ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2017年 10月 07日

日本からの航路の玄関口としては垢抜けなさがちょっと残念な港町コルサコフ

ユジノサハリンスクからバスで南へ約1時間走ると、サハリン南部の港町コルサコフに着きます。
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市街地は河岸丘陵に沿って南北に延びていて、団地が多く並んでいます。
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郷土博物館や日本時代の記憶が残るいくつかのスポットを除くと、これといった見どころはないのですが、ユジノサハリンスクから乗ったバスを、港に近い稚内公園(コルサコフは稚内と姉妹都市)で降りて、そこからソビエト通りのゆるやかな坂をレーニン広場までのんびり歩くというのが基本散策コースでしょうか。

これは稚内公園の中央にあるロシアの提督で極東地方探検家のネベリスコイ(1814―1876)の像です。間宮林蔵より少し後に、ロシア側で最初にサハリンが島であることを確認した人物です。実はこの公園にはもうひとつ像があります。東シベリア総督でこの町の由来ともなったミハイル・セミョーノヴィチ・コルサコフ(1826-1871)の胸像なのですが、公園の北の端にあるのと、どちらかといえばネベリスコイ像のほうが新しく立派だったので、気づかず通り過ぎてしまいました。
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「コルサコフ」と書かれたストリートアートがあります。
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訪ねたのが週末だったせいか、通りには市が出ていました。
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果物はやはり中央アジア系の人が売っています。
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近海でとれるマスの缶詰も並んでいます。
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これがレーニン広場で、ここにもレーニン像が残っています。背後の建物は文化会館「アケアーン」といい、いわばこの町のコンサートホール兼劇場です。
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レーニン広場のそばに、この町でいちばん大きいホテル「アルファ」があります。港町らしいというべきか、ロシア語ではなく、英語表記のホテルです。
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この町で食事をしようと思ったら、すでに本ブログで書いたレストラン『カフェ・ヴァルハット』でしょうか。

サハリンで見つけたいい感じのロシアレストラン2軒
http://inbound.exblog.jp/27110266/

港の近くに地ビールが飲める「ペンギンバー」があります。
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町にはスーパーはありますが、たいていはこうした個人商店が多いです。
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ロシア名物の炭酸飲料「クワス」を飲ませるスタンドバーは、ユジノサハリンスク行きバス停の近くにあります。
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※ロシアの炭酸飲料「クワス」について
http://inbound.exblog.jp/27037090/

とはいえ、町を歩いていると、地元の子供たちや老人がいて、撮影するのが楽しみです。嫌がる人はほとんどいなくて、みんな笑って迎えてくれるのが、サハリンらしさでしょうか。
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次回に書くつもりですが、コルサコフへは北海道の稚内から夏の間、定期航路のフェリーが出ています。つまり、ここはサハリンの玄関口というわけですが、垢抜けなさがちょっと残念であることは否めません。

クルーズ客船がサハリンに寄航する際、コルサコフ港を利用するようですが、日ロを結ぶ航路がいまひとつ盛り上がらない理由のひとつに、コルサコフの現状がありそうです。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-07 15:06 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 07日

085 ハバロフスク方面に向かう列車(ウラジオストク)

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モスクワに向かうシベリア鉄道の始発駅であるウラジオストク駅からは、ハバロフスク方面に向かう列車も多く出ている。乗客は車掌の検札を受けて列車に乗り込む。車掌は男性より女性のほうが圧倒的に多い。(撮影/2012年6月)

※ここから近郊列車に乗って2時間走ると、ウスリースクという田舎町があります。特別何か見どころがあるというわけではないのですが、いかにもロシアの田舎町という雰囲気を楽しめます。朝出かけて、マーケットや教会を訪ね、カフェでお昼を食べて、日帰りで行ってくるのが、日本人旅行者の間で人気だそうです。

ボーダーツーリズム(国境観光)を楽しもう(ウラジオストク編)
http://border-tourism.jp/vladivostok/
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by sanyo-kansatu | 2017-10-07 12:01 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 10月 06日

旧落合王子製紙工場跡の管理人は「こうなったのはゴルバチョフの頃だ」と話す

ポロナイスクから夜行列車に乗って、朝5時半過ぎにドリンスクに到着。そのまま乗っていれば、1時間後にユジノサハリンスクに着くのに、わざわざこの駅で降りたのは、前日に引き続き、旧王子製紙工場跡を訪ねるためでした。

駅を降りると、ホテルが1軒ありましたが、鍵がかかって中に入れないし、カフェも開いていない。タクシーもいません。一瞬、途方に暮れましたが、少し歩くと、食材店があり、ドリンクとハンバーガーを買うことができたので、スーツケースに座って食べていると、1台のタクシーが現れました。

「завод(工場)」「фотография(写真)」と声をかけると、ニッコリして乗れといいます。駅からわずか車で5分の場所に旧落合王子製紙工場跡がありました。
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工場跡は野良犬のすみかとなっていて、タクシーが構内に入ると、一斉に何十匹もの犬たちが吠えたてました。
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とはいえ、犬たちも吠えるだけで、近づいては来ないようだったので、さっそく探索を始めました。
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旧落合王子製紙工場の始まりは、大正6年(1917年)に日本化学紙料が日本初のクラフト専門工場として操業したことで、昭和8年(1933年)王子製紙が吸収合併しました。終戦後はソ連の国営企業として1995年まで操業していました。操業停止後は、ドリンスク市内へ温水と暖房を供給する施設として使われています。
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探索中、温水施設の管理人のおじさんが現れました。どう見ても不審きわまりない外国人を見ても、いっこうに驚くそぶりもなく、穏やかな笑顔で迎えてくれました。これまで同じように撮影をしに来た日本人がいたせいでしょう。
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おじさんについて温水供給施設の中を見せてもらいました。
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片言の英語を解するタクシードライバーを通じて「いつまで操業していたのか」といった主旨の質問をしたところ、管理人のおじさんは「こうなったのはゴルバチョフの頃だ」と当時のリーダーの名を口にしました。

ロシア語で「再構築(改革)」を意味するペレストロイカは、社会主義的な運営を続けていたサハリンの製紙工場を操業不能にしました。それはこの島の人たちの暮らしに打撃を与えたはずです。

林芙美子は昭和9年(1934年)に樺太を訪ね、王子製紙が各地に建てた製紙工場のせいで「樺太には樹木がない」と嘆きました。「或人は、樺太島ではなくて、王子島だと云ったほうが早いと云っていました。どの駅へ着いても、木材が山のようです」(「樺太への旅」)とまで書いています。

「樺太には樹木がない」と書いた林芙美子と旧敷香王子製紙工場廃墟
http://inbound.exblog.jp/27257929/

しかし、当時9つあった工場はそのままソ連に引き継がれました。それから操業停止に至る約50年間、これらの製紙工場のために、樹木の伐採がどれだけ続けられたのか、それは知る由もありません。物事には、そして歴史認識もそうですが、常に別の側面があるといえます。
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工場の周囲には、カラフトフキの大きな葉が瓦礫を覆うように増殖していました。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 16:03 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 06日

「樺太には樹木がない」と書いた林芙美子と旧敷香王子製紙工場廃墟

ポロナイスクでは、旧敷香王子製紙工場の廃墟も訪ねています。昭和10年(1935年)に操業を開始した、樺太で最後に造られた工場のようです。

以下、写真家の佐藤憲一さんの写真を見ていきましょう。
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ところで、昭和9年(1934年)に樺太を訪ねた林芙美子は「樺太への旅」にこんなことを書いています。

「この豊原に来るまでに、一時間あまり車窓を見て驚いた事は、樺太には野山という野山に樹木がないことでした。(中略)どのように樺太の山野を話していいか、まるで樹の切株だらけで、墓地の中へレールを敷いたようなものです。

私は大泊までお迎えに来て下すった友人たちに、「いったい、これはどうしたのですか!」と驚き呆れて訊いたものです。

行けども行けども墓場の中を行くような、所々その墓場のような切株の間から、若い白樺がひょうひょう立っているのを見ます。名刺一枚で広大な土地を貰って、切りたいだけの樹木を切りたおして売ってしまった不在地主が、何拾年となく、樺太の山野を墓場にしておくのではないでしょうか。盗伐の跡をくらます為の山火や、その日暮しの流れ者が野火を放って、自ら雇われて行くものや、樺太の自然の中に、山野の樹木だけはムザンと云うよりも、荒寥とした跡を見ては、気の毒だと思います。樹が可哀想です」

かなりショッキングな記述です。林芙美子が敷香を訪ねた年、まだこの工場は操業していませんでしたが、建設中の巨大なシルエットを目にしていたはずです。彼女は樺太の日本領の北限の町までやって来る道中、車窓を眺めながら、ずっと「樺太の山野」の不幸について考えていたようです。

当時は、こういった植民地批判を書くと、当局から目をつけられかねない時代でした。

製紙工場の迫力ある廃墟を見ながら、これが全力で操業していた時代は、どれほどの樹木を伐採していたかと思うと、空恐ろしい気がしてきます。

大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子)
http://inbound.exblog.jp/27234045/
先住民とロシア人、日本人の関係を物語るポロナイスク博物館の展示
http://inbound.exblog.jp/27257855/

もっとも、この工場を引き継ぎ、その50年後、操業停止に至ったロシア人たちの心中もまたいろいろです。

旧落合王子製紙工場跡の管理人は「こうなったのはゴルバチョフの頃だ」と話す
http://inbound.exblog.jp/27258111/
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 14:43 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 06日

先住民とロシア人、日本人の関係を物語るポロナイスク博物館の展示

昭和9年(1934年)6月、林芙美子が訪ねた樺太の敷香町(現ポロナイスク)には、「オタスの杜」と呼ばれた先住民の集落がありました。彼女が書いた紀行文「樺太への旅」によると、そこにはニブフ(ギリヤーク)やウィルタ(オロッコ)、エヴェンキ(キーリン)、ウリチ(サンダー)、ヤクートなどの先住民が集められ、日本語教育が行われていました。

大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子)
http://inbound.exblog.jp/27234045/

今日、こうした先住民たちの暮らしは現代化していますが、かつての様子を記録し、展示しているのがポロナイスク郷土博物館です。
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ポロナイスク郷土博物館(Поронайский краеведческий музей)
http://sakhalin-museums.ru/museum/poronayskiy_muzey/

同館には、ニブフやウィルタ、ナナイ、エヴェンキ、そしてアイヌの5部族の展示があります。

これはニブフの衣装や生活用具の展示です。ガラスのケースの上に、ニブフの若い女性が並んだ写真がありますが、林芙美子がこの町を訪ねた頃、オタスの杜では同じような光景が見られたのではないでしょうか。
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左のブルーの衣装はニブフのものですが、右側のケースは漁労の民ナナイ(ゴリド)のものです。
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カラフルなパッチワークのような布はナナイのものです。
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トナカイと一緒に展示されているのは、エヴェンキのコーナーです。
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こちらはウィルタのコーナーです。ウィルタもエヴェンキ同様、トナカイを飼います。
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最後はアイヌのコーナーです。樺太中部にあたる敷香は、アイヌの住む北限だったようです。熊の木彫りや鍋があることから、アイヌは当時から日本人との交流があり、他の先住民族とは少し違うところがあったのかもしれません。
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そして、これは他の博物館もすべて同様なのですが、日本時代のコーナーがあります。ケースの中にはおちょこやとっくりが数多く並べられています。林芙美子の「樺太への旅」に「ここは如何にも新興の町らしく、まずカフェーや料理屋が多い。シスカ会館と云う家では、二十人ばかりの女給が、メリンスのセーターを着ていて、何とも珍妙な姿でした」と書かれており、おそらくこれは…と思わざるを得ませんでした。
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そして、もうひとつがお約束のロシア人の生活を展示する部屋です。先住民族の展示とはまったく違い、同じ時代、すでに文明人であったことを強調しているように見えます。
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1945年9月、南樺太を取り戻したスターリンの偉業も展示されます。
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一方、館内の真ん中に大きなスペースがあり、ひとりの女性が座ってなにやら作業をしています。
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はにかむ彼女は先住民の女性で、ここは民族文化を学ぶワークショップのためのスペースでした。これはノグリキ郷土博物館にもあったものです。
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これらの展示構成は、サハリンにおける先住民とロシア人の関係、そして歴史的に一時期主役であったものの、いまは存在しない日本人の位置づけを物語っています。ただし、中国の歴史博物館のように、日本を責め立てるような意図はなさそうです。過去の歴史の話で、現在の構成員ではないので、そんな必要はないのです。

それでも、2階の会議室や写真展示室をみていると、日本時代の写真も多く展示されています。
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そのうち、最も存在感が大きいのは、操業を停止してしまった旧敷香王子製紙工場の往時の姿です。今日、ポロナイスクは人口1万5000人の町ですが、おそらく工場が稼働していた時代が最も活力があったに違いありません。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 14:02 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 06日

084  遊園地の中にある旧ウスペンスキー教会

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ハルビンに数ある教会の中でも、独特の雰囲気を残しているのが、旧ウスペンスキー教会だ。1908年に建てられたロシア聖堂だが、現在は遊園地の中にある。蔦のからまる外壁はかなり老朽化していて、立法体の建物の上にちょこんと載る円筒系の塔には鐘が吊るされていたはずだが、現在非公開。(撮影/2014年7月)

※ウスペンスキー教会は、ハルビンの中でいちばん好きな教会です。遊園地の中にあるため、周囲はいろんなものに囲まれて不思議な光景に見えますが、それも現代中国的というべきか。20世紀初頭に建てられたこの建築スタイルは、最近ロシアで次々に建てられる新しい教会にはないユニークなものです。

ボーダーツーリズム(国境観光)を楽しもう(ハルビン編)
http://border-tourism.jp/haerbin/
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by sanyo-kansatu | 2017-10-06 10:05 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 10月 05日

大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子)

昭和の人気力士、横綱大鵬(本名・納谷幸喜)は昭和15年(1940年)当時日本領だった樺太の敷香町、現在のポロナイスクで、ロシア革命後に樺太に亡命したというウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれています。
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大鵬の公式サイトによると、この銅像が建てられたのは、2014年8月15日のことでした。

第四十八代横綱大鵬オフィシャルサイト
http://www.taiho-yokozuna.com/profile/index.html
元横綱大鵬、銅像で「里帰り」 生誕地サハリンで除幕式(日本経済新聞2014/8/15)
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15025_V10C14A8CR8000/
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銅像が置かれているのは、以前大鵬が両親と一緒に住んでいた家があった場所です。

この町と縁のある日本人はほかにもいます。それが誰かを知るには、ポロナイスク郷土博物館を訪ねると、わかります。
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この地域の博物学の発展に貢献した人物の顔が、博物館の入口に石版印刷されて並んでいるのですが、その中に日本人が3名います。

間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩です。
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間宮林蔵(1780-1844)は、江戸後期の探検家で、樺太が島であることを発見したことから、間宮海峡の名が付いたことで知られています。彼はその後、アイヌの従者を雇い、対岸のアムール河口に渡り、清国やロシアの東進の動向を探索しています。そのとき、オロッコ、ニブフなどのアイヌ以外の先住民と出会っており、その記録は『東韃地方紀行』として残されています。
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鳥居龍蔵(1870-1953)は、明治生まれの人類学者で、戦前の日本の北東アジアへの勢力拡大の中で、現在の中国東北部、台湾、中国西南部、モンゴル、朝鮮半島、ロシアのシベリア、そして千島列島や樺太の調査を行いました。

ネットをなにげに検索していたら、考古学者で元徳島大学教授の東潮先生が書かれた以下の論文が見つかりました。樺太をはじめとした鳥居龍蔵の調査地のいくつかを、東潮先生が実際に訪ね、いまから100年近く前の鳥居の調査記録と現在の姿を重ねて報告しています。とてもリアルで面白い論文でした。

「鳥居龍蔵のアジア踏査行一中国西南・大興安嶺・黒龍江(アムーノレ川1)・樺太(サハリン)-」(徳島大学総合科学部人聞社会文化研究(17巻(2009) 65-164)

徳島県鳥居龍蔵記念博物館
http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/torii/default.htm

3人目はアイヌ研究で知られた考古学者の馬場脩(1892-1979)です。
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自分はこの方面に詳しくないため、この人だけは知らなかったので、帰国して調べてみました。

馬場脩(はこだて人物誌)
http://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/b_jimbutsu/baba_osa.htm

いずれにせよ、大鵬も含め、これら4名は地元公認の日本人というわけです。

地元では知られていませんが、作家の林芙美子は昭和9年(1934年)6月、樺太を旅行し、「樺太への旅」という紀行文を書いています。彼女は当時の日本領の最北の地に近い敷香まで来て、国境見物に行くか、敷香の近くにある先住民の暮らす集落を訪ねるか迷っていましたが、結局、先住民に会いに行くことに決めました。

※「樺太への旅」は岩波文庫の『下駄で歩いた巴里』に収録。

先住民の集落は「オタスの杜」と呼ばれた場所で、そこにはニブフ(ギリヤーク)やウィルタ(オロッコ)、エヴェンキ(キーリン)、ウリチ(サンダー)、ヤクートなどの先住民が集められ、日本語教育が行われていました。

林芙美子はオタスの小学校を見学したときの様子を以下のように書いています。

「やがて子供の歌声がきこえてきました。私は無礼な侵入者として、授業中の教室を廊下の方からのぞいて見ました。教室は一部屋で、生徒は、一年生から六年生までいっしょで、大きい子供も小さい子供も大きく唇を開けて歌っています。金属型の声なので、何を歌っているのか判りませんが、音楽的でさわやかです。台所から出て来たような、太った女の先生が素足でオルガンを弾いていました」

「やがて校長先生は子供たちの図画を取り出して来て見せてくれましたが、皆、子供の名前が面白い。「オロッコ女十一才、花子」「ギリヤーク女八才、モモ子」などと書いてあるのです。描かれているものは、馴鹿だとか熊の絵が多いのですが、風景を描かないのはこの地方が茫漠としたツンドラ地帯で、子供の眼にも、風景を描く気にならないのだと思います」

これは今回ぼくが訪ねたポロナイスク郷土博物館やノグリキ郷土博物館で見た光景とつながる話でした。いまの先住民の子供たちは、きっとロシア人風の名前なのでしょうね。
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ノグリキ郷土博物館で知るサハリン北部に住んでいた先住民族たち
http://inbound.exblog.jp/27122360/

当時先住民たちは日本人と隔離され、「土人」と呼ばれていました。林芙美子も「土人」と書いています。現代の感覚でこれを批判するのはたやすいことですが、彼女は先住民の子供たちを優しいまなざしで見つめています。

そして、こんなことも書いています。

「このオタスの草原の風景は、妙に哀切で愉しい。私はここまで来て、一切何も彼も忘れ果てる気持ちでした」

彼女にとって樺太の旅で過ごした時間のうち、敷香でのオタスの杜訪問がいちばん好ましいものと感じられたようです。

「樺太への旅」という紀行エッセイは短いものですが、林芙美子がいう「妙に哀切で愉しい」この土地の印象は、時代を超えて、よくわかるような気がします。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-05 13:58 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 05日

「巨人・大鵬・卵焼き」の大鵬が生まれたポロナイスクで昭和の時代を思う

ユジノサハリンスクから北へ288km、サハリン中南部の東海岸にある港町のポロナイスクは、戦前まで「敷香(しすか)」と呼ばれていました。

サハリン南部を日本が領有していたこの時期、敷香は北緯50度線の国境に近い町でした。

今年6月中旬、この町を訪ねたのですが、あいにく午後になってもオホーツクの海霧に覆われていて、ずいぶんさびしい土地のように見えました。さらに北にあるノグリキでは好天に恵まれたのですが、天気はその土地の印象をまったく変えてしまいます。

この町はポロナイ川の河口にあります。河口を訪ねると、まさしく北海の港です。
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海岸を歩いていると、小さな男の子がいました。
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地元の家族連れのようです。このあたりの住民は純粋なロシア人ではなく、先住民との混血の人も多そうです。
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ひとりの男性がバイクに乗って近づいてきて、この港でとれたマスでしょうか、手で高く掲げて見せてくれました。彼は「トヨタ、ホンダ…」と叫んでいました。
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昭和9年(1934年)にこの地を訪ねた林芙美子は、紀行文「樺太への旅」の中で、海岸線を散歩していると、先住民が幌内川の河口でマスをとっていて、「一尾五十銭」で買い、宿で調理してもらって食べたこと、「紅身が一枚々々刺身のようにほぐれて薄味で美味」だったとその感想を書いています。

車に乗って海岸線を走りました。
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鉄道は港まで延びています。あまり利用されていないようです。
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これは港の近くの水産加工工場です。
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この町には戦前から王子製紙の工場があり、現在は操業していないのですが、工場までの引込み線が残っています。現在のポロナイスク駅は町のはずれにありますが、少し前までは工場に近い町中にありました。
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カメラマンの佐藤憲一さんがふと自分が昔乗っていたのと同じ車種のランドクルーザーを見つけて、思わず記念撮影。「いま日本ではこの車種はもうほとんど見つからないんじゃないかな…」。そういう車が普通に走っているのがサハリンの田舎町です。
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この町と縁のある日本人の話は別の機会に書きましたが、敷香は1960年代当時の子供に人気の代名詞「巨人・大鵬・卵焼き」で知られる人気力士の大鵬が生まれていて、なんと銅像が建っています。お相撲さんだけに、裸の銅像なのは仕方がないのかもしれませんが、これもかなりさびしげな光景で、ふつうの住宅街の中にあります。

大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子)
http://inbound.exblog.jp/27234045/
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この町でもコリア系の人たちによく会いました。
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結局、日が暮れるとすることもないので、町はずれのレストランでずっと時間をつぶした話はすでに書いたとおりです。そこでは元気な地元のお母さんや子供たちの様子を見物することになりました。
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ポロナイスクで食べたスモークサーモンと韓国チゲ風ボルシチの不思議な夜
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夜10時半を過ぎたので、レストランを出て駅に向かう途中、団地を横に見ながら歩きました。古い団地の前に駐車されているのは、日本車だらけです。
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ロシアの田舎町で見かける団地のシルエットや窓からもれる明かりは、高度経済成長が始まった頃の、まだそんなに豊かではなかった昭和の時代を思い起こさせるところがあります。なにしろここは当時のヒーロー、「北海の白熊」と呼ばれていた大鵬が生まれた町なのです。
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by sanyo-kansatu | 2017-10-05 09:48 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2017年 10月 05日

083 礼拝が行われているハルビンの教会

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ハルビンには東方正教系の教会がいくつもあるが、1935年に建てられたアレクセイエフ教会は、現在ハルビン天主堂と呼ばれている。20数年前に訪ねたとき、この教会の鐘は外され、地面に置かれていたが、いまはミサが行われている。地元のおじさんたちの憩いの場でもある。(撮影/2014年7月)

※ミサといっても、ロシア正教ではなく、中国政府が管理するキリスト教です。このような教会は中国各地にあり、中国語の牧師が中国語でミサを行っています。都市部だけでなく、農村でもキリスト教はけっこう根を張っています。

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by sanyo-kansatu | 2017-10-05 08:57 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 10月 04日

082 ハルビンのシンボル、聖ソフィア大聖堂

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ハルビン生まれの若いカップルが寄り添い見上げる、ネギ坊主型のドーム屋根にレンガの外壁。かつてのロシア正教会の寺院、聖ソフィア大聖堂はハルビンのシンボルだ。建設は1907年からで、完成したのは1932年。現在は、ハルビンの歴史博物館となって、宗教施設としては使われていない。(撮影/2014年7月)

※ここ本当に中国? と思うかもしれません。戦前はこの町に日本人も多く住んでいました。

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by sanyo-kansatu | 2017-10-04 09:22 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)