ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2017年 05月 03日

下田発グルメミステリー『伊豆下田料理飲食店組合事件簿』の実在登場人物、真理子さんに会ってきた

今回伊豆下田に来て、古い友人で地元在住作家の岡崎大五さんに町を案内してもらったことはすでに述べましたが、そのとき彼は街場の飲食店に貼られた1枚の小さなポスターを見せてくれました。
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伊豆下田のユニークな歴史が持つインバウンドの可能性と気になる2、3のこと
http://inbound.exblog.jp/26831205/

そこには「伊豆下田料理飲食店組合事件簿(連載中)」と書かれています。翌日、ひとりで下田の町を歩いたときも、あちこちでみかけました。飲食店だけでなく、お茶屋さんや八百屋さんにも貼ってあります。
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これどういうこと? なんで大五さんの新刊案内のポスターが町中に貼られているんですか?

実はこういうわけです。なんでも下田で人気の旅行サイト「伊豆下田100景」で彼の小説が連載されるからだそう。このサイトは下田温泉旅館協同組合と料理飲食店組合が運営していて「下田の魅力を〝旅行者目線〟で発信します!」がモットー。

伊豆下田100景
http://shimoda100.com/

この旅行サイトに連載される大五さんの書き下ろしユーモア・グルメ・ミステリーは「小説に登場するのは下田に実在の人物、店、料理。次期組合長の座をめぐるドタバタ事件を老舗そば屋の女将が街中を駆け巡り、名物料理を食べながら真相を追う!」という設定。

タイトルは『伊豆下田飲食店組合事件簿』。全11回の連載を読むには、以下のページから各回100円でダウンロードするか、地元飲食店・書店などで200円で購入することになります。
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伊豆下田料理飲食店組合事件簿
http://shimoda100.com/jikenbo/

で、事件の発端を告げる序章「むさし・天城そば」が4月25日に公開されたばかり。舞台は、下田駅前にあるそばとうどんの店「むさし」です。
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むさし
http://shimoda100.com/restaurant/musashi/

これを読んだぼくは、思わず「むさし」を訪ねてみたくなりました。この連載小説の主人公ともいうべき、同店の店主、別の名を「下田のパパラッチ」こと真理子さんに会ってみたいと思ったからです。

店はごく普通のおそばやさんでした。席に座ると、注文を取りにきたのは、大五さんに聞いていたとおり、アルバイトのフィリピン人のおばさんでした。
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小説にも出てくる「天城そば」を注文。老舗らしく、店内は常連さんが多くいました。

この店のそばは、自分でわさびをするのが決まりです。小説に出てくる新米刑事の新庄誠のように、ぼくもわさびをすりすりしながら、そばを食べました。
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常連さんが会計をしたとき、店の奥から真理子さんがついに現れました。ぼくは思わず「おお、この人か」と思い、会計がすむと、声をかけてしまいました。

「ぼく、この小説を見て来ました」

すると、真理子さんはまんざらでもないというにんまり笑顔で「でも、これフィクションなんですよ」。そう言って足早に厨房に戻るのでした。

4月25日に序章が公開された、この超ローカルな、町の実在店主が登場するミステリー小説は、これから半年かけて、隔週で公開されます(9月25日が最終回)。

この企画は、地元の若いウェブデザイナーらと岡崎大五さんが話し合って実現させたそうです。

この企画の話を聞いて、ついにシーズン6に突入してしまった『孤独のグルメ』(テレビ東京)や喫茶店文化を誇る名古屋ローカルの『三人兄弟』(メ~テレ)などのご当地グルメドラマを思い出しました。

孤独のグルメ http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume/
三人兄弟 http://www.nagoyatv.com/3ninkyodai/
http://www.nagoyatv.com/3ninkyodai2/

食が人を呼び込む決定打になる時代です。ネットで調べていたら、こんなグルメイベントもある時代です。

全国ふるさと甲子園公式サイト http://furusato-koshien.jp/

こうしたなか、人口2万3000人にすぎない下田で、こんな企画が生まれるなんて、いい話だなあと思いました。大五さんによると、伊豆下田100景のサイトの運営もそうですが、今回の連載小説企画も、下田の飲食店のみなさんからのささやかな運営費でまかなっているのだそうです。

大五さんは言います。「下田も少子高齢化で若い人は少ない。シャッター商店街だよ、本当に。仕方がないじゃない。全国どこでもそうなんだから。でも、若い人が全然いないわけではない。下田のような小さな町にも、主婦をしながらデザイナーをしてくれる若い人材もいるし、彼女もこれで食えてるわけではないけれど、地元のために何かやりたい気持ちはある。そういう思いで生まれた今回の企画、登場人物の名物店主の全員にお会いして、話を聞きがら物語のあらましを伝えて、小説にしてもいいかと聞いたら、いいよという話になった。みんな魅力的な人たちなんだ」。

その話を聞きながら、こういうことってできるんだなと思いました。大五さんはこんなことも言ってました。ネタバレにならない範囲で、書いてしまいます。

「ミステリー仕立てにするとなると、殺人事件というのが相場なんだけど、実在人物を登場させると、いくらフィクションといっても、殺人はどうかとなった。だいたい伊豆では、事件といっても、せいぜいオレオレ詐欺くらい。でも、登場人物の当の本人は、それでもいいと言ってたんだけどね」

ネットで調べると、確かに最近、伊豆周辺でオレオレ詐欺が続出しているそうです。

・79歳女性110万円被害 “息子”にオレオレ詐欺(伊豆新聞2017/01/27)
伊豆市の女性(79)が25日、息子を名乗る男からの電話で110万円をだまし取られたと大仁署に届け出た。
・伊豆の60代女性 200万円詐欺被害(2016/07/08)
伊豆市の無職女性(67)が8日までに、息子を名乗る男からの電話で現金200万円をだまし取られた。

特殊詐欺防止へ本腰 静岡県警、きょうから注意喚起人形貸し出し(産経ニュース2017.4.1)
http://www.sankei.com/region/news/170401/rgn1704010062-n1.html
オレオレ詐欺被害が発生しています!|伊豆市 くらし・仕事・市政情報
http://www.city.izu.shizuoka.jp/gyousei/gyousei_detail005188.html

伊豆下田ではいま、こんなことが始まっています。地元を元気にするための方法は、お金がなくても、いろいろ考えられるのだと思います。
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by sanyo-kansatu | 2017-05-03 19:35 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2017年 03月 22日

内蒙古の大草原でパオのお宅訪問

内蒙古自治区の東北部に位置するフルンボイル平原には、なだらかな丘陵と草原がどこまでも広がり、馬や羊が群れなしている。ただし、この絶景が見られるのも、1年のうちわずか3ヵ月間ほど。この時期、中露国境に近い草原とその起点になる町は多くの観光客でにぎわう。
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↑モンゴル族のスー・チンさん一家をパオの前で記念撮影。11歳になる男の子は、わざわざ民族服に着替えてくれた。
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↑パオの中は思ったより広い。5歳になる末娘はひとみしりで、突然の訪問客に身をガチガチに固め、うつむいてばかり。最後には泣き出してしまった。ごめんね。

お邪魔してわかったパオの暮らしはシンプルで快適

内蒙古の草原を訪ねるのが決まったときから、ある計画を胸に秘めていた。モンゴル族の暮らすパオ(中国語。モンゴル語はゲル)を訪ねててみたいと思っていたのだ。

中露国境の町、満洲里から北に向かって草原の一本道を走っていたときのことだった。道路からはるかに離れた地平線沿いにいくつものパオが点在していたが、路端から数百メートルほどのそれほど遠くない場所にひとつのパオを見つけたのだ。「よし、あのパオを訪ねてみよう」。車を停め、同行してくれたフルンボイル市ハイラル区に住むモンゴル族のガイドの海鴎さんと一緒にパオのある場所まで歩いていくことにした。

いわゆるアポなし訪問だったが、そんな大胆なことができたのも旅空の下にいたからだろう。近くで見るパオは意外に小さく、少し離れた場所に何百頭という羊の群れがいた。

最初はためらいを見せていたパオの住人も「わざわざ日本から来たのだから」と温かく迎え入れてくれた。その日の気温は40度近かったが、パオの中がこんなに涼しくて過ごしやすいとは知らなかった。草原を渡る風が突き抜けるとき、熱を遮断する構造なのだ。お邪魔してわかったのは、彼らの住まいは限りなくシンプルで快適ということだった。
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↑パオの中の調理用具はコンパクトで、まるでキャンピングカーのような暮らしがうかがえる。自家製ソーラー発電機も使っている。

パオの主人はスー・チンさんという女性で、親戚の親子と一緒に過ごしていた。ちょうど彼らは食事の最中で、手扒肉の骨肉を口に運んでいた。彼女はモンゴルのミルク茶「ツァイ」をふるまってくれた。ちょっとぬるくてしょっぱかった。
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↑手扒肉はモンゴル族の日常食で、太い骨付き羊肉を塩で茹でた料理。レストランではタレを付けて食べる。 新鮮な肉は臭くない。
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↑羊の放牧は、空が朝焼けに染まる早朝4時半から日が昇るまでの3時間ほど。男の子も父親の仕事を手伝い、羊を追うのが日課。 
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↑3ヵ月間とはいえ、草原の暮らしには水が欠かせない。お隣のパオははるかかなただ。手前にあるのはゆで肉などを調理する鍋。

草原の暮らしについて話を聞いた。この時期、灼熱の日差しにさらされるフルンボイル平原は、9月になると雪が降り始めるそうだ。1年の大半は雪に覆われ、厳冬期にはマイナス40度以下になるという。ちょっと信じられない話だった。

内蒙古の草原を訪れ、意外に思ったことが他にもいくつかあった。近代的な工場があちこちに建てられていたし、丘陵の尾根には風力発電の巨大プロペラが延々と並んでいた。かつて遊牧民だった彼らの暮らしが大きく変わってしまったのも当然だろう。

モンゴル族の多くはずいぶん前から都市で定住生活を送るようになっている。それでも、1年のうち、雪が溶け、草原が狐色に染まる5月末から8月中旬までの間、スー・チンさんのようにパオ暮らしをする人たちがいる。パオは彼らにとって夏を心地よく過ごすための居場所なのだ。「町で暮らすよりパオのほうがずっといい。自由だから」と彼女は話す。

スー・チンさんは「日本人も私たちと同じ顔をしているのね」と笑った。お隣に暮らす最も身近な外国人であるロシア人に比べればずっと自分たちに近いと感じるのだろう。

国境の町、満洲里のホテルでロシア人ダンサーは舞う


スポットライトがステージに照らされると、にぎやかな音楽とともにロシア人ダンサーが一斉に現れた。華やかな衣装に身を包んだ彼女たちは、ロシア歌謡に合わせて舞い、ブロードウェイ風に踊り、サーカスの曲芸のようなパフォーマンスまで見せた。それは、話に聞く1930年代のハルビンのナイトシーンを思い起こさせる光景だった。
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↑観客は中国の国内客。ダンサーはロシア人。国境の町では、両国の経済力の差が「観る」「観られる」関係を決める。

内蒙古自治区フルンボイル平原の西端にある満洲里。龍港酒店という名のホテルで開かれるディナーショーは、ロシアとモンゴルにはさまれた国境の町の夏の風物詩である。ステージに登場するのは、ロシア娘たちだけではない。地元のモンゴル族の人気歌手による歌謡ショーや馬頭琴などのエキゾチックな演奏もある。

ホテルの宴会場では、この地が短い夏を迎える3カ月間、1日2回のショーが行われている。1年の大半を雪に閉ざされるこの町に、国内外の観光客が訪れるのはその時期しかない。ショーの花形であるロシア娘たちは、お隣の国から来た出稼ぎダンサーだ。

ロシア語で「満洲(Маньчжурия)」 を意味するのがこの町の名の由来である。1901年にロシアが東清鉄道の駅を開業したのが始まりで、以来モスクワと極東ロシアのウラジオストクを最短で結ぶ鉄路の要衝となった。戦後、シベリア鉄道の中露国境駅のある最果ての地として、ヨーロッパに向かう日本人旅行者が車窓から眺めた時期もあった。ここ数年前まではロシアから運ばれた木材の集積地として投資が盛んに行われ、バブル景気に沸いていたが、それも中国とロシアの経済減速によって過去のものとなったと地元の人は話している。それでも、市内には一時期の名残のように、高層ビルがいくつか建っている。
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↑満洲里駅にはロシアからの木材が積まれた車両が並んでいる。かつての好況はもはやないが、駅裏には高層ビル群が見える。
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↑短い夏の間、市内は派手なネオンで彩られる。道を歩く大半は中国の国内客だが、ロシア人の姿も見られる。
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↑内蒙古の草原のもうひとつの意外な光景は、白黒斑の乳牛が多く草を食んでいること。草原の産業化が進んでいる。

いまでは草原観光の起点として、中国国内の都市部の人たちが多く訪れるようになっている。高層ビルの林立する過密都市に住む彼らが、地平線のかなたまでなだらかな丘陵や草原の続く内蒙古の風景に憧れてしまうのも無理はない。草原の一本道をレンタカーでドライブすることは、国内レジャーの一大ブームとなっているのだ。
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↑シベリア鉄道の中露国境は、数年前までは観光地として外国人も訪れることができたが、2016年夏には入境禁止になっていた。

この町には、もうひとつの顔もある。中露国境観光(ボーダーツーリズム)の発地としてである。陸路の国境に囲まれた中国の人たちは、お隣の国への気軽な旅を楽しんでいる。

満洲里発の日帰りロシア観光では、朝6時にバスで国境ゲートを抜け、お隣の町ザバイカリスクへ。そこから約140km離れたクラスノ・カメンスク(红石市)を訪ね、ロシア情緒とグルメを楽しむという。日本人がこのツアーに参加しようと思ったら、入国地を記載したロシア観光ビザを事前に取得する必要がある。いつの日か参加してみたいものだ。

撮影/佐藤憲一(2016年7月)

中国の最果ての地、満州里からロシアへの日帰りボーダーツーリズム
http://inbound.exblog.jp/26545706/
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by sanyo-kansatu | 2017-03-22 15:15 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 03月 21日

今年も欧米客が1年で最も増えるイースター(復活祭)休暇が始まります

今日(3月21日)、首都圏では早くも桜の開花宣言が出ました。

日本の春の到来を告げるのは桜ですが、キリスト教圏の国々にとって同じ意味を持つのは、キリストが復活した日を祝うイースター(復活祭)です。彼らにとって1年で最大のお祭りといっていいでしょう。この時期、欧米の人たちは旅行シーズンを迎えます。そのため、日本を訪れる欧米客の数が最も多くなるのが、3月~4月にかけてです。

ここ数年、この時期になると、都内でも欧米客の姿が目立って増えます。日本を訪れる外国人のうち、欧米客の占める比率は10人に1人にすぎない少数派なのですが、彼らの姿はどうしても目につきます。10数時間もの長いフライトをかけてわざわざ日本を訪ねてくれる「遠来の客」を歓迎したくなるのは自然の感情でしょう。

実際、ここ数年の欧米客(ヨーロッパと北アメリカ)の月別訪日数の推移(JNTO)をみていると、明らかにこの時期(3~4月)が最も多いことがわかります。

国籍/月別 訪日外客数(2003年~2017年)
http://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/since2003_tourists.pdf

たとえば、2016年は3月27日がイースターでしたが、ヨーロッパの訪日客の月別数は単月では10月がトップではあったものの、その前後の月は少し落ちるのに対し、3月、4月は10月に次ぎ多い月となっています。2015年のイースターは4月5日で、同様でした。2014年はイースターが4月20日で、単月トップは4月でした。実を言えば、この傾向は何十年間ずっと変わっていないといえます。
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イースター休みに渋谷スクランブル交差点に出没した外国人をシューティング(2015年 04月 11日)
http://inbound.exblog.jp/24348359/
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イースター(復活祭)休暇中の京都、大阪はにぎわってました(2016年 04月 07日)
http://inbound.exblog.jp/25634021/

2017年のイースターは4月16日です。

今年は桜のシーズンと欧米客の多いイースターが重ならない(あくまで本州をメインに考えた場合)という意味で、2014年に近いのですが、桜の開花も例年より少し早そうなので、イースター休暇に日本を訪れる欧米客には桜のシーズンはもう終わっていることになりそうです。

ところで、イースターに旅行に出かけるのは欧米客だけではありません。英国領だった香港人の中にはイースター休暇を取る人もいます。また東南アジア華人の中にはキリスト教徒もけっこういるし、フィリピンの人たちも同様で、イースター休暇は旅行のシーズンです。

もうすぐ1年で訪日旅行市場が最も華やいで見えるシーズンが到来します。今年はどんな新しい話題が出てくるか、楽しみです。
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by sanyo-kansatu | 2017-03-21 16:51 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2017年 02月 10日

中国客の『君の名は。』聖地巡礼が起きたのも、岐阜県の地道な取り組みが実を結んだ結果

先日、ネットに岐阜県が舞台の『君の名は。』聖地巡礼の話が出ていました。実は、そろそろこの話が出てくる頃だろうと友人と話していました。

ここは岐阜県飛騨市、JR高山本線の飛騨古川駅だ。昨年8月に公開されて大ヒットを記録した映画『君の名は。』のヒロイン・三葉が住む山里のモチーフのひとつになったことで、「聖地巡礼」(アニメの舞台となった土地をファンが実際に訪ねる旅行)の観光客が増加している。

作中で主人公が利用した図書館のモチーフになった飛騨市図書館も「巡礼地」のひとつだ。飛騨市によると、『君の名は。』展示がおこなわれている同図書館内で写真撮影を申請した人数は、昨年8月26日から12月31日までの約4ヶ月間で3万6200人に達した。

そのなかに少なからず含まれているのが、台湾・香港・中国など東アジア各国からのファンである。特に昨年12月に中国で作品公開がはじまり、同国の日本アニメ映画興行記録の歴代1位となる大ヒットを記録したことで、中国大陸から飛騨古川を訪れる人も増えた。


『君の名は。』聖地に“リア充”中国人集団が殺到中(文春オンライン2017/02/08)
http://bunshun.jp/articles/-/1325

この記事によると「春節期間前後の中の1月25日から2月3日まで、市内の『まちなか観光案内所』を訪れた外国人客の合計は566人」。内訳は以下のとおり。

台湾人……218人
中国人……134人
香港人……134人
シンガポール人……28人
タイ人…‥25人
韓国人……15人
マレーシア人……12人

やっぱり、台湾客がいちばん多かったのですね。映画の公開が早かったこともあるでしょうけれど、この種の話題にいち早く食いつくのは、台湾の人たちです。

興味深いのは「食堂のノートに残された正しき「巡礼」の足跡」という話です。

「市内の食堂に置かれたメッセージノートのページをめくると、英語や中国語・韓国語・広東語の書き込みも目立つ。自作のイラストを描いている人もおり、正しき「聖地巡礼」の姿を感じさせた」

そして、実際の書き込みの写真が載っています。中国のネット上にはこの種の書き込みはあふれていますが、生書き込みを見ることは少ないので、面白いです。

記事はこう結ばれています。

「爆買い現象が一段落し、さらに今年の春節では中国人ツアー客の大幅な減少を伝える報道も出ている。そんななか、地方のインバウンド誘致の新しいパターンとして、飛騨古川の事例はなかなか興味深い話と言ってよいのではないだろうか」

全体にちょっとはしゃぎすぎのようにも思えますが、いま日本各地で起きていることをわかりやすく伝えています。

というのも、この種の中国客の「聖地巡礼」の話題は、これまでも『スラムダンク』の鎌倉高校とか前例はいろいろあるからです。

「スラムダンク」の舞台『鎌倉高校前駅』―中国・台湾観光客のやりすぎ記念撮影(JCASTテレビウォッチ2015/8/12)
http://www.j-cast.com/tv/2015/08/12242532.html

先月、本ブログで紹介した台湾人監督による短編映画がきっかけで、北海道の無人駅を訪ねる中国客が現れて、ちょっと困っているという一件も、「聖地巡礼」系の話でしょう。

北海道のローカル駅の線路に入る「危ない訪日客」が出没する理由がわかってしまいました (2017年 01月 14日)
http://inbound.exblog.jp/26555234/

さて、アニメヒット作のおかけで、にわかに岐阜県の注目度がアップしているように思われた方もいるかもしれませんが、実はそれだけではなかったという話を簡単にしておきたいと思います。

岐阜県のインバウンド誘致の取り組みには、以前から定評があったんです。背景には、岐阜県の弱みがありました。端的にいうと、国際線が乗り入れている空港がなく、都市部から時間がかかるというアクセスの悪さです。その一方、飛騨高山の古い街並みとそこに住む人々、世界遺産の白川郷のような他にはない強みがありました。

大事なのは、その弱みを逆手にとって、自分なりのやり方でプロモーションをしようと考える人材が岐阜県にはいたことです。その方が始めたのは、地元が十分受け入れ可能で、本当に来てほしい層を呼び込むのに有効なSTPマーケティング(セグメント、ターゲティング、ポジショニングを設定した手法)の具体的な実践でした。

その一連の話をぼくは最近書いた日経BPネットの以下の連載で紹介しています。

知名度がなくアクセスも悪い観光地をどうプロモーションするか(日経BPネット2016年12月27日)
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/IB-BU/122600027/
知名度がなくても始められる「旅行体験共有会」という手法(日経BPネット2017年01月30日)
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/IB-BU/012700028/
個人旅行の時代には口コミの核になるファンを集めよう(日経BPネット2017年01月31日)
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/IB-BU/012700029/

記事では、岐阜県が2010年頃から地道な取り組みをしていたことを紹介しています。岐阜県の担当者と二人三脚でプロモーションに取り組んだ上海側のPR会社の日本人がどういうことをやってきたか。ぜひ目を通していただけるとさいわいです。

こういう下地があってこそ、今回の話につながったのだと思います。

いま岐阜県が、このテーマで記事に出てくる「旅行体験共有会」をやったら盛り上がりそうですね。
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by sanyo-kansatu | 2017-02-10 07:42 | 気まぐれインバウンドNews | Comments(0)
2016年 12月 28日

パクリ疑惑の上海「大江戸温泉物語」は笑えるけど、中国にはもっと面白くて刺激的な日本式温泉がある

先日、ネット上にお台場にある「大江戸温泉物語」のパクリ施設が上海にオープンしたとの疑惑告発記事が載りました。

上海の温浴施設にパクリ疑惑 「大江戸温泉物語」そっくり 日本側は関係否定、中国側は「調印済み」主張(産経ニュース2016.12.24)
http://www.sankei.com/world/news/161224/wor1612240041-n1.html


中国上海市の宝山区にオープンした温浴施設をめぐり、日本国内で温泉旅館などを運営している「大江戸温泉物語」(東京都)の店舗の模倣ではないかとの疑惑が浮上している。上海の温浴施設は同じ名称を使い、店舗の外観も酷似している。

日本の同社は「海外のいかなる企業や団体とも資本提携、業務提携は行っていない」と上海との関係を否定した。

一方で、上海の運営会社「上海江泉酒店管理有限公司」では、「2015年11月に中国での名称使用を授権した契約に調印している」などと強硬に反論しており、今後、日中双方のトラブルに発展しそうだ。

上海の運営会社は、日本の「大江戸温泉物語株式会社」が発行したとする日本語と中国語で併記の「公認証明書」も公表。「18年10月まで公認ビジネスパートナー」と主張している。
中国版のツイッター「微博」に開設された公式サイトによると、入館料は大人1人が138元(約2300円)。名称のロゴや大浴場、レストランや漫画が読める畳敷きの部屋まで、東京都江東区にある「東京お台場・大江戸温泉物語」にそっくりな作りという。


大江戸温泉物語
http://www.ooedoonsen.jp/

上海で人気の日本のスーパー銭湯「極楽湯」(これは本物)を訪ねたことがあります。若い女性を中心ににぎわっていたので、いまの中国では日本の温浴施設が広く受け入れられているのだなあと思いました。だから、新たに浮上した「パクリ疑惑」だなんて、いかにも中国らしい話です。

上海の「極楽湯」はありがたい存在だけど、料金は「日本の3倍」の意味するもの(2016.6.24)
http://inbound.exblog.jp/25944594/

すると、数日後には現場を検証するこんな記事が出てきたので、やれやれと思いました。

パクリ疑惑の上海「大江戸温泉物語」に行ってみた
「日本人が指導にやって来た」と主張する従業員(JB PRESS2016.12.27)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48789

このルポ!?では、実際に上海の「大江戸温泉物語」に行って、お風呂や食事などのクオリティを日本人の感覚に照らしてあれこれ評価を下していますが、どうやらまずまずのようです。

とはいえ、最も基本的なつっこみをするとすれば、上海市内に「温泉」が出るとは思えないことです。地中を何千メートル掘ったとしても。そうでないのに「温泉」を名乗ることに、この施設の弱みがあります。

それもそうですが、さらにおかしいのは、日中双方の関係者が「業務提携」をめぐって対立していることです。この記事では、上海側に(正式な取材とも思えないのですが)その点を問い質しています。記事にはこうあります。

「その従業員によると、オープン前に中国側の従業員12人が東京へ研修に赴いており、また東京からも日本人が従業員の指導に上海に来ていたといいます。「提携について双方の現場は把握していたが、幹部層が知らなかっただけではないのか?」という見解を述べていました」

この発言はいかにも中国人らしくて、つい声を出して笑ってしまいました。こういう言い方するんですよね、彼らは。

筆者はその後、日本の熊本県庁くまもと商標推進課に上海の大江戸温泉物語でくまモングッズが販売されている件について電話取材を行ったそうです。

「最初に尋ねたのは、当該施設の売店内に展示されていた、日本語で書かれたくまモングッズの商品販売委託契約書についてでした。その契約書中には、熊本県庁から販売が許諾されているという日本の業者名が書かれてありました。その日本の業者に対して熊本県庁は実際にグッズの取り扱いを許諾しているのかを確かめたところ、その点については事実で間違いないという回答が得られました。

ただし、その担当者は、「(県庁が)問題視しているのはグッズ販売ではなく、当該施設の内装にくまモンのデザインを使用している点です」と述べました。中国側の業者に対して許諾は出しておらず、現在も抗議を行っているとのことでした」

「施設の内装にくまモンのデザインを使用している点」に抗議? でも、いまの中国人でこの種の抗議に聞く耳を持つ人はいるのでしょうか。大いに疑問です。

さらに、筆者は商標使用権問題の当事者である日本の大江戸温泉物語に電話取材を行っています。

「同社は既に12月22日付で「いかなる海外企業との資本・業務提携を行っていない」という発表を行っています。そこで筆者は、従業員との話に出てきた、中国側従業員の研修を受け入れたという話が事実かどうかについて尋ねてみました。すると同社からは「22日の発表の通りです」という回答しか得られず、否定も肯定もはっきりとは行われませんでした」

あれっ? これはどういうことでしょう。そして、記事はこう結ばれます。

「筆者の企業取材の経験から述べると、何かしらあったのではないかと疑わせるような対応と言わざるを得ず、案外、話を聞いた従業員の言っていた通りなのではないかという可能性も否定できません。この件については双方の対応をもっとじっくり見続ける必要があるのではないかというのが筆者個人の見解です」

このしりきれトンボ的な記事を読んで最初に思ったのは、これに類することは、これまで日中間で数え切れないくらい起きていただろう、ということです。

たとえば、これは商標使用権問題ではないのですが、日本の100円ショップそっくりの中国版<10元ショップ>の「メイソウ(名創優品)」のことをご存知でしょうか。
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MINISO
http://www.miniso.jp/

この10元ショップ、日本のダイソーと無印とユニクロをパクったといわれています。

中国で急拡大中!ダイソーと無印とユニクロをパクったチェーン店「メイソウ」がヤバすぎる
https://matome.naver.jp/odai/2139800287435985001

敵もさる者、実際には中国企業なのに、店内に日本語表示を多用するなど、まるで日本企業の出店であるように見せているところがあざといのです。しかし、よく考えてみれば、英語やフランス語のブランドイメージを活用するのは、日本でもかつてはよくあったこと(いや、いまでもそう。いかに欧文名の企業名や商品名が多いことか)。これをパクリと言われてしまうと、みんな困ってしまうことでしょう。

もしメイソウの経営者にその点を指摘したら、「イメージ戦略として使っているだけのこと。100円ショップのオリジナルは日本なので、日本風に見せることは当然」と答えるのではないでしょうか。

上記サイトをみると、どんな商品が売られているかわかりますが、おそらく日本の100円ショップチェーンが中国でつくらせていた工場で、中国国内向けの商品を大量発注しているのではないでしょうか。要するに、彼らは日本のビジネスモデルをそのまま真似して、巨大な中国市場に打って出たのです。

ぼくは3年前上海の南京路でこの店を見かけたのが最初ですが、今夏、東北地方の田舎町でもずいぶん見かけました。

さらに、驚くべきは、この中国版10元ショップの「メイソウ」が、中国国内だけでなく、オーストラリアなど、海外市場へも展開中なのです。

日本の100円ショップチェーンが海外進出にもたもたしているうちに、日本のやり方をパクった彼らはすでに世界を相手にし始めています。こういうのを見るとき、(すべてとはいいませんが)日本企業というのはなんて残念な存在なのだろうと思わざるを得ません。なぜなら、本来自身は固有の価値を持つにもかかわらず、自らの市場価値を正確に推し量ることも、その可能性を想像することも、海外の市場の動きをつかむことも、できないように見えるからです。

話を戻しましょう。日本の温浴施設が中国で支持されていることは、上海のみならず、地方都市でも続々登場していることからもうかがえます。

今夏、ぼくは中国遼寧省の瀋陽や丹東でも、「江戸」をネーミングに採り入れた、ある意味きわどい日本式温浴施設に足を運んでいます。

たとえば、瀋陽にあるのは「大江戸温泉」といいます。

瀋陽大江戸温泉
http://www.ooedo.cn/

ここは「極楽湯」の世界そのものでした。あえて「極楽湯」と比べたのは、同施設の関係者に聞く限り、地中を深く掘った温泉だということですが、本当なのかどうか怪しい気もするからです。しかし、コストをそれなりにかけているせいか、岩盤浴などの施設は日本よりはるかにゴージャス。しかも、料金は上海の半額くらいで良心的。遼寧省の冬は寒いので、地元でも人気だそうで、今年10月、市内に2号店ができたばかりです。

そして、極め付きはこれ。丹東の「江戸温泉城」です。
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北朝鮮の町並みが露天風呂から丸見え!?  丹東の「江戸温泉城」にて(2016. 12.11)
http://inbound.exblog.jp/26446784/

上記記事を読んでもらうとわかるとおり、中朝国境最大のまち、丹東にある日本式の温泉施設で、5階の露天風呂から鴨緑江をはさんで、なんと北朝鮮の町並みが望めるのです。なんと刺激的な温浴施設でしょう。中国ならではといえます。

そして、これらの両施設はともに日本の専門業者が設計を担当しています。ですから、施設のクオリティは、少なくともハード面では日本と変わりません。あとはサービスの質をいつまで維持できるか。さきほどのパクリ疑惑がささやかれている上海の「大江戸温泉物語」も、基本的に同じなのではないでしょうか。

つまり、上海の「大江戸温泉物語」も、設計は日本の業者が担当しているのでは、と考えられます。

ですから、今回の「疑惑」に関しても、彼らに話を聞くのがいちばん早いのでは、と思うのですが、どうでしょう。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-28 22:48 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2016年 12月 21日

蘇る「音楽の都」ハルビン

1920年代、上海や天津に出現した外国人租界では、世界各地から訪れたエミグラントたちが仮初の西欧文化を謳歌していた。同じ時期、遠く離れた中国東北部の新開地だった黒龍江省のハルビンにも、ロシア人やユダヤ人が押し寄せ、可憐な文化の華を咲かせていた。ハルビンは「極東のパリ」と呼ばれたが、上海との違いがあるとすれば、ロシア革命を逃れてきたユダヤ人音楽家が多く留まっていたことだ。この数奇なめぐり合わせは、今日のハルビンが自らのアイデンティティを「音楽の都」とする理由になっている。
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↑2015年12月に完成したハルビンオペラハウスの大ホール。1600人収容可能なホールの内壁は硬質で弾力性に富む黒龍江産のヤチダモの木で仕上げられている。音響効果も抜群
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↑雪原が風によって削られたかのように波打つ外観のデザインは、北京の建築事務所、MADアーキテクツが設計した

ハルビンがエミグラントのあふれる「音楽の都」だった頃

「八月十五日の昼ごろ、ベートーヴェンの『運命』か何か練習していたら、特務機関から正午の放送を聞くようにという電話がありまして、ラジオを持ってこさしてかけたら、一番最初『君が代』で、「立てーッ!」つってロシア人を立たしたら、陛下のお言葉で旗色がよくないんですな」

このどこかとぼけた述懐は、戦前戦後にかけて活躍した名指揮者による回想集『朝比奈隆 わが回想』(中央公論社 1985年)の一節である。昭和19年5月、彼は満洲に渡り、当時の首都新京(現在の吉林省長春)とハルビンで交響楽団を編成し、指揮を務めていた。日露中の混成楽団と一緒に、ハルビンで日本の終戦勅語を聞いたのである。

このエピソードは何を物語るのか。日本が昭和のある時期、中国東北部に勢力圏を置いていたという歴史もそうだが、それ以上に、ハルビンという都市のユニークな成り立ちがわかる。ハルビンは1896 年の露清同盟条約終結後、ロシアが東清鉄道を敷設するために拠点として開発した町だった。松花江沿いの小さな漁村は、瞬く間に西欧的な近代都市へと姿を変えた。

ハルビンにやって来たのはロシア人だけではなかった。1917年のロシア革命以降、多くのユダヤ人が亡命先として逃れてきたのだ。同じ時期の上海がそうであったように、ハルビンは1920年代に入ると、欧州各地から来たエミグラントであふれた。かつてハルビンが「極東のパリ」と呼ばれたゆえんである。

そのなかには、モスクワやサンクトペテルブルグで活動していた音楽家や演奏家の姿もあった。チェロ奏者である劉欣欣の著作『ハルビン西洋音楽史』(人民音楽出版社 2002年)によると、当時のハルビンには多くの観客を収容できる劇場や音楽ホール、映画館などの文化施設が建てられ、室内楽や交響楽、オペラが盛んに上演されていたという。特に市民が待ち望んだのが、海外から訪れた著名な音楽家らの公演だった。音楽教育も盛んで、東清鉄道が運営するハルビン音楽専門学校やユダヤ人バイオリニストが開校したグラズノフ音楽学校など、市内には4つの音楽学校があった。ハルビンはまさに北満の曠野に忽然と現れた「音楽の都」だった。

ハルビンの音楽家たちは当時の日本にも影響を与えている。20年代半ばには、ハルビンのオペラ歌劇団や交響楽団が日本各地を巡演しており、当時の日本人にとって初めての本格的な西欧音楽体験となった。

そんなハルビンの音楽文化は、中国建国後もソ連の影響を受けながら細々と受け継がれていたが、60年代の文革の始まりとともに終焉を迎えたかにみえたのである。
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↑黒龍江省博物館に行くと、1920~30年代のハルビンの音楽事情を物語るユダヤ人音楽家や劇場の写真などが展示されている
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↑ハルビンの音楽文化は当初、ロシア帝国による鉄道敷設とともに生まれたが、革命以降の音楽家たちの来訪が大きく貢献した
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↑1925年にユダヤ人学校に隣接して開校したグラズノフ音楽学校は36年に閉校。2014年に同じ名の音楽芸術学校として78年ぶりに蘇った
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↑巨大なシェル状の野外音楽堂では、夏になると交響楽団の演奏が行われた。老朽化したこの音楽堂は1980年代に撤去されてしまう
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↑グラズノフ音楽学校の隣にあった旧ユダヤ教会は、現在「老会堂音楽庁」という名の音楽ホールになっている。ユダヤの礼拝堂がコンサート会場として使われているのだ
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半世紀かけて音楽祭を続けたハルビンのサウンドスケープ

2016年夏、ハルビンの中央大街で開催された第4回「老街音楽祭」を訪ねた。

夕暮れ時を迎え、松花江の川風が頬を撫でる頃、かつてロシア語でキタイスカヤ(中国街)と呼ばれていた石畳の通りは、短い夏を惜しむハルビン市民や中国各地から訪れた旅客であふれかえっていた。

路上コンサートがあちこちで開かれていた。その舞台は、20世紀初頭に建てられたアールヌーボーやバロックなど、西欧のあらゆる建築様式が集積することから「建築博物館」と呼ばれている美しい通りと公園である。海外から多くの演奏家が訪れ、最もハルビンが輝いていた時代のサウンドスケープが蘇ったかのようだ。

13年夏に始まった「老街音楽祭」は、西欧列強のロシアを出自とするハルビンにとって“先祖返り”ともいうべき出来事だろう。厳冬期にはマイナス30度以下にまで冷え込み、氷雪祭りで知られる中国最北部に位置するこの町で、5月中旬から10月初旬まで、つまり夏の間中、音楽祭が開かれていることに、その本気度がうかがえる。

『ハルビン西洋音楽史』によると、ハルビンで最初の夏の音楽祭が開かれたのは1961年であるが、66年を最後に中断された。中国は長い政治動乱期に入り、開催どころではなくなった。

80年代の半ば、ハルビンを初めて訪れた私は、聖ソフィア大聖堂の大鐘が引きずり下ろされ、地べたに置かれたまま、物置として使われていたのを見た。文革時代には、ハルビンの象徴だったニコライ大聖堂が破壊され、跡形もなく消え去ったことも知った。音楽祭は79年に再開されたもの、その頃のハルビンには、音楽を楽しむ十分なゆとりなどなかったのだろう。

21世紀に入ると、ハルビンはかつての輝きを取り戻すように、徐々に変貌し始めた。煤けていた老建造物が磨かれ、現代的な装いをまとい出す。そうこうするうちに、ビジネスマンや留学生としてロシア人たちも舞い戻り、ロシア料理店も多数開店した。ハルビンの人たちは、たとえその頃自らが主人公ではなかったことを知っていても、確かに存在していた「音楽の都」に近未来の自画像を見ようとしているようだ。

考えてみれば、ハルビンは100年の歴史を有するに過ぎない都市だが、いまでは過去を知らない若いハルビンっ子たちが街を闊歩し、豊かさを謳歌している。聖ソフィア大聖堂の優美な姿は彼らの誇りだろうし、松花江沿いに生まれたハルビンオペラハウスは新しいシンボルといえる。これからハルビンがどんな音楽文化を奏でるか心待ちにしたい。
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↑松花江のほとりにあるロシア料理店「カチューシャ」は、ヤクーツク出身のロシア人女性とハルビン出身の男性とのカップルが経営している。カツレツやロールキャベツなど、ロシア料理の定番メニューを味わえる。ウェイターはロシア人の留学生で、イルクーツク出身のワーリャさん
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↑中央大街にあるモデルンホテルのテラスは、音楽祭のライブスポットのひとつ。毎晩18時半からさまざまな楽器の演奏がある。その日は珍しく中国琵琶の演奏が見られた。1906年開業の同ホテルはユダヤ人経営だった
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↑ハルビンの若いカップルが見つめるのは、1907年に創建されたロシア教会の聖ソフィア大聖堂。ネギ坊主形のドームはハルビンを象徴するアイコンだ

撮影/佐藤憲一(2014、16年7月)

※ハルビンの音楽祭に関する現地報道です。

中央大街开启“迷人哈夏”序幕第四届老街音乐汇彰显“国际范儿”(2016-05-17)
http://www.harbin.gov.cn/info/news/index/detail/431374.htm

ハルビン夏の音楽祭(公式サイト)
http://www.harbinsummermusicconcert.cn/
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by sanyo-kansatu | 2016-12-21 08:04 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2016年 12月 13日

神社の跡地にできた公園の展望台は北朝鮮を望む絶景スポット(中国遼寧省丹東市)

中国東北地方の各都市には、満洲国時代に建てられた神社の跡地があり、そこはたいてい公園となっています。大連の労働公園(大連神社跡地)がそうですし、今夏訪ねた内モンゴル自治区のフルンボイル市ハイラル区の市街地にある西山広場(ハイラル神社跡地)もそうです。
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中朝国境最大の町、丹東にもかつて神社がありました。安東神社です。創建は1905(明治38)年10月3日といいますから、日露戦争直後に建てられたことがわかります。
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当時の絵葉書をみると、巨大な鳥居の向こうにスロープ状の参道と小鳥居、拝殿が見えます。
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これが跡地で、当時もいまも錦江山公園といいます。以下は、今年7月に訪ねたときの写真です。安東神社の廃絶は、日本の終戦の1945年ですが、いまでは日本の鳥居が中華風の派手な門に置き換えられています。
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これが当時の参道です。
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拝殿に至る階段の手前に石橋が残っています。
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日本時代の年号などが塗りつぶされています。
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ここが拝殿跡地だそうです。
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公園は錦江山の山腹に広がっていて、市民の散策コースになっています。
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緑に囲まれた散策コースは整備されています。
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15分ほど登ると、高台に中華風の「錦江亭」という展望台が立っています。ここからは、鴨緑江の対岸の北朝鮮の新義州の町並みが見渡せます。
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この日は空がかすんでいて、はっきりとは対岸が見渡せませんでしたが、右手に見える丹東駅とその先に鴨緑江断橋が見えます。
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これではつまらないので、2012年夏に錦江山公園の東にある黄海明珠(テレビ塔)から見た写真をお見せしましょう。

鴨緑江遊覧ボートで見る中朝の発展格差をどう考える?(遼寧省丹東市)
http://inbound.exblog.jp/20510174/

鴨緑江をはさんだ中朝の経済格差は歴然としています。はるかかなたに見えるビル群は、旧市街地から政治機能を移転するべく開発が進められている丹東新区です。

ところで、錦江山公園にはもうひとつ「曙光閣」という展望台があるのですが、日本の天守閣を模した不思議な外観をしています。
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さらに面白いのは、「錦江亭」のそばの茂みの中に、「皇帝陛下安東地方巡狩紀念」と刻まれた石碑が立っていることです。
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「巡狩」とは、古代中国で天子が諸国を巡視したことを意味しますが、ここでいう天子は、満洲国皇帝溥儀のことです。

石碑の裏には、満洲国崩壊時に国務院政務長官を務めた武部六蔵の名が刻まれています。
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なぜこんなものがいまも残っているのか。旅順の二〇三高地の山腹に戦死した乃木希典大将の次男の保典の碑が置かれているケースはありますが、基本的に「偽」満洲国時代の石碑等は打ち壊されたはずでした。金州南山の乃木の句を刻んだ碑も倒され、台座のみしか残っていません(碑自体は、旅順日露刑務所旧址に展示)。こんなに堂々と石碑が立っているのはちょっと驚きでした。

地元の日本語ガイドの閻宇飛さんによると「いったん倒して山の中に埋めたのだが、2000年代に入って「愛国歴史教育」の素材として、土から掘り出し、同じ場所に置いた」そうです。
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まあいろんなことがあるものです。錦江山公園は約1時間もあれば散策できますし、何より北朝鮮の町並みが見渡せるので、ぜひ訪ねてほしいスポットです。
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これは1940年代の丹東(当時は安東)の観光マップです。確かに、駅の北側に安東神社があります。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-13 13:29 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2016年 12月 11日

北朝鮮の町並みが露天風呂から丸見え!?  丹東の「江戸温泉城」にて

大連在住の金橋国際旅行社の宮崎正樹さんがツィッターでこんなことを書いています。

丹東クレイジースポット3「丹東江戸温泉城」

「鴨緑江沿いに立地する和風テイストの天然温泉施設。衝撃的なのは眺望抜群の5階の露天風呂から対岸の北朝鮮が丸見えなこと! 写真は休憩処からの鴨緑江ビューで同一風景が露天風呂から眺望できます。実際の風景はご自身の目で‥これは行くしかない!」

https://twitter.com/gbt_miya/status/794818244662001665

はい、これは本当です。ぼくも今年7月、この露天風呂に行ってきました。
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丹東江户(日式)温泉城
中国遼寧省丹東市振興区鴨绿江大街196-6号
http://www.ddjhc.net/

あいにく梅雨空で、鴨緑江は濃霧に覆われ、対岸の北朝鮮の町並みを拝むことはできませんでしたが、確かに晴れた日であれば、のんびり岩風呂に浸かりながら、往来する中朝の漁船や新義州の様子を眺めることができるでしょう。
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館内は日本の温浴施設を模した畳敷きです。
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女性客が目に付きます。写真は館内着を選んでいるところです。
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浴衣姿のスタッフもいます。カメラを向けると、恥ずかしがられてピンポケしてしまいました。
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これが露天風呂です。
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ちなみにこのおじさん、丹東在住の日本語ガイドの閻宇飛さんで、最近彼は現地旅行サイト「丹東旅の友」(http://www.dandts.com/jap/)を立ち上げました。ここに来たのも、彼の案内です。
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鴨緑江がすぐ目の前です。
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館内には岩盤浴もあります。
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休憩室からも北朝鮮が眺められます。
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利用料金が39元とお値打ちなのも、うれしいところです。館内には日本料理店もあり、さらに詳しい写真はこの現地旅行サイトでご確認ください。
http://www.ly.com/scenery/BookSceneryTicket_228469.html?spm=1.68076534.6975.8

さて、この丹東江戸温泉城は、2012年頃から丹東新区の目玉アミューズメント施設として計画が進んでいました。オープンは今年の2月です。

ただし、それはマンションも併設したかなり大規模な複合開発案件です。温泉が使え、鴨緑江を望む高級マンションとして売り出されています。

施設の周辺は、これ以外にも多数のマンション建設が進められていますが、売れ行きはあやしいと言わざるをえません。ゴーストタウン化しているといわれても、否定できない印象です。

ここは丹東新区と呼ばれる、現在の市街地から西へ10数キロの場所です。中国の地方都市では、老朽化した旧市街からの政府機能の移転にともなう新区の建設が盛んです。これが地方経済の債務を膨らませている元凶ともいえます。江戸温泉城のそばには、北朝鮮と結ぶ新鴨緑江大橋も完成していますが、今年訪ねた折にも、まだ開通の見込みは立っていませんでした。経済格差がかつてなく拡大した結果、朝鮮側が中国からのヒトやモノの大量流入を受入れる準備が整わないからでしょう。

中朝陸の国境では兵士も農民も目と鼻の先(遼寧省丹東市)(2013.6.2)
http://inbound.exblog.jp/20536355/
「新鴨緑江大橋が半分くらいできた」と地元の人に聞きました(2013.6.6)
http://inbound.exblog.jp/20555737/
中国のニュータウン建設に強い違和感あり(中朝国境の街「丹東新区」にて) (2013.6.26)
http://inbound.exblog.jp/20643404/
中朝共同開発の工業団地「黄金坪」はいまだ停滞中(2014.12.30)
http://inbound.exblog.jp/23944634/
中朝新国境橋が完成しても開通できない理由 (2014.12.30)
http://inbound.exblog.jp/23944673/
これが2015年9月に完成した中朝国境に架かる新鴨緑江大橋です
http://inbound.exblog.jp/26452293/

そんな周辺事情はともかく、この施設の温泉の泉質は悪くありません。なにしろ丹東は、満洲国時代に日本が開発した「満洲三大温泉」のひとつ、五龍背温泉にも近いからです。

温泉エッセイスト山崎まゆみの満洲三大温泉めぐり
http://inbound.exblog.jp/17067247/

明治の文豪も訪ねた満洲三大温泉はいま
http://inbound.exblog.jp/23954021/

最近、上海では日本のスーパー温泉「極楽湯」が人気を博しています。

上海の「極楽湯」はありがたい存在だけど、料金は「日本の3倍」の意味するもの
http://inbound.exblog.jp/25944594/

東北地方の遼寧省でも、日本式の温浴施設が次々に登場しています。2015年5月、瀋陽に「大江戸温泉」(日本とは別資本)がオープンしていて、やはりぼくは7月に訪ねています。

瀋陽大江戸温泉
http://www.ooedo.cn/

まるでパクリじゃないかと言いたくなる人もいるかもしれませんが、欧米の新種のサービス施設が日本にオープンするときも、勝手に海外のブランド名を使ってしまうことは、最近は少なくなったかもしれませんが、かつては当たり前のようにありました。いまの中国はそんな時代だと思ってください。

これらの温浴施設は、たいてい日本の設計会社がデザイン、施工を担当していて、館内は日本と変わりません。地元でも人気で、今年10月には市内に2号店もできたようです。こちらは料金69元(平日)で、丹東より高いですが、上海に比べると半額近い安さです。清潔で快適な日本式の温浴施設は、今後も中国各地にオープンしていくことでしょう。日本のように、きちんと運営の質が維持できるかが、流行るかどうかのポイントだと思われます。

【追記】(2017.3.13)
テレビ東京の「未来世紀ジパング」で丹東の江戸温泉城が紹介されました。

中国の無料動画共有サイト「MioMIo弾幕網(MioMio.tv)」がアップしています。

未来世紀ジパング【シリーズ中国異変!「○○ブーム」に隠れた大問題】 - 17.03.13
http://www.miomio.tv/watch/cc314699/

この番組では中国の商標登録問題を指摘したかったようなのですが、それなら例の上海の「大江戸温泉物語」の事情をもっとつっこめばいいのにもかかわらず、そこはほとんど触れることなく(日本側が取材に難色を示したのかもしれませんけれど)、なぜ丹東の施設を紹介したのか、その理由がもうひとつわかりませんでした。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-11 12:40 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2016年 12月 11日

中国東北のレトロブーム「百年老街」と丹東のテーマパーク「安東老街」

中国東北地方ではここ数年、外国人租界のあった上海や青島、天津などで十数年前に起きていた1920年代を復古するレトロブームの東北版ともいうべき、テーマパーク「百年老街」が各地にオープンしています。

ただし、東北の場合は、南京条約(1842年)や北京条約(1860年)で開港された沿海都市のケースとは違い、ロシアの南進が顕著となった清朝末期の19世紀後半、山東省などから満洲へ移民労働者が大挙して渡り、各地に華人街ができていったという経緯から、「百年老街」と呼ばれているのです。実は、上海レトロブームでも「百年老街」というコピーが街を踊っていました。その便乗なんですね。
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2015年に遼寧省丹東市の駅の西にオープンした「安東老街」もそのひとつです。再開発されたレンガ造りのビルの中に100年前の古い町並みを再現したテーマパークで、同じような施設がハルビン(「老道外中華バロック歴史文化区」と「関東古巷」)にもあります。
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ビルに埋め込まれた中華門をくぐると、中華民国時代の町並みが続き、数多くのレトロなローカルフードの店や茶館などの飲食店が並んでいます。

ぼくが訪ねたのは今年7月下旬で、特にイベントらしきものはやっていなかったのですが、中国版検索サイトの「百度」によると、こう解説されています。

「民俗文化演艺是安东老街项目着力打造的经营特色,人力车、花轿、唱喜牌子、卖烟卷、磨剪子戗菜刀、老警察巡街等民俗行为展示全天不间断;每天11:30-12:30及18:30-20:30期间,阿庆嫂迎宾、朝鲜背夹子、三弦大鼓书、京剧、父女小曲、朝鲜族歌舞等组合在街道的固定地点进行表演;这样就在安东老街的街道上形成了固定与流动,点、线、面结合的全新表演形式,受到了来丹东旅游的游客及丹东市民的一致好评」。

つまり、館内で京劇の舞台や朝鮮族の舞踊、当時の路上芸人の見世物など、にぎやかな歌舞音曲の世界が繰り広げられるというわけです。ただし、常時というわけではなく、春節などの中国の祝日や夏と秋の行楽シーズンに行われ、その時期になると、1万人以上の人でにぎわうそうです。

「百度」には、その様子を収めた写真が掲載されていたので、一部を転載します。
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ところで、丹東に清朝が政府を置いたのは1876年のことです。当時は安東と呼ばれていました。館内には、100年の歴史を解説するパネルが展示されています。

これは清朝末期(1906年)の安東の区画地図で日本人が描いたものです。実のところ、日露戦争に勝利(1905年)した後、日本の勢力がこの地に入り込み始めたことから、この地域は発展していくことになります。当時はまだ鉄道や橋はありません。
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これはちょっと面白い写真です。当時、満洲を牛耳っていた張作霖と戦前の大倉財閥の設立者である大倉喜八郎のツーショット、1913年に撮られたものです。
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当時、安東は長白山系から伐採され、鴨緑江を下ってきた木材の集積地となっていました。張作霖と日本の関係は、この頃まではWinWinだったようです。
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鴨緑江に浮かべられた大量の木材を撮った当時の写真です。
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これが初期の安東の町並みです。
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これは辛亥革命(1911年)後の中華民国期の最も安東が栄えた頃の町並みです。「安東老街」はこの時代を再現したものだと思われます。
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これは張作霖の息子、張学良が1930年に書いた雑誌の題字です。
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その頃の鴨緑江の様子を撮ったものです。
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満洲事変(1931年)後、安東は完全に日本の勢力圏に置かれます。心なしか町並みが、日本の昭和の地方都市のような整然とした雰囲気に見えます。
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満洲国建国後は、多くの日本人がこの地を訪れ、「安東遊覧案内図」なる観光マップもつくられます。
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さて、館内に点在するように置かれていたパネルはだいたいこんなところですが、丹東に再現された「百年老街」の歴史的経緯が比較的まっすぐに伝えられていて、興味深いです。

というのは、同じ丹東にある鴨緑江断橋にも、この100年の歴史を解説するパネルが置かれているのですが、そちらは中国共産党史観そのもので、あまりに対照的だからです。朝鮮戦争時に米軍の爆撃で落とされたというこの橋の来歴からすれば、そうなるのは無理もない気がしますが、「百年老街」に一部ぼんやりと垣間見られる「歴史認識」は、この地域に住む中国の一般の人たちからみると、全国共通の判で押したような共産党史観だけでは語れない、地域固有の歴史があることを感じさせます。

鴨緑江断橋の展示に見られる中国の歴史認識がわかりやすい
http://inbound.exblog.jp/24016035/
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by sanyo-kansatu | 2016-12-11 11:40 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2016年 12月 05日

外国客で行列のできる店 並んでわかった集客に成功した理由

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最近、外国客で行列のできる飲食店を見かける。なぜ彼らはその店だけに並ぶのだろうか。店側はどんな対応をし、集客を図っているのか。モノは試し。実際に、外国客に交じって行列に並んでみた。そこから見えてきた各店のノウハウとは――。

最初に訪ねたのは、JR池袋東口の明治通り沿いにあるラーメン店「無敵家」。

この店は、もう3年以上前から行列ができている。今回、筆者は初めて行列に並ぶことにした。

10月下旬の平日の午前12時少し前に店を訪ねると、明らかに外国客と思われる人たちばかりが列をなしていた。
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↑若いカップルや女性同士、小グループ客などいろいろ。アジア系が多く、自撮り好き?
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↑店の横脇に英語、中国語(繁体字)、タイ語で、列を並ぶ際の注意事項などが書かれている

行列を体験として楽しむアジア客たち

たまたま筆者の列の前にいたのが、キャリーケースを引いた中高年の男性。行列客としてはちょっと珍しいタイプで、試しに中国語で声をかけてみた。

「どちらからいらしたのですか? この店をご存知でしたか?」

すると、中国語がわかる相手がいたことに喜んだ彼は「北京から来た」と答えた。

「ひとりで日本に来ているんですか?」
「そうだよ」
「ホテルはどこに泊まっているんですか?」
「池袋に知り合いが住んでいるので、そこにね」

「この店、どうして知っているんですか? やはり微信(WeChat)?」

すると彼は「行列ができているのを見たからね。こういう店はうまいに違いないと思ったんだ」という。

少し意外だったのは、かつてこの年代の中国の人たちは外食の際、行列まですることはなかったからだ。それでも、最近の人気レストランでは、店の1階が広い待ち合いスペースになっていて、お茶やソフトドリンクなどを提供し、席が空くまで客を待たせているような店も増えている。「うまい店=待つのは当然」という認識が一般化してきたようだ。

「無敵家」では、店を早く回転させるために、行列客にメニューを渡して入店前に注文を取っている。そこで筆者は彼のために中国語のメニューを取り寄せた。
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↑彼は中国語のメニューを見ながら「のうこく麺(780円)」を注文した

並んでから約20分。入店が近づいてきた。入り口近くに、外国語併記で列を並んでもらうことへの店側のお詫びが書かれている。
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↑同店はトリップアドバイザーのグルメ分野、豊島区の口コミ数ランキングで堂々1位(2015年)。これが行列のできる理由だ

店内はカウンター17席と広くはない。空席がそこしかなく、彼と隣り合って座ることになった。しばらくすると、のうこく麺が出てきた。
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↑同店には英中韓タイ4ヵ国語のメニューが用意されている
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↑海苔に白地で英語と中国語で「welcome」と書かれていた

「どう、おいしい?」と聞くと、「还可以(悪くない)」と彼は答えた。いろいろ世話を焼いたお礼にビールをおごるという。彼の面子に応えるためにふたりで乾杯することに。

外国客で行列のできる店には、そこかしこに彼らを迎え入れるサービスが用意されている。多言語化されたメニューもそうだが、近所に迷惑がかからないように行列時の注意が書かれた告知もそう。一方、外国客は行列を体験として楽しんでいる印象だ。それが可能となるのも、彼らがSNSを通じて、この店は行列するものだとあらかじめ知っているからだ。それも含めて「無敵家に行ってきたぞ」とSNSで自分の追体験を報告できることが楽しみなのだろう。

麺創房 無敵家
http://www.mutekiya.com/

体験のすべてがネットに公開されている

次に並んだのが、渋谷にある「牛かつ もと村」。豚カツ同様に牛肉を衣に包んで揚げた料理一品のみの定食屋である。

11月上旬の午後1時、JR渋谷駅東口から明治通りに沿って恵比寿方面に向かって少し歩くと、すぐに行列が現れた。
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↑30人近い行列。ざっと見た感じ、外国客も多い

この店は9席しかないため、結局、1時間半も並ぶことに。筆者の列の後ろに韓国人の若いカップルがいたので、「どうしてこの店知ってるの?」と聞くと、韓国の旅行情報サイトで評判だという。
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↑彼女がスマホでみせてくれたのが、naver(http://section.blog.naver.com)というまとめサイト

ソウル在住のフォトライターの堀田奈穂さんによると「naverは韓国で最も多く利用されているまとめサイト。naver blogについては、IDを持っているとさらに詳しく見たり、コメントのやりとりができる」という。

実際に、同店を紹介するページをみると、外観から店内、料理まで細かに写真がアップされている。この店の特徴であるレアなカツの断面を見せたり、石板で肉のレア面を焼いているカットなど、ここで体験できるほぼすべてのことが写真で公開されている。これが初めてこの店を訪れる韓国客に安心を与えているようだ。いったん揚げたカツを自分の好みに合わせてさらに焼くというひと手間も、他の店では体験できないことかもしれない。

「牛かつ もと村渋谷店」を紹介するページ
http://choys0723.blog.me/220802039236
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↑「牛かつ もと村」の定食。最近、ソウルにも牛かつの店があるという

背景にアジアの食の多様化がある

それにしても、韓国人はそんなに日本料理が好きだったのか?

前述の堀田さんは言う。「韓国では日本食は単なるブームというよりは、定着に近い気がする。うどん、ラーメン、ハンバーグ、焼き鳥、いろいろある。ブログ全般についていえることは、お金をもらって書くパワーブロガーが書いたものとは違う、個人の経験によるブログを見て、飲食店や旅行先の情報収集するのが主流のようだ」。

宣伝臭の漂うプロのブロガーではなく、一般の個人客の体験を載せたブログの好感度が高いのは、それだけ韓国でも日本への個人旅行が一般化しているからだろう。

韓国における日本食の定着ぶりについては、コリアン・フード・コラムニストの八田靖史さんが今春上梓した『食の日韓論』(三五館)に詳しく書かれている。いま韓国では、日本の外食チェーンが驚くほど出店している。

八田靖史さん「韓食生活」
http://www.kansyoku-life.com/

だが、素朴な疑問がある。日本を団体旅行する韓国人を乗せたバスの運転手に聞くと、彼らの多くはトウガラシを持参して日本に来るという。日本の料理は刺激が足りないからだ。ではなぜ日本食は韓国で定着したのだろうか。

その点を堀田さんはこう説明する。「トウガラシを朝鮮半島に広めたのは日本であり、元々辛い物ばかり食べていたわけでは決してない。とんかつ、おでん、うどんなども日本の統治時代に入ったもの。近年では、諸外国の食べ物が東京のようにソウルなどの都市では普通に食べられるようになり、留学や渡航経験のある若者の影響などもあって、食の多様化が進んでいる。テレビ番組やインターネットの情報も大きい。

いまソウルのデパ地下は東京と遜色ない。日本人と同様で、辛い物は辛い物として食べるし、辛くないものはそのまま食べる、という感じだと思う。トウガラシを持って海外へ行くのは全員ではないし、海外の食文化を楽しむ傾向にある」。

同様の事情は中国でも上海などの経済先進都市では共通している。日本食のチェーンが多数出店していて、ラーメンの一風堂、丸亀製麺、CoCo壱番屋、サイゼリアなどもある。こうして若い世代を中心にアジアの都市では日本食の普及と食の多様化が進んでいるのだ。

おそらく彼らは、自分の国にはまだ出店していない日本の外食チェーンやグルメの流行を見つけて楽しんでいるのだろう。

独自のシステムを体験する面白さ

外国客で行列のできる店といえば、広く知られているのが一蘭ラーメンかもしれない。

では、一蘭ラーメンにはいつ頃から、どんな理由で外国客が行列するようになったのか? 同店の広報・宣伝担当の三浦卓さんに話を聞いた。

-いつ頃から外国客が現れるようになったのか。そのきっかけは何だったのか。

「いつ頃からとははっきり言えないが、特に増えたのは3~4年前から。やはり口コミで広がり、フェイスブックやインスタグラム、微信などのSNSによるものだと思う。

もっとも、すでに10年以上前から外国客は、いまほどでなくてもいた。一方、全国に62店舗展開しているうち、すべての店に外国客が来ているのではなく、渋谷や新宿、池袋、浅草などの外国人観光客の多い特定の店に限られる。JR渋谷駅に近い渋谷店は行列ができるが、スペイン坂店には少ない。これもSNSの影響だと思う」。
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↑今回訪ねたのは、新宿3丁目店。アジア客が多いが、白人女性や黒人男性も並んでいた

-どの国の人たちがよく訪れているのか。

「多いのは、中国や台湾、香港、東南アジアの方だが、最近は欧米の方も増えている。当店のとんこつスープには臭みがないので、欧米の方にも親しんでいただけると思っている。また替え玉という博多ラーメン特有のサービスが体験できることも魅力かと」。

-一蘭ラーメンに外国客の行列ができる理由は何だとお考えか。

「3つあると考えている。まず、SNSで「イイネ」が海外に拡散されたこと。これがご来店の最大の動機になっていると思う。

2つめは、創業以来変わらないとんこつラーメンの味への支持だ。

3つめは、食券購入や独自のオーダー記入用紙、仕切り壁の食空間という独自のシステムを体験してみたいということではないかと思う」。
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↑仕切り壁に隔てられ、各々ラーメンに向き合う独特の空間

三浦さんによると、独自のオーダーシステムや仕切り壁などは、1993年に同店が法人化し、福岡でチェーン展開を始めた当初から導入されていたという。女性でもひとりでラーメンを食べられるようにという配慮があったそうだ。
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↑これが「味集中カウンター」。テーブルにオーダー用紙が置かれている

スープの味や濃さ、特性ダレの量、麺のかたさなど、7項目からを自分の好みで選べるしくみが面白いのは、アジアの屋台で麺を食べるときの習慣に似ていることだ。たとえば、タイで麺を注文するときは、まず麺の種類を選び、唐辛子入りナンプラー(プリック・ナンプラー)、唐辛子(プリックポン)、唐辛子入り酢(プリック・ナムソム)、砂糖(ナムタン)の4種類がテーブルに用意されていて、自分の好みで調合してから食べる。

日本のラーメンは一般的に、その店の味をありがたく、そのままいただくという感じが多いのに対し、一蘭ラーメンでは自分で味の好みを決められるというしくみが外国客、特にアジア客に支持されているのではないかと考えられる。
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↑日本語以外は、英語、中国語(繁体字)、ハングルが用意される
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↑同店も「天然とんこつラーメン」のみの一品メニュー

-今後の展望をどうお考えか。

「国内外にこだわらず、出店を加速したい。10月19日にはニューヨーク店、11月17日には中野店も開業した。中野はサブカルの町として外国人にも知られるようになっているから楽しみだ。ラーメンという日本独自の文化をいかにつきつめるか。ブランドとして維持できるかに、今後も注力していくつもりだ」。

一蘭ラーメン
http://www.ichiran.co.jp

ラーメンが日本食の一ジャンルとして定着

一蘭ラーメンの躍進の背景について、三浦さんは「何よりラーメンが日本食の一ジャンルとして定着したこと」が大きいという。つまり、日本に来たら、すしやてんぷら、鉄板焼きを食べるのと同じようにラーメンも体験したいと多くの外国客が考えるようになったのだ。

では、それはいつ頃からの話なのだろうか。

台湾や香港でKADOKAWAの現地情報誌の立ち上げに尽力した編集者の鈴木夕未さんによると、2000年代後半頃から日本のラーメン特集が人気企画としてよく取り上げられたという。
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↑『香港ウォーカー』のラーメン特集のページ(2015年)より

前述の池袋のラーメン店「無敵家」の関係者によると、取材を受けた覚えはないのだが、2000年代の半ば頃、台湾に行ったとき、現地の雑誌で同店が紹介されているのを見たそうだ。つまり、SNSが普及する少し前から、台湾や香港などでは、日本のラーメン店が現地メディアで紹介されるようになっていたのだ。

興味深いのは、それらの記事に「ラーメン分析アイコン」という項目があって、紹介する各店ごとに、麺の太さや形、量、ベースとなる味(醤油、とんこつ、魚介など)、濃さなどが記されていることだ。

これは日本の情報誌が以前から採り入れていた編集手法だが、こういう下地が現地情報誌を通じてあったことも、台湾や香港の人たちが一蘭ラーメンのオーダーシステムに慣れていた理由といえそうだ。入店してから自分の好みを用紙に書き込むというひと手間も、体験として面白がられていると考えられる。

これまでみてきたことから、外国客の集客に成功している飲食店の共通点が見えてくる。どの店も、最初から外国客を呼び寄せようと考えていたわけではない。海外のメディアやSNSによって突然、知られるようになり、外国客が増えてくるにつれて、多言語化も含めた臨機応変な対応を無理なく進めてきていることがわかる。また同じチェーン店でも立地により集客状況がまったく違うこともわかった。

外国客が食を体験として楽しむうえでのユニークなひと手間があることも共通している。だが、それはなにも外国客向けに用意されたものではなく、国内客のために提供されていたものだ。

今年6月、トリップアドバイザーが「外国人に人気の日本のレストラン 2016」を発表しているが、上位にランキングされているのは外食チェーンではなく、個性ある単店ばかり。ラーメン店に限らず、今後どんな飲食店が注目されることになるか楽しみだ。

トリップアドバイザーが「外国人に人気の日本のレストラン 2016」
https://tg.tripadvisor.jp/news/wp-content/uploads/2016/06/20160621_TripAdvisorPressRelease.pdf

※やまとごころ特集レポート30回
http://www.yamatogokoro.jp/inbound/report/1447/
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by sanyo-kansatu | 2016-12-05 10:06 | やまとごころ.jp コラム | Comments(0)