ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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タグ:アート・建築・映画・サブカル ( 151 ) タグの人気記事


2017年 11月 04日

104 ポーランド生まれの木材商人コヴァルスキーの館(ハルビン)

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ハルビン駅から紅博広場に向かって郵政街を左に曲がった先に、かつてポーランド生まれの木材商人コヴァルスキーの建てた洋館がある。彼は東清鉄道建設が始まった1898年にハルビンに来て、木材ビジネスで巨万の富を築いた。ハルビンを代表する豪邸で、新中国建設後は毛沢東をはじめとする領袖たちの黒龍江訪問時の住居兼執務室として使われた。現在、革命領袖視察記念館となっている。(撮影/2014年7月)

※ハルビンには古い洋館がたくさん残っていて、その豪奢さに驚かされます。東京の鳩山御殿などよりずっと高い価値があるはずです。20世紀初頭のハルビンの繁栄ぶりがわかります。

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by sanyo-kansatu | 2017-11-04 08:59 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 10月 26日

100  松花江沿いのシベリア建築

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松花江沿いの公園には、木造のシベリア建築がいくつも残っている。1930年代に日本の建築家によって建てられたもので、当時は夏の行楽と憩いの場となっていた。現在はカフェやショップとして使われている。(撮影/2014年7月)

※松花江沿いにはロシア人が建てたヨットクラブの建物なども残っていて、いまはレストランとして使われています。ロシア料理を出す店もあります。

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by sanyo-kansatu | 2017-10-26 07:20 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 10月 25日

099 アールヌーヴォー建築はKFCになっていた

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かつてハルビンを代表するロシア正教会(中央寺院)のあった紅博広場の近くにある、ユニークなアールヌーヴォー建築も旧東清鉄道社宅だった。1990年代には中国への進出の早かったベネトンのショップだった時期もあったが、現在、KFCとして使われている。(撮影/2014年7月)

※この種の中国のユニークな建築の存在に最初に目を付けたのは、外資系企業でした。中国建国以降、灰色の社会主義建築で覆われていたハルビンのあちこちに残っていたロシア時代の建築は、文革当時はブルジョワ的とされ、その一部は破壊されたものもあったのですが、改革開放以降の新時代に見直されることになります。いまではお化粧直しされ、市を挙げたPRに使われています。時代の波に翻弄されながらも生き残ってきたこれらの老建築はハルビンの魅力のひとつとなっています。

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by sanyo-kansatu | 2017-10-25 08:30 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 10月 24日

098  旧東清鉄道社員の宿舎(現ハルビン南崗展覧館)

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ハルビンに東清鉄道を建設したロシア人たちの社員宿舎だったという建物は、この町にあるアールヌーヴォー建築の代表作のひとつ。現在はハルビンの100年間の歴史を展示する博物館として使われているが、かつては幼稚園として使われた時代もあった。(撮影/2014年7月)

※ぼくはこのユニークな建物が幼稚園として使われていた1990年の頃、ここを訪ねたことがあります。子供たちが好むようにピンクや黄色などに塗りたくられ、あの当時のハルビンとしては斬新かつポップな様相を呈していました。いまは博物館で、1920~30年代のロシア文化が花咲くハルビンの写真や遺品を観ることができます。


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by sanyo-kansatu | 2017-10-24 08:44 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 10月 23日

097 ハルビンはアールヌーヴォーの街

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19世紀末にロシア人に造られたハルビンには、ヨーロッパから多くの外国人が集まってきており、さまざまな様式の西洋建築が建てられた。なかでも当時隆盛を極めたアールヌーヴォー建築が、遠く離れたこの地に周回遅れで建てられた面がある。その有機的なモチーフや曲線を多用するデザインは遊び心にあふれていて、当時のハルビンはまるでおとぎの国のようでもあった。(撮影/2014年7月)

※いまでこそ、高層ビルもずいぶん建てられたハルビンですが、昔からロシアや日本時代のユニークな建築が印象的な街です。建築を訪ねて旅する人も多くいます。

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by sanyo-kansatu | 2017-10-23 09:25 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 10月 09日

日本時代の記憶がそこかしこに残るサハリンの港町コルサコフ

コルサコフは少々くたびれた感じの港町ですが、戦前から稚内と航路もつながっており、日本時代の樺太の記憶がそこかしこに残っています。

日本からの航路の玄関口としては垢抜けなさがちょっと残念な港町コルサコフ
http://inbound.exblog.jp/27262734/

港に近い線路跡のさびれた光景は、日本のどこかの昭和の風景のようにも思えてきます。
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日本時代に建てられたレンガ倉庫も残っています。
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これは旧北海道拓殖銀行大泊支店ですが、現在改修中です。元の姿をプリントしたカバーをかけられているのは、少々興ざめですけれど。
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港からレーニン広場に向かってクラスナフローツカヤ通りのゆるやかな坂道を歩いていくと、左手に古い石段があります。これは日本時代に建てられた亜庭神社に上る階段です。階段を上ると、当時の社殿は残っていません。
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この通りと並行して南北に伸びているソビエト通りは、この町のメイン通りです。商店やカフェが並び、週末には市が出ます。そこに昭和モダン風の建物があります。
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この建物の前の門に表札を取り外した跡が残っています。このような跡は、中国の大連など日本時代の家屋が多く残っていた都市でも見かけることがあります。
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この町いちばんのホテル・アルファには、亜庭神社から運んできたのではないかと思われる石の灯篭や水おけを蒐集しています。
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ホテルの前になんのことはないその一部が置かれていました。
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日本時代の記憶を伝えようとしているのがコルサコフ郷土歴史博物館です。これまで見てきたサハリンの田舎町の博物館同様、地元の歴史や自然、日本時代の歴史や生活用具などが展示されています。
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コルサコフ郷土歴史博物館(Корсаковский историко-краеведческий музей)
http://sakhalin-museums.ru/museum/korsakovskiy_muzey/

樺太時代をいまに伝えるサハリン州郷土博物館
http://inbound.exblog.jp/27174994/
ノグリキ郷土博物館で知るサハリン北部に住んでいた先住民族たち
http://inbound.exblog.jp/27122360/
先住民とロシア人、日本人の関係を物語るポロナイスク博物館の展示
http://inbound.exblog.jp/27257855/

これまで見てきたサハリン北部や中部には複数の先住民族がいましたが、コルサコフのあるサハリン南部に住んでいたのはアイヌだけだったことから、この町の歴史を美しく整理した展示パネルの最初のページはアイヌの時代です。その後、樺太南部が日本領になるまで3つの時期に分かれます。まずロシアがサハリンを発見した航海時代、そして江戸後期から明治時代の日ロの交渉前の樺太が日本人とロシア人、先住民が混住していた時代、最後は明治8年(1875年)の樺太・千島交換条約で、樺太はロシア、千島列島は日本と国境画定されて以後の時代です。
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1904年~05年の日露戦争後の日本時代はパネルだけでなく、ひとつのコーナーになっています。
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1905~45年、この町は「大泊」と呼ばれました。当時の建築物のパネルです。
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これが当時の港の光景です。当たり前のように日本家屋が並んでいます。
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やはり当時のカフェや料亭のおちょこや徳利が展示されています。
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当時の日ソ国境画定の地図です。こうした時代があったことをロシアの博物館は歴史として淡々として伝えています。
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ここにもありました。お約束の「ロシア人は文明人」の小部屋です。
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最後は、稚内からの定期船をはじめとした国際定期航路や貨物船が発着するコルサコフ港を一望する展望台です。見晴らしの良い丘の上にあり、「朝鮮人望郷の丘碑」が立っています。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-09 23:27 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 06日

旧落合王子製紙工場跡の管理人は「こうなったのはゴルバチョフの頃だ」と話す

ポロナイスクから夜行列車に乗って、朝5時半過ぎにドリンスクに到着。そのまま乗っていれば、1時間後にユジノサハリンスクに着くのに、わざわざこの駅で降りたのは、前日に引き続き、旧王子製紙工場跡を訪ねるためでした。

駅を降りると、ホテルが1軒ありましたが、鍵がかかって中に入れないし、カフェも開いていない。タクシーもいません。一瞬、途方に暮れましたが、少し歩くと、食材店があり、ドリンクとハンバーガーを買うことができたので、スーツケースに座って食べていると、1台のタクシーが現れました。

「завод(工場)」「фотография(写真)」と声をかけると、ニッコリして乗れといいます。駅からわずか車で5分の場所に旧落合王子製紙工場跡がありました。
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工場跡は野良犬のすみかとなっていて、タクシーが構内に入ると、一斉に何十匹もの犬たちが吠えたてました。
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とはいえ、犬たちも吠えるだけで、近づいては来ないようだったので、さっそく探索を始めました。
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旧落合王子製紙工場の始まりは、大正6年(1917年)に日本化学紙料が日本初のクラフト専門工場として操業したことで、昭和8年(1933年)王子製紙が吸収合併しました。終戦後はソ連の国営企業として1995年まで操業していました。操業停止後は、ドリンスク市内へ温水と暖房を供給する施設として使われています。
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探索中、温水施設の管理人のおじさんが現れました。どう見ても不審きわまりない外国人を見ても、いっこうに驚くそぶりもなく、穏やかな笑顔で迎えてくれました。これまで同じように撮影をしに来た日本人がいたせいでしょう。
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おじさんについて温水供給施設の中を見せてもらいました。
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片言の英語を解するタクシードライバーを通じて「いつまで操業していたのか」といった主旨の質問をしたところ、管理人のおじさんは「こうなったのはゴルバチョフの頃だ」と当時のリーダーの名を口にしました。

ロシア語で「再構築(改革)」を意味するペレストロイカは、社会主義的な運営を続けていたサハリンの製紙工場を操業不能にしました。それはこの島の人たちの暮らしに打撃を与えたはずです。

林芙美子は昭和9年(1934年)に樺太を訪ね、王子製紙が各地に建てた製紙工場のせいで「樺太には樹木がない」と嘆きました。「或人は、樺太島ではなくて、王子島だと云ったほうが早いと云っていました。どの駅へ着いても、木材が山のようです」(「樺太への旅」)とまで書いています。

「樺太には樹木がない」と書いた林芙美子と旧敷香王子製紙工場廃墟
http://inbound.exblog.jp/27257929/

しかし、当時9つあった工場はそのままソ連に引き継がれました。それから操業停止に至る約50年間、これらの製紙工場のために、樹木の伐採がどれだけ続けられたのか、それは知る由もありません。物事には、そして歴史認識もそうですが、常に別の側面があるといえます。
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工場の周囲には、カラフトフキの大きな葉が瓦礫を覆うように増殖していました。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 16:03 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 06日

「樺太には樹木がない」と書いた林芙美子と旧敷香王子製紙工場廃墟

ポロナイスクでは、旧敷香王子製紙工場の廃墟も訪ねています。昭和10年(1935年)に操業を開始した、樺太で最後に造られた工場のようです。

以下、写真家の佐藤憲一さんの写真を見ていきましょう。
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ところで、昭和9年(1934年)に樺太を訪ねた林芙美子は「樺太への旅」にこんなことを書いています。

「この豊原に来るまでに、一時間あまり車窓を見て驚いた事は、樺太には野山という野山に樹木がないことでした。(中略)どのように樺太の山野を話していいか、まるで樹の切株だらけで、墓地の中へレールを敷いたようなものです。

私は大泊までお迎えに来て下すった友人たちに、「いったい、これはどうしたのですか!」と驚き呆れて訊いたものです。

行けども行けども墓場の中を行くような、所々その墓場のような切株の間から、若い白樺がひょうひょう立っているのを見ます。名刺一枚で広大な土地を貰って、切りたいだけの樹木を切りたおして売ってしまった不在地主が、何拾年となく、樺太の山野を墓場にしておくのではないでしょうか。盗伐の跡をくらます為の山火や、その日暮しの流れ者が野火を放って、自ら雇われて行くものや、樺太の自然の中に、山野の樹木だけはムザンと云うよりも、荒寥とした跡を見ては、気の毒だと思います。樹が可哀想です」

かなりショッキングな記述です。林芙美子が敷香を訪ねた年、まだこの工場は操業していませんでしたが、建設中の巨大なシルエットを目にしていたはずです。彼女は樺太の日本領の北限の町までやって来る道中、車窓を眺めながら、ずっと「樺太の山野」の不幸について考えていたようです。

当時は、こういった植民地批判を書くと、当局から目をつけられかねない時代でした。

製紙工場の迫力ある廃墟を見ながら、これが全力で操業していた時代は、どれほどの樹木を伐採していたかと思うと、空恐ろしい気がしてきます。

大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子)
http://inbound.exblog.jp/27234045/
先住民とロシア人、日本人の関係を物語るポロナイスク博物館の展示
http://inbound.exblog.jp/27257855/

もっとも、この工場を引き継ぎ、その50年後、操業停止に至ったロシア人たちの心中もまたいろいろです。

旧落合王子製紙工場跡の管理人は「こうなったのはゴルバチョフの頃だ」と話す
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 14:43 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 06日

先住民とロシア人、日本人の関係を物語るポロナイスク博物館の展示

昭和9年(1934年)6月、林芙美子が訪ねた樺太の敷香町(現ポロナイスク)には、「オタスの杜」と呼ばれた先住民の集落がありました。彼女が書いた紀行文「樺太への旅」によると、そこにはニブフ(ギリヤーク)やウィルタ(オロッコ)、エヴェンキ(キーリン)、ウリチ(サンダー)、ヤクートなどの先住民が集められ、日本語教育が行われていました。

大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子)
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今日、こうした先住民たちの暮らしは現代化していますが、かつての様子を記録し、展示しているのがポロナイスク郷土博物館です。
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ポロナイスク郷土博物館(Поронайский краеведческий музей)
http://sakhalin-museums.ru/museum/poronayskiy_muzey/

同館には、ニブフやウィルタ、ナナイ、エヴェンキ、そしてアイヌの5部族の展示があります。

これはニブフの衣装や生活用具の展示です。ガラスのケースの上に、ニブフの若い女性が並んだ写真がありますが、林芙美子がこの町を訪ねた頃、オタスの杜では同じような光景が見られたのではないでしょうか。
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左のブルーの衣装はニブフのものですが、右側のケースは漁労の民ナナイ(ゴリド)のものです。
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カラフルなパッチワークのような布はナナイのものです。
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トナカイと一緒に展示されているのは、エヴェンキのコーナーです。
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こちらはウィルタのコーナーです。ウィルタもエヴェンキ同様、トナカイを飼います。
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最後はアイヌのコーナーです。樺太中部にあたる敷香は、アイヌの住む北限だったようです。熊の木彫りや鍋があることから、アイヌは当時から日本人との交流があり、他の先住民族とは少し違うところがあったのかもしれません。
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そして、これは他の博物館もすべて同様なのですが、日本時代のコーナーがあります。ケースの中にはおちょこやとっくりが数多く並べられています。林芙美子の「樺太への旅」に「ここは如何にも新興の町らしく、まずカフェーや料理屋が多い。シスカ会館と云う家では、二十人ばかりの女給が、メリンスのセーターを着ていて、何とも珍妙な姿でした」と書かれており、おそらくこれは…と思わざるを得ませんでした。
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そして、もうひとつがお約束のロシア人の生活を展示する部屋です。先住民族の展示とはまったく違い、同じ時代、すでに文明人であったことを強調しているように見えます。
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1945年9月、南樺太を取り戻したスターリンの偉業も展示されます。
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一方、館内の真ん中に大きなスペースがあり、ひとりの女性が座ってなにやら作業をしています。
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はにかむ彼女は先住民の女性で、ここは民族文化を学ぶワークショップのためのスペースでした。これはノグリキ郷土博物館にもあったものです。
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これらの展示構成は、サハリンにおける先住民とロシア人の関係、そして歴史的に一時期主役であったものの、いまは存在しない日本人の位置づけを物語っています。ただし、中国の歴史博物館のように、日本を責め立てるような意図はなさそうです。過去の歴史の話で、現在の構成員ではないので、そんな必要はないのです。

それでも、2階の会議室や写真展示室をみていると、日本時代の写真も多く展示されています。
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そのうち、最も存在感が大きいのは、操業を停止してしまった旧敷香王子製紙工場の往時の姿です。今日、ポロナイスクは人口1万5000人の町ですが、おそらく工場が稼働していた時代が最も活力があったに違いありません。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 14:02 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 06日

084  遊園地の中にある旧ウスペンスキー教会

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ハルビンに数ある教会の中でも、独特の雰囲気を残しているのが、旧ウスペンスキー教会だ。1908年に建てられたロシア聖堂だが、現在は遊園地の中にある。蔦のからまる外壁はかなり老朽化していて、立法体の建物の上にちょこんと載る円筒系の塔には鐘が吊るされていたはずだが、現在非公開。(撮影/2014年7月)

※ウスペンスキー教会は、ハルビンの中でいちばん好きな教会です。遊園地の中にあるため、周囲はいろんなものに囲まれて不思議な光景に見えますが、それも現代中国的というべきか。20世紀初頭に建てられたこの建築スタイルは、最近ロシアで次々に建てられる新しい教会にはないユニークなものです。

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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 10:05 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)