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2014年 03月 24日

日本の供養文化を海外にどうやって伝えるか(お仏壇のハセガワ銀座本店)

今回も「やまとごころ.jp」のインタビューから。「お仏壇のはせがわ銀座本店」の話。

2003年に銀座1丁目に開店した「はせがわ銀座本店」には、多くの外国客が訪れている。「お仏壇のはせがわ」でおなじみの同店で外国客に人気なのは、和を感じさせる季節の室礼(しつらい)商品や、6階のギャラリーに収蔵されている年代物のお仏壇など貴重な伝統工芸品だ。まだ始まったばかりの同店のユニークな外国客誘致の取り組みについて、大石光一本店長と林星司店長のおふたりに話を聞いた。
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目次:
供養マーケットの創出
売れ筋は24節句の室礼(しつらい)商品
日本の伝統工芸技術を伝えるギャラリー
今後の課題

―銀座本店の位置付けについて教えてください。

大石
「これまで弊社はお仏壇や仏具、墓石や納骨に関するトータルサポートなど、新しい供養マーケットの創出を手がけ、国内に100店舗以上を出店してきました。ブランディングショップとして銀座本店をオープンさせたのは2003年です。お仏壇というのは、お寺さんを小さくした本堂で、家の中で仏様や祖先を祀る場所です。そこには、鍛金や彫金、金箔打ち、漆塗りなど、さまざまな伝統工芸の技法が集約されています。
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銀座本店では、単にお仏壇や仏具を並べるだけでなく、日本の伝統的な供養文化を多くの方に理解していただくため、小さなギャラリーを設置しました。

そこでは、定期的にお坊さんを呼んで法話会を開いたり、仏具等の展示会を開催したりしています。
毎年10~12月には古布人形展をやっていますが、そのときばかりは、ここは本当にお仏壇屋さんなのだろうか、というほど大勢の方がいらっしゃいます」

―いつごろから外国客が来店するようになったのですか?

大石
「当初外国のお客様のご来店は想定していなかったのですが、オープンすると、すぐに店内を覗きに来られるようになりました。最初は欧米の方が多かったようですが、最近はアジア方面、特に中国からのお客さまが多いという印象です。いまは欧米客3:アジア客7くらいの比率でしょうか」
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「1階に展示してある『季節の室礼商品』と私どもが呼んでいる、端午や桃の節句にちなんだガラス細工やちりめん細工の商材を手に取ったり、奥の黄金の茶室をご覧になったりしています。
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欧米の方は特に着物生地の商材やお香がお好みのようです。よく購入される商品の価格帯は、3万円前後。アジアのお客さまには香木が人気です。『これはどこで採れたものですか? 何年物ですか?』と熱心にご質問されます。中国に比べ値段が安く、偽物を買わされることがないので、日本での購入を希望するそうです」

大石
「欧米客は仏像をキャラクター化したブロンズ像などをアート作品として購入される場合が多いです。有名な彫刻家で東京芸術大学の籔内佐斗司先生の作品はとても人気があります」。
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―ギャラリーでは何を展示しているのですか?

大石
「弊社ではお仏壇や仏具の製造に加え、国内の重要文化財の修復をお手伝いさせていただいています。いま世界的にお仏壇や仏具を専門に作る職人は少なくなっています。中国では文化大革命によって徹底的に仏教文化が破壊されたため、ほとんどいないそうですし、台湾でも高齢化が進んでいると聞きます。そこで、2006年以来、弊社は東京芸術大学と連携、文化財保存学を学ぶ大学院生の最優秀研究に『お仏壇のはせがわ賞』授与し、日本の伝統工芸技術の継承にささやかながらご協力させていただいています。
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銀座本店のギャラリーは『ご供養の過去・現在・未来』をテーマとして日本の工芸技術と『祈りの心』を知っていただくために開設したものです。明治時代の金仏壇や阿弥陀如来立像といった貴重な文化財とともに、同大学院の優秀作品などを常設しています。来店したお客さまからお声をかけていただければ、6階までご案内します」。

―外国客向けの課題や今後の展望についてどうお考えですか?

大石
「昨年10月から中国福建省出身の林店長が着任し、中国のお客さまの接客は彼が担当しています。英語を話すスタッフもおり、ようやく外国客向けの態勢を整えつつある状況です。日本の『祈りの文化』を海外の方にもっと伝えていきたいと考えていますが、まだまだこれからです」。


「アジアのお客さまの8割を占める中国本土のお客さまは、一つひとつの商材に対して『これはどこで作ったものですか? この仏具にはどんな意味があるのですか?』と細かく尋ねられることも多く、やりがいがあります。日本の仏像の面相は、東南アジアと違い、中国や朝鮮半島の仏像と似ているので、人気があるのです。最近、中国では若い世代がお寺にお参りによく行くようになったといわれます。時代と共に信仰心が蘇ってきたのです。ですから、海外のお客さまをいかに当店に誘致するか、仏壇仏具を通して日本の伝統工芸技術の素晴らしさをいかに伝えるか、というふたつの目標をこれから掲げていきます」。
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はせがわ銀座本店
東京都中央区銀座1-7-6 銀座河合ビル
http://www.hasegawa.jp

【編集後記】
当初「お仏壇のはせがわ」に外国客が訪れているという話を聞いたとき、きっとタイ人だろうと思っていました。タイ人の日本旅行には、全国各地の大仏や仏教寺院の訪問が欠かせず、彼らが熱心にお参りしている姿を見ていたからです。ところが、銀座本店で話を聞いたところ、来店客の多くは中国本土客でした。背景には、文化大革命で破壊され、失われた中国の仏教文化を取り戻そうとする精神的な欲求があるらしいこと。ここ十数年の経済一辺倒の風潮の中で、特に中国の若い世代が熱心に宗教文化にすがろうとしている姿が見られることなど、今日の中国人にとって心の問題がとても重要になっていることを、同店の中国出身の担当者の指摘から知ることができました。

銀座には毎日、多くの観光バスが現れ、外国人観光客が散策とショッピングの時間を過ごしています。銀座には、はせがわ以外にも、日本を代表する多くの企業のショールームが集まっています。これらのショールームが一堂に連携して日本のものづくりの素晴らしさを発信することができれば、外国客に対する銀座の新しい過ごし方を提案できるのではないでしょうか。
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by sanyo-kansatu | 2014-03-24 15:18 | 東京インバウンド・スポット | Comments(0)
2014年 01月 21日

文革時の蛮行をザンゲする元紅衛兵たち

脱臭無菌化された「文革系雑貨」があふれる一方、最近中国では文革当時の蛮行をザンゲする年老いた元紅衛兵たちが現れています。

先日もたまたま北京にいてキオスクで手にした新京報に以下の記事が掲載されていました。

新京報 2014年1月13日
宋任穷之女向文革中受伤害师生道歉 数度落泪(←これは同記事が転載されたものです)
http://news.sohu.com/20140113/n393382704.shtml
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このニュースについては、産経新聞が以下のように報じています。

文革の元紅衛兵、相次ぎ謝罪 背景に習政権の毛路線模倣への懸念
2014年1月14日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140114/chn14011411420002-n1.htm

「1966年から76年に中国全土を席巻した文化大革命中に、教師や知識人らをつるし上げ、暴行を加えた紅衛兵による被害者への謝罪が昨年から急増している。中国メディアによると、著名な紅衛兵リーダーだった宋彬彬(そう・ひんひん)氏が12日、北京で文革を反省する会合を開き謝罪した。背景には、習近平政権が毛沢東を模倣した政治運動を展開していることを受け、文革再来への懸念が関係者の間で広がっている事情があるとみられる。

13日付の新京報などによると、宋彬彬氏ら元紅衛兵約20人は北京師範大学付属高校に集まり、文革中に紅衛兵の暴行を受けて死亡した同校の元副校長、卞仲耘(べん・ちゅううん)氏の銅像に黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)しざんげした。宋氏は涙ながらに「先生に永遠の追悼と謝罪を表したい」との内容の反省文を読み上げた。」

実は、昨年12月14日、専修大学で宋彬彬氏ら当時の紅衛兵による蛮行をテーマとしたドキュメンタリー映画『私が死んでも』(胡傑監督)が上映されています。同作品は、1966 年8 月に紅衛兵に殺害された、北京師範大学附属高校の党総書記で副校長だった卞仲耘の境遇を扱っており、彼女の夫へのインタビューと彼が当時撮った多数の写真を主たる素材としています。

この上映会は、昨年12月に開催された「中国インディペンデント映画祭2013」の関連企画として実施されたものです。

胡傑監督作品上映とトーク
日時 十二月十四日(土)
『私が死んでも』午後一時一五分~二時二五分
『林昭の魂を探して』二時三五分~四時三五分
胡傑監督トーク「中国現代史とドキュメンタリーの可能性」
会場 専修大学神田校舎一号館二〇二教室
主催①③ 専修大学土屋研究室 http://www.t3.rim.or.jp/~gorge/tsuchiya.html

『私が死んでも』は、文革当時に北京の女子高で起きた教師に対する恐るべき集団リンチ殺人の遺族とその周辺の人々の肉声でつづられた作品でした。なぜ当時の女子高生たちがこのような行為に及んだのか。いまの中国の都市に住む恵まれた階層の若者たちには理解を超えているかもしれません。

1か月ほど前にこの作品を観ていただけに、事件の首謀者たる当人がメディアに姿を現わし、ザンゲしたというニュースを知り、ぼくはかなり驚きました。胡傑監督によると、同作品は中国では一般公開はできませんが、知識人を中心にかなり広範囲にDVDとしてコピーされて広まっているそうです。今回の宋彬彬氏の行動も同作品の存在を抜きにしては語れません。

同作品の概要と胡傑監督のトークの内容については、後日紹介しようと思います。
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胡傑監督(2013年12月14日 専修大学にて)
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by sanyo-kansatu | 2014-01-21 10:07 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2014年 01月 20日

中国の文革系サブカル雑貨は日本の1970年風?

池袋にできた華人経営の「文革レストラン」の店内ディスプレイやポスター、標語の数々について以前、ぼくはこう書きました。

「これらに見られるように、「文革レストラン」に散りばめられた一見政治的かつノスタルジックな文化的意匠は、実のところ、当時への郷愁ではなく、むしろ2000年代の中国の都市部に多く現れた文化雑貨屋で売られていた他愛のない流行商品やキャラクターグッズのたぐいと変わらないものです。パロディーといっても、そこは用意周到毒抜きされています」(「池袋の「文革レストラン」再訪。紅衛兵コスプレ美女に会う」)。

では、ここでいう中国で商品化された「文革系カルチャー雑貨」とはどんなものでしょうか。

北京の人気観光スポットである南羅鼓巷と798芸術区にある文化雑貨屋で売られているものをいくつか並べてみましょう。そこは地方から北京に遊びに来たおのぼりさんでにぎわっているという感じのスポットです。2008年ごろから2014年1月くらいに撮ったものです。

南羅鼓巷
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g294212-d2008082-Reviews-Nanluogu_Lane-Beijing.html
798芸術区
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g294212-d1793347-Reviews-798_Art_Zone-Beijing.html
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これが池袋の「文革レストラン」で見られた文革時代のポスターや標語をパロディー化した雑貨群です。「80后」というのは、中国の1980年代生まれの世代を指します。彼らがこれらのサブカル雑貨のメインの消費者だったというわけですが、もはや本来の政治的な文脈は毒抜きされているので、パロディーとも呼べそうにありません。単なるファンシーグッズです。
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「毛沢東語録」も「愛情語録」に変換されているくらいです。借りているのは、図柄や意匠だけで、当時の陰惨な歴史の記憶はすっかり忘却されています。そう考えると、これらのファンシーグッズがいかにグロテスクな存在であるかを思い知らされるのですが、そんなことを彼らに言っても始まりません。
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なにしろ紅衛兵人形も「可愛的(かわいい)」キャラクター商品です。

ところで、これらの文革系サブカル雑貨は、1990年代の中国現代アート界を一斉風靡したポリティカルポップと呼ばれた作品群が原型となっているはずです。しかし、当時すでにそれらの作品の政治性は「虚勢」されてしまっているとも指摘されていました。中国の高度経済成長によって現出した消費社会が、これは日本でも同じだったのでしょうが、本来もっていたはずの批評性をなし崩し的に無為化してしまったからです。中国では、毛沢東グッズがみやげ物やお守りになる時代を迎えているのです。

そんなわけですから、ファンシーグッズと化した文革系雑貨について、いまさらあれこれ言っても始まりません。そこで、今度は文革がらみではないグッズも見てみましょうか。それは、いつぞやの日本を思い出す光景だったりします。
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これなど1970年代に流行った「幸福駅」の切符を思い起こさせます。
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中国の人気漫画キャラクターの脱力感あふれるコメント付き雑貨も定番です。
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学生たる者「よく食べ、よく飲み、好色(セクシー)であれ」
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若者の流行語を書き並べたパネル。「宅女」は、わかりますね。
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いまでもたまに見かけますが、数年前まで中国ではこんなマスクが流行ってました。2000年代らしいのどかな風景といっていいのかもしれません。でも、最近はPM2.5による大気汚染が深刻化している時代です。いつまで彼女たちがしゃれっ気や遊び心で日本の1970年代風ファンシーグッズの世界で戯れていられるのか。ちょっと気にならないではありません。

もしかしたら、2000年代というのは、中国の激動の現代史において民衆がつかの間のほっと息をつける安定した時代だったと、後世になっていわれるのかもしれません。
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by sanyo-kansatu | 2014-01-20 18:48 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 12月 24日

池袋の「文革レストラン」再訪。紅衛兵コスプレ美女に会う

昨晩、仕事仲間と池袋の文革レストラン「東方紅」で忘年会をやりました。その日集った皆さんは中国通が多く、先日ぼくが文革レストランを訪ねた話をしたところ、すぐに食いついてきたので、お連れしたというわけです(大学で東洋史を専攻した皆さんばかりです。専門的に中国史や中国語を学んだことがないのは自分だけ。恐縮します)。
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エレベータの扉が開くと、最初に目に入るのが、毛沢東の大ポスター。皆さん、そこで「おぉー、これがそうか」と軽く反応しつつ、店内に入ると、文革ポスターやら標語の数々を物色しながら、席についたのでした。

席まで案内してくれた紅衛兵のコスプレ店員は、中国のネットに写真が出ていた例の彼女でした。大連出身の王さんといいます。お笑い芸人の青木さやか似の美女、といっておきましょう。明るくていねいな接客で好感度が高いです。
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在日中国人、池袋に文革レストランを開店
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2013-11/05/content_30500644.htm

店内には、若い中国人のグループが何組かと、今回初めて日本人のグループを2組見かけました。この手の中華料理屋にはよくいそうな年配の男性3人組(きっと中国の夜のお仕事の女性に連れてこられたのでしょう)と、ちょっと意外だったのは、若い女性の4人組でした。だんだん日本人客も増えているんですね。

中華料理はやはり大勢で行くのが楽しいものです。今回5名で行ったので、いろんな料理が注文できました。中国通の皆さんですから、それぞれお好みの料理があるようでしたが、「念のため言いますけど、ここは中国東北料理の店ですから」と、ぼくがひとこと付け加えると、では「酸菜の鍋にしましょう」と、Hさんがメニューを見ながら応じてくれました。
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これが酸菜カキ鍋です。酸菜は中国東北地方の名物の白菜の酢漬け。簡単にいうと、トウガラシ抜きのキムチのようなもので、ちょっと酸っぱいんです。それにこの季節旬のカキを入れて白湯風のスープにした鍋です。美味でしたよ。
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せっかくですから、コスプレ店員の王さんにおすすめを聞いてみると、面白い料理が出てきました。文革時代をイメージ化したアルミの弁当箱のようなものに入ってでてきた豚肉と野菜の田舎風煮込みです。野菜にはカボチャやトウモロコシも入っています。クミンやハッカクなども使われていて、いかにも東北料理らしい味付けでした。
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これは東北料理というわけではありませんが、インゲンの四川風辛味炒めです。日本人の口に合いますね。

他にもいろいろ頼んだのですが、皆さんの評価は、「この店で頼むべきは、東北料理。他の地方料理はちょっと予想した味付けと違う気がする」というところでまとまりました。こういうことって、中国でもよくあります。いまの時代、都市部ではいろんな地方料理レストランがあるのですが、たいてい地元の好みの味に変えられていて、本場の味を知る人からすると、「あれっ、ちょっと違う」となるものです。東北人が四川料理をつくると違った味になるという話で、池袋でもそれがいえるわけです。

とはいえ、ふだんは口の悪いことで知られるHさんから「こんな本場の料理が日本で食べられるとは、うれしいことですね」と言われたので、ぼくはほっと胸をなでおろしたのでした。そして、「そりゃそうですよ。本場の東北人がつくってるんですから」と応じたものです。
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中国語のわかる皆さんですから、店内にたくさん貼られたポスターや標語が気になるようです。たとえば、トイレの前に貼ってある「同志们,无论大小,记得冲(皆さん、大でも小でも流すことをお忘れなく)」や、厨房に入る従業員出口の「闲人免进(関係者以外立ち入り禁止)」は、当時のプロパガンダポスターから図柄を拝借し、言い回しを変えてパロディー化したものです。
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これは、2000年代半ば中国で一斉風靡したテレビのオーディション番組の人気投票でデビューした李宇春さんというアイドル歌手の新曲のタイトル「再不疯狂我们就老了」を拝借して、当時のポスターにはめ込んだもののようです。
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またこれは逆のパターンで、文革当時、毛沢東が紅衛兵に呼びかけた「战无不胜的,毛泽东思想胜利万岁」というメッセージ入りのプロパガンダポスターの、紅衛兵たちが高く掲げる(おそらく)毛沢東語録(だと思いますが)の代わりに米国アップル社のロゴをはめ込んでいます。

中国共产党第九次全国代表大会主席团秘书处新闻公报(1969年4月24日)
http://cpc.people.com.cn/GB/64162/64168/64561/4429452.html

これらに見られるように、「文革レストラン」に散りばめられた一見政治的かつノスタルジックな文化的意匠は、実のところ、当時への郷愁ではなく、むしろ2000年代の中国の都市部に多く現れた文化雑貨屋で売られていた他愛のない流行商品やキャラクターグッズのたぐいと変わらないものです。パロディーといっても、そこは用意周到毒抜きされています。

※これらのグッズについては「中国の文革系サブカル雑貨は日本の1970年風?」を参照。 

とはいえ、今月26日が毛沢東生誕120年にあたることを意識して書かれたと思われる今朝の朝日新聞の国際記事「文革 封印の過ち語る 毛沢東生誕120年 回顧の風潮に危機感」(2013年12月24日)が指摘するように、中国では「文革レストラン」という存在自体、単なる飲食施設ではなく、悲惨な歴史の記憶の回顧化、あるいは忘却化に貢献するものだという見方もあるようです。なんにしろ、そんなに遠い時代の話ではないからでしょう。同記事の中では、自分が密告したことで、母親が銃殺刑にされた弁護士の話がでてきます。中国の現代史のタブーを突いてにわかに出現したかのような「文革レストラン」には、まだまだ尾ひれの付く話が出てきそうです。

※そういう意味では、最近中国で文革時の蛮行を懺悔する元紅衛兵たちが現れていることに注目したいと思います。「文革時の蛮行をザンゲする元紅衛兵たち」 参照のこと。
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by sanyo-kansatu | 2013-12-24 10:45 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 10月 14日

平壌で見かけた台湾人観光客たち(万寿台創作社レストラトランにて)

平壌では多くの中国人観光客を見かけました。外国人客の泊まるホテルは限られており、ぼくの滞在していた高麗ホテルには、ヨーロッパ人客もずいぶんいました。エレベーターに乗り合わせた外国人に片っ端から「Where are you from?」を繰り返したところ、イギリス、ニュージーランド、フィンランド、ロシアなどの観光客が確認できました。純粋な観光客もいましたが、我々のような招待旅行、学術研究の会議の出席者など、いろんなタイプの旅行者がいます。
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今回、平壌では台湾客も見かけました。北朝鮮が海外向けに朝鮮絵画や陶器などの美術品を制作販売している万寿台創作社(→「北京の朝鮮万寿台創作社美術館のアーティストたち」)の経営するレストランでのことです。
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彼らの食事をする個室では、朝鮮の女の子たちによる歌と踊りのショーが繰り広げられていて、我々も一緒に観ることになったのです。
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このレストランには画廊が併設されています。朝鮮の陶器や国内の名勝を描いた風景画などが展示販売されていました。台湾客たちの中には何枚か絵を購入している人もいました。
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ぼくは風景画にはあまり興味がないのですが、何枚か朝鮮の現代の姿を描いた作品もありました。一点は現在の首都平壌を描いた作品。実際の夜はこんなに明るくはないけど……というつっこみはともかく、もう一点は、いつぞや話題となった朝鮮美女軍団を描いた作品です。真っ赤なポロシャツにキャップのロゴはナイキ。ところで、ここに描かれている女の子は、みんな同じ顔に見えてしまうのは気のせいでしょうか。
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ところで、2013年10月14日の朝日新聞朝刊に「北朝鮮貿易博 台湾が初出展」という小さな記事がありました。

「中国・遼寧省丹東市で14日まで開催中の北朝鮮貿易の博覧会で、初めて台湾の中小企業6社が出展した。電子機器や化粧品、自転車のほか特産の高山茶などを売り込み、会場そばには約20店の台湾飲食店も並んだ。中国に生産拠点を広げる台湾企業は、北朝鮮の安い労働力に注目している」とのことです。

「国連の厳しい経済制裁下にある北朝鮮に対して、台湾は日韓のようにすべての貿易を禁じておらず、染料などの化学製品や医療機器などを輸出している」

「中朝両国が北朝鮮領内で進める経済開発区の関係者によると、すでに台湾系の大手電子機器メーカーに区画が割り当てられているという。別の関係者は『視察は中国企業に次いで台湾企業が多い』と明かす」

レストランで台湾客を見かけたとき、「あれっ(中国本土客が多いのはわかるけど、台湾客も来ているんだ…)」と一瞬意外な感じがしたのですが、こういう事情であれば、平壌で台湾人観光客に出くわすのは当然でしょう。
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by sanyo-kansatu | 2013-10-14 09:33 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2013年 07月 07日

次々に壊されていく文化台の一戸建て住宅【昭和のフォルム 大連◆文化台②】

神戸や函館に似た、中国では珍しい高台の一戸建て住宅街だった大連の文化台の景観が大きく変わり始めたのが、2000年代後半に入ってからです。
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中国の中央政府が着手した「東北振興」政策によって、ここ大連でも次々に都市近郊にまで再開発の波が襲うようになりました。その結果、文化台の一戸建て住宅が次々に壊されてしまいました。
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1990年代の大連は、先般失脚した薄熙来が市長でした。彼の開発区を中心にした積極的な外資の導入により大連は発展し、市街地はいち早く再開発の時代を迎えたのですが、その波は郊外にまでは及んでいませんでした。しかし、胡錦濤政権以降に常態化してしまった地方政府による土地売却利益と不動産投機がカップリングしたあやしげな再開発がついに大連でも動き出してしまいました。

現在の文化台には当時の住宅はもうあまり残っていません。一部当時を想起させる閑静な住宅街の風情は見られるものの、おそらくこの地区から多くの大連市民は離れてしまっていると思われます。彼らは新しい高層マンションの住人として生まれ変わっているのでしょう。いまでもこの地区に残っているのは、高齢化して新興マンションに移り住むことのできない住民たちか地方から流入した外地人がほとんどではないかと思われます。

2012年7月、文化台にわずかに残された日本時代の一戸建て住宅を写真に収めることにしました。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 23:46 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 07日

周囲の高層建築とはまるでスケールの違う街区【昭和のフォルム 大連◆連鎖街③】

大連駅前に残る不思議な一画、旧「連鎖街」に人気の少ない早朝、再び訪ねてみました。
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人通りが多く、屋台などが出ていると、ただの中国の古い繁華街にしか思えませんが、無人の「連鎖街」に立っていると、まるでタイムスリップしたような気分になってきます。

「連鎖街」の後方に高層建築が見えますが、この街区とはスケールがまるで違うことに気づきます。それは視覚的にもわかることですが、何より身体で感じることができます。その対比自体はとても興味深いことですが、ここではこのマイクロな空間構成こそが昭和の街並みなのだと理解して、この空間を楽しむことにしましょう。
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あとは、建築の老朽化や簡体字の看板などの存在はひとまず無視して、建築の細部を切り取り、そこに目を凝らしましょう。この時代の建築は曲線の多い優美なファサードもそうですが、窓の形や配置が実にチャーミングだと思います。そして想像力をふくらませましょう。通りを何度も行き来していくうちに、だんだん頭の中に絵葉書で見た当時の風景や喧噪が蘇ってくるような気が……。
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まったくもってこれはひとり遊びの世界には違いありませんが、「古地図を見て東京を歩く」という楽しみ方と少し似ています。東京の場合、江戸、明治、昭和といくつもの時代が折り重ねられた歴史の多重性が複雑に絡み合いますが、大連の場合、そこはわりとシンプルです。つまり、日本の統治した昭和と新中国建国後の停滞期から改革開放を経た現在に至るまでの時間軸でほぼ割り切れる世界といえます。

「連鎖街」には、その地に立って初めて蘇る身体感覚があります。それは歴史的な時空との対話とでもいえばいいのか。それにしても、当時のマイクロな街並みの中で繰り広げられていた人間の暮らしや営みは、今日のように高速建築が建ち並ぶ世界と、どこがどう違うのでしょうか。ぼくには今日の世界のほうが当時に比べて暮らし向きがいいとはとても思えないのです。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 15:21 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 07日

再開発も近い!? これが現在の連鎖街です【昭和のフォルム 大連◆連鎖街②】

大連駅前に残る日本時代の駅前繁華街、「連鎖街」の現在の姿を紹介します。
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撮影は2010年5月と12年7月。佐藤憲一カメラマンです。

かつてしゃれたカフェやバーが軒を並べていた「連鎖街」ですが、現在は時代から取り残されたような金物工具などの卸売場や修理工場の並ぶ地区として市から割り当てられています。

夕方が近くなると、通勤客相手に農民が道の真ん中に野菜を並べ、歩行者天国の通りには屋台が出ます。
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これが当時の銀座通りです。
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旧式のトウモロコシ焼き器を見つけました。
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かつての常盤座の周囲には高層建築が見えます。現在は、金物工具の卸売市場として使われていますが、過去の栄華を思うと、なんだかガッカリですね。
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これはかつての心斎橋通り。日本時代はにぎわった目抜き通りも、ひたすら老朽化しています。
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路地に入ってみると、すでに住人はほとんどいないようです。再開発の日も近いのでしょうか。
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なんだか無残な光景という気がしてきます。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 14:06 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 07日

「昭和モダン遺跡」と名付けたい【昭和のフォルム 大連◆連鎖街①】

大連駅前に “昭和”の時間がそのまま残されたエアポケットのような一画があります。
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そこはかつて「連鎖街」と呼ばれたまちです。

前回紹介した甘井子は都市近郊の住宅街ですが、「連鎖街」は昭和モダニズムがコンパクトに体現された都市空間といえます。周辺はすっかり高層ビル群に取り囲まれているにもかかわらず、そこだけぽっかり3階建てくらいの昭和の低層建築の一画が取り残されているのがとても不思議です。まるで『3丁目の夕日』に使われた映画セットのようでもあるのです。

駅前を東西に走る旧栄町通(現・長江路)の南側、駅から向かって右手の旧末広町通(現・青泥窪橋街)が交差する一画に、当時日本の地方都市にはどこにでもあったであろう駅前繁華街を形成する街並みがそのまま残っています。

当時の記憶をもとに書き起こされた地図によると、駅に面した角にジャパンツーリストビューロー(JTBの前身)のオフィスがあったようです。かつて日本全国および外地と呼ばれた中国大陸、朝鮮半島、台湾などの主要都市の駅前の一等地には、必ずジャパンツーリストビューローがあり、旅客を迎えていました。
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ほかにもバーやカフェ、洋品店、航空会社のオフィスなど、いかにもハイカラな店舗が並んでいたことがわかります。

以下、当時の写真資料を紹介します。資料の提供は大連世界旅行社の桶本悟さんです。

面白いのは、「連鎖街」の中心を東西に交差する目抜き通りの名が、日本の繁華街を代表する「銀座通り」(写真上)「心斎橋通り」(写真下)と呼ばれていたことです。
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「連鎖街」には常盤座という劇場もありました。戦前昭和のスターの多くは、大連に立ち寄った際、この舞台で活躍したそうです。
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また往年の映画スター、三船敏郎の生家として知られる「スター写真館」が入っていたビルもあります。三船敏郎は1920年青島生まれ。彼の父親は中国大陸で貿易商を営んでいた人物ですが、25年に大連に移り住み、写真館を開業したそうです。
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それから、これは桶本悟さんに教えていただいた話ですが、テレビドラマ『水戸黄門』シリーズで、1969~78年まで格さん(渥美格之進)役を演じた横内正さんの生家のビルも残っています。

「連鎖街」の南を走る旧常盤通り(現・中山路)は、路面電車も走る大連を代表する大通りでした。三越などの百貨店もありました。
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ぼくは初めて「連鎖街」周辺を歩いたとき、「昭和モダン遺跡」とでも名付けたい衝動に駆られたものです。そこには、確かに昭和の日本の地方都市の駅前から繁華街に至る空間と同質のものがあると身体で感じたからです。

次回は「連鎖街」の現在の姿を紹介します。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 12:16 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 06日

“昭和”がいちばん残る街【昭和のフォルム 大連◆甘井子】

大連は訪れるたびになんともいえない親しみを感じるまちです。

現在では再開発と高層ビル化が進み、かつてのすがすがしい北方の港町という風情は感じられなくなってしまいましたが、“昭和”のフォルムを探してこっそり街を歩くのは楽しいひとときです。

なかでも大連市中心部から大連湾をはさんだ北側にある甘井子は、市内でもいちばん“昭和”の街並みが残されているまちかもしれません。

甘井子は都市近郊の住宅地です。いまでも当時の交番や消防署、病院、学校、そして満鉄の社宅などが、老朽化しながらもなんとか残っています。長い年月による庭木の成長で緑に覆い尽くされた満鉄の一戸建て社宅が並ぶ路地を歩いていると、自分の幼少期である昭和40年代にわずかに残っていた街のおぼろげな記憶が呼び起され、しんみりしてしまいます。

写真は2012年7月上旬、甘井子を訪ねたときのものです。あいにく雨天でしたが、それもまた悪くなかったです。撮影は佐藤憲一カメラマン。現地を案内してくれたのは、大連世界旅行社の桶本悟さんです。

旧甘井子消防署
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旧甘井子交番
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旧甘井子水道局
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旧甘井子博愛病院
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甘井子の東の外れには、石炭積み出し埠頭がありました。いまも埠頭はあります。
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さて、以下は旧満鉄の社宅など、当時の住居です。最初は一戸建てで2階建ての社宅です。
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旧甘井子満鉄独身寮(撮影は桶本悟さん)
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旧甘井子満洲化学工場社宅(撮影は桶本悟さん)
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甘井子満洲化学工場の敷地内には神社もありました。いまは児童館のような使われ方をしていました。
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旧甘井子小学校
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以下、一戸建ての社宅です。
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集団住宅です。かなり老朽化しています。
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住人はすでにいなくなってしまったのか、開け放たれた戸の中をこっそり覗いてみました。
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階段に寝そべった猫がこちらを見ていました。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-06 22:55 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)