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2015年 08月 12日

チプサム革命史跡は日本時代の別荘地だったに違いない

清津から七宝山に向かう途中にある鏡城郡で、温堡温泉以外にもうひとつ訪ねたのは、チプサム革命史跡でした。
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「共産主義テーマパーク観光」がその実態である朝鮮旅行では、ほぼ毎日のように革命史跡を訪ねることになるのですが、その大半が虚構の歴史を扱っているとしか思えません。そのため、まじめに観る気にはなれないので、本ブログでもほとんど触れていないのですが、この史跡はちょっと面白かったので、紹介しようと思います。

朝鮮側の資料によると、ここは金正日将軍と金正淑女史の革命事跡だそうです。場所は鏡城郡温大津里チプサム村にあります。

ここでは金親子が滞在したとされる住居が革命史跡として紹介されます。チマチョゴリを着た彼女が、同国のテレビアナウンサーのような滔々とした口調で解説をしてくれます。
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ただし、ガイドたちは彼女の話を通訳する気はなさそうです。かつて日本人旅行者が多かった90年代にはそんなこともなかったのかもしれませんが、いまや圧倒的多数派である中国客は、朝鮮の建国史の唯我独尊ぶりを大ブーイングしてきたことから、彼らも聞かれないかぎり、外国人に通訳しても仕方がないと思うようになったのではないでしょうか。実際、彼ら自身どこまで本気で信じているのかあやしいものです。

興味深いのはその住居の中の様子です。

金日成将軍とその家族がこの家に滞在したことを示す写真が飾られています。といっても、金正淑女史は1949年に亡くなっているそうですから、その少し前に撮られたものでしょう。

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さて、住居の中は当時の日本の文化住宅そのものです。これほどきれいに残されているのは珍しいことではないでしょうか。
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書斎は畳の間になっています。オンドルも敷かれているようです。
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炊事場や倉庫も残されていて、ここはおそらく日本時代の富裕な階層の別荘、あるいは官舎だったのではないでしょうか。
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玄関の雰囲気も、いまの日本ではほとんど見ることのできない昭和の住宅です。
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この住居の周辺は同じような文化住宅が点在していて、戦前の軽井沢のような別荘地の趣があります。通りは整備され、並木もていねいに植えられています。革命史跡ゆえにこれほどきれいに残されたのでしょうが、とにかく朝鮮の人たちは清潔好きで、清掃が行き届いています。これは中国との大きな違いでしょう。
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日本時代の住居は中国東北地方にはもうほぼ残っていませんが、朝鮮には残っている。これも面白い現象です。
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羅先にも同じような革命史跡がありましたが、それも日本の住居でした。こちらもきれいに残されていました。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-12 10:35 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 08月 09日

朝鮮七宝山にある開心寺という古刹と乾隆29年製造の鐘

内七宝の山々と奇岩の数々を眺めたあと、開心寺という古刹を訪ねました。
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※2014年7月上旬、北朝鮮咸鏡北道の七宝山を訪ねた話をしています。

七宝山(チルボサン)は金剛山とは似て非なる朝鮮の名峰
http://inbound.exblog.jp/24765755/

朝鮮側の資料によると、この寺は「渤海時代の826年に建てられ、高麗時代の1377年に改築、李朝時代に補修を重ねた。現在の建物は1853年に再築されたもの。大雄殿と万歳楼、深剣堂、応香閣、観音殿、山神閣からなる」とあります。
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大雄殿の中に3体の仏像が置かれ、壁面にはいくつもの曼荼羅が飾られています。
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それぞれの曼荼羅が時代を感じさせます。李朝時代の朝鮮では仏教が排斥されていたそうですから、人里離れた山奥にひっそりと息を潜めていた古刹がこうしていまの朝鮮に残っていることはとても興味深く思います。
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この方が住職です。このような国で住職を務めることがどんな人生を意味するのか、いろいろ聞いてみたいことは山ほどありましたが、こちらもまったく心の準備ができていなかったこともあり、この寺の来歴をうかがうことで精一杯でした。
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13年に金剛山に行ったとき、残念ながら、金剛四大寺院のうち唯一昔のまま現存する表訓寺を訪ねる時間がなかったので、今回はちょっとうれしく思いました。この国で歴史を感じさせるものを見る機会は圧倒的に少ないからです。金剛山の4つの寺院は表訓寺を除いて、朝鮮戦争時に焼き払われてしまっています(もうひとつ正陽寺の一部は残っていて、現在は補修されたようです)。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局1936年)によると、「折角の景観も比較的交通不便の地にあるので、探勝者の少ないのは遺憾である」とあるように、戦前期は金剛山が朝鮮を代表する随一の行楽地としてにぎわっていた反面、七宝山はそれほどでもなかったようです。ただ、数少ないとはいえ登山客はいたようで、彼らは開心寺のお堂に宿をとっていたようです。

殿内には「七宝山游山録」「次七寶山原韵」など、この地を訪れた文人の書や漢詩が掲げられていました。
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万歳楼には「乾隆29年」(1764年)に鋳造された青銅鐘があります。この時代の朝鮮は清朝の年号を使っていたのでしょう。
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ここにも記念撮影サービスのパネルが置かれていました。この寺で見かけた唯一俗っぽい物件でした。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-09 20:39 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 07月 12日

噂のデザインホテル「ホテルアンテルーム京都」に泊まってみた

6月下旬に関西方面に取材に行く機会があり、UDS株式会社の設計・運営するデザインホテルを訪ねてみることにしました。

UDS株式会社
http://www.uds-net.co.jp

同社のホテルは京都に2つあります。ホテル アンテルーム 京都とホテル カンラ京都です。

ちなみに、googleで「デザインホテル」を検索したところ、以下のまとめ記事が見つかりました。ちょっと古い記事でしたが、「1度は行ってみたくなるおしゃれなデザインホテル」のまとめだそうです。

泊まってみたい!スタイリッシュな国内デザイナーズホテルまとめ(2012.9.23)
http://matome.naver.jp/odai/2134863432421489801

ホテル カンラ京都 http://www.hotelkanra.jp/
Hotel SCREEN KYOTO(京都) http://www.screen-hotel.jp/
京都 デザインホテル Mume http://www.hotelmume.jp/
ホテル アンテルーム 京都http://hotel-anteroom.com/
ホテルアラマンダ(奈良) http://www.allamanda.jp/
HOTEL T'POINT (大阪) http://www.tpoint.co.jp/
HOSTEL 64 Osaka http://www.hostel64.com/
CLASKA(東京) http://www.claska.com/
渋谷グランベルホテル(東京) http://www.granbellhotel.jp/
ヴィラ サントリーニ(高知) http://www.villa-santorini.com/
ホテルアークリッシュ豊橋(愛知) http://www.arcriche.jp/
WITH THE STYLE FUKUOKA(福岡) http://www.withthestyle.com/
HOTEL GREGES(オテルグレージュ) ‐ 福岡・神の湊(かみのみなと)http://www.greges.jp/
ベイサイドマリーナホテル横浜(神奈川) http://www.baysidemarinahotel.jp/
軽井沢 ホテルブレストンコート(長野) http://www.blestoncourt.com/

今回ぼくが京都で訪ねたホテルは、2つとも上位ランキングしていました。またCLASKA(東京) や渋谷グランベルホテル(東京) もUDSの設計・運営するホテルです。それにしても、人気のデザインホテルは関西に多いのですね。

京都には1泊しかできなかったので、ホテル アンテルーム 京都のほうに泊まることにしました。両者はそれぞれコンセプトが異なり、アンテルームがビジネスホテルの価格帯であるのに対し、ホテル カンラは少しお高く、出張用というより、お忍びのカップル向きだったからです。

京都駅から地下鉄烏丸線に乗ってひとつ目の九条駅で降り、あまり京都らしくない(というのも、ここは京都駅の南側だからです)地方都市の通りをとことこ南に向かって歩くと、賃貸マンションのような外観の物件が見つかりました。確かに「ANTEROOM」とあります。

玄関を開けると、目の前にいきなり奇態な動物のオブジェが現れました。
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周囲を見渡すと、そこは現代美術のアートギャラリーのようでした。
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フロントには誰もいなかったので、荷物を置いてギャラリーを見て回ることにしました。
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フロントの脇にはアートギャラリーのように画集やノベルティグッズのようなノートやバッグまで置かれていました。
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ここはいったい……。

これがフロントです。脇にスーツケースがいくつか置いてあり、これは新宿グランベルホテルのようです。チェックアウトした客が荷物を置いて、観光に出かけているのでしょう。このある意味、ゆるい感じはぼくがこれまで見てきた外国人ツーリストの多いホテルと共通しています。
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チェックインしようとベルを押すと、若い女性スタッフが現れました。話を聞いた印象では、彼女はホテルのスタッフでありながら、ロビーに広がるギャラリーの運営も行っているようです。

「アート&カルチャーをキーワードに。HOTEL ANTEROOM KYOTOが発行する新感覚のホテル情報誌ANTEROOM JOURNAL issue 4」という小冊子が置かれていて、そこにはこのホテルの成り立ちやギャラリーとしてのもうひとつの顔が紹介されていました。ここでは1年を通じてさまざまなアーティストによる個展が開かれているようです。

ホテルのパンフレットにはこう書かれてあります。

「京都の今を表現するアート&カルチャーが集まる場所
変化を楽しむ新しいスタイルのホテル

ホテルアンテルーム京都は常に変化する京都の“街”“暮し”“アート”そして“カルチャー”を感じていただける新しいスタイルのホテルです。

リノベーションを活かしたラフな空間に感性を刺激する遊び心をプラスし、友人が集う場に遊びに来たかのような心地良いカジュアルな雰囲気の中でお過ごしいただけます」

ホテル アンテルーム 京都
http://hotel-anteroom.com/

フロントの奥には、バーと朝食オンリーのレストランがあります。バーは夜8時からしか開きません。レストランは朝だけです。
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チェックインをすませ、客室に行くには、エレベーターまで細い廊下を歩いて行かなければなりません。その廊下がこれです。
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エレベーターを降りると、客室のある廊下はこんな感じです。温かい照明が当てられていますが、とても無機質な空間といえます。
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アイロンや加湿器のレンタルも可能です。
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客室はとても洗練されていました。品のいい部屋着も用意されていて、調度品も個性的です。
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いったん荷物を部屋に置いて外出しようとしたら、玄関にレンタルサイクルが置かれていました。ここらは外国人ツーリストのニーズを考えてのことのように思いました。
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実は、このホテルの建物は学生寮をリノベーションしたものです。客室のある廊下のそっけない感じはかつて寮だったことを想像させます。もとがシンプルな学生寮だけに大胆にリノベーションしやすかったのかもしれません。

このホテルは、日本の宿泊特化型ホテルやビジネスホテルが全力を挙げて追求してきた機能性、そしていわゆる「おもてなし」という2大看板とは明らかに異なる価値を標榜していることがわかります。

それは前述のパンフレットにあるような“遊び心”なのでしょう。もちろん、彼らも機能性やおもてなしを無視しているわけではないでしょうが、それはほどほどでいい。むしろ宿泊客を喜ばせるのは、もっと違う価値にあるということを実践しているのだと思いました。

おそらく冒頭で紹介した「スタイリッシュなデザイナーズホテル」は、どれも似たような狙いでつくられたものが多いのではないでしょうか。

このような発想で生まれたデザインホテルは、古くはバブルの頃から日本にあったと思うのですが(当時は文字通り過剰で、今の感覚でいえばカッコ悪いものも多かったとは思う)、今日訪日外客が増えることで、彼らに支持されることから、曲がりなりにも運営が可能になっているのは、とても興味深いことです。

実際、ホテルのスタッフによると「外客比率は約4割で、台湾、香港、韓国が多い。予約はほぼ海外ホテル予約サイト経由」だそうです。

それはなぜなのか。ツーリストというのは、普通じゃ面白くない人たちだからです。海の向こうにいる彼らは、エクスペディアを通じて日本各地のホテルを探しているわけですが、リーズナブルで快適で機能性の高い日本の宿泊特化型ホテルばかりを選ぶわけではないのです。客室の写真を見て、なんだこれは? せっかく日本に行くなら、ふだんは泊まることのないホテルに泊まってみたい。日本の最先端のスポットを体験していみたい。そう考える人たちの割合は少なくはないのです。

さらに興味深いのは、ホテルアンテルーム京都もそうですが、この手のデザインホテルを設計する人たちが、あえて価格帯をビジネスホテルに近いものにしていることで集客に成功していることでしょう。外国人がホテル選びする際、まずエリアと価格帯で絞り込みをします。それは我々日本人が海外のホテルを選ぶのと同じこと。ここで日本のホテル価格の相場観を無視した法外な料金を出してしまえば、どんなに斬新なデザインホテルでも選ばれることはないことを彼らは知っているのです。

さて、それからぼくは地下鉄烏丸線に乗って五条駅で降りました。そこはホテルカンラ京都の最寄り駅です。

このホテルのロケーションは少しわかりにくかったです。というのは、烏丸通に面したこのホテルの外観は隣にある代々木ゼミナール京都校と同じだったからです。これは一部メディアで報道され話題になりましたが、同ホテルは予備校校舎の一部を買い取り、リノベーションしたものです。少子化で予備校生が減るなか、その一部をヒップなホテルにつくり変えたというわけです。

代ゼミは不動産業で生き残る 遊休地でホテル、商業施設、貸会議室(2014/8/25)
http://www.j-cast.com/2014/08/25214004.html

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烏丸通から六条の狭い筋に入ると、そこに玄関があります。正直いって、このホテルを知らない人にはわかりにくい玄関です。でも、それで構わないのでしょう。ここは知る人ぞ知る全29室の隠れ家ホテルだからです。

これがフロントです。
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ロビーにはレストランがあります。「京都の伝統的な住宅形式である京町家の考え方を取り入れ、モダンなデザインで表現した“マチヤスタイル”」のホテルだといいますが、大胆な幾何学的なモチーフを多用した館内のデザインは、初めて訪れる者にはかなり刺激的でした。色の使い方が官能的といっていいかもしれません。京都の古い街並みを見てきた目には、異次元空間のようにも思えたからです。
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ホテルのスタッフにいくつか客室を見せていただいたのですが、畳にふとん敷きが基本で、価格帯は3万円から。確かに、これはビジネス仕様ではありません。外客比率は相当高いそうです。桜の季節はほぼ外国客だとか。驚きと遊び心を求めてやまない外国人なら泊まってみたいと思うことでしょう。詳しくは、同ホテルのサイトを見てください。

ホテル カンラ京都
http://www.hotelkanra.jp/
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by sanyo-kansatu | 2015-07-12 19:15 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2015年 07月 12日

遊び心がなければ、海外客を惹きつけることはできない(UDSの考えるデザインホテル)

歌舞伎町にある新宿グランベルホテルの驚くほど自由な客室デザインは、日本を訪れる外国客にひそかに人気のようでした。

歌舞伎町に人知れず外客率8割というデザインホテルがある
http://inbound.exblog.jp/24676453/

いったいこのホテルはどんな発想に基づいて設計されたのか。外国客の予約が殺到する理由は何なのか。

設計を担当したUDS株式会社の寳田陵クリエイティブデザインディレクターに話を聞くことができました。

UDS株式会社
http://www.uds-net.co.jp

―新宿グランベルホテルはどのようにして生まれたのでしょうか。

「新宿グランベルホテルのコンセプトをお話するには、先にできた渋谷と赤坂のグランベルホテルの話から始めたほうがいいと思います。グランベルホテルの運営会社である(株)フレンドステージから弊社にホテル事業を始めるので、設計を担当してほしいという話があったのは、2002年に遡ります。このとき、同社は都内にいくつかの自社所有の土地があり、その場所ならではのホテルをつくりたいという考えがありました。

しかも、一般のシティホテルではなく、価格帯もビジネスホテルに合わせた宿泊特化型でいきたい。ただし、他のホテルグループと同じスタイルでは勝ち目がないので、たとえば、最初に開業した渋谷グランベルホテル(2006年7月)の場合は、渋谷らしさを強く打ち出すことを考えました。

具体的にいうと、渋谷を日常的な活動の場にしているような若い世代(20~30代)を惹きつけるという意味で、館内や客室全体を「ポップ、アート、ミニマル」というコンセプトで統一するというものです。このホテルは客室数105室のホテルですが、最上階にペントハウススイートを用意しています。我々はまずこのスイートの世界観を作り上げることに注力し、そこでできたイメージをスタンダードルームにも広げていったのです。

しかし、先ほど述べたように、価格帯は他の宿泊特化型ホテルと変わらないものにするということでしたから、14㎡のシングルルームで、東横インと価格は変わらないのに、客室はまったく違う世界がある、というものにしたかったのです。

一方、同じ06年12月に開業した赤坂グランベルホテルは、30~40代以上の大人の社交が楽しめる上質感を打ち出すことにしました。コンセプトは「上質感、色艶、遊び心」です。そのぶん価格帯は渋谷と同じというわけにはいきませんが、やはり上階にこのホテルのイメージを具現化するスイートを設けました。

実は、客室稼働率でいうと、渋谷より赤坂のほうが高く、現在では平均95%以上で、外国客比率も6割を超えています。渋谷も赤坂ほどではないですが、外国客の比率がだんだん高くなってきています」。

―なぜそんなに外国客が多いのでしょうか。

「渋谷や赤坂が開業した頃は、まだトリップアドバイザーが存在していない時代でした。ですから、当初は国内客しかおらず、外国客は近くにあるセルリアンタワーのほうに泊まっていたようです。ところが、あるとき私たちの知らないところで、海外の雑誌に渋谷グランベルホテルのことが紹介されていたのを見つけました。おそらく海外または日本在住の外国人記者がここを見つけて、東京にあるヒップなホテルということで紹介したのでしょう。

その後、SNSの時代がきて、あっという間に海外のデザインホテルに関心のある層に広まったのだと思います。エクスペディアなどの海外ホテル予約サイトが続々と参入してきたのも同じ頃で、ビジネスホテルの価格帯でありながらデザインが面白いということから、予約が入るようになったのです」。

―外国客を惹きつけるデザインホテルとはどういうものなのでしょうか。

「やはり遊び心の要素があることではないでしょうか。一般に日本の宿泊特化型ホテルは設備や機能性は優れていますが、その点は欠けています。最初から追求していない。一方我々の考えるデザインホテルは、機能性よりデザイン性を優先します。

実は、私はこの数年間海外の人気のあるデザインホテルを訪ね、客室を中心にその特徴をスケッチしてきました。それらのホテルは客室の形が三角形だったり、内装のデザインが懲りすぎていたり、使い勝手は必ずしもいいとは限らない。しかし、そうしたルーズさは、日本のビジネスホテルのきちっとした機能性よりも好ましいと評価されるのです。彼らが求めるのは、驚きです。客室の扉を開けた瞬間、Wao!と声を上げたくなるようなデザイン性に惹きつけられるのです。

もっとも、我々は日本人ですから、どこか機能性も追求したくなるところがあるのも確かです。ヒップな外国客が好む客室だけでは、日本人が泊まってくれない。それでは困ります。そこは我々日本人デザイナーのバランス感覚と腕の見せどころともいうべきで、意想外なデザイン性を追求しながら、機能性もきちんと織り込んでいく。そういうものをつくってきたいと考えているんです」。

―新宿グランベルホテルが目指したのは、そういうことであると。

「といいますか、新宿歌舞伎町という立地から考えて、一般の日本人はなかなか足を運んでもらえないのではということも思いました。しかも、新宿は380室。そこそこのボリュームがあり、渋谷や赤坂のようなやり方だけでは難しいと考えました。

その一方で、グランベルホテルの共通するコンセプトに“fun to stay”があります。ステイする楽しみを感じさせる施設でなければならない。そこで初心に戻って、歌舞伎町の街らしさをテーマにすることにしました。ひとことでいうと、歌舞伎町という世界に知られた歓楽街のカオスの具現化。それにふさわしいのはアジアのカルチャーだろうと考えたのです。だったら、アジア出身のネクストアーティストを集めてホテルをつくろう、ということになったんです」。

―もともと外国客向けのホテルをつくろうと考えていたわけではなさそうですね。

「というよりも、歌舞伎町には日本人も含めて、いろんな国籍の人たちが歩いています。そういう彼らにこそ泊まってもらおう。ホテルは街と共存しています。歌舞伎町らしさを具現化したホテルをつくれば、多くの人に泊まってえるはずだと考えていたのです。

結局、日本人を含め、韓国、香港、台湾、カンボジアなど、芋づる式に24名のアーティストが集まりました。アーティストたちには、それぞれ自分の国のイメージを表現してもらうことにしました。歌舞伎町だから、それでいいんです。

もっとも、アジアといってもさまざまなイメージがあり、混沌としています。特に作りこんだのは、4タイプのエグゼクティブルーム、4つのスイートルームです」。

―具体的には、どのような設計手法になるわけですか。

「それぞれのアーティストに、ある特定のテーマを伝えて、自分のイメージするグラフィックやオブジェなどの作品を提案してもらいます。その作品を客室に取り込み、我々がそのイメージを具現化していくべく設計していきます」。

―どこまでそれが伝えられたと思いますか。

「まだよくわかりません。欧米の人たちとアジアの人たちでは感じ方が少し違うかもしれません。面白かったのは、ロフトの部屋を用意したところ、アジアの子連れファミリー客に人気のようです。彼らもこうした遊び心を気に入ってくれているようです。

いまはSNSで広がる時代です。ですから、いかに人にホテルに来てもらうか。これからはいいデザインというだけではなく、そのホテルではいつも何かが起きている、ということが大事なのだと思います。

新宿の街並みが見渡せるルーフトップバーも、最近ではちょっとしたイベントを始めています。これからはイベントをどうつくるかを考えていかなければと思います」。

UDS株式会社は、そのことばを実践するべく、京都に2つのデザインホテル(ホテルアンテルーム京都、ホテルカンラ京都)を設計し、運営も行っています。先日、その2つのホテルを訪ねたので、今度紹介したいと思います。どちらも遊び心あふれる楽しいホテルでした。特にホテルアンテルーム京都はホテルにおけるイベントの可能性を追求しているようでした。それはまたの機会に。
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噂のデザインホテル「ホテルアンテルーム京都」に泊まってみた
http://inbound.exblog.jp/24682467/
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by sanyo-kansatu | 2015-07-12 15:01 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2015年 07月 10日

歌舞伎町に人知れず外客率8割というデザインホテルがある

今年4月、新宿コマ劇場跡にできた“ゴジラホテル”こと、ホテルグレイスリー新宿。その開業当初、多くのメディアが外国客のあふれる歌舞伎町の変貌ぶりを報じていました。

でも、歌舞伎町にはまだ他にも人知れず外国客が殺到しているスポットがあります。

それは、2013年12月に開業した新宿グランベルホテルです。不動産事業を手がける(株)フレンドステージ(埼玉県上尾市)が運営しているホテルで、場所は歌舞伎町のラブホテル街の中にあります。そんなディープな環境のなか、ひときわ目につく17階建て、客室総数380室といいますから、東新宿周辺ではホテルグレイスリーやプリンスホテルなどに次いで大きなシティホテルといえます。
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新宿グランベルホテル
http://www.granbellhotel.jp/shinjuku

実は、同ホテルは2014年にエクスペディア経由で予約した外国人旅行者数のランキングで、ホテルサンルートプラザ新宿(渋谷区)に次いで全国2位となっています。サンルートプラザ新宿といえば、昔から外国客を多く受け入れてきたホテルとして知られていますが、開業2年のホテルが堂々ランキング2位になるとはちょっと驚きです。新宿グランベルホテルは、なぜこんなに外国客に人気なのでしょうか?

新宿は都内で外国客に最も人気なホテル地区(エクスペディア調べ)
http://inbound.exblog.jp/24510962/

同ホテルの丸山英男支配人に話を聞きました。

―歌舞伎町の真っただ中に位置していますね。周辺はラブホテルがひしめいている。なぜこの立地を選ばれたのでしょうか。

「弊社がここに土地を所有していたからです。確かに、この周辺はいろんな人種・国籍の人たちが往来していて、一種のカオスといえる。でも、歌舞伎町は世界的に知名度がある。だから、計画の当初からこの土地に合った個性的なホテルをつくろうと考えていました。

ホテルグランベルはわずか3軒のみですが、他には渋谷と赤坂にあります。それぞれ異なるコンセプトで設計されています。

2006年7月に開業した渋谷は、若者のまちらしく、25~35歳のトレンドに敏感な層をターゲットに、また同年12月開業の赤坂は、ビジネスマン向きに大人の落ち着いた雰囲気にしています。

東新宿はホテル激戦区で、周辺に東横インやアパホテル、サンルートホテルなど、同じカテゴリーのホテルが集中しています。この中で差別化するには、知名度のない我々が同じことをやっても勝負できない。だったら、思いっきり個性的なホテルをつくろうと考えたのです」。

―エクスペディアの関係者から、客室のデザインが人気だと聞いています。彼らは貴館をブティックホテルと呼んでいました。

「本館のいちばんの特徴は、アジアの次世代アーティストがデザインした客室を用意していることです。コンセプトは「HIP、エッジ、官能的」。世界的に有名な歓楽街としての歌舞伎町のイメージを具現化したいと考えました。設計をお願いしたのが、キッザニア東京の設計で有名なUDS株式会社です。渋谷や赤坂も同様です」。

UDS株式会社
http://www.uds-net.co.jp

―アジアの次世代アーティストというのはどのような人たちですか。

「代表的なアーティストとしては、カンボジア生まれで、現在ニューヨークで活躍中のTomtorです。彼には近未来の女性をイメージしたこの客室のデザインイメージを提案してもらいました。
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Tomtor(カンボジア)
http://www.granbellhotel.jp/shinjuku/room/sp_double/


他にも、香港や韓国、台湾などのアーティストを起用しています。日本人も含めて関わったアーティストは20名以上。香港のG.O.D.は、香港の油麻地(ヤウマーティ)地区のデザインをイメージして壁一面に銅板パネルやグラフィックアートを飾った客室をデザインしてもらっています」。
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G.O.D.(香港)
http://www.granbellhotel.jp/shinjuku/room/ex_double/

その他アーティストのプロフィールとその客室
http://www.granbellhotel.jp/shinjuku/extra/

―面白いですね。しかし、こんなに自由に客室ごとにデザインを選べるホテルというのは、あまり聞いたことがありません。客室のカテゴリー分けはどうなっているのですか。

「2~11階がスタンダードルーム、12階がロフトルーム。この階はアジアのお子様連れファミリーがよく利用されます。13~16階がエグゼクティブルーム、17階がスイートです。客室タイプは全28種に細分化されています。
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さらに、スタンダードルームには「オモテ」と「ウラ」の異なる客室デザインを用意しています」。

―どういうことですか。
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「この客室は先ほどのTomtorのデザインイメージに沿って設計されたものですが、最初が「オモテ」で、こちらは「ウラ」です。「オモテ」は白と木目調をいかしたすっきりしたデザインですが、「ウラ」は黒とレザーの風合いをいかしたディープな感覚を打ち出しています。前者はビジネス客向けに、後者は客室でゆったりくつろぎたい方向けにと考えられています」。

―ずいぶん凝っていますね。飲食施設はどうですか。

「ロビーのカフェと12階のカジュアルイタリアンレストラン、そして13階のバーの3つです。バーはテラスがあり、新宿の街並みを見渡せます」。
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―ところで、ロビーにスーツケースがたくさん置かれていましたが、これは海外の団体客などチェックアウトをすませた方たちのものですね。エクスペディアで全国2位の予約実績というわけですから、外国客の宿泊比率はかなり高そうですね。
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「現在、外客比率は8割以上です。もともと歌舞伎町のホテルということで、外客の利用は多くなるだろうと考えていましたが、こんなに多くなるとは思ってもいませんでした。外客のうちアジアが6割で欧米が4割。ビジネス客とレジャー客は半々という感じです」。

―どうしてこんなに外国客の人気を呼んだと思われますか。

「実は、開業当初以外はほとんどPRしていません。それだけに最初の3カ月は厳しかったのですが、徐々に予約が入るようになり、2014年秋には平均客室稼働率が80%になりました。ADR(平均客室単価)は約1万3000円となっています。

予約の半分以上はネット経由です。団体客も取るので、リアルエージェントからの予約もありますが、圧倒的に海外の予約サイト経由が多い。エクスペディアやbooking.com、アゴダなど、だいたい同じくらいの比率です」。

―本当にいまはそういう時代なんですね。PRにお金をかけるより、予約サイトに登録し、より効果的な見せ方をすることが集客のカギになる。

「実際、何か特別に外客向けのサービスはやっていません。せいぜいフロントでお客様からよく聞かれる質問を整理して近隣マップをつくったくらいでしょうか。

トリップアドバイザーなどの口コミサイトには、いいことも悪いことも書かれるものですが、ひとつ確実にいえるのは、ネットの世界はまず写真が大事ということ。ホテルグランベルはデザインに特徴があるので、同じ価格帯のホテルと比べて選んでもらえているのだと考えています」。

―しかし、これだけ外客比率が高くなってしまうと、経営上のリスクはどうでしょう。多くの宿泊施設が国内客と外客のバランスを取ることに苦心しているなか、新宿グランベルホテルは、国内客より外国客に知られたホテルといえるかもしれません。

「確かに、外国客の予約がいつもいっぱいで予約が入らないため、国内客に敬遠されてしまうきらいがあるように思います。しかし、ここまで来たら、もう隠しようがないので、状況を見ながらコントロールしていくしかありません」。

―レベニューマネジメントの腕が問われますね。

「まったくそうです。支配人の私ともうひとりのスタッフが担当しているのですが、1日の仕事の大半はレベニューマネジメントに明け暮れるといっていいくらいです」。

ネット予約が一般化した今日、レベニューマネジメントは収益の最大化を左右するだけに、手を抜けないところでしょう。予約経路は複雑化しており、さまざまなファクターを吟味しながら客室の売値のコントロールをしていかなければならないからです。

それにしても、訪日客の増加によってほぼネットだけで集客ができてしまうという状況が起きていることは、ベンチャー企業のホテル業への参入にとって追い風になっていると思われます。このあたりの感覚は、ホテル業の王道にずっといた人たちからすると、時代の変化を強く感じさせる事態かもしれません。

もっとも、丸山支配人は外客向けの特別なサービスはしていないと言っていましたが、宿泊客からの質問や問い合わせに答えるためにスタッフがつくったという自家製近隣マップは、種類も豊富でよくできていると思いました。数種類に分けられたマップをみると、外国客が歌舞伎町周辺のどこで食事や買い物をしているかがよくわかり面白かったです。また設計を手がけたUDSの担当者にも話を聞きました。その内容については、また別の機会で。

遊び心がなければ、海外客を惹きつけることはできない(UDSの考えるデザインホテル)
http://inbound.exblog.jp/24681756/
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by sanyo-kansatu | 2015-07-10 21:32 | 東京インバウンド・スポット | Comments(0)
2015年 05月 31日

訪日外国客向けの都市観光にピッタリの楽師によるクルーズライブ

昨日の午後、チェロと声楽家による神田川のクルーズライブ演奏会に行ってきました。

神田川? クルーズ? ライブ? 東京湾クルーズなら聞いたことがあるかもしれませんが、いったいどのようなイベントなのか?

友人の鳥越けい子青山学院大学教授と都市楽師プロジェクトを主催する鷲野宏氏が2009年から実施しているイベントです。都市空間を舞台に楽師たちがライブ演奏を行うというものですが、いわゆる路上ライブではなくて、もっとディープな場所が選ばれるのが特徴です。なにしろ神田川でやるというのですから。えっ、神田川ってどこよ? そう思う人も多いに違いありません。

今回初めて体験したのですが、よくもまあこんな酔狂なことを始めたものだと思いつつボートに乗り込んだところ、約1時間のクルーズライブは想像していた以上に面白かったので、ぜひ紹介したいと思います。
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都市楽師プロジェクト
http://toshigakushi.com

イベントのタイトルは「名橋たちの音を聴く 2015年5月30日 神田川をゆく船上」。神田川下流にかかる和泉橋防災船着場(最寄はJR秋葉原駅)からボートを出して上流に向かって航行し、7つの橋をくぐり抜けながら、都市楽師のふたりの演奏と歌声を聴くというものです。

7つの橋というのは以下のとおりです(パンフレットの解説による)

和泉橋(1916(大正5)年、1927年拡張)
JR東北本線神田川橋梁(1925(大正14)年)
万世橋(1930(昭和5)年)
昌平橋(1923(大正12)年)
総武線神田川橋梁(1932(昭和7)年)
丸ノ内線神田川橋梁
聖橋(1927(昭和2)年)

すべてが大正から昭和初期にかけて架けられたものです。神田川とそれに架かる橋や堤は、古くは江戸開城から明治、大正、昭和と近代に到る歴史遺産なのです。しかし、今日川自体はJR御茶ノ水駅のホーム下に見えることくらいは知られていても、ほとんどその存在は忘れられていることでしょう。

そんな忘却された河川にゲリラ的にボートを浮かべて演奏会をやるというのが、このイベントの真骨頂ですが、もちろん無許可で行われているわけではありません。

実は、和泉橋防災船着場は、阪神大震災時に陸上交通が麻痺した経験から、水路を利用した交通インフラが見直されて開設されたもので、本来は被災時のみ利用されることになっています。その臨時船着場に発着するミニクルーズが実現したのは、東京五輪を控え、新たな都市観光を企画したいと考えている千代田区観光協会の協力によるそうです。

能書きはここまでにして、クルーズライブの様子を紹介しましょう。
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ボートは乗客30人乗りで、進行方向右手に声楽家の辻康介さんとチェロ演奏家の山本徹さんのためのささやかなステージが用意されています。

ボートは和泉橋防災船着場を離れ、いったん和泉橋の下に潜り込みます。ここで辻さんが『集まったのは橋の下』(鳥越けい子・辻康介作詞/辻康介作曲)を歌います。

歌が終わると、ボートは橋を抜け、神田川の上流に向かってゆっくり走り出します。ここで鳥越けい子教授と鷲野宏氏によるあいさつがあります。
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しばらくすると、巨大なコンクリートの洞窟のようなJR東北本線神田川橋梁(手前に最近開通した新幹線橋梁並行して架かっています)が見えてきます。満潮時に近いせいか、水位がずいぶん上がっています。この橋の下で山本さんが演奏するのは『トッカータ』(ジョバンニ・ヴィターリ)です。
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以下、この調子で橋の下にやって来るごとに、さまざまな演目のチェロ独奏や声楽を聴きます。面白いことに、橋の下はドーム状になっているため、まるでコンサートホールのようでもあるのです。
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次は万世橋です。演奏家の背後に秋葉原の電気街が見えます。楽曲は『113の練習曲集より第42番』(フリードリヒ・ドッツァウアー)と『無伴奏チェロ組曲より 2.サルダーナ』(ガスパール・カサド))。
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次の昌平橋に向かう進行方向左手に、元鉄道博物館(もともとは万世橋駅跡であり、のちに高架橋として使われた)のアーチ型のレンガ造りの建造物が見られます(写真は進行方向とは逆向きなので右手に見える)。現在はカフェやレストラン街になっています。
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昌平橋は大正後期に造られた堅牢な橋で、細かな装飾もあしらわれた都市建築ですが、その上空に鉄筋の総武線神田川橋梁が見えます。 
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こういう橋を下から仰ぎ見るような見方ができるのは、川の上にボートを浮かべているからこそです。ちょうど総武線が走って来て、鉄橋を渡る騒音が頭上から降りそそぐかのようです。ふだんはあり得ない場所に潜り込むことで、近代都市の激烈なノイズに視覚と聴覚もろともさらされてしまいます。そこに山本さんによる現代音楽的なチェロの不安な音色(『無伴奏チェロソナタより 1. ディアローゴ』(リゲティ・ジョルジュ))が加わると、ちょっとゾクゾクしてくるのを抑えられません。
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※この楽曲を書いたリゲティ・ジョルジュはハンガリー人で、スタンリー・キューブリック監督作『2001年宇宙の旅』『シャイニング』などに作品が使用されたこともあるようです。
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昌平橋をくぐり抜けると、総武線ガード下の飲み屋の看板などが見えてきます。
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総武線神田川橋梁ははるか高い頭上にあります。
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今回最も強烈だったのが、丸ノ内線神田川橋梁です。この至近距離の上を丸ノ内線が走り抜けていくのですから。耳がおかしくなりそうでした。
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少し離れると、こんな風に見えます。メガホンを持っているのが鷲野氏です。彼はそれぞれの橋の歴史的なゆかりを解説しています。
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そして、ついに最後の聖橋です。美しい巨大なアーチ型の橋梁です。この下で歌われるのは『ゴリアルドのアヴェマリア』(作曲者不詳(カルミナ・ブラーナ))。
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ここが折り返し地点です。先ほどくぐり抜けてきた橋を再びくぐり、和泉橋防災船着場に戻るのですが、歌と演奏は続きます。メガホンを持っているのが鳥越先生です。ここで先生は数分間、乗客に目を閉じてあらためて都市の音を聴くようにと話します。
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昌平橋・万世橋高架橋 『無伴奏チェロ組曲第1番より 第1の歌』(ベンジャミン・ブリテン)

万世橋高架橋・万世橋 『無伴奏チェロ組曲より 3.間奏曲とダンツァ・フィナーレ』(ガスパール・カサド)
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JR東北本線神田川橋梁・和泉橋 『きれいなねんちゃんよ』(ヴィンツェンツォ・カレスターニ)

さて、自分で撮った写真とプログラムを見比べながら、クルーズライブの流れを簡単に振り返ってみたわけですが、人によってはこういう趣向はクラシック音楽のたしなみ方として大いに不満、あるいは不愉快に感じる向きもあるかもしれません。

それは否定しませんが、このメタリックな動力騒音が飛び交う環境の中で耳に届くチェロや人の歌声というのは、なんと愛すべきものだろうとぼくは思ったものです。人間にとって抑圧的ともいえる都市空間に身を置く現代人としての境遇をあらためて思い知るというような経験でした。楽曲と歌声が送り届けられることで、まるで自分が映画のワンシーンにでもいるかのような軽い錯覚をおぼえたのも本当です。

好き嫌いはともかく、こういう趣向は、ぼくの個人的な関心に照していうと、訪日外国客向けの都市観光の素材としてピッタリではないか、と思います。

一般に日本では都市観光というと、ショッピングやグルメなどを中心に語られることが多いのですが、本来都市観光の2大主要テーマは「文化」と「歴史」です。ヨーロッパの旅行博覧会を視察すればわかりますが、メインとなるのが文化観光です。その担い手はそれぞれ固有の歴史を持った都市です。ヨーロッパの場合、それぞれの都市の人口規模はそれほど大きくなくても、自らの歴史の固有性を住民が理解しているからこそ、文化観光が成立するのです。これが可能となるのはインバウンドの歴史が長いゆえで、今後は日本もだんだんそうなっていくと思います。

その意味で、東京の景観は世界の主要な都市同様、醜美両面を持っていると思いますが、どうしようもなく固有の近代の歴史があります。そこには情けなく悲しい面もありますが、多くの日本人はそれを受け入れて暮らしているわけで、無理してかっこつけても始まらないし、またネガティブにのみ捉えても自意識過剰というものでしょう。日本が敗戦国の歴史を有する国家であることは、世界中誰もが知っています。外国のツーリストには、いまの姿を隠さず見てもらえばいい。そこにひとつの触媒としての楽師による演奏を加えることで、人は東京という都市について多くのことを感じるのではないでしょうか。そこに音楽の力があると思う。

都市楽師によるライブは、もっと手法を大胆に洗練させていけば、都市観光の2大テーマである「文化」と「歴史」をうまく融合していける可能性があるように思えます。こういうのが、本来の都市観光であり、文化観光ではないでしょうか。

クール・ジャパンもいいけれど、東京こそ、もっと大人向けの文化観光を創出していかなければならないと常々思います。だからといって、それがコンサートホールや劇場、博物館優先の発想になってしまうと、申し訳ないけど、いまの北京みたいで、ぼくは嫌なんです。

珍しく外国人観光客の減っている中国の観光PRのお寒い中身
http://inbound.exblog.jp/24475269/

このイベントの意味を考えるうえで、渋谷のスクランブル交差点が外国人ツーリストの間で人気となっていることは参考になるかもしれません。

イースター休みに渋谷スクランブル交差点に出没した外国人を逆観察
http://inbound.exblog.jp/24348359/

都市楽師をもっと街へ。このプロジェクトを通じて東京の街角や意想外の場所でライブ活動が次々と行われるようなことが起こると面白いと思います。
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by sanyo-kansatu | 2015-05-31 19:29 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2015年 05月 05日

もっとリアルな中国を見てほしい(中国インディペンデント映画祭主宰:中山大樹氏)

5月2日(土)、専修大学で「中国におけるインディペンデント映画とドキュメンタリー」という講座がありました。演者は中国インディペンデント映画祭を主宰している中山大樹さんです。
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中山さんは2008年に東京で第1回の中国インディペンデント映画祭を開催後、09年、11年、13年とこれまで4回の映画祭を続けてきました。彼は毎回さまざまなタイプのインディペンデント映画(日本でいえば、自主映画のことですが、ドキュメンタリーだけでなくフィクションも含まれます。背景には中国の特殊な事情があります)を日本で公開するために、中国の映画関係者らとの深い関係を築き、優れた作品や監督の発掘に尽力しています。現在、中国の広州在住の彼は、今年12月に開催予定の第5回映画祭の準備のため来日しました。この日の講座は、専修大学の招きで実現したものです。

中国インディペンデント映画祭
http://cifft.net/

中国インディペンデント映画祭主催者、中山大樹さんに会う(2012.3)
http://inbound.exblog.jp/20196438/

中山さんを招いた専修大学社会科学研究所にはアジアのドキュメンタリーについて研究しているグループ(代表は土屋昌明教授)があり、定期的に中国などのドキュメンタリー映画の上映会を行っています。

土屋昌明教授blog
http://blog.livedoor.jp/m_tsichiya/

ぼく自身は必ずしもドキュメンタリーという映像ジャンル全般に関心があるというわけではないのですが、中国のインディペンデント映画ほどこの国の理解にとって興味深い題材を提供してくれるメディアはないと考えています。また実際に現地での取材や在日中国人たちとの交流などを通じて得た対中理解や実感と重なる部分も多いので、それを確かめたいという動機から、こうした上映会にはなるべく足を運ぶようにしています。

この日も、古い友人の在日広東人のR氏を誘って参加しました。彼とは映画祭にも何度か一緒に通ったことがあります。日本人にはなかなか気づかない視点を提供してくれるありがたい存在です。

以下、5月2日の講座の内容(2時間半にわたる中山さんの講義と30分の質疑応答)を簡単に紹介します。

1)なぜ中国インディペンデント映画祭を始めたか

1996年に上海留学し、現地で就職していたこともある中山さんは、帰国後しばらくアジア映画祭などを通じて中国映画を観ていた。だが、日本ではいわゆる「第5世代」と呼ばれる監督の作品までは上映されてきたが、新しい世代の作品を観る機会が少ないと感じていた。2005年、中国にもインディペンデント系の映画作品があることを知り、そこに描かれるリアルな中国をもっと多くの日本の観客に知ってもらいたい。自分が中国で見聞きし、体験した世界をダイレクトに伝えてくれる作品を紹介したいと考えたという。

2)中国の映画事情について

以下、内容の一部を紹介します。

●中国の映画市場規模

2014年の興行収入は5620億円。日本の約3倍。日中が逆転したのは、GDP逆転と同じ2010年。

●興行ランキング(日中比較)

2014年の中国の映画興行ランキングの1位はハリウッド映画で、米中合作の「トランスフォーマー ロストエイジ」。この作品は歴代1位。日本の1位は同じハリウッドの「アナと雪の女王」だが、両国の映画の好みはかなり違うことがわかる。中国ではアクション系が人気だが、日本は邦画やアニメが人気。

●国産映画と輸入映画

中国での興業はハリウッドと中国映画は半々。それだけに、ハリウッドにとって中国市場は重要といえる。

●映画検閲

中国で映画検閲に関わる事項として6つのNGがあるという。

政治、外交、宗教、少数民族、不道徳な話題に加えて「暴力的、性的表現」「オカルト的なもの」だ。前者は「18歳以下の恋愛はご法度。恋愛感情はいいが、性交はダメ。片思いはいいけれど、恋愛が成就しなければいい?」「不倫、同性愛もNG」。後者は「1949年の建国以前の設定の話ならお化けが出てきてもいいが、以降はダメ」という。

そもそも脚本段階から検閲がある。それをクリアして初めて撮影許可が下りる。最近とみに検閲が厳しくなっており、映画関係者は冒険がやりにくく、昔検閲を通ったものをつくるかという感じで、保守的になっている。確かに、せっかくつくっても検閲が下りなければ、製作費がパーになる。こうして無難な映画が大半を占めるに至っている。

●国産映画の保護

中国では映画の輸入に規制があり、最近では年間60本程度。2012年以降、日本映画はなし。今年は「ドラえもん」が公開されるかもという噂もある。「アバター」がヒットしたとき、突然上映打ち切りを決めるなど、露骨な輸入映画規制もよくある。

一方、国産映画については、各種資金提供や6~7月の夏休みシーズンを国産映画奨励月間にしたりと、大変な熱の入れよう。

●国産映画製作数

おかげで国産映画製作数と公開作品数は増えている。ただし、公開作が最も多かった2014年でも、製作数618に対して公開数338。以前はもっと公開比率が低かった。なぜか。中国では各省ごとに政府の宣伝部門の位置付けで映画製作が行われており、作品数だけは多かった。しかし、その大半は上映するレベルに達しておらず、市場化の進む映画業界はそれらをオクラ入りにしてきた。中国にはシネコンは多いが、どこでも同じような作品が上映されており、上映機会がないのも理由。

中国にも一部アートシアター系の映画館がある(たとえば、北京の百老匯電影中心。ただし香港資本)が、関係者の話では一般の映画館では観ることのできない意欲的な作品を上映しても採算を取るのは難しいという。

北京の百老匯電影中心について
http://inbound.exblog.jp/20412335/

3)中国インディペンデント映画について

こうした中国の特殊な映画事情をふまえ、中国でなぜインディペンデント映画が生まれたか、中山さんは解説します。

●独立電影の歴史①黎明期

中国初のインディペンデント映画が誕生したのは1989年で「妈妈」(張元監督)。中国ドキュメンタリー映画の父と呼ばれる呉文光監督が初のドキュメンタリー作品「流浪北京」を撮ったのが90年。96年には、日本でも知られるジャジャン・クー(贾樟柯)監督が「一瞬の夢」を公開。これが1990年代は黎明期といわれるゆえん。彼らの多くは北京などの電影学院を卒業し、テレビ局などの制作現場で働いていたことから、器材を調達しやすい環境にあったことも背景にある。

●独立電影の歴史②デジタル移行期

2000年以降は、デジタル機器が普及したことで、各地で自主的な上映会が開催され始めた。また誰もが気軽にビデオ映像を撮れるようになったことから、若い世代だけでなく、作家や詩人、画家といった別ジャンルのアーティストたちも作品をつくるようになった。こうして斬新な作品が多くつくられるようになり、独立電影は発展期に向かう。

01年には初の「中国の独立映画節」も開催(途中で中止)。03年には南京、雲南、北京で映画祭が始まる。04年には独立電影の立役者だった「第6世代」の作品が劇場公開化も始まる一方、06年には先ごろ日本でも連続上映会のあったロウ・イエ(娄烨)監督が5年間の制作禁止を言い渡されることなども起きた。

4)ドキュメンタリー映画の上映

今回、以下の4本のドキュメンタリー映画の一部が上映されました。

「オルグヤ、オルグヤ」(2007)

モンゴル出身の顧桃監督作品。内モンゴル北部の森でトナカイを追いながら暮らしていたエヴェンキ族(愕温克族)の女性が主人公。政府によって強制移住させられた彼女の葛藤を描いた作品。

http://cifft.net/2009/programs.htm
※この作品は、中山大樹さんが2013年に書いた「現代中国独立電影」(講談社)の中に付帯DVDの1本として入っています。

「俺たち中国人」(2007)

ロシア国境に近い黒龍江省北部の宏疆村に住むロシア系移民のアイデンティティを問う作品。彼らは第一次世界大戦中に中国に逃れてきたロシア人の末裔だ。国籍は中国だが、中国国歌もまともに歌えないばかりか、ロシア民謡もあやしい。現代美術のアーティストで、黒龍江省出身の沈少民監督作品。

http://cifft.net/2009/programs.htm

「書記」(2009)

河南省固始県の書記の任期終了3カ月間を密着取材したという作品。元新聞記者の周浩監督作品。

http://cifft.net/2011/shj.htm

中国版ミニ角栄のなれの果て(中国インディペンデント映画祭2011 その4)(2011.12)
http://inbound.exblog.jp/17528175/

「最後の木こりたち」(2007)

黒龍江省の山岳地帯の冬山で材木を伐採する男たちの記録。版画家で黒龍江省出身の于広義監督作品。

http://cifft.net/2008/programs.htm#kikori

5)質疑応答

今回の講座の記録は、専修大学社会科学研究所の月報に掲載されるそうですから、ここではぼくが気になった質疑のやりとりについてのみ、ポイントを記しておきます。

Q.日本の映倫は第三者機関として権力の介入を排除するために、レイティングも含めた制度をつくっている。一方、中国の場合は大人も子供も同じ基準で反国家的、反共産的、反道徳的な対象を検閲するということなのか。なぜレイティングシステムがないのか。

A.レイティングシステムの導入については、映画制作者はやるべきだとずっと言ってきたが、当局はやる気はないようだ。なぜなのかよくわからないが、大人も子供もみんなで安心して観られるものをつくるべきという考え方なのではないか。

Q.中国のインディペンデント映画では劇映画はつくられているのか。

A.絶対数はドキュメンタリーが多い。2014年の北京独立映画祭でも、百数十本の応募作品のうち、6割はドキュメンタリーが占めた。逆に4割はフィクションだが、ほとんどは短編。最近、中国の大学に映画学科が相次いで設置され、学生たちはフィクションの制作を学んでいるため、若い世代は短編作品を撮るようになってきたこともある。

Q.今回上映されたドキュメンタリー作品の検閲はどうなっているのか。

A.作り手が検閲にかける目的は上映許可を取ることにある。ドキュメンタリーの場合は映画館にかかることはないので、作り手たちも上映を意識していない。検閲をかけることもはなから考えていない。ただし、テレビ局が流すことはある。たとえば、「オルグヤ、オルグヤ」は実際に上海や内モンゴルのテレビ局が一部放映したが、「江沢民のセリフだけはカットしてくれ」と指示があったそう。当局の要求だけ聞けば、テレビで流すことはできなくはない。

Q.中国のドキュメンタリーにおいて演出はあるのか。

A.演出的なことがまったくないとはいえない。最近はフィクションなのかドキュメンタリーなのかわからない、ミックスしたような作品が増えている。あえてそういう作品にしていると思う。

Q.海外の映画祭への出品やインターネット配信にも規制はあるのか。

A.すでに商業映画を撮っているような監督が無断で海外の映画祭へ出品すると、処分されることもある。だが、インディペンデントでやっている人はあまり気にしないで、海外に出品している。処分といっても映画製作の禁止であって、禁固や罰金ではない。実際、ロウ・イエは5年間の禁止処分を食らいながら、海外で映画製作をやっていた。アンダーグランドなものとしてつくるのであれば、とがめはない。また海外で賞を取ったからといって処分があるわけではない。

ネットに作品を上げる人もいるが、政治に関する内容が含まれる場合、削除されることもある。ただし、当局がそうするのではなく、動画サイトの運営側の自主規制によるものだと思われる。最近は、動画サイトと正式に契約して配信するケースもある。「最後の木こりたち」はそうだ。

Q.「書記」を撮った周浩監督は、別の作品で山東省大同市長の密着ドキュメンタリーを撮ったとき、市長からの作品に対する最終確認を得ないまま、台湾の映画祭に出品したという話に衝撃を受けた。ドキュメンタリーにおける被写体との接し方やそこで生じる権力関係はとても繊細なもので、勝手に出してしまったことは映画祭関係者を含め、どの程度周知されていたのか。そのやり方に対して何らかの反応はあったのか。

A.正確にいうと、監督は市長にDVDを送ったが、まだ見てないと言われた。そういうやり取りが何回か続いたので、時間切れとなり、彼のOKをもらう前に出品してしまったというのが真相。これは本人から直接聞いた話だ。おそらく映画祭側がそれを問題にすることはないと思う。その事情についてはほとんどの人が知らなかっただろう。

书记、大同:和体制有关的两部纪录片
http://qiwen.lu/28101.html
※ただし、中国での報道をみると、近年の習近平が推進する汚職追放政策との関係で、周浩監督のやり方が支持されたとはいえないものの、問題化はしなかったという面があるのかもしれないと思います。これは日本などで議論される作り手と被写体との権力関係をどう考えるかといった問題とは別次元の話でしょう。なぜなら、現在の中国社会にはそうした議論を成立させるための前提となる理念やシステムが不在といっていい状況だからです(もちろんそのことに気づいている人たちも一定数いるでしょうが、社会全体で広く共有されているとはいえません)。だからこそ、日本では許されないような設定で撮られてしまう作品が出てくる。そういうある種のタブーなきやり方に中国のインディペンデント映画の魅力があるといえます。こういう映像を観るとき、日本と中国の違いを強く実感します。

Q.いまのインディペンデント映画をめぐる厳しい状況は、私自身も雲南の映画祭に足を運んだ際、中止されたことからも理解している。それでも、小規模な上映の機会は増えていると中山さんは話されたが、これからの展望はどうか。制作と上映という側面に分けると、制作面はカメラさえあれば、誰かが作品を撮っていくと思うが、上映面でみると、2000年代に各地で見られた映画祭における人的なネットワークが作り手にも跳ね返って面白い作品が生まれるという状況は今後どうなるのか。可能性についてお聞きしたい。

A.作り手たちにとって発表の場があることは重要。海外でもいいが、本来は国内で多くの人に観てもらいたいと考えている。映画祭のような場で大勢の人が集まり、監督同士も交流するような場が途絶えてしまっている現在の状況は、彼らのモチベーションのうえでも問題となっている。

東京でやる映画祭は規模も小さいし、お金も出せないが、自腹でも監督は来てくれる。映画祭のような場を楽しみにしているからだ。これからもこういう場をつくっていかないといけないと思う。だが、中国でどれだけできるかわからない。どの程度の規模だと圧力がかかってくるか、それは手探り。でも、とりあえずやってみたらいいんじゃないかな、という感じで彼らもいるようなので、上映もそれなりに続いていくんじゃないか。

中山さんの最後のコメントを聞き、会場からは安堵の微笑がこぼれ、講座は終了となりました。

帰り道、広東人のR氏と歩きながら話しました。彼は言います。

「今日観たのは、4本中3本が黒龍江省の作品(「オルグヤ、オルグヤ」は内モンゴルが舞台だが、黒龍江省と誤解)。いまの中国にとってあまり中心的なテーマには思えなかった」

「確かに、もっと面白い作品があると思うのだけど、どうしてそういうセレクトになったのかわかりません」

「面白かったのは『書記』だ。中国の役人とはまさにこういうもの。これをいい悪いでは判断できない。むしろ一般の中国人は彼のことを存外いい政治家だと思うかもしれない」

「でも、彼は作品を撮られたあと、逮捕されてしまうんです」

「それは権力との関係でしょう。別に法治だからそうなったわけではない」

「確かに、彼は人のよさが仇となって捕まっちゃったのかも。ぼくは映画祭のときにこの作品を全編観ましたが、選挙という民意を問うシステムがないと、こんな風に独断で政治をやるしかないのだろうなとあらためて思いました。システムがあってもいろいろ大変なのに、ないと多くのことを自分で仕分けしなければならないぶん、かえって手間がかかる面もあるんだなと」

「彼にとって任期中にどれだけ業績を残すかが最大関心事。それが中国の役人というもの。昔から変わらない」

彼はこんなことも言います。

「日本人は中国の検閲や規制を気にしているようだけど、共産党は我々が選んだわけじゃない。連中が勝手に仕切ろうとしているんだから、俺たちも勝手にやらせてもらうよ、というのが中国人の考え方。だから、インディペンデント映画の監督たちも、一般の国民も同じ環境で、同じように考えながら生きているだけ。そうするしかないから、そうしているだけなのだ」と。

なるほど、きっとそういうことなのでしょうね。中国インディペンデント映画の面白さは、まさにそのように生きざるを得ない中国人の姿や葛藤、喜びなどを生に近いかたちで見せてくれること。それがさまさまな障害にもかかわらず、可能となっていること。よくそんなところまで見せてくれるものだという驚きにあると思います。

ちなみに、ぼくは中山大樹さんのことを、現代の内山完造みたいな人じゃないか、とひそかに思っています。
http://www.uchiyama-shoten.co.jp/company/history.html
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by sanyo-kansatu | 2015-05-05 11:38 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2015年 03月 31日

『太陽にほえろ』のスモッグ空と同じ色をしている今の中国映画の空

以前からずっと思っていたことがありました。

2月から3月上旬にかけて、新宿K’s cinemaで連続上映されていた中国のロウ・イエ(婁燁)監督作品のいくつかを観て、やっぱりそうかと確信しました。
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K’s cinema ロウ・イエ監督特集
http://www.ks-cinema.com/movie/rouie/
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ロウ・イエ監督最新作「二重生活」サイト
http://www.uplink.co.jp/nijyuu/
ロウ・イエ監督最新インタビュー
http://intro.ne.jp/contents/2015/02/05_1701.html

ロウ・イエ監督といえば、天安門事件を題材にした作品(『天安門、恋人たち』(原題:頤和園)2006年)を撮ったことで、中国政府から5年間の活動禁止を言い渡されたことで知られています。日本の映画関係者はやたらとその話をしたがるようですが、中国の独立系映画の監督たちの事情を少しでも知っていると、そのこと自体をどうこう言うのはナイーブすぎるように思います。

むしろ、興味深いのは、彼の作品の独特のカメラワークで、被写体のすぐ近くから手持ちのカメラで撮られた映像にあります。カメラの前では俳優たちに自由に演技を続けさせるそうです。その「近さ」によって観客たちはまるで自分も登場人物たちと同じ空間にいるかのような錯覚を起こさせ、それが不思議に心地よいのです。作品世界に対して客観的に対峙されることを拒んでいるような、共犯者を迫られているような感覚があります。しかも、やたらと性描写のシーンが多いのも、彼の作風の特徴といえるでしょう。そんな作品ばかり撮っているので、なかなか中国国内では上映を許されません。

とはいえ、北京の海賊版ショップに行けば、彼の作品のDVDを買うことはできます。ぼくも何枚かフランス語版の彼のDVDを買ったことがあります。中国ってそういう国です。

話を戻すと、2000年代に中国で撮られた彼の作品を観ながら、ずっと思っていたことがあったというのはこういうことです。

映像に映し出される南京などの中国の地方都市の空の色が見事にスモッグ色をしていて、それは1970年代から80年代半ばまで放映されていたテレビドラマ『太陽にほえろ』で、石原裕次郎たちの背後に映っていた空とそっくり同じ色をしていたことです。
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これはある動画サイトから取り込んだ『太陽にほえろ』の冒頭シーンです。ほら、すごいスモッグ空でしょう。タイトルバックに見えるこのビルは、『太陽にほえろ』の放映の始まった前年の1971年に開業した京王プラザホテルだと思われます。京王プラザホテルは西新宿の高層ビル街の先駆け的な存在で、まだ周辺にはビルは建っていません。
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それにしても、この石原裕次郎の苦みばしった表情は、いかにも日本の1970年代を象徴しているような気がしてきます。この時代、日本は高度経済成長を成し遂げたものの、人々の暮らしはそんなに豊かではなかったはずです。大気汚染のみならず、公害問題も深刻でした。

そんな時代の日本の大人たちは、実際のところ、どこまで大気汚染を気にしていたことか。『太陽にほえろ』の登場人物たちと同様に、タバコも吸い放題、吸殻も道に平気で投げ捨てていたことでしょう。そういうのが渋くてカッコよかったに違いありません。

一方、この時代小学生だったぼくは、やたらと強烈なヘドロの海や工場から吹き出す排煙の写真が載った社会科の教科書を読まされていたものですから、「公害大国、ニッポン」の子供として、いったいこれからボクたち、どうなっちゃうのだろうとおびえていたものです(少々大げさでしょうか)。でも、この時代に子供たちが抱えていた漠然とした不安は、それから後の80年代以降、世界の終末を描くようなアニメ作品が大量に制作されるようになったことと関係があるのではないか、と最近思ったりします。

今の中国の都市部に生きる人たちは、日本の70年代のような、あるいはそれ以上の苛酷な環境を生きていることは確かなようです(中国には大気汚染以上に水の問題があります)。中国では日本が経験した過去のいくつもの時代を共時的に経験しているようなところがあるので、我々と同じように事態を捉え、考えるというわけではないでしょう。

だとしても、いまの中国の子供たちは、大人たちから何を教えられ、何を想って、このかすんだ空を見つめているのでしょう。気になるところです。
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by sanyo-kansatu | 2015-03-31 16:30 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2015年 02月 28日

思い出横丁で初めて日本に来た外国人の気持ちを考えてみる

トリップアドバイザーによる新宿区の観光名所の口コミ人気ランキングで、新宿駅西口にある思い出横丁が7位なんだそうです。
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トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp

トリップアドバイザーは米国発の世界最大の旅行口コミサイトで、圧倒的に欧米の利用者が多く、5人のうち4人はアジア系旅行者で占める日本の場合、口コミ数と実際に訪問する外国人観光客の数はリンクしているわけではないのですが、欧米の旅行者の好みを理解するうえではそれなりに参考になります。ちなみに新宿区の10位までのランキングは以下のとおりです。

1位 新宿御苑
2位 東京都庁舎
3位 新宿ゴールデン街
4位 神楽坂
5位 明治神宮外苑
6位 明治神宮野球場
7位 思い出横丁
8位 消防博物館
9位 東郷青児美術館
10位 新宿西口カメラ街

このうち新宿ゴールデン街と思い出横丁がいわゆるナイトスポットですが、外国人の書き込みをみるかぎり、前者が夜遅くまでにぎわうバーエリアと認知されているのに対し、後者は「Yakitori Heaven」などの言葉に代表される日本のローカルな情緒を味わう場所とみられているようです。
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実際、思い出横丁の焼き鳥屋には多くの外国人がいます。一部の店では、日本人より外国人の姿のほうが多く見られることもあるほどです。

大半はロンリープラネットのようなガイドブックやトリップアドバイザーのような口コミサイトを見て訪ねてくる日本は初めてという外国人だと思われます。そういう意味では、英語の情報ソースにアクセスできるシンガポール人や香港人、一部のタイ人などのアジア系も含まれます。

なかにはいろんな人がいて、「英国のMCM EXPO」について何やらつぶやきながら思い出横丁を散策し、ビデオを回している外国人もいるようです。MCM EXPOとはロンドンで開催されるコスプレとマンガのイベントです。

MCM EXPO
http://mcmcomiccon.com/london

そんなことを知ったのは、昨年5月に上海で開かれた「動漫美学双年展(ANIMAMIX BIENNALE)」という美術展で、ある英国人アーチストのビデオ作品を観たときです。
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動漫美学双年展(ANIMAMIX BIENNALE)2014.4.12~6.5

その作品は“ANJIN 1600 EDO WONDERPARK”といいます。アーチストは、1976年ロンドン生まれのDavid Blandy。
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David Blandy
1976 Born in London
1995-98 Chelsea College of Art BA (Hons) Sculpture
2001-03 Slade School of Art MA in Fine Art Media

David Blandy
http://davidblandy.co.uk/

ここでいうANJINとは、1600年に日本に漂着した英国の航海士ウィリアム・アダムズ(三浦按針 1564-1620)です。のちに徳川家康に外交顧問として仕えた按針ですが、David Blandyはいまから400年以上前に日本を訪れた英国人にとっていかに当時の江戸がワンダーランドだったか、想像力をふくらませています。わずか8分間ほどの作品で、上記の彼のサイトの「MENU」から「Films」に入ると観ることができます。

これは基本的にアニメーション作品です。奇妙なことに、David Blandy本人らしい英国人青年が『宇宙戦艦ヤマト』の古代進に似た白地に赤のクロスラインの入ったスーツを着て浮世絵の世界を歩いています。彼は江戸時代にタイムスリップして三浦按針になったつもりなのでしょうか。

ところが、途中から場面が急転回し、なぜか『宇宙戦艦ヤマト』の戦闘シーンが挿入されます。まあこういう作品は理屈抜きで観てもらうしかありません。

そして、後半6分40秒頃からエンディングまでの約2分間、彼は新宿の思い出横丁を歩くのです。そのとき彼はロンドンのコスプレイベントを思い出しながら、日本のサブカルチャーや歴史について考察し、何やらぶつぶつ、つぶやいています。
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ちょうどいま来日している英国のウイリアム王子がNHKを訪れ、女優の井上真央さんの隣でかぶとをかぶっておどけてみせるというおとぼけシーンがニュース配信されていましたが、どこかそれに似た脱力感いっぱいの作品です。

でも、おそらく日本を初めて訪ねた欧米の外国人の多くに共通する心の動きとはこういうものではないでしょうか。

目の前に広がる現代日本の風景の中から、日本に関する知識を頭の中で総動員させながら、知っているものならそれを参照してみる。一方、知らないものに出くわすと、それを理解する手がかりとして、近代以降の日本に大きな影響を与えてきたとされる欧米カルチャーに似た断片を見つけて、そこから類推しようとそっと拾い上げてみるものの、そこには本来持っていたはずの文脈は断たれてしまっているよう…。独自に日本で変容して現在に至ったであろう姿かたちは自分たちの理解をはるかに越えており、ついにお手上げとなってしまう。それはおかしいような、面白いような、不思議なことであり、彼らにとって現代日本におけるワンダーランド体験なのではないでしょうか。思い出横丁はなぜか、そんな象徴的なスポットのひとつとして選ばれているようなのです。

こんな話もあります。いまの思い出横丁の焼き鳥屋の多くは、中国人が切り盛りしているのが実態です。日本人経営の店は少なく、わざわざ日本の国旗を店先に張り出している店もあるほどです。
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そんなフェイクそのものともいうべき現実もそうですし、場所が新宿の高層ビル街に近いことから、思い出横丁は映画『ブレードランナー』の世界みたいに見えたりしないのかな、と思ったりもするのですが、トリップアドバイザーにはそのような書き込みはいまのところ見当たりません。

この作品を観てからというもの、ぼくは思い出横丁のそばを通るたび、初めて日本に来た外国人の気持ちを想像するようになりました。なるべく彼らの疑問やアメージングに感じるもろもろを説明し、納得させてあげたくなります。簡単じゃないですけど。

さて、David Blandyの作品が出展されていた「動漫美学双年展(ANIMAMIX BIENNALE)」が開かれた上海当代芸術館についてひとこと。そこは上海の人民公園の中にひっそりたたずむユニークなアートスポットです。

上海当代芸術館 
http://www.mocashanghai.org/

「アニマミックス(Animamix、動漫美学)」というのは、アニメーションとコミックを合わせたコンセプトで、上海当代芸術館のクリエイティブディレクターで、この美術展のキュレーターのビクトリア・ルー(Victoria Lu)による造語です。台湾出身の彼女は、アジアの現代アートに日本のアニメやマンガの影響が著しく見られることから、この新しい美術傾向を表現する言葉として2006年に「アニマミックス」を提起しています。

「動漫美学双年展(ANIMAMIX BIENNALE)」は、2年に1度、上海(上海当代芸術館)や北京(今日美術館)、台北(台北当代芸術館)、広州(広東美術館)で同時開催または巡回される美術展です。世界中のアーティストの作品が出展されていますが、その多くはアニメやマンガと共に育った1970年代~80年代生まれの若手で、日本人アーティストもいます。

かれこれ10年近く前のことですが、ぼくは彼女に会ってインタビューしたことがあります。

アニメ美術展で中国を変える「出戻り上海人」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20061201/114780/
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by sanyo-kansatu | 2015-02-28 16:44 | 東京インバウンド・スポット | Comments(0)
2015年 01月 17日

ショック!? 大連「旧ロシア人街」の再開発が一気に進んでいた

大連駅の北東側にある旧ロシア人街(俄罗斯风情街)は、19世紀末期、大連に港湾施設を建設し、都市開発を進めたロシア人たちが最初につくったエリアです。いわば大連発祥の地です。
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これは日本統治時代の絵はがきで、鉄道をまたぐ旧日本橋(現・勝利橋)の北側の一帯には、ロシア風の街並みが広がっていました。

現在では、このエリアのメイン通りにあたる団結街を「俄罗斯风情街」と命名し、再開発されています。歴史的建築物を保護することを目的に、2000年代初めに大連市政府によって着手されたものですが、正直なところ、土産物屋とエコノミーホテルの並ぶチープなロシア風テーマパークと化してしまっています。

ざっと主な歴史的建築物の現在の姿を見ていきましょう。
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旧ロシア人街の入口に建つこの象徴的な建築物は、1900年に東清鉄道汽船会社の社屋として建てられたもので、日本時代は「日本橋図書館」でした。現在は「大連芸術展示館」という美術館です。
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実は、この建物自体は新中国建国後、いったん取り壊されており、のちに復元されたものだそうです。話が少し込み入ってしまいますが、大連と姉妹都市の北九州市の門司港にこの建物のレプリカがあり、ぼくも以前、訪ねたことがあります。なぜこんなところに? と奇妙な印象が残っているのですが、なんでも現在の大連のこの建物は、門司港のレプリカを参考に復元されたのだとか。

これが「俄罗斯风情街」です。確かにかつてこの通りには壮麗なロシア建築が並んでいましたが、新中国建設後は老朽化が進み、2000年代に派手なペイントを塗りたくられ、雑にお色直しして現在に至っています。
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数年前から、中国を代表するエコノミーホテルチェーンの錦江之星などいくつかのホテルとしても使われています。1泊200元程度の価格帯なので、若い国内の旅行者が利用しているようです。知り合いのトラベルライターが昨年9月、錦江之星に宿泊したそうで、部屋の写真を見せてもらいましたが、内装はきれいにリノベーションされ、快適な印象でした。
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谷川一巳さんの「tabinori」大連の旅(2014年9月)
http://tabinori.net/kankokaigai/dlc.html
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土産物屋にはマトリョーシカなどロシアがらみの商品が並べられていますが、まるでパッとしません。
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通りのいちばん奥まった場所に、唯一お色直しされておらず、老朽化にまかせるまま、それゆえに独特の存在感のある建築物が建っています。
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この幽霊屋敷のような建物の来歴を語ると話がずいぶん長くなります。最初、東清鉄道事務所として建てられ、1902年には初代の大連市役所、日本統治時代の07年に満鉄本社、翌08年に2代目ヤマトホテル、その後、満州物質参考館、満蒙資源館、満州資源館と名称を変更しながら博物館として使われ、新中国時代は97年まで大連市自然博物館でした。その後、一時期オフィスやホテルにも使われたようでしたが、結局、この歴史的な建築遺構をうまく使いこなすオーナーが現れなかったせいか、廃墟同然の姿で現存しています。
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この建物の周辺だけ、時間が停まっているように見えます。100年前からずっとここに建ち、このまちの変遷を眺めてきたのです。かつての大連はこのような洋館が並ぶ、さぞ美しいまちだったことでしょう。

さて、ここまでが旧ロシア人街の表の顔ですが、もっと面白いのが、この通りの左右両脇に広がる界隈の路地裏歩きです。勝利橋を背にして右手に広がるのが上海路界隈、また左手に広がるのが光輝巷や煙台街界隈。前者はもともと東清鉄道汽船会社のオフィスや社宅など、後者はロシア人の暮らした住居が多数残っていました。

もっとも、最近まではそれら老朽化した住居に地方から出稼ぎに来た「外地人」労働者とその家族が住んでいました。

まず上海路界隈から。これは、最も早い時期の日本統治時代に使われた建物だそうです。
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このあたりには、木造のロシア風住居が相当傷みながらもいくつか残っています。
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長屋風の共同住宅もあります。このあたりはロシア時代のものか、日本時代のものかわかりません。
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この界隈には海鮮市場や小吃の屋台なども見られます。
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一方、光輝巷や煙台街界隈には、2012年くらいまでロシア風の住宅街がなんとか残っていました。
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100年前は瀟洒な洋館だったと思われる住居が廃屋に限りなく近い状態で残っていたのです。
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もちろん、いまは地方からの労働者の住み着く世界です。
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この状況から在りし日の情景を思い浮かべるにはかなりの想像力を要するかもしれません。しかし、高層ビルの建ち並ぶ現代的な大連市中心部のある一角に残る光景としては、非常に興味深い界隈でした。これらの写真の多くは、2010年夏に撮ったものです。
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ところが、昨年7月この界隈を歩いてみたところ、大きな変化が見られました。特に光輝巷や煙台街界隈です。さきほど見たロシア風住宅街はほぼ消えうせていたのです。

代わりにそこにあったのは、住宅展示場のような門構えのあるホテルでした。旧ロシア人街の再開発がついに進んでしまっていたのか! 少々大げさですが、ぼくその場に立ち尽くし、呆然としてしまいました。
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ホテルの名前は「鉄道1896花園酒店」といいます。館内に足を運んでみましたが、外観は確かに洋風ですが、なんの変哲もない中国式ホテルでした。
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鉄道1896花園酒店
大連市西崗区光輝巷36号

ホテルの隣には、おそらくハルビンにある有名ロシア料理店の支店と思われるレストランが建っていました。
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これでは「俄罗斯风情街」となんら変わりません。残念なことですが、いまの大連ではこのようなやり方しか採用できないことを責められるものではありません。なにしろ前述した旧満州資源館のような歴史的な建築物もどう扱っていいかわからず、ずっと放置されているのですから。無名の個人が住んでいた住居群を保存して残すことは難しいでしょう。そもそも今日の大連の多くの人たちにとって、移民労働者の暮らす貧困地区にすぎない一角は、なるべく早く再開発してほしいというのが本音だったかもしれません。

※ただし、旧ロシア人街には、大連育ちの若い世代が始めたこんな創作カフェもあります。これが新しい満洲の姿ともいえます。

大連の若い世代(80后)は日本時代の住居が懐かしいという
http://inbound.exblog.jp/23760526/
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by sanyo-kansatu | 2015-01-17 11:27 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)