっているという感じのスポットです。2008年ごろから2014年1月くらいに撮ったものです。

南羅鼓巷
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g294212-d2008082-Reviews-Nanluogu_Lane-Beijing.html
798芸術区
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g294212-d1793347-Reviews-798_Art_Zone-Beijing.html
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これが池袋の「文革レストラン」で見られた文革時代のポスターや標語をパロディー化した雑貨群です。「80后」というのは、中国の1980年代生まれの世代を指します。彼らがこれらのサブカル雑貨のメインの消費者だったというわけですが、もはや本来の政治的な文脈は毒抜きされているので、パロディーとも呼べそうにありません。単なるファンシーグッズです。
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「毛沢東語録」も「愛情語録」に変換されているくらいです。借りているのは、図柄や意匠だけで、当時の陰惨な歴史の記憶はすっかり忘却されています。そう考えると、これらのファンシーグッズがいかにグロテスクな存在であるかを思い知らされるのですが、そんなことを彼らに言っても始まりません。
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なにしろ紅衛兵人形も「可愛的(かわいい)」キャラクター商品です。

ところで、これらの文革系サブカル雑貨は、1990年代の中国現代アート界を一斉風靡したポリティカルポップと呼ばれた作品群が原型となっているはずです。しかし、当時すでにそれらの作品の政治性は「虚勢」されてしまっているとも指摘されていました。中国の高度経済成長によって現出した消費社会が、これは日本でも同じだったのでしょうが、本来もっていたはずの批評性をなし崩し的に無為化してしまったからです。中国では、毛沢東グッズがみやげ物やお守りになる時代を迎えているのです。

そんなわけですから、ファンシーグッズと化した文革系雑貨について、いまさらあれこれ言っても始まりません。そこで、今度は文革がらみではないグッズも見てみましょうか。それは、いつぞやの日本を思い出す光景だったりします。
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これなど1970年代に流行った「幸福駅」の切符を思い起こさせます。
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中国の人気漫画キャラクターの脱力感あふれるコメント付き雑貨も定番です。
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学生たる者「よく食べ、よく飲み、好色(セクシー)であれ」
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若者の流行語を書き並べたパネル。「宅女」は、わかりますね。
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いまでもたまに見かけますが、数年前まで中国ではこんなマスクが流行ってました。2000年代らしいのどかな風景といっていいのかもしれません。でも、最近はPM2.5による大気汚染が深刻化している時代です。いつまで彼女たちがしゃれっ気や遊び心で日本の1970年代風ファンシーグッズの世界で戯れていられるのか。ちょっと気にならないではありません。

もしかしたら、2000年代というのは、中国の激動の現代史において民衆がつかの間のほっと息をつける安定した時代だったと、後世になっていわれるのかもしれません。
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by sanyo-kansatu | 2014-01-20 18:48 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2014年 01月 20日

靖国参拝は中国訪日客に影響を与えるか(ツアーバス路駐台数調査 2014年1月)

2014年の正月を迎え、このバス調査も3年目に突入しています。先日友人から「毎日調査するなんて大変ね」と言われたのですが、実はたいしたことではないんです。仕事場に通うのに必ず通る道すがら、信号待ちしながら路上駐車しているバスの台数を数えるだけのことですから。

とはいえ、たまに普段と違う客層が見られたり、何かの異変があったりしたときだけ、じっくりウォッチングすることにしています。訪日外国人旅行者と一口に言ってもいろいろ。最近は中国以外のいろんな国の人たちも現れるようになっているので、面白いのです。
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マスコミ報道によると、昨年秋ごろから「中国からの訪日旅行客が回復基調にある」(日本経済新聞2013年10月8日)といわれています。「東京や大阪の高級ホテルでは9月から利用状況が好転、中国人客が使うクレジットカード『銀聯カード』の日本での取り扱い額は過去最高を更新した」そうです。

もっとも、新宿に現れるバスの台数自体は尖閣問題が発生する直前の一昨年夏のピーク時に比べると、回復しているとは思えません。その理由として考えられるのは、「昨年9月の尖閣諸島の国有化以降、中国人の訪日客数は前年割れが続くが、富裕層を中心に持ち直しつつある」ことにありそうです。回復しているのは個人客が中心で、ツアーバスに乗ってやって来る団体客はまだというわけです。

ただし、最近では安部総理の靖国参拝が中国訪日客にどんな影響を与えるか、懸念されており、昨秋の状況とは少し空気が変わりつつあるとも聞きます。実際、今月上旬北京を訪ねた折、現地の旅行関係者にヒアリングしたところ、「(靖国の)影響がないとはいえない」とのこと。もっとも、それ以上に影響があるのは、中国政府による公務旅行に対する各機関への自粛通達だといいます。いわゆる習近平の「贅沢禁止令」です。

その一方で、大気汚染の中国から逃れたいという市民の思いを反映した「洗肺游」(肺を洗う旅行)や「逃脱PM2.5」(PM2.5からの脱出)などと謳われた海外旅行商品も販売されているそうですから、政府と民間の思いには相変わらず隔たりがあるようです。

さて、今月末にあたる旧正月(春節)に中国団体客は戻ってくるのでしょうか。今月もぼちぼちツアーバスはやって来ています。

※このカテゴリでは、2011年11月から始めた御苑大通り新宿5丁目付近におけるアジアインバウンドバスの路駐台数(≒中国客の動向)を記録しています。
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1日(水)未確認
2日(木)未確認
3日(金)未確認
4日(土)未確認
5日(日)未確認
6日(月)11:50 0台、17:50 1台
7日(火)18:20 1台
8日(水)12:40 2台 
9日(木)12:50 1台 18:00 2台
10日(金)未確認
11日(土)未確認
12日(日)未確認
13日(月)未確認
14日(火)12:30 1台
15日(水)未確認
16日(木)12:20 1台、18:20 2台
17日(金)12:40 1台、18:40 2台
18日(土)未確認
19日(日)未確認
20日(月)12:50 2台、19:20 3台
21日(火)12:10 3台
22日(水)12:40 1台、17:20 2台
23日(木)12:20 2台
24日(金)12:40 5台、18:40 5台
※来週は春節です。今日になってバスの台数が急に増えてきました。ここ連日、中国政府の報道官による対日批判が真っ盛りですが、中国客は日本を訪れているようです。昨年の春節のときとは少し様相が違っているように思われます。

中国の一般国民の皆さんからすれば、自国政府の自らを棚に上げた政敵批判の口汚さも空騒ぎも、もう慣れっこということなのかもしれません。

しかし、だからといって日本のメディアが訪日客の話題を盛り上げすぎると、かえって中国国内でのアンチキャンペーンに火をつけかねないので、そっとしておくほうがいいのではないでしょうか。中国の人たちもそれを望んでいるように思います。誰しも自分の好きなところへ海外旅行したいに決まっているのですから。そんなことをいちいち気にしなければならないなんて、おかしな話ですけど、中国の場合は仕方がないでしょう。

25日(土)未確認
26日(日)未確認
27日(月)12:50 3台、18:20 2台
28日(火)12:20 1台、18:00 1台
29日(水)12:30 3台、18:20 1台
30日(木)12:20 1台 、18:10 3台
31日(金)12:20 1台、18:10 6台
※今日は春節(中国の旧正月)です。お昼時はバスの数は多くはありませんでしたが、夕刻になると久しぶりに多くのバスが現れ、例の中国客専用食堂「林園」に入っていく姿が見られました。

では、今年の春節の中国客の海外旅行の全般的な動向はどうなのでしょうか。以下、最近のネットから挙げてみました。

靖国問題で訪日客激減も、日本観光の満足度は高水準
http://news.searchina.net/id/1521521
こんな記事がありました。中国メディアとしては、訪日客に靖国参拝の影響があると指摘するのはお約束でしょう。

春節客 めんそ~れ~ 国際線好調、ホテルも装飾(琉球新報)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140131-00000008-ryu-oki
それでも、沖縄への中国客はかなり増えているようです。昨年から話のあった中国LCCの吉祥航空の上海・那覇線が今日(1月31日)から就航するそうです。では、日本の本土への中国客は? 来月のJNTOの報告を待つことにしましょう。

JNTO外客動向プレスリリース(2014.1.17)
http://www.jnto.go.jp/jpn/news/data_info_listing/pdf/pdf/140117_monthly.pdf
ところで、こちらは先日JNTOから発表された2013年度の訪日外客動向です。公開しているすべての国の訪日客数が前年度比で大幅な伸びを見せている中、唯一中国だけが-7.8%と減らしています。政治がこれほど鮮明に数字に出るマーケットというのは、やはり中国だけですね。

なお昨年まで大量の中国客が押し寄せていた韓国やタイへの渡航に減少傾向が見られるそうです。

韓国を訪れる中国人客が減少、中国の新旅行法でツアー商品数も半減
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140129-00000043-scn-cn

タイ情勢、観光業に打撃、旧正月連休控えた中国人からキャンセル相次ぐ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140129-00000038-rcdc-cn&pos=4
特にタイの場合は、新旅行法と政情不安のダブルパンチが効いているようです。昨年夏タイを訪ねたときは、バンコクやチェンマイにあふれていた中国人観光客の姿がめっきり消えたそうです。
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by sanyo-kansatu | 2014-01-20 17:47 | 定点観測ツアーバス調査 | Comments(0)
2014年 01月 04日

朝鮮半島の迷走ぶりを暗示する半世紀前の記録――金達寿『朝鮮-民族・歴史・文化-』を読む

ある年長の朝鮮通の友人のすすめで、金達寿の『朝鮮-民族・歴史・文化-』(岩波新書)を読みました。

同書の初版は1958年9月ですから、いまから50年以上前に書かれた本ですが、実に面白いです。当時ひとりの「在日朝鮮人作家」によって書かれた日本人に対する朝鮮理解を目的とした書(反面、韓国に対する手厳しい糾弾の書でもある)が、半世紀後の朝鮮半島で起きている不可解な出来事を理解するいくつもの手がかりを与えてくれるからです。
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同書の構成はきわめてシンプルです。

Ⅰ 民族
Ⅱ 歴史
Ⅲ 植民地化と独立
Ⅳ 文化
Ⅴ 今日の朝鮮

以下、同書の記述に沿って、なるほどと思ったこと、気になったことなどを書き出します。

Ⅰ 民族

この章では、まず「日本との関係」(いわゆる「日朝同祖論」的な話です。当時の日本の思想状況とも関連しているのでしょう)に軽く触れ、朝鮮半島特有の「姓氏と族譜」について解説します。そして次に、朝鮮半島の地誌を紹介し、その独特の風土の中でどんな風俗習慣や階級制度が生まれたか。その中核をなす儒教的価値観の支配についてこう説明します。

「(日本に比べ)いっそう儒教・朱子学の教えにしたがってガンジガラメにされ、それが徹底したかたちで様式化しているということである。しかもそれが農村にまで深く浸透している」。

さらに、こんな興味深い点も指摘しています。

「旧日本支配時代は、私たちもそれを意識的にできるだけゲンシュクにとりおこなったものである。それによって、一つの、ある抵抗感をかんじることができたからである。どうやら、植民地になることによって、これはいっそう温存され助長されたふしがある」。

なるほど、そういうことだったのか。つまり、日韓併合によって儒教的価値観がかえって朝鮮半島で温存されたというのです。さらに、面白いのはその続きです。

「しかし、私は考えないではいられなかった。『これでは、朝鮮がホロびたのもムリはない』と」。

そして、「儒教・朱子学によってみがきをかけられ、固定化された」階級制度が日韓併合によって崩壊したはずだったのに、新しい支配者は統治のためにそれを利用したと指摘しています。しかし、それ以上に残念なのは、「抵抗というものをはきちがえた私たち自身もこれを温存し、助長した」ことだと吐露します。

こういう著者ですから、李朝時代の地方官吏の家柄でありながら、のちに没落し、戦前に労働者として日本に渡り、早死にした自分の父についても「いわゆる日韓併合という谷間に生きた人間の悲劇と言ってしまえばそれまでのようなものであるかも知れないが、しかし、そうとばかりはいってしまえないものがそこにはある」ときっぱり書くのです。

この書きぶりに、今日の朝鮮半島の人たちの「悪いのはすべて日本」と決めつける独善ぶりからは想像できない透徹した認識が感じられます。そして、こう明快に「儒教決別」宣言をするのです。

「だが、こんどこそは、こういう(儒教的)人間タイプは急速に崩壊しつつある。何しろその儒教の本家本元である中国がああいうしだいであるから崩壊せざるをえないが、そしてこればかりは、きれいさっぱり崩壊して少しも惜しくない」。

加えて、1950年代らしい政治認識を背景として、北では「その風俗も急速に改変されていることはいうまでもない。だが一方(南朝鮮)では、まだそれが濃厚にのこっていることも否定することはできない」としめるのです。

Ⅱ 歴史

この章では、古代から李氏朝鮮までの歴史が概説されます。冒頭に語られるのが、次の一文です。

「 朝鮮の歴史のながれをひと口でいうとすれば、それは一貫して、外圧と抵抗とのそれであるということができると思う」。

なにはともあれ、この点ばかりは、朝鮮半島の人たちに同情を禁じ得ません。

「わが朝鮮のように、終始一貫、その生れでるときからして戦争という外圧にさらされてきたものはないであろう。しかもそれは、今日になおつづいている――」。

こう書かれてしまうと、こちらも黙りこむほかありません。もっとも、最近の彼らを見ている限り、それだけ言って毅然としていればよかったのに、なにやらことを大げさに荒立て始めたことで逆効果を生んでいるのでは、と思わざるを得ませんけれど。

さて、以下、時代に沿って気になる指摘を挙げていきましょう。

「当時(古代)の『朝鮮』は、現在の中国東北・満州にまたがっていた」(「朝鮮人の先祖」)という指摘。これは今日もなお中国との歴史論争につながる認識です。

次に、「この時期(三国時代)がまた、朝鮮にとってはもっとも奔放闊達な時代」(「三国時代」)という指摘。その理由をこう述べています。

「北方に早くから漢文明の洗礼をうけてしかも戦争慣れした高句麗があり、中南部にはおなじ扶余・高句麗族がそれの中心であるとはいえ、何とはなしに文化的なにおいのする百済、かとみればどちらかというと土着的発展のうえに立っているとみられる新羅があるという工合いで、彼らは相互に力をつくし、シノギを削ってたたかった」。

ここでいう「戦争慣れした」高句麗、「文化的」な百済、「土着的」な新羅という古代国家のそれぞれの地域像の違いに注目したいと思います。

一方、「百済は、南北朝の時代に入っていた中国の権威をたよったり、となりの新羅と同盟したり、また縁故の深い日本にも援助をもとめたりしたが、しかしとうてい巨大な高句麗には抗しきれず」(「高句麗・百済・新羅」)とも書いています。これなど、中朝関係や日中関係が悪化しているなか、中国に近づこうとしている近年の韓国の姿と百済がダブって見えてしまうのが面白いところです。

朝鮮の歴史において著者が重んじるのは、農民による反抗・叛乱です。

それは「農民がなぜ暴動をおこすかということについてはいうまでもなく、このような封建体制のもとにあっては、それは時期さえくればいつでもおこりうるものなのである」(「統一新羅」)。「私はここで白状するが、私がもしこの自民族の歴史について少しでも誇りをもっているとすれば、それは一〇数万面の大蔵経の彫板でもなければ、また世界さいしょの活字の発明といったものでもない。それは、実に、この奴婢・奴隷といった最下層民によって絶えることなくくりかえされた反抗・叛乱である。これこそは、この民族の質の核をなすものである」(「高麗王朝」)という主張に表れています。

では、朝鮮の「封建体制」というのはどのようなものだったのでしょうか。

「(蒙古襲来に際して高麗王朝の王侯貴族連中は)あいかわらず立派な宮殿や邸宅をつくって本土人民の苦闘をよそに豪奢な生活をつづけ、ただ、することといえばひたすら『国難をはらいたまえ』と仏に祈るばかりであったが、一向にキキメはない。やがて狭い島のなかで武臣と文臣との対立抗争が激化し、一二五八年崔竩が文臣の金俊によって殺されることで、崔氏四代の専権がたおれた」(「高麗王朝」)というようなものです。なんだかいまの北朝鮮のようにも思えてきますね。

朝鮮史の中で、最もマイナスの評価がなされているのが李朝時代です。この時代、「儒教・朱子学を、それまでの仏教とかえて国教とした」ためのようです。「以後、これによって近世の朝鮮は大きく特徴づけられた」といいます。どうなったというのか。

「儒教は、ただ封建政治体制の具であったばかりでなく、ひろく社会生活全般を支配する原理であり、強化の具でもあったからたまらない。停滞的といわれたアジア全体をみわたしても、もっともひどいと思われる家父長的名文主義、尚古的事大主義、繁文縟礼のみの形式主義等々、それはみなこの李朝時代に入って強じんな内容をあたえられたのである」(「李氏朝鮮」)。

それだけではありません。

「李朝時代に入って、実に朝鮮的ともいってよい悪習が成立したことである。それは、偏狭な差別の慣行である」。しかも「朝鮮には儒教・朱子学によってつらぬかれたそれ(階級的差別)のほかに、地方差ということまでがつけ加わって暴威をふるった」(「李氏朝鮮」)。

だとすれば、冒頭で述べたように、李朝時代に人々をガンジガラメにした儒教・朱子学に対する著者の拒絶感がこれほどに強いのも当然でしょう。「これ(儒教)ばかりは、きれいさっぱり崩壊して少しも惜しくない」と書くほどですから。

さらに、朝鮮民族の悪習に対する批判は続きます。たとえば「李朝名物の党争」。そのため結束力がないことです。

「(秀吉の朝鮮出兵に際して)日本軍の征服がこのように成功したのは、日軍が朝鮮の不意をおそい、朝鮮の政府が党争のために結束がなく、防衛が不統一・不充分であったためである」「李朝の政治、――代々にわたった彼らの党争がいかに民心を離れていたかは、宣祖が京城をでるときの一事をみてもわかる」(「続・李氏朝鮮」)。

Ⅲ 植民地化と独立

状況は近代に入っても変わりません。日清戦争後の朝鮮についてこう書いています。

「朝鮮政府はいまはもうまったくその自主性を失い、これら日露のなすがままになっていたが、そんなふうでありながら、彼らはまた何のつもりであったのか、一八九七年国号を『大韓』と改め、国王を大韓光武帝と称した。何が大韓だといいたくなるが、それがいまや滅亡を前にして、こういう偏狭なセクト性と大看板をもちだすということは一考に値する」(改革と協約)。

滅亡寸前にもかかわらず、「偏狭なセクト性と大看板を持ち出す」愚を露呈した李朝に対して、著者がきわめて辛辣かつ「一考に値する」といったある種の余裕を感じさせる表現を採っているところが面白いです。 こう続きます。

「もともと、韓などということばをひっぱりだすからには、それは南方のいわゆる三韓・韓族というセクト的意識が働いたことは疑いない。いまこそ偏執的な地方的差別をもすてて全民族が一致してことにあたらなければならないというときに、これ自身、それは滅亡の象徴でもあった。まさに、韓国は滅びつつあった」(「改革と協約」)。同書はこうした南へのあてつけのような指摘が頻出するのが特徴です。

その後は、日韓併合時代の朝鮮民族の独立運動に関する(今日彼らが好むアジテーションと比べても)比較的穏健かつ公平と思われる記述が続き、最後に「全朝鮮人の希望の星」としての金日成率いる抗日パルチザンを称揚する内容でしめくくられます。

なるほどこうしてみると、同書の歴史認識は、この結末に至るために書かれたことがわかります。

それを知ってがっかりするかどうかはさておき、興味深いのは、当時著者はどうしてここまで率直に自民族の批判を展開できたのか、です。自らのことは棚に上げ、他者を批判することに熱心な、いまの朝鮮半島の人たちを見ていると、ちょっと不思議な気すらしてきます。

おそらくそこには建国されたばかりの新国家の未来が信じられた1950年代という幸福な時代背景があるのでしょう。加えて、著者の金達寿さんが母国を離れて外国である日本に住んでいたことから、たびたび指摘される朝鮮の「悪習」やその後の母国の現実から一定の距離を置いていられたからではないでしょうか。

なにしろ1950年代後半というのは、著者の信奉する北の優位性が強く信じられていた時代でした。南はともかく、少なくとも北ではかつての「悪習」を一掃できたと思うことができたのかもしれない。だからこそ、ある種“上から目線”で、南の実情をわが身と切り離して冷徹に叩きのめすことができたのではないかと思います。

Ⅳ 文化

朝鮮の文化についての解説はコンパクトでわかりやすいものとなっています。

そこでは、朝鮮文化の代表として、高句麗壁画や朝鮮青磁などが挙げられています。なかでも、朝鮮青磁について「吸い寄せられるような弾力のある肌触り」という名言を残しており、ちょっとうならせます。

また、「東洋的観念論的な朱子学にもとづく空理空論」が跋扈した李朝にも、科学の発展した時代があったという指摘や、朝鮮文学の歴史に外来思想としての漢文学との一貫した闘争があったことなど、興味深いものです。

Ⅴ 今日の朝鮮

ここでいう「今日」とは、朝鮮戦争が休戦し、朝鮮半島が南北に分断された直後のことです。

「日本帝国主義の敗退によって朝鮮は解放された。だが、それにもかかわらず、朝鮮民族の前にはまたあらたな困苦と困難とが立ちふさがっていた。そして、それは、いまもなおつづいているのである」(「二つの朝鮮」)。

著者はここでふたつの面白い指摘をしています。

まず、誰が南北統一を叫んでいるのか。それについて「元来、統一運動は独立運動の延長であり、かつての独立運動が戦後に発展転化して統一運動になった。したがって統一運動が従来の民族運動の伝統――革命的性格をもったのは当然である。三・一事件の敗北以後、民族運動の主流が左翼的勢力であった」という日本の東洋学者の旗田巍の文章を引用しながら、朝鮮半島で統一運動に積極的なのは、北および南の左翼勢力だと説明していることです。

これを読んで気になるのは、「386世代」と呼ばれた韓国の学生運動世代が社会の重要ポストに就き始めたいま、彼らが1980年代に唱えた「北寄り」の思想が現在の韓国社会に影響を与えていることと、昨今の「反日」の機運の盛り上がりが無縁ではないのでは、と思われることです。

もうひとつが、「南鮮内部の統一運動を抑え、北鮮からの呼びかけを拒否しつづけた」「反共を旗幟とする南鮮政府」の主体として、アメリカや李承晩以外に、旧日本軍将校や旧総督府警官がいたことを弾劾する指摘です。これも近年韓国で制定された親日反民族特別法などにつながる認識といえないでしょうか。

それにしても、半世紀のタイムラグをへて韓国で顕現化してきた「反日」的な衝動を我々はどう見なせばいいのでしょう。彼らはいったいどこに向かおうとしているのか。

さて、本書はこうしめくくられています。

「明るい朝鮮(北)と暗い朝鮮(南)――。しかしながら、近い将来、それは必ず明るい一つの朝鮮に統一されるであろう」。

刊行後、何十刷もされるほど長く読み継がれた同書は、日本の左派に限らず、広く大衆的な朝鮮理解の基本認識を支えたものと思われます。儒教的価値観の支配が根強かった朝鮮半島での階級闘争の思想が独立運動、そして統一運動へと結びついたことへの共感は、戦後日本においてもある時期まで、それなりの説得力をもっていたのでしょう。同書が書かれてから50年以上もたつ2014年のいま、これを信じた当時の人たちは何を考えているのでしょうか。

朝鮮半島の歴史に見られる数々の問題について、いまの韓国メディアなどと比べても、容赦なく批判的に書かれている同書から学べることがこれほど多いことには新鮮な驚きがありました。朝鮮半島の迷走ぶりを暗示する半世紀前の記録として、いまあらためて読み直すことができるように思いました。
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by sanyo-kansatu | 2014-01-04 17:46 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)