ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 04月 19日

ガイドブック『一人でも行ける日本の旅』をめぐるタイ人留学生との問答集

昨年夏、バンコクで開催されたタイ国際旅行フェアの会場で購入した1冊のタイ語の旅行ガイドブック『一人でも行ける日本の旅(Japan ญี่ปุ่น คนเดียวก็เที่ยวได้)』は、とても楽しい本です。
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タイ人女性カメラマンのBASさん(バス:ペンネーム、本名:オラウィン・メーピルン)が執筆した実践的な旅行案内です。同書は2タイトルあり、彼女が実際に訪ねた日本全国31か所の観光地について見どころや食事、宿泊施設などを詳しく紹介しています。彼女自身が撮影したユニークな写真(タイ人には、日本がこんな風に見えるのかという新鮮な発見も多数あり)や女性らしいイラストを多用し、日本語がわからないタイ人でもひとりで旅行を楽しめるような情報が満載なのが特徴です。

またこの本は、2013年2月12日に在タイ日本国大使公邸で開催された“Reception for Japan-bound Tourism Promotion”において、訪日旅行の促進に貢献した旅行ガイドブックとして「Japan Tourism Award in Thailand」を受賞しています。

もっとも、タイ語が読めないぼくには、詳しい内容はお手上げです。そこで、知り合いのタイ人留学生にこの本を読んでもらい、読後の感想やこの本の特色について話を聞きました。その結果、見えてきたのは、タイ人の日本旅行にとってどんな情報が有用なのか。彼らが日本で何を気にし、何に困っているのか。彼らの旅行意欲を掻き立てるポイントは何か、といったことです。それを理解すれば、タイ人に対する“おもてなし”にも役立つはずです。

以下、タイ人留学生ジャムジュン・モンティチャーさんとぼくとの同書をめぐる問答集です。ちなみに、モンティチャーさんはタイのペチャブリー出身で、都内某大学院で観光学を学んでいる方です。

―『一人でも行ける日本の旅』は面白かったですか。

「はい、この本はよくできているなと思いました。最近、タイで元留学生が日本の体験を綴ったエッセイが出版されています。日本でのアパートの借り方やアルバイトなど生活のエピソードや、国内旅行の話などいろいろ書かれています。私も留学生のひとりなので、よく理解できる内容なのですが、基本的に長期間日本に滞在し、日本語ができることが前提になっています。でも、『一人でも』は、日本語はもちろん、日本のことがよくわからないタイ人でも旅行できるよう、いろいろな工夫がされています」。

―それはどんなことですか。具体的に教えてもらえますか。

「まず四季の解説です。タイには日本のようなはっきりした四季がありませんから、何月から何月までが冬という基本的なことから、それぞれの季節に何が見られるかなど、わかりやすく説明しています」。
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―タイ人に人気があるのはどの季節ですか。

「いちばん人気は春ですね。桜の季節です。タイ人にとって満開の桜は憧れです。次は冬。タイ人は一度は雪を見てみたい。触ってみたいと考えているんです。日本旅行にいつ行くべきかを決めるためには、まず四季を理解しなければなりません」。

―行く時期を決めたら、次はどうやって行くか、でしょうか。

「最近、タイの旅行会社はたくさんの日本ツアーを販売しているので、そこから選ぶのもいいのですが、いまは観光ビザも免除されているので、若い人たちほどツアーに参加せず、個人旅行をしたいと考えています。
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ただし、日本を個人で旅行しようとするとき、いちばん大変なのは移動手段です。交通運賃がタイに比べて高いので、JRパスのような外国人向け割引券の情報は欠かせません。成田や関空から都市圏へのアクセスや、新幹線に乗って日本各地に行く場合の大まかなルートや所要時間も知りたいです。また東京の地下鉄は複雑なので、うまく乗りこなすためには、自動販売機やスイカの使い方などを知っておくと便利です」

―確かにこの本では、交通の利用法についてたくさんのページを割いているようですね。HyperdiaやJorudanのような乗換サイトの使い方も詳しく説明されています。
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「ホテルについても、五ツ星クラスからビジネスホテル、ゲストハウス、旅館、民宿と分けて解説しています。日本に住むタイ人家庭にホームステイする方法も書かれていますよ」。

―これは持ち物チェックリストですね。日本の旅行ガイドブックにもよくあります。右のページは何でしょうか。
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「季節ごとの衣服のコーディネイト例です。タイ人には日本の寒さや暑さがよくわかりませんから、季節ごとにどんな衣類を用意し、何枚くらい重ね着すればいいのかという目安をイラストで説明しています。

またこの本の筆者はカメラマンなので、撮影器材やバッグの収納法なども写真付きで解説しています」

―タイ人は写真を撮るのが好きだそうですね。それぞれの観光地で、どのポイントから写真を撮ればいいか、そういう情報が重要だといいますね。

「タイ人は真似するのが大好きなんです。日本旅行に行った友達のFacebookを見て、自分も同じ写真が撮りたいと。その点、この本はカメラマンが書いているので、撮影のポイントについて細かく触れているのが人気の理由ではないかと思います」

―後半には、コンビニの商品紹介や自動販売機の使い方の解説などもありますね。

「タイにも日本のコンビニはあるのですが、日本でしか売られていない商品も多いので、タイ人はすごく気になるのです。飲み物やアイスクリームの自動販売機も使ってみたくなるんです。

それからこれはタイ人に限らないかもしれませんが、個人旅行する外国人にとって役に立つのは、コインロッカーの使い方でしょうね。駅に荷物を置いて観光したり、買い物したものを置いておいたり、すごく便利ですから。それと、日本語のわからないタイ人が何より知っておきたいのは、ウォシュレットの使用法です」。

―確かに、ボタンがいろいろあってわかりにくいですよね。ここではボタンごとに機能を説明しています。
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「いまタイ人がいちばんほしいのはウォシュレットといわれるくらいなんです。ようやくバンコクの新しいショッピングモールなどで導入が始まっていますが、まだまだ一般的でないので、ウォシュレットと一緒に記念撮影するタイ人もいるほどです。Facebookによく出てきます。あと日本の和式トイレの座り方がわからないタイ人も多い。実は、日本と逆に座るので…」

―そういえば、タイでは便座のないトイレの場合、扉のほうを向いて用を足すけど、日本の和式トイレは背を向きますものね。なるほど、トイレの使い方の情報は重要ですね。

ところで、2冊目のJapan 2には、日本語旅行会話がありますね。これを見て面白いと思ったのは、限られた誌面にタイ人にとって重要なアイテムを網羅しようとしていることです。たとえば、食べ物は全部で34個出てきます。こんな感じです。

お茶、日本酒、ラーメン、すき焼き、しゃぶしゃぶ、そば、焼きそば、そば・うどん、おでん、焼き鳥、お好み焼き、たこ焼き、幕の内弁当、かっぱ巻き、玉子、さけ、いくら、えび、かに、いか、たこ、まぐろ、かつお、さば、あなご、牛肉、とんかつ、天ぷら、丼もの、かつ丼、親子丼、牛丼、天丼、うな重

タイ人の多くは日本に来て、こういうものを食べているのだなあと。やはり、お寿司の光ものは食べないんですね。たこも気味悪がって食べたがらないという話を聞いたことがありますが、そうでもないのかな。

「タイ人は日本食が好きですからね。お寿司もそうだし、最近は日本のケーキがおいしいと評判です。私の友人も日本でケーキを食べたら、タイのケーキは食べる気にならないなんて言っています」。

―それから、温泉に入る作法や浴衣の着方などもイラストでわかりやすく解説していますね。
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「水着はNGとか、お湯につかる前に掛け湯をするといいとか、お風呂の中で日本酒を一杯というのはダメですよと」。

―この本にはたくさんの特色がありますが、まとめるとどういうことになるでしょう。

「この本の書体は若者向けのフォントを使っています。手書きに近いやわらかいフォントで、私が高校生のころ流行っていました。それがかわいいイラストとマッチしています。若い世代向けのガイドブックだと思います」。

―そういう意味でも興味深いのが、この本に紹介される場所です。書き出すとこうなります。

Japan
東京、横浜、鎌倉、富士五湖、箱根、金沢、高山、名古屋、大阪、京都、広島、熊本、指宿、別府

Japan 2
  青森、弘前、田沢湖、盛岡、角館、乳頭温泉、鳴子温泉、仙台、山寺(山形)、蔵王、日光、東京、京都、奈良、神戸、大阪

これを見て思うのは、最初の巻こそ代表的な観光地が網羅されていますが、Japan 2は東北に偏っていて、日本人の感覚からいうと、ほかにもっと王道の観光地があるだろうに、と思ったりもします。また最近タイ人の増えている北海道もありません。

でも、考えてみれば、日本人にとっての王道が必ずしも外国人から見て魅力的とは限らない。それぞれの国の人たちが自分たちの王道を決めればいいことでしょう。震災のあった東北にこの本を読んでたくさんのタイ人が訪ねてくれたらうれしいですね。

「やはり面白い旅行のルートが知りたいのです。どこにどう行けばいろいろ楽しめるか。Japan 2の最後に3つのモデルコースが紹介されています。こういう情報がもっと知りたいです」。

最初のコースが、4泊5日の関西周遊で京都と奈良を訪ねるもの。ふたつ目が9泊10日で、東京から仙台、鳴子温泉、日光をめぐり、そこから急に京都に向かい、奈良と神戸を訪ねて関空から帰国するコース。最後が13泊14日で、東京、弘前、田沢湖、青森、角館、鳴子温泉、仙台、山寺、日光、そしてここでも急に大阪に向かい、京都や奈良をめぐって関空から帰るコース。

おそらく最後のコースは、Japan 2の内容に合わせたルートですね。これを見て思うのは、タイ人にとって京都や奈良の魅力は絶大なのだなということ。仏教国のタイ人にとって古いお寺を訪ねることは大切なんですね。

タイ人が本当に行きたいところだけ行くと、こういう自由な旅になるのでしょう。こういう旅をもっと多くのタイ人が体験できたらいいですね。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-19 10:52 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2014年 04月 14日

ゴールデントライアングルの中国カジノに潜入してみた

2013年8月中旬、タイ最北部にあるゴールデントライアングルで王冠を被せたような奇妙な建物を見かけたことを先日、書きました。地元の人に聞くと、カジノだといいます。
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インドシナ3カ国が接するゴールデントライアングル最新国境風景
http://inbound.exblog.jp/22434567/

チェンセーンのボート乗り場に戻ると、すぐにトゥクトゥクに乗ってゴールデントライアングル方面に向かいました。対岸にあるカジノに行く方法を知りたくなったからです。
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メコン沿いの道路を10km近く走ると、右手に大きな施設が見えてきました。
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「湄公河金角万庆公司(MIC)」と書かれています。
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建物の中に入ると、ひと気はなく、休業状態のように見えました。それでもくまなく探すと、「Kings Romans Resort」という旅行会社がありました。

スタッフらしき男性がいたので、「カジノに行きたいのだけど?」と尋ねると、男性は時計を見ながら「いいですよ。でも今日はもう時間がありません。明日またここに来てください。車でイミグレーションまでご案内します」。

すでに午後4時を回っていました。「パスポートを忘れないでくださいね」。やった。明日にはカジノに行けそうです。

翌朝8時、「Kings Romans Resort」を訪ねました。昨日の男性はいませんでしたが、別の男性が車に乗せてイミグレーションまで運んでくれました。
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これがチェンセーンのイミグレーションです。この町に出入国管理所があるなんて知りませんでした。数年前に開設されたそうで、対岸のカジノに行くために特設されたものと思われます。
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出国手続きをしていると、団体ツアー客が上陸してきました。手にしたパスポートを見ると台湾人のようです。なるほど、ゴールデントライアングルの中国カジノはすでに台湾など華人系のツアーの一部に組み込まれているものと思われます。子供連れの家族も多く、いったいこんな人たちもカジノに行くのだろうか、といぶかしく思いましたけど。
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さて、今度はぼくがラオスに向かう番です。ボート乗り場に行って「カジノに行きたい」というと、すぐに対岸に運んでくれました。料金はいらないそうです。
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ところが、ラオス側に上陸しても、ボート乗り場の周辺には誰もおらず、イミグレーションらしき建物も見当たりません。このままだと密入国できちゃうぞと思いながら、ボートの運転手に聞くと「あっちだ」と円形ドームのような建物を指さすだけ。仕方なく歩いていくと、確かにこの立派な建物はイミグレーションでした。
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中に入ると、出入国チェックのブースがありました。入国スタンプをもらったものの、周辺には誰もいません。今度はどうやってカジノまで行けばいいのかわからない。対岸から見た限りでは相当離れているようです。

困り果てていると、しばらくしてイミグレーションの前に車が現れました。手を振り車を停めさせ、「カジノに行きたい」というと、すぐに乗せて運んでくれました。送迎用の専用車でした。
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カジノに向かう道路は整備されていました。両脇に太いパームヤシが植えられ、広い二車線道路が延々のびていました。途中行き交うのはランドクルザーやゴルフ場にあるようなカート、あとは自転車に乗ったラオス人労働たちです。見ると、通りの名は「花园东路(花園東路)」です。
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5分ほど車で走ると、ボートの上から見た王冠の建物が見えてきました。いよいよ潜入です。
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少し緊張しましたが、なんのことはない。カジノに入るには、パスポートのチェックだけであっさりOKでした。
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そこに広がっていたのは、いかにも華人好みの趣味の悪い空間でした。中国の温浴施設やレジャー施設のロビーによくあるやたらと天井の高い構造です。ホント彼らはこういうのが好きですね。
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なおも進むと、広い賭博スペースがあり、ブラックジャックをやっていました。見ると、客層は華人ばかり。ディーラーも華人女性。フロントや両替、飲食の給仕スタッフは華人とラオス人が混じっています。
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さすがに人の顔は写せないので、角度を変えて館内をこっそり隠し撮りしたわけですが、カジノ内は飲食無料で、レストランも併設されていました。彼らはここで数日間、好きに飲み食いしながらギャンブルに興じて過ごすのでしょう。華人がなぜ自国では禁じられているカジノを周辺国の国境付近にやたらとつくりたがるのか。それはマネーロンダリングといった経済的な理由もあるでしょうが、心底こういう遊興が好きだからと思います。中国人のクルーズ好きは船内で気軽にカジノが楽しめるからだといわれるのも、同じ理由でしょう。

ぼくも含めて、一般の日本人はこういう場に慣れていないだけで、中国のカジノは、どれだけ見かけは派手に見えても、それ自体はカジュアルなアミューズメント施設といえそうです。ただし、もう一回海外旅行に来られるくらいのお金は用意しておかないと、存分には楽しめないでしょうけれど。
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奥にはスロットマシーンもありました。ただ、客はそんなに大勢いる感じはありません。
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「賭王大賽」(カジノ王大会?)。イベントもやっているようです。
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外に出て建物の周囲を見て回ると、ローマ時代風のレプリカ像が取ってつけたようにいくつも並んでいます。ラオス人労働者らの姿もあちこちに見かけます。
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車を降りて気がついたのですが、カジノの周辺には想像以上にいろんな施設があります。しばらく歩いていると、こんな立派なチャイナタウンの門がありました。「唐人街」と書かれています。中国の地方都市で、街の中心部を再開発して観光名所にした商店街などによくあるタイプです。
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奥には、これもよくあるテーマパークのような商店が並んでいました。ここにもひと気はありませんでしたが、「老挝人民民主共和国金三角经济特区唐人街揭幕処式(ラオス人民民主共和国ゴールデントライアングル経済特区中華街開幕式)」という赤い垂れ幕が通りに掲げられていました。このチャイナタウンはできたてほやほやのようです。
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ボートから見たホテル「金木花园酒店(Kapok Garden Hotel)」もありました。
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どんなホテルか覗きにいくと、ごく普通の中国のホテルでした。フロントに華人女性がいたので、「どこかで食事はできないか」と尋ねると、「ここにはありません。カジノの中で食べられますよ」とのこと。ホテルのレストランは営業していないそうです。確かに、これだけ広いリゾート施設としては客の数は少なすぎて、飲食施設もやたらと営業できないので、観光客の食事はまとめてカジノ内ですませてもらう、ということのようです。
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ほかにも「商业街(ショッピング・ストリート)」なんてのもありました。おそらくショッピングモールにするつもりだったのでしょう。
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モンゴルの民族家屋パオが並ぶ一画もありました。少数民族のテーマパークのようです。中国各地の地方料理を掲げた食堂街もありました。
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少し離れた場所には、競馬場もありました。ただし、クラブハウス風の建物と馬小屋があるだけで、肝心の馬はいませんし、そもそも中は草ぼうぼうの荒地のまま。

こうしてぼくも事態をだんだん飲みこめてきたのですが、要するにここは、いわゆる中国がラオスにこしらえた総合複合リゾート施設だったのです。いま東京湾で推進の動きが話題となっている「カジノを中核とした複合リゾート施設(Integrated Resort=IR)」というやつです。あくまで華人仕様ですけど。子供連れの台湾客がいたのもそのためでしょう。

実は、「ゴールデントライアングル経済特区」は中国の金木棉集团公司が、ラオス政府から102km²の土地を99年間租借し、リゾート開発したものです。そこでは中国の携帯電話が使え、これまで見てきたように道路の案内表示も中国語表記、チャイナタウンすらできています。2009年9月9日にラオス政府が中国と批准しました。特区内では中国の広範囲な自治権が認められています。

数日前、中国・ラオス国境のボーテンでも見たリゾートホテルが廃墟化した光景に比べると、こちらはさすがに世界的に有名な観光地であるゴールデントライアングルという地の利もあるのか、ゴーストタウンというほどの寂れ方とはいえないかもしれません。でも、欧米客はまずここには訪れそうもありません。わざわざゴールデントライアングルに来て、中国の田舎のリゾート施設に足を運ぶ理由がないからです。カジノに行きたきゃ、彼らはマカオに行くでしょう。

せいぜい華人ツアー客をコースの一部に組み込んで送客するか、年に数回イベントを開いて雲南省あたりの富裕層を集めるか。そんな集客状況ではないでしょうか。これは2000年代に地方政府によって計画され、勢いで立派なハコモノをつくってはみたものの、当初考えたほど運営はうまくいっていないという中国のリゾート開発の典型的なパターンのように思われます。

ゴーストタウンと化していた中国・ラオス国境の町ボーテン
http://inbound.exblog.jp/22437603/

なんでこんなものを作ってしまったのかなあ…。ボーテン同様、ここでもまた釈然としない思いを抱えざるを得ません。

広い敷地にひとり立ち尽くしていると、ボート乗り場に帰る交通手段がないことに気づきました。8月のラオスです。じりじり日が照りつけてきます。これは大変なことだと、かなり焦りました。

幸い、そこに救いの手が現れました。通りをひとりのラオス人青年がバイクに乗って走ってきたのです。手を大きく振り、バイクに乗せてくれと頼んだところ、彼はすぐに応じてくれました。

彼はカジノで働く労働者でした。自宅は敷地内のすぐ外の集落にあるそうです。村人の多くがここで働いているとのこと。確かに、彼の立場からすれば、もともと何もなかった村に施設を建てて、仕事を与えてくれたのは中国資本です。中国を悪くいう筋合いはなさそうです。ちなみに彼との会話は、ラオス北部で会った多くの人たちがたいていそうであるように中国語でした。

イミグレーションまで乗せてくれたので、お金を渡そうとすると、いらないといいます。なんて優しい青年なんだろう。ぼくは無理やりタイバーツを彼の手に握らせて別れました。そして、出国手続きをすませると、わずか数時間の滞在だったラオスにお別れして、タイに戻ったのでした。タイのイミグレーションでは、出入国管理官がぼくのパスポートを見て、「もう帰ってきたの」と笑いながら言いました。
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これがささやかなゴールデントライアングルの中国カジノの潜入記です。

ここ数日ぼくが見たのは、インドシナ北辺で中国がやらかしていることの一部とはいえ、共通して言えることがあります。まず、彼らは2000年代に国内でやっていたことと基本、変わらないことを海外でも同じノリでやっていたようにしか見えないこと。また、いくらラオス政府から安く土地を貸与しているからとはいえ、これらの投資の回収はそんなにたやすくないのでは、ということです。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-14 10:47 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 13日

中国発アジアハイウェイ(昆曼公路)がラオス国内の移動時間を大幅に短縮させている

前回、ラオスと中国雲南省・西双版納タイ族自治州との国境であるボーテンを訪ねた話を書きましたが、ラオス北部は近年、飛躍的に交通の便が進んでいるようです。もともと山岳地帯だった地域でこんなに移動が楽になったのは道路が整備されたからです。
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のどかな山岳部に一本道が走っています。オレンジの袈裟を着た若いお坊さんが自転車を漕いでいます。

もちろん、この道路に投資したのは中国です。今回、この地域を訪ねてわかったことですが、中国は雲南省からラオス北部をタイ方面に向かって最短で突き抜ける幹線道路をすでに完成させています。中国では「昆曼公路」と呼んでいます。2008年に開通したようです。
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中国語の地図なので地名が漢字ですが、中国雲南省西双版納(シーサーパンナ)タイ族自治州のラオス国境の町・磨憨(モーハン)、そしてラオス側の町・磨丁(ボーテン)から琅南塔(ルアンナムター)を通り、会晒(フアイサーイ)まで抜けるルートです。ここでメコン河にぶつかり、対岸のタイの町はチェンコーンです。

※ボーテンについては以下参照。

ゴーストタウンと化していた中国ラオス国境の町ボーテン
http://inbound.exblog.jp/22437603/

さて、中国国境のボーテンからタイ国境のフアイサーイまでがラオスの国道3号線です。ではこれからこのルートに沿って車窓の風景を見ていきましょう。
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まずボーテン国境ゲートです。
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ゲートから2㎞先には、大型トラックの広い駐車スペースがあります。
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物流を担うのはもっぱら中国です。
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これはボーテンの集落です。以前はここも静かな山村でしたが、いまや大型車が毎日目の前を走り抜けていきます。
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雨季だったせいか、どしゃぶり雨が降ると、雨水が道路にあふれる場所もあります。
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ルアンナムターが近づくと、静かな水田地帯が見えてきます。ラオスでは、水田の中に高床式の小さな小屋があちこちに立っています。農作業の合間に農民たちがひと休みする場所だそうです。
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ルアンナムターの市街地に入ると、少数民族の衣装を着た物売りが歩いていました。ボーテンからルアンナムターまでは約60kmで、所要1時間です。
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さて、ルアンナムターは観光の町なので、若い欧米人バックパッカーの姿も多く見られ、彼らはピックアップトラックの荷台に乗ってタイ国境のフアイサーイに向かいます。
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ここから先の道路も整備されていますが、基本的に車を所有していない大半のラオスの地元の人たちは道路を歩いて通勤・通学しているようです。ジーンズ姿の女の子もいますが、民族柄の巻きスカートの子もいます。
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時折、藁葺き屋根の集落が見えてきます。電柱も立っており、電気が使える地域もあるようです。
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フアイサーイまで151kmの標識。
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途中、日本が援助していると思われる集落がありました。集落の入り口に日本とラオスの国旗が並んで描かれているパネルが立っていたからです。いかにも海外青年協力隊の現場というような写真が撮れてしまいました。
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集落には、売店もあります。
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いろんな人たちとすれ違います。家族でしょうか。
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笠をかぶっているのは、ベトナム人? この国では少数民族の扱いでしょうか。
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トイレ休憩で露店の前に停まりました。
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バナナ、マンゴー、サトウキビなど、果物を売っていました。
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道路のすぐ脇に民家があり、車窓から眺めると、目が合った村人たちはニコニコしてこっちを見ています。なんだか申し訳ないような変な感じです。このあたりは高床式の木造家屋が多いです。
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ルアンナムターから3時間ほど走ると、フアイサーイの町が見えてきました。
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ここはバスターミナルです。ルアンパバーンやビエンチャン行きのバスも出ているようです。

国道3号線の整備のおかげで、中国からラオス経由でタイに抜ける移動時間は大幅に短縮されました。この地域の旅行ガイドブックとして定評のある「旅行人ノート メコンの国」(2007年5月 旅行人刊)によると、ルアンナムターからフアイサーイまでのバス移動が所要7時間とあります。4時間も短縮されたことがわかります。

とにかく道路のすぐそばに民家があるので、車窓から人々の生活が丸見えです。なかには家の前で水浴びしている女性もいました。思うに、道路ができても、この地に暮らす人たちの生活意識はたいして変わっていないのかもしれません。道路ができたおかげで、たまにルアンナムターなどの大きな町に行くのが便利になったのは確かでしょうけど、だからといって、自分たちの生活レベルが同じように飛躍的に改善したわけではなさそうです。

少数民族の暮らす辺境と呼ばれた地は、いつの時代も、こうして地元とは無縁の意志によって拓かれていくのでしょう。今日においては、それは中国の意志ということです。

中国からタイに向かう大型トラックは、フアイサーイからメコン河を渡るため、コンテナ船に乗らなければなりません。その様子については、以下参照。

ラオスからタイへ~ボートでメコン河を渡る(フアイサーイ・チェンコーン)
http://inbound.exblog.jp/22431852/

【追記】
現在、フアイサーイとチェンコーンの間には「第4タイ・ラオス友好橋」が架けられており(2013年12月11日開通)、コンテナ船に乗る必要はなくなりました。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-13 20:39 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 13日

ゴーストタウンと化していた中国・ラオス国境の町ボーテン

2013年8月中旬、ラオス北西部のルアンナムター県と中国雲南省・西双版納タイ族自治州との国境地域であるボーテンを訪ねました。中国側の町は勐臘(モンラー)といいます。

少数民族トレッキングの拠点として知られるルアンナムターの市街地から約60km、車で1時間ほどの場所にあります。
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このキンキラキンの仏教寺院のような巨大なゲートがイミグレーションです。
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「Borten International Immigration(磨丁国际口岸)」と書かれています。
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中国客を乗せた観光バスや大型トラックが次々と通過していきます。
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実は同じ日、ぼくはムアンシンというもうひとつの中国・ラオス国境の町を訪ねていたのですが、そちらのローカル色たっぷりの風情とはまったく異なっています。
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国境ゲートの2㎞ほど手前には、大型バスが駐車できる巨大な駐車場もありました。ただし、駐車場の広さに比べると、トラックの数はまばらな気がします。
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これは中国が作成したインドシナの地図ですが、中国雲南省からタイ(バンコク)とカンボジア・ベトナム(ホーチミン)に抜ける2つの幹線道路を計画しているようです。そのいずれも、ラオスのボーテン国境を起点としていることから、この地の重要性がわかります。
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国境ゲートから5分ほど歩くと、巨大な建築群が見えてきます。ふと見ると「福兴路」という中国語の道路標示があります。えっ、ここは中国? 一瞬戸惑いを覚えます。
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そこには、ラオスの首都ビエンチャンでもめったに見かけないような大型ビルが並んでいました。
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中国語とラオス語が併記された中国食堂の看板も置かれていますが、そこにはほとんどひと気が感じられません。
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中国の郵便局がありましたが、営業していないようです。テナントの看板だけ残っていますが、シャッター通りと化しています。
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それでも歩いていると、ようやく人が姿を現しました。どうやら中国人のようです。やはり、ここは中国なのか?
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「黄金大道」という通りに出ました。
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通り沿いにはビルが並んでいますが、歩いているのはラオス人建設労働者が数人です。はるか後方に巨大なマンション群も見えます。いったい誰が住むのか?

どうやらここは、いま中国で深刻な問題となっているゴーストタウン(鬼城)そっくりです。それがラオス領内にあるというわけですが、これじゃまるで中国はゴーストタウンを輸出してしまっているのも同然です。
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右手にホテルらしい建物が見えてきました。中国の地方都市によくあるタイプのホテルで、「景兰大酒店」と書かれています。
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ロビーに入ると、客はいませんでした。ためしにフロントにいた中国人女性に宿泊料金を尋ねると、当惑した表情になり、代わって奥から警備の男性が出てきました。1泊1000元だと彼は言います。

本当に営業しているのかあやしいので、「高いですね。向かいにもう一軒ホテルがあるので、そちらに行ってみます」とぼくが言うと、男は「あそこはうちより高い。1泊1200元だ」と答えました。
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ところが、そのホテル(「黄金大酒店」といいます)を訪ねると、1泊なんと100元でした。「中国人は(見ず知らずの人間に対しては)息を吐くように嘘をつく」といいますが、悪びれることもなく見え透いたことをいう警備の男は、いかにも中国人だと呆れてしまいました。
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黄金大酒店の裏には、別のホテルらしき廃墟がありました。周辺は草で荒れ放題です。
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建設労働者向けの掘立小屋の背後に見える無人のリゾートホテルのわびしさは、何ともいえません。
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これらのゴーストタウンは中国国境から1kmほど離れた国道3号線の西側に広がっているのですが、道路の東側には、これまた中国の地方都市によくある食堂街のアーケードがありました。ここもひと気はなく、シャッター街です。
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インターネットカフェもあったんですね。
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ビエンチャンと昆明をつなぐ国際バスは、いまも走っているのでしょうか。
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それにしても、なぜ中国のゴーストタウンはラオスにまで輸出されてしまったのか? その謎を解くべく、国境ゲートと廃墟地区の中間に建っていた「老挝磨丁经济开发专区(ラオスボーテン経済開発専区)」ビルを訪ねてみました。
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出迎えてくれたのは、ひとりの若い中国人女性でした。だいたいこのビルにもひと気がないのですが、四川省出身という彼女は、日本から訪ねてきた珍客に対して、お茶やらパンフレットやらを用意し、親切に接遇してくれました。

どうやらこの国境エリアは、自由貿易地区に指定されており、2003年にラオス政府が香港系企業に土地を貸与したことから開発が始まったそうです。そこでは主にカジノを中心としたリゾート開発を行う計画でした。中国・ミャンマー国境と同じことをやろうとしたわけです。

ボーテン国境地区の開発については、ラオス在住のkenichiro_yamadaさんのブログ「ラオスのビジネスを読む。 -ブログ版-」に詳しく解説されていることを、帰国後知りました。

ラオスのビジネスを読む。 -ブログ版-
laotimes.exblog.jp

kenichiro_yamadaさんにメールで問い合わせたところ、いろいろ教えていただきました。

同ブログによると、彼が初めてボーテンを訪ねたのは、2008年9月です。

ボーテン国境(2008年9月5日)
http://laotimes.exblog.jp/8569316/

そこには、こんな風に書かれていました。

「本地域はラオス国内であることを、忘れてしまいそう。ここでは食べ物から飲料水、人、通貨、言葉、全てが中国でした。面白いことにホテルの時間も中国時間。中国南下の前線がウドムサイとすれば、ここはさながら基地といったところでしょうか」。

つまり、少なくとも5年前のボーテンはゴーストタウン化していなかったようです。では、どうしてこうなってしまったのか?

後日、kenichiro_yamadaさんは以下の興味深いレポートを送ってくれました。

【SEZ】ボーテンデンガームSEZが近く開始か

2013年4月11日、ボーテンデンガームSEZを訪問する機会を得た。本SEZは03年に設立され、10年2月4日付でボーテン黄金城SEZの活動に関する首相令が発布された後、「特別経済区:ボーテンデンガームSEZ(磨丁黄金城経済特区)」としてカジノを中心とした香港資本(Hong Kong Fuk Hing Travel Entertainment Group Ltd)による開発が進められた。その後、カジノ3施設、ホテル、アパート、商業施設、13階建ての3星ホテル、18ホールのゴルフ場、大規模ショッピングセンターの建設などが進められ、総合リゾートエリアとなることが計画されていた。

しかし、カジノに関連して殺人事件などが多発したこともあり、2011年半ばから中国政府が中国側国境(モーハン:磨憨)における中国人の出国時にラオスVISAの取得を条件としたことから、1日最大1万人程度の観光客が激減していた。また、ラオス政府側もカジノ犯罪の抑制が急務となったことから、11年6月頃からカジノを閉鎖し、立て直しを図った。

2012年4月には、Hong Kong Fuk Hing Travel Entertainment Group Ltd は株式の85%を雲南省のYunnan Hai Cheng Industrial Group Stock Co.,Ltd(云南海诚实业集团)に売却した。さらに、ラオス政府との間に特別経済区から特定経済区への格下げ、カジノ事業取り下げ(その他11事業は継続)の下で、ボーテンデンガーム特定経済区(磨丁经济开发专区)(資本金5億ドル、登録資本金1億ドル)として90年間1640haのコンセッション契約を締結している。

今回訪問した際に、SEZ委員会への聞き取りを行った所、以下のような回答を得た。

①現在、国家SEZ管理委員会に対してマスタープランを提出済みで、5月の閣僚会議にて協議・承認される見込み。これにより本格的な開発が再開される予定。

②中国側は中国人の相手国VISA無しでの出国を近く認める予定。早ければ6月頃を見込む。

③カジノ事業については、これまでラオス国内にカジノを規定する法律や管理する人材がいなかったことから問題が多かった。今後法律を整備することで、カジノを再開する可能性はある。

とのことであった。カジノの再開も視野に入れていることが印象的であった。

なお、中国人のラオスVISAは北京、昆明で取得することが可能であるが、国境周辺の中国人はこれまでアライバルビザでラオスへ入国するのが通例で、はるばる昆明まで取得しに行くことは難しい。
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また、マスタープラン案では、地域を4区に分類し、中国国境エリアを第1区「国門区」と設定し、免税区や金融区、バスターミナル、中国との商品交換区として開発。旧ボーテン村を第2区「伝統村・旅游区」とし、貯水池や緑地を残し、観光リゾート、エンタテインメント施設を建設する。第3区「物流区」はボーテン税関のボーピアト村周辺で、商品倉庫やホテル、レストラン施設を建設する。第4区は国道3号線の東側でゴルフ場を建設する計画。


なるほど、そういうことだったのですね。

しかし、今後このゴーストタウンが蘇ることがあるのでしょうか。

そうした悲観的な見方は、この地の人たちには通じないところがあるようです。というのも、この惨憺たる状況を前にしても、件の経済開発専区ビルの彼女は「もうすぐゴルフ場がオープンします。また来てくださいね」とにこやかに話してくれたくらいですから。まったくめげていないというのか、このへんの感覚がすごいですね。

いずれにせよ、これがインドシナ北辺で起きている「中国の南進」を象徴するひとつの事例であることを、ぼくはこうして知ったのでした。

【追記】
この地を訪れてから4年後、フジテレビが当地の取材映像を見せてくれました。当時ゴーストタウンに成り果てていたボーデンに再び中国の投資マネーが流れているようです。

一帯一路に流れ込むチャイナマネー(FNN2017.5.12)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00357960.html

「現代版シルクロード」の一環として、現在、東南アジアのラオスでは、中国主導による大規模な経済開発が進められています。人口700万人に満たない小国ラオスに、大量の「チャイナマネー」が流れ込んでいます。その現場を取材しました。

中国と国境を接するラオスの町、ボーテン。

「一帯一路」構想によって、建設ラッシュが進んでいる。

再開発される土地は、34平方km、東京ドームおよそ730個分。

物流センターや国際金融センター、雲南省とバンコクを結ぶ高速鉄道の駅などが建設されている。
その開発の中心を担っているのはラオスではなく、中国の企業。

開発業者は「ラオスの指導者は、『ボーテンは小香港、あるいは深センのようだ』と言っていた」と話した。

ラオスの町だというのに、住民の多くは中華系で、通りには中国語の看板があふれている。

使われている標準時間も、北京時間。

さらに、町は免税特区に指定されていて、免税店には、連日、中国人観光客が「爆買い」にやってくる。

商品の値段は人民元で書かれ、支払いも、ほとんどが人民元。

キャバレーも中国人向けにつくられ、今後も、さまざまな娯楽施設が建設されることになっている。

この町を、FNNが3年前に取材した時、ここは、ゴーストタウン同然だった。

10年ほど前、中国資本を頼りに経済特区としてカジノが建設され、当時は、大勢の中国人が詰めかけた。

しかし、賭博詐欺や公金流用など、中国人によるトラブルが相次ぎ、中国政府が、中国人の渡航を厳しく制限した。

このため、客足は激減し、カジノは閉鎖。

ホテルや商店の大半も、廃業に追い込まれた。

ところが、2015年、ラオスと中国は、「一帯一路」構想のため、新たに経済協力区にすることで合意。
再び開発が始まった。

今回も、中国が地元の行政機能を実質的に握って主導している。

町が活気づく一方、複雑な思いを抱える人もいる。

もともとの住民が、数km先の村に立ち退きさせられた。

住民は、「以前の場所は、中国人がたくさん買いに来たが、今は、みんな通り過ぎるだけです」、「ボーテンは両親の故郷なので、悲しくて腹立たしいです」などと話した。

初めてのサミットが開かれる「一帯一路」構想。

中国は、地域での影響力の拡大を狙い、ラオスなど途上国の住民の生活を変えながら、開発を続けている。


中国のラオス「進出」はここだけではありません。やはり4年前に訪ねていますが、ラオス北部は中国がまるで自国であるかのように開発を進めています。

中国発アジアハイウェイ(昆曼公路)がラオス国内の移動時間を大幅に短縮させている
http://inbound.exblog.jp/22439569/

フジテレビの取材陣のみなさんは、ぜひ中国国境のボーデンからタイ国境までの幹線道路の全域を取材してみられることをおすすめします。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-13 14:10 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 13日

ラオスと北朝鮮の国章はよく似ているけれど……

国章(ナショナル・エンブレム)とは、国家を象徴する紋章や徽章のことで、その国の歴史や風土、政治、文化などを表現しているといいます。一般に国旗よりもデザインが複雑で、英国のライオンやドイツの鷲のように、動物をメインモチーフとして描くこともあります。

2013年8月、ぼくは縁あってラオスと北朝鮮を訪ねたのですが、そこで発見したのは両国の国章がよく似ていることでした。

上がラオス、下が北朝鮮の国章です。
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ラオスの国章には、中央に黄金のパゴダがあり、その他の図柄のモチーフは水力ダムや道路、動力などの近代産業技術と、水田や穀物など農業に関係したものです。

北朝鮮の国章も、中央には「紅星」が掲げられていますが、その他の図柄のモチーフは水力ダムと穀物です。背後に見える白い山並みは白頭山のようです。

図柄が似ているのは、両国ともに社会主義国家であるという思想背景によるのでしょうが、特にラオスでは政府関係の建物には必ずといっていいほど国章が描かれているので、目に焼き付いてしまいました。
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いくつか撮影したのですが、よく見ると、色の描き方など手抜き(?)バージョンもあるようです。それでも、ラオスの国章は、国柄によく合っていると思いました。

今回あらためて思ったのは、両国はともに中国と国境を接する小国家であるにも関わらず、中国に対する姿勢や関係性はずいぶん違うように見えることです。

地方都市を走る道路などのインフラ建設は、両国ともに中国の投資に頼って進められています。とりわけラオス北部はほとんど中国のフリーハンドで開発が進められているようだったのが印象に残りました。北朝鮮でも、東北部の羅先地区の自動車道路は、港湾施設を中国に提供することを条件に、中国につくらせていました。今年の粛清騒動でその先どうなるかわからなくなりましたけれど。

ちなみに、両国について簡単に記しておきます(外務省HPより)。

●ラオス
面積:4万平方キロメートル
人口:約651万人(2012年,ラオス統計局)
GDP(名目):72兆7,274億キープ(約91億米ドル)(2012年,ラオス統計局)
主要援助国
(1)日本(2)オーストラリア(3)韓国(4)ドイツ(5)スイス(2010年,OECD/DAC)
※中国がラオスに対して行った道路建設や経済開発区の投資は、政府援助ではないため、ここには入らないのでしょうが、実際にはラオス社会への影響力は、断然中国が大きいといえそうです。

●北朝鮮
面積:12万余平方キロメートル(朝鮮半島全体の55%)(日本の33%に相当)
人口:約2,405万人(2009年10月,国連人口基金)

こうしてみると、ラオス一国ですら、中国の地方都市の人口規模にすぎないことがわかります。こういう小さな国が中国と対等に渡り合うなんてありえないのは無理もないでしょう。それを考えると、ある意味北朝鮮はすごいもんだと思ってしまいます。

最後に、インドシナ諸国の国章を挙げてみます。それぞれ違うのはもちろんですが、中国との距離感が図柄に微妙に反映されているように見えるところが面白いです。これらと比べると、いかにラオスと北朝鮮の国章が似ているか、わかっていただけると思います。
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ベトナム
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カンボジア
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タイ
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ミャンマー
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by sanyo-kansatu | 2014-04-13 12:34 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 04月 12日

インドシナ3カ国が接するゴールデントライアングル最新国境風景

タイ最北部の町チェーンセーンは、メコン河を隔ててラオスと国境を接しています。そこから西に10数キロ行くと、タイ、ミャンマー、ラオスの3カ国の国境が接するゴールデントライアングルがあります。もともとゴールデントライアングルは、周辺がケシの産地で、1970年代くらいまでは、いかなる国家も支配しない無法地帯でした。かつては中国国民党軍から独立したモン・タイ軍の司令官クン・サが支配していた麻薬の密造地帯だったのです。でも、いまではのどかな国際的観光地となっています。
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チェーンセーンはメコンのほとりの町で、人々はオレンジ色の川の流れをぼんやりと眺めながら暮らしています。川沿いには屋台やテーブルが並んでいますし、町の人たちも大樹の木陰に腰を掛けてじっと対岸を眺めている姿が見られます。大河のほとりに暮らす人々の日常ってそういうものなのだと思います。これと似たような光景を、中国とロシアの国境の町、黒河で見たことがあります。黒龍江(アムール河)沿いの町で、対岸との距離はちょうど同じくらいだったように記憶しています。
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さて、黒龍江の黒河でもそうでしたが、ここメコンのチェーンセーンでも、国境の河を遊覧する観光用のボートがあります。ただし、黒龍江では大型遊覧船しかなかったように思いますが、メコンでは個人用の遊覧ボートがあります。聞くと、約1時間のボートチャーターができるそうです。
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料金を聞くと、600B。数人でチャーターすれば安いものですが、せっかくここまで来てお金を惜しんでも仕方がありません。乗ることにしました。この看板にはライフジャケット着用と書かれています。
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人のよさそうなおじさんがボートを出してくれました。
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まず対岸のラオスに向かいます。3分も走ると、見えてきました。どうやら水上生活者の暮らす船のようです。
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粗末な小屋や船着き場も見えました。タイに比べると、ラオスの貧しさを感じます。
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そのうち、川べりで水浴びする子供たちを見かけました。こういうシーンはまるでセッティングされていたのではないかと思えるほど、旅人の眼を喜ばせてくれるのですが、たぶんラオスではふつうのことなのでしょう。中朝国境で見た鴨緑江で朝鮮の子供たちの水浴びする光景を思い出します。
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しばらくすると、おじさんは「いったんここで休憩。ラオスに上陸できるよ」と言いました。どういうことかな? と思っていたら、「Don Sao Hill Tribe Cultural Garden」と書かれたテーマパークらしい場所でボートを降ろされたのです。
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確かにそこはラオス領ですが、イミグレーションはありません。上陸すると、タイ人や欧米人の観光客がいました。
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とはいえ、そこにあるのは、山岳民族村というのは名ばかりで、ラオスの酒や土産品などが売られる店が並んでいました。
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またなぜか水牛が放牧(というのでしょうか)されていました。
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しばらく園内を歩いていると、おやおや…。女性もののバッグがたくさん並べられている店がありました。
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近づくと、やれやれ…。海賊品のブランドバッグです。
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ルイヴィトンだそうです。やったね、こりゃまた。
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しかも、こんなにたくさん! いったい誰がこんなものを買っていくというのでしょう。
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なんとも釈然としない気分でボートに戻ろうと川べりに歩いていくと、こんな看板が見えました。「老撾金三角经济特区(ラオス・ゴールデントライアングル経済特区)」と中国語で書かれています。なるほど、この山岳民族村は、中国の投資によるものだというわけです。海賊品が売られているのも、うなずけます。
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ボートはメコンの上流に向かって走り出しました。すると今度は、右手に(つまり、ラオス領に)王冠を被せたような奇態な建物が見えました。
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「あれっ、何?」。思わずおじさんに尋ねると、「カジノだよ」といいます。

なぜこんな場所にカジノがあるのか。ふとミャンマーと中国の国境にもカジノがいくつもあるという話を思い出しました。中国国境に近い北朝鮮の羅先にも香港資本のカジノがあります。来場者は当然中国人です。だとすると、ラオスでも同じことが…。
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そのうち、ボートはタイ側に寄り、ゴールデントライアングルの黄金のブッタのそばを走りました。
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これもこれで奇態な眺めではあります。タイ人というのは、本当にこういうキンキラキンが好きですね。
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さらに、ボートはミャンマーに向かって進みます。咥え煙草のおじさんの表情はなかなかいかしていますが、その向こうに見えるのは、ミャンマーのこれまたカジノだそうです。
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カジノの前でちょっと休憩。欧米客を乗せたボートがいます。このカジノには、ここから西に向かったタイ最北端の町メーサーイにあるミャンマーのイミグレーションで入域許可を取れば行けることを後で知りました。

おじさんは言いました。「ここはタイ、ラオス、ミャンマーの3カ国が接する場所。中国までは265kmある」。

ボートはここで折り返し、チェーンセーンに戻ることになりました。なるべくラオス寄りを走ってくれとおじさんに頼んだので、先ほど見た王冠のような建物を一部間近で目視することができました。
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「金三角经济特区欢迎你(ゴールデントライアングル経済特区はあなたを歓迎します)」と書かれていました。
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カジノの隣のホテルの名は「金木花园酒店(Kapok Garden Hotel)」とあります。
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今回のボートクルーズのコースが早わかりできる地図があったので載せておきます。スタート地点は地図の南にあるチェンセーン。まずラオス側に向かい、山岳民族村を訪ねて上陸したたわけですが、そこは島だったのですね。それから、タイ側に戻り、HUGE BUDDHAの近くを通り、メコン河が支流に割れるポイントまで来ると、そこがタイ、ミャンマー、ラオスの国境が交わるゴールデントライアングルです。ミャンマー領のカジノは、パラダイスホテルという名前のようです。

ゴールデントライアングルは、過去の歴史をすっかり忘れたかのように、いまや平穏そのもの。ラオスとミャンマー両方に中国のカジノが建てられているというのが、今日の時代を象徴しているというべきなのでしょうか。

翌日の朝、ぼくはラオスのカジノを訪ねることにしました。その話は別の機会に。

ゴールデントライアングルの中国カジノに潜入してみた
http://inbound.exblog.jp/22442674/
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by sanyo-kansatu | 2014-04-12 23:11 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 12日

タイ最北端の町からミャンマーへ~国境越えのタイムスリップ感に酔う半日観光

タイ最北端にあるメーサーイは、わずか10mほどの小さな川を隔てたミャンマーとの国境の町です。対岸はタチレイといいます。ここでは、外国人もミャンマーのビザがなくても入国可能で、最大14日まで滞在できます(※後述しますが、いまではこのまま陸路でヤンゴンまで行けるようになっています)。そこで、多くの外国人はミャンマーのイミグレーションでタチレイとその周辺地域に滞在可能な入域許可書を取り、1日だけのミャンマー観光を楽しみます。
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これはタイ側のイミグレーション。なかなか立派な建物です。ゲートの周辺は、国内外の観光客も多く、タイ名物の屋台がたくさん出ています。
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ここではタイ・ミャンマー両国民が通勤や通学、買い物などの日常生活の一部として日々往来しています。
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赤ん坊をそれぞれ抱えたふたりの女性が4人乗りでバイクに乗って国境を越えていく光景もごく普通の世界です。
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これが両国の間を流れるサーイ川です。右側の建物はタイのレストランバーです。夜は騒々しそうです。
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タイの出国手続きを終えると、両国の緩衝地帯に入りますが、ここにはミャンマー側の屋台が出ています。観光客が喉を潤すためジュースやフルーツを買っていくからでしょう。のどかです。
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これがミャンマー側のイミグレーションのゲートです。入国は向かって右側から。出国は左側からです。
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ミャンマー(北側)に向かって左側にパゴタが見えます。タイの寺院とは造形が違っています。
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ここで入国許可証を発行してもらいます。その場で写真を撮られ、500Bほど払います。これはミャンマーの辺域に位置する地方政府にとっての重要な収入源だと思われます。毎日入国して来る外国人の数はかなりのものですから。
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これが入国許可証です。

実は、このとき(2013年8月)、ミャンマーの入国係官に「来月から外国人も、ここから陸路でヤンゴンまで行けるようになる」と告げられました。これまでは、外国人がミャンマー国内に陸路で入国したまま、自由に移動することは許されていなかったのですが、この国の対外開放はこんなかたちで進んでいるのです。

それにしても、入国管理官たちがやけに陽気でフレンドリーです。それは前述したように、外国人が地方政府にとっての上客であるからには違いないのでしょうが、ミャンマーの人たちはこれから自分の国がだんだん自由になっていくことを、身をもって感じているのかもしれない。それが彼らの精神状態をハイにしているのでは、そんな気がしてなりませんでした。これは1980年代の中国や90年代のベトナムなどにも見られたように思います。

もっとも、ここではいかにもアジア的な場面に遭遇します。イミグレを出ると、すぐに入国係官の制服を着た若者に日本語で声をかけられました。「あれっ、あなた、また来たの? この前来たばかりでしょう」。

「えっ、…それ人違いじゃない(だって、前来たのはずいぶん昔)」と、一瞬慌てて否定すると、彼はくるっと振り向き、行ってしまいました。これ、タチレイのミャンマー人が日本人相手によくやるおちょくりの一種らしいです。

昔、アジア各地で日本人の背後から「落ちましたよ」と声をかけるという悪戯が大流行していました。そう言うと、日本人は必ず振り向くので、彼らからすると、おかしくてしょうがないのです。まったく「この野郎」と思うのですが、大人から子供まで遠慮なく仕掛けてくるので、これも彼らの悪意のない親しみの表現であると受け入れるしかありませんでした(タイではもうないと思います。でも、ミャンマーなら…)。

おそらく、その若い入国係官も、たいした理由があったわけでなく、ふらりと現れた日本人を軽くからかってみたかったのでしょう。人のいい日本人の中には、声をかけられるとついて行ってしまう人もいたかもしれない。別に詐欺に遭うとか深刻なケースはほとんどなかったとは思われますが、こういう人を脱力させるお出迎えは、久しぶりのことでした。これも、古き良き(?)アジアというべきでしょうか。
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さらに、ここはかつてのアジアだと強く感じさせたのが、イミグレの外に広がるタチレイの町の空気感でした。タイから数百メートルしか離れていないのに、なにやらけだるい熱気や土埃を多く含んだ空気に包まれているのです。赤茶けた粘りのある日差しの感じもそうですし、すくすくと育った熱帯の大樹も、メーサーイの町中ではほとんど見られなかったものです。

わずか100mの空間移動で時空を超えたタイムスリップ感が味わえるのが、タイ最北の町からのミャンマー訪問の面白さといえます。
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通りをまっすぐ進むと、ロータリーが見えてきました。「City of Golden Tryangle」というプレートが見えます。ミャンマー側のゴールデントライアングルを代表する町ということなんですね。
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周辺の建物には、さまざまな広告が貼られていますが、国境の町らしいのは、少数身族たちを登場させたミャンマービールの広告でしょうか。
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タイの「おいしい」ブランドの緑茶の広告もありました。
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実は、イミグレを出たすぐ右側にマーケットが広がっています。通りを埋め尽くすように張り出された傘の下には、さまざまなミャンマー土産が売られています。
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欧米人観光客の姿も多く見られます。
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売り子の中にはムスリムの娘たちもいます。彼女たちの顔に塗られたおしろいのようなものは、ミャンマーではごく一般的な女性の日焼け止めで「タナカ」といいます。彼女たちにとって、これはお化粧ではなく、日焼け止めという認識ですから、塗り方がずいぶんぞんざいに見えますが、これもご愛嬌というか、ミャンマーに来たという気分にさせられます。
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もちろん、こういういま風の女の子たちもいます。お手本はタイなのでしょう。
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海賊版DVDもいろいろあるようです。タイや香港、韓流もあります。日本のドラマもきっと見つかることでしょう。
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高名なお坊さんの読経のDVDも並んでいて、さすがは仏教に篤い国です。
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1時間ほど歩くと少し疲れたので、ひと休みすることにしました。見つけたのは、オープンエアの食堂のような店です。店内から海外のポップミュージックが聞こえてきて、「ミュージック・バー」と書かれています。
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そこはMTVのビデオを放映する食堂でした。せっかくですから、ミャンマービールを注文。
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英語のメニューがあったので、フライドヌードルを頼むと、チェンマイあたりでよく食べるカオ・ソーイに似た濃厚な味付けのやきそばが出てきました。スープ付きです。

昼間からビールを飲んだせいか、食事を終えると、突然ひどい睡魔に襲われました。しかし、その底なし沼に引き込まれていくような感じがなんともいえず心地よいのです。身体がとろけるようなまどろみ感。ここ数日の旅の疲れが出てきたのかもしれませんが、タイやラオスでは感じることはありませんでした。

気がつくと、30分ほどその場に寝てしまいました。別に薬を盛られたとか、そういう話ではありません。思うに、すべてはこの国の、あるいはこの辺境の町の空気感がそうさせたのでしょう。

ふと周囲を見回すと、客はほとんどいなくなり、ウエイトレスの子たちも食事中でした。寝ぼけていたせいか、ピンボケですいません。彼女もタナカを塗っています。
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アジアに来ると、自分の知り合いによく似た女の子がいて、びっくりすることがあります。写真の写りが悪くて彼女には申し訳ないですが、この子もそうでした。「大学時代のゼミの○○さんにそっくりだ。これはどうしたことか」なんて思ってしまうのです。すごく不思議で、おかしな気分です。いったい彼女はいまどこでどうしているのやら?

傍から見ると、そんなことを夢想しながらニヤニヤしている日本人は怪しすぎますが、ミャンマーあたりでは、彼女たちも笑顔で受け流してくれるのはありがたいことです。こういう感じは、もうアセアン第二の経済大国の首都であるバンコクあたりでは感じることはほとんどありません。

それにしても、いったいぼくは何しにミャンマーに来たのだろうか。自分なりに考えた答えは、昼寝をしに、です。これは自分ながら気に入りました。こういう時間がときには必要なんです。
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ミャンマーに来てもうひとつ面白いと思ったのが、車のプレートでした。これホンダ車ですが、この子供の落書きのような文字がミャンマーの数字のようです。かわいくて、なんとも脱力感たっぷりです。

※参考:ミャンマーの数字

夕方が近づいてきたので、そろそろタイに戻ることにしました。再びイミグレで出国手続きをし、タイ側に向かいます。途中、ミャンマー側が経営する免税品店がありました。中を覗くと、ちょっとしたブランド品やワインなどが売られていました。
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急に現代に呼び戻されたような気分になりました。
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タイ側のイミグレに向かう途中、学校帰りなのか、小学生の女の子3人が歩いていました。彼女たちはタイ人なのか、ミャンマー人なのか。どちらの学校に通っているのか? もしタイ語がわかれば聞いてみたいものですが、詳しくはわかりません。
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これが入国管理所です。外国人たちが入国のための書類を書いています。ぼくも書きました。
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タイに戻ると、今度は小型トラックに乗せられミャンマー側に帰っていく中学生くらいの制服姿の男の子たちを見かけました。

タイ最北端の町からミャンマーへの半日観光。しかし、そのわずか100mの国境越えのタイムスリップ感に酔いしれた1日でした。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-12 13:01 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 12日

ラオスからタイへ~メコン河をボートで渡る(フアイサーイ・チェンコーン)

アジアの旅の楽しさは、ローカルバスに乗ったり、ボートで川下りしたり、普段めったに味わえない乗り物体験を、選択の余地もなく、やってしまえることに尽きますね。

「選択の余地もなく」といったのは、それ以外の交通機関が存在しないので、現場に身をまかせるしかないということです。
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2013年8月中旬、ラオス北西部の国境の町、フアイサーイにいました。タイとの国境を隔てているのはメコン河です。対岸の町はチェンコーンといいます。

フアイサーイには午前中のうちに着いたので、お昼をここで取り、午後は早目にタイに向かう予定でした。
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フアイサーイでは、多くの若い欧米人バックパッカーの姿を見かけましたが、町自体はこれといって何があるというわけではありません。お昼には少し間があったので、ボート乗り場の向かいの高台にあるお寺に上ってみることにしました。
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ここからなら、対岸のタイの町がよく見えると思ったからです。
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けっこう長い階段を上ると、目の前にお寺が現れました。ワット・マニラ―トといいます。造形的にはタイのお寺に似ていますね。
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境内には、オレンジ色の袈裟を着た小学生くらいのお坊さんたちがいました。小坊主といえば、日本では「一休さん」が有名ですが、インドシナの仏教国では、当たり前のように存在しているのですね。彼らは「ハロー」といって手を振ってくれました。
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境内からは、確かに対岸のタイの様子とメコン河を渡るボートが見えました。渡し船というやつですね。
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お寺から降りて、銀行で手持ちのラオスキップをタイバーツに両替してから、町のホテルでお昼をとりました。ラオビールもこれで飲み納めです。
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さて、いよいよメコンを渡ります。まずイミグレーションでラオスの出国手続き。
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次に、ここでボートのチケットを買います。片道1万キップ(約100円)。
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川沿いにはたくさんのボートが浮かんでいます。
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対岸から地元客を乗せたボートがやって来ました。
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ぼくの乗ったボートにはタイ人の旅行客や地元の人しかいませんでした。
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岸を離れたボートから見ると、ラオス側の乗り場には国旗がはためいています。
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対岸に見えるのがタイ側のボート乗り場です。イミグレーションも見えます。
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ようやくチェンコーンに到着。地元の人はお米を運んだり、けっこう荷物があります。
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「ようこそ、タイへ」
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これがタイの入国管理所です。パスポートを見せるだけでOKです。
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2015年のアセアン統合を伝える看板がありました。これはタイの空港や国内各地のイミグレーションでもよく見かけます。
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入国手続きを終え、さてこれからどうやってゴールデントライアングル方面に行こうかと思案していると、目の前に大型トラックが何台も並んでいるのが見えました。
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どうやらラオス行きの物流車のようです。川岸に向かって歩いていくと、トラックを載せてメコン河を渡る船が停泊していました。
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船が出港するまでの時間、この光景をずっと見届けてしまいました。
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こんな重いトラックを何台も載せて、すごいなあ。まるで素朴すぎる感想ですけど、こういうときは、子供が乗り物を眺めているのと変わらないですね。
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そして、ついに出航。轟音を立てて、船はトラックをけん引していきます。

【動画】タイ・ラオス国境 メコン河の物流のいま(フアイサーイ・チェンコーン)2013年8月中旬
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※もしおひまでしたら、どうぞ。


今後、タイとラオスの間には、ビエンチャンとノーンカーイ間のようなメコン河をつなぐ国境橋がいくつもつくられていくのでしょうか。ただし、この状況からわかるのは、メコン河を下る航路や物流を考えると、下手に小さな橋をつくるわけにもいかないということでしょう。船がくぐれなくなると困りますから。相応の物流と人の往来が見込めなければ、投資も簡単にはできないはずです。ラオスの人口は、中国と比較するとおそろしく少ないのです。
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中国のインドシナ南進の勢いも、メコン河を隔てた先はそう一筋縄ではいかない気がしますが、これからどうなるのでしょう。

【追記】
その後、フアイサーイとチェンコーンを結ぶ「第4タイ・ラオス友好橋」が2013年12月11日に開通したことをネットで知りました。

第4タイ・ラオス友好橋が開通 
http://www.newsclip.be/article/2013/12/12/20069.html

「第4」とあるように、これはタイとラオスの国境であるメコン川をまたいで渡る4つめの橋ということです。橋の全長は630m、幅14.7m。建設費は16億バーツで、タイと中国が半分ずつ負担したそうです。これで、中国雲南省の昆明からタイのバンコクまでを陸路でつなぐ1本のハイウェイが完成したことになります。

現地在住の日本人のブログによると、2013年8月にぼくがこの国境を渡ったボートは、現在地元の人間以外は利用禁止で、外国人は乗れなくなってしまったようです。イミグレーションも閉鎖されたとか。ということは、ぼくはこのボートで渡るのどかな国境の最後の年の渡航者になってしまったということです。

チェンマイ在住日本人のブログより
http://chaocnx.seesaa.net/article/384002459.html

今後、中国とタイの物流はますます盛んになることでしょう。船で大型トラックを渡す光景も見納めだったわけです。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-12 11:23 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 10日

タイの長距離VIPバスはこんなに快適!

春が来て、桜の季節もあっという間に終わりました。空気がぬるむと、旅の衝動が身体に蘇ってくるのがちょっとうれしい今日この頃です。

そこで、2013年8月のインドシナ北辺旅行を思い出しつつ、出しそびれていたいくつかの報告をしようと思います。
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最初は軽い話題から。タイの長距離VIPバスはとても快適だった、という話です。

ぼくがバスに乗ったのは、タイ最北部の町で、ミャンマーとの陸路の国境ゲイトのあるメーサーイからチェンマイまでの約3時間でした。
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これがメーサーイの国境ゲイトです。しばらく見ないうちに、ずいぶん立派な建物になっていました(前日、ぼくはここを抜けて半日ほどミャンマーで過ごしたのですが、それは別の機会にしましょう)。
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ここがメーサーイのバスターミナルです。ちょっと鄙びて老朽化しているのも悪くありません。メーサーイの中心からバイクタクシーで5分ほどの場所にあります。バスのチケットは前日のうちにここに来て購入しました。200Bほどでした。
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バスは午前8時15発。少し早めにターミナルに来ていたぼくは、待合室に座ってバスが現れるのを待っていました。
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すると、8時きっかりにターミナルに置かれていたテレビの場面が突然、戦車やらタイ国旗やらが乱れる、いわゆる国威発揚的な映像に変わり、最後に国王の映像が流れました。これは毎朝8時と夕方6時に国営テレビが放映しているタイの国歌らしいのですが、何人かの若いタイ人たちは起立して国王のお言葉を拝聴していました。立っているのは女の子のほうが多いようです。バンコクのような都会では、学校にでも行かなければこういう光景は見られないかもしれません。

【動画】タイの国歌放映(一部)
※昨今のタイ情勢は、ここで謳われている国民統合の危うさを感じさせて、なんとも心配です。
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しばらくすると、バスがやって来ました。タイの長距離路線バスには、いくつかのクラスがあります。たいてい外国人はVIPバスを勧められます。ぼくの乗ったバスには、明るい黄緑色の制服を着た女性ガイドさんが同乗していました。昔からタイのバスや鉄道で働いている女性スタッフの雰囲気が好きでした。ちょっとけだるい感じの田舎のおねえさん的な接客がとても好ましく、ぼくには新鮮に感じられるからです。
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座席はリクライニング付きの快適なものです。中国の地方を走る路線バスも、最近ずいぶんよくなってきましたが、まだまだタイのほうが進んでいるように思います。
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バスガイドさんから乗客一人ひとりに、菓子パンとミネラルウォーターとマンゴージュースが配られました。朝食付きというわけです。
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タイの主要な地方都市をつなぐ幹線道路は整備されており、快適な走行でした。あんまり快適すぎて、途中メーサーイから県外に出るとき、検問があって、警察官がチェックに入って来たことくらいしか特筆することはありませんでした。

思い出していたら、急にまたこのバスに乗りたくなってしまいました。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-10 11:35 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 03月 29日

2013年、九州に寄港する外国クルーズ船はなぜこんなに減ったのか

台湾発のクルーズ客船「スーパースター・アクエリアス」は、毎年4月から10月下旬まで毎週1回、那覇港と石垣港に寄港します。同船は、日本で唯一の外国からの定期クルーズ船です。同船の寄港日に上陸する約1500人の台湾客は、那覇の風景を大きく変えています。
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※沖縄に寄港する外国クルーズ船と乗客の動向については、以下の記事を参照。
【前編】台湾発クルーズ客船、那覇寄港の1日ドキュメントhttp://inbound.exblog.jp/20363867/
【後編】台湾発クルーズ客船、那覇寄港の1日ドキュメントhttp://inbound.exblog.jp/20365044/
沖縄には欧米客を乗せたクルーズ客船も寄港しますhttp://inbound.exblog.jp/20366268/

「スーパースター・アクエリアス」は、今年も4月6日からやって来ます。那覇港に寄港する国内外を合わせたクルーズ客船の予定は以下を参照ください。

那覇港管理組合
http://www.nahaport.jp/kyakusen/nyuukouyotei2014.htm

では、沖縄以外の国内の港ではどうなのでしょうか。先ごろ、大型客船のクイーン・エリザベスが干潮時に横浜ベイブリッジを潜り抜け、横浜港に寄港したニュースがありましたが、今年も全国各地に外国クルーズ船は寄港する予定です。各港の予定は以下のサイトが参考になります

一般社団法人日本外航客船協会
クルーズ船寄港地
http://www.jopa.or.jp/port_detail/port.html

上記2サイトで調べる限り、沖縄県(那覇、石垣)は国内最大級の外国クルーズ船の寄港地といえます(国内クルーズ船を入れたトータルの2013年のクルーズ寄航数では、横浜、神戸に次ぐ3位。那覇港は外国客を乗せたクルーズの比率がいちばん大きい)。

では、今年沖縄以外ではどこの港に多くの外国クルーズ船が寄港するのか。ざっと調べてみると、以下の4港が多そうです。

横浜/「ダイヤモンド・プリンセス」(英)、「コスタ・ビクトリア」(伊)ほか
神戸/「コスタ・ビクトリア」(伊)、「サン・プリンセス」(米)ほか
博多/「コスタ・アトランティカ」(伊)、「ダイヤモンド・プリンセス」(英)、「ボイジャー」(英)ほか
長崎/「ダイヤモンド・プリンセス」(英)、「セレブリティ・ミレニアム」(米)ほか

横浜港クルーズ客船寄港予定 
http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/cruise/schedule/2014.html
神戸港クルーズ客船寄港予定 
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/leisure/harbor/passenger/schedule/
博多港クルーズ客船寄港予定
http://port-of-hakata.city.fukuoka.lg.jp/guide/cruise/index.html
長崎港クルーズ客船寄港予定
http://www.jopa.or.jp/port_detail/nagasaki.html

調べていくうちにわかったことがあります。

九州では、2012年空前の外国クルーズ船の寄港ラッシュに沸いたこと。ところが、13年に入ると大幅な減少が見られたことです。

※クルーズ船寄港回数(国内クルーズ船も含む総数)
博多港 2012年:112回→13年:38回
長崎港 2012年78回→13年:48回

なぜこんなに九州に寄港する外国クルーズ客船が減ってしまったのか。

上記2港の関係者に電話取材したところ、2つの理由が見えてきました。まず、2012年秋以降の日中関係の悪化により大型客船「ボイジャー・オブ・ザ・シーズ」「レジェンド・オブ・ザ・シーズ」(米)、「コスタ・ビクトリア」(伊)などの中国発チャーター・クルーズ船の寄港が途絶えたこと。もうひとつは、2011年末に韓国初のクルーズ船会社として創業されたハーモニー・クルーズ社が、12年2月より博多や長崎に多数寄港させた「クラブ・ハーモニー」(韓)が営業悪化のため、13年2月からあっさり運休したことです。

博多港の2012年のクルーズ船の寄港実績をみると、この年の大半の外国クルーズ船が前述した中国発および韓国発だったことがわかります。これが一気に寄港しなくなったわけですから、激減するのも無理はありません。長崎港でも状況は同じでした。

国土交通省が2012年11月に作成した外国クルーズ誘致を促進するための資料に、以下のような統計があります。

外国船社クルーズ船寄港回数上位10港(国内クルーズ船は含まない)

2005年 1位那覇29回/2位石垣29回/3位長崎24回/4位平良22回/5位横浜11回 計199回
2006年 1位長崎50回/2位広島23回/3位神戸18回/4位萩15回/5位宇野14回 計251回
2007年 1位長崎37回/2位那覇26回/3位石垣25回/4位神戸19回/5位鹿児島16回 計281 回
2008 年 1位那覇51 回/2位石垣37回/3位鹿児島30回/4位博多25回/5位長崎25回 計318回
2009年  1位那覇50回/2位長崎45回/3位石垣32回/4位博多28回/5位神戸22回 計348回
2010年  1位博多61回/2位那覇46回/3位鹿児島45回/4位石垣45回/5位長崎39回 計338回
2011年 1位石垣46回/2位那覇37回/3位博多25回/4位長崎17回/5位横浜13回 計186回
2012年 1位那覇73回/2位博多63回/3位長崎55回/4位鹿児島37回/5位石垣33回 計459回 ※ただし、これは2011年12月時点での予定。

これからの観光とクルーズ
http://www.marine.osakafu-u.ac.jp/~lab15/society/PDF/soukai/04.pdf

これをみると、もともと外国クルーズ船は沖縄や九州に多く寄港していましたが、2008年頃より急増しています。中国や韓国からのクルーズ船がこの時期に増えたためです。東日本大震災の2011年はいったん減っていますが、翌12年に大幅にアップしました。これが空前の九州クルーズラッシュとして話題となったのです。当時の状況について、観光庁長官も以下のように明るい展望を語っていました。

観光庁の井手長官、“黒船”来航でどうなる今後のクルーズ振興
http://www.cruise-mag.com/news.php?obj=20120619_01

ところが、その盛り上がりもわずか1年で萎んでしまったのでした。関係者の落胆ぶりが思いやられます。

それでも、2013年の秋頃から、少しずつ上海発のチャーター・クルーズ客船が九州各港に寄港するようになっています。ただし、その勢いは12年には到底及びませんし、実は九州の港湾関係者も、以前のように積極的に中国からのクルーズ船の寄港をメディアに対してアピールしていないようです。その背景には、2012年秋の尖閣事件直後の中国クルーズ船の熊本港寄港が中国国内でバッシングに遭ったことに対するトラウマがあるからに違いありません。日中関係が好転していないいま、あまり騒ぐとかえって中国世論を刺激し、逆効果を生むのではないか。九州のクルーズ関係者の間にそんな複雑な思いが共有されているようなのです。

東京にいると、航空便による中国客の大幅回復が強く実感されますが、九州では少し事情が異なるようです。

※もっとも、九州在住の帆足千恵さんが最近、「九州は日本のクルーズ先進地になれるか? 福岡クルーズ会議から」というコラムを書いていて、九州がいかに熱心にクルーズの誘致に再び取り組もうとしているか、報告されています。要注目です。

※2014年に入り上海発のクルーズ船は再び博多港を訪れるようになりました。寄港状況は以下参照ください。

博多港クルーズ客船寄港予定
http://port-of-hakata.city.fukuoka.lg.jp/guide/cruise/index.html
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by sanyo-kansatu | 2014-03-29 12:53 | “参与観察”日誌 | Comments(0)