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2014年 04月 29日

朝鮮国際旅行社創立60周年記パ-ティで語られたこと

2013年8月24日は、朝鮮国際旅行社の創立60周年にあたります。その日、平壌で海外の旅行業者らを集めた記念式典が行われました。
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出席者は北朝鮮観光に尽力したイギリス、イタリア、ドイツ、スペイン、アメリカ、ロシア、中国、台湾、日本などから訪れた旅行業者80数名です。

その日のスケジュールは以下のようなものでした。

午前9時 万寿台大記念碑を訪問、献花(金日成主席と金正日総書記の銅像あり)
       朝鮮軍が拿捕した米国スパイ船「プエブロ号」展示見学
       朝鮮革命博物館を見学 
昼食   玉流館で朝鮮冷麺の食事
午後2時 羊角島ホテルで「朝鮮観光の展望」レクチャー
   5時 高麗ホテルで記念パーティ
   8時 メーデースタジアムで大マスゲーム「アリラン」公演
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それぞれ面白かったのですが、ここでは羊角島ホテル会議場で開かれた国家観光総局主催のレクチャー「Tourism Policies and Prospective Plan of DPR Korea」を報告したいと思います。北朝鮮が今後、外客誘致をどのように進めるか、その展望が語られています。
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そのレクチャーは、朝鮮国際旅行社が制作したプロモーションビデオの放映から始まりました。長いのでその一部を紹介します。

朝鮮国際旅行社60周年記念式典プロモーションビデオの一部
http://youtu.be/gSH4C4zvnfQ

そして、観光総局の担当者のスピーチです。最初に1953年8月24日、朝鮮国際旅行社が創立された経緯について説明がありました。朝鮮戦争休戦後、国際機関の視察を受け入れる必要からだそうです。以後、「廃墟から国を建てなおす」ため、観光事業に取り組んできたといいます。当初は、ソ連や東ドイツなどの東側「友好国」の親善訪問などがメインだったようですが、1980年代半ば、政策を転換。87年に国家観光総局を立ち上げ、世界観光機関(World Tourism Organization)に加入。その年、日本人の一般観光客を初めて受け入れています。

現在、北朝鮮は平壌プラス6地域の観光特区化を目指しているそうです。6地域とは以下のとおりです。

●元山―金剛山

朝鮮を代表する名山、金剛山は東海岸の江原道にあります。1990年代半ばから韓国経由の国際観光が開放され、韓国人約200万人、その他外国人約2万人が訪れています。現在、韓国経由の入国は休止していますが、韓国資本の現代的なホテルや免税店、温泉施設などが残されており、北朝鮮でほとんど唯一の国際水準のリゾート地といえます。

元山は東海岸最大の港湾都市で、美しい海水浴場があります。平壌から車で約5時間。元山から金剛山までは約2時間半です。

この地区では、登山や温泉(泥風呂が有名)に加え、さまざまなビーチアクティビティが楽しめると説明されました。韓国客の受け入れをいつ再開するかについてはわかりませんが、韓国が投資した金剛山の観光インフラがほとんど使われていないのだとしたら、残念なことです。また元山港には、あの万景峰号が停泊しており、咸鏡北道の羅先から中国東北三省や極東ロシアの観光客を乗せたクルーズ旅行も進めているようです。元山では空港を拡張し、国際会議ができるホテルも建設しているとのことです。

※今回、実際に金剛山を訪ねています。その模様は「2013年の金剛山観光はどうなっているのか?」参照。

●七宝山

七宝山は、朝鮮6大名山のひとつで、東海岸の咸鏡北道にあります。中国東北三省や極東ロシアに近いため、登山や海水浴客の誘致を進めています。戦前期に日本からの航路の玄関口としてにぎわった清津の再開発がいま始まっているそうです。

●白頭山

「朝鮮革命の聖山」とされる白頭山は、中朝国境にまたがる標高2750mの休火山で、「天池」と呼ばれるカルデラ湖の美しさは有名です。中国では「長白山」と呼ばれています。金日成将軍率いる朝鮮人民革命軍がこの一帯を拠点にしていたとされることからそう呼ばれているのですが、ふもとにはスキー場や温泉などもあります。

中国側と協力して山頂付近の国境を越えて両国を往来できれば、多くの登山客を呼び込むことが可能となるでしょう。中国側では、現代的な山岳リゾートホテルやスキー場の開発が急ピッチで進んでいることから、北朝鮮側もそれに乗じて観光客誘致に取り組みたいところでしょう。

●妙高山

朝鮮の4大名勝に数えられるのが、妙高山です。無数の滝や渓流の美しさで、登山客の誘致を進めようとしています。世界各国から金日成主席に届いた贈り物を展示しているという国際親善展覧館があります。

●南浦

平壌の西方、西海岸に面した港湾都市の南浦には、高句麗遺跡や温泉、ゴルフ場などがあります。紅葉の美しい九月山も有名です。

●開城

先ごろ、世界文化遺産に登録された高麗王朝の古都が開城です。古い街並みが残る民俗保存区域が有名です。朝鮮分断を象徴する板門店は、開城から東南約8㎞の場所にあります。せっかく世界遺産になったのですから、もっと積極的にアピールしていいと思います。
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要するに、平壌と上記6つの観光地区が北朝鮮観光のハイライトだというわけです。

ただし、それは日本人観光客受け入れが始まって間のない1990年当時と基本的に変わっていません。

それでもあえて特筆すべき点をあげるとすると、白頭山の国境観光を中国側と協働で進める展望があるらしいということでしょうか。確かに、カルデラ湖を真っ二つに分ける中朝国境の両サイドにイミグレーションを設け、観光客の往来を開放すれば、両国の名勝や観光スポットをめぐる国境観光が楽しめることから、年間20万人の登山客が見込めるだろうというのです。これ自体は面白い計画です。中断した金剛山の韓国客が延べ200万人に達したことからわかるように、北朝鮮にとって国境観光を活性化することは、外貨獲得の有効な手段といえるでしょう。
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ただし、中国吉林省延辺朝鮮自治州の関係者らによると、例の粛清騒動後の中朝関係の悪化もあり、すぐに進展するようには思えません。だいたいこの計画は数年前からすでに話題になっていたものですが、中朝国境に近い場所での北朝鮮の核実験もあり、ずっと動いていないのです。北朝鮮側は「いかなる国の協力も歓迎」とはいうものの、中国側からすると、朝鮮側のインフラ投資をするのは結局誰なのか。常に朝鮮側が他力本願に見えることでしょう。また近年、中国国内で不穏な動きが見られる少数民族問題にも影響を与えそうな国境観光をどこまで積極的に進めるべきか、ためらいがあるかもしれません。

朝日新聞2013年8月13日によると、韓国・平和自動車の朴相権社長が北朝鮮当局から得た情報として「北朝鮮が経済難を打開するため六つの地域で観光特区作りを進め、そのために軍が管理してきた三つの空港を民間の管理に移した」ことを明らかにしたそうです。「六つの地域」とは、白頭山や元山、七宝山などで、今回の記念式典でのレクチャーの内容と一致しています。

なかでも急ピッチで進めているのが元山地区だと同記事には書かれていましたが、昨年冬に完成した馬息嶺スキー場もその一部で、翌日、式典出席者一行は建設中の馬息嶺スキー場に視察に行きました。こうしたレジャー開発の動きは、確かに新しい領導による取り組みを感じさせるものですが、常に相反する事態が同時進行するのがこの国の姿といえます。本人たちがどんなに一生懸命でも、それでは対外的にその思いはなかなか伝わりません。

いずれにせよ、気長に事態を眺めていくほかなさそうです。今年7月に長白山を訪ねる計画があるので、現地の事情を見てこようと思っています。
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レクチャーが終わると、出席者はバスで高麗ホテルに戻り、レストランで食事会が開かれました。その後、マスゲームの観覧がありました。その話は別の機会に。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-29 20:34 | 朝鮮観光のしおり | Comments(1)
2014年 04月 29日

北朝鮮の観光政策の転換と日本人受け入れ状況の変遷

北朝鮮観光について調べてみると、いくつかの興味深い論考がすでに記されていることを知りました。たとえば、若手の北朝鮮研究者、磯崎敦仁氏の仕事です。

特に5年ほど前に書かれた以下の2つの論文が参考になります。

「北朝鮮の日本人観光客受け入れ」(月刊国際観光情報2009年4月号)
「多様化する北朝鮮観光とその問題点」(月刊国際観光情報2009年5月号)

以下、ざっと両論文のポイントを紹介させていただきます。

まず「北朝鮮の日本人観光客受け入れ」から。最初に磯崎氏の研究スタンスがこう記されます。

「現在、多くの旅行記が出版され北朝鮮観光の実態を把握するのに大きな助けとなっているが、それらはあくまでも紀行文であるため総じて主観的かつ断片的な内容であり、北朝鮮観光の意義や背景、政治経済との関連性を考察ないし分析したものは皆無に等しい」。

一方、韓国では1990年代後半、「金剛山観光開発を取り巻く観光資源論、観光行動論、南北朝鮮間の経済協力といった視覚」による観光研究が見られたものの、「日本人観光客の受け入れについて触れられることはなかった」。

そこで同論文では「日本人を対象としたインバウンド政策の変遷を整理し、その特性を探る。その手法として、北朝鮮の文献や各旅行会社のパンフレットといった第一次資料のほか、北朝鮮観光に携わる複数の関係者への聞き取り調査の結果を素材」にしたといいます。

これまで本ブログでも、北朝鮮の旅行ガイドブックの中身にもの言いしたり、旅行業者の視点で日本人観光客受け入れ25年間の年表を作成したりしてきましたが、豊富な第一次資料をもとに北朝鮮観光の変遷を総括した同論文は、とても示唆に富んでいます。

同論文によると、北朝鮮の観光政策は1980年代に転換があったことがわかります。

すなはち、それ以前は観光を「浪費的」で「非生産的」なものだと否定的に捉えていた北朝鮮が、1980年代後半、一転して観光業を奨励し始めます。その目的として、自慢の「社会主義」を宣伝し、外貨獲得を図ることにあるとしたのです。

そして、1987年6月、一般の日本人観光客受け入れを正式に表明。同年9月には世界観光機関(World Tourism Organization)に加入。10月には第一陣の日本人観光客38名が訪朝しています。北京から空路で平壌に入り、開城、板門店、南浦を訪れる5泊6日のコースです。ただし、参加費用は39万8000円からと高額でした。

背景には、翌年のソウルオリンピック共同開催に向けた対外開放のアピールや日本との関係改善などがあったとされます。もっとも北朝鮮では、1950年代より「友好国」とされるソ連や東ドイツの親善訪問、75年からは在日朝鮮人の「祖国訪問」が行われていました。この国のインバウンドの歴史はそこそこ長いのです。

ところが、第一陣が訪朝した1か月後の87年11月、大韓航空機爆破事件が発生。89年10月まで日本人観光客受け入れは中断されます。当時から、期待がすぐにも失望に変わる、という事態を繰り返していたことがわかります。

それでも90年代に入り、いわゆる「金丸訪朝団」で日朝関係が好転したことから、日本人の北朝鮮観光はその後何度も中断と再開を繰り返ししつつ、2000年代初めまでそこそこの進展を遂げることになります。

以下は、同論文が取り上げている1990年代前半のトピックスです。

1991年6月/中外旅行社「日朝国交正常化直前限定ツアー」催行
     10月/全日空、日朝間にチャーター便運航(新潟・平壌)
     12月/JTB、初の北朝鮮ツアー催行
1995年4月/アントニオ猪木企画の「平和のための平壌国際スポーツ文化祭典」開催(3500人の日本人訪朝)

「多様化する北朝鮮観光とその問題点」(月刊国際観光情報2009年5月)では、1990年代半ば以降、さらに多様化が進む北朝鮮観光の進展と問題点を論じています。

以下は、「1990年代以降に顕著化した北朝鮮の観光事業に対する積極策」が見られるトピックスです。

1996年/日朝双方で北朝鮮専門旅行会社が設立し、ツアー料金の廉価化に寄与。
1996年9月/中ロ国境に近い羅津・先鋒を日本人観光団150名が戦後初めて訪れる。
1998年2月/新潟市で開催された「新潟・北東アジア経済会議」で北朝鮮側から観光宣伝を行う。
1999年/個人手配旅行解禁、北京経由より廉価な新潟空港発ウラジオストク経由の北朝鮮ツアー催行。清津への手配旅行が開放。
2000年10月/現代峨山主催の金剛山観光に日本人参加可能になる。
2002年6月/モランボンツーリスト、「一般家庭」へのホームステイ実現
         10万人規模のマスゲーム開催

ところが、その後、事態は変わります。北朝鮮の核開発もそうですが、「拉致問題」を彼らが認めたことが、日本の世論を大きく変えたことも影響していると思います。

2006年7月/外務省、北朝鮮「渡航自粛」勧告。

以後、渡航者は激減します。

こうして現在に至る北朝鮮観光ですが、同論文の後半では「問題点」として次の点を挙げています。

「団体で入国を申請し、ある特定の日本人だけが観光些少発給リストから省かれることがよく起きる。のみならず、日朝関係を反映して、全ての日本人観光客に対する一時的な入国制限も頻繁に行われる。出発直前、または出発後、経由地滞在中もしくは北朝鮮滞在中に突如として日程変更を強いられるケースも多い」。

「最も大きな懸念は観光客拘束の可能性である」。

これは、1999年12月、塩見孝也元日本赤軍議長とともに訪朝した元日本経済新聞社員杉嶋岑氏が「スパイ行為」をしたとの理由で当局に拘束。2年2か月後に解放されたことなどを指しています。

通常では考えられないことですが、こういうことが起こり得る国なのだというイメージは簡単にはぬぐえないものです。

こうしたことから、磯崎氏はこう結論しています。

「北朝鮮の観光政策は、行き当たりばったりの戦術レベルでしかない政治政策の従属物であるといえるが、現在においては、『体制護持』の一手段ともいえる外貨獲得政策、『実利の追求』に従属しながら、苦悩し、奔走している状態が続いている」。

キツイお言葉ですが、そのとおりというほかありません。

でも、それはいまに始まったことではないのです。

気長に考えるしかない、というのはそういうことです。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-29 20:07 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 04月 29日

北朝鮮観光 事始め

「北朝鮮観光」というものが、今後どう動くのか。これは最近、ぼくがひそかに関心を寄せているテーマのひとつです。
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メディアで報じられる北朝鮮のふるまいは、手の付けられない悪童ぶりです。こんな国にまともな未来などないと多くの論者がみなしてきました。ほんの数年前まで、ぼく自身も朝鮮半島に対する関心をどのように持つべきかわかりませんでした。その気もなかったというのが正直なところでした。

中国とのようなひとの縁というのもない。新宿や池袋の在日華人コミュニティについてはゆえあって関心を持ち続けてきたけれど、新大久保には足を運ぶ理由が思いつきませんでした。在日や総連の問題も、ほとんど興味がなかった。これらのことが自分に関わる問題だとは感じられなかったからでしょう。

ところが、2012年夏、知人のとりはからいで、北朝鮮咸鏡北道の羅先に入ることになりました。10年ぶりの日本観光団ということでした。これまで日本で唯一の中国東北三省を扱う旅行ガイドブックの取材という名目で、中国側から朝鮮国境沿いの風景を鴨緑江や図們江越しに、また遊覧ボートに乗って眺めてきましたが(中朝国境最新事情)、ついに入国を果たすことができたのでした。その年ぼくは、北朝鮮入国前に、ロシア極東地域のウラジオストクも訪ねていたので、国境を接する北東アジアの3カ国を同時に見ることができました。

初めて見た咸鏡北道の町は、ちょうど改革開放から間のない頃の中国のようでした(中国人たちは70年代の中国と似ているといいます)。先入観がなかったぶん、初めて訪ねた国として見るもの聞くもの、新鮮さをおぼえました。1980年代半ば、中国東北三省を初めて訪ね、日本統治時代のインフラが老朽化しながらも残された、高度経済成長以前の埃っぽい街並みを見たときの印象を思い出しました。いまの中国を毒している物質主義とは無縁の清々しい感じがしたのです。

朝鮮の人々が(といっても所詮外客を接遇する人たちでしかないのですが)思った以上に外国人慣れしていることも意外でした。「観光」といっても、それはお互いの利益の交換です。彼らの対応は、2000年代に本格化した欧米客や中国客の朝鮮観光の影響があるだろうし、近年途絶えたものの、1987年から2000年代半ばまで毎年千人規模とはいえ続いていた日本客の訪問という経験の蓄積もあったからに違いありません。外貨獲得の手段としてのインバウンド振興はこの国では一貫した政策で、わざわざ来た人間を不快にさせたところで、彼らにとって何の得もないのですから。

もっとも、先軍政治とインバウンド振興の相性は、誰が考えてもいいはずはありません。彼らが外客に提供する観光コンテンツは、あからさまで呆れるほどの政治的なプロパガンダばかり(それが逆に新鮮だったりするからたちが悪いというべきか)。基本的に自分たちの見せたいものしか見せようとはしません。一方、平壌と地方都市を結ぶ幹線道路の一部は、観光バスではなく軍事車両が走ることを優先しているせいか、アスファルトの板を並べただけですから、走行中は板の継ぎ目ごとにバスが跳ねること著しく、のんびり車窓の風景を眺める気分にはなれません。インフラ自体は万事そんなぐあいで、とうてい国際基準に達していないにもかかわらず、無理をして虚勢を張るような姿勢もたぶんに見られました。

それは確かに興ざめを引き起こすものですが、なぜそこまでしなければならないのだろうか……。そう思うと、彼らをばっさり断じたもの言いをすることに戸惑いをおぼえるのです。時折彼らが見せる素の表情にもほろっと感じ入ってしまいがちです。そういう心のスキマに付け入るのが彼らの狙いだと言われれば、それもそうなんでしょうけれど、そういう心の駆け引きなど無意味だと思えるだけの重い現実が、どんなに彼らが隠そうとしてもこの国にはありそうだということが、わずかな滞在期間でもだんだんわかってくるのです。いったいこれからどうするつもりなのだろうか……。そこに関与するつもりはないけれど、せめてこれから起こることを眺めてみようか、という気になってきたのでした。

こういう所詮よそごと的な感覚は、ヨーロッパの旅慣れたツーリストたちが、この“神秘”の国を訪ねる動機に近いといえるかもしれません。なにしろ彼らは安全保障上の直接の懸念がないだけに、気が楽なものでしょう。

一方、日本の場合は彼らとは事情が違います。よそごと的感覚ですまされるのか、という言い方もできるでしょう。でもね、そこまで気負うことはぼくにはとうていできないし、だからこそ、ある一定の距離を置きつつ、朝鮮半島の実情に対する見方が偏らないよう、足を運ぶことは必要ではないかと思ったのです。

ちょうど羅先入りした頃、知り合った年長の北朝鮮通の友人に「東アジアを理解するためには、北を知る必要がある」と言われたことが、結果的には大きかったといえます。数回訪ねた程度でわかったようなことをいうつもりはないけれど、北に触れることで、これまであまり考えてもみなかった北東アジアの歴史的因縁が少しだけわかるようになりました。なぜ朝鮮半島の人たちが、これほど「反日」で頭に血を上らせるかも、ある程度想像できるようになりました。わかったところで、溜息を吐くしかないのですが。

東アジアの2000年の歴史を振り返ると、朝鮮半島は目を覆いたくなるような不幸続きの連続だったといえます。すべては中国に隣接したことに起因している。そう言い切っていいと思います(まあ日本の影響がまったくなかったとまではいいませんが、朝鮮半島の人たちの自己都合による思い込みにあんまり無理して合わせてあげなくてもいいのではないかと思うのです)。半島だったため、彼らには逃げ場がなかったのです。もちろん、今日では彼らの体制に脅威を与えているのは、中国だけではありませんが、歴史的に考えると、すべてはそこに根があり、その境遇が彼らの独特ともいうべき民族的特徴をつくり出したと考えると、いろんなことがわかりやすくなると思います。

今日の北朝鮮にも、もし「体制護持」できなければ、中国に呑み込まれ、少数民族と同じ立場に貶められてしまうという強迫観念や重圧があるわけです。それゆえ、傍から見るとひとりよがりにしか見えないあがきを続け、周囲を呆れさせているともいえます。「主体思想」というのも、絶対中国には譲らないという無謀なまでに頑強に固められた自尊心からくる悲壮な決意表明ではないかと思えてきます。それも、これまで繰り返されてきた歴史の再現ということかもしれません。

こうした事情もあり、朝鮮半島の人たちが自分たちの歴史を直視することが苦手なのは無理もないと思います。

日本との関係も、朝鮮半島の人たちが考える大陸との圧倒的な力の上下関係(華夷秩序)を宿命的なものとして日本列島まで含めた延長線上で捉えているため、話が面倒になるのだと思います。こちらはそんな上下関係を持ち出されても関係ないよ、と思っているのに。彼らの不遇から生まれた「歴史観」を我々に押し付けられても無理というものです。そこは一線を敷くしかない。しかし、それを認めようとしないのが朝鮮半島の人たちでしょう(中国の人たちも同じかな)。

それでも、中朝関係においては、ケースにもよりますが、朝鮮半島の肩を持ちたい気もするんです。中国人にいわせると、中国は韓国と北朝鮮を左右の掌の上に乗せ、うまく手なずけたいだけ。これまでずっとそうだったように。そういう偉そうな口ぶりを耳にする以上、判官びいきは日本人の好みにあっていると思うからです。少なくとも、ぼくはそのように考えるようになりました(これについては異論反論がありそうですね)。

これまであまり熱心に目を通してこなかった北朝鮮に関する書籍を少しずつ読み始めています。90年代以降はさすがに気恥ずかしくなるような北礼賛は見られないものの、それ以外は、人情派にしてもアラ探し派にしても、昔ながらのネタが勝負のアジア小話ばかり。むしろ最近面白いと思うのは、若手の北朝鮮研究者のクールな視点に基づく論考や、実際に80年代後半から日本人の北朝鮮観光の手配に携わってきた旅行業者たちの証言、さらに戦前期の朝鮮観光に関する資料などです。とりわけ戦前の資料を読んでいると、当時どれほど多くの日本人が金剛山を愛でていたかを知ることができ、新鮮さと同時に、未来への希望につながらないか、と思えてきます。

自分のようなフィールドワーク好きの編集者にできるのは、旅はエンターテインメントであるという、いささか平和ボケした島国の住人らしく、その地になるべく足を運び、当地の現象面に直接触れ、少しばかり社会学的に(斜に構えて)見つめてみようと思うことくらいです。そのためには、なんとか定期的にかの地に足を運んでみたい。ぼくが夢想しているのは、1930年代に北東アジアで実現しかけていたモダンツーリズムの再来です。1945年、それがいったん崩壊したとはいえ、今後時代を変えて、望むらくはお互い対等な関係で再現する日を夢見て、現地の観光素材に関する情報を集めて、気長に下準備しておこう。そんなことを考えているのです。

はてさて、こちらがそう思い立っても、かの国はそんなあやしげな人間を受け入れてくれるかどうか、わかりません。時局や情勢にもよるでしょう。でも、これがぼくの「北朝鮮観光 事始め」だった以上、仕方がないことなのです。
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元山の海水浴場で見かけた焼き肉パーティに興じる朝鮮の人たち(2013年8月撮影)
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by sanyo-kansatu | 2014-04-29 19:51 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 04月 26日

「Tokyo Grand Shopping Week」(表参道)の舞台裏

今年1月23日~2月5日、東京を代表するおしゃれストリートの原宿と表参道で外国人観光客を対象にした Tokyo Grand Shopping Week が開催されました。キデイランドなどの個店や表参道ヒルズやラフォーレ原宿、東急プラザなどの商業施設のテナントが参加し、バーゲンセールや店頭でのスクラッチ抽選キャンペーンなどが実施されました。イベントを主催した原宿表参道欅会の松井誠一理事長と事務局インバウンド担当の中島 圭一さんに話を聞きました。

やまとごころインタビュー
http://www.yamatogokoro.jp/inbound-interview/index04.html

―『Tokyo Grand Shopping Week』を振り返ってどうでしたか?

中島(敬称略。以下同)
「原宿表参道では、昨年同時期にも“Tokyo Fan Week”というイベントを開催していますが、今年はよりショッピングのイメージを重視して名称を変更しました。

バーゲンセールをキラーコンテンツと捉えて「日本で最も遅い」といわれるラフォーレ原宿のバーゲンセールに他の施設や個店が時期を合わせる形でキャンペーンをスタートし、終わりを中国の旧正月にあたる春節期間に設定しました。

『Tokyo Grand Shopping Week』のターゲットは、台湾、香港、中国、韓国および東南アジア諸国をメインとする20~40代の男女と日本在住の外国人です。キラーコンテンツは、183店舗が参加したバーゲンセール。そして、1000円以上お買い物、お食事をされたお客さまにスクラッチカードを渡し、当ったお客さまは臨時観光案内所で10000円分の表参道ヒルズのお買い物券や参加店舗から集めた景品と引換していただくキャンペーン。昨年は表参道ヒルズの1ヵ所でしたが、今年は東急プラザと2ヵ所で行いました。

昨年の反省からいくつもの改善を行いました。たとえば、昨年は開催期間が1か月で途中、中だるみしたことから、今年は2週間にしました。スクラッチカードは店頭で削ってもらい、当たりがその場でわかる方式にしました。

イベント告知も、「長距離(海外)」「中距離(国内)」「短距離(近接した地区)」の3つのチャネルのうち、近場から外国人客を呼び込むため「短距離」に力を入れ、渋谷区や新宿区、港区のホテルなどにチラシを徹底して配布しました。

今回もいくつかの課題が指摘されており、来期に向けてその改善ともに、年間を通した取り組みを行っていきたいと思っています」。

―原宿表参道でインバウンドの取り組みを始めたのはいつですか?

中島
「インバウンド推進のための3か年計画がスタートしたのは、2010(平成22)年からです。

最初に手がけたのは、他の商業地区に比べ遅れていた銀聯カード端末の導入でした。その後、チャイナリスクが起こり、中国一辺倒ではダメだということを痛感しました。

いつも考えるのは、PRと受け入れのバランスです。欅会ではまず春節キャンペーンを打つ前に決済環境などの最低限の受け入れ整備を優先しました。外国のお客様がお買い物にストレスを感じる状況を残したまま、PRを行うのを避けたかったからです。

その次に初めてキャンペーンに軸足を移しました。表参道は、基本的にFIT(個人客)が似合う街です。
個人客を取り込むには日ごろ接している現場の人間に裁量権を与えることが重要だと考えています。
このエリアではそれが実現できています。毎月2回現場の販促担当者らを集めて会議を開くのですが、この街の人たちは一体になりやすいのがうれしいことです」。

―一体になりやすいというのは、表参道の土地柄にも関係があるのでしょうか?

松井(敬称略。以下同)
「表参道には2つの原点があります。戦後の歴史からお話しますと、ここも2回戦災に遭っていて、焼け野原から始まっています。代々木の陸軍練兵場が米空軍将校やGHQ官僚の家族用宿舎などからなるワシントンハイツとなり、西洋文化と彼らのライフスタイルに直接触れられる街になりました。それがひとつの原点です。

一般に原宿や表参道は、ストリートファッションの街。誰もが思い思いのファッションを表現し、新しいアイデアやインスピレーションが生まれる日本のアパレルを代表する街だと思われています。

転機は東京オリンピックでした。その頃から、ワシントンハイツに丹下健三や浅井慎平といった著名な建築家やカメラマン、デザイナーたちが事務所を構えたように、いろんな才能が集まってきました。実は緑が多くて、家賃が安かったからです。

ところが、外国の方に聞くと、表参道は日本的なものを感じるから好きだというのです。それは、もうひとつの原点である明治神宮の参道であることと関係あるかもしれません。この街の人たちは、表参道が他の商業地と同じ感覚では困ると考えています。だから、欅会の前身である「原宿シャンゼリゼ会」が発足した1973年当時から「キープ・クリーン/キープ・グリーン」というスローガンを掲げ、商業振興と地域環境の両面で活動を続けてきました。

もともと表参道の欅並木は大正10年に植えられたものですが、戦災でなくなった後、昭和26年に地元で造園業を営む方が再植林させたのです。この街の人たちの欅に対する思い入れがいかに強かったかを物語っています。

1970年代後半、原宿は若者の街として脚光を浴びます。ラフォーレ原宿のオープンは1978年。商業ビル化の始まりです。そして90年代前半のバブル崩壊。このあたりの地価も一気に5分の1になり、更地が増えたのもこの時期でした。2000年暮れにオープンしたベネトンを皮切りに、海外の高級アパレルブランドがこぞって出店してきました。ついにここも外資に乗っ取られるのか? でも、結果的にはそうなりませんでした。彼らの多くがビル一棟取得し、日本本社機能を持たせて街と共存しようとしました。彼らの原宿・表参道が持つ価値に対する評価は変わらなかったからです」。

―評価が変わらなかったのはなぜだったのでしょうか?

松井
「街に独自の文化があったからです。モノがあるから人が集まるのではありません。お客さま向けの商品をいくら提供しても、旅の満足は満たされない。もともと表参道に在住外国人が多かったのも、そのためでしょう。

この頃から私たちも原点回帰を考えるようになりました。自分たちのオリジナルは何かということです。それは、欅並木だと。こうして2000年、歴史的に明治神宮の表参道であること、そのシンボルが欅であることから『原宿表参道欅会』と名称を変更したのです」。

中島
「そこから、原宿表参道が目指すインバウンドの方向性が決まりました。

『街歩きが楽しい街(歩いて自分の目で見て触れる観光)』『一人ひとりの個人レベルで楽しめる街の魅力発信』『人間的な交流やホスピタリティが生まれる街』『国内客と海外客の観光施策を変えない』『即効性の集客を競うのではなく、リピーターにつながる街のファンづくり』というものです。

今回の『Tokyo Grand Shopping Week』でも、原宿・表参道の路地裏歩きガイドツアーを実施しました。外国人客にチープだけどクリエイティブなものが見つかることが、この街の魅力だと知ってほしかったのです。それがこの街のDNAだからです」。
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商店街振興組合原宿表参道欅会
東京都渋谷区宮前6-9-1 冨永ビル地下1階2号室
http://omotesando.or.jp/jp

<編集後記>
近年、各地の商店街が外客誘致に向けた取り組みを始めているなか、日本で最も有名なストリートのひとつである表参道がインバウンドに取り組んでいると聞いて、ぜひお話をうかがってみたいと思っていました。

松井理事長はこんなことをお話になっていました。
「もともと在住外国人も多いので、10年前はわざわざ海外から外国客を誘致しようなんて誰も考えていませんでした。2004年頃から都の働きかけで、いくつかの国際観光に関する会合に出席しましたが、外客誘致のために先行投資をすることは誰も望んでいなかったことから、議論は堂々めぐりの時期が続きました」。

一方、中島さんは言います。「なぜインバウンドなのか。将来は人口減、商店街のライバルは楽天という時代に、いかに街で買ってもらえるか。これは全国の商店街の共通の課題となっているはずです」。

表参道にはまちづくり協議会の地道な活動があり、ファッションビルが次々と建てられても、住民が郊外に移らず、コミュニティが維持されるような施策に取り組んできたそうです。これは百貨店や大型量販店だけが連携してキャンペーンを行った新宿との違いでしょうか。

さすがは時代を先駆けて「キープ・クリーン/キープ・グリーン」を実践してきた表参道ともいえますが、全国どこでもこんなにスマートな外客誘致を進めることができるとは思えません。結局のところ、どれが正しいではなく、それぞれの街の土地柄に見合った手法を見つけていくことが大切なのだと思いました。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-26 10:32 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2014年 04月 19日

タイの日本旅行番組『MAJIDE JAPAN』の影響力はマジですごいらしい

前回(タイ人留学生とお土産談義~なぜ日本の文房具は人気なのか?)の留学生のコメントにもあったように、タイではさまざまなメディアで盛んに日本旅行を後押しする企画が登場しているようです。では、具体的にはどんな内容の作品なのでしょうか。

参考になるのが、今年2月に開催されたタイのトラベルフェアに合わせて、日本政府観光局(JNTO)バンコク事務所が実施した訪日ツアーを精力的に販売した旅行事業者や、訪日観光に貢献した個人・団体を表彰する「Japan Tourism Award in Thailand」です。2月21日、トラベルフェア会場となるバンコクのシリキット国際会議場で4 回目となる表彰式が行われています。

以下、同事務所の2月24日付けリリースをもとに、「訪日観光に貢献した個人・団体」の受賞者を紹介します。タイのトップスターから映画、テレビ番組、CMなど、実に多様なメディアが受賞していて、興味深いです。それぞれ動画もリンクしているので、作品の概要もわかるようにしてみました。

●Thongchai McIntyre (Bird)/ トンチャイ・メーキンタイ氏

「タイ人なら知らぬ人のいないタイの国民的スター。タイのエンターテインメント界を代表する存在として、デビュー以来約30 年近くにわたり、俳優・モデル・歌手として活躍している。俳優としての代表作は、主役である日本人将校『小堀』役を演じたテレビドラマ『メナムの残照(クーカム)』(1990 年)、同名映画(1996 年)等。歌手としてもヒット曲が あるが、東日本大震災支援のためチャリティーソング『明日のために』をリリースし、タイにおける大震災復興支援に大きく貢献した。2013年は2月にHBC国際親善広場大使として第64回さっぽろ雪祭りへ参加。3月には沖縄県の招請により、人気女性誌『Praew』の表紙撮影のため、沖縄を訪問。また11月にはタイ代表として東京で開催された『日・ASEAN音楽祭』へ参加する等、彼の日本での活動の様子がタイでも大きく報じられ、タイにおける訪日機運を大きく盛り上げた」(リリースより)。

トンチャイ・メーキンタイさんといえば、「バード」の愛称で知られる国民的歌手です。1990年代にタイを訪ねた頃、よく街に流れていたことを思い出します。彼は東日本大震災のためのチャリティーソングを歌っていたのですね。以下、その曲の動画です。一部日本語でも歌っています。

อีกไม่นาน (明日のため) - Bird Thongchai
https://www.youtube.com/watch?v=9EmtcjNuLac

これは昨年11月、日・ASEAN音楽祭で歌うトンチャイさんです。

Bird Thongchai - ASEAN-Japan Music Festival 2013
https://www.youtube.com/watch?v=Q1KMd2Paki0

今回の「Japan Tourism Award in Thailand」表彰式 のために寄せられたトンチャイさんの受賞メッセージが、日本政府観光局バンコク事務所のHPのトップページに掲載されています。タイ語のサイトですから、一瞬面食らいますけど。

トンチャイさん受賞メッセージ
http://www.yokosojapan.org/
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「Praew」 2013年 5月 10 日号沖縄特集表紙

●Charoen Pokphand Foods Public Company Limited

「1978年に創業したジャルン・ポカパン・フード社(C.P.Group)は、現在タイを代表する食品企業であり、世界有数のアグリビジネス企業として、海外でも広く活動を展開している。タイ国内では、常に巧みな消費者向けキャンペーンを実施しているが、2013年の『CP Surprise!』プロモーションでは、同社の加工食品を購入すると、日本行きのツアーが当たるというもので、日本をイメージさせながら消費者の興味をそそる同社の広告は、街の話題となり、同社のプロモーションの成功は、2013年のタイの訪日市場に大きな影響を与えた」(リリースより)。
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以下の動画はタイのテレビで放映された同社のCMフィルムです。これもタイ語なので、何を言っているのかわかりませんが、コミカルな雰囲気は伝わってきます。

CP Surprise!
https://www.youtube.com/watch?v=d5zOEexrraU

●タイ映画『Hashima Project』

「2013年10月に公開されたタイのホラー映画『Hashima Project』(配給:M39制作:ForFilm)は、映画のタイトルとなったハシマが、長崎県内に実在する歴史的廃墟の端島(別名:軍艦島)であり、実際に端島で撮影が行われたことでも大きな話題を呼び、最終的な興行成績は4000万バーツ(約1.2億円)となった。同映画の長崎ロケを支援した長崎県の観光プロモーションに映画製作チームが積極的に協力した結果、ロケ地を訪れたいと実際に軍艦島に足を運ぶタイ人も増えており、軍艦島訪問を含むツアーも造成されている」(リリースより)。
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以下は、同映画のプロモーションフィルムです。

ตัวอย่าง ฮาชิมะ โปรเจกต์ - Hashima Project [Official Trailer HD]
https://www.youtube.com/watch?v=jQ8ZaSlVBtg

タイ人の若い男女5人のグループが、超常現象を撮影しようと長崎県の軍艦島(端島:ハシマ)を訪ねるという設定です。吹き替えや字幕はないため、これも内容を詳しく知ることはできませんが、タイ人にこれまでまったく無名だった「軍艦島」の存在を認知させたことは確かでしょう。

地元紙は、同映画のロケについて、以下のように伝えています。

タイ映画、長崎市でロケ 平和公園、軍艦島などで撮影(西日本新聞2013年5月1日)

長崎市を舞台にしたタイ映画「PROJECT H」のロケが市内であり、4月18日に平和公園(同市松山町)の平和祈念像前で冒頭シーンの撮影が行われた。

監督はピヤパン・シューペット氏(42)で、インターネットで見た端島(通称・軍艦島)を一目で気に入り、長崎ロケを決めたという。県観光連盟は昨年10月、タイ側からのロケ協力の呼び掛けに応じて、長崎市と計約250万円の滞在費助成をした。同連盟の土井正隆専務理事は「映画を通して長崎をPRし、タイからの観光客を増やしたい」としている。

9月にタイで上映予定の映画は、動画サイトなどに投稿するのが趣味の主人公が、仲間5人で軍艦島に撮影に訪れるという内容。主演は日本で「Kitty GYM(キティジム)」の名でデビュー経験もあるピラット・ニティパイサンクンさん(24)。「長崎は初めてだが、景色がとてもきれい。たくさんの人に映画を見てもらいたい」と笑顔で話していた。

世界遺産申請などの話題も出てきた軍艦島ですが、最近は海外からの観光客も訪れているそうです。軍艦島には、以下の航路があるようです。

軍艦島上陸クルーズ
http://www.gunkan-jima.net/

●テレビ番組『MAJIDE JAPAN』

「昨年4月よりBang Channelで毎週木曜夜11時から放映されているテレビ番組『Majide Japan』は、訪日観光に特化して、魅力的な観光地や、観光地へのアクセス方法をタイの視聴者に紹介している。レポーターのウムさんは、中国地方(鳥取、岡山、山口など)や鹿児島、新潟、群馬など、まだタイ人に知られていない日本各地の知られざる観光地を訪れ、個人旅行者向けのアクセス情報も含め、詳細かつ楽しくレポートしているため、番組で紹介した観光地を訪れるタイ人観光客も増えている」(リリースより)。
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これがタイ人留学生モンティチャーさんの教えてくれた日本旅行バラエティ番組です。彼女によると、『MAJIDE JAPAN』の影響力は「マジですごい」らしいです。以下のYou Tubeの動画で彼女もたまに見ているそうです。ちなみにMCのウムさんはおなべだとか。いかにもタイらしいですね。

MAJIDE JAPAN
https://www.youtube.com/watch?v=AskZIWDlpIQ&list=PLRVsMETJm4bXsotg7I45xLtG7famnJI9D

もともとタイでは、日本のテレビ局から版権を買って深夜枠でグルメ番組や旅行番組を毎日のように流していたそうですが、最近は自前の番組も増えているそうです。タイ語がわかれば、出演するタレントさんたちが、日本の何に驚き、面白がっているのか、わかって面白いでしょうね。それがどんなタイ人誘客のヒントにつながるかもしれません。

実は、モンティチャーさんに内容を紹介してもらった旅行ガイドブック『一人でも行ける日本の旅(Japan ญี่ปุ่น คนเดียวก็เที่ยวได้)』は、昨年の「Japan Tourism Award in Thailand」受賞作でした。今年も以下の2冊が「訪日旅行の促進に貢献した旅行ガイドブック」として受賞しています。

●ガイドブック『ガイドやツアーに頼らずに歩く日本(ญี่ปุ่น เที่ยวไม่ง้อไกด์ ไปไม่ง้อทัวร์)』
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「ガイドブック『ガイドやツアーに頼らずに歩く日本』(2013年8月Tip Thai Interbook社より発行)は、日本へ旅行する際に必要な情報を、様々な角度から紹介しており、例えば、東京周辺を5日で旅行する場合、何を用意すればよいか等の情報も網羅している。著者のポンサコーン・プラトゥムウォンさんは、今まで何度も日本を訪れ、数冊のガイドブックを執筆しているだけでなく、3年間日本へ滞在した経験を持つ。著者の詳細な観光案内と豊富な写真により、特に初めて日本を訪れる観光客にとって、非常に役立つ内容となっている」(リリースより)。

●ガイドブック『123美味しい関西(123 อิ่มอร่อยคันไซ)』

「2013年8月に出版されたガイドブック『123美味しい関西』は、大阪、神戸、京都、奈良を中心とする関西地域のレストランについて、寿司、ラーメン、カニ料理、ベーカリーから懐石料理に生鮮市場まで、幅広いジャンルの店を紹介している。著者であるピムマライさんは、自らすべての店を取材し、写真撮影と執筆を担当した。タイでは、まだ日本のレストランガイドは少なく、同ガイドブックは、日本を自分の足で旅行し、美味しい店を自分で選んで訪れたいというタイの個人旅行者のニーズに合致した内容となっている」(リリースより)。

上記2冊はまだ入手していませんが、さまざまな角度から日本旅行を面白がってやろう、楽しんでやろうという意欲を感じさせる企画が、次々と登場するのがいまのタイです。機会があれば、これらの本もどんな内容なのか、確かめてみたいと思っています。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-19 11:24 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2014年 04月 19日

タイ人留学生とお土産談義~なぜ日本の文房具は人気なのか?

前回、タイ人留学生ジャムジュン・モンティチャーさんと一緒に、タイ語の旅行ガイドブック『一人でも行ける日本の旅(Japan ญี่ปุ่น คนเดียวก็เที่ยวได้)』をめぐる問答をお届けしましたが、今回はその続きです。タイ人の日本土産と日本旅行ブームの背景について彼女の意見を聞いています。
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―実はこの本(『Omiyage』(Marugoto(Thailand)CO.Ltd刊)も昨年夏、タイ国際旅行フェアの会場で購入したものですが、バンコクのある日系出版社が刊行した都道府県別のお土産案内です。とても詳しく全国のお土産が紹介されているのですが、実際のところ、いまタイ人は日本でどんなものを買っていくのでしょうか。

「女性の観点でいうと、まず化粧品です。資生堂とDHCのサプリメント。お菓子もいろいろ。なかでも抹茶味のキットカットが人気です。東京バナナやロイズの生チョコ、タイ人はイチゴが好きなので、イチゴ入りのチョコレートにも目が離せません」
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―なぜ抹茶味が人気なんですか。

「なぜでしょう。ほかにも桜味やワサビ味などがありますが、こちらの人気はいまいちです。最近、ブルーベリーチーズパイ味のキットカット(上・甲信越限定ご当地商品)が出て、これはおいしいですね。キットカットはタイにも売っているけど、少し高いので、日本のコンビニで買えば安いことをみんな知っています。空港でまとめ買いする人も多いです。私もタイに帰省するときは、荷物のほとんどがお土産で、お菓子や化粧品がいっぱい詰まってしまいます。向こうに帰っても着るものはそんなに必要ないからですが、友達に頼まれるので、仕方ないんです」。

―他にも何かありますか。

「日本のステーショナリーが人気です。ふつう人からペンをもらっても、何これって感じですが、日本のシャーペンとか、消えるペンとかあげるとみんな喜びます。だから、最近のタイ人のツアーでは、ロフトとか東急ハンズに連れて行ってくれというお客さんのリクエストが多いそうです」。

―日本の文房具のどんなところがいいのでしょうか。

「すごくよくできているのと、タイ人は小さくて細かくて、カラフルでいろいろあるという世界が好きなんです。日本のステーショナリーを見ていると、ワクワクします」。

―タイ人のそんな感性は日本人と似ていますね。最近、タイ人客が増えたので、百貨店やドラッグストアなどでもタイ語のポップや商品説明が増えてきた気がします。

「でもね、タイ語がちょっと変なんです。たぶん、タイ語の翻訳ソフトを使ったんじゃないかと思いますけど」

―以前、タイでもちょっと変な日本語をよく見かけたものですが、逆のことが起きているんですね。ところで、タイ人がいまのように海外旅行にたくさん行くようになってきたのはいつ頃ですか。

「4~5年前からです。LCCが飛ぶようになった頃で、タイ人の所得もだいぶ上がったことが大きいです。私が大学を卒業したころは、新卒の初任給は日本円で2万円相当でしたが、いまは約5万円と聞きます。ですから、半年とか1年とかお金を貯めて、海外旅行に行きたいと考える若者が増えています。自分のための1年1回のプレゼントとして。最初は近場の香港やシンガポールに行くけど、本当は日本に行ってみたかった。

これまでヨーロッパと同じように敷居の高かった日本が観光ビザを免除したり、円安になったりして、行きやすくなったため、日本旅行のブームが起きているのだと思います。なにしろ以前は、特にタイの女性の場合、日本に行くには、半年分の銀行口座の残高証明だとか、いろんな書類を用意しなければなりませんでした。その必要がなくなったのですから。

クレジットカードをつくりやすくなったこともあります。海外旅行ローンもできるようになった。年に2回のトラベルフェアなどで安いツアーや航空券が買えるようになったので、海外旅行のチャンスが広がっています」。

―タイの人たちは日本の情報をどのように知るのでしょうか。どんな内容だと日本に旅行に行きたいという気持ちになるのかな。

「やはり影響力が大きいのはテレビ番組です。日本を紹介する番組は昔から多かったのですが、最近はタレントが実際に日本に旅行に行ってレポートする番組が増えています。たとえば、『I am Maru』とか、去年の春から放映している『MAJIDE JAPAN』は、おなべの子が日本を訪ねるバラエティです。あの番組、メチャメチャ面白いです。日本にいても、ネットで視聴できますよ」。

ガイドブック『一人でも行ける日本の旅』の中に指宿温泉や田沢湖など、いきなり渋い観光地が出てきたりするのも、タイの出版メディアやテレビ番組の制作者たちが、まだタイ人が知らない日本を競うように探して紹介しようと努めていることの表れだと思います。これほど強力な訪日旅行プロモーターはいないといえるでしょう。

実は、今年2月にタイで訪日旅行促進に貢献したとされるメディア作品などが日本政府観光局(JNTO)によって表彰されています。タイのトップスターから映画、テレビ番組、CMのプロモーションなど、多様なメディアが受賞して、興味深いです。その話は、次回に。

※(次回)タイの日本旅行番組『MAJIDE JAPAN』の影響力はマジですごいらしい
http://inbound.exblog.jp/22471451/
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by sanyo-kansatu | 2014-04-19 11:03 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2014年 04月 19日

ガイドブック『一人でも行ける日本の旅』をめぐるタイ人留学生との問答集

昨年夏、バンコクで開催されたタイ国際旅行フェアの会場で購入した1冊のタイ語の旅行ガイドブック『一人でも行ける日本の旅(Japan ญี่ปุ่น คนเดียวก็เที่ยวได้)』は、とても楽しい本です。
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タイ人女性カメラマンのBASさん(バス:ペンネーム、本名:オラウィン・メーピルン)が執筆した実践的な旅行案内です。同書は2タイトルあり、彼女が実際に訪ねた日本全国31か所の観光地について見どころや食事、宿泊施設などを詳しく紹介しています。彼女自身が撮影したユニークな写真(タイ人には、日本がこんな風に見えるのかという新鮮な発見も多数あり)や女性らしいイラストを多用し、日本語がわからないタイ人でもひとりで旅行を楽しめるような情報が満載なのが特徴です。

またこの本は、2013年2月12日に在タイ日本国大使公邸で開催された“Reception for Japan-bound Tourism Promotion”において、訪日旅行の促進に貢献した旅行ガイドブックとして「Japan Tourism Award in Thailand」を受賞しています。

もっとも、タイ語が読めないぼくには、詳しい内容はお手上げです。そこで、知り合いのタイ人留学生にこの本を読んでもらい、読後の感想やこの本の特色について話を聞きました。その結果、見えてきたのは、タイ人の日本旅行にとってどんな情報が有用なのか。彼らが日本で何を気にし、何に困っているのか。彼らの旅行意欲を掻き立てるポイントは何か、といったことです。それを理解すれば、タイ人に対する“おもてなし”にも役立つはずです。

以下、タイ人留学生ジャムジュン・モンティチャーさんとぼくとの同書をめぐる問答集です。ちなみに、モンティチャーさんはタイのペチャブリー出身で、都内某大学院で観光学を学んでいる方です。

―『一人でも行ける日本の旅』は面白かったですか。

「はい、この本はよくできているなと思いました。最近、タイで元留学生が日本の体験を綴ったエッセイが出版されています。日本でのアパートの借り方やアルバイトなど生活のエピソードや、国内旅行の話などいろいろ書かれています。私も留学生のひとりなので、よく理解できる内容なのですが、基本的に長期間日本に滞在し、日本語ができることが前提になっています。でも、『一人でも』は、日本語はもちろん、日本のことがよくわからないタイ人でも旅行できるよう、いろいろな工夫がされています」。

―それはどんなことですか。具体的に教えてもらえますか。

「まず四季の解説です。タイには日本のようなはっきりした四季がありませんから、何月から何月までが冬という基本的なことから、それぞれの季節に何が見られるかなど、わかりやすく説明しています」。
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―タイ人に人気があるのはどの季節ですか。

「いちばん人気は春ですね。桜の季節です。タイ人にとって満開の桜は憧れです。次は冬。タイ人は一度は雪を見てみたい。触ってみたいと考えているんです。日本旅行にいつ行くべきかを決めるためには、まず四季を理解しなければなりません」。

―行く時期を決めたら、次はどうやって行くか、でしょうか。

「最近、タイの旅行会社はたくさんの日本ツアーを販売しているので、そこから選ぶのもいいのですが、いまは観光ビザも免除されているので、若い人たちほどツアーに参加せず、個人旅行をしたいと考えています。
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ただし、日本を個人で旅行しようとするとき、いちばん大変なのは移動手段です。交通運賃がタイに比べて高いので、JRパスのような外国人向け割引券の情報は欠かせません。成田や関空から都市圏へのアクセスや、新幹線に乗って日本各地に行く場合の大まかなルートや所要時間も知りたいです。また東京の地下鉄は複雑なので、うまく乗りこなすためには、自動販売機やスイカの使い方などを知っておくと便利です」

―確かにこの本では、交通の利用法についてたくさんのページを割いているようですね。HyperdiaやJorudanのような乗換サイトの使い方も詳しく説明されています。
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「ホテルについても、五ツ星クラスからビジネスホテル、ゲストハウス、旅館、民宿と分けて解説しています。日本に住むタイ人家庭にホームステイする方法も書かれていますよ」。

―これは持ち物チェックリストですね。日本の旅行ガイドブックにもよくあります。右のページは何でしょうか。
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「季節ごとの衣服のコーディネイト例です。タイ人には日本の寒さや暑さがよくわかりませんから、季節ごとにどんな衣類を用意し、何枚くらい重ね着すればいいのかという目安をイラストで説明しています。

またこの本の筆者はカメラマンなので、撮影器材やバッグの収納法なども写真付きで解説しています」

―タイ人は写真を撮るのが好きだそうですね。それぞれの観光地で、どのポイントから写真を撮ればいいか、そういう情報が重要だといいますね。

「タイ人は真似するのが大好きなんです。日本旅行に行った友達のFacebookを見て、自分も同じ写真が撮りたいと。その点、この本はカメラマンが書いているので、撮影のポイントについて細かく触れているのが人気の理由ではないかと思います」

―後半には、コンビニの商品紹介や自動販売機の使い方の解説などもありますね。

「タイにも日本のコンビニはあるのですが、日本でしか売られていない商品も多いので、タイ人はすごく気になるのです。飲み物やアイスクリームの自動販売機も使ってみたくなるんです。

それからこれはタイ人に限らないかもしれませんが、個人旅行する外国人にとって役に立つのは、コインロッカーの使い方でしょうね。駅に荷物を置いて観光したり、買い物したものを置いておいたり、すごく便利ですから。それと、日本語のわからないタイ人が何より知っておきたいのは、ウォシュレットの使用法です」。

―確かに、ボタンがいろいろあってわかりにくいですよね。ここではボタンごとに機能を説明しています。
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「いまタイ人がいちばんほしいのはウォシュレットといわれるくらいなんです。ようやくバンコクの新しいショッピングモールなどで導入が始まっていますが、まだまだ一般的でないので、ウォシュレットと一緒に記念撮影するタイ人もいるほどです。Facebookによく出てきます。あと日本の和式トイレの座り方がわからないタイ人も多い。実は、日本と逆に座るので…」

―そういえば、タイでは便座のないトイレの場合、扉のほうを向いて用を足すけど、日本の和式トイレは背を向きますものね。なるほど、トイレの使い方の情報は重要ですね。

ところで、2冊目のJapan 2には、日本語旅行会話がありますね。これを見て面白いと思ったのは、限られた誌面にタイ人にとって重要なアイテムを網羅しようとしていることです。たとえば、食べ物は全部で34個出てきます。こんな感じです。

お茶、日本酒、ラーメン、すき焼き、しゃぶしゃぶ、そば、焼きそば、そば・うどん、おでん、焼き鳥、お好み焼き、たこ焼き、幕の内弁当、かっぱ巻き、玉子、さけ、いくら、えび、かに、いか、たこ、まぐろ、かつお、さば、あなご、牛肉、とんかつ、天ぷら、丼もの、かつ丼、親子丼、牛丼、天丼、うな重

タイ人の多くは日本に来て、こういうものを食べているのだなあと。やはり、お寿司の光ものは食べないんですね。たこも気味悪がって食べたがらないという話を聞いたことがありますが、そうでもないのかな。

「タイ人は日本食が好きですからね。お寿司もそうだし、最近は日本のケーキがおいしいと評判です。私の友人も日本でケーキを食べたら、タイのケーキは食べる気にならないなんて言っています」。

―それから、温泉に入る作法や浴衣の着方などもイラストでわかりやすく解説していますね。
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「水着はNGとか、お湯につかる前に掛け湯をするといいとか、お風呂の中で日本酒を一杯というのはダメですよと」。

―この本にはたくさんの特色がありますが、まとめるとどういうことになるでしょう。

「この本の書体は若者向けのフォントを使っています。手書きに近いやわらかいフォントで、私が高校生のころ流行っていました。それがかわいいイラストとマッチしています。若い世代向けのガイドブックだと思います」。

―そういう意味でも興味深いのが、この本に紹介される場所です。書き出すとこうなります。

Japan
東京、横浜、鎌倉、富士五湖、箱根、金沢、高山、名古屋、大阪、京都、広島、熊本、指宿、別府

Japan 2
  青森、弘前、田沢湖、盛岡、角館、乳頭温泉、鳴子温泉、仙台、山寺(山形)、蔵王、日光、東京、京都、奈良、神戸、大阪

これを見て思うのは、最初の巻こそ代表的な観光地が網羅されていますが、Japan 2は東北に偏っていて、日本人の感覚からいうと、ほかにもっと王道の観光地があるだろうに、と思ったりもします。また最近タイ人の増えている北海道もありません。

でも、考えてみれば、日本人にとっての王道が必ずしも外国人から見て魅力的とは限らない。それぞれの国の人たちが自分たちの王道を決めればいいことでしょう。震災のあった東北にこの本を読んでたくさんのタイ人が訪ねてくれたらうれしいですね。

「やはり面白い旅行のルートが知りたいのです。どこにどう行けばいろいろ楽しめるか。Japan 2の最後に3つのモデルコースが紹介されています。こういう情報がもっと知りたいです」。

最初のコースが、4泊5日の関西周遊で京都と奈良を訪ねるもの。ふたつ目が9泊10日で、東京から仙台、鳴子温泉、日光をめぐり、そこから急に京都に向かい、奈良と神戸を訪ねて関空から帰国するコース。最後が13泊14日で、東京、弘前、田沢湖、青森、角館、鳴子温泉、仙台、山寺、日光、そしてここでも急に大阪に向かい、京都や奈良をめぐって関空から帰るコース。

おそらく最後のコースは、Japan 2の内容に合わせたルートですね。これを見て思うのは、タイ人にとって京都や奈良の魅力は絶大なのだなということ。仏教国のタイ人にとって古いお寺を訪ねることは大切なんですね。

タイ人が本当に行きたいところだけ行くと、こういう自由な旅になるのでしょう。こういう旅をもっと多くのタイ人が体験できたらいいですね。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-19 10:52 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2014年 04月 14日

戦前期も今も変わらない外客誘致の3つの目的(このブログの目的その4)

ここ数年、日本のインバウンド振興の目的について、いろいろ考えさせられる事態が起こりました。とりわけ2010年と12年秋に起きた中国との尖閣諸島をめぐる確執によって、いかに外客誘致が国際関係に影響されるか、あらためて思い知らされました。

東アジアのグローバル化によって日本を取り巻く国際環境が大きく変わるなか、その変化の意味を国民的な理解として深めるうえで、訪日外国人旅行市場の動向はとても有効な現象だとぼくは考えてきました。

しかし、近年の国際環境の変化は、インバウンドの目的を単なる「経済効果」にのみ求めようとすることの虚しさを感じさせられます。

こういうときは、歴史をひも解くことで、今日にも通じる知見を得られないものだろうか。それが、戦前期の日本のインバウンドの歴史を調べてみようと考えた理由です。

歴史から学ぶインバウンド
http://inbound.exblog.jp/i38/

恰好の資料となったのが、ジャパンツーリストビューローが発行した「ツーリスト」でした。同誌は1913年6月に創刊され、敗戦間際の1943年まで刊行され続けます。

※ジャパンツーリストビューローは、1912年鉄道院(現在の国交省に近い)の外局として設立された観光広報機関。現在のJTBの前身でもありますが、むしろ日本政府観光局(JNTIO)の前身といったほうが実態に近い。

同誌は、戦前期、すなはち1910年代から30年代にかけての国際環境に、日本の外客誘致がいかに翻弄されたかを記録しています。先人たちが時局の悪化の中で、何を考え、どう取り組もうとしたかについて、今日の感覚では考えられないほどストレートな言論が繰り広げられています。

と同時に、外客誘致の目的について、当時は今日以上に明確な認識を持っていたことがわかるのです。では、その目的とは何か? 当時3つの目的があったと記録されています。

その内容については、以下のとおりです。これは「やまとごころ.jp 28回 100年前の外客誘致はどうだった? 戦前期からいまに至るインバウンドの歴史の話」の一部抜粋に、あらたに加筆したものです。

外客誘致の目的はいまも昔も変わらない

100年前の日本は、日露戦争に勝利し、世界デビューを果たしたばかりでした。しかし、国民経済は西欧諸国に比べるとまだ貧しく、彼らから学ぶべきことが山のようにありました。

では、そもそも当時の外客誘致の目的は何だったのでしょうか。

ツーリスト創刊号(1913年6月刊)の巻頭には、「ジャパン、ツーリスト、ビューロー設立趣旨」なる以下の文章(一部抜粋)が寄せられています。

「日本郵船会社、南満州鉄道会社、東洋汽船会社、帝国ホテル及我鉄道院の有志聯合の上『ツーリスト、ビューロー』を設立せんことを期し、諸君の御会合を請ひたるに、斯く多数其趣旨を賛成して、御参集を辱ふしたるは、我々発起人一同の感謝とするところである。抑も漫遊外客は、我日本の現状に照らし、各種の方面より大いにこれを勧誘奨励すべきは、今更贅言を要せない次第である、外債の金利支払及出入貿易の近況に対し、正貨出入の均衡を得せしめんが為め、外人の内地消費を多からしむるに努め、又内地の生産品を廣く外人の耳目に触れしめて、我輸出貿易を発達せんが為め、国家経済上の見地より、外国漫遊旅客の発達を促すは、刻下焦眉の急たること申す迄もなく、更に一方により考ふれば、東西交通の利便開け、東西両洋の接触日に頻繁を加ふるの際、我国情を洽く海外に紹介し、遠来の外客を好遇して国交の円満を期すべきは、国民外交上忽にすべからざる要点である」。

ここでは、当時の外客誘致を提唱する基本的な考え方として、以下の3つの目的を挙げています。

①「外人の内地消費」
②「内地の生産品を廣く外人の耳目に触れしめて、我輸出貿易を発達せんが為め」
③「遠来の外客を好遇して国交の円満を期す」

①「外人の内地消費」とは、文字通り「訪日外国人の消費による経済効果」のことです。まだ貧しかった当時の日本にとって、国際客船に乗って訪日する富裕な欧米客の消費力に対する期待は今日以上に高かったことでしょう。当時はまだ航空旅行時代ではありません。島国である日本へは船で来るほかなかったのです。ちなみに、世界で航空旅行時代が始まったのは1940年代頃からです。

興味深いのは、②「内地の生産品を廣く外人の耳目に触れしめて、我輸出貿易を発達せんが為め」です。ここにあるのは、外客誘致の本当の目的は、日本滞在中多くの外客に国内産品を消費してもらうためだけではなく、その良さを広く知ってもらうことにあるという輸出立国的な認識です。インバウンド振興の目的をツーリズム産業内の市場拡大や地域振興とみなすだけでなく、それを輸出産業につなげてこそ意味があるという論点は、すでに戦前期からあったことがわかります。むしろ、「訪日外国人の旺盛な消費への期待」ばかりが語られがちな今日よりも、当時のほうが物事の本質が明確に意識されていたようにも思います。

さらに、この論点を深めると、こういう言い方もできます。インバウンド振興の真の意義は、製造業をはじめとするさまざまな国内産業やインフラに対する投資の誘発や新しい雇用を生むことにある。それは目先の消費効果より重要だというべきなのです。

③「遠来の外客を好遇して国交の円満を期す」は、外客誘致の目的は国際親善にあるという認識です。

「ツーリスト」誌上では、その後、外客誘致に対する「経済効果」論争が繰り広げられます。外客による消費を重視する立場と、国際親善こそ重要で経済効果は二義的なものだという主張に分かれるのです。後者の主張が生まれた背景には、1914年に始まった第一次世界大戦で戦場となったヨーロッパ諸国からの訪日旅行者が一時的に減ったことや、その後の長い日中対立がありました。

たとえば、ツーリスト10号(1914年12月)では、「(第一次世界大戦で)欧州方面に失ひたるものを米国方面に補ひ」(「時局と外客誘致策」)というようなヨーロッパに代わる外客誘致先としての米国への取り込みを促す論考。またツーリスト26号(1917年7月)では、「日支两国民間に繙れる空気を一新し、彼の眠れる友情を覚醒し以て日支親善の楔子(くさび)たらん事を期す」(「日支親善の楔子(支那人誘致の新計畫)」と、悪化する当時の日中関係を中国人の訪日誘致によって相互理解を深め、改善しようと提言しています。国際情勢がいかに外客誘致に影響していたかがわかる話ですが、今日においてもそれが同様であることは、ここ数年の近隣諸国との関係悪化で私たちもあらためて理解したばかりです。

これは今日の言葉でいうと、「パブリック・ディプロマシー」(伝統的な政府対政府の外交とは異なり、広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動のこと)といっていいと思います。日本は過去の歴史を鑑みて、その教訓を学ぶとすれば、周辺国のみならず広く対日イメージを良好にするよう努めることが大切です。訪日外国人市場を盛り上げることは、そのために最も友好な手段のひとつなのです。

パブリック・ディプロマシー(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/faq/culture/gaiko.html#01

こうしてみると、戦前期の外客誘致の目的や課題は、今日となんら変わらないものであることがわかります。現在の日本政府や観光庁が主導する官民挙げたインバウンドの取り組みは、すでに100年前に企画され、実施されてきた事業だったのです。

その後、昭和(1930年代)に入り、日本のインバウンドは進展を見せます。国策として全国各地に外客のための西洋式ホテル建設が積極的に進められました。志賀高原ホテルや川奈ホテル、志摩観光ホテルなどのリゾート系クラシックホテルの多くはこの時期建てられたものです。全国の行楽地に、とりあえず西洋人が安心して泊まれるベッドを備えたホテルをつくらなきゃと懸命になっていたことを思うと、なんとも健気な時代だったといえます。

しかし、時局は戦時体制に向かい、結局のところ、外客誘致どころではなく、敗戦を迎えます。それでも、戦後の混乱期を抜けると、再び外客誘致が始まります。その契機となったのが、1964年の東京オリンピックでした。

そして、いま私たちは2020年開催予定の東京オリンピックをひとつの節目として見据え、インバウンド振興を進めています。こうして歴史を振り返ると、日本はすでに外客誘致に関してそれなりの経験を積み重ねてきたことを知ると同時に、いいことも悪いことも含め、これから先も似通った経験をしていくことになるのだろう、という気がします。

それだけに、過去の歴史には、今日から見ても学べる多くの知見があります。今後は、ツーリスト創刊号で提唱された外客誘致の目的のうち、②や③の視点がより重要になってくるように思います。すなはち、訪日外客による直接の消費を期待するだけでなく、それを日本のものづくりと直結させていき、国内産業への新たな投資や雇用に結びつけようとする動き。さらに、近隣諸国との関係も含め、訪日旅行プロモーションをいかに国際親善につなげていくかという点でしょう。

大正期に一から始まった日本の外客誘致の取り組みを知り、先人の思いや心意気を思うと、それを断絶することなく、きちんと受け継いでいく必要がある。そんな殊勝な気持ちになります。

※このブログの目的 その他
インバウンドって何? (このブログの目的 その1)
http://inbound.exblog.jp/16731053/
移民労働者からレジャー観光客に変貌した中国人(このブログの目的 その2)
http://inbound.exblog.jp/16898533/
中国人観光客は新興国の消費者の貴重なサンプルです(このブログの目的 その3)
http://inbound.exblog.jp/16998645/
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by sanyo-kansatu | 2014-04-14 12:17 | このブログの目的 | Comments(0)
2014年 04月 14日

ゴールデントライアングルの中国カジノに潜入してみた

2013年8月中旬、タイ最北部にあるゴールデントライアングルで王冠を被せたような奇妙な建物を見かけたことを先日、書きました。地元の人に聞くと、カジノだといいます。
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インドシナ3カ国が接するゴールデントライアングル最新国境風景
http://inbound.exblog.jp/22434567/

チェンセーンのボート乗り場に戻ると、すぐにトゥクトゥクに乗ってゴールデントライアングル方面に向かいました。対岸にあるカジノに行く方法を知りたくなったからです。
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メコン沿いの道路を10km近く走ると、右手に大きな施設が見えてきました。
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「湄公河金角万庆公司(MIC)」と書かれています。
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建物の中に入ると、ひと気はなく、休業状態のように見えました。それでもくまなく探すと、「Kings Romans Resort」という旅行会社がありました。

スタッフらしき男性がいたので、「カジノに行きたいのだけど?」と尋ねると、男性は時計を見ながら「いいですよ。でも今日はもう時間がありません。明日またここに来てください。車でイミグレーションまでご案内します」。

すでに午後4時を回っていました。「パスポートを忘れないでくださいね」。やった。明日にはカジノに行けそうです。

翌朝8時、「Kings Romans Resort」を訪ねました。昨日の男性はいませんでしたが、別の男性が車に乗せてイミグレーションまで運んでくれました。
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これがチェンセーンのイミグレーションです。この町に出入国管理所があるなんて知りませんでした。数年前に開設されたそうで、対岸のカジノに行くために特設されたものと思われます。
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出国手続きをしていると、団体ツアー客が上陸してきました。手にしたパスポートを見ると台湾人のようです。なるほど、ゴールデントライアングルの中国カジノはすでに台湾など華人系のツアーの一部に組み込まれているものと思われます。子供連れの家族も多く、いったいこんな人たちもカジノに行くのだろうか、といぶかしく思いましたけど。
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さて、今度はぼくがラオスに向かう番です。ボート乗り場に行って「カジノに行きたい」というと、すぐに対岸に運んでくれました。料金はいらないそうです。
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ところが、ラオス側に上陸しても、ボート乗り場の周辺には誰もおらず、イミグレーションらしき建物も見当たりません。このままだと密入国できちゃうぞと思いながら、ボートの運転手に聞くと「あっちだ」と円形ドームのような建物を指さすだけ。仕方なく歩いていくと、確かにこの立派な建物はイミグレーションでした。
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中に入ると、出入国チェックのブースがありました。入国スタンプをもらったものの、周辺には誰もいません。今度はどうやってカジノまで行けばいいのかわからない。対岸から見た限りでは相当離れているようです。

困り果てていると、しばらくしてイミグレーションの前に車が現れました。手を振り車を停めさせ、「カジノに行きたい」というと、すぐに乗せて運んでくれました。送迎用の専用車でした。
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カジノに向かう道路は整備されていました。両脇に太いパームヤシが植えられ、広い二車線道路が延々のびていました。途中行き交うのはランドクルザーやゴルフ場にあるようなカート、あとは自転車に乗ったラオス人労働たちです。見ると、通りの名は「花园东路(花園東路)」です。
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5分ほど車で走ると、ボートの上から見た王冠の建物が見えてきました。いよいよ潜入です。
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少し緊張しましたが、なんのことはない。カジノに入るには、パスポートのチェックだけであっさりOKでした。
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そこに広がっていたのは、いかにも華人好みの趣味の悪い空間でした。中国の温浴施設やレジャー施設のロビーによくあるやたらと天井の高い構造です。ホント彼らはこういうのが好きですね。
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なおも進むと、広い賭博スペースがあり、ブラックジャックをやっていました。見ると、客層は華人ばかり。ディーラーも華人女性。フロントや両替、飲食の給仕スタッフは華人とラオス人が混じっています。
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さすがに人の顔は写せないので、角度を変えて館内をこっそり隠し撮りしたわけですが、カジノ内は飲食無料で、レストランも併設されていました。彼らはここで数日間、好きに飲み食いしながらギャンブルに興じて過ごすのでしょう。華人がなぜ自国では禁じられているカジノを周辺国の国境付近にやたらとつくりたがるのか。それはマネーロンダリングといった経済的な理由もあるでしょうが、心底こういう遊興が好きだからと思います。中国人のクルーズ好きは船内で気軽にカジノが楽しめるからだといわれるのも、同じ理由でしょう。

ぼくも含めて、一般の日本人はこういう場に慣れていないだけで、中国のカジノは、どれだけ見かけは派手に見えても、それ自体はカジュアルなアミューズメント施設といえそうです。ただし、もう一回海外旅行に来られるくらいのお金は用意しておかないと、存分には楽しめないでしょうけれど。
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奥にはスロットマシーンもありました。ただ、客はそんなに大勢いる感じはありません。
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「賭王大賽」(カジノ王大会?)。イベントもやっているようです。
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外に出て建物の周囲を見て回ると、ローマ時代風のレプリカ像が取ってつけたようにいくつも並んでいます。ラオス人労働者らの姿もあちこちに見かけます。
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車を降りて気がついたのですが、カジノの周辺には想像以上にいろんな施設があります。しばらく歩いていると、こんな立派なチャイナタウンの門がありました。「唐人街」と書かれています。中国の地方都市で、街の中心部を再開発して観光名所にした商店街などによくあるタイプです。
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奥には、これもよくあるテーマパークのような商店が並んでいました。ここにもひと気はありませんでしたが、「老挝人民民主共和国金三角经济特区唐人街揭幕処式(ラオス人民民主共和国ゴールデントライアングル経済特区中華街開幕式)」という赤い垂れ幕が通りに掲げられていました。このチャイナタウンはできたてほやほやのようです。
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ボートから見たホテル「金木花园酒店(Kapok Garden Hotel)」もありました。
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どんなホテルか覗きにいくと、ごく普通の中国のホテルでした。フロントに華人女性がいたので、「どこかで食事はできないか」と尋ねると、「ここにはありません。カジノの中で食べられますよ」とのこと。ホテルのレストランは営業していないそうです。確かに、これだけ広いリゾート施設としては客の数は少なすぎて、飲食施設もやたらと営業できないので、観光客の食事はまとめてカジノ内ですませてもらう、ということのようです。
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ほかにも「商业街(ショッピング・ストリート)」なんてのもありました。おそらくショッピングモールにするつもりだったのでしょう。
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モンゴルの民族家屋パオが並ぶ一画もありました。少数民族のテーマパークのようです。中国各地の地方料理を掲げた食堂街もありました。
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少し離れた場所には、競馬場もありました。ただし、クラブハウス風の建物と馬小屋があるだけで、肝心の馬はいませんし、そもそも中は草ぼうぼうの荒地のまま。

こうしてぼくも事態をだんだん飲みこめてきたのですが、要するにここは、いわゆる中国がラオスにこしらえた総合複合リゾート施設だったのです。いま東京湾で推進の動きが話題となっている「カジノを中核とした複合リゾート施設(Integrated Resort=IR)」というやつです。あくまで華人仕様ですけど。子供連れの台湾客がいたのもそのためでしょう。

実は、「ゴールデントライアングル経済特区」は中国の金木棉集团公司が、ラオス政府から102km²の土地を99年間租借し、リゾート開発したものです。そこでは中国の携帯電話が使え、これまで見てきたように道路の案内表示も中国語表記、チャイナタウンすらできています。2009年9月9日にラオス政府が中国と批准しました。特区内では中国の広範囲な自治権が認められています。

数日前、中国・ラオス国境のボーテンでも見たリゾートホテルが廃墟化した光景に比べると、こちらはさすがに世界的に有名な観光地であるゴールデントライアングルという地の利もあるのか、ゴーストタウンというほどの寂れ方とはいえないかもしれません。でも、欧米客はまずここには訪れそうもありません。わざわざゴールデントライアングルに来て、中国の田舎のリゾート施設に足を運ぶ理由がないからです。カジノに行きたきゃ、彼らはマカオに行くでしょう。

せいぜい華人ツアー客をコースの一部に組み込んで送客するか、年に数回イベントを開いて雲南省あたりの富裕層を集めるか。そんな集客状況ではないでしょうか。これは2000年代に地方政府によって計画され、勢いで立派なハコモノをつくってはみたものの、当初考えたほど運営はうまくいっていないという中国のリゾート開発の典型的なパターンのように思われます。

ゴーストタウンと化していた中国・ラオス国境の町ボーテン
http://inbound.exblog.jp/22437603/

なんでこんなものを作ってしまったのかなあ…。ボーテン同様、ここでもまた釈然としない思いを抱えざるを得ません。

広い敷地にひとり立ち尽くしていると、ボート乗り場に帰る交通手段がないことに気づきました。8月のラオスです。じりじり日が照りつけてきます。これは大変なことだと、かなり焦りました。

幸い、そこに救いの手が現れました。通りをひとりのラオス人青年がバイクに乗って走ってきたのです。手を大きく振り、バイクに乗せてくれと頼んだところ、彼はすぐに応じてくれました。

彼はカジノで働く労働者でした。自宅は敷地内のすぐ外の集落にあるそうです。村人の多くがここで働いているとのこと。確かに、彼の立場からすれば、もともと何もなかった村に施設を建てて、仕事を与えてくれたのは中国資本です。中国を悪くいう筋合いはなさそうです。ちなみに彼との会話は、ラオス北部で会った多くの人たちがたいていそうであるように中国語でした。

イミグレーションまで乗せてくれたので、お金を渡そうとすると、いらないといいます。なんて優しい青年なんだろう。ぼくは無理やりタイバーツを彼の手に握らせて別れました。そして、出国手続きをすませると、わずか数時間の滞在だったラオスにお別れして、タイに戻ったのでした。タイのイミグレーションでは、出入国管理官がぼくのパスポートを見て、「もう帰ってきたの」と笑いながら言いました。
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これがささやかなゴールデントライアングルの中国カジノの潜入記です。

ここ数日ぼくが見たのは、インドシナ北辺で中国がやらかしていることの一部とはいえ、共通して言えることがあります。まず、彼らは2000年代に国内でやっていたことと基本、変わらないことを海外でも同じノリでやっていたようにしか見えないこと。また、いくらラオス政府から安く土地を貸与しているからとはいえ、これらの投資の回収はそんなにたやすくないのでは、ということです。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-14 10:47 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 13日

中国発アジアハイウェイ(昆曼公路)がラオス国内の移動時間を大幅に短縮させている

前回、ラオスと中国雲南省・西双版納タイ族自治州との国境であるボーテンを訪ねた話を書きましたが、ラオス北部は近年、飛躍的に交通の便が進んでいるようです。もともと山岳地帯だった地域でこんなに移動が楽になったのは道路が整備されたからです。
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のどかな山岳部に一本道が走っています。オレンジの袈裟を着た若いお坊さんが自転車を漕いでいます。

もちろん、この道路に投資したのは中国です。今回、この地域を訪ねてわかったことですが、中国は雲南省からラオス北部をタイ方面に向かって最短で突き抜ける幹線道路をすでに完成させています。中国では「昆曼公路」と呼んでいます。2008年に開通したようです。
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中国語の地図なので地名が漢字ですが、中国雲南省西双版納(シーサーパンナ)タイ族自治州のラオス国境の町・磨憨(モーハン)、そしてラオス側の町・磨丁(ボーテン)から琅南塔(ルアンナムター)を通り、会晒(フアイサーイ)まで抜けるルートです。ここでメコン河にぶつかり、対岸のタイの町はチェンコーンです。

※ボーテンについては以下参照。

ゴーストタウンと化していた中国ラオス国境の町ボーテン
http://inbound.exblog.jp/22437603/

さて、中国国境のボーテンからタイ国境のフアイサーイまでがラオスの国道3号線です。ではこれからこのルートに沿って車窓の風景を見ていきましょう。
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まずボーテン国境ゲートです。
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ゲートから2㎞先には、大型トラックの広い駐車スペースがあります。
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物流を担うのはもっぱら中国です。
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これはボーテンの集落です。以前はここも静かな山村でしたが、いまや大型車が毎日目の前を走り抜けていきます。
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雨季だったせいか、どしゃぶり雨が降ると、雨水が道路にあふれる場所もあります。
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ルアンナムターが近づくと、静かな水田地帯が見えてきます。ラオスでは、水田の中に高床式の小さな小屋があちこちに立っています。農作業の合間に農民たちがひと休みする場所だそうです。
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ルアンナムターの市街地に入ると、少数民族の衣装を着た物売りが歩いていました。ボーテンからルアンナムターまでは約60kmで、所要1時間です。
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さて、ルアンナムターは観光の町なので、若い欧米人バックパッカーの姿も多く見られ、彼らはピックアップトラックの荷台に乗ってタイ国境のフアイサーイに向かいます。
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ここから先の道路も整備されていますが、基本的に車を所有していない大半のラオスの地元の人たちは道路を歩いて通勤・通学しているようです。ジーンズ姿の女の子もいますが、民族柄の巻きスカートの子もいます。
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時折、藁葺き屋根の集落が見えてきます。電柱も立っており、電気が使える地域もあるようです。
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フアイサーイまで151kmの標識。
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途中、日本が援助していると思われる集落がありました。集落の入り口に日本とラオスの国旗が並んで描かれているパネルが立っていたからです。いかにも海外青年協力隊の現場というような写真が撮れてしまいました。
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集落には、売店もあります。
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いろんな人たちとすれ違います。家族でしょうか。
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笠をかぶっているのは、ベトナム人? この国では少数民族の扱いでしょうか。
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トイレ休憩で露店の前に停まりました。
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バナナ、マンゴー、サトウキビなど、果物を売っていました。
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道路のすぐ脇に民家があり、車窓から眺めると、目が合った村人たちはニコニコしてこっちを見ています。なんだか申し訳ないような変な感じです。このあたりは高床式の木造家屋が多いです。
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ルアンナムターから3時間ほど走ると、フアイサーイの町が見えてきました。
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ここはバスターミナルです。ルアンパバーンやビエンチャン行きのバスも出ているようです。

国道3号線の整備のおかげで、中国からラオス経由でタイに抜ける移動時間は大幅に短縮されました。この地域の旅行ガイドブックとして定評のある「旅行人ノート メコンの国」(2007年5月 旅行人刊)によると、ルアンナムターからフアイサーイまでのバス移動が所要7時間とあります。4時間も短縮されたことがわかります。

とにかく道路のすぐそばに民家があるので、車窓から人々の生活が丸見えです。なかには家の前で水浴びしている女性もいました。思うに、道路ができても、この地に暮らす人たちの生活意識はたいして変わっていないのかもしれません。道路ができたおかげで、たまにルアンナムターなどの大きな町に行くのが便利になったのは確かでしょうけど、だからといって、自分たちの生活レベルが同じように飛躍的に改善したわけではなさそうです。

少数民族の暮らす辺境と呼ばれた地は、いつの時代も、こうして地元とは無縁の意志によって拓かれていくのでしょう。今日においては、それは中国の意志ということです。

中国からタイに向かう大型トラックは、フアイサーイからメコン河を渡るため、コンテナ船に乗らなければなりません。その様子については、以下参照。

ラオスからタイへ~ボートでメコン河を渡る(フアイサーイ・チェンコーン)
http://inbound.exblog.jp/22431852/

【追記】
現在、フアイサーイとチェンコーンの間には「第4タイ・ラオス友好橋」が架けられており(2013年12月11日開通)、コンテナ船に乗る必要はなくなりました。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-13 20:39 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)