ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 04月 13日

中国発アジアハイウェイ(昆曼公路)がラオス国内の移動時間を大幅に短縮させている

前回、ラオスと中国雲南省・西双版納タイ族自治州との国境であるボーテンを訪ねた話を書きましたが、ラオス北部は近年、飛躍的に交通の便が進んでいるようです。もともと山岳地帯だった地域でこんなに移動が楽になったのは道路が整備されたからです。
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のどかな山岳部に一本道が走っています。オレンジの袈裟を着た若いお坊さんが自転車を漕いでいます。

もちろん、この道路に投資したのは中国です。今回、この地域を訪ねてわかったことですが、中国は雲南省からラオス北部をタイ方面に向かって最短で突き抜ける幹線道路をすでに完成させています。中国では「昆曼公路」と呼んでいます。2008年に開通したようです。
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中国語の地図なので地名が漢字ですが、中国雲南省西双版納(シーサーパンナ)タイ族自治州のラオス国境の町・磨憨(モーハン)、そしてラオス側の町・磨丁(ボーテン)から琅南塔(ルアンナムター)を通り、会晒(フアイサーイ)まで抜けるルートです。ここでメコン河にぶつかり、対岸のタイの町はチェンコーンです。

※ボーテンについては以下参照。

ゴーストタウンと化していた中国ラオス国境の町ボーテン
http://inbound.exblog.jp/22437603/

さて、中国国境のボーテンからタイ国境のフアイサーイまでがラオスの国道3号線です。ではこれからこのルートに沿って車窓の風景を見ていきましょう。
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まずボーテン国境ゲートです。
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ゲートから2㎞先には、大型トラックの広い駐車スペースがあります。
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物流を担うのはもっぱら中国です。
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これはボーテンの集落です。以前はここも静かな山村でしたが、いまや大型車が毎日目の前を走り抜けていきます。
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雨季だったせいか、どしゃぶり雨が降ると、雨水が道路にあふれる場所もあります。
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ルアンナムターが近づくと、静かな水田地帯が見えてきます。ラオスでは、水田の中に高床式の小さな小屋があちこちに立っています。農作業の合間に農民たちがひと休みする場所だそうです。
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ルアンナムターの市街地に入ると、少数民族の衣装を着た物売りが歩いていました。ボーテンからルアンナムターまでは約60kmで、所要1時間です。
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さて、ルアンナムターは観光の町なので、若い欧米人バックパッカーの姿も多く見られ、彼らはピックアップトラックの荷台に乗ってタイ国境のフアイサーイに向かいます。
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ここから先の道路も整備されていますが、基本的に車を所有していない大半のラオスの地元の人たちは道路を歩いて通勤・通学しているようです。ジーンズ姿の女の子もいますが、民族柄の巻きスカートの子もいます。
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時折、藁葺き屋根の集落が見えてきます。電柱も立っており、電気が使える地域もあるようです。
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フアイサーイまで151kmの標識。
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途中、日本が援助していると思われる集落がありました。集落の入り口に日本とラオスの国旗が並んで描かれているパネルが立っていたからです。いかにも海外青年協力隊の現場というような写真が撮れてしまいました。
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集落には、売店もあります。
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いろんな人たちとすれ違います。家族でしょうか。
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笠をかぶっているのは、ベトナム人? この国では少数民族の扱いでしょうか。
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トイレ休憩で露店の前に停まりました。
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バナナ、マンゴー、サトウキビなど、果物を売っていました。
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道路のすぐ脇に民家があり、車窓から眺めると、目が合った村人たちはニコニコしてこっちを見ています。なんだか申し訳ないような変な感じです。このあたりは高床式の木造家屋が多いです。
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ルアンナムターから3時間ほど走ると、フアイサーイの町が見えてきました。
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ここはバスターミナルです。ルアンパバーンやビエンチャン行きのバスも出ているようです。

国道3号線の整備のおかげで、中国からラオス経由でタイに抜ける移動時間は大幅に短縮されました。この地域の旅行ガイドブックとして定評のある「旅行人ノート メコンの国」(2007年5月 旅行人刊)によると、ルアンナムターからフアイサーイまでのバス移動が所要7時間とあります。4時間も短縮されたことがわかります。

とにかく道路のすぐそばに民家があるので、車窓から人々の生活が丸見えです。なかには家の前で水浴びしている女性もいました。思うに、道路ができても、この地に暮らす人たちの生活意識はたいして変わっていないのかもしれません。道路ができたおかげで、たまにルアンナムターなどの大きな町に行くのが便利になったのは確かでしょうけど、だからといって、自分たちの生活レベルが同じように飛躍的に改善したわけではなさそうです。

少数民族の暮らす辺境と呼ばれた地は、いつの時代も、こうして地元とは無縁の意志によって拓かれていくのでしょう。今日においては、それは中国の意志ということです。

中国からタイに向かう大型トラックは、フアイサーイからメコン河を渡るため、コンテナ船に乗らなければなりません。その様子については、以下参照。

ラオスからタイへ~ボートでメコン河を渡る(フアイサーイ・チェンコーン)
http://inbound.exblog.jp/22431852/

【追記】
現在、フアイサーイとチェンコーンの間には「第4タイ・ラオス友好橋」が架けられており(2013年12月11日開通)、コンテナ船に乗る必要はなくなりました。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-13 20:39 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 13日

ゴーストタウンと化していた中国・ラオス国境の町ボーテン

2013年8月中旬、ラオス北西部のルアンナムター県と中国雲南省・西双版納タイ族自治州との国境地域であるボーテンを訪ねました。中国側の町は勐臘(モンラー)といいます。

少数民族トレッキングの拠点として知られるルアンナムターの市街地から約60km、車で1時間ほどの場所にあります。
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このキンキラキンの仏教寺院のような巨大なゲートがイミグレーションです。
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「Borten International Immigration(磨丁国际口岸)」と書かれています。
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中国客を乗せた観光バスや大型トラックが次々と通過していきます。
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実は同じ日、ぼくはムアンシンというもうひとつの中国・ラオス国境の町を訪ねていたのですが、そちらのローカル色たっぷりの風情とはまったく異なっています。
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国境ゲートの2㎞ほど手前には、大型バスが駐車できる巨大な駐車場もありました。ただし、駐車場の広さに比べると、トラックの数はまばらな気がします。
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これは中国が作成したインドシナの地図ですが、中国雲南省からタイ(バンコク)とカンボジア・ベトナム(ホーチミン)に抜ける2つの幹線道路を計画しているようです。そのいずれも、ラオスのボーテン国境を起点としていることから、この地の重要性がわかります。
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国境ゲートから5分ほど歩くと、巨大な建築群が見えてきます。ふと見ると「福兴路」という中国語の道路標示があります。えっ、ここは中国? 一瞬戸惑いを覚えます。
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そこには、ラオスの首都ビエンチャンでもめったに見かけないような大型ビルが並んでいました。
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中国語とラオス語が併記された中国食堂の看板も置かれていますが、そこにはほとんどひと気が感じられません。
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中国の郵便局がありましたが、営業していないようです。テナントの看板だけ残っていますが、シャッター通りと化しています。
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それでも歩いていると、ようやく人が姿を現しました。どうやら中国人のようです。やはり、ここは中国なのか?
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「黄金大道」という通りに出ました。
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通り沿いにはビルが並んでいますが、歩いているのはラオス人建設労働者が数人です。はるか後方に巨大なマンション群も見えます。いったい誰が住むのか?

どうやらここは、いま中国で深刻な問題となっているゴーストタウン(鬼城)そっくりです。それがラオス領内にあるというわけですが、これじゃまるで中国はゴーストタウンを輸出してしまっているのも同然です。
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右手にホテルらしい建物が見えてきました。中国の地方都市によくあるタイプのホテルで、「景兰大酒店」と書かれています。
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ロビーに入ると、客はいませんでした。ためしにフロントにいた中国人女性に宿泊料金を尋ねると、当惑した表情になり、代わって奥から警備の男性が出てきました。1泊1000元だと彼は言います。

本当に営業しているのかあやしいので、「高いですね。向かいにもう一軒ホテルがあるので、そちらに行ってみます」とぼくが言うと、男は「あそこはうちより高い。1泊1200元だ」と答えました。
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ところが、そのホテル(「黄金大酒店」といいます)を訪ねると、1泊なんと100元でした。「中国人は(見ず知らずの人間に対しては)息を吐くように嘘をつく」といいますが、悪びれることもなく見え透いたことをいう警備の男は、いかにも中国人だと呆れてしまいました。
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黄金大酒店の裏には、別のホテルらしき廃墟がありました。周辺は草で荒れ放題です。
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建設労働者向けの掘立小屋の背後に見える無人のリゾートホテルのわびしさは、何ともいえません。
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これらのゴーストタウンは中国国境から1kmほど離れた国道3号線の西側に広がっているのですが、道路の東側には、これまた中国の地方都市によくある食堂街のアーケードがありました。ここもひと気はなく、シャッター街です。
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インターネットカフェもあったんですね。
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ビエンチャンと昆明をつなぐ国際バスは、いまも走っているのでしょうか。
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それにしても、なぜ中国のゴーストタウンはラオスにまで輸出されてしまったのか? その謎を解くべく、国境ゲートと廃墟地区の中間に建っていた「老挝磨丁经济开发专区(ラオスボーテン経済開発専区)」ビルを訪ねてみました。
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出迎えてくれたのは、ひとりの若い中国人女性でした。だいたいこのビルにもひと気がないのですが、四川省出身という彼女は、日本から訪ねてきた珍客に対して、お茶やらパンフレットやらを用意し、親切に接遇してくれました。

どうやらこの国境エリアは、自由貿易地区に指定されており、2003年にラオス政府が香港系企業に土地を貸与したことから開発が始まったそうです。そこでは主にカジノを中心としたリゾート開発を行う計画でした。中国・ミャンマー国境と同じことをやろうとしたわけです。

ボーテン国境地区の開発については、ラオス在住のkenichiro_yamadaさんのブログ「ラオスのビジネスを読む。 -ブログ版-」に詳しく解説されていることを、帰国後知りました。

ラオスのビジネスを読む。 -ブログ版-
laotimes.exblog.jp

kenichiro_yamadaさんにメールで問い合わせたところ、いろいろ教えていただきました。

同ブログによると、彼が初めてボーテンを訪ねたのは、2008年9月です。

ボーテン国境(2008年9月5日)
http://laotimes.exblog.jp/8569316/

そこには、こんな風に書かれていました。

「本地域はラオス国内であることを、忘れてしまいそう。ここでは食べ物から飲料水、人、通貨、言葉、全てが中国でした。面白いことにホテルの時間も中国時間。中国南下の前線がウドムサイとすれば、ここはさながら基地といったところでしょうか」。

つまり、少なくとも5年前のボーテンはゴーストタウン化していなかったようです。では、どうしてこうなってしまったのか?

後日、kenichiro_yamadaさんは以下の興味深いレポートを送ってくれました。

【SEZ】ボーテンデンガームSEZが近く開始か

2013年4月11日、ボーテンデンガームSEZを訪問する機会を得た。本SEZは03年に設立され、10年2月4日付でボーテン黄金城SEZの活動に関する首相令が発布された後、「特別経済区:ボーテンデンガームSEZ(磨丁黄金城経済特区)」としてカジノを中心とした香港資本(Hong Kong Fuk Hing Travel Entertainment Group Ltd)による開発が進められた。その後、カジノ3施設、ホテル、アパート、商業施設、13階建ての3星ホテル、18ホールのゴルフ場、大規模ショッピングセンターの建設などが進められ、総合リゾートエリアとなることが計画されていた。

しかし、カジノに関連して殺人事件などが多発したこともあり、2011年半ばから中国政府が中国側国境(モーハン:磨憨)における中国人の出国時にラオスVISAの取得を条件としたことから、1日最大1万人程度の観光客が激減していた。また、ラオス政府側もカジノ犯罪の抑制が急務となったことから、11年6月頃からカジノを閉鎖し、立て直しを図った。

2012年4月には、Hong Kong Fuk Hing Travel Entertainment Group Ltd は株式の85%を雲南省のYunnan Hai Cheng Industrial Group Stock Co.,Ltd(云南海诚实业集团)に売却した。さらに、ラオス政府との間に特別経済区から特定経済区への格下げ、カジノ事業取り下げ(その他11事業は継続)の下で、ボーテンデンガーム特定経済区(磨丁经济开发专区)(資本金5億ドル、登録資本金1億ドル)として90年間1640haのコンセッション契約を締結している。

今回訪問した際に、SEZ委員会への聞き取りを行った所、以下のような回答を得た。

①現在、国家SEZ管理委員会に対してマスタープランを提出済みで、5月の閣僚会議にて協議・承認される見込み。これにより本格的な開発が再開される予定。

②中国側は中国人の相手国VISA無しでの出国を近く認める予定。早ければ6月頃を見込む。

③カジノ事業については、これまでラオス国内にカジノを規定する法律や管理する人材がいなかったことから問題が多かった。今後法律を整備することで、カジノを再開する可能性はある。

とのことであった。カジノの再開も視野に入れていることが印象的であった。

なお、中国人のラオスVISAは北京、昆明で取得することが可能であるが、国境周辺の中国人はこれまでアライバルビザでラオスへ入国するのが通例で、はるばる昆明まで取得しに行くことは難しい。
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また、マスタープラン案では、地域を4区に分類し、中国国境エリアを第1区「国門区」と設定し、免税区や金融区、バスターミナル、中国との商品交換区として開発。旧ボーテン村を第2区「伝統村・旅游区」とし、貯水池や緑地を残し、観光リゾート、エンタテインメント施設を建設する。第3区「物流区」はボーテン税関のボーピアト村周辺で、商品倉庫やホテル、レストラン施設を建設する。第4区は国道3号線の東側でゴルフ場を建設する計画。


なるほど、そういうことだったのですね。

しかし、今後このゴーストタウンが蘇ることがあるのでしょうか。

そうした悲観的な見方は、この地の人たちには通じないところがあるようです。というのも、この惨憺たる状況を前にしても、件の経済開発専区ビルの彼女は「もうすぐゴルフ場がオープンします。また来てくださいね」とにこやかに話してくれたくらいですから。まったくめげていないというのか、このへんの感覚がすごいですね。

いずれにせよ、これがインドシナ北辺で起きている「中国の南進」を象徴するひとつの事例であることを、ぼくはこうして知ったのでした。

【追記】
この地を訪れてから4年後、フジテレビが当地の取材映像を見せてくれました。当時ゴーストタウンに成り果てていたボーデンに再び中国の投資マネーが流れているようです。

一帯一路に流れ込むチャイナマネー(FNN2017.5.12)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00357960.html

「現代版シルクロード」の一環として、現在、東南アジアのラオスでは、中国主導による大規模な経済開発が進められています。人口700万人に満たない小国ラオスに、大量の「チャイナマネー」が流れ込んでいます。その現場を取材しました。

中国と国境を接するラオスの町、ボーテン。

「一帯一路」構想によって、建設ラッシュが進んでいる。

再開発される土地は、34平方km、東京ドームおよそ730個分。

物流センターや国際金融センター、雲南省とバンコクを結ぶ高速鉄道の駅などが建設されている。
その開発の中心を担っているのはラオスではなく、中国の企業。

開発業者は「ラオスの指導者は、『ボーテンは小香港、あるいは深センのようだ』と言っていた」と話した。

ラオスの町だというのに、住民の多くは中華系で、通りには中国語の看板があふれている。

使われている標準時間も、北京時間。

さらに、町は免税特区に指定されていて、免税店には、連日、中国人観光客が「爆買い」にやってくる。

商品の値段は人民元で書かれ、支払いも、ほとんどが人民元。

キャバレーも中国人向けにつくられ、今後も、さまざまな娯楽施設が建設されることになっている。

この町を、FNNが3年前に取材した時、ここは、ゴーストタウン同然だった。

10年ほど前、中国資本を頼りに経済特区としてカジノが建設され、当時は、大勢の中国人が詰めかけた。

しかし、賭博詐欺や公金流用など、中国人によるトラブルが相次ぎ、中国政府が、中国人の渡航を厳しく制限した。

このため、客足は激減し、カジノは閉鎖。

ホテルや商店の大半も、廃業に追い込まれた。

ところが、2015年、ラオスと中国は、「一帯一路」構想のため、新たに経済協力区にすることで合意。
再び開発が始まった。

今回も、中国が地元の行政機能を実質的に握って主導している。

町が活気づく一方、複雑な思いを抱える人もいる。

もともとの住民が、数km先の村に立ち退きさせられた。

住民は、「以前の場所は、中国人がたくさん買いに来たが、今は、みんな通り過ぎるだけです」、「ボーテンは両親の故郷なので、悲しくて腹立たしいです」などと話した。

初めてのサミットが開かれる「一帯一路」構想。

中国は、地域での影響力の拡大を狙い、ラオスなど途上国の住民の生活を変えながら、開発を続けている。


中国のラオス「進出」はここだけではありません。やはり4年前に訪ねていますが、ラオス北部は中国がまるで自国であるかのように開発を進めています。

中国発アジアハイウェイ(昆曼公路)がラオス国内の移動時間を大幅に短縮させている
http://inbound.exblog.jp/22439569/

フジテレビの取材陣のみなさんは、ぜひ中国国境のボーデンからタイ国境までの幹線道路の全域を取材してみられることをおすすめします。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-13 14:10 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 13日

ラオスと北朝鮮の国章はよく似ているけれど……

国章(ナショナル・エンブレム)とは、国家を象徴する紋章や徽章のことで、その国の歴史や風土、政治、文化などを表現しているといいます。一般に国旗よりもデザインが複雑で、英国のライオンやドイツの鷲のように、動物をメインモチーフとして描くこともあります。

2013年8月、ぼくは縁あってラオスと北朝鮮を訪ねたのですが、そこで発見したのは両国の国章がよく似ていることでした。

上がラオス、下が北朝鮮の国章です。
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ラオスの国章には、中央に黄金のパゴダがあり、その他の図柄のモチーフは水力ダムや道路、動力などの近代産業技術と、水田や穀物など農業に関係したものです。

北朝鮮の国章も、中央には「紅星」が掲げられていますが、その他の図柄のモチーフは水力ダムと穀物です。背後に見える白い山並みは白頭山のようです。

図柄が似ているのは、両国ともに社会主義国家であるという思想背景によるのでしょうが、特にラオスでは政府関係の建物には必ずといっていいほど国章が描かれているので、目に焼き付いてしまいました。
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いくつか撮影したのですが、よく見ると、色の描き方など手抜き(?)バージョンもあるようです。それでも、ラオスの国章は、国柄によく合っていると思いました。

今回あらためて思ったのは、両国はともに中国と国境を接する小国家であるにも関わらず、中国に対する姿勢や関係性はずいぶん違うように見えることです。

地方都市を走る道路などのインフラ建設は、両国ともに中国の投資に頼って進められています。とりわけラオス北部はほとんど中国のフリーハンドで開発が進められているようだったのが印象に残りました。北朝鮮でも、東北部の羅先地区の自動車道路は、港湾施設を中国に提供することを条件に、中国につくらせていました。今年の粛清騒動でその先どうなるかわからなくなりましたけれど。

ちなみに、両国について簡単に記しておきます(外務省HPより)。

●ラオス
面積:4万平方キロメートル
人口:約651万人(2012年,ラオス統計局)
GDP(名目):72兆7,274億キープ(約91億米ドル)(2012年,ラオス統計局)
主要援助国
(1)日本(2)オーストラリア(3)韓国(4)ドイツ(5)スイス(2010年,OECD/DAC)
※中国がラオスに対して行った道路建設や経済開発区の投資は、政府援助ではないため、ここには入らないのでしょうが、実際にはラオス社会への影響力は、断然中国が大きいといえそうです。

●北朝鮮
面積:12万余平方キロメートル(朝鮮半島全体の55%)(日本の33%に相当)
人口:約2,405万人(2009年10月,国連人口基金)

こうしてみると、ラオス一国ですら、中国の地方都市の人口規模にすぎないことがわかります。こういう小さな国が中国と対等に渡り合うなんてありえないのは無理もないでしょう。それを考えると、ある意味北朝鮮はすごいもんだと思ってしまいます。

最後に、インドシナ諸国の国章を挙げてみます。それぞれ違うのはもちろんですが、中国との距離感が図柄に微妙に反映されているように見えるところが面白いです。これらと比べると、いかにラオスと北朝鮮の国章が似ているか、わかっていただけると思います。
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ベトナム
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カンボジア
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タイ
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ミャンマー
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by sanyo-kansatu | 2014-04-13 12:34 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 04月 12日

インドシナ3カ国が接するゴールデントライアングル最新国境風景

タイ最北部の町チェーンセーンは、メコン河を隔ててラオスと国境を接しています。そこから西に10数キロ行くと、タイ、ミャンマー、ラオスの3カ国の国境が接するゴールデントライアングルがあります。もともとゴールデントライアングルは、周辺がケシの産地で、1970年代くらいまでは、いかなる国家も支配しない無法地帯でした。かつては中国国民党軍から独立したモン・タイ軍の司令官クン・サが支配していた麻薬の密造地帯だったのです。でも、いまではのどかな国際的観光地となっています。
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チェーンセーンはメコンのほとりの町で、人々はオレンジ色の川の流れをぼんやりと眺めながら暮らしています。川沿いには屋台やテーブルが並んでいますし、町の人たちも大樹の木陰に腰を掛けてじっと対岸を眺めている姿が見られます。大河のほとりに暮らす人々の日常ってそういうものなのだと思います。これと似たような光景を、中国とロシアの国境の町、黒河で見たことがあります。黒龍江(アムール河)沿いの町で、対岸との距離はちょうど同じくらいだったように記憶しています。
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さて、黒龍江の黒河でもそうでしたが、ここメコンのチェーンセーンでも、国境の河を遊覧する観光用のボートがあります。ただし、黒龍江では大型遊覧船しかなかったように思いますが、メコンでは個人用の遊覧ボートがあります。聞くと、約1時間のボートチャーターができるそうです。
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料金を聞くと、600B。数人でチャーターすれば安いものですが、せっかくここまで来てお金を惜しんでも仕方がありません。乗ることにしました。この看板にはライフジャケット着用と書かれています。
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人のよさそうなおじさんがボートを出してくれました。
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まず対岸のラオスに向かいます。3分も走ると、見えてきました。どうやら水上生活者の暮らす船のようです。
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粗末な小屋や船着き場も見えました。タイに比べると、ラオスの貧しさを感じます。
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そのうち、川べりで水浴びする子供たちを見かけました。こういうシーンはまるでセッティングされていたのではないかと思えるほど、旅人の眼を喜ばせてくれるのですが、たぶんラオスではふつうのことなのでしょう。中朝国境で見た鴨緑江で朝鮮の子供たちの水浴びする光景を思い出します。
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しばらくすると、おじさんは「いったんここで休憩。ラオスに上陸できるよ」と言いました。どういうことかな? と思っていたら、「Don Sao Hill Tribe Cultural Garden」と書かれたテーマパークらしい場所でボートを降ろされたのです。
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確かにそこはラオス領ですが、イミグレーションはありません。上陸すると、タイ人や欧米人の観光客がいました。
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とはいえ、そこにあるのは、山岳民族村というのは名ばかりで、ラオスの酒や土産品などが売られる店が並んでいました。
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またなぜか水牛が放牧(というのでしょうか)されていました。
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しばらく園内を歩いていると、おやおや…。女性もののバッグがたくさん並べられている店がありました。
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近づくと、やれやれ…。海賊品のブランドバッグです。
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ルイヴィトンだそうです。やったね、こりゃまた。
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しかも、こんなにたくさん! いったい誰がこんなものを買っていくというのでしょう。
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なんとも釈然としない気分でボートに戻ろうと川べりに歩いていくと、こんな看板が見えました。「老撾金三角经济特区(ラオス・ゴールデントライアングル経済特区)」と中国語で書かれています。なるほど、この山岳民族村は、中国の投資によるものだというわけです。海賊品が売られているのも、うなずけます。
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ボートはメコンの上流に向かって走り出しました。すると今度は、右手に(つまり、ラオス領に)王冠を被せたような奇態な建物が見えました。
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「あれっ、何?」。思わずおじさんに尋ねると、「カジノだよ」といいます。

なぜこんな場所にカジノがあるのか。ふとミャンマーと中国の国境にもカジノがいくつもあるという話を思い出しました。中国国境に近い北朝鮮の羅先にも香港資本のカジノがあります。来場者は当然中国人です。だとすると、ラオスでも同じことが…。
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そのうち、ボートはタイ側に寄り、ゴールデントライアングルの黄金のブッタのそばを走りました。
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これもこれで奇態な眺めではあります。タイ人というのは、本当にこういうキンキラキンが好きですね。
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さらに、ボートはミャンマーに向かって進みます。咥え煙草のおじさんの表情はなかなかいかしていますが、その向こうに見えるのは、ミャンマーのこれまたカジノだそうです。
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カジノの前でちょっと休憩。欧米客を乗せたボートがいます。このカジノには、ここから西に向かったタイ最北端の町メーサーイにあるミャンマーのイミグレーションで入域許可を取れば行けることを後で知りました。

おじさんは言いました。「ここはタイ、ラオス、ミャンマーの3カ国が接する場所。中国までは265kmある」。

ボートはここで折り返し、チェーンセーンに戻ることになりました。なるべくラオス寄りを走ってくれとおじさんに頼んだので、先ほど見た王冠のような建物を一部間近で目視することができました。
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「金三角经济特区欢迎你(ゴールデントライアングル経済特区はあなたを歓迎します)」と書かれていました。
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カジノの隣のホテルの名は「金木花园酒店(Kapok Garden Hotel)」とあります。
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今回のボートクルーズのコースが早わかりできる地図があったので載せておきます。スタート地点は地図の南にあるチェンセーン。まずラオス側に向かい、山岳民族村を訪ねて上陸したたわけですが、そこは島だったのですね。それから、タイ側に戻り、HUGE BUDDHAの近くを通り、メコン河が支流に割れるポイントまで来ると、そこがタイ、ミャンマー、ラオスの国境が交わるゴールデントライアングルです。ミャンマー領のカジノは、パラダイスホテルという名前のようです。

ゴールデントライアングルは、過去の歴史をすっかり忘れたかのように、いまや平穏そのもの。ラオスとミャンマー両方に中国のカジノが建てられているというのが、今日の時代を象徴しているというべきなのでしょうか。

翌日の朝、ぼくはラオスのカジノを訪ねることにしました。その話は別の機会に。

ゴールデントライアングルの中国カジノに潜入してみた
http://inbound.exblog.jp/22442674/
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by sanyo-kansatu | 2014-04-12 23:11 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 12日

タイ最北端の町からミャンマーへ~国境越えのタイムスリップ感に酔う半日観光

タイ最北端にあるメーサーイは、わずか10mほどの小さな川を隔てたミャンマーとの国境の町です。対岸はタチレイといいます。ここでは、外国人もミャンマーのビザがなくても入国可能で、最大14日まで滞在できます(※後述しますが、いまではこのまま陸路でヤンゴンまで行けるようになっています)。そこで、多くの外国人はミャンマーのイミグレーションでタチレイとその周辺地域に滞在可能な入域許可書を取り、1日だけのミャンマー観光を楽しみます。
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これはタイ側のイミグレーション。なかなか立派な建物です。ゲートの周辺は、国内外の観光客も多く、タイ名物の屋台がたくさん出ています。
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ここではタイ・ミャンマー両国民が通勤や通学、買い物などの日常生活の一部として日々往来しています。
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赤ん坊をそれぞれ抱えたふたりの女性が4人乗りでバイクに乗って国境を越えていく光景もごく普通の世界です。
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これが両国の間を流れるサーイ川です。右側の建物はタイのレストランバーです。夜は騒々しそうです。
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タイの出国手続きを終えると、両国の緩衝地帯に入りますが、ここにはミャンマー側の屋台が出ています。観光客が喉を潤すためジュースやフルーツを買っていくからでしょう。のどかです。
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これがミャンマー側のイミグレーションのゲートです。入国は向かって右側から。出国は左側からです。
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ミャンマー(北側)に向かって左側にパゴタが見えます。タイの寺院とは造形が違っています。
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ここで入国許可証を発行してもらいます。その場で写真を撮られ、500Bほど払います。これはミャンマーの辺域に位置する地方政府にとっての重要な収入源だと思われます。毎日入国して来る外国人の数はかなりのものですから。
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これが入国許可証です。

実は、このとき(2013年8月)、ミャンマーの入国係官に「来月から外国人も、ここから陸路でヤンゴンまで行けるようになる」と告げられました。これまでは、外国人がミャンマー国内に陸路で入国したまま、自由に移動することは許されていなかったのですが、この国の対外開放はこんなかたちで進んでいるのです。

それにしても、入国管理官たちがやけに陽気でフレンドリーです。それは前述したように、外国人が地方政府にとっての上客であるからには違いないのでしょうが、ミャンマーの人たちはこれから自分の国がだんだん自由になっていくことを、身をもって感じているのかもしれない。それが彼らの精神状態をハイにしているのでは、そんな気がしてなりませんでした。これは1980年代の中国や90年代のベトナムなどにも見られたように思います。

もっとも、ここではいかにもアジア的な場面に遭遇します。イミグレを出ると、すぐに入国係官の制服を着た若者に日本語で声をかけられました。「あれっ、あなた、また来たの? この前来たばかりでしょう」。

「えっ、…それ人違いじゃない(だって、前来たのはずいぶん昔)」と、一瞬慌てて否定すると、彼はくるっと振り向き、行ってしまいました。これ、タチレイのミャンマー人が日本人相手によくやるおちょくりの一種らしいです。

昔、アジア各地で日本人の背後から「落ちましたよ」と声をかけるという悪戯が大流行していました。そう言うと、日本人は必ず振り向くので、彼らからすると、おかしくてしょうがないのです。まったく「この野郎」と思うのですが、大人から子供まで遠慮なく仕掛けてくるので、これも彼らの悪意のない親しみの表現であると受け入れるしかありませんでした(タイではもうないと思います。でも、ミャンマーなら…)。

おそらく、その若い入国係官も、たいした理由があったわけでなく、ふらりと現れた日本人を軽くからかってみたかったのでしょう。人のいい日本人の中には、声をかけられるとついて行ってしまう人もいたかもしれない。別に詐欺に遭うとか深刻なケースはほとんどなかったとは思われますが、こういう人を脱力させるお出迎えは、久しぶりのことでした。これも、古き良き(?)アジアというべきでしょうか。
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さらに、ここはかつてのアジアだと強く感じさせたのが、イミグレの外に広がるタチレイの町の空気感でした。タイから数百メートルしか離れていないのに、なにやらけだるい熱気や土埃を多く含んだ空気に包まれているのです。赤茶けた粘りのある日差しの感じもそうですし、すくすくと育った熱帯の大樹も、メーサーイの町中ではほとんど見られなかったものです。

わずか100mの空間移動で時空を超えたタイムスリップ感が味わえるのが、タイ最北の町からのミャンマー訪問の面白さといえます。
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通りをまっすぐ進むと、ロータリーが見えてきました。「City of Golden Tryangle」というプレートが見えます。ミャンマー側のゴールデントライアングルを代表する町ということなんですね。
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周辺の建物には、さまざまな広告が貼られていますが、国境の町らしいのは、少数身族たちを登場させたミャンマービールの広告でしょうか。
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タイの「おいしい」ブランドの緑茶の広告もありました。
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実は、イミグレを出たすぐ右側にマーケットが広がっています。通りを埋め尽くすように張り出された傘の下には、さまざまなミャンマー土産が売られています。
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欧米人観光客の姿も多く見られます。
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売り子の中にはムスリムの娘たちもいます。彼女たちの顔に塗られたおしろいのようなものは、ミャンマーではごく一般的な女性の日焼け止めで「タナカ」といいます。彼女たちにとって、これはお化粧ではなく、日焼け止めという認識ですから、塗り方がずいぶんぞんざいに見えますが、これもご愛嬌というか、ミャンマーに来たという気分にさせられます。
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もちろん、こういういま風の女の子たちもいます。お手本はタイなのでしょう。
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海賊版DVDもいろいろあるようです。タイや香港、韓流もあります。日本のドラマもきっと見つかることでしょう。
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高名なお坊さんの読経のDVDも並んでいて、さすがは仏教に篤い国です。
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1時間ほど歩くと少し疲れたので、ひと休みすることにしました。見つけたのは、オープンエアの食堂のような店です。店内から海外のポップミュージックが聞こえてきて、「ミュージック・バー」と書かれています。
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そこはMTVのビデオを放映する食堂でした。せっかくですから、ミャンマービールを注文。
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英語のメニューがあったので、フライドヌードルを頼むと、チェンマイあたりでよく食べるカオ・ソーイに似た濃厚な味付けのやきそばが出てきました。スープ付きです。

昼間からビールを飲んだせいか、食事を終えると、突然ひどい睡魔に襲われました。しかし、その底なし沼に引き込まれていくような感じがなんともいえず心地よいのです。身体がとろけるようなまどろみ感。ここ数日の旅の疲れが出てきたのかもしれませんが、タイやラオスでは感じることはありませんでした。

気がつくと、30分ほどその場に寝てしまいました。別に薬を盛られたとか、そういう話ではありません。思うに、すべてはこの国の、あるいはこの辺境の町の空気感がそうさせたのでしょう。

ふと周囲を見回すと、客はほとんどいなくなり、ウエイトレスの子たちも食事中でした。寝ぼけていたせいか、ピンボケですいません。彼女もタナカを塗っています。
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アジアに来ると、自分の知り合いによく似た女の子がいて、びっくりすることがあります。写真の写りが悪くて彼女には申し訳ないですが、この子もそうでした。「大学時代のゼミの○○さんにそっくりだ。これはどうしたことか」なんて思ってしまうのです。すごく不思議で、おかしな気分です。いったい彼女はいまどこでどうしているのやら?

傍から見ると、そんなことを夢想しながらニヤニヤしている日本人は怪しすぎますが、ミャンマーあたりでは、彼女たちも笑顔で受け流してくれるのはありがたいことです。こういう感じは、もうアセアン第二の経済大国の首都であるバンコクあたりでは感じることはほとんどありません。

それにしても、いったいぼくは何しにミャンマーに来たのだろうか。自分なりに考えた答えは、昼寝をしに、です。これは自分ながら気に入りました。こういう時間がときには必要なんです。
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ミャンマーに来てもうひとつ面白いと思ったのが、車のプレートでした。これホンダ車ですが、この子供の落書きのような文字がミャンマーの数字のようです。かわいくて、なんとも脱力感たっぷりです。

※参考:ミャンマーの数字

夕方が近づいてきたので、そろそろタイに戻ることにしました。再びイミグレで出国手続きをし、タイ側に向かいます。途中、ミャンマー側が経営する免税品店がありました。中を覗くと、ちょっとしたブランド品やワインなどが売られていました。
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急に現代に呼び戻されたような気分になりました。
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タイ側のイミグレに向かう途中、学校帰りなのか、小学生の女の子3人が歩いていました。彼女たちはタイ人なのか、ミャンマー人なのか。どちらの学校に通っているのか? もしタイ語がわかれば聞いてみたいものですが、詳しくはわかりません。
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これが入国管理所です。外国人たちが入国のための書類を書いています。ぼくも書きました。
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タイに戻ると、今度は小型トラックに乗せられミャンマー側に帰っていく中学生くらいの制服姿の男の子たちを見かけました。

タイ最北端の町からミャンマーへの半日観光。しかし、そのわずか100mの国境越えのタイムスリップ感に酔いしれた1日でした。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-12 13:01 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 12日

ラオスからタイへ~メコン河をボートで渡る(フアイサーイ・チェンコーン)

アジアの旅の楽しさは、ローカルバスに乗ったり、ボートで川下りしたり、普段めったに味わえない乗り物体験を、選択の余地もなく、やってしまえることに尽きますね。

「選択の余地もなく」といったのは、それ以外の交通機関が存在しないので、現場に身をまかせるしかないということです。
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2013年8月中旬、ラオス北西部の国境の町、フアイサーイにいました。タイとの国境を隔てているのはメコン河です。対岸の町はチェンコーンといいます。

フアイサーイには午前中のうちに着いたので、お昼をここで取り、午後は早目にタイに向かう予定でした。
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フアイサーイでは、多くの若い欧米人バックパッカーの姿を見かけましたが、町自体はこれといって何があるというわけではありません。お昼には少し間があったので、ボート乗り場の向かいの高台にあるお寺に上ってみることにしました。
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ここからなら、対岸のタイの町がよく見えると思ったからです。
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けっこう長い階段を上ると、目の前にお寺が現れました。ワット・マニラ―トといいます。造形的にはタイのお寺に似ていますね。
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境内には、オレンジ色の袈裟を着た小学生くらいのお坊さんたちがいました。小坊主といえば、日本では「一休さん」が有名ですが、インドシナの仏教国では、当たり前のように存在しているのですね。彼らは「ハロー」といって手を振ってくれました。
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境内からは、確かに対岸のタイの様子とメコン河を渡るボートが見えました。渡し船というやつですね。
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お寺から降りて、銀行で手持ちのラオスキップをタイバーツに両替してから、町のホテルでお昼をとりました。ラオビールもこれで飲み納めです。
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さて、いよいよメコンを渡ります。まずイミグレーションでラオスの出国手続き。
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次に、ここでボートのチケットを買います。片道1万キップ(約100円)。
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川沿いにはたくさんのボートが浮かんでいます。
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対岸から地元客を乗せたボートがやって来ました。
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ぼくの乗ったボートにはタイ人の旅行客や地元の人しかいませんでした。
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岸を離れたボートから見ると、ラオス側の乗り場には国旗がはためいています。
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対岸に見えるのがタイ側のボート乗り場です。イミグレーションも見えます。
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ようやくチェンコーンに到着。地元の人はお米を運んだり、けっこう荷物があります。
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「ようこそ、タイへ」
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これがタイの入国管理所です。パスポートを見せるだけでOKです。
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2015年のアセアン統合を伝える看板がありました。これはタイの空港や国内各地のイミグレーションでもよく見かけます。
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入国手続きを終え、さてこれからどうやってゴールデントライアングル方面に行こうかと思案していると、目の前に大型トラックが何台も並んでいるのが見えました。
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どうやらラオス行きの物流車のようです。川岸に向かって歩いていくと、トラックを載せてメコン河を渡る船が停泊していました。
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船が出港するまでの時間、この光景をずっと見届けてしまいました。
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こんな重いトラックを何台も載せて、すごいなあ。まるで素朴すぎる感想ですけど、こういうときは、子供が乗り物を眺めているのと変わらないですね。
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そして、ついに出航。轟音を立てて、船はトラックをけん引していきます。

【動画】タイ・ラオス国境 メコン河の物流のいま(フアイサーイ・チェンコーン)2013年8月中旬
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※もしおひまでしたら、どうぞ。


今後、タイとラオスの間には、ビエンチャンとノーンカーイ間のようなメコン河をつなぐ国境橋がいくつもつくられていくのでしょうか。ただし、この状況からわかるのは、メコン河を下る航路や物流を考えると、下手に小さな橋をつくるわけにもいかないということでしょう。船がくぐれなくなると困りますから。相応の物流と人の往来が見込めなければ、投資も簡単にはできないはずです。ラオスの人口は、中国と比較するとおそろしく少ないのです。
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中国のインドシナ南進の勢いも、メコン河を隔てた先はそう一筋縄ではいかない気がしますが、これからどうなるのでしょう。

【追記】
その後、フアイサーイとチェンコーンを結ぶ「第4タイ・ラオス友好橋」が2013年12月11日に開通したことをネットで知りました。

第4タイ・ラオス友好橋が開通 
http://www.newsclip.be/article/2013/12/12/20069.html

「第4」とあるように、これはタイとラオスの国境であるメコン川をまたいで渡る4つめの橋ということです。橋の全長は630m、幅14.7m。建設費は16億バーツで、タイと中国が半分ずつ負担したそうです。これで、中国雲南省の昆明からタイのバンコクまでを陸路でつなぐ1本のハイウェイが完成したことになります。

現地在住の日本人のブログによると、2013年8月にぼくがこの国境を渡ったボートは、現在地元の人間以外は利用禁止で、外国人は乗れなくなってしまったようです。イミグレーションも閉鎖されたとか。ということは、ぼくはこのボートで渡るのどかな国境の最後の年の渡航者になってしまったということです。

チェンマイ在住日本人のブログより
http://chaocnx.seesaa.net/article/384002459.html

今後、中国とタイの物流はますます盛んになることでしょう。船で大型トラックを渡す光景も見納めだったわけです。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-12 11:23 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 10日

タイの長距離VIPバスはこんなに快適!

春が来て、桜の季節もあっという間に終わりました。空気がぬるむと、旅の衝動が身体に蘇ってくるのがちょっとうれしい今日この頃です。

そこで、2013年8月のインドシナ北辺旅行を思い出しつつ、出しそびれていたいくつかの報告をしようと思います。
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最初は軽い話題から。タイの長距離VIPバスはとても快適だった、という話です。

ぼくがバスに乗ったのは、タイ最北部の町で、ミャンマーとの陸路の国境ゲイトのあるメーサーイからチェンマイまでの約3時間でした。
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これがメーサーイの国境ゲイトです。しばらく見ないうちに、ずいぶん立派な建物になっていました(前日、ぼくはここを抜けて半日ほどミャンマーで過ごしたのですが、それは別の機会にしましょう)。
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ここがメーサーイのバスターミナルです。ちょっと鄙びて老朽化しているのも悪くありません。メーサーイの中心からバイクタクシーで5分ほどの場所にあります。バスのチケットは前日のうちにここに来て購入しました。200Bほどでした。
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バスは午前8時15発。少し早めにターミナルに来ていたぼくは、待合室に座ってバスが現れるのを待っていました。
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すると、8時きっかりにターミナルに置かれていたテレビの場面が突然、戦車やらタイ国旗やらが乱れる、いわゆる国威発揚的な映像に変わり、最後に国王の映像が流れました。これは毎朝8時と夕方6時に国営テレビが放映しているタイの国歌らしいのですが、何人かの若いタイ人たちは起立して国王のお言葉を拝聴していました。立っているのは女の子のほうが多いようです。バンコクのような都会では、学校にでも行かなければこういう光景は見られないかもしれません。

【動画】タイの国歌放映(一部)
※昨今のタイ情勢は、ここで謳われている国民統合の危うさを感じさせて、なんとも心配です。
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しばらくすると、バスがやって来ました。タイの長距離路線バスには、いくつかのクラスがあります。たいてい外国人はVIPバスを勧められます。ぼくの乗ったバスには、明るい黄緑色の制服を着た女性ガイドさんが同乗していました。昔からタイのバスや鉄道で働いている女性スタッフの雰囲気が好きでした。ちょっとけだるい感じの田舎のおねえさん的な接客がとても好ましく、ぼくには新鮮に感じられるからです。
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座席はリクライニング付きの快適なものです。中国の地方を走る路線バスも、最近ずいぶんよくなってきましたが、まだまだタイのほうが進んでいるように思います。
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バスガイドさんから乗客一人ひとりに、菓子パンとミネラルウォーターとマンゴージュースが配られました。朝食付きというわけです。
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タイの主要な地方都市をつなぐ幹線道路は整備されており、快適な走行でした。あんまり快適すぎて、途中メーサーイから県外に出るとき、検問があって、警察官がチェックに入って来たことくらいしか特筆することはありませんでした。

思い出していたら、急にまたこのバスに乗りたくなってしまいました。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-10 11:35 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 03月 29日

2013年、九州に寄港する外国クルーズ船はなぜこんなに減ったのか

台湾発のクルーズ客船「スーパースター・アクエリアス」は、毎年4月から10月下旬まで毎週1回、那覇港と石垣港に寄港します。同船は、日本で唯一の外国からの定期クルーズ船です。同船の寄港日に上陸する約1500人の台湾客は、那覇の風景を大きく変えています。
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※沖縄に寄港する外国クルーズ船と乗客の動向については、以下の記事を参照。
【前編】台湾発クルーズ客船、那覇寄港の1日ドキュメントhttp://inbound.exblog.jp/20363867/
【後編】台湾発クルーズ客船、那覇寄港の1日ドキュメントhttp://inbound.exblog.jp/20365044/
沖縄には欧米客を乗せたクルーズ客船も寄港しますhttp://inbound.exblog.jp/20366268/

「スーパースター・アクエリアス」は、今年も4月6日からやって来ます。那覇港に寄港する国内外を合わせたクルーズ客船の予定は以下を参照ください。

那覇港管理組合
http://www.nahaport.jp/kyakusen/nyuukouyotei2014.htm

では、沖縄以外の国内の港ではどうなのでしょうか。先ごろ、大型客船のクイーン・エリザベスが干潮時に横浜ベイブリッジを潜り抜け、横浜港に寄港したニュースがありましたが、今年も全国各地に外国クルーズ船は寄港する予定です。各港の予定は以下のサイトが参考になります

一般社団法人日本外航客船協会
クルーズ船寄港地
http://www.jopa.or.jp/port_detail/port.html

上記2サイトで調べる限り、沖縄県(那覇、石垣)は国内最大級の外国クルーズ船の寄港地といえます(国内クルーズ船を入れたトータルの2013年のクルーズ寄航数では、横浜、神戸に次ぐ3位。那覇港は外国客を乗せたクルーズの比率がいちばん大きい)。

では、今年沖縄以外ではどこの港に多くの外国クルーズ船が寄港するのか。ざっと調べてみると、以下の4港が多そうです。

横浜/「ダイヤモンド・プリンセス」(英)、「コスタ・ビクトリア」(伊)ほか
神戸/「コスタ・ビクトリア」(伊)、「サン・プリンセス」(米)ほか
博多/「コスタ・アトランティカ」(伊)、「ダイヤモンド・プリンセス」(英)、「ボイジャー」(英)ほか
長崎/「ダイヤモンド・プリンセス」(英)、「セレブリティ・ミレニアム」(米)ほか

横浜港クルーズ客船寄港予定 
http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/cruise/schedule/2014.html
神戸港クルーズ客船寄港予定 
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/leisure/harbor/passenger/schedule/
博多港クルーズ客船寄港予定
http://port-of-hakata.city.fukuoka.lg.jp/guide/cruise/index.html
長崎港クルーズ客船寄港予定
http://www.jopa.or.jp/port_detail/nagasaki.html

調べていくうちにわかったことがあります。

九州では、2012年空前の外国クルーズ船の寄港ラッシュに沸いたこと。ところが、13年に入ると大幅な減少が見られたことです。

※クルーズ船寄港回数(国内クルーズ船も含む総数)
博多港 2012年:112回→13年:38回
長崎港 2012年78回→13年:48回

なぜこんなに九州に寄港する外国クルーズ客船が減ってしまったのか。

上記2港の関係者に電話取材したところ、2つの理由が見えてきました。まず、2012年秋以降の日中関係の悪化により大型客船「ボイジャー・オブ・ザ・シーズ」「レジェンド・オブ・ザ・シーズ」(米)、「コスタ・ビクトリア」(伊)などの中国発チャーター・クルーズ船の寄港が途絶えたこと。もうひとつは、2011年末に韓国初のクルーズ船会社として創業されたハーモニー・クルーズ社が、12年2月より博多や長崎に多数寄港させた「クラブ・ハーモニー」(韓)が営業悪化のため、13年2月からあっさり運休したことです。

博多港の2012年のクルーズ船の寄港実績をみると、この年の大半の外国クルーズ船が前述した中国発および韓国発だったことがわかります。これが一気に寄港しなくなったわけですから、激減するのも無理はありません。長崎港でも状況は同じでした。

国土交通省が2012年11月に作成した外国クルーズ誘致を促進するための資料に、以下のような統計があります。

外国船社クルーズ船寄港回数上位10港(国内クルーズ船は含まない)

2005年 1位那覇29回/2位石垣29回/3位長崎24回/4位平良22回/5位横浜11回 計199回
2006年 1位長崎50回/2位広島23回/3位神戸18回/4位萩15回/5位宇野14回 計251回
2007年 1位長崎37回/2位那覇26回/3位石垣25回/4位神戸19回/5位鹿児島16回 計281 回
2008 年 1位那覇51 回/2位石垣37回/3位鹿児島30回/4位博多25回/5位長崎25回 計318回
2009年  1位那覇50回/2位長崎45回/3位石垣32回/4位博多28回/5位神戸22回 計348回
2010年  1位博多61回/2位那覇46回/3位鹿児島45回/4位石垣45回/5位長崎39回 計338回
2011年 1位石垣46回/2位那覇37回/3位博多25回/4位長崎17回/5位横浜13回 計186回
2012年 1位那覇73回/2位博多63回/3位長崎55回/4位鹿児島37回/5位石垣33回 計459回 ※ただし、これは2011年12月時点での予定。

これからの観光とクルーズ
http://www.marine.osakafu-u.ac.jp/~lab15/society/PDF/soukai/04.pdf

これをみると、もともと外国クルーズ船は沖縄や九州に多く寄港していましたが、2008年頃より急増しています。中国や韓国からのクルーズ船がこの時期に増えたためです。東日本大震災の2011年はいったん減っていますが、翌12年に大幅にアップしました。これが空前の九州クルーズラッシュとして話題となったのです。当時の状況について、観光庁長官も以下のように明るい展望を語っていました。

観光庁の井手長官、“黒船”来航でどうなる今後のクルーズ振興
http://www.cruise-mag.com/news.php?obj=20120619_01

ところが、その盛り上がりもわずか1年で萎んでしまったのでした。関係者の落胆ぶりが思いやられます。

それでも、2013年の秋頃から、少しずつ上海発のチャーター・クルーズ客船が九州各港に寄港するようになっています。ただし、その勢いは12年には到底及びませんし、実は九州の港湾関係者も、以前のように積極的に中国からのクルーズ船の寄港をメディアに対してアピールしていないようです。その背景には、2012年秋の尖閣事件直後の中国クルーズ船の熊本港寄港が中国国内でバッシングに遭ったことに対するトラウマがあるからに違いありません。日中関係が好転していないいま、あまり騒ぐとかえって中国世論を刺激し、逆効果を生むのではないか。九州のクルーズ関係者の間にそんな複雑な思いが共有されているようなのです。

東京にいると、航空便による中国客の大幅回復が強く実感されますが、九州では少し事情が異なるようです。

※もっとも、九州在住の帆足千恵さんが最近、「九州は日本のクルーズ先進地になれるか? 福岡クルーズ会議から」というコラムを書いていて、九州がいかに熱心にクルーズの誘致に再び取り組もうとしているか、報告されています。要注目です。

※2014年に入り上海発のクルーズ船は再び博多港を訪れるようになりました。寄港状況は以下参照ください。

博多港クルーズ客船寄港予定
http://port-of-hakata.city.fukuoka.lg.jp/guide/cruise/index.html
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by sanyo-kansatu | 2014-03-29 12:53 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2014年 02月 13日

27回 ラオスでは片田舎でも東京よりWi-Fi環境は進んでいます(改題)

昨年、史上初の訪日外国人数1000万人を達成し、今年の春節は中国からの訪日客も戻ってきました。街角でよく見かけるようになった外国人ツーリストは、日本でどんな風に過ごし、何を不便に感じているのか。海外の事例と比較しながら日本の受け入れ態勢の課題を検討し、訪日外客にとって居心地のいいツーリストタウンの条件について考えます。
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昨年8月、インドシナ北辺の国境地帯を1週間ほど旅しました。タイの首都バンコクから夜行列車でラオス国境の町ノーンカーイに向かい、国境の橋を渡ってラオスの首都ビエンチャンへ。そこからラオ航空の国内線でルアンナムターという少数民族の集落のトレッキングで知られる町を訪ねました。中国国境(雲南省)からも近い町です。

ルアンナムターでは、ひとりの外国人ツーリストとして、とても居心地のいい時間を過ごせました。

なぜだったのか。

ツーリストに必要なインフラがすべて揃う町

ラオスといえば、昨年11月に安部首相が訪問し、同国との経済協力を約束したことが報じられましたが、アセアン諸国の中では最貧国として知られる途上国です。目覚ましい経済発展が続く他のアセアン諸国と比べると、のんびりしたアジアの風情が残っていて、世界遺産に登録されたルアンプラバーンの仏教遺跡や少数民族の集落を訪ねるトレッキングなどが海外のツーリストの間で人気となっています。

でも、ルアンナムターの居心地がいいのは、それだけが理由ではありません。ツーリストの身になって考えれば、東京よりはるかに便利で快適な滞在が楽しめるからなのです。

どういうことでしょうか。

なぜなら、この小さな町にはツ-リストに必要なすべてのインフラがコンパクトに揃っているからです。

ツーリストに必要なインフラとは何か。それは「住(アコモデーション)」「食(グルメ)」「足(トランスポーテーション)」「観光(アトラクション)」という4つの要素です。

そこで、この小さなツーリストタウンの4つのインフラの中身を見ていきましょう。
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ルアンナムターのゲストハウス兼カフェレストラン

まず「住(アコモデーション)」から。ルアンナムターの市街地は南北2km、東西1kmの範囲にほぼ収まっていて、ほとんどのホテルがメイン通りに沿った100mほどのエリアに並んでいます。市街地から7kmの空港からバスに乗って町に降りたツーリストは、その気になれば、歩きながら料金や客室の快適度などを比較して、ホテルを選ぶことができます。町の規模にしてはホテル数が多く、選り取り見取り。選択肢の自由が多いことで、ホテル選び自体が旅の楽しみにつながります。そういうのが面倒くさい、またホテルの予約なしで旅行するのは不安という人も心配ご無用。この町のホテルにはたいてい英語のHPがあって、ネットで事前に予約ができます。ホテルのスタッフは簡単な英語は話しますから、予約なしでも問題ありません。
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この町のホテルはWi-Fiが完備

外国人ツーリストのホテル選びの条件として、Wi-Fiが使えるかどうかはとても重要です。その点、この町のホテルはどこでもWi-Fiが完備しています。Wi-Fiが使えなければ、ツーリストからスル―されてしまうからです。実際、ぼくはこの町から東京の友人にラインを使って通話したのですが、音声はクリアでまったく問題がありませんでした。Wi-Fiはチェックインのとき、オーナーに渡されたカードに書いてあるパスワードを入れるだけ。無料です。いまどきアセアン諸国のツーリストが多く訪れる町では、これは常識といっていいでしょう。こんなこと、あまり言いたくはないのですが、アジアの片田舎ですら東京よりずっと通信環境は進んでいるのです。

次は「食(グルメ)」です。ホテルの部屋で荷を解き、シャワーを浴びたら、誰でも町を歩いてみたくなるものです。食事をどこで取ろうか、ミネラルウォーターや軽食はどこで買えばいいか。この町にはコンビニはないけれど、ツーリスト向けの雑貨屋が数軒あります。
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これがラオスの屋台そば

この地を訪ねた8月は雨季にあたるので、日本人の姿は少なかったですが、ぼくの泊まったゲストハウスの隣のカフェレストランには、欧米から来た若いツーリストが大勢いました。そこはこの町でいちばん有名なゲストハウスで、ちょっとにぎやかすぎると思ったので、隣の宿にしたのです。朝食だけ隣でとればいいからです。ハムエッグ付きのイングリッシュ・ブレックファストが食べられます。もちろん、近所の屋台で地元のそばを食べるのも自由です。

観光(アトラクション)の手配もストレスなし

「住(アコモデーション)」と「食(グルメ)」の問題がこうしていとも簡単に解決してしまうと、人はたいてい満足してしまうものですが、ツーリストの場合はちょっと事情が違います。「足(トランスポーテーション)」と「観光(アトラクション)」の課題が解決されなくては、旅人としての根本的な欲望が満たされたとはいえません。それがうまくはかどらなければ、ツーリストはストレスを感じるものです。

少数民族の集落へのトレッキングツアーに参加するにはどのトラベルエージェンシーに頼めばいいのか。近郊の町に移動するためのバスや飛行機のチケットはどこで買えばいいか……。だいたいこういった内容ですが、これはツーリストにとって重要な“仕事”といえます。

その点、ルアンナムターのメインストリートには、ホテルやレストラン以外に、トラベルエージェンシーやツーリストオフィス(観光案内所)などの施設が並んでいます。つまり、この町ではツーリストにとって肝心の“仕事”も、徒歩圏内でストレスなく段取りできてしまうのです。
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トラベルエージェンシーの前に置かれたトレッキングツアーの告知

ルアンナムターにはトレッキング以外にも、サブ的なアトラクションがいろいろあります。たとえば、市街地にはルアンナムター博物館があります。この地域に暮らす少数民族の歴史や風俗を展示しています。誰しも旅に出ると、異文化に対する知的好奇心が刺激されるものです。

もうひとつのポイントが、夜をどう過ごすか。ツーリストにとってナイトライフは大切なアトラクションです。都会であれば、繁華街に繰り出せばいいのですが、こんな片田舎では何をすればいいのか。でも大丈夫。ルアンナムターには、夜になると屋台が並ぶナイトマーケットがあります。夕食はここで地元料理を味わえばいいのです。もちろん、前述のカフェレストランでは簡単な洋食が食べられますし、町のいたるところにある屋台そばでしめることもできます。
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ルアンナムターのナイトマーケット

こうした4つのインフラが過不足なく揃った環境こそ、居心地のいいツーリストタウンといえるでしょう。

整理してみましょう。外国人ツーリストにとって居心地のいい町の条件とは?

①ツーリストにとって快適なホテルがあること。Wi-Fi整備は必須。
②ホテルの周辺で「食(グルメ)」「足(トランスポーテーション)」の手配がストレスなく可能なこと。
③メインの観光以外に、知的好奇心を満たしたり、ナイトライフを楽しんだりするためのアトラクションがあること。

はたして日本の観光地はこれらの条件が十分揃っているといえるでしょうか。

※ルアンナムターについての詳細は、中村の個人blog「外国人ツーリストにとって居心地のいい町の必要十分条件とは?」を参照。

東京にはいくつかのツーリストタウンがある

もちろん、ルアンナムターのような小さな町と東京のような大都市では、ツーリストの動線やニーズは違うところもあるでしょう。でも、基本的にツーリストに必要なインフラはそう大きく変わるものではありません。

先日、東京観光財団を取材しました。テーマは「東京“インバウンド”事情 その実態は?」。2020年オリンピック開催決定で注目される東京都の外国人旅行者の実態や受け入れの課題について話を聞きました。以下、東京観光財団観光事業部アジアプロモーション担当課長の田所明人さんへのインタビューの一部抜粋です。

――東京を訪れる外国人の数はどのくらいいるのですか?

「日本を訪れる外国人観光客のうち、70%が東京都を訪れています。昨年は訪日外国人数が過去最高でしたが、それは同時に東京を訪問した外国人数も最高だったことを意味しています。つまり、訪日外客の7がけが大まかに東京を訪れる外国人数と考えていいと思います(※だとすれば、2013年に東京都を訪れた外国人は約700万人)」。

――東京都を訪れた外国人の多くはどこを訪ね、どこに泊まっているのですか?

「東京都が実施した国別外国人旅行者行動特性調査によると、訪問先のトップは渋谷。スクランブル交差点はもはや定番観光スポットです。宿泊エリアのトップは新宿。買い物もでき、歌舞伎町などのナイトスポットも充実。交通の便がよく、比較的低価格のホテルも多数あり、客室数の多いエリアといえるでしょう」。

■訪日外国人観光客の訪問先・宿泊エリア
順位訪問先宿泊エリア
1位渋谷    新宿
2位新宿    東京・丸の内
3位銀座    赤坂、六本木、浅草
4位秋葉原  ―
5位浅草    銀座
(平成24年度国別外国人旅行者行動特性調査より)

この調査から明らかなのは、東京にはホテルの集中するいくつかの地区があり、外国人ツーリストの大半はそこをベースに行動していることです。具体的にいうと、新宿や池袋、東京・丸の内、赤坂、六本木、銀座、品川、浅草などが考えられますが、客室平均単価やロケーション特性の異なるそれぞれの地区に集まるツーリストのタイプや行動形態には違いがありそうです。

つまり、東京のような大都市圏の場合、ホテル集中地区ごとに、今回紹介したラオスの小さな観光の町と同様、ひとつの個性を持ったツーリストタウンとして捉え、それぞれの内実に見合った個別の受け入れ態勢を検討する必要があると思うのです。

東京の滞在で不便なことは?

――外国人旅行者は東京での滞在でどんなことに不便を感じているのでしょうか。東京のウィークポイントは何ですか?

「いくつかありますが、なかでも最大のウィークポイントといえるのは、Wi-Fi整備の遅れです。海外発行のクレジットカードでのキャッシングがどこでできるかもよく知られていません。セブン銀行や郵便局、CITI BANKなどで利用できるのですが、外国人にもわかるような表示がきちんとされていないと指摘されています。羽田の深夜便を利用した外客の都心へのアクセスの問題もあります」。

日本政府観光局と観光庁が実施した調査に、以下のデータがあります。

■いつ、どこでインターネットを利用したいか?(複数回答)
1位宿泊先88.9%
2位空港43.1%
3位街頭40.9%
4位駅・バス停30.5%
5位公共交通機関28.8%
6位観光や買い物時25.9%
(平成24年度TIC利用外国人旅行者調査報告書(JNTO)より)

■日本滞在中に得た旅行情報で役に立ったもの(複数回答)
1位インターネット(PC)45.0%
2位観光案内所(空港を除く)21.3%
3位日本在住の親戚・知人21.2%
4位宿泊施設19.8%
5位空港の案内所19.5%
6位旅行ガイドブック(有料)15.6%
7位フリーペーパー10.1%
8位インターネット(スマートフォン)6.4%
(平成22年度訪日外国人の消費動向(観光庁)より)

これを見てわかるのは、外国人ツーリストが日本を訪れた後、どのように滞在中の情報を入手しているかという実態です。空港やホテルに置かれたフリーペーパーのような紙媒体からではなく、圧倒的にネット経由で情報を探していること。また移動中に街頭でインターネットを利用したいという要望はあるものの、基本的にはホテルでじっくりパソコンを使って情報を探している姿が見えてきます。

それだけに、ホテルのWi-Fi整備の遅れは“おもてなし”という観点からも致命的といえます。逆に言えば、いち早くWi-Fi整備を手がけることが、外国客の集客にきわめて効果的であるということです。

※東京観光財団へのインタビューの詳細は、中村の個人blog「致命的な東京都内のホテルのWi-Fi整備の遅れ」を参照。

急増するアジアFIT客のためのインフラ整備

今年の春節は中国客が戻ってきたようです。

日本経済新聞2014年1月30日によると、「日本向け査証(ビザ)発給のほぼ半分を占める上海の日本総領事館では、個人観光ビザの発給が過去最高のペース」。「昨年12月に発給した個人観光ビザは約1万4400件」で「前年同月の3.6倍」。「今年1月に入ってからも順調に伸びている」(上海の総領事館)といいます。

同紙では、中国の個人ビザ客の実態として「私費旅行」が増えたと分析しています。「習近平指導部が進める綱紀粛正」により、「今年1月から共産党員や公務員を対象に公務を名目とする視察旅行を禁じ」ているが、それでも訪日客数が増えたのは、「欧米よりも割安な日本に私費で旅行する人が増えたとみられる」からだといいます。

中国のFIT客の訪日が本格化することで、アジアの訪日旅行市場も大きく変わっていくことが予測されます。今後ますます増えるであろう海外のFIT客を取り込むためには、アジアの近隣諸国と比べて遅れが指摘されるツーリストのためのインフラ整備は急務となっています。

先日、水道橋の「庭のホテル」を取材しました。同ホテルは外国人宿泊客の多さで知られています。

総支配人は、外国人ツーリストの特性として「よく歩くこと」を指摘されていました。

「うちから都内のいくつかの観光ポイントは徒歩圏内で、外国の方は皇居や秋葉原などへ歩いて行かれるんです」(「庭のホテル」木下 彩総支配人)

この興味深い指摘から、訪日外客の受け入れ態勢を考えるうえで、行政単位とは別の視点が求められること。つまり、ホテルを中心とした「徒歩圏内」で形成されるツーリストタウンという発想が重要であることがわかります。

急増するアジアFIT客に対するインフラ整備を検討するうえで、ホテル集中地区ごとにタウンマップをつくってみるのは意味があります。ホテルを中心とした「徒歩圏内」に、今回ラオスのツーリストタウンで指摘した4つのインフラのうち、どれだけ揃っているのか、地図に落として調べてみるのです。もとより大都市圏では、海外の小さな町のようにすべての要素がコンパクトに揃うというわけにはいかないでしょう。それでも、わが町にはどの要素が足りないのか。またどの要素が弱く、どこを補充しなければならないのか、といったことを確認できるはずです。もちろん、強みも見つかるでしょう。

訪日外客に対する“おもてなし”で大切なのは、ツーリストの身になってわが町を考えるということです。今後は、都内のそれぞれのツーリストタウンの特性を分析していきたいと思います。

※中国からの訪日客の回復の背景については、中村の個人blog「今年の春節に中国客が戻った理由は、上海の訪日自粛がとけたから」、「庭のホテル」総支配人のインタビューは、やまとごころ企業インタビュー「なぜ「庭のホテル」は外国人客に選ばれたのか」、ホテルを中心にしたタウンマップづくりについては「外国人ツーリストにとってうれしい地図とは?」を参照。

※やまとごころ.jp http://www.yamatogokoro.jp/column/2014/column_150.html


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by sanyo-kansatu | 2014-02-13 09:26 | やまとごころ.jp コラム | Comments(0)
2014年 02月 05日

外国人ツーリストにとって居心地のいい町の必要十分条件とは?

昨年8月、インドシナ北辺の国境地帯を1週間ほど旅しました。タイの首都バンコクから夜行列車でラオス国境の町ノーンカーイに向かい、国境の橋を渡ってラオスの首都ビエンチャンへ。そこからラオ航空の国内線でルアンナムターという少数民族のトレッキングの拠点として知られる町を訪ねました。中国国境(雲南省)からも近い町です。

ひとりの外国人ツーリストにとって、ルアンナムターはとても居心地のいい町でした。

なぜなら、この小さな町にはツ-リストに必要なすべてのインフラがコンパクトに揃っているからです。

では、ツーリストにとって必要なものとは何か。居心地のいいツーリストタウンの条件について、あらためて考えてみたいと思います。その意味では、このラオスの片田舎にある小さな町は格好のケーススタディの対象といえるでしょう。

ルアンナムターの空港を降り立ったツーリストの動線に沿って、この町を紹介します。
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空港は市街地から7kmほど南にあり、乗り合いトラックで10分ほど。市街地の南にあるバスターミナルで降ろされますが、そこから100mほどの場所にホテルやレストラン、トラベルエージェンシー、ツーリストオフィス(観光案内所)などの施設が並んでいます。市街地は、南北2 ㎞、東西1kmの範囲にほぼ収まっています。1時間もあれば散策できるこの町の適度な大きさが、ツーリストにとっての居心地のよさを生んでいる条件のひとつです。
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まずはホテル探し。ほとんどのホテルがメイン通りに沿って並んでいるので、歩きながら気に入った宿を値段と客室の快適度などを比較して選ぶだけです。町の規模にしてはホテルの数が多く、選り取り見取り。選択肢の自由が多いことは、ホテル選び自体が旅の楽しみにつながります。そういうのが面倒くさい、またホテルの予約なしで旅行するのは不安という人も、心配ご無用。いまの時代、こんな山奥の町のホテルにもたいていHPがあって、ネットでも予約ができます。ホテルのスタッフは簡単な英語は話しますから、予約なしでも問題ありません。

ツーリストにとってホテル選びは旅をエンジョイするうえで最も重要な“仕事”のひとつです。ストレスなく快適なホテルが見つかれば、その町の滞在は半分以上成功したといってもいいほどでしょう。
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外国人ツーリストのホテル選びの条件としてWi-Fiが使えるかはとても重要です。その点、このラオスの片田舎のゲストハウスではたいていどこでもWi-Fiが完備しています。実際、ぼくはこの町から東京の友人にラインを使って通話したのですが、音声はクリアでまったく問題がありませんでした。Wi-Fiはチェックインのときゲストハウスのオーナーに渡されたカードに書いてあるパスワードを入れるだけ。無料です。いまどき、アジア諸国では、ツーリストが訪れるような町ではどこでもこの程度には普及しているといっていいでしょう。こんなこと、あまり言いたくはないのですが、東京よりもずっとアジアの片田舎のほうが通信環境は進んでいるといえるのです。

さて、部屋で荷を解き、シャワーを浴びたら、町を歩いてみたくなるものです。食事をどこで取ろうか、ミネラルウォーターや軽食はどこで買えばいいか、少数民族の村へのトレッキングツアーに参加するにはどのトラベルエージェンシーに頼むのか、近郊の町に移動するためのバスチケットはどこで買えばいいか……。ツーリストには、しなければならないいくつかの“仕事”があるからです。
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でも、ルアンナムターにはそれらのすべてが徒歩1分以内の範囲で段取りできてしまうのです。こんなに便利なことはないでしょう。上記のすべてのことが30分以内に終わってしまうほど。こうしたストレスレスな環境こそ、居心地のいいツーリストタウンの条件だといえます。

以上はツーリストタウンの必要条件ですが、実はそれだけでは十分とはいえません。

8月のルアンナムターは雨季にあたるので、日本人の姿は少なかったですが、ぼくの泊まったゲストハウスの隣のカフェレストランには、欧米から来た若い旅行者が大勢いました。そこはこの町でいちばん有名なゲストハウスで、ちょっとにぎやかすぎると思ったので、隣の宿にしました。朝食だけそこでとればいいからです。ハムエッグ付きのイングリッシュ・ブレックファストが食べられます。もちろん、そこらの屋台で地元の麺を食べたっていいです。
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「住(アコモデーション)」と「食(グルメ)」と「足(トランスポーテーション)」の問題が解決されてしまうと、たいてい人は満足してしまうものですが、ツーリストはちょっと違います。「観光(アトラクション)」がなくては、人はなぜ旅に出るのか、という根本の欲望が満たされたとはいえないからです。

その点、ルアンナムターは、少数民族の村へのトレッキングの拠点であり、これがメインアトラクションです。まあそのために海外のツーリストはこの町を訪れるわけですが、サブ的なアトラクションもいろいろあります。
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たとえば、市街地の北にルアンナムター博物館があります。この地域に暮らす少数民族の歴史や風俗を展示しています。そこそこ立派な施設です。誰しも旅に出ると、異文化に対する知的好奇心が刺激されているものです。トレッキングの前後にぜひ足を運んでみたくなるはずです。
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ホテルの周辺には、民家もたくさんあります。朝早く起きて、知らない町を散策するのは楽しいものです。小さなお寺もあって、足を延ばしてみたくなります。こんなささやかなことも、ツーリストにとっては十分魅力的なアトラクションです。

もうひとつが、夜をどう過ごすかです。都会であれば、繁華街に繰り出せばいいのですが、こんな片田舎では何をすればいいのか。
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ルアンナムターには、夜になると屋台が並ぶナイトマーケットがあります。夜の食事はここで地元料理を味わうわけです。もちろん、前述のカフェレストランでは簡単な洋食が食べられますし、町のいたるところにある屋台の麺でしめることもできます。これだけアトラクションが揃えば、まったくいたれりつくせりだと思いませんか。

整理してみましょう。外国人ツーリストにとってストレスレスで居心地のいい町の必要十分条件とは?

①ツーリストにとって快適なホテルがあること。Wi-Fi整備は必須。
②ホテルの周辺で「食(グルメ)」「足(トランスポーテーション)」の手配が可能なこと。
③メインの観光以外に、知的好奇心を満たしたり、ナイトライフを楽しんだりするためのアトラクションがあること。

はたして日本の観光地にはこれらの条件が揃っているといえるでしょうか。

今回ぼくはこの町でいちばん有名なゲストハウスの隣にあるKhamking Guest Houseという宿に泊まりました。オーナーはまだ28歳の若いラオス青年で、地元の観光専門学校で英語やツーリズムを学び、数年前にゲストハウスをオープンしたそうです。
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実はその町に着いた日、ぼくはラオスの通貨を使い果たしていました。とにかく物価の安いラオスです。長い旅でもないので、日本円しか持っていませんでした。1万円分も両替すると余りそうなので、5000円札を両替してくれないか、と彼に頼みました。ゲストハウスの向かいにATMがあるので、いま考えると、ずうずうしい話です。

オーナーの青年は言いました。「ぼくは1万円札なら見たことあるけど、5000円札は見たことありません。これは本当に日本の紙幣なのですか」。そこでぼくは思わず言いました。「ぼくは日本人です。人をだましたりはしませんよ。どうか信じてほしい」。すると、彼は大きくうなづいて、「では待っていてください。これをラオスキップに両替して、明日のバスチケットと宿代を差し引いたぶんをお渡しします」。そう言って、彼はその場を立ち去り、夜にラオスキップでお釣りを手渡してくれたのです。

なんてことのない話のようですが、こういうのを本物のホスピタリティというのではないでしょうか。ツーリストにとって、何がいちばん不便なことなのか、どうしてもらえるとありがたいのか、彼はよく理解しているのです。

よく日本では“おもてなし”といいますが、結局のところ、ツーリストにとって何がストレスになっているか、その理由がわかっていないと、ひとりよがりなもてなしになってしまうおそれがあります。

ぼくにとって、このゲストハウスのオーナーに出会ったことが、この町の印象を好ましいものにした最大の理由だったといえるかもしれません。
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by sanyo-kansatu | 2014-02-05 14:05 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)