ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

inbound.exblog.jp
ブログトップ

タグ:アート・建築・映画・サブカル ( 146 ) タグの人気記事


2017年 09月 29日

樺太時代をいまに伝えるサハリン州郷土博物館

サハリンが樺太と呼ばれていた時代が確かにあったことをいまに伝えるシンボルともいうべき場所がサハリン州郷土博物館です。

この威風堂々とした建物は、昭和12年(1937)に樺太庁博物館として建てられました。当時流行していた「帝冠様式」を採用したもので、建築家の貝塚義雄が設計しています。
b0235153_17202996.jpg

同館の沿革は、サハリン北部のロシア人の最初の居留地のひとつ、アレクサンドロフスク・サハリンスキーにあった国境警備所に1896年に設置された博物館から始まります。その後、1905年に南樺太が日本の勢力下になり、17年に旧博物館を開館。37年に現在の建物に移され、樺太庁博物館となります。展示品は、樺太の動植物や鉱物、考古学、先住民族の民俗などの資料でしたが、日本の敗戦後の46年にソ連の手に渡り、今日に至っています。

樺太庁博物館時代については、国立国会図書館デジタルコレクションの中に、日本が独自に蒐集した旧博物館の展示品などが解説される「樺太庁博物館案内」(昭和8)があり、興味深い内容となっています。

樺太庁博物館案内」(昭和8)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1118555

今年6月、現在の博物館を訪ねると、地元ロシア人の子供たちが大勢見学に来ていました。
b0235153_17213197.jpg

館内の展示は以下のとおりです。

●地下1階
地質学
極東 海の生物
●1階
サハリンの植物や動物
特設展示会場
古代文化と先住民族
深海生物の世界
●2階
サハリン島と千島列島の発見と開発
ロシアの懲役徒刑地とされたサハリン
戦前の時代(日本統治時代)から第二次世界大戦まで
戦後期、現代のサハリン
b0235153_17215298.jpg

以下、ざっと見て回りましょう。

地下1階には、アンモナイトなどのサハリンの地質学資料や周辺の海洋に生息する動物たちの生態を解説する展示があります。古代動物や海龍の骨のレプリカなども。
b0235153_17221316.jpg

1階には、サハリンの動植物を展示するコーナーがあります。見学に来た地元の子供たちが海ガメを熱心にスケッチしていました。
b0235153_17222960.jpg

b0235153_17224262.jpg

サハリンには珍しい蝶がいっぱいいるそうで、日本の研究家もこの地をよく訪れています。朝日純一さんの『原色図鑑 サハリンの蝶』(北海道新聞社 1999)はサハリンの蝶類93種を収録しています。
b0235153_17231572.jpg

1階には、サハリンの先住民族の展示もあります。サハリン南部や北海道、千島列島(クリル諸島)に住んでいたアイヌや、中部にいたトナカイを飼うウイルタ(オロック)やエヴェンキ、北部にいた狩猟民のニブフなどの衣服や生活道具、狩猟用具などがあります。この展示はニブフの衣装などを展示したもので、中国の清朝を起こした女真族の衣装と似ているのがぼくにはどうしても気になってしまいます。
b0235153_17235549.jpg

アイヌの衣装には動物の皮や植物の内皮、木綿などを素材にした3つのタイプがあるそうで、一目でわかる独特のデザインが魅力的です。この博物館は、日本時代の樺太庁博物館を継承しているため、南樺太に多く住んでいたアイヌの資料は、日本時代に蒐集されたものが多いと思われます。
b0235153_17241288.jpg

同館が収蔵する代表的なコレクションのひとつが、アイヌの挂甲(古代鎧)です。日本では古墳などで発掘されていますが、同館のサイトでは「アゴヒゲアザラシ皮を利用して作った桂甲です。この桂甲は1930年代、多来加湖(ネフスコエ湖)付近に暮らしていたアイヌ村長の家で見つかりました」とあります。
b0235153_17243685.jpg

サハリンに住んでいた先住民族たちにとって、非日常的な世界と交信し、ときに予言やご託宣、治療などを行うシャーマンは大切な存在でした。これはサハリンの先住民族みならず、北東アジアの女真族、モンゴル族などにも共通しています。
b0235153_17245569.jpg

2階に上がると「サハリン島と千島列島の発見と開発」の部屋があります。時代は18世紀、日本人とロシア人がこの地域を探検しています。間宮林蔵はロシアでも有名だそうです。
b0235153_17251331.jpg

その後、ロシア船は交易を求めて日本近海に現れます。江戸幕府が下田でペリーとの交渉を通じて日米和親条約を締結した1854年の12月、ロシア使節海軍中将プチャーチンとの交渉の末、日露和親条約を調印しています。
b0235153_17254582.jpg

そして、この部屋は日露戦争後、1905年に南樺太を日本が領有してから敗戦に至る45年に至るまでの「日本時代」の展示です。
b0235153_1726999.jpg

当時の暮らしを物語る展示があります。
b0235153_17262922.jpg

これが北緯50度の日ソ国境にあった標石のレプリカです。
b0235153_17265056.jpg

サハリン北緯50度線、日ソまぼろしの国境標石跡を訪ねる
http://inbound.exblog.jp/27114498/

裏面はロシア語です。
b0235153_17272276.jpg

この時代、南樺太と千島列島、そして朝鮮半島は日本の領土でした。
b0235153_17274261.jpg

博物館の庭に、なぜか日露戦争時代の高射砲が置かれていました。
b0235153_1728246.jpg

ぼくはこれまで中国で多くの歴史博物館を観てきましたが、ロシアと中国の展示に違いがあることを強く感じます。どの国の歴史展示にも政治的な意図が含まれることは避けられないにしても、中国のような日本に対する憎悪は感じられないことです。

サハリン州郷土博物館(Сахали́нский государственный областно́й краеве́дческий музе́й)
http://jp.sakhalinmuseum.ru/

※サハリンには鉄道博物館もあり、こちらも面白いです。

日本人としてぜひ訪ねておきたいサハリン鉄道博物館
http://inbound.exblog.jp/27172862/
[PR]

by sanyo-kansatu | 2017-09-29 17:30 | 日本に一番近いヨーロッパ 極東 | Comments(0)
2017年 09月 29日

日本人としてぜひ訪ねておきたいサハリン鉄道博物館

ユジノサハリンスクにはいくつもの博物館がありますが、駅の近くにあるサハリン鉄道博物館は、日本人としてぜひ訪ねておきたい場所だと思います。

樺太時代をいまに伝えるサハリン州郷土博物館
http://inbound.exblog.jp/27174994/
b0235153_10262567.jpg

展示室は3つに分かれているのですが、まず目に飛び込んでくるのは、樺太時代の鉄道に関する部屋です。戦前の日本で流行した樺太の鳥瞰図が目を引きます。
b0235153_10264124.jpg

樺太時代の鉄道関連の資料が並べられています。
b0235153_1026575.jpg

b0235153_10271222.jpg

b0235153_10272896.jpg

ロシア語で書かれているので判読できませんが、サハリンの鉄道の歴史に関する展示もあります。写真に出てくるのは日本人の顔ばかりなので、樺太時代の話だと思われます。
b0235153_10274667.jpg

b0235153_10281874.jpg

b0235153_10283690.jpg

2つめの部屋は、ソ連時代の鉄道に関する展示です。こちらはさすがに豊富な資料があります。
b0235153_10285422.jpg

3つ目の部屋は、サハリンの鉄道を中心にした書籍や資料、地図が展示されています。日本時代の書籍もあるようです。
b0235153_10291444.jpg

b0235153_10294568.jpg

b0235153_1030262.jpg

館内はそれほど広くないのですが、展示を見て回っていると、ひとりのロシア人の男性が近づいてきました。この博物館の館長のアンドレイ・ニコラエヴィチ・チリキンさんです。
b0235153_10303026.jpg

ぼくはロシア語が話せず、館長さんは英語ができないことから、ほとんど具体的なコミュニケーションはできてはいないのですが、とにかく彼は日本人が来訪したことを心からうれしく思ったようで、館内をすみずみまで案内してくれるだけでなく、日本時代の樺太の写真を彼のPCからいろいろ見せてくれました。
b0235153_10305114.jpg

これはユジノサハリンスクの空中写真です。
b0235153_103179.jpg

こちらは豊原駅(現ユジノサハリンスク駅)とありますが、初期の駅舎のようです。
b0235153_10313141.jpg

その後新しくなった豊原駅です。
b0235153_10315514.jpg

落合(現ドリンスク)にあった回転台です。
b0235153_10321145.jpg

その回転台の上に蒸気機関車が載っています。
b0235153_1032283.jpg

ぼく自身はサハリンの歴史についてもそうだし、鉄道に詳しいわけでもないので、館長さんにとっては物足りない相手だったに違いありませんが、彼は日本人との交流を望んでいるように思いました。

後日、サハリン在住の知人が同館を訪ねてくれたのですが、アンドレイさんの名刺には「上級学芸員」と書いてあったそうで、聞けばこの博物館は彼が実質的にひとりで現場を任されているそうです。そのため、冬にはスコップを手に階段周りの除雪までやっているとか…。まあそういう意味で、実質的な館長さんというわけです。

その知人はいいます。「サハリンの鉄道の歴史は、南部では樺太時代に日本人が建設した鉄道が起こりになっている側面があります。そんなこともあり、日本から訪ねてきた旅行者に対して熱烈歓迎になったのだと察します」。

博物館の外の駅北側の線路沿いには鉄道車両展示場もあります。以下のサイトが写真入りで細かく紹介しています。

鉄道車両展示場
http://ekinavi-net.jp/sakhalin/sights/railway.html
b0235153_103424.jpg

サハリン鉄道歴史博物館 (Музей Сахалинской Жулузной Дщроги)
Vokzalnaya Ulista 55
開館 月~金曜日 9時~18時(12時~13時休憩)
b0235153_10342633.jpg

[PR]

by sanyo-kansatu | 2017-09-29 10:34 | 日本に一番近いヨーロッパ 極東 | Comments(0)
2017年 09月 28日

日本時代の記憶が懐かしいサハリンで購入した写真集

今年6月、サハリンに行った話を知り合いや友人にしたら、ご両親や祖父母、親戚が樺太に住んでいたという人が何人かいました。

現地で購入したこの本は、日本時代と現代の同じ場所の写真を見開きごとに並べた写真集です。ぼく自身はロシア語に不自由しているので、よくわからないところもあるのですが、当時の記憶のある方に見せたらきっと懐かしく思うのではないでしょうか。
b0235153_925735.jpg

この写真集の話をサハリン在住の日本の方にしたところ、「2010年頃に発行された、樺太時代やソ連時代の1950年代あたりの写真に現在の写真を並べたというモノはみたことがあります。『ソ連時代』といっても、1950年代であれば、樺太時代の最後の時期とそれほど変わらない程度に古いわけで、現在とはかなり様子が違うことに驚きます」とのこと。

「当時を知る日本人によると、樺太時代には集落があったのに、現在では路傍に“ソ連化”以降の地名の標識があるばかりという場所も多いです。

これは考えてみれば、“50度線”以南で人口40万人だった昭和10年代の状態が、今日以北も含めて40数万人と人口密度が昔に比べてかなり低くなっているので無理のないことだと思います」。

写真集のページを少しめくってみましょう。

これは旧王子豊原製紙工場です。工場の前に大量の材木が並べられています。
b0235153_9253646.jpg

これは旧豊原駅です。現在のユジノサハリンスク駅のビルがある場所とは違い、駅に向かって若干右手にあったそうです。
b0235153_9255181.jpg

当時の日本人が通った学校の写真もいくつかあります。
b0235153_926265.jpg

この写真集を眺めていると、中国東北地方、すなはち満洲国と呼ばれた時代の日本人の暮らしや建築を収めた写真集が、日本と中国で大量に発行されていたことを思い出します。本ブログでも、そのほんの一部にすぎませんが、当時の日本とゆかりのある場所を紹介しています。

これが母校だったら、懐かしさもひとしおだろう【昭和のフォルム 大連◆校舎①】
http://inbound.exblog.jp/20556683/
大連の女学校の最後の同窓会が開かれたそうです【昭和のフォルム 大連◆校舎②】
http://inbound.exblog.jp/20566915/
自分の故郷が永遠に失われたという感覚【昭和のフォルム 大連◆校舎③】
http://inbound.exblog.jp/20573243/
当時こんなにいろいろあった専門学校【昭和のフォルム 大連◆校舎④】
http://inbound.exblog.jp/20573887/

中国東北地方の場合、日本人が多く訪れるようになったのは、日中国交回復後、中国で改革開放が始まった1980年代半ば以降ですが、樺太の場合は、ソ連崩壊後の1990年代以降です。今回サハリンを訪ね、日本の関係者らと話をしていると、90年代以降、多くの日本人が樺太時代の記憶を求めてサハリンを訪れていたことをあらためて知りました。

中国で発行されたこの種の写真集の背後に政治的な意図が感じられるのに対し(なぜなら、その多くは日本語だからです)、サハリンで発行されたこの写真集は、ロシア人自身のためにつくられたものだと思われます。デザインからもそうですが、懐旧の念に温もりを感じるからです。

奥付をみると、この写真集は今年出版されたばかりのようで、まだあまり知られていないと思います。もしご興味のある方がいたら、お貸しします。そのほうがきっと役立つでしょう。ご連絡ください。そして、写真の場所が現在のどこであるかなど、教えていただけるとうれしいです。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2017-09-28 09:32 | 日本に一番近いヨーロッパ 極東 | Comments(0)
2017年 09月 18日

ノグリキ郷土博物館で知るサハリン北部に住んでいた先住民族たち

ノグリキは小さな町ですが、かつてサハリン北部に多く住んでいたニブフ(ギリヤーク)やウイルタ(オロッコ)、エヴェンキなどの先住民族たちの暮らしや歴史を展示する郷土博物館があります。場所は1番バスの終点です。

サハリン鉄道終点の町、ノグリキのなんてことのない歩き方
http://inbound.exblog.jp/27119084/

そこには、彼ら先住民族の生活道具や衣服、祭祀に使う道具などが展示されています。ただし、北部にはアイヌは住んでいなかったので、彼らの展示はありません。
b0235153_9132292.jpg

サハリン州郷土博物館でもそうでしたが、ノグリキ郷土博物館にも地元の子供たちが見学に来ていました。先住民の女性が展示の解説をしてくれます。ノグリキにはニブフを中心に多くの先住民族が住んでいるそうです。
b0235153_9133956.jpg

サハリン北部に生息する動植物のささやかな展示コーナーもあります。子供たちがクマのはく製と対面したり、キツネや野鳥類、サケ、マスといった魚類の展示もあります。
b0235153_9135665.jpg

館長は先住民の女性で、館内を親切に案内してくれました。これは雪道を走るそり。館長は日本の研究者との交流もあるようで、日本語の学術資料も見せていただきました。
b0235153_9141328.jpg

鮮やかなブルーの衣服はニブヒのもので、彼らが身につけていた装飾品などと一緒にガラスのケースに展示されています。彼らはサハリン中部から北部、そして対岸のアムール川下流域に住むモンゴロイド系の狩猟民族で、古くはギリヤーク(ロシア語)と呼ばれていました。彼らの話す固有の言語はニヴフ語で、ツングース系のアイヌ語とはまったく違うそうです。これは個人的な印象に過ぎませんが、衣服のデザインが清朝を興した女真族のものとあまりに似ていて、民族的なつながりを感じてしまいます。
b0235153_9152322.jpg

トナカイを飼う遊牧の民、ウィルタは毛皮を使った衣装を身につけていました。彼らはサハリン中部以北に住んでいたツングース系民族で、アイヌからはオロッコ と呼ばれていました。
b0235153_9154063.jpg

冬は動物を狩猟、夏は魚を漁猟する移動生活が基本。同じ先住民族でも、これほど衣装が違うのかと驚いてしまいます。またサハリン北部には、中国東北部やロシアに住むエヴェンキ族もいたようです。彼らもトナカイを遊牧する民でした。
b0235153_9155772.jpg

※政府に定住化を迫られ、苦悩する中国のエヴェンキ族を描いたドキュメンタリー映画もあります。考えてみれば、遊牧の暮らしをしていた彼らにとって自分たちの土地はロシアでも中国でもなかったはずです。

中国少数民族の「悲しくてやりきれない」物語の後日談(顧桃監督『最後のハンダハン』)
http://inbound.exblog.jp/26815289/

サハリンで最初に先住文化を蒐集したのは、ウクライナ出身の民族学者のレフ・シュテルンベルクです。彼はマルキストだったため、ロシア帝政時代の1889年から97年までサハリンへ流刑となり、ニヴフの言語や宗教などを研究したそうです。そのとき、蒐集した文物がサハリン郷土博物館の基礎になったといいます。
b0235153_9163517.jpg

ノグリキ近郊の漁村で生まれたウラジミール・ミハイロヴィッチ・サンギはニブフ人作家で、サハリンの先住民族の民話や伝説を集め、1961年『ニブフの伝説』を出版。モスクワで大評判となり、ソ連公認の作家となりました。彼の作品の一部は翻訳されていて、『サハリン・ニヴフ物語』(北海道新聞社2000年刊)として読むことができます。彼の若い頃の写真が、郷土の誇りとして博物館に展示されています。
b0235153_9165395.jpg

博物館の展示室の脇の廊下に、ニブフやウィルタの切り絵作家の作品が展示されています。モチーフとなるのはトナカイや祭りなど、彼らの習俗や生活文化に関わるものです。実は、同じような展示は中国の満洲族博物館にもあって、満洲族にもニブフと同じような切り絵(剪紙)の作家がいます。満洲族の切り絵作家は中国の少数民族文化の担い手として国家的な保護や支援を受けていますが、なぜ切り絵だったのか、その相似が興味深いところです。
b0235153_9172018.jpg

b0235153_9173960.jpg

切り絵以外にも、さまざまな作品が展示されています。
b0235153_9184551.jpg

おそらくこれはサケかマスの皮を使ったものでしょう。アムール河流域やサハリンにもいたナナイ(ゴリド)という先住民族は、漁労を営み、中国ではホジェン族(赫哲)と呼ばれています。彼らはもともとサケやマスの皮を使った衣服を着ていたため、中国人から「魚皮韃子」と呼ばれていたそうです。
b0235153_918132.jpg

他にも、この地を舞台にした絵本もいくつか出版されているようで、地元の子供たちの先住民族教育の場となっているようです
b0235153_919422.jpg

b0235153_9192462.jpg

いまはもう特別なときにしか身につけない民族衣装を着た先住民族たちの写真も展示されていました。
b0235153_9194486.jpg

b0235153_9195992.jpg

b0235153_9201622.jpg

同博物館には公式サイトもあります。ただし、ロシア語のみです。

ノグリキ郷土博物館(Ногликский муниципальный краеведческий музей)
http://sakhalin-museums.ru/museum/noglikskiy_muzey/
b0235153_9205058.jpg

[PR]

by sanyo-kansatu | 2017-09-18 09:21 | 日本に一番近いヨーロッパ 極東 | Comments(0)
2017年 09月 14日

サハリン北緯50度線、日ソまぼろしの国境標石跡を訪ねる

もう70年以上前のことですが、サハリンの南半分は日本の国土でした。
b0235153_1313391.jpg

当時、サハリンの北緯50度線に沿って日本とソ連(当時)の陸路の国境があったのです。

※同じ1905年にロシアから租借地として移行した中国の関東州(大連)にも清国との陸路国境と税関がその後できています。

今年6月、北緯50度線に位置するかつての国境標石の跡を訪ねました。

サハリン東海岸の中央部に位置するポロナイスクのホテルで車をチャーターし、北に向かって所要1時間半。道路は舗装されていて悪くはありません。ドライバーは、これまで何度か日本人を乗せたことがあるという地元出身のニコライさんです。英語を少し話します。もちろん、車は右ハンドル。
b0235153_1315544.jpg

一見強面ですが、とてもフレンドリーで、家族でタイ旅行に行った写真を見せてくれ、とても快適なドライブでした。
b0235153_132926.jpg

「樺太・千島戦没者慰霊碑」の案内板が見えたので、脇道を入っていきます。
b0235153_1322082.jpg

森の中に白い慰霊碑がありました。
b0235153_1322749.jpg

b0235153_1324458.jpg

その近くにソ連兵の慰霊碑もあります。
b0235153_133639.jpg

b0235153_1332128.jpg

b0235153_1333160.jpg

幹線道路に戻り、北に向かうと、今度は日本の要塞跡がいくつもありました。
b0235153_1333814.jpg

これは要塞の中です。
b0235153_1335531.jpg

b0235153_1341055.jpg

ロシア語の解説もあります。
b0235153_1342244.jpg

これは別の要塞、あるいは司令部の跡です。
b0235153_1343667.jpg

b0235153_1344899.jpg

第2次大戦終戦前夜に侵攻してきたソ連軍と日本軍の戦闘の記録を解説するプレートも置かれています。
b0235153_135278.jpg

さらに北に進むと、道路の左手に「50」と書かれた碑(冒頭の写真)が立っていました。日本統治時代に建てた国境標石跡は、そこから100mほど白樺並木に入った場所にあります。

これがそうです。標石は取り除かれたものの、台座は地中奥深くまで埋められていたため、台座だけが残っているのです。
b0235153_1352025.jpg

樺太が日本領だった時代、かつて存在したこの国境標石を見物に来る観光客がけっこういたといいます。まさにボーダーツーリズムです。1924年(大正14年)8月に樺太旅行に出かけた北原白秋は『フレップトリップ』という陽気な紀行書を書いていますが、彼の場合は西海岸を船で進み、当時安別と呼ばれたのがソ連との国境の町で、そこを訪ねています。

また1934年(昭和9年)6月、林芙美子も樺太に渡り、「樺太への旅」という紀行文を書いています。彼女は当時の日本領の最北の地に近い敷香(ポロナイスク)まで来て、国境見物を見にいくか、敷香の近くにある先住民の暮らす集落を訪ねるか迷っていましたが、結局、先住民に会いに行くことに決め、国境には足を運びませんでした。

この国境線に沿っていくつかの国境標石が立っていたようで、白樺並木も数メートルほどの道が東西に向かってできています。

台座は年月とともに苔むしていますが、このまま残してほしいものです。
b0235153_1355030.jpg

車のチャーター代は言い値で7500RB(約1万5000円)でした。初夏のこの時期、林の中は蚊が多いので、虫除けスプレー必携です。

ところで、撮影中、佐藤憲一さんのカメラのGPSをみると、北緯49度59分57秒と表示されました。北緯50度のちょっぴり手前だったようです。
b0235153_13652.jpg

[PR]

by sanyo-kansatu | 2017-09-14 13:06 | 日本に一番近いヨーロッパ 極東 | Comments(0)
2017年 09月 13日

廃墟の中で出会った少年たち~旧真岡王子製紙工場を歩く

b0235153_2018466.jpg

ホルムスクにある旧真岡王子製紙工場の廃墟に潜入し、撮影をしていると、ふたりのロシア人の少年がぼくらの前に現れました。どうやらふたりは、怪しげな外国人が廃墟の中にいる様子を見て、何事だろうと近づいてきのでした。

というのも、あとで聞いた話では、彼らにとってここは小さな頃から慣れ親しんだ遊び場だったからです。

旧真岡王子製紙工場は大正8年(1919年)に樺太工業が操業を開始し、昭和8年(33年)に同社を吸収合併した王子製紙に受け継がれたそうです。戦後もしばらく操業していましたが、1990年代半ばに停止しています。
b0235153_20192973.jpg

製紙工場だけに、構内には広い通路や水路が張りめぐらされています。そのため、地面が露出している部分にはフキなどの植物が少しずつ侵食しています。
b0235153_20194785.jpg

工場本体の格子状の壁面はほぼ破れるように穴が開いています。トライポフォビア(集合体恐怖症)の傾向のある人は、この光景に嫌悪感を抱くかもしれません。実は、ぼくはその傾向があり、この光景を直視するのに抵抗があります。
b0235153_20203276.jpg

6階建ての工場の中は吹き抜けで、巨大な丸い穴が空いています。製紙工程として必要な、木材チップを高温・高圧で煮て、繊維分を取り出すための蒸解釜が置かれていたのでしょうか。
b0235153_20204577.jpg

建物の中に蒸解釜がいくつか並んでいたことがわかります。すでに操業を停止して20年以上たっていますが、構内は朽ち果てるままに残されているのです。
b0235153_2020566.jpg

工場の隣に立つ煙突も独特の存在感を放っています。建物の上部は草が生え、自分たちがどこにいるのかわからなくなります。
b0235153_202113100.jpg

海に向かって工場を正面から見たカットです。手前に鉄道の線路があり、ネヴェリスク方面につながっています。
b0235153_20212837.jpg

再び少年たちのスナップです。ふたりは慣れ親しんだ構内をあちこち案内してくれました。中学生と小学生というふたりは簡単な英語を話しました。「きみたちのお父さんやお母さんはここで遊ぶのは危ないからと、ここに来るのを禁じたりしなかったの?」。そんなことを聞いたところ(つもり?)、彼らは首を横に振りました。
b0235153_20221836.jpg

工場廃墟の周辺には団地が並んでいました。かつてこの工場の労働者が多く住んでいたはずです。操業停止後、彼らはどうしたのでしょう。ふたりの少年も、この丘の上の団地に住んでいるといいます。
b0235153_2022294.jpg

大正、昭和の時代に建てられた樺太の王子製紙工場は、操業を停止してもなお、堅牢すぎて、壊して更地にするのにコストがかかりすぎるという理由で、そのまま放置され、廃墟となっています。

言葉にするとつまらないのですが、往時は多くの労働者がうごめいていた近代的な大工場がただ朽ち果てるのを待っている無残な光景を前に、ただ息を潜めて凝視せざるを得ません。以前長崎の軍艦島の撮影もしたことのある佐藤憲一さんにとっても、サハリンで出合った廃墟の光景は特別のものだったようです。

今回、ぼくらはサハリンに残る5つの廃墟(ユジノサハリンスク、ホルムスク、ドリンスク、ポロナイスク、コルサコフ)をを訪ねています。佐藤さんは「こんな光景は、マニアでなくても見てみたいと思うだろう」と言います。

廃墟探索には危険がないとはいえないので、個人責任の世界となりますが、上記5カ所にはユジノサハリンスクから鉄道やバスなどの公共交通を使って誰でも行くことができます。

ホルムスクの場合、ユジノサハリンスク駅前から郊外バスで約2時間。ホルムスクのバスターミナルから海を右手にとことこ町外れまで20分ほど歩くと、この驚くべき世界に出合うことができます。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2017-09-13 20:22 | 日本に一番近いヨーロッパ 極東 | Comments(0)
2017年 09月 13日

「日本にいちばん近いヨーロッパの田舎町」ユジノサハリンスク街歩きモデルコース

ユジノサハリンスクは、サハリン州の州都ですが、人口20万人ほどの町。まさに「日本にいちばん近いヨーロッパの田舎町」です。

ヨーロッパの都会のような見どころ盛りだくさんというわけにはいきませんが、半日くらいかけて、のんびり街歩きするにはちょうどいい大きさです。

そこで、サハリン・ツーリストインフォメーション作成のマップを頼りにして、ユジノサハリンスク駅を起点に見どころが集中している地図の右下半分、市街地の6分の1くらいのエリアを一周してくるコースを歩いてみましょう。
b0235153_16522697.jpg

駅は地図のいちばん下の線路と緑地の間にあります。「вокзал」(ロシア語の「駅」)と正面にブルー字で書かれていて、一目でわかります。ここからサハリン鉄道最北の地ノグリキへの夜行列車が出ます。1906年12月開業で、46年1月まで豊原駅でした(当時の駅舎の場所はいまとは若干ずれています)。
b0235153_16525381.jpg

その緑地の噴水マークがレーニン広場です。ここには巨大なレーニン像がいまもなおしっかり立っています。
b0235153_1653462.jpg

公園を抜け、そのまま駅からまっすぐ延びるコミュニスチチェスキー通りを歩きます。正面に見えるのはユジノサハリンスク市役所。ビルの横に、いかにも社会主義的なモザイク画が置かれています。ここに描かれているのは、トナカイを飼う先住民族、工場労働者、航海士と漁民、そして軍人です。
b0235153_16531872.jpg

市役所の先の右手に映画館「オクチャブリ」があります。ここでは毎年、日本総領事館主催の日本映画祭が開かれているそうです。
b0235153_16534417.jpg

「カフェ16」はこの通りの向かい側にあります。
b0235153_16535467.jpg

スタバはないけど、カフェとライブハウスはある新しいサハリン
http://inbound.exblog.jp/27109769/

映画館の先に、突然昭和にタイムスリップしたような空間が現れます。昭和3年(1928)に建てられた旧豊原町役場です。現在、旅行会社がテナントに入っていましたが、建物の周辺には芝生があり、正面の当時植えられたエゾマツが巨大に成長している光景には、時間の経過を強く印象づけられました。
b0235153_16542010.jpg

その先にはサハリン州行政府、通りの向かいには現在軍施設として使われている旧樺太庁があり、さらに歩くとチェーホフ劇場(Сахалинский Международный театральный центр им. А.П. Чехова)があります。普段はクラッシックやジャスのコンサート、ロシアの近現代演劇の公演があります。訪れたとき、たまたま国際演劇祭が行われていて、日本からの劇団の公演もありました。劇場の裏手に、19世紀末にサハリンを訪れたチェーホフの足取りをたどるチェーホフ記念文学館もあります。
b0235153_16543736.jpg

向かいには大きな広場があり、サヒンセンター(サハリン州政府分庁舎)が建っています。この周辺は文化施設が集積していて、劇場前の噴水の周りは地元の若者の姿が見られます。
b0235153_974646.jpg

その先は、サハリン州郷土博物館です。この建物は、日本時代の昭和12年(1937年)に樺太庁博物館として建てられたもので、当時流行していた「帝冠様式」の威風堂々としたものです。建築家の貝塚義雄が設計しました。同館は日本語のウエブサイトもあります。詳しい内容は、別の機会に解説します。
b0235153_16545189.jpg

サハリン州郷土博物館(Сахалинский областной краеведческий музей)
http://jp.sakhalinmuseum.ru/

駅前通りをまっすぐ歩いて15分ほどで、ロシア正教会が見えてきます。
b0235153_16551697.jpg

サハリンのロシア正教会のミサに行ったら、心がゾゾゾと震えた
http://inbound.exblog.jp/27109705/

夜に行くと、薄ぼんやりとライトアップされ、美しいです。
b0235153_1656194.jpg

実はこの近くに韓国料理店『カフェ・ランデブー』があります。教会を正面に見て右手の通りの向こうです。

サハリンで食べた石焼ビビンバはホッとする味
http://inbound.exblog.jp/27110297/

教会のさらに先にサハリン北海道センターという北海道庁事務所や日系商社などのオフィスが入ったビルがあり、その1階にサハリン・ツーリストインフォメーションがあります。彼女はそのスタッフです(名前を聞き忘れましたが、英語を話してくれます)。
b0235153_16562356.jpg


Go Sahkalin
http://gosakhalin.info/

実は、サハリンにはもうひとつ大きなロシア正教会があります。今回訪ねることができなかった「山の空気展望台」に向かう途中にある「Cathedral of the Nativity(降誕大聖堂)」です。この教会の鐘の音はカリヨンの演奏のようで聴く価値があります。
b0235153_1656383.jpg

サハリンで聴いたロシア正教の鐘はカリヨンの演奏のよう
http://inbound.exblog.jp/26953330/

さて、最初のロシア正教会の左手奥には、ガガーリン公園があります。白樺並木の公園です。

ロシア正教会の手前を左に曲がり、ガガーリン公園を右手に眺めながらコムソモール通りをしばらく進み、サハリン通りを左折します。この通りにはそれほど見どころはないので、ずんずん歩くと、左手に木造の古い家屋が残っているのが見えます。日本時代を偲ばせる光景です。
b0235153_1657923.jpg

途中通りを渡って右に曲がっていく先には、旧豊原王子製紙工場跡があります。この話も別の機会に。

そのままコムソモール通りを進み、駅に向かうレーニン通りと交差する右手にソ連時代を思い起こさせる古い映画館があります。
b0235153_16572770.jpg

そこから左に曲がり、レーニン通りに入ってすぐ右の路地の奥に、市民の日常生活に必要な食材や衣類、雑貨などを扱う自由市場(バザール)があります。
b0235153_16574148.jpg

サハリンの自由市場(バザール)で韓国系や中央アジア系の人たちに会う
http://inbound.exblog.jp/27114091/

レーニン通りの左手途中にサハリン州立美術館(Сахалинский областной художественный музей)があります。ここはサハリンを代表するもうひとつの日本時代の歴史建築で、1930年代に竣工された北海道拓殖銀行豊原支店でした。1階は国内外のアーチストによる個展スペース。2階は常設で、ロシア絵画やロシア正教のイコンの展示などが展示されていますが、詳しくは別の機会に。
b0235153_16575796.jpg

そのまま先に進むと、最初に歩いたコミュニスチチェスキー通りにぶつかるので、右に曲がると、駅が見えてきます。その手前に日本時代に使われていた蒸気機関車が展示されています。
b0235153_16581851.jpg

そのそばに鉄道歴史博物館があります。
b0235153_1219580.jpg

日本時代とソ連・ロシア時代のサハリン鉄道の歴史を展示しています。同館のアンドレイ・ニコラエヴィチ館長は日本好きで、訪問時、日本時代のサハリンの写真を見せてくれました。詳しくは別の機会に譲りますが、彼は日本人と交流したがっているので、ぜひ訪ねていただければと思います。

以上、ユジノサハリンスク街歩き半日コースでした。あくまで、のんびり徒歩で歩いた場合の話で、それぞれの博物館の展示をじっくり見ると、とても1日では回れないことを最後に付け加えておきます。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2017-09-13 16:59 | 日本に一番近いヨーロッパ 極東 | Comments(0)
2017年 09月 12日

サハリンのロシア正教会のミサに行ったら、心がゾゾゾと震えた

6月に訪ねたサハリンの話をします。

旅先で出合ったいくつもの光景の中で、いちばん印象に残ったのが、ロシア正教のミサに参加したとき、聖堂内で見た世界でした。
b0235153_742458.jpg

日曜朝9時、写真家の佐藤憲一さんと一緒にユジノサハリンスクのガガーリン公園の隣にあるロシア正教会を訪ねると、すでに何百人もの信者が集い、ミサが行われていました。厳かな賛美歌と司祭が振りまく香に包まれた堂内には、中世のような神秘的な時間が流れていて、その場にたたずんでいるだけで、ゾクゾクするような心持ちになりました。

礼拝の手順ですが、聖堂に入ると、まず入り口の受付でロウソクを買い、祭壇の前で自ら火を点し、拝礼します。何十、何百本もの揺れる火は、堂内の聖なる雰囲気を盛り上げます。
b0235153_7431078.jpg

聖堂内には、キリストの十字架像をはじめ、多くの使徒たちや聖母マリアなどのイコンや壁画、ステンドグラスが置かれています。信者たちはそれぞれの悩みや思いを胸に秘め、自ら選んだ像、イコンの前で祈りを捧げます。
b0235153_7432433.jpg

ミサには、韓国系などの非ロシア系の信徒の姿も見られました。彼らはサハリンの多民族社会に溶け込んでいることがわかります。
b0235153_7434262.jpg

礼拝が終わると、司祭は少しの時間、信者たちの前に進み出て、聖体拝領を行います。キリストの肉を意味する白いパン(聖餅)を信者に与える儀式です。聖体拝領は事前に聖職者の許しを得ることが必要ですが、そうでなくても、司祭に寄り添い、祈りを捧げる信者も多いようです。
b0235153_743559.jpg

モスクワやサンクトペテルブルグに行けば、もっと立派で歴史のある教会があると思いますが、サハリンのようなロシア文化圏から遠く離れた島で、敬虔な信者たちがミサを欠かさない姿には、心洗われるものがあります。
b0235153_18305165.jpg


ちなみに、この教会の名前は「Voskresenskiy Kafedralnyy Sobor (Воскресенский Кафедральный Собор 復活大聖堂)」。ロシア国内には同じ名前の教会がたくさんありますが、東京神田のニコライ堂も同じ「復活大聖堂」です。

実は、ユジノサハリンスクにはもうひとつ大きなロシア正教会があります。なぜそれを知ったかというと、駅からタクシーで「教会に行きたい」と運転手に言ったら、連れてこられたのが、こちらの大広場の上に立つどでかい大聖堂だったのです。
b0235153_7444164.jpg

この教会は 「Cathedral of the Nativity(降誕大聖堂)」と呼ばれています。中に入ると、まだ一部聖堂内は建設中でしたから、すぐに外に出たのですが、しばらくすると、司祭たちが外に出てきました。

その瞬間、天から降ってくるように、教会の鐘が鳴り始めたのには驚きました。その音色は、短いですが、YOU TUBEにアップしています。

サハリンで聴いたロシア正教の鐘はカリヨンの演奏のよう
http://inbound.exblog.jp/26953330/

サハリンではどんな小さな町にも教会があり、平日でも何人かの信者が礼拝する姿が見られます。できれば日曜朝のミサに足を運ぶと、サハリンらしい体験ができると思います。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2017-09-12 07:44 | 日本に一番近いヨーロッパ 極東 | Comments(0)
2017年 09月 11日

061 太陽島、雪の彫刻博覧会

b0235153_934484.jpg

ハルビンでは、この時期、氷のモニュメントだけでなく、雪の彫刻を多数展示する博覧会も開かれる。場所は、松花江の中洲のひとつ、太陽島だ。今年は鶏年とあって、見事な鶏の彫刻が人気を呼んでいた。(撮影/2017年2月)

※夜は氷雪大世界で、昼間は雪の彫刻博覧会へ。この時期、ハルビンの2大ハイライトです。

雪の彫刻博覧会(哈尔滨太阳岛国际雪雕艺术博览会)公式サイト
http://www.xuebohui.com.cn/

ボーダーツーリズム(国境観光)を楽しもう(ハルビン編)
http://border-tourism.jp/haerbin/
Facebook:ボーダーツーリズム(国境観光)を楽しもう
https://www.facebook.com/bordertourism.jp/
[PR]

by sanyo-kansatu | 2017-09-11 09:04 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 09月 08日

058 草原に浮かび上がる夢の都市、満洲里の夜

b0235153_6535227.jpg

中国最果ての地でありながら、一時の木材バブルのおかげで、高層ビルなども建てられた満洲里。訪問客が来るのは、短い夏の間だけだが、輝かんばかりにネオンを点し、草原に浮かび上がる夢の都市の風情である。この時期、日が暮れるのも遅く、街には国内客だけでなく、お隣りから来たロシア客の姿も見られる。(撮影/2016年7月)

※満洲里の夏は短く、9月上旬の今頃はもうかなり気温が下がっており、観光客の姿も少なくなっていることでしょう。6月末から8月中旬くらいまでがシーズンで、この頃は日中40度近くにもなるというのに、今月末にはもう雪が降るというのですから、北方の草原地域の寒暖の差の激しさは、日本人にはなかなか想像できないものがあります。


ボーダーツーリズム(国境観光)を楽しもう(満洲里編)
http://border-tourism.jp/manzhouli/
Facebook:ボーダーツーリズム(国境観光)を楽しもう
https://www.facebook.com/bordertourism.jp/
[PR]

by sanyo-kansatu | 2017-09-08 06:53 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)