ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2015年 01月 03日

「典型的な露西亜式」綏芬河の歴史的街並みを歩く

戦前期のグラビア誌「満洲グラフ」は、1935年当時の綏芬河について以下のように記述しています。

「人口約一万、大部分は露人と滿人で、鮮人がこれに次ぎ、日本人も六百人位住んでいる。町は山の斜面に建てられ、その中央には全市をしろしめすかのようにロシア正教寺院の尖塔が聳え、如何にも典型的な露西亜式の『山の町』を成している」(「満洲グラフ」1935(昭和10)年5月号)

昨年7月、綏芬河を訪ねました。80年前に「典型的な露西亜式の『山の町』」といわれた歴史的な街並みを歩いてみました。

まず綏芬河駅から。1898年に開業した東清鉄道の駅です。
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これが乗車口です。この駅にはロシア側の国境のまち、グロデコヴォ行きの列車が1日2本出ています。
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駅舎内です。
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鉄道をまたぐ橋の上から、ロシアからの木材を満載した貨物列車が見えます。
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これは東清鉄道の技術者のための宿舎で、現在は「鉄路大白楼」(1903年竣工)と呼ばれています。満鉄職員の宿舎だったこともあります。現在は市が来賓を接待する場として使われているようですが、観覧はできません。
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その隣にも当時の鉄道関係と思われる建物があります。駅の周辺にはこうした建物がいくつか残っています。
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駅からまっすぐ坂を上った先に東方正教会(1913年)が建っています。
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いまでも礼拝は行われているようですが、ロシア正教ではなさそうです。内装は当時の面影はありません。
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これは当時のロシアとソ連の領事館(1910年)です。新中国になると接収され、共産党の機関や郵便局などに使われました。
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現在は文化施設として再利用される予定のようです。
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この大きな建物はロシア人学校です。日本時代は軍の施設だったようですが、現在は幼稚園のようでした。子供たちの歌声やピアノの音色が聞こえました。
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これは1916年に建てられたホテルでしたが、24年に共産党の幹部がここで会合をしたことから「綏芬河革命紀念地」と書かれています。現在は針灸と按摩の病院のようです。
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これは旧日本領事館です。建物自体はロシア人商人が1914年に建てたもので、22年に日本政府が購入して領事館にしました。文化革命時には排外的な暴徒によって美しい装飾が破壊されるなど被害があったものの、92年に修復されました。
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3階と4階の間に施された人の顔の装飾が珍しいことから、「人頭楼」と呼ばれています。もっともこれを見る限り、ずいぶん雑な修復ぶりですね。現在は、語学教室など、いくつかのオフィスが入居する雑居ビルとなっています。
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まちの中心に位置する広場は「旗鎮広場」と呼ばれています。
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頭上から広場を眺めると、ヨーロッパのような街並みに見えます。この辺境の地でもマンション建設が進んでいることがわかります。
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このまちでは、通りやバス停の表示にはロシア語が併記されています。
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by sanyo-kansatu | 2015-01-03 11:17 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2015年 01月 02日

朝9時半、綏芬河駅にロシア人が大挙して現れる、の巻

「露語で『国境に沿ふ町』を意味するポグラニーチナヤは、單に北鐡東部線(現名綏芬河線)の終点であると言ふばかりではなく、國境驛として特異な風格を持っている。
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人口約一万、大部分は露人と滿人で、鮮人がこれに次ぎ、日本人も六百人位住んでいる。町は山の斜面に建てられ、その中央には全市をしろしめすかのようにロシア正教寺院の尖塔が聳え、如何にも典型的な露西亜式の『山の町』を成している。

日、蘇の領事館はじめ、両國の税關、滿洲國國境警備隊もあり、滿洲里との間に一週三回往復する北鐡國際列車が着發する日には、蘇聯邦の方から鳥鐡(ウスリー鐡道)の列車も連絡のために本驛に進入して来る。

北鐡の接収によって、ポグラニーチナヤの驛名は永久に解消され、滿洲名の綏芬河だけが残る事になった」(「満洲グラフ」1935(昭和10)年5月号)

昨年7月、中ロ国境にある黒龍江省の綏芬河を訪ねました。

朝9時半、綏芬河(旧ポグラニーチナヤ)駅の降車出口にロシア人が大挙して降りてきました。
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大人から子供までいますが、やはりロシアの若い女の子たちの快活な姿は、中国の辺境のまちを華やかにしてくれます。
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皆さん、大きなバッグやスーツケースを手にしています。彼らは中国のお隣の極東ロシアからやって来たツーリストです。
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彼女らの頭の中は、さぞや滞在中の買い物や食事のスケジュールのことでいっぱいでしょう。
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しばらくすると、皆さん駅前で待っていたバスに分乗して市内のホテルに消え去りました。
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2014年7月中旬午前9時半、綏芬河駅にて(動画)
http://youtu.be/7H7ciL_w3vg
http://youtu.be/K5dvycowSIc

綏芬河の都市建設は、20世紀初頭の東清鉄道の敷設に始まります。ロシアはハルビンからポグラニーチナヤ(綏芬河)までの鉄道建設を着手しましたが、その後、日露戦争や満洲国成立を経て日本の管理下に編入されていきます。前述のグラビア記事は、まさにその直後に書かれたものです。

そして、これがそれから80年後の中ロ国境のまち、綏芬河の姿なのです。

万年モノ不足で悩まされている極東沿海地域に住むロシア人たちが中国東北地方に大挙して現れるようになったのは、1990年代の後半くらいからのことです。

背景には中ロの経済逆転があります。その事実に気づいたロシア人エリートたちは当時、相当ショックを受けたそうですが、一般のロシア市民にしてみれば、国境を越えた先に、こんなに安くてモノが豊富な場所があれば、迷わず足を運ぶことになるのは当然だったでしょう。

こうして綏芬河は、ただの中国の辺境の地からロシア人ツーリスト仕様のにぎやかなまちになりました。もともとロシアが建設したまちに“出戻り”を始めたロシア人たちと商機を求めてこの地に集まってきた中国人がこのまちの主人公なのです。

昨夏見た綏芬河のまちの様子については、次回ご報告します。

「典型的な露西亜式」綏芬河の歴史的街並みを歩く
http://inbound.exblog.jp/23961267/

※実はあとで綏芬河駅の時刻表を確認したところ、9時半に到着する列車は大連発ハルビン経由であることが判明しました。つまり、この写真に写っているロシア人ツーリストは、大連またはハルビンなどをめぐるツアーに参加し、ロシア帰国前の最後の目的地として綏芬河に到着したものと考えられます。実際、大連は金石灘のような海水浴場もあり、ロシア人に人気だという話もウラジオストクで聞きました。綏芬河からだと国際バスでロシアに戻ることも簡単なので、ここで降車するのでしょう。いずれにせよ、皆さん買い物するならやっぱり綏芬河なのです。その様子は以下を参照ください。

綏芬河にはロシア人ツーリストがいっぱい
http://inbound.exblog.jp/23961594/
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by sanyo-kansatu | 2015-01-02 23:55 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 25日

大連の中山広場の歴史と地下鉄開通の報

大連の中山広場は、ロシアがこの地を租借した20世紀初頭、最初につくった直径213mの美しいサークル型の広場で、「ニコラヤフ広場」と呼ばれていました。
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このサークルを中心に放射状に通りが延びるという、19世紀のパリの都市計画を意識した最先端の都市構造が大連に生まれたのは、日本というよりロシアの植民者たちの企図したものではありましたが、その後、日本の手により広場の周辺には10棟の特徴ある欧風建築が建ち並びました。日本統治時代は「大広場」と呼ばれていました。

実際、アジア広しといえども、このように広場と通りが連結し、都市全体が広がっていくようなスケール感を持ったまちづくりは(身近なところでは、田園調布がそうかもしれませんが)大連くらいしか思いつきません。

これが戦前期の大広場の写真です。
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周辺には、大連ヤマトホテルや横浜正金銀行、大連市警察署、大連市庁舎などの重要建築が建てられ、そのほとんどが現存しています。
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中山広場はなんといっても、頭上から眺めたときの美しさが印象的です。

特に夕暮れ時の中山広場は、息を呑むような光景です。この写真は2006年9月に撮影したものです。撮影場所は、現在の中国銀行大連支店(旧横浜正金銀行)の裏手にある高層ビルの屋上階にあったバーの展望台でした(最初の1枚も同じ場所から少し明るい時間帯に撮ったもの)。
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ところが、08年に訪ねたときには、このバーは営業をやめていました。それが直接の理由かどうかわかりませんが、この頃から徐々に大連でも地下鉄工事が始まり、中山広場の周辺はフェンスで覆われ、隠されてしまったからです。

大連の地下鉄工事は、予想以上に難航し、時間がかかったようです。

それでも、今年7月に訪れたときには、再び中山広場は姿を見せてくれました。地下鉄工事の完了にともない、元通りの広場に戻っていたのです。

そこでぼくは、再び中山広場を頭上から撮影できる絶景スポットを探すことにしました。

現地の旅行会社の皆さんに聞いたところ、ふたつの高層ホテルが候補に上がりました。

ひとつがインターコンチネンタルホテル大連です。

場所は中山広場より大連駅に近い友好広場に面しています。さっそく、同ホテルの関係者を訪ね、中山広場が見える客室に通してもらいました。

これがその写真です。2006年の撮影場所とはほぼ反対側からなので、大連港まで延びる人民路や大連湾まで見渡せます。人民路沿いには高層ビルがいくつも並んでいます。
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これがインターコンチネンタルホテル大連の外観です。
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同ホテルが提供してくれた夜景の写真です。おそらく大連で最も美しい夜景の見られるホテルといってもいいでしょう。
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もうひとつが2013年12月にオープンしたアロフト大連です。場所は、中山広場から延びる魯迅路に面しており、インターコンチネンタルとは逆向きから広場を見ることができます。ヤマトホテルの裏から眺める中山広場というのも、面白いです。
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アロフト大連は、スターウッドグループのヤングエグゼクティブ向けのファッショナブルなブランドで、今回一泊したのですが、大連一スタイリッシュなホテルといえそうです。
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フロントからロビーの待合室、各フロアの廊下、そして当然客室も、都会的なセンスであふれています。どちらも外資系の高層ホテルですが、この手のホテルが大連にもお目見えする時代になったのですね。

さて、ロシアによる美しい都市計画の名残を感じさせる中山広場ですが、その後都市建設のあとを継いだ当時の日本人は何を考えていたのでしょうか。明治以降、西洋から学んだあらゆる思想や技量をすべてこの地に注ぎ込もうと懸命になっていたに違いありません。

もっとも、日本もロシアもヨーロッパから採り入れた最先端をこの地に再現しようとしたという意味で、どこか背伸びしたところは似ていたのではないか、という気もします。

来年には大連で地下鉄が開通するそうです。
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1号線は高速鉄道が発着する大連北駅から星海広場あたりまで。2号線は大連港(東港)から中山広場、人民広場、大連空港を通り、大連北駅につなぐ路線のようです。



※2015年5月22日についに地下鉄が開通しました。運行している路線はまだ一部ですが、空港から市内へは行けます。

大連の地下鉄開通で市内のホテルに楽々直行できるようになりました
http://inbound.exblog.jp/24550588/
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by sanyo-kansatu | 2014-12-25 14:22 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2014年 12月 03日

ハルビンで“出戻り”ロシアの味覚に出合う

中国黒龍江省の省都ハルビンは、19世紀末にシベリア鉄道の要衝として建設された都市です。いまでは人口1000万人にもなろうとしている大都市ですが、100数年前は小さな村でしかありませんでした。

20世紀初頭、8000㎞も離れた欧州からこの地に現れたのは、ロシアの将校や軍人、シベリア鉄道の技師、百貨店の経営者、木材を扱うユダヤ商人などさまざまな人種でした。その結果、ハルビンは「極東のパリ」とも呼ばれる多国籍都市になりました。

新中国建国後、この地に暮らしていたロシア人や外国人たちは徐々に姿を消します。ぼくが初めてハルビンを訪れた1980年代半ば頃には、そんな華麗な略歴がウソのような、暗くよどんだ埃まみれの北方の田舎都市へと変わり果てていました。

ところが、2000年代以降の中国東北部の経済成長でロシア人ビジネスマンや旅行者、留学生などが再びハルビンに現れるようになりました。

いま、ハルビンでは“先祖返り”が起きているのです。

そんなハルビンに来たら、ぜひ味わってほしいのがロシア料理です。
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今年7月中旬、夕暮れ時を迎えた松花江のほとりにあるロシア料理店「カチューシャ」を訪ねました。
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店内は木のぬくもりを感じさせるシックな内装で、アットホームな雰囲気を味わいながら食事が楽しめます。
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人気メニューはカツレツやロールキャベツ、ボルシチなど。ワインやシャンパンはもちろんロシアモノですが、ウエイターのイケメン青年ワーリャさんもイルクーツク出身です。
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このちょっといかつい男性がオーナーの李宏南さんです。店の名「カチューシャ」は彼の奥さんの名前から採ったそうです。奥さんはハルビンのはるか北方、シベリアのヤクーツク出身のロシア人で、留学先のこの地で地元出身の李さんと知り合い結婚。本場のロシア料理を出したいという彼女の思いから、2006年家族経営の小さな店を始めたといいます。
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奥さんの故郷ヤクーツクはタイガの中で冷凍保存されていたマンモスが発掘されたことで有名です。実は、お産のため里帰りしていた彼女とはお会いできなかったのですが、ご主人に写真を見せてもらったところ、ロシア系ではなく、シベリアの北方民族の女性でした。
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ロシア料理店「カチューシャ」
ハルビン市道里区中央大街261-1号

もう一軒のロシア人経営のレストランが「アラウンド・ザ・ワールド(环球者西餐厅)」です。
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店内はハルビン在住の欧米人や地元客でにぎわっていました。おすすめ料理はロシア風餃子のペリメニやサーモンのソテーなど。ウォッカやロシアビールも味わえます。
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この店では毎晩19時からライブがあります。ステージに立つ彼女はロシア人歌手のKSENIAさん。
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この店のシェフはもちろん、3人のウエイトレスはすべてロシア人です。ウラジオストク出身のSVETAさん(右)とヤクツーク出身のMARINAさん(左)。MARINAさんはブリヤート系ロシア人で、元留学生だそうです。
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「20世紀初頭、ハルビンには多くのロシア人が住んでいた。だから、私たちにとってハルビンは親しみのある町なのよ」。同店のロシア人女性マネージャーは店を開いた理由をそう語ってくれました。彼女もウラジオストクから来たそうです。この店も2006年開業です。

同店ではロシア食材の販売も行っています。
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アラウンド・ザ・ワールド(环球者西餐厅)
ハルビン市開発区赣水路183号

半世紀を経てハルビンに姿を現し始めた彼らは、“出戻り”ロシア人といっていいでしょう。おかげで正真正銘のロシアの味覚に出合うことができるようになったのです。
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by sanyo-kansatu | 2014-12-03 17:50 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 07月 07日

ロシア人墓地も眠る高台の高級住宅地【昭和のフォルム 大連◆文化台①】

大連はもともとロシア人が日本よりひと足早く先に来てつくったまちです。20世紀初頭の北東アジア情勢は今日とは違い、非情なまでの力の優劣が世界を支配していましたから、大連にも歴史の痕跡がいくつも残されています。
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大連を代表する景勝地として知られる老虎灘に市内から向かう解放路沿いの高台に位置するのが文化台です。そこにはロシア人墓地があり、現在も残っています。日露戦争前にあったと思われる要塞跡も、とってつけたように改修されて壁だけ残っています。中ロ関係を意識して政治的に再生された遺物に違いありませんが、日本時代にはここが高級住宅街だったことは確かのようです。
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当時の絵葉書をみると、まるで神戸や函館のように高台に一戸建ての邸宅がぎっしり並んでいたことがわかります。市街地に近い南山は満鉄や軍関係者の邸宅が多かったと思いますが、文化台は大連に渡って事業をなした民間人の家が多かったのではないでしょうか。以下の資料と写真は大連世界旅行社の桶本悟さんからお借りしたものです。
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一戸建て住宅街としての文化台の景観は、2000年代半ばくらいまでは大きく変わることはなかったようです。確かにほとんどの家屋は老朽化しており、高級住宅街としての面影はありませんが、中国ではなんといっても珍しい一戸建て家屋が集中する地区ではありました。
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文化台の南側には晴明台という同じく一戸建ての住宅地がありました。勝利橋の北側に残るロシア人家屋のような家がいくつも残っています。
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文化台の景観が大きく変わり始めたのが、2000年代後半に入ってからです。次回、現在の文化台の姿を紹介したいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-07 23:14 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 06月 18日

極東ロシア人の中国旅行~買い出しバスツアーの訪問先は?

極東に住むロシアの人たちにとって、身近な海外旅行先はお隣の中国です。いったい彼らはどんな旅行をしているのでしょうか?

なかでも沿海州の人たちの気軽な行き先は、吉林省の琿春か黒龍江省の綏芬河です。ウラジオストク市内には両都市への訪問を呼びかける案内版もあります。
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2012年の夏、ぼくは中ロ国境の町クラスキノのバス停でロシア人観光客のグループに出会いました。彼らと同じバスに乗って中国の琿春まで行くことになったのです。それが極東ロシア人の中国旅行について調べてみることになったきっかけです。
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グループの中には若い女の子たちもいました。聞くと、大連まで行くそうです。大連の開発区に金石灘というビーチリゾートがあり、夏はロシア人海水浴客の姿をよく見かけます。バスで行くとしたら、けっこうな長旅ですね。

クラスキノからバスに乗って15分ほどで、ロシアのイミグレーションに到着しました。ぼくもロシア人に混じって出国手続きをしたのですが、同じバスごとにまとめて移動させられるので、パスポートチェックがすんでも狭い待合室で全員が終わるまで待つことになります。
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面白いことに、そこには中国の美容整形やエステの大きな広告が貼られています。
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同じ施設の広告は、琿春口岸にも置かれていました。
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なぜ中国で美容やエステなのか。それにはわけがあります。中国で湯治療養のため長期滞在するロシア人がけっこういるからです。有名なのは、遼寧省鞍山市(瀋陽の近く)の湯崗子温泉です。美容&メディカルツーリズムのメッカとして極東ロシア人に知られています。この広告によると、湯崗子温泉でのサービスに類似した泥エステや美顔エステを琿春でも提供していると思われます。ちなみに湯崗子温泉は戦前に開発された由緒ある温泉地で、ラストエンペラー溥儀のために造られた豪華絢爛個室風呂がいまも残っています。

次にバスで中国のイミグレーションに運ばれ、入国手続きをします。その日、地元のテレビ局が入国するロシア人観光客の様子をカメラに収めていました。琿春市にとってロシア人観光客は大切なお客様ですし、その盛況ぶりを伝えることで、地域の発展をアピールしたいのでしょう。
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さて、ここでロシア人の皆さんとはお別れなのですが、琿春口岸でぼくは1冊の地元を案内するフリーペーパーを入手しました。中国名は「邊城傳媒」ですが、もちろん全編ロシア語です。
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「邊城傳媒」の体裁はA5版オール4色、本文64P。表紙や裏表紙、表2、表3も入れたほぼすべてが広告スペースとなっています(琿春市内MAP、中ロ対照旅行会話、出入国と税関に関する案内、発行元の広告会社のページを除く)。成田や羽田に置かれた外国語の日本案内と基本的に同じ性格の媒体です(デザインや編集のクオリティについてはともかく)。

そこには、琿春に滞在するロシア人が訪れるであろうスポットが掲載されています。せっかくですから、どんな場所が載っているか、見てみましょう。基本各ページに1店舗ですが、見開きでページを取っている施設もあります。まずはショッピングセンターの広告です。
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「温州商場」とありますから、不動産投機で悪名高い温州商人の投資によるショッピングセンターと思われます。ロシアの女の子たちがショッピングバッグを抱えて笑顔を振りまいている写真がポイントでしょうか。

次は、家電と毛皮の店です。中国の家電産業の発展ぶりから前者の店はわかるとして、なぜ毛皮の店なのか。実は、中国では毛皮製品がロシアに比べて圧倒的に安いからです。
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ウラジオストク滞在中、ぼくはたくさんのロシア人と知り合ったのですが、そのひとり、鳥取県ウラジオストクビジネスセンターのベルキナ・アンナさんによると、「ウラジオストクのOLの給料はそんなに高くないので、半年間我慢してお金をためて、年に2回琿春や綏芬河に行って毛皮やバッグを買いに行く」のだそうです。ちなみに、同センターは鳥取県のいわゆる在外事務所のひとつ。ウラジオストクと境港は週1便の航路で結ばれています(→「境港(鳥取県)発ウラジオストク行き航路をご存知ですか?」)。

これは遊園地と眼鏡店の広告です。ミニサイズのメリーゴーランドやフライングパイレーツが置かれた、まるで移動遊園地のようなアミューズメント施設です。ロシア人ファミリー客のニーズに応えるものでしょうか。他にも子供服やケーキショップの広告もありました。また、眼鏡もロシアに比べ相当安いのでしょう。
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最後は中ロ対照旅行会話と歯医者の広告です。現地でお会いした朝日新聞ウラジオストク支局の西村大輔記者によると、「歯の治療のために琿春に行くロシア人は多い」のだそうです。実際、フリーペーパーには6軒の歯科が掲載されていました。
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以下、広告の掲載店舗軒数をジャンル別に整理してみました。

ファッション関係(洋品、毛皮、バッグ、靴屋など) 12
歯科 6
レストラン(西洋料理がほとんど。中華料理店は1軒のみ) 6
美容・エステ関係 6
薬局 4
ショッピングセンター 4
家電販売店 3
アミューズメント施設(遊園地、ボーリング場など) 3
検診病院 2
サウナ・スパ 2
ケーキショップ 2
その他(アウトドア用品店、健康器具販売店、ふとん販売店、中国特産土産店)

これだけ見ていても、ロシア人が琿春でどう過ごし、どんなものを買い物しているかよくわかります。一般に極東ロシア人の中国旅行は買出しツアーと思われていますが、その内実は思いのほか多様なようです。とりわけ、前述した歯科や検診、美容といった医療関連のサービスが多いことに気がつきます。

観光庁は以前、極東ロシア人の医療や検診を日本で受けてもらうようにと、メディカルツーリズムの推進を働きかけたことがあります。しかし、実際には一般市民は中国で、少し経済的に余裕のある層は、日本ではなく、韓国に治療に行くと聞きます。コスト面の理由もあるでしょうが、やはり日常的に極東ロシア人たちが中国の朝鮮族自治州で医療を受けているのだとしたら、難易度の高い治療は韓国へ、という流れになるのは自然なことでしょう。韓国で学んだ朝鮮族医師も多いことが考えられるからです。
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こうした実態は、これらのモノやサービスをロシアで手に入れることがいかに難しいか、それを隣の国に出かけ、わざわざ埋め合わせしなければならないことを物語っています。

あるウラジオストクの関係者によると、「2000年頃、極東ロシア人は自国に比べ中国の圧倒的なモノの豊かさに衝撃を受けた」といいます。20世紀初頭の社会主義革命以降、ずっと兄貴分のつもりでいたロシアは、敗北を認めざるを得なくなったのです。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-18 16:33 | ノービザ解禁間近!極東ロシア | Comments(0)
2013年 06月 18日

極東ロシアの田舎町をドライブする~数千台の日本車積替と渤海の港

中国吉林省の延吉を起点に国際定期バスで極東ロシア入りしたぼくは、シベリア鉄道の終着駅のあるウラジオストクで数日過ごした後、中国に戻ることになりました。でも、往路と同じように路線バスに乗るのではつまらないので、復路はランドクルーザーをチャーターして途中いくつかの場所に立ち寄りながらドライブすることにしました。そして、国境の町の宿で一夜を明かすことにも。
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ロシア時間の17時(中国時間は14時。当然まだ陽は高い)、ウラジオストクを出発。市内はあれほど渋滞がひどかったのに、郊外に出ると車が減りました。ウラジオストクは半島の先にある都市なので、中国国境方面に向かうには、いったん北上し、半島の付け根で折り返さなければなりません。その頃にはもう対向車もたまにしか現れなくなります。
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往路で休憩したドライブインを通り過ぎました。大きなトラックが停車しています。小さな村を通ると、人影が見えます。
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ほぼ無人の一本道を日本製のランドクルーザーはひた走ります。ウラジオストクから1時間も走ると、徐々に道路の舗装が悪くなります。
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ザルビノという港町に立ち寄りました。トロイツァ港は日本から完成した自家用車を陸揚げし、列車でモスクワ方面に運ぶ積替港でした。トヨタ車やマツダ車だといいます。緑の湿原に囲まれた何もない場所に、突如何千台という車が並ぶという光景はちょっとした奇観といえるでしょう。
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港は入り江になっていて、対岸には小さな集落と缶詰工場があるそうです。そこで働くのは北朝鮮からの労働者と聞きます。
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次に立ち寄ったのは、ポシェット湾の石炭積み出し港でした。ロシア人労働者がふたりビール瓶を片手に現れました。ここには中国からの労働者も働いているそうです。
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ウラジオストクはすっかり化粧直しされて、ソ連時代を強く思い起こさせる痕跡はそんなに見つからない印象でしたが、こうして田舎町を訪ねてみると、この古い団地もそうですが、社会主義時代の裏さびれた停滞感を連想させる物件に出会います。しかし、それも仕方がないことというか、沿海州というのは、言うまでもなくロシアの最果ての場所なのです。
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ポシェット湾の入り江を見渡す場所で車を停めました。実はこのあたりは、いまから1000年以上前にこの地に勃興した渤海(698年-926年)が日本との交流のために計34回送り出した使者が出航した港があった場所ではないか、といわれています。当時の渤海の版図に極東ロシアの沿海州南部はすっぽり収まっています。夕闇が迫ってきて薄ぼんやりとしたポシェット湾でそんなことを考えていると、とても不思議な気分がします。
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それから車は西に向かい、ロシア時間の23時になってようやく国境の町クラスキノにたどり着きました。そして、町に一軒だけのオリオンホテルにチェックインすることに。
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この国境宿はもともと中国の投資によって建てられたホテルのようです。1990年代初頭のソ連崩壊以降、多くの中国人が行商人や労働者として極東ロシアに入り込みました。ところが、その数の多さに慌てたロシア政府は入国管理を厳しくします。今回のバス旅行でもわかったように、現在の人の流れはむしろロシアから中国に買い出しに来るロシア人のほうが多そうです。となれば、この中国資本の国境宿はさびれるほかありません。現在は地元ロシア人の経営となっています。

ちなみにツインで1泊2000RB(約5000円)。中国の地方都市であれば1泊100元(約1500円)程度の水準のホテルでしかありませんが、ロシアは中国に比べあらゆるものが高いです。それが極東ロシア人の買い出し旅行の背景となっています。

それにしても、場末感がたっぷり味わえる国境宿ならではのホテルでした。極東ロシアと中国辺境の国境の町なんて、そりゃもう世界の最果て。あらゆる世界の動向から置いてけぼりにされている(それはちょっと言い過ぎですが)、そんな場所で一夜を過ごすという気分も悪くはありません。

ロビーの脇に薄暗くだだっ広い食堂がありました。この町ではそこ以外で食事ができる場所なんてないので、遅い夕食をとりました。メニューを見てもロシア語なので詳しくはわからなかったのですが、イカフライやチャーハン、ロシア風サラダなどを適当に注文しました。実は、その晩のメインディッシュは、ウラジオストクでお世話になったロシア人から購入することになった茹でたタラバガニでした(別にこちらが頼んだわけではないのですが、旅先ではよくあることです)。田舎の食堂ですから、そういう勝手な持ち込みにもうるさくないので助かりました。

客は我々以外に数組のロシア人がいましたが、注文した料理はなかなか出てきませんでした。仕方がないので、食堂の隣にささやかなバースタンドがあり、飲み物を注文することにしました。こちらは種類もなかなか豊富です。さすが酒飲みの国ロシアというところでしょうか。ビール30RB、赤ワイン250RB、ウォトカ300RB、それぞれボトル1本の値段です。お酒だけは安いんですね。

さて、翌朝早く起きて町を散策しました。そこかしこにソ連時代の名残が置き捨てられたようにありました。
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クラスキノは、中国に向かう道路の両脇に学校や民家、雑貨屋などが並ぶ小さな町です。ロシアの田舎町を歩くなんて機会はそうあるものではないので、1時間ほどふらふら歩いて、町の中心であるバス停に行くと、すでに中国行きのバスが数台停車していて、発車を待っていました。
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9時発の第一便に乗りたかったのですが、あいにく満席。仕方なくウラジオストク方面から来るバスを待ち、結局10時20分発の琿春行きのバスに乗り込むことができました。バス代は琿春まで1650RB(うち300RBは国境手配料だそうです)。やはり中国側からロシアに来るのに比べて、運賃も割高ですね。

(2012年6月下旬)
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by sanyo-kansatu | 2013-06-18 10:40 | ノービザ解禁間近!極東ロシア | Comments(0)
2013年 06月 17日

国境を越えるとこんなに風景が違うのか!?【中国からバスで行くウラジオストク(後編)】

ロシアの入国手続きをすませると、それまで空を覆っていた黒雲がウソのように消え、快晴になりました。

あとで聞いた話では、ロシア沿海州南部は日本海に近いため、この季節の朝方は霧に覆われることが多く、お昼どきになると急に晴れるのだそうです。

琿春のバスターミナルを出てロシア入国が終わるまでに、約2時間かかっていました。ところが、極東ロシアは中国に比べ3時間も時差が進んでいます。つまり、中国ではまだ午前10時過ぎなのですが、ロシアでは午後1時になります。

ロシア側の国境の町はクラスキノといいます。スラビャンカに向かってバスは走り出しました。
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車窓の風景には手つかずの自然と緑の大地が広がっていました。中国側の至る所で土地を掘り起こし、耕作地にした風景とはまったく違います。
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国境を越えると、こんなにも風景が違うのかという驚きがありました。ここ沿海州南部は古代、のちに清朝を建国する満洲族などの少数民族が暮らしていました。本来この地域の自然や風土は同じなのに、国境が敷かれることで、国家と民族のありようが自然の景観を大きく変えてしまったということなのでしょう。
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2時間ほどでスラビャンカに到着しました。田舎町の小さなバスターミナルです。
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残念なことにその日スラビャンカからのフェリーは運航していなかったため、ウラジオストク行きの路線バスに乗ることにしました。

1時間ほど時間があったので、ターミナルの周辺を歩くことにしました。ロシア人の子供たちや若いママさんたちとすれ違いました。
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ターミナルの裏に町の市場がありました。野菜や果物、衣類、靴などがふつうに売られています。モノの値段は、モスクワから遠く離れたこの地だけに、中国製品が多く、安くはないようです。
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雑貨屋に入ると、中国では見ることのないロシアの食材が並んでいました。海産物が多いのも、沿海州ならではでしょう。
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小さな食堂でロシア風餃子のペルメニとサラダのランチを食べました。ロシアビールも悪くありません。
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さて、いよいよバスが発車します。ロシアのローカルバスの中はこんな感じです。
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のどかな一本道をバスは疾走します。ただし中国の幹線道路に比べると、舗装はいまいちで、よく揺れます。
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途中1回ドライブインで休憩。コーヒーショップもあります。
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ウラジオストクが近づくと、道路も2車線になりました。
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市内に入ると、急に風景が都会になったのですが、ひどい渋滞です。
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朝6時に中国の延吉を出て、ウラジオストクのバスターミナルに到着したのはロシア時間の18時(中国時間の15時)でした。ほぼ丸1日かけての国境越えの旅でした。
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【Travel Tips】スラビャンカからウラジオストクへの路線バスの運賃は367RB(約900円)でした。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-17 18:52 | ノービザ解禁間近!極東ロシア | Comments(0)
2013年 06月 17日

意外にすんなり!? ロシア入国ドキュメント【中国からバスで行くウラジオストク(前編)】

中国吉林省の延辺朝鮮族自治州は、中国、ロシア、北朝鮮の3つの国境に囲まれたエリアです。以前、本ブログでも中国側からこれら3カ国の国境が重なる場所を見渡せる防川展望台を紹介したことがあります(→「中朝ロ3か国の国境が見渡せる防川展望台(中国吉林省)」)。

でも、ただ眺めているだけじゃ、つまらないじゃないですか。そこで、中国から国際定期バスに乗って極東ロシアのウラジオストクまで小旅行に出かけてみたのが、ちょうど1年前の2012年6月下旬のことです。
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当初からウラジオストク行きの直行バスで行く予定でした。延辺朝鮮族自治州の中心都市の延吉からロシアのウラジオストク経由でウスリースクまで行く国際定期バスが1日1本あるからです。バスの出る「延吉公路客运总站‎」の掲示板には、中朝ロ3カ国語で地名表示してあります。
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ところが、出発日の前日に延吉のバスターミナルでチケットを購入しようとしたところ、満席とのこと。なぜもっと早く予約しておかなかったのか……。いきなり出鼻をくじかれてしまいました。そこで、ひとまずロシア国境のある琿春までタクシーで行き、そこからロシア行きの国際バスは1日何本かあるらしく、それに乗ろうということになりました。けっこう行き当たりバッタリの旅だったんです。
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朝6時、延吉市内のホテルからタクシーに乗って琿春方面行きの高速を走りました。約1時間で琿春到着。琿春のバスターミナルは、国境の町を意識しているのか、ロシア風の建築でした。
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ターミナルの構内には、ロシア行きのチケット売り場があります。ウラジオストク直行バスの発車時刻までかなり時間があるため、7時50分発のスラビャンカ行きに乗ることにしました。
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スラビャンカは中国語で「斯拉夫杨卡」。ウラジオストクに行く途中の町ですが、地図によると、そこからウラジオストクにつなぐフェリーが出ているようです。バスとフェリーを乗り継いで行くなんて、ちょっと楽しそうではないですか。 
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出発時刻が近づいたので、バスに乗り込むと、乗客の大半はロシア人でした。なんでも国境の向こうに住む彼らは琿春によく買い物に来るそうです。こうして我々はロシア人観光団ご一行と一緒にウラジオストクを目指すことになったのでした。
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バスターミナルを出ると、ロシア語と中国語とハングルの併記された琿春市街を抜け、郊外にある琿春口岸(出入国施設)に向かいます。車窓に見る国境近くの風景は畑が広がり、中国ではあらゆる場所が耕作地だと、あとでロシアと比べてあらためて気づくことになります。
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「中華人民共和国 琿春口岸」と書かれた出入国管理所の巨大な門の前でいったんバスを降り、出国手続きに向かいます。
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ロシアのおばさんたちはずいぶん買い物しているようです。
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なかにはロシアと商売をしている中国人客もいました。出国書類を書いていました。
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いよいよパスポートチェックです。我々日本人もそうですが、ロシア人もただ出国するだけなので、時間はかかりません。
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再びバスに乗り、ロシア側の出入国施設に移動します。
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中ロ両国の国旗が掲揚されるボーダーを抜けると、ロシア側のずいぶん簡素な出入国施設が見えてきました。隣に新しいイミグレーションのビルを建設中でしたから、今頃はこちらに移っているかもしれません。
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さて、ロシアへの入国手続きです。ロシア人と同じ列に並び、「Passport Control」と書かれたゲートに入って、パスポートとビザを渡します。特に何も聞かれることなく、約2分でチェックは終わりました。手荷物チェックでは、一応麻薬犬もいましたが、特に何かを聞かれることもありませんでした。
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出入国管理所を出ると、ロシアの空は青く晴れ渡っていました。
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【Travel Tips】ロシア入国にはビザが必要です。しかも今回のような陸路入国の際は、入国地が記載されたビザでなければなりません(延辺から入国の場合、クラスキノになります)。そのため、今回ウラジオストクの旅行会社から入国地を記載した招聘状(宿泊ホテルの予約も必要)を出してもらいました。それを持って在日ロシア大使館に行けば、所要2週間でビザを発給してくれます(つまり、招聘状は有料、ビザは無料です)。

延辺からの国際定期バスは延吉か琿春のバスターミナルで5日前から購入できます。バスのチケット代は、琿春からスラビャンカまでが285元(約3700円)でした。

※この旅の続きは、「国境を越えるとこんなに風景が違うのか!?【中国からバスで行くウラジオストク(後編)】」をどうぞ。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-17 17:28 | ノービザ解禁間近!極東ロシア | Comments(6)
2013年 03月 10日

境港(鳥取県)発ウラジオストク行き航路をご存知ですか?

たぶん世間ではほとんど知られていないことだと思いますが、鳥取県の境港から極東ロシアのウラジオストク行きの定期航路があるんです。

DBSクルーズフェリーといいます。韓国の海運会社が日本の境港、韓国の東海、ロシアのウラジオストクを結ぶフェリーを2009年7月から定期運航させているのです。ぼくも最近までまったく知りませんでした。

境港~ウラジオストク間を週1便・2日で運行。料金は、スタンダードクラスの相部屋で、境港-ウラジオストクが片道22,500円、往復37,000円(2013年度)だそうです。
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DBSクルーズフェリー
http://www.dbsferry.com/jp/02_ticket/ticket03.asp

いったいこんな航路を誰が利用するのだろう。しかも2日もかけてウラジオストクへ? という気はしますが、鳥取県の関係者に聞くと、大半を占める客層は、韓国から日本の山陰地方に遊びに来る韓国人だそうです。なにしろ東海・境港間は片道9000円で来られるのですから。ロシア人もたまに利用するそうです。山陰にはいい温泉がいっぱいありますからね。でも、ウラジオストク方面に乗る人はどれだけいるのか?

実際にこの航路でウラジオストクへ行った日本人をぼくはひとり知っています。その人は鳥取県庁の職員で、旅好きのよこぢよしてるさんといいます。彼の乗船記は「地球の歩き方 大連 瀋陽 ハルビン2013-14年版」のp335に掲載されています。客船内にはバーやレストラン、共同浴場などもあって、そこそこ快適だそうです。日本海を渡る定期航路がほぼ絶滅してしまっているいま、時間を見つけて一度は乗ってみたいと思います。

定期航路開設の経緯や現状については、以下を参照。
鳥取県庁 http://www.pref.tottori.lg.jp/dbs/
境港市役所 http://www.city.sakaiminato.lg.jp/index.php?view=7345

また実際の予約については、ここに問い合わせを。
DBSクルーズフェリージャパン(株) 
鳥取県境港市昭和町9-23 国際旅客ターミナル内
TEL:(0859)30-2332
http://www.dbsferry.com/jp/main/main.asp
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by sanyo-kansatu | 2013-03-10 18:36 | ノービザ解禁間近!極東ロシア | Comments(0)