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2014年 02月 23日

大正期にスイスから学んだ観光宣伝のさまざまな手法

前回、ジャパン・ツーリスト・ビューロー幹事の生野圑六による1912年夏のヨーロッパ視察が、ニッポンのインバウンドにとって記念碑的な意味を持ったことを書きましたが、今回は彼のスイス視察の報告を紹介します。

ツーリスト2号(1913年8月)「欧州各国に於ける外客誘致に関する施設(続き)」では、当時から観光立国として知られたスイスについてこう高く評価しています。

「瑞西と云へば、三才の童子と雖もよく知って居る通り、景色が佳く、欧州の中心に位置して交通の便も善く、登山鉄道、遊覧船、其他各種の設備整ひ、『ホテル』は到る處に経営されて居るといふ有様で、人民は少なくとも二ヶ国の欧州語を語り、其質朴親切で、物価は比較的低廉で、夏時は清涼にして三丈の暑を忘るるに足り、冬期は寒冷ではありますが、近年『ウィンター、スポーツ』の設備をなして、客を呼んで居る。斯く総ての方面より視て、此国は遊覧地たるに適して居る」。

スイスには外客誘致のための以下の3つの観光宣伝の専門機関があると生野は指摘します。

①スイス政府鉄道
②ホテル協会
③デペロップメント・ソサエティ

以下、それぞれの機関の業務や活動について整理します。

①スイス政府鉄道

スイス政府鉄道には「パブリシティ・ビューロー」という独立した旅行奨励宣伝機関があり、「毎年約拾弐萬乃至五萬圓の費用を投じている」。

業務内容は、以下のとおり。

a.外国における出張代理所の監督(ベルリン、パリ、ロンドン、ニューヨークの4カ所。繁華街に人目を惹くスイスの絵画や写真、印刷物を陳列する。新聞、雑誌にスイスの旅行ニュースの配信を行う)

b.各種広告物の出版(各種スイス旅行宣伝雑誌の出版、旅行地図の製作。これらは英仏独伊語で2~3万部発行。外国出張所、汽船会社、鉄道会社、旅行関連業者などに配布)

c.外国新聞雑誌の広告(英独のでは日刊紙、グラビア雑誌など。「日刊新聞には時として瑞西に関するアーチクルを載せることもありますが、又時として小さいスイスの風景写真を載せて、其下に記事を載せることもあり、絵入雑誌には風景等の写真を頁大に挿入する」

d.海外向けスイスの気象報告

e.外国博覧会への参加

②ホテル協会

ホテル協会は、「パブリシティ・ビューロー」が発行する宣伝媒体や外国出張所に多大な寄付を行い、サポートしている。また各地にホテル組合があり、独自で機関雑誌を発行。バーゼルのホテル協会では、海外向けの宣伝活動を行う。毎年、ホテルリストを発行。各ホテルの客室数、料金、食事代、交通の利便、暖房設備などを記載した冊子10万部を発行し、海外に配布。ローザンヌのホテルスクールでは、ホテル業者の子弟に対して外国語や経理、料理、飲料、給仕、管理などを教授し、ホテル従業員を養成している。

③デペロップメント・ソサエティ


これは日本のツーリスト・ビューローのような会員組織で、会員としては全国の「州、市、銀行、交通業者、ホテル業者、商工業組合、其他雑貨、絹、時計、写真、美術品、菓子食料品等各種の商店等、殆ど其地の主なる団体個人を網羅」している。会費は「10フラン以上」で、各地の繁華街にインフォメーション・ビューロー(観光案内所)を設置し、「其處に二三の事務員が居て、旅行に関する各種の報道は勿論、其他のホテル、商店、素人下宿、商工業上のこと迄も、無料にて質問に応じ、店の窓には必ず人の目を惹くべき時々の写真印刷物等を飾り、室内には市内案内所、附近鉄道お汽船ホテルの案内記は申す迄も無く、国内各地の同業者の印刷物を無数に竝べてありまして、随意に與へるやうになっております。又場所によりて各国のダイレクトリー、新聞、雑誌、タイムテーブル等をも備へております」)

これを読む限り、当時からスイスでは外客誘致のために政府をはじめとしたツーリスト事業者たちがいかに協力して広報宣伝の推進と外客受入態勢の整備に努めていたかよくわかります。

こうしたインバウンドの最前線の姿を目撃した生野は大いに刺激を受けたことでしょう。その一方、スイスのホテル関係者の話として次のようなことも述べています。

「尚談話中にこの人は私に向て、漫遊外客を誘致するために広告其他各種の手段を採ることは必要ではあるが、来遊せる外客を満足して帰国せしむることは最大切である。(中略)ホテルは外客にとりて旅行中の吾家である。一日見聞の愉快を追想のも、旅の疲労を静に慰するのも、皆ホテル内のことである。さればホテルの待遇にして十分ならざる以上は、到底外客を満足せしむることは出来ぬ、最重大なる責任を有する者はホテルであると申しておりました。これは大に理由のあることと存じました」。

さらに、同報告の中には、スイスの周辺国との外客誘致の競争がきわめて激しいことも触れられています。ヨーロッパ各国との外客誘致競争に対抗するために、あるスイスの関係者は以下の取り組みを始めようとしていることを紹介しています。

「政府の一省中に外客奨励中央局の設立を以て焦眉の急務なりと述べ、更に其組織に言及し、最後に其事業として旅客交通に関して発布されたる法令規則の統一、新法令の発布をなし、外客交通上の保護を計ること、旅客交通が経済貿易上に及ぼす影響の研究、各種遊覧遊戯的設備の完成、遊戯的大会の開催、外国博覧会への参加、在外案内所の完成、国際的自動車旅行の研究、特に海外に於いて瑞西国内各種の機関が箇々別々の動作をなし、廣告紹介などを行ひつつあるものを統一し、更に有効なる手段を採ると同時に、冗費を除くこと等を述べております」。

ここには、今日の問題多き日本の外客誘致の現状からみても耳の痛い指摘がいくつもあります。たとえば、外客誘致のための法令(制度設計)の不備や、「海外に於いて瑞西国内各種の機関が箇々別々の動作をなし、廣告紹介などを行ひつつあるものを統一し、更に有効なる手段を採ると同時に、冗費を除くこと」などという指摘がそうです。

100年前のスイスでは、今日の日本がいまだに克服できていない(それ以前に、問題として広く認識されているかすらあやしい)数々の問題点が、すでに指摘されていたことにあらためて驚きます。その一方で、大正時代に一から外客誘致を学ぼうとした日本の先人の心意気を思うと、殊勝な気持ちになるものです。その尽力や知見を断絶することなく、きちんと受け継いでいく必要があると思います。
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by sanyo-kansatu | 2014-02-23 16:56 | 歴史から学ぶインバウンド | Comments(0)
2014年 02月 23日

100年前、日本は欧州から外客誘致のイロハをこうして学んだ

1912(明治45)年、日本はジャパン・ツーリスト・ビューローを創立し、国家として外客誘致を企図するのですが、当時の日本には西欧の国々から訪れる外国人を心地よく受け入れるためのインフラが、ハード、ソフトの両面でほとんど整備されていませんでした。

そのため、ツーリスト誌においても、外客誘致のために何が必要なのかについて啓蒙するため、西洋諸国をはじめ海外の事情の紹介に努めています。とりわけ創刊号から10号くらいにかけては毎回、外客誘致のための広報機関や宣伝方法、案内所の運営、ツーリスト業者の組合組織のあり方などが提言されています。

それらの海外レポートの多くを執筆しているのは、ジャパン・ツーリスト・ビューロー幹事の生野圑六です。生野は鉄道省の役人で、のちに京浜電気鉄道社長になる人物ですが、1912年夏、ヨーロッパ諸国を視察し、各国の外客誘致の現状について報告しています。彼は日本のインバウンド黎明期に最も積極的に啓蒙活動に取り組んだ論客といえそうです。
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以下、ツーリスト創刊号(1913年6月)「欧州各国に於ける外客誘致に関する施設」という生野の報告を紹介します。これを読むと、今日日本では当たり前になっている外客誘致のための施設や諸施策の導入に向けた取り組みが100年前にようやく始まろうとしていたことがわかります。ニッポンのインバウンドはこの時期、ヨーロッパをモデルに一から形成されていったことが生々しく伝わってきます。

生田圑六がシベリア鉄道経由でヨーロッパ視察に出かけたのは、1912年6月末から9月末にかけてです。ベルリンで開催された国際旅客交通会議に出席するためでした。その目的について、彼はこう記しています。

「欧州に於ける一般鉄道の視察旁々、漫遊外客誘致待遇に関する機関、組織、方法の研究、玆に現場における実況を視察致しましたのでありますが、可也廣くと思ひまして、各国に旅行して、漫遊客の集合するところを出来る丈見物しました。七月上旬には、丁度ストックホルムにオリンピック、ゲームが開会されるので、世界各国の人々が集合して、混雑致すところを見るのには、何よりの好機会と思ひまして、其地に出掛けました」。

その年のオリンピックには日本人選手はわずか2名しか参加していなかったそうですが、オリンピック開催都市となったストックホルムについて彼はこう書いています。

「兎に角、数万人の外国人が入り込んでいるに関はらず、市内秩序整然としているのには感心しました。特にホテル、商店、其他外人が接するのは、待遇上大に注意を払っておりました。日本などではかかる場合、動もすれば目前の利益のみを事として、永遠の利害を打算せず、暴利を貪ると云ふやうなことがあるやうでありますが、之は大に注意しなければならぬことと思ひます」。

生野はそのときスウェーデンのツーリスト・ビューロー本部を訪問し、「スカンジナビア半島では、夏季には外客を誘致することに大に力めて居ることを承知」したといいます。また、コペンハーゲンのチボリパークを訪ね、そこには「各種の音楽、遊戯、カフェ、レストラン等が多数ありまして、夕刻より夜半まで、非常に賑はつて」いること、「概して欧米人は夕食後散歩するとか、音楽を聴くとか、芝居を見るとか云ふような習慣があるので、欧米の遊覧地、海水浴場、其他のリゾートには必ずさう云ふものがあり、又一方にはローンテニス、ゴルフ、其他遊戯、運動の設備」があり、「此點は今後日本でも相当に考慮を要することと思ひます」と述べています。帰国後、彼はツーリスト誌上において、外客誘致のため、日本に西洋的な遊覧地を開発するよう呼びかけますが、このときの見聞がベースになっているものと考えられます。

その後、彼はいったんベルリンに戻り、7月下旬から約1か月間をかけてウィーン、ブダペスト、インスブルック、ベニス、フィレンツェ、ローマ、ポンペイ、そこで折り返してスイスに向かってしばらく滞在し、ニース、モンテカルロ、リオン、パリ、ロンドン、そして再びベルリンに戻り、シベリア鉄道で帰途についています。これはまさに20世紀初頭のヨーロッパに誕生しつつあったモダンツーリズムの最前線をくまなく訪ね歩いたという意味で、ニッポンのインバウンドの歴史にとって記念碑的な出来事といえるでしょう。

この視察で、生野は多くのことに「驚き」「感心」しています。以下、書き出してみます。

・当時のスイスはすでに外客受入態勢が完備していたこと。

「瑞西は何度参りましても實に心地善い處であります。外客に対する遊覧設備の完備せること、案内上の用意の行届いていること、廣告印刷物等の豊富なること、山水風光明媚なると共に、隅々まで清潔なること、停車場などに長さ数間の大写真などが掲げてあること、ホテルの空室の有無を停車場内に掲示する設備などもあること」。

・フランスのエビアンからニースまでモンブラン山脈付近を横断する約700㎞の自動車専用道路が作られていたこと。

「近時欧米に於ける自動車の発達は非常なもので、従て自動車で自国内のみならず、外国に旅行に出掛ける者は甚だ多いのであります。此道路の如きもツーリストを招致するのが目的であります。鉄道会社も夏期は乗合自動車を運転して、一定の賃金を以て旅客の需に応じております。吾国に於いても将来或地方には、自動車道路を設けることなども一の問題であろうと思ひます」。

日本では戦後を待たなくてはならなかった本格的なモータリゼーションによる観光市場の促進が、ヨーロッパではすでに戦前期から始まっていたことがわかります。

・パリには観光客を惹きつけるハードのインフラが充実していたこと。

「巴里には其近郊に風光明媚なる處や、名所旧蹟が沢山ありますが、外客を惹付けるには寧ろ人工的設備、或は人為的方法が興つて力あることと思ひます。即美術博物館の完備せる、公園の大規模なる、市内交通機関の便利なる、市街の美観を保つが為に用意周到なる、皆之であります。暇令ば、公設建造物、廣場、凱旋門、スタチュー、橋梁等一として美術的ならざるはなく、電柱などは一本もなく、電車も高架式は許されて居ません。ホテルの設備は完全にして、而も比較的低廉である。劇場には国立竝に準国立とも称すべきものも四ヶ所を始め、多数あり、名優少なからず、他の諸国に於いては夏時は大劇場は休業する例なるに、巴里は無休で、料理や葡萄酒は廉価にして、而も美味である。尚巴里人はコスモポリタンで、外国人を外国人扱ひせず、吾々の如き異人種でも、白人同様に扱ふ等、其他外国人の為に特に利便を計っていることは、列挙すれば沢山あることと思ひます。之等のことは必ずしも吾国に於いて総て模倣すべきでもないが、又中には大に学ぶべきことがあると思ひます」。

ほとんど手放しの称賛ぶりですが、これが100年前の日本人の正直な実感だったと思われます。

・ヨーロッパでは新聞広告による外客誘致が広く行われていたこと。

「(ヨーロッパ各地で発行される英国のデーリーメール新聞は)英米人の大陸旅行者に中々よく読まるるのでありますが、此新聞社は倫敦竝に巴里の中心に、立派なる案内所を持っておりまして、欧州のみならず世界各国の鉄道、汽船、ツーリスト・ビューロー、ホテル等は固より、静養地、遊覧地、シーズン、遊覧設備、自動車旅行、飛行、学校、貸家、貸別荘等に関する報告を與ふること」。

外客誘致のために、宣伝媒体(メディア)がいかに効果的であるかを生野は知ったのでした。

生野はこうして外客誘致のためのハード面、ソフト面でのインフラ整備やメディア活用のイロハを学んで帰国するのですが、一点のみ、イタリアでの「不快な」体験を反面教師的にこう指摘しています。

「伊太利では一方に流石美術国のこととて、絵画と云はず、彫刻と云はず、建築と云はず、其立派にして豊富なることに驚きましたが、一方には軽微なること乍ら、随分不快なる念を與へられたことがありました。夫は下級鉄道員の吾々に対する態度、行為、或は寺院其他にて付き纏ふ案内者のうるさきこと、馬車の御者の不正直なること等でありましたが、夫に付けて思ひ浮んだのは、我日本の現在漫遊外人に対する関係であります。直接外人に接するものの中には、随分不正直、不親切なるものがあるやう耳にします。是等は日本に於いてツーリストが風景其他より折角得た美威を傷けることがありはせぬか、是に対して吾がツーリスト、ビューローとしても大に注意して、相当の方法を講じなければなりませぬ」。

当時日本ではこういうことが多々あったろうと思います。なにしろ、ときは激動の明治がようやく終わったばかりで、訪日外客数は年間わずか2万人。日露戦争になんとか勝利したものの、まだまだ日本は貧しく、生野の啓蒙する中身が実現できるまでには、相当な時間が必要と考えられていたはずです。

さらにいうと、彼が訪れたわずか2年後、あれほど先進的で華やかに見えたヨーロッパが第一次大戦の戦火に包まれたという事実は、国際観光の歴史を考えるうえで無視できないことです。生野は、のちに「時局と外客誘致策」その他の論説で、当時の国際情勢とインバウンドの関係についてさまざまな提言をしていますが、それはあとで紹介します。

※「歴史から学ぶインバウンド」参照。http://inbound.exblog.jp/i38

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by sanyo-kansatu | 2014-02-23 16:36 | 歴史から学ぶインバウンド | Comments(0)
2014年 02月 21日

100年前の夏、外国人は日本のどこに滞在していたのか?

いまから100年前の大正2(1913)年の訪日外客数は約2万人でしたが、彼らは日本のどこを訪ね、滞在を楽しんでいたのでしょうか。

当時は国内を数日間で移動できるような鉄道網や自動車道は発達してなかったため、今日のような東京・大阪5泊6日コースのような短期間の周遊旅行はありえませんでした。そのため、多くの外国人客は東京や京都といった大都市以外は、国内各地の温泉地や避暑地、また鎌倉や日光、宮島など主要な観光地の周辺に生まれつつあった外国人経営の洋式ホテルや温泉旅館に滞在していたようです。移動型ではなく、滞在型の旅行形態が一般的だったと思われます。

ツーリスト3号(1913年10月)では、この年の7、8月「避暑地、温泉及び都会等に滞在せる外人旅客数」を国籍別に調査しています。同調査に挙げられた滞在地は以下のとおりです。

東京、横浜、鎌倉、熱海、伊東、修善寺、京都、神戸、宝塚、有馬、宮島、道後、別府、長崎、小浜、温泉(雲仙)、伊香保、草津、日光、中宮祠、湯本、鹽原(塩原)、松島、大沼公園、登別温泉
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なかでも外客数のトップは、日光6256人。次いで鎌倉3368人、京都3008人、東京1738人、中宮祠1593人、横浜1127人、湯本1067人、小浜1039人、神戸878人、雲仙765人と続きます。

調査の結果、この年の7、8月中に日本に滞在していた外国人客数は、24736人でした。国籍別にみると、トップが英国人9225人、次いで米国5992人、支那3001人、ドイツ2866人、フランス1440人、ロシア1044人と続きます。

ただし、この調査において「唯外人滞在数最も多き箱根及び軽井沢の調査未だ判明せざるは、甚だ遺憾とする所也」とあり、これが国内のすべての外国人客を捉えきれていないことも正直に明かされています。

その理由として「されど此種の調査は、事頗る煩累を極め、絶対に正確を期せんこと容易に非ざるべく、殊に外人経営のホテルには宿帳を其筋に提出せざるものもあるとのことなれば、愈々其困難なるを察するに足ると共に、詳細なる回答を送られた警察署に対しては玆に感謝の意を表す」とあるように、当時は外国人経営のホテルも多く、調査が難しかったことがうかがえます。

それをふまえたうえで、同誌は当時の外国人の日本の滞在状況について、こう書いています。

「外人旅客頗る多数なるものの如しと雖も、其大部分は従来より滞在せる外人にして、実際漫遊外客は一小部分なりと推すべき事情あり、若し従来の滞在者と漫遊者とを判然区別し得ば、一層有益なる統計を作り得べしと雖も、暫く如上の統計を以て吾人の参考に資せん」。

確かに、当時すでに在留外国人が多くいたため、国内の避暑地や観光地に滞在する外国人の多くが実は彼らであって、その時期海外から訪れた外客(漫遊外客)の比率はまだ少なかったようです。とはいえ、当時から外国人に国内の温泉地や観光地が人気だったこともよくわかります。
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by sanyo-kansatu | 2014-02-21 08:45 | 歴史から学ぶインバウンド | Comments(0)
2014年 02月 19日

戦前期、外国人はどこから入国したのか?

航空旅客機の利用が現在ほど一般的ではなかった戦前期において、外国人は客船を利用して日本を訪れていました。ですから、当時外国客は、今日のように国際線の就航する空港ではなく、国際客船の寄港する港から入国していました。

ツーリスト6号(1914年4月)の「大正2(1913)年中本邦渡来外人統計表」によると、当時の入国地としての以下の14の港が記されています。

横浜、神戸、大阪、長崎、函館、門司、下関、敦賀、小樽、七尾、青森、唐津、厳原(対馬)、室蘭
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統計表には、それぞれの港ごとに国籍別の入国者数が記載されています。入国者数のトップは横浜で、次いで神戸、長崎、下関、敦賀、門司、函館の順になっています。

大正2(1913)年の訪日外客数は21886人で、国籍別にみると、トップが支那7786人、次いで米国5077人、英国4123人、ロシア2755人、ドイツ1184人の順になっています。しかも、これらの5か国の数が圧倒的に多く、他の国々とは比較にならないほどでした。つまり、戦前期の訪日外客はこの5か国が大半を占めたということになります。ちなみにこの上位5か国の順は、大正15(1926)年になっても変わっていません。

明治41(1908)年から大正(1913)2年までの訪日外客数の推移は以下のとおりです。

明治41(1908)年  19328人
明治42(1909)年  17023人
明治43(1910)年  17283人
明治44(1911)年  16728人
明治45/大正元(1912)年  16964人
大正2(1913)年  21886人

この統計について同誌はこう解説しています。

「明治41年より大正元年までの5ヶ年を見るに、41年の1万9328人より、大正元年の1万6964人に減少せるの事実は、明らかに渡来外人の減退を示すものの如くなれども、43年の韓国併合によりて、同年下半期よりは同国人の渡来者を一般の渡来外人中に加算せざるを以て、渡来外人総数に其減少を見るは、寧ろ当然の事に属し識者の憂ふるが如く年々渡来外人の減退するには非ざる也」。

明治43年以降に減少した理由は、韓国併合によってこれまで外国人として統計を取っていた韓国人を外したことにあるというわけです。

そして、大正2年に入り、2万人を超したことから、「依是観是本邦に於ける渡来外人は、減退よりは寧ろ増加の傾向を示し、其前途亦大に喜ぶべきものであるを認めずんばあらずや」としています。

はたしてその後、当時の期待どおりに訪日外客は増えていったのでしょうか。

実は、そうではありませんでした。

それから13年後の大正15(1926)年の訪日外客数も、2万人超にすぎなかったからです。なぜだったのか。これから検討していこうと思います。
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by sanyo-kansatu | 2014-02-19 22:58 | 歴史から学ぶインバウンド | Comments(0)
2014年 02月 19日

100年前(1913年)の訪日外客数は2万人、消費額は1300万円

いまでこそ「インバウンド」ということばや「訪日外国人の旺盛な消費への期待」から外客誘致に対する理解が広まってきましたが、歴史を振り返ると、日本の外客誘致はいまからちょうど100年前に始まっています。

それは、1912年3月に創立されたジャパン・ツーリスト・ビューロー(現在のJTBの前身)の活動によってスタートしました。今日の「観光立国」政策や外客誘致のためのプロモーション活動も、すでに戦前期にひな型があったのです。

では、戦前期の外客誘致とはどんなものだったのか。

それを知るうえで格好の資料となるのが、ジャパン・ツーリスト・ビューローが発行した「ツーリスト」(1913年6月創刊)です。JTBのグループサイトによると、同誌は当時の外国人案内所として国内外に次々と設立されたツーリストビューロー間の連絡を密にし、事業進展を図ることを目的として創刊された隔月刊の機関誌で、1943年まで発行されていました。

JTB100年のあゆみ
http://www.jtbcorp.jp/jp/100th/history/

そもそも100年前のジャパン・ツーリスト・ビューローは、今日の日本を代表する旅行会社のJTBとは創立の目的も実態もかなり異なるものでした。むしろ現在の日本政府観光局(JNTO)に近い存在でした。

「ツーリスト」創刊号(1913年6月刊)の巻頭には、「ジャパン、ツーリスト、ビューロー設立趣旨」なる以下の文章(一部抜粋)が寄せられています。
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「日本郵船会社、南満州鉄道会社、東洋汽船会社、帝国ホテル及我鉄道院の有志聯合の上『ツーリスト、ビューロー』を設立せんことを期し、諸君の御会合を請ひたるに、斯く多数其趣旨を賛成して、御参集を辱ふしたるは、我々発起人一同の感謝とするところである。抑も漫遊外客は、我日本の現状に照らし、各種の方面より大いにこれを勧誘奨励すべきは、今更贅言を要せない次第である、外債の金利支払及出入貿易の近況に対し、正貨出入の均衡を得せしめんが為め、外人の内地消費を多からしむるに努め、又内地の生産品を廣く外人の耳目に触れしめて、我輸出貿易を発達せんが為め、国家経済上の見地より、外国漫遊旅客の発達を促すは、刻下焦眉の急たること申す迄もなく、更に一方により考ふれば、東西交通の利便開け、東西両洋の接触日に頻繁を加ふるの際、我国情を洽く海外に紹介し、遠来の外客を好遇して国交の円満を期すべきは、国民外交上忽にすべからざる要点である。随って外客好遇の問題は、国家の重要なる問題であるが、尚我々交通業者、ホテル業者、外人関係商店等の従事者としては、如上の必要と共に、其業務の営利的感念よりするも、廣く遠来の珍客を好遇することは、一層の急を感ずるのである。然るに目下の状態を以てすれば、未だ我日本の風土事物を世界に紹介するの施設も全たからざれば、又一方に渡来の外客を好遇するの設備も乏しく、余は最近萬国鉄道会議に臨席せんが為め、我政府を代表して瑞西国に遊びたるが、彼国に於ける外客待遇設備の完備せるを見て、大に彼に学ぶこと多きを考へ、又帰朝後朝野各方面の人士よりも、此事業の必要なることを勧誘せらるるあり玆に於いて原総裁とも相談の上、今日諸君へ連名御案内したる在京有志と会合し、我々当業者進んで此任に当るの決心を以て、本会設立を申出たる次第である」。

ここには、今日の外客誘致の必要を提唱する基本的な考え方(「外人の内地消費」「内地の生産品を廣く外人の耳目に触れしめて、我輸出貿易を発達せんが為め」「遠来の外客を好遇して国交の円満を期す」など)とほぼ変わらない内容が書かれています。

さらに、ジャパン・ツーリスト・ビューローの事業として以下の点を挙げています。

「一、漫遊外人に関係ある当業者業務上の改良を図ると共に、相互営業上の連絡利便を増進すること。
 二、外国に我邦の風景事物を紹介し、且つ外人に対して旅行上必要なる各種の報道を与ふるの便を開くこと。
 三、我邦に於ける漫遊外人旅行上の便宜を増進し、且つ関係業者の弊風を矯正すること。
右三項の外、總て外客を我国に誘致し、是等外客に対し諸般の便利を図るため各種の事業を計画実行せんとするの希望である」

現在の日本政府観光局(JNTO)や観光庁がやっていることは、すでに100年前に企画され、実施されていた事業だったのです。

ところで、当時の訪日外客の規模はどのくらいのものだったのでしょうか。同誌の創刊を告げる「発刊之辭」でこう述べられています。

「想ふにツーリスト、ビューローの事業たる、欧米諸国にありては早く業に其必要を認め、今や各国其設備整はざるなしと雖も、本邦にありては其規模誠に小さく、世上一般は之に対して殆ど知るところないものの如し。然れども漫遊外客の来遊するもの年々二萬人内外を有し、其費す金額も一年大略一千三百萬圓を下らずと云ふに至りては、是を国家経済上より見るも亦決して軽々に看過すべからざる事實たらずんばあらず」。

100年前(1913年)の訪日外客数は2万人、消費額は1300万円でした。つまり、2013年に訪日外客数が1000万人を超えたということは、この100年で500倍になったということになります。

これから何回かに分けて「ツーリスト」の約30年の軌跡を追いながら、戦前期の外客誘致の姿について見ていきたいと思います。当時と現在では大きく違うこと(当時の外客は客船で来日。航空機時代を迎えた戦後の輸送量の飛躍的拡大)があるものの、基本的な誘致に対する考え方はそれほど違わないことがわかり、とても興味深いです。そこには、今日から見ても学べる多くの知見があります。

また最初にいってしまうと、1913年に始まった日本の外客誘致の努力に対して、その10年後、20年後を見る限り、戦前期における外客数の大きな増加は、結果として統計的には見られなかったという事実があります。いったいそれはなぜだったのか。これも検討してみようと思います。
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by sanyo-kansatu | 2014-02-19 11:15 | 歴史から学ぶインバウンド | Comments(0)
2014年 02月 19日

やれやれ「中国客が都内の質店でブランド品を転売目的で買い付け」だってさ

これまで中国人観光客の“爆買い”の光景を繰り返し報じてきた朝日新聞が2月13日の夕刊で「中古買い付け 万来中国人 『日本なら本物』ブランド品求めて東京へ 転売目的 高額まとめ買い」と書いています。
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「東京都内の中古ブランド品店で、常連の中国人が増えている。転売目的の買い付け人だ。日本人の鑑識眼に信頼を寄せ、時計やバッグを買い込んでいく」。

「東京・歌舞伎町近くの中古ブランド品店。1月下旬の平日午後、中国・遼寧省出身の男性(25)が、中古のエルメスの高級バッグ「バーキン」を買い、即時決済できる中国のデビットカード「銀聯カード」で139万8千円支を払った。北京に持ち帰り、1割弱の利益を上乗せして売るという。男性は約1年前に買い付けの仕事を始め、毎月のように来日する。今回は千葉県内のホテルに3泊し、新宿のほか、銀座や池袋など複数の中古ブランド品店をはしごし、高級バッグや高級時計「ロレックス」など数千万円分を買い集めた」。

その男は「日本なら海賊版をつかまされない。持ち帰れば確実に買い手がつく」と話したそうです。

「買い付け人は中国人を中心に、都内で1年ほど前から目立ち始めた。新宿駅東口にある大黒屋新宿本店では、中国人を中心とした外国人への売上が全体の5割を超え、増え続けている」。

こうしたことから、大黒屋の「従業員は、無料でメールができるLINE(ライン)を駆使し、客の注文に応じる。時計なら数点~十数点を数百万~数千万円でまとめ買いする中国人が多いという」「大黒屋の小川浩平社長は『日本では、有名ブランドの中古品が多く流通していて、お目当ての本物をほぼ確実に購入できる。真贋鑑定に厳しい日本の質店への信頼は高い』と胸を張る」のだとか。

「日本製への信頼を意味する『メード・イン・ジャパン』になぞらえ、買い付け人の間では最近、日本で鑑定された品がこう呼ばれている」「チェックド・イン。ジャパン」。

やれやれ……。まだこんなことやっているんですね。

訪日中国人に限らず、都内の特に夜のお店で働く華人女性たちが、大黒屋やコメ兵(こちらのほうが有名かも!)といった歌舞伎町近くの質店で中古のバッグや時計、化粧品(こちらは中古ではありません)をよくまとめ買いしているという話はずっと前から聞いていました。おそらく彼女たちの情報が中国に口コミで広がり、買い付け目的で来日する中国人が現れたということでしょう。
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これは数年前、日本の骨董屋に大挙して中国人が押しかけたのと同じ話でしょう。彼らは戦前期に日本に持ち込まれた中国の骨董(絵画や書、清朝の陶器など)を全国の骨董店を訪ねて買い漁り、中古ブランド品と同様、利益を上乗せして中国で転売していたのです。

なぜメイドインジャパン好きの中国人がメイドインチャイナの骨董を高値で買うのか?
http://inbound.exblog.jp/19743450/

東日本大震災の起こる直前の2011年2月下旬、東京ドームホテルで開かれた中国骨董オークションの会場に足を運んだことがあります。ホテルの外に横付けされた何台もの大型バスから降りてきた中国の買い付け人たちは、オークションで競り落とした高額な骨董を日本円のキャッシュで支払っていました。なかには数千万円相当の品もあり、それを競り落とした中国の中年男性は、見せびらかさんばかりの手つきで1万円の札びらを切って、若い日本の女性スタッフに手渡すのです。海外では「品がない」と嫌悪される、この「札びらを見せる」という行為が、中国人にとっては信用においても面子においても重要だからですが、まさに俗物の権化のように見えてしまいます。
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それにしても、一部の日本のメディアは、この手の話題がお好きなようです。日本人のサラリーは減る一方なのに、中国人はいまや金持ち! 日本は追い抜かれたとばかりに、ことさら彼らの破格の購買力を強調してみせるというメディアの送り手たちの自虐的、あるいは屈折した心理にはいたたまれない気さえします。こんな風に中国人のふるまいを報じてみても、所詮「好ましからざる中国」イメージにつながるネタの一ジャンルにしかならないわけで、後味が悪いですね。

考えてみれば、戦前期には多くの華人を通じて中国骨董が売り払われたからこそ、多くの品が日本にあるわけで、今度はそれを買い戻しに来ているという話。モノづくりではなく、すでにあるモノの価値を理屈をつけてつり上げ、上乗せしたうえで転がせ、利益を得るという商いの作法は、中国人のDNAに刻まれたごく自然な営みなのでしょう。そういう彼らが、今度は欧米産の中古ブランド品に目を付けたということです。

ここは「よくやるよね」とは突き放してみるほかありません。

そんな彼らにこそ、「エコノミック・アニマル」の称号を授けたいと思います。せいぜいたくさん買い上げてもらいましょう。
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by sanyo-kansatu | 2014-02-19 10:54 | 気まぐれインバウンドNews | Comments(1)
2014年 02月 13日

27回 ラオスでは片田舎でも東京よりWi-Fi環境は進んでいます(改題)

昨年、史上初の訪日外国人数1000万人を達成し、今年の春節は中国からの訪日客も戻ってきました。街角でよく見かけるようになった外国人ツーリストは、日本でどんな風に過ごし、何を不便に感じているのか。海外の事例と比較しながら日本の受け入れ態勢の課題を検討し、訪日外客にとって居心地のいいツーリストタウンの条件について考えます。
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昨年8月、インドシナ北辺の国境地帯を1週間ほど旅しました。タイの首都バンコクから夜行列車でラオス国境の町ノーンカーイに向かい、国境の橋を渡ってラオスの首都ビエンチャンへ。そこからラオ航空の国内線でルアンナムターという少数民族の集落のトレッキングで知られる町を訪ねました。中国国境(雲南省)からも近い町です。

ルアンナムターでは、ひとりの外国人ツーリストとして、とても居心地のいい時間を過ごせました。

なぜだったのか。

ツーリストに必要なインフラがすべて揃う町

ラオスといえば、昨年11月に安部首相が訪問し、同国との経済協力を約束したことが報じられましたが、アセアン諸国の中では最貧国として知られる途上国です。目覚ましい経済発展が続く他のアセアン諸国と比べると、のんびりしたアジアの風情が残っていて、世界遺産に登録されたルアンプラバーンの仏教遺跡や少数民族の集落を訪ねるトレッキングなどが海外のツーリストの間で人気となっています。

でも、ルアンナムターの居心地がいいのは、それだけが理由ではありません。ツーリストの身になって考えれば、東京よりはるかに便利で快適な滞在が楽しめるからなのです。

どういうことでしょうか。

なぜなら、この小さな町にはツ-リストに必要なすべてのインフラがコンパクトに揃っているからです。

ツーリストに必要なインフラとは何か。それは「住(アコモデーション)」「食(グルメ)」「足(トランスポーテーション)」「観光(アトラクション)」という4つの要素です。

そこで、この小さなツーリストタウンの4つのインフラの中身を見ていきましょう。
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ルアンナムターのゲストハウス兼カフェレストラン

まず「住(アコモデーション)」から。ルアンナムターの市街地は南北2km、東西1kmの範囲にほぼ収まっていて、ほとんどのホテルがメイン通りに沿った100mほどのエリアに並んでいます。市街地から7kmの空港からバスに乗って町に降りたツーリストは、その気になれば、歩きながら料金や客室の快適度などを比較して、ホテルを選ぶことができます。町の規模にしてはホテル数が多く、選り取り見取り。選択肢の自由が多いことで、ホテル選び自体が旅の楽しみにつながります。そういうのが面倒くさい、またホテルの予約なしで旅行するのは不安という人も心配ご無用。この町のホテルにはたいてい英語のHPがあって、ネットで事前に予約ができます。ホテルのスタッフは簡単な英語は話しますから、予約なしでも問題ありません。
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この町のホテルはWi-Fiが完備

外国人ツーリストのホテル選びの条件として、Wi-Fiが使えるかどうかはとても重要です。その点、この町のホテルはどこでもWi-Fiが完備しています。Wi-Fiが使えなければ、ツーリストからスル―されてしまうからです。実際、ぼくはこの町から東京の友人にラインを使って通話したのですが、音声はクリアでまったく問題がありませんでした。Wi-Fiはチェックインのとき、オーナーに渡されたカードに書いてあるパスワードを入れるだけ。無料です。いまどきアセアン諸国のツーリストが多く訪れる町では、これは常識といっていいでしょう。こんなこと、あまり言いたくはないのですが、アジアの片田舎ですら東京よりずっと通信環境は進んでいるのです。

次は「食(グルメ)」です。ホテルの部屋で荷を解き、シャワーを浴びたら、誰でも町を歩いてみたくなるものです。食事をどこで取ろうか、ミネラルウォーターや軽食はどこで買えばいいか。この町にはコンビニはないけれど、ツーリスト向けの雑貨屋が数軒あります。
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これがラオスの屋台そば

この地を訪ねた8月は雨季にあたるので、日本人の姿は少なかったですが、ぼくの泊まったゲストハウスの隣のカフェレストランには、欧米から来た若いツーリストが大勢いました。そこはこの町でいちばん有名なゲストハウスで、ちょっとにぎやかすぎると思ったので、隣の宿にしたのです。朝食だけ隣でとればいいからです。ハムエッグ付きのイングリッシュ・ブレックファストが食べられます。もちろん、近所の屋台で地元のそばを食べるのも自由です。

観光(アトラクション)の手配もストレスなし

「住(アコモデーション)」と「食(グルメ)」の問題がこうしていとも簡単に解決してしまうと、人はたいてい満足してしまうものですが、ツーリストの場合はちょっと事情が違います。「足(トランスポーテーション)」と「観光(アトラクション)」の課題が解決されなくては、旅人としての根本的な欲望が満たされたとはいえません。それがうまくはかどらなければ、ツーリストはストレスを感じるものです。

少数民族の集落へのトレッキングツアーに参加するにはどのトラベルエージェンシーに頼めばいいのか。近郊の町に移動するためのバスや飛行機のチケットはどこで買えばいいか……。だいたいこういった内容ですが、これはツーリストにとって重要な“仕事”といえます。

その点、ルアンナムターのメインストリートには、ホテルやレストラン以外に、トラベルエージェンシーやツーリストオフィス(観光案内所)などの施設が並んでいます。つまり、この町ではツーリストにとって肝心の“仕事”も、徒歩圏内でストレスなく段取りできてしまうのです。
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トラベルエージェンシーの前に置かれたトレッキングツアーの告知

ルアンナムターにはトレッキング以外にも、サブ的なアトラクションがいろいろあります。たとえば、市街地にはルアンナムター博物館があります。この地域に暮らす少数民族の歴史や風俗を展示しています。誰しも旅に出ると、異文化に対する知的好奇心が刺激されるものです。

もうひとつのポイントが、夜をどう過ごすか。ツーリストにとってナイトライフは大切なアトラクションです。都会であれば、繁華街に繰り出せばいいのですが、こんな片田舎では何をすればいいのか。でも大丈夫。ルアンナムターには、夜になると屋台が並ぶナイトマーケットがあります。夕食はここで地元料理を味わえばいいのです。もちろん、前述のカフェレストランでは簡単な洋食が食べられますし、町のいたるところにある屋台そばでしめることもできます。
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ルアンナムターのナイトマーケット

こうした4つのインフラが過不足なく揃った環境こそ、居心地のいいツーリストタウンといえるでしょう。

整理してみましょう。外国人ツーリストにとって居心地のいい町の条件とは?

①ツーリストにとって快適なホテルがあること。Wi-Fi整備は必須。
②ホテルの周辺で「食(グルメ)」「足(トランスポーテーション)」の手配がストレスなく可能なこと。
③メインの観光以外に、知的好奇心を満たしたり、ナイトライフを楽しんだりするためのアトラクションがあること。

はたして日本の観光地はこれらの条件が十分揃っているといえるでしょうか。

※ルアンナムターについての詳細は、中村の個人blog「外国人ツーリストにとって居心地のいい町の必要十分条件とは?」を参照。

東京にはいくつかのツーリストタウンがある

もちろん、ルアンナムターのような小さな町と東京のような大都市では、ツーリストの動線やニーズは違うところもあるでしょう。でも、基本的にツーリストに必要なインフラはそう大きく変わるものではありません。

先日、東京観光財団を取材しました。テーマは「東京“インバウンド”事情 その実態は?」。2020年オリンピック開催決定で注目される東京都の外国人旅行者の実態や受け入れの課題について話を聞きました。以下、東京観光財団観光事業部アジアプロモーション担当課長の田所明人さんへのインタビューの一部抜粋です。

――東京を訪れる外国人の数はどのくらいいるのですか?

「日本を訪れる外国人観光客のうち、70%が東京都を訪れています。昨年は訪日外国人数が過去最高でしたが、それは同時に東京を訪問した外国人数も最高だったことを意味しています。つまり、訪日外客の7がけが大まかに東京を訪れる外国人数と考えていいと思います(※だとすれば、2013年に東京都を訪れた外国人は約700万人)」。

――東京都を訪れた外国人の多くはどこを訪ね、どこに泊まっているのですか?

「東京都が実施した国別外国人旅行者行動特性調査によると、訪問先のトップは渋谷。スクランブル交差点はもはや定番観光スポットです。宿泊エリアのトップは新宿。買い物もでき、歌舞伎町などのナイトスポットも充実。交通の便がよく、比較的低価格のホテルも多数あり、客室数の多いエリアといえるでしょう」。

■訪日外国人観光客の訪問先・宿泊エリア
順位訪問先宿泊エリア
1位渋谷    新宿
2位新宿    東京・丸の内
3位銀座    赤坂、六本木、浅草
4位秋葉原  ―
5位浅草    銀座
(平成24年度国別外国人旅行者行動特性調査より)

この調査から明らかなのは、東京にはホテルの集中するいくつかの地区があり、外国人ツーリストの大半はそこをベースに行動していることです。具体的にいうと、新宿や池袋、東京・丸の内、赤坂、六本木、銀座、品川、浅草などが考えられますが、客室平均単価やロケーション特性の異なるそれぞれの地区に集まるツーリストのタイプや行動形態には違いがありそうです。

つまり、東京のような大都市圏の場合、ホテル集中地区ごとに、今回紹介したラオスの小さな観光の町と同様、ひとつの個性を持ったツーリストタウンとして捉え、それぞれの内実に見合った個別の受け入れ態勢を検討する必要があると思うのです。

東京の滞在で不便なことは?

――外国人旅行者は東京での滞在でどんなことに不便を感じているのでしょうか。東京のウィークポイントは何ですか?

「いくつかありますが、なかでも最大のウィークポイントといえるのは、Wi-Fi整備の遅れです。海外発行のクレジットカードでのキャッシングがどこでできるかもよく知られていません。セブン銀行や郵便局、CITI BANKなどで利用できるのですが、外国人にもわかるような表示がきちんとされていないと指摘されています。羽田の深夜便を利用した外客の都心へのアクセスの問題もあります」。

日本政府観光局と観光庁が実施した調査に、以下のデータがあります。

■いつ、どこでインターネットを利用したいか?(複数回答)
1位宿泊先88.9%
2位空港43.1%
3位街頭40.9%
4位駅・バス停30.5%
5位公共交通機関28.8%
6位観光や買い物時25.9%
(平成24年度TIC利用外国人旅行者調査報告書(JNTO)より)

■日本滞在中に得た旅行情報で役に立ったもの(複数回答)
1位インターネット(PC)45.0%
2位観光案内所(空港を除く)21.3%
3位日本在住の親戚・知人21.2%
4位宿泊施設19.8%
5位空港の案内所19.5%
6位旅行ガイドブック(有料)15.6%
7位フリーペーパー10.1%
8位インターネット(スマートフォン)6.4%
(平成22年度訪日外国人の消費動向(観光庁)より)

これを見てわかるのは、外国人ツーリストが日本を訪れた後、どのように滞在中の情報を入手しているかという実態です。空港やホテルに置かれたフリーペーパーのような紙媒体からではなく、圧倒的にネット経由で情報を探していること。また移動中に街頭でインターネットを利用したいという要望はあるものの、基本的にはホテルでじっくりパソコンを使って情報を探している姿が見えてきます。

それだけに、ホテルのWi-Fi整備の遅れは“おもてなし”という観点からも致命的といえます。逆に言えば、いち早くWi-Fi整備を手がけることが、外国客の集客にきわめて効果的であるということです。

※東京観光財団へのインタビューの詳細は、中村の個人blog「致命的な東京都内のホテルのWi-Fi整備の遅れ」を参照。

急増するアジアFIT客のためのインフラ整備

今年の春節は中国客が戻ってきたようです。

日本経済新聞2014年1月30日によると、「日本向け査証(ビザ)発給のほぼ半分を占める上海の日本総領事館では、個人観光ビザの発給が過去最高のペース」。「昨年12月に発給した個人観光ビザは約1万4400件」で「前年同月の3.6倍」。「今年1月に入ってからも順調に伸びている」(上海の総領事館)といいます。

同紙では、中国の個人ビザ客の実態として「私費旅行」が増えたと分析しています。「習近平指導部が進める綱紀粛正」により、「今年1月から共産党員や公務員を対象に公務を名目とする視察旅行を禁じ」ているが、それでも訪日客数が増えたのは、「欧米よりも割安な日本に私費で旅行する人が増えたとみられる」からだといいます。

中国のFIT客の訪日が本格化することで、アジアの訪日旅行市場も大きく変わっていくことが予測されます。今後ますます増えるであろう海外のFIT客を取り込むためには、アジアの近隣諸国と比べて遅れが指摘されるツーリストのためのインフラ整備は急務となっています。

先日、水道橋の「庭のホテル」を取材しました。同ホテルは外国人宿泊客の多さで知られています。

総支配人は、外国人ツーリストの特性として「よく歩くこと」を指摘されていました。

「うちから都内のいくつかの観光ポイントは徒歩圏内で、外国の方は皇居や秋葉原などへ歩いて行かれるんです」(「庭のホテル」木下 彩総支配人)

この興味深い指摘から、訪日外客の受け入れ態勢を考えるうえで、行政単位とは別の視点が求められること。つまり、ホテルを中心とした「徒歩圏内」で形成されるツーリストタウンという発想が重要であることがわかります。

急増するアジアFIT客に対するインフラ整備を検討するうえで、ホテル集中地区ごとにタウンマップをつくってみるのは意味があります。ホテルを中心とした「徒歩圏内」に、今回ラオスのツーリストタウンで指摘した4つのインフラのうち、どれだけ揃っているのか、地図に落として調べてみるのです。もとより大都市圏では、海外の小さな町のようにすべての要素がコンパクトに揃うというわけにはいかないでしょう。それでも、わが町にはどの要素が足りないのか。またどの要素が弱く、どこを補充しなければならないのか、といったことを確認できるはずです。もちろん、強みも見つかるでしょう。

訪日外客に対する“おもてなし”で大切なのは、ツーリストの身になってわが町を考えるということです。今後は、都内のそれぞれのツーリストタウンの特性を分析していきたいと思います。

※中国からの訪日客の回復の背景については、中村の個人blog「今年の春節に中国客が戻った理由は、上海の訪日自粛がとけたから」、「庭のホテル」総支配人のインタビューは、やまとごころ企業インタビュー「なぜ「庭のホテル」は外国人客に選ばれたのか」、ホテルを中心にしたタウンマップづくりについては「外国人ツーリストにとってうれしい地図とは?」を参照。

※やまとごころ.jp http://www.yamatogokoro.jp/column/2014/column_150.html


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by sanyo-kansatu | 2014-02-13 09:26 | やまとごころ.jp コラム | Comments(0)
2014年 02月 13日

なぜ「庭のホテル」は外国人客に選ばれたのか

先日、インバウンド(訪日外国人旅行)サイト「やまとごころ.jp」の仕事で、水道橋にある「庭のホテル」を取材しました。以下その記事を採録します。

やまとごころ.jp「庭のホテル」総支配人インタビュー
http://www.yamatogokoro.jp/inbound-interview/index01.html

2009年5月に水道橋にオープンした『庭のホテル 東京』は外国人宿泊客の多さで知られています。都心にありながら、緑の木々と中庭を配した「都会のオアシス」としていち早く話題となり、開業年から5年連続でミシュランガイドに紹介されています。なぜ同ホテルは外国人客に選ばれたのか。その理由について、木下 彩総支配人に話を伺ってみました。

目次:
宿泊特化とは違う土俵で勝負したい
コンセプトは“ほどよい和”
外国人客に人気の理由
今後の課題


――旅館の3代目だそうですね。「庭のホテル」開業に至る経緯を教えてください。

1935(昭和10)年、祖父の代にこの地で旅館経営を始めました。商用向けの旅館です。昭和40年代には父の代でビジネスホテルに業態転換。「東京グリーンホテル」といいます。これが大成功で、開業当初から稼働率が高く、とても繁盛したそうです。当時、ビジネスホテルの走りだといわれました。
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1990年代にバブル経済が崩壊すると、必要最低限のサービスと施設でコストパフォーマンスの高い宿泊特化型ホテルが続々登場。弊社の業績は徐々に悪化していきました。私が入社したのがちょうどその頃で、1994年のことです。2000年代に入ると、施設も老朽化してきたので、父がかつて取り組んだように新しい業態にリニューアルしなければならないと考えていました。ただし、宿泊特化とは違う土俵で勝負したいという思いがありました。弊社は大手チェーンのようにスケールメリットで勝負ができませんから。

そのためには、なにか特徴がなければなりません。個性的なホテルでなければ。そこで結論に達したのが、「美しいモダンな和のホテル」というコンセプトでした。

――それはどんなコンセプトなのですか?

ひとことでいえば、「上質な日常」を提供するということです。開業前、よく都内の外資系ラグジュアリーホテルを視察しました。その多くは「和モダン」をコンセプトにしていましたが、「これって本当に和かな?」と思ったのです。やはり日本人としてホッと落ち着く、“ほどよい和”でなければと思いました。日常の感覚からかけ離れた和ではなく、いまの日本人の生活の中で心地よいと感じるものでなければならない。そう考えると、「客室は畳じゃないな。でも障子越しのやわらかな光がさしこむ客室がいい。そこはモダンなデザインにしたい……」。だんだんコンセプトが見えてきたのです。
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「和のホテル」には、四季の感じられる庭があることが重要だと考えていました。1階の日本食とフレンチのレストランの間に雑木林のような中庭を置きました。借景として庭を眺めながら食事ができます。これは旅館時代やビジネスホテル時代から採り入れていたものです。でも、ネーミングも「ガーデンホテル」では和のコンセプトが伝えられないので、「庭のホテル」にしました。
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――日本人にとっての“ほどよい和”を追求したといいますが、外国人客が多い理由は?

いろんな方からよく聞かれる質問なんですが、何か特別なことをしているわけではないんです。ところが、思っていた以上に来てくださった。開業からわずか半年でミシュランガイドに掲載していただきました。日本人にとっての“ほどよい和”を目指した結果として、それが外国の方にウケているのかもしれません。
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外国人客の比率は、開業当初の目標3割をはるかに上回り、いまでは5割前後。桜の季節には7割になります。団体ではなくFIT。 商用というより観光客の割合が高い気がします。予約はインターネット経由がほとんど。宿泊客のトップはアメリカです。それから台湾、オーストラリア、イギリスの順で、国籍は50ヵ国以上になります。トリップアドバイザーなどでの口コミの影響が大きいようで、お客さまがいいコメントを載せてくださるんです。

水道橋というロケーションも、外国のお客さまには人気の理由となっているようです。駅からも近く、新宿や東京駅へも電車で10分ほどですから観光の拠点としては非常に便利ですし、皇居や秋葉原などへ歩いて行かれるんです。

――外国人客向けの課題や今後の展望についてどうお考えですか?

正直なところ、ノープランなんです。実際、こんなに外国の方がいらっしゃるとは予想していませんでしたので、英語の得意なスタッフを増員したくらいです。特にインバウンド対応の専門スタッフがいるわけではありません。

これも特別なことではないのですが、外国のお客さまは平均3泊4日と連泊される場合が多いので、スタッフとお客さまの距離が近い。声をかけられることも多いので、お一人おひとりに丁寧に接客することでしょうか。アットホームな雰囲気づくりを心がけています。

お正月には毎年ロビーでお餅つきをします。外国のお客さまにも大変好評です。昔、武家屋敷が立ち並んでいた水道橋周辺には江戸から明治にかけて名所が数多く残っていることから、それらをめぐる町歩きや、和に関してのイベントを定期的にやっています。まだ日本人のお客さま向けの内容ですが、今後は海外のお客さま向けの町歩きイベントも企画してみたいですね。
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株式会社UHM
東京都千代田区三崎町1-1-16
http://www.hotelniwa.jp
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

<取材後記>
「庭のホテル」にはハードとソフトの両面でさまざまなこだわりがあります。挙げればきりがありませんが、たとえばエントランスの巨大なあんどんのような照明や、客室の枕元を照らすヘッドボードなど、和紙を通して放たれる柔らかい光がホテル全体を包んでいます。京都の雅というより、江戸のスッキリした和がコンセプトとなっているそうです。スタッフが外に出入りしやすいように、ロビーのフロントをアイランド形式のカウンターにしているところも、シティホテルのもつクールさとは違い、スタッフと宿泊客の距離を縮めています。昭和初期から日本のホテル近代史の最先端を歩み続けてきた同ホテルの3代目には、押しつけがましくなく、細部にこだわるという和のおもてなしの心が生まれながらに身についているようです。

「特別なことをしているわけでもない」と言いますが、結果として外国人客の嗜好やニーズにぴたりとハマッたといえるのでしょう。それは、まったくジャンルは違いますが、以前このコーナーで紹介した「ロボットレストラン」などにも通じるところがあるのではないでしょうか。主な観光スポットが東に偏っている東京において、水道橋という都心のロケーションの持つ重要性についても、外客誘致を考えるうえでのヒントがあるように思います。
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by sanyo-kansatu | 2014-02-13 08:42 | 東京インバウンド・スポット | Comments(0)
2014年 02月 09日

東京オリンピックとインバウンド、期待と懸念

東京オリンピックの開催が決まり、訪日外国人旅行市場(インバウンド)の行方に関心を寄せる人たちの期待感が盛り上がっています。

「業界『五輪特需』期待」(毎日新聞2013年9月10日)では、「2020年の夏季五輪開催が東京に決まり、産業界は『五輪特需』に大きな期待を寄せる。競技施設建設や交通網充実などのインフラ需要に加え、外国人観光客増加も見込めるからだ。また、選手村が建設される東京湾岸エリアは開発ブームが加速する期待もある」と報じています。

同紙は、「東京五輪開催による主な業界の経済効果」として、以下のSMBC日興証券の推計値を挙げています。

■東京五輪開催による主な業界の経済効果

サービス産業(宿泊、観光、外食など) 7667億円
食料品 4968億円
建設業 3106億円
繊維製品 2958億円
電気機器(家電、メーカーなど) 1392億円
小売業 663億円
不動産業 629億円
(SMBC日興証券の資料による)

そのうち効果が大きいと見込まれる「建設・不動産」「観光・宿泊」「スポーツ用品」の3業界を取り上げたうえ、「観光・宿泊」産業について、「五輪開催時に観戦ツアーなどで訪日外国人が大幅に増えるのは確実で、観光業界では『最大のチャンス』(プリンスホテル)と早くも顧客獲得作戦を練り始めている」と報じています。

月刊レジャー産業2014年1月号では、特集「東京オリンピックへの期待―成熟社会における『インフラ開発』『インバウンド』戦略のあり方」を組み、同誌が扱う2つの関連業界の今後について、特集リードの中で以下のように述べています。長いですが、よく整理されていると思うので、書き出します。
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月刊レジャー産業
http://www.sogo-unicom.co.jp/leisure/

「2014年が幕を開けた。

いよいよ、6年後の東京オリンピック・パラリンピックに向けたさまざまなプロジェクトが動き出す。

オリンピックスタジアムとして、開・閉会式や陸上競技などの会場となる国立霞ヶ丘競技場(国立競技場)の改修計画が議論を呼び、さらには猪瀬直樹・東京都知事の疑惑が勃発したことで2月に予定される組織委員会立ち上げに混乱が見られるなど、一部に懸念もあるが、官民あげた準備の動きは徐々に活発化していくだろう。

2020年7~8月にかけて17日間開催されるオリンピックと、8~9月にかけて13日間開催されるパラリンピックは、期間中はもとより、準備期間においえてもその社会的・経済的な効果が期待されている。このうち、数量化が可能な経済効果は約3兆円を見込む。競技施設をはじめインフラ整備に関わる建設・不動産や、対人接客に直接的にかかわる観光・飲食・セキュリティなど各種サービス業などを中心に、期待をかける事業者は多い。

ただ、忘れてはならないのは、『成熟社会』日本・『成熟都市』東京において開催することの意義である。

そこで本特殊では、東京オリンピック・パラリンピック開催に伴う効果を踏まえ、特に、『インフラ開発』と『インバウンド』の拡大を切り口に成熟社会で開催される世界的イベントへの取り組みについて探ることとした。

『インフラ開発』については、厳しい財政事情が続くなか、国や地方自治体、民間事業者が密接な連携を図ることで、民間の自由なアイデア・知恵・技術・資金などを活用したPPP(Public Private partnership)導入の可能性を模索していくことが求められる。東京は招致に際して、基金として約4000億円を積み上げている点を強調し、盤石な財政基盤が評価されたことは確かである。しかし、開催に伴う関連施設や道路などのインフラ整備は、都内にとどまらず首都圏を中心に活発化していくことが見込まれるうえ、老朽化し、更新時期を迎えたインフラの再構築も全国的に喫緊の課題であり、PPPの必要性は高まっているといえる。

一方、日本が世界各国に比べ立ち遅れている外国人旅行客の誘致=インバウンド拡大については、東京オリンピックを飛躍に向けた大きなチャンスにしたい。都内をはじめ首都圏でのホテルの新設、改修はすでに動き出し、旅行・小売業者も受け入れ体制の拡充を進めているが、多言語対応や決済システムの整備といったソフト面を中心に、そのほかの観光・レジャー・サービス事業者の対応強化も急がれる。インバウンドが拡大することで、ビジネスも含めた人的交流も活性化し、さらに魅力ある国際都市へと成長できるはずである。

東京の、そして日本の潜在力を引き出す大きなチャンスを得たことを肝に銘じ、観光政策を担う行政と、最前線でサービス提供にあたる民間事業者が一体となった取り組みが推進されることを期待したい」。

まったくおっしゃるとおりで…という内容ですが、同誌の挙げる「インフラ開発」と「インバウンド拡大」に対する関心の大きさを、報道の扱いで比べる限り、前者のほうが高い気がします。経済規模が明らかに違うだけでなく、ハコモノづくりのほうが話がわかりやすいからでしょうけれど。

「20年五輪、東京決定 羽田・成田発着を拡大 インフラ整備前倒し 鉄道・高速道路も」(日本経済新聞2013年9月10日)では、「首都圏の交通インフラの整備」を取り上げ、「羽田と成田の両空港で発着できる便数を増やすため、航空機の東京都内の上空飛行を解禁したり、滑走路を増設したりする案が浮上。政府は高速道路の整備や更新も急ぐ。訪日外国人の急増や経済活動の盛り上がりを見据え、東京の国際都市としての地位向上にもつなげる考え」と報じています。

目玉は「羽田の滑走路増設や成田と羽田を結ぶ『都心直結線』の整備」。特に後者は「東京・丸の内地区の地下に新東京駅をつくって両空港をつなぎ、空港までの時間を大幅に短縮する計画」で、これができると「東京から羽田まで平均30分前後かかるのが18分に、成田には55分程度かかるのが36分に短縮する」といいます。

さらに、「東京湾岸 カジノ構想再燃」(産経新聞2013年10月8日)では、「観光客を呼び込み大きな経済効果があるとされるカジノ構想が熱を帯びてきている」と報じています。

同紙は、報道当時の猪瀬都知事が提言した「カジノのメリット」として以下の4点を紹介しています。

■猪瀬都知事の考えるカジノ合法化によるメリット

①レジャーを含む産業が増え、課税ベースが拡大
②非合法カジノによるブラックマーケットを防止
③地方の独自財源の創出
④公営ギャンブルの収支の使途の見直し

「複合観光施設 どう整備 カジノ中核 国に管理委 超党派で新法案提出へ」
(日本経済新聞2013年10月21日)でも、「カジノを中核」とした「複合観光施設(Integrated Resort=IR)」を推進する動きが活発になっていることを報じています。

IRとは、「会議場や展示会場、宿泊施設やカジノ、ショッピングモールなどを含む複合施設」のこと。「日本の展示会場の面積は米国や中国などに比べてかなり狭い。さまざまな施設を複合的に整備して観光客を呼び込み、雇用や税収の拡大につなげる考え」だといいます。

課題となっているのが、カジノの「負の側面」です。「賭博を禁じる刑法との関係だけでなく、犯罪の温床になるのではないか。未成年への悪影響はないのか、賭博依存症になる人が増えないかなどの懸念」があるのです。

そのため、超党派の国会議員連盟が提出するIR法も、「2段階で整備する方向だ。現在準備中のIR推進法案は、IRの位置付けや理念などが盛り込まれる予定。規制や監督、カジノ運営のより具体的な制度は、IR推進法案の施行後2年以内に制定するIR実施法で定める」(2013年6月、日本維新の会が提出した法案の場合)といいます。

「負の側面」の拡大を防ぐために、民間事業者と「反社会勢力とのつながりがないかなど厳しくチェック」し、「犯罪者や未成年者の入場を防ぐ仕組み」も導入。「賭博への依存症を防ぐための教育やカウンセリング」もアメリカの制度を手本に検討されています。

カジノ誘致の動きは、東京以外にも沖縄や大阪でも検討されているようです。

※その後、13年12月5日にカジノ解禁を含めた特定複合観光施設(IR)を整備するための法案が国会に提出されました。

カジノ法案:自民党など国会提出-1兆円市場実現に向け前進
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MX6O616JIJX401.html

さて、こうして半世紀ぶりの東京オリンピック開催への期待が高まるなか、「五輪の効果は本当にいいことだけか」(日本経済新聞2013年9月28日)という観点も当然のことながら必要でしょう。

同紙によると、「2020年東京五輪までの経済効果は試算方法によって大きな幅がある」と指摘して、以下の試算を挙げています。

試算者/経済効果/ポイント
東京都(五輪招致委員会)/2兆9609億円/施設整備や運営費などの波及効果に絞って試算。雇用は15万人増
SMBC日興証券(牧野潤一さん)/4兆2000億円/建設、観光、飲食などが活性化。大企業経常利益を1986億円押し上げ
日本総合研究所(山田久さん)/6兆7780億~11兆7780億円/ロンドン五輪を参考に観光客数などを推定。雇用は40~70万人増
大和総研(熊谷亮丸さん)/10超円を超す可能性も/社会インフラ再構築や観光、消費者マインドの貢献なども見積もる
大和証券(木野内栄治さん)/150兆円/副次的な効果を含む。社会インフラ再構築55兆円と観光振興95兆円

ここまで開きがあると、まじめに聞く気が失せてしまいそうになりますが、東京都の五輪招致委員会がいう「堅めに見積もっても経済効果は3兆円」という数字の裏付けはこういうことだそうです。

「大会期間中の来場者は延べ約1千万人に達する見通しで、1日当たりで最大92万人が訪れる。海外からの観光客も大幅に増え、ホテルやレストランは混雑が続くとみられている」。さらに、「建設工事が増えると、鋼材やコンクリートの新たな需要が生まれる。鋼材を作るにも鉄鉱石や石炭、エネルギーが必要だ。外国人観光客にも土産用に日本製の家電製品が売れるなどの効果が見込める。建設や製造、観光で働く人の所得が増えれば、それが再び国内消費に回る。それらをすべて足し合わせて」出したもの。

同紙では、「景気が良くなるのはいいが、その反動も大きくなる」と、過去8大会の開催国の成長率が五輪開催の翌年減速していることを指摘。1964年の東京五輪の後も「昭和40年不況」があったことから、「五輪特需で底上げされた景気を日本経済の“実力”と勘違いして投資を増やすと問題」ではないか、としています。「この際だから」というマインドがあだとなるというわけです。

開催まであと6年。この時期の金融関係者による盛りすぎ経済効果の話は、自己都合で言ってるようにしか見えませんけれど、開催後の落ち込みが必然と考えられる以上、ビフォーアフターを通じた一貫した理念や戦略が必要で、今後は「月刊レジャー産業」誌がいうように、「忘れてはならないのは、『成熟社会』日本・『成熟都市』東京において開催することの意義である」という指摘をどう具現化するかを考えていかなければならないのでしょう。
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by sanyo-kansatu | 2014-02-09 13:24 | 気まぐれインバウンドNews | Comments(0)
2014年 02月 09日

スキーブームは再来するか(主役はカップルから家族へ。インバウンドとの関係は?)

ソチ冬季オリンピックがついに開幕しましたが、1990年代半ばから右肩下がりで減少してきた日本のスキー人口が、2012年頃から回復の兆しが見られているそうです。

スキー・スノーボード人口は、2012年で790万人(うちスキーは560万人)。ピークの1993年1770万人(レジャー白書)に比べると、3分の1近く落ち込んでいますが、近年は若年層やファミリー層が復活してきたからです。
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「子どものリフト代や食事無料…家族作戦 スキーブームもう一度」(東京新聞2012年12月26日)では、「バブル期にスキーブームを体験し子育て真っ最中の30~40代に『子連れでゲレンデに戻ってきてもらおう』と、スキー場は子どものリフト無料化などの誘客策を強化。ホテル業界もカップル向けの部屋を思い切って縮小し、家族で泊まれる広い部屋を増やす改修を進めている」と報じています。

同紙によると、「ブームの火付け役となった映画『私をスキーに連れてって』(1987年公開)。劇中歌『恋人がサンタクロース』を歌う松任谷由美さんが毎冬、コンサートを開く苗場スキー場(新潟県)と苗場プリンスホテルが今年、大胆な改革に踏み切った。22年ぶりとなる部屋の大規模改装に着手。カップルの利用を想定した二人部屋を36室減らし、家族用四人部屋を18室増やしたのだ」そうです。

これを「大胆な改革」というのだろうか、という気もしますが、「プリンスホテルの担当者は『30~40代は子育てに忙しく、スキー場から離れているが、またやりたい、子どもにもさせたいという願望はあるはず。家族で来やすい環境を整えれば、足を向けてくれる』とその狙いを説明」しているそうです。

東京新聞はこうした「30代後半から50代のポスト団体世代や団塊ジュニアを狙ったリバイバル市場」に対する関心がことのほか強いようで、「この種の『あの日に帰りたい』ビジネスは年々拡大。企業側は『青春の一コマ』を演出する商品やアイデアを工夫している」(東京新聞2013年2月13日)と報じていて、米米クラブのライブに20年ぶりに来た40代女性の声や、前述した苗場スキー場で「ゲレンデに流す曲を松任谷由美に限定」している例などを紹介しています。

いまの時代、この手の浮かれ気味の「リバイバル市場」の拡大に共感する人ばかりではなさそうですが、保険の比較検討サイト「インズウエブ」がバブル景気経験世代にあたる40~50代の男女に対してアンケートを行ったところ、「スキーもしくはスキーボードの経験がある」との回答が78%。このうち46%が「最近5年以内はスキー・スノーボードに行ってない」と回答したものの、「機会があれば今後スノーボードに行きたい」が56%、「機会を作って必ず行きたい」5%と、6割が「またスキーに行きたい」と回答しているとのこと。まあ誰だってわざわざそう聞かれりゃ「また行きたい」と答えるのが自然な気もしますが。

スキーブーム再来?!
バブル世代の61%が「また行きたい」と回答(インフォグラフィック)
http://www.insweb.co.jp/research/report/ski-infographic.html

それでも、スキー客の回復傾向は今回の年末年始も確かのようで、「スキーブーム再来か 年末年始の来客大幅増 長野」(産経新聞2014年1月24日)、「年末年始に県内主要スキー場に訪れた人の数が前年度同期比で12.5%の大幅増だったことが23日、県が発表したスキー場利用状況調査で分かった」と報じています。

スキー客の減少に歯止めがかからなかった2000年代、国内のスキー場はオーストラリアや香港、韓国などの外国客が増えたことが話題となっていました。3年前の冬、ぼくは北海道のニセコスキー場を訪ねたのですが、そこでは国内客と外国人客の利用が半々だという話を聞き、ちょっと驚いた記憶があります。

北海道ニセコにSir Gordon Wu 現わる
http://inbound.exblog.jp/17150909/

また最近では、タイやシンガポールなど、雪を見たことのないアジアからの旅行客も増えています。熱帯生まれの彼らはスキー場に来ても、ゲレンデでソリや雪遊びを無邪気に楽しんでいるそうです。それは微笑ましい光景だといいます。

こうした外客の動きに加え、「家族向け行楽地の色彩を強めている」(東京新聞2012年12月26日)スキー場に国内客が少しずつ戻りつつあることは、とても面白い現象だと思います。国内客と外客がゲレンデに入り混じる光景は、海外のスキー場でもよく見られるからです。スキー場の主役はカップルだと信じられていた1980年代が、国際的に見てずいぶん時代遅れだったことが、いまさらながらよくわかります。
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by sanyo-kansatu | 2014-02-09 13:14 | 気まぐれインバウンドNews | Comments(0)