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2016年 12月 28日

実は香港客だった!?「新千歳空港で中国人観光客大暴れ」報道、中国側の反論

先日、新千歳空港で起きた「中国人観光客大暴れ」報道については、中国でも話題になっていたようです。

「「大雪欠航」でゲートに乱入、新千歳空港で中国人観光客大暴れ」の背景を考える
http://inbound.exblog.jp/26507044/

上海在住の友人はこう言います。

「中国のSNS上では、中国人の恥さらしだ、けしからん。そう嘆く人も多いのですが、一方で航空会社の不手際と空港側の対応を非難する声も多いです。事実かどうかわかりませんが、彼らの反論の主旨は「航空会社がホテルを手配せず、3日間も空港での缶詰め状態で、かつ中国だったら当然ある飲食の差し入れもなく、そして航空会社からの満足のいく説明がない。これなら乗客が怒って当たり前だ。これで黙っているのは、異常な忍耐力のある日本人だけだ。これでおもてなしとか、サービスが良いとか言ってる日本人が聞いて呆れる」というものです。

ここでのひとつのポイントは食事です。天候不順やよくわからない理由で航空機が遅延した際に航空会社の職員に詰め寄って、大声で抗議しまくるのは、中国大陸ではよくあることです。ニュースになるなんてありえないくらい、本当によくあることです。

ただそういった場合、中国の航空会社も慣れたもので、まずお詫びと誠意の印として弁当などの食事とミネラルウォーターを出してくれます。中国人の気を静めるのに「食事」が重要だということをわかっているからです。食への思い入れは、日本人には想像できないものがあります。だから、航空会社は乗客を絶対に空腹にさせないことをまず考えます。中国人に日本人のような忍耐力と自己犠牲を求めるのは不可能です。他のみんなも同じ状況なのだから、自分だけ不平不満をいうのはやめようなどとは、考えられない人たちです。

そういう事情をふまえて中国側の記事を読むと、少しでも中国事情に精通している人であれば、なるほど彼らが言いたいのはそういうこと(日本側にも落ち度があったに違いない)かと納得できます。そこがわからないと、また愚かで傲慢な中国人がバカをやらかしているという最近日本でよくある失笑誘いネタになってしまいます。

今後も、アジア、特に中華圏からの観光客が増えていくなかで、マナーうんぬんは別にして、空港など公共施設や交通機関は、リスク管理が必要だと思います。

ちなみに、今回トラブったのは、正確には中国大陸人ではなく香港人のようです。そのことに、日本のメディアがどこまで気がついていたのか。もしそれを承知で「中国人観光客」と書いているのだとしたら、最近の中国人を蔑んで喜んでる系の大衆迎合報道と受け取られても仕方がありません」。

そうなんです。騒ぎを起こしたのは、中国客ではなく、香港客だったというのです。あるいは、これでは中国報道をただうのみにしたことになるので、公平を期して言うと、香港便の乗客だったようなのです。ただし、香港便は広東省住民もよく利用するので、本当のところはわかりません。

※新千歳空港の香港便は、日本航空とキャセイパシフィック航空(共同運航)、そして中国の海南航空のグループ会社の香港航空です。

さらに、彼のいう「それを承知で「中国人観光客」と書く」という意味は、ちょっと込み入っています。中国では、香港も台湾も「ひとつの中国」として見ています。つまり、香港人も台湾人も中国人だというのが中国政府の主張です。一方、日本に限らず海外のメディアは、「ひとつの中国」という主張を一応受け入れながらも、実は香港も台湾も民主的な社会である以上、中国とは別物として見ています。実際、当の本人たちもそう考えている。ですから、今回日本のメディアが騒ぎを起こした香港客のことを「中国人観光客」と書くことは、中国政府の主張に立てば間違っていないのですが、中国のネットユーザーからみると、「普段は香港も台湾も中国とは別物」と言わんばかりの日本のメディアが、粗相をしたときに限って、香港客を「中国人観光客」と書くのは底意地が悪すぎる、というわけです(ああ、面倒臭さい)。

以下は、中国版SNSのWe Chat(微信)に転載された記事です。

100余名中国游客航班延误大闹日本机场?这些幕后细节你也要知道!(100名の中国客が日本の空港
で大騒ぎ? あなたはこの舞台裏の詳細を知らなければならない) (原创 2016-12-26)
http://mp.weixin.qq.com/s/m-9PhwJQNwt3RB5zhNlB4w

上海の友人の見解は、この記事を読んで書いたものでした。日本のメディアでは一方的に中国客が悪いと報じているけれど、日本の空港側にも不手際があったのではないか、という中国側の反論です。彼らがこのように言いたくなるのは、以下のような日本のテレビ番組に対しても見られたものと共通しています。彼らだって言われ放題ではたまらないと思うのは当然のことでしょう。

中国人は自国の観光客マナー問題を煽る日本のテレビ番組に耐えられない!? (2016.5.30)
http://inbound.exblog.jp/25834092/

彼のメールを読みながら改めて思ったのは、不測の事態に陥った中国人にケアする際の「食事」の重要性の認識です。このあたりは、日本人にはまったくわからないですよね。日本人なら、物事には優先順序があり、まず重要なのは正確な情報で、こんなときに食事のことなんて言ってる場合じゃない。それが普通の感覚でしょう。

でも、彼らはそうではないのです。ひとまず落ち着かせるためには、食事に最も気を使うべきだった、というわけです。だとしても、3日3晩も夜明かしした人がいたとしたら、それどころの話ではなかったでしょうけれど。

要は、彼が言いたいのは、これだけ中国客が増えた以上、中国客専用の「取り扱い説明書」をつくり、その内容を空港関係者も把握しておかなければ、今回のようなことがまた起きるということです。

空港側が実際に夜明かし客にどのような対応したか具体的に知らないのに、あれこれ書くのは気が引けますが、考えられることは、空港側と外国客との間のコミュニケーションが十分とはいえなかっただろうということです。

基本的に日本人には中国人のモノの考え方がよくわからないので、日常的にもコミュニケーション不全に陥りやすいわけです。である以上、こういう特殊な状況ではなおさら、マニュアル的な対応だけでは、中国の人たちに対して、こちらの配慮も届かないことをまずは知るべきなのでしょう。

一方、香港のような亜熱帯に暮らす人たちは、大雪で欠航という事態を頭ではわかっても、現実的に受けとめることは簡単ではないことが考えられます。彼らにとって大雪とは天変地異と変わらないでしょうから。それだけ彼らは精神的に追い詰められていたということでもあります。

日本人の感覚では、空港の滑走路を覆う大雪を見ながら「こういう状況なんだから、しょうがないでしょう」と暗黙のうちに、言葉をかけなくても、相手も理解してくれるだろうと期待するかもしれません。しかし、それが以心伝心で伝わるのは、国内客とサハリンから来たロシア客だけだったかもしれません。

まったく難しいものです。

【追記】
その後、この件の真相を解き明かす検証記事が出てきました。

興味深いことに、以下の記事では、中国側が指摘する「騒動を起こしたのは、中国客ではなく、香港客(正確にいうと、香港線の乗客)」は誤りのようで、「13:50発予定の北京行の中国国際航空のCA170便」の乗客であるかのように書かれています。

「新千歳空港で暴れた中国人乗客」騒動の真相(Wedge2017年1月17日)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8701

えっ、騒動を起こしたのは、やっぱり中国客だった? 

一方、この記事を受けて、ひとりの在日中国人の論客が以下の記事を書いています。

中国人観光客による新千歳空港での「暴動」、真相はこうだった(ダイヤモンドオンライン2017.1.19)
http://diamond.jp/articles/-/114700

これによると、「新千歳空港で3日間も足止めされた香港の女優ミッシェル・リー(李嘉欣)もいよいよ我慢できなくなったのか、12月25日未明の3時頃、SNSの微博にキャセイパシフィック航空を名指して、私たちは新千歳空港で3日間も待たされていたのに、キャセイパシフィック航空から情報の連絡や手配の一つも提供されていない。一方、他の航空会社は次々と運航を再開した、と批判の書き込みをした」とあり、おそらくこれに中国側が反応して、「騒動を起こしたのは香港客」という判断が生まれたでのはないか、という気がしないではありません。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-28 20:40 | 気まぐれインバウンドNews | Comments(3)
2016年 12月 27日

「「大雪欠航」でゲートに乱入、新千歳空港で中国人観光客大暴れ」の背景を考える

年の瀬にこんな話を書きたくないのですが、また訪日中国客の騒ぎが報じられました。TBSが伝えています。

「大雪欠航」でゲートに乱入、新千歳空港で中国人観光客大暴れ(TBS系(JNN) 12/26(月) 14:10配信)
https://www.youtube.com/watch?v=3Og11ZvYUrM


大雪の混乱が続いた北海道の新千歳空港で、飛行機が欠航したことに腹を立てた中国人が、警察官に激しく詰め寄る騒動がありました。

中国人観光客がゲートを勝手に越え、駆け付けた警察官に激しく詰め寄ります。撮影されたのは24日午後8時ごろ、新千歳空港の国際線ターミナルで、大雪のため飛行機が欠航したことに腹を立て、100人ほどの中国人が騒ぎ出しました。さらに、数人がゲートを勝手に越えたため、警察官と小競り合いになりました。この騒ぎによるけが人はいませんでしたが、2人が気分が悪くなり病院に運ばれました。

新千歳空港では大雪の影響で、22日から24日の3日間で、1万1600人が空港で寝泊りしました。


いったいなぜこんなことが起きてしまったのか。現場で取材することはできないので、ネットなどで知りうる限りの情報から考えてみたいと思います。

まず北海道の天気から。確かに、今月22日(木)、23日(金)と札幌は大雪だったようです。

札幌の過去の天気(2016年12月)
http://weather.goo.ne.jp/past/412/

NHKも大雪による欠航や「新千歳空港では23日に284便が欠航し、空港で夜を明かした人がこれまでで最も多い6000人に上」るとすでに報じていました。「50年ぶりの大雪」ともなれば、夜明かしも無理はないことでしょう。

北海道で50年ぶりの大雪 交通への影響続く(NHK12月24日)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161224/k10010818641000.html

北海道では各地でまとまった雪が降り、札幌市では12月としては50年ぶりの大雪となりました。JRが札幌駅を発着する24日午前中のすべての列車を運休するなど、影響が続いています。

札幌管区気象台によりますと、北海道の各地は23日、日本海側の南部を中心に大荒れの天気となり、雪が降り続きました。

札幌市では23日午後9時すぎに96センチの積雪を観測し、12月としては昭和41年以来50年ぶりの大雪となりました。

札幌市では24日午前中から除雪に追われる人たちの姿が多く見られました。このうち札幌市北区の住宅街では、住民が道路に出て、シャベルなどを手に、家の前に降り積もった雪を次々に片づけていました。

除雪された雪は場所によっては2メートルほどの高さにまで積み上げられ、山のようになっています。

雪の山が車道にはみ出して、車1台がやっと通れる幅しかないため、行き交う車が道を譲り合う様子などが見られました。

70歳の男性は「雪かきの作業を始めて2時間くらいたちます。今月は珍しいくらいに次々に降るので、除雪も大変です」と話していました。

また、28歳の男性は「クリスマスイブに雪があるということは、ロマンチックでいいことなのでしょうが、雪の量があまりにも多いので、半分くらいがちょうどいいですね」と話していました。

気象台によりますと、24日は冬型の気圧配置が緩み、天気は回復していますが、気象台は積もった雪による雪崩や交通への影響に注意するよう呼びかけています。

新千歳空港 混雑続き遅れも

23日に欠航が相次いだ北海道の新千歳空港は、24日もキャンセル待ちの人などで混雑し、発着便に遅れが出ています。

国土交通省新千歳空港事務所などによりますと、新千歳空港では23日に284便が欠航し、空港で夜を明かした人がこれまでで最も多い6000人に上りました。

24日も航空会社のカウンターの前にはキャンセル待ちをする人などで長い列ができています。

搭乗手続きに時間がかかっているほか、JRが運休している影響で、発着する多くの便に遅れが出ています。また、空港のバスの乗車券売り場は、JRが運休している影響で、バスで札幌などに向かおうと長い列ができていました。

空港事務所によりますと、24日は1日を通してまとまった雪は降らない見通しで、機材繰りで欠航となっている一部の便以外は運航する予定です。航空各社は、今後も発着に遅れが出るおそれがあるとして、最新の運航状況を確認するよう呼びかけています。


さて、この事件の背景がだんだん見えてきました。

問題は、すっかり晴れたという24日(金)になっても、乗れない人たちが続出したことだと考えられます。乗客たちの多くは当然、飛行機に乗れるだろうと思ったのに、そうならなかったこと。これが一部の中国客の混乱を呼んだものと思われます。

しかし、空港の除雪作業もあったでしょうし、何より3日間で「1万1600人」が空港で夜明かししたわけですから、当日客もいる以上、どんなに機材をやりくりしても、全員が乗れると考えるほうが無理があったと思われます。

空港で夜明かしした人は、国内客も含め、中国客ばかりではなかったことでしょう。新千歳空港の国際線は、中国線以外にも、ユジノサハリンスク(ロシア)やソウル、プサン、大邱、台北、高雄、香港、バンコク、クアラルンプール、シンガポール(ホノルルとグアムはアウトバウンド路線なので外国客は少ない)があります。

ちなみに中国路線は以下のとおりです。

北京
中国国際航空CA170(全日本空輸 NH5757) 13:50発 火・水・金・土・日曜運航(12月19日から毎日運航)
天津
天津航空GS7972 20:05発 金・日曜運航
上海
中国東方航空MU280(日本航空JL5633) 13:30発 毎日運航
春秋航空9C8792 13:50発 毎日運航

新千歳空港HP
http://www.new-chitose-airport.jp/ja/

これをみると、北京、天津、上海のすべてが木・金いずれかが運航日になっているので、中国客の多くが空港で夜明かししたことがわかります。

一般に天候などの理由で国際線が欠航した場合、乗客は航空会社が宿泊ホテルを手配し、そこで一夜を明かし、翌日便に振り返られます。実は、ぼくは北京空港で2年連続欠航の憂き目に遭い、航空会社が手配した空港に近いホテルに泊められたことがあります。

ただし、北京で欠航になったのは、大雪ではなく、PM2.5による視界不良で航空機の発着が不可能になったためでした。最近も改善していないようです。

北京の街が白く…PM2.5で大気汚染深刻(日テレNEWS24 2016年12月20日)
http://www.news24.jp/articles/2016/12/20/10349524.html

中国・北京で20日朝、大気汚染物質PM2.5の値が上昇するなど状況が悪化している。

16日から大気汚染警報としては最も重い「赤色警報」が発令されている北京では、20日朝、PM2.5の値が日本の環境基準の10倍以上になった。警報を受け、北京では車のナンバーによる車両規制を行ったり、一部の工場で操業を停止したりするなどの緊急措置がとられている。

市民「気持ち悪い気がするが、マスクをするとだいぶマシになる」

来年2月からは排ガス規制の基準を満たさない乗用車の中心部への乗り入れ禁止などが決まっているが、対策が追いついていないのが現状。


中国の新人類は日本の青空に魅せられている
http://inbound.exblog.jp/24302307/

そのとき、ぼくはチェックインをする前から遅延だと言われ、空港で5時間近く待たされましたが、結局、夕方になってようやく欠航だと告げられました。北京空港の空の事情ゆえに、日本から航空機を本当に飛ばして大丈夫なのか、決めかねていたものと思われます。大雪とか台風といった理由ならわかりやすいのですが、PM2.5による視界不良という事態は、中国ならではの特殊な事情だからです。実際、空港は深い霧に覆われたような世界でした。空港に向かうタクシーも50m先くらいしか見えない状態でした。

「いったい、どうなるの? まさか、ホテルを手配してくれないってことはないよね」。

こういうときに、どう適切に乗客に対応するかが航空会社のサービスの評価になるのですが、たとえ日系航空会社の便だとしても、北京線は中国系との共同運航も多く、実際は中国系と変わらない場合も多い。

で、当然のように、きちんとした説明もなく、いきなり数人の職員が現れ、「これからホテルに移動します」と声をかけられ、バスに乗ることになりました。特に欠航の理由を説明されたわけでもなく、まあひどい対応です。こういうとき、中国人はすぐに官僚的になり、サービスのことなど考える余裕すらないようです。実は、ぼくは同じことを2年連続で経験したため、2度目のときは、市内に戻り、昨日まで泊まっていたホテルに頼んで連泊扱いにしてもらいました。

あてがわれたホテルとそこで供された食事がひどかったせいもありますが、せっかく滞在が延びたので、友人と一緒に食事をするほうがずっと楽しいと思ったからです。

結局、こういう場合、地元客は自宅に帰って待機すればすむ話なのですが、外国客はそうはいきません。ぼくの場合も、通い慣れていた北京だったので、しかも同じことを2度も経験したことから、それなりの対処法をとることができたわけです。

でも、そうはいかないケースがほとんどでしょう。これは特に中国線にいえることですが、北京、天津、上海線のどれも大半の乗客は、日本客ではなく、中国客だからです。つまり、欠航した航空会社が彼らのためにホテルを用意できたかというと、(これは事実確認できない以上、よけいなことは書けませんが)当然難しかったでしょう。空港周辺のホテルの客室には限りがありますし、クリスマスシーズンを北海道で楽しみたいと訪れたいた外国客はハンパなく多かったからです。

また、はっきり言えば、海南航空のグループ企業にすぎない天津航空やLCCの春秋航空では、最初から対応することは考えていなかったでしょう。LCCは安価と引き換えに自己責任が伴うのは世界の常識です。

ところで、このニュースをぼくは最初、ヤフーで知ったのですが、コメント欄をみると、あるジャーナリストの以下のような書き込みがありました。

「こうした出来事によって、日本人の中国人全体に対する悪感情が強まるだろうと思うと、とても残念です。多くの日本人は「ああ、やっぱり中国人は・・・」と思うことでしょう。でも以前、私の上海の友人も新千歳空港でまったく同じ出来事に遭遇して、悲しい思いをしたことがあったと話してくれたことを思い出しました。その人は日本語ができるので、暴れる中国人たちを制止して、厳しく注意した上、日本のマナーを教えてあげるとともに、このような出来事によって、他のちゃんとした中国人が日本の旅行先で、どんなにつらい思いをしているかわかるか、と涙ながらに語った、と話してくれました。今回、現場がどのような状況だったかわかりませんが、暴れた中国人たちが、日本人の係員や空港関係者に迷惑を掛けただけでなく、中国人観光客全体のイメージも大きく下げていることに気づいてほしい、と願うばかりです」

う~ん、これどうなんでしょう。

これまでぼくは本ブログでも、訪日中国客の増加に伴いメディアなどでも扱われるようになったこの種の騒ぎについて書いてきました。特に今年に入ってその回数は増えています。

中国人不法ガイドの摘発は全国に波及するのか。訪日旅行市場に与える影響は? (2016.3.5)
http://inbound.exblog.jp/25461430/
中国人は自国の観光客マナー問題を煽る日本のテレビ番組に耐えられない!? (2016.5.30)
http://inbound.exblog.jp/25834092/
韓国メディアが教えてくれた銀座のツアーバス駐停車90秒ルール (2016.6.15)
http://inbound.exblog.jp/25913731/
中国個人客の増加で電車内でのトラブルが増える予感 (2016.11.15)
http://inbound.exblog.jp/26380202/
〔TBS・Nスタ〕中国人観光客はなぜ民家に侵入して自撮りをするのか? (2016.11.16)
http://inbound.exblog.jp/26383490
中国客が挙動不審に見えてしまう理由(すでに個人比率54%というけれど) (2016.11.19)
http://inbound.exblog.jp/26390881/
じわじわ増えている医療観光だが、盲点を突くあの手この手の不正も明らかに (2016.12.9)
http://inbound.exblog.jp/26442310/
中国クルーズ客の失踪と不法就労摘発報道 なぜ彼らはそこまでやるのか (2016.12.16)
http://inbound.exblog.jp/26479516

この種の報道があるとき、いつも思うことですが、件のジャーナリストのような情に訴えるようなもの言いは、広く共感されるようには思えません。もちろん、ネットに安易に書き込まれる悪意のこもった文面をみると、そんな正義感もわいてくるのかもしれませんが、大半の日本人は中国の現状を知る限り、自分には関係ないし、彼らとは関わりたくはないと思うだけで、わざわざ罵声を浴びせたいとすら考えていないと思われます。事情をよく知る者としては、こうした状況をどう受けとめるべきか客観的な判断を示し、さらに悪化しないためにどうすればいいかという対処を考えるべきでしょう。

残念なことですが、中国ではこの種の騒ぎはままあるものです。そうはっきり言うべきです。

特に中国の国内線に乗ったとき、遅延などあろうものなら、今回のケースほど深刻でなくても、日本では考えられないことはよくあります。あるときなど、航空機が搭乗ゲートを離れ、出発準備態勢に入ったというのに、何らかの理由で管制塔から離陸の許可がなかなか出なかったため、乗客はシートベルトをしたまま滑走路の上で1時間近く待たされていたのですが、機内はもう大騒ぎ。隣の席の子供がトイレに行きたいというので、親が客室乗務員にそう伝えたところ、「いつ離陸許可が出るかわからないので、この段階でトイレに行ってはならない」と回答。「では子供が席でおもらししたらどうするのだ」と親が言うので、その男性客室乗務員は「これにおしっこを入れてください」と空のペットボトルを持ってくる始末です。呆れて眺めていると、親は安心したように、座席で子供におしっこをさせていました。

子供のせいだから仕方がない……。この感覚をよしとする風潮がいまの中国社会にはあります。国際社会の感覚とはかなりズレていることは疑いようがありません。こうした彼らのズレた感覚の実例とその背景については、上記のブログ記事で実情に即して説明してあります。

もちろん、説明を読んだところで、なるほどそうかと受けとめることができない面も多々あるでしょう。それが証拠に、実際もし今回と同じことが欧米の空港で起こった場合、逮捕者が出ていたかもしれません。日本は何事も穏便にすませたいと処理するのが普通です。

そうしたすべてのことを差し引いても、今回のケースは、誰であれ、イライラが極限まで高まる状況にありました。その際、国内客であればまだ対処のしようがあったことも、日本に慣れていない外国客は、いかんともし難かった。彼らの多くには、なんの救いの手もなく、別の選択肢もなかったわけですから。なにしろ「50年ぶりの大雪」です。本来、いちばん同情されるべきは、夜明かし客の皆さんだったのに、それをぶち壊しにしてしまったことは、なんとも後味の悪い結末といえます。

実際、新千歳空港の職員も、さぞ大変だったことでしょう。今後、中国客をめぐるリスク管理から関係者は逃れることはできないという事実は静かに受け入れるしかありません。逆にいえば、中国客を相手にする際は、日本では起こりえないこの種のことは想定内と考えなければならないでしょう。

というのも、中国では人が多く集まる場所(空港や駅はもちろん、広場や公園、商業地などもそう)には必ず公安警察やときには武装警察まで多数配置されています。いついかなるとき、騒ぎが起こるかわからない社会であることをいちばん理解しているのは中国政府です。

ですから、観光庁はそろそろ中国国家観光局とのこの点についてもっと積極的かつ冷静に話し合いを持つべきではないでしょうか。

中国国家観光局 
http://www.cnta.jp/
http://www.cnta-osaka.jp/

【追記】
この一件について、中国側から反論が出ているようです。

実は香港客!?だった「新千歳空港で中国人観光客大暴れ」報道、中国側の反論
http://inbound.exblog.jp/26510740/
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by sanyo-kansatu | 2016-12-27 10:10 | 気まぐれインバウンドNews | Comments(0)
2016年 12月 25日

ロシア最果ての地の人たちは中国でどんな旅行を楽しんでいるのか(黒河編)

中国最北部に位置する黒龍江省は、周辺をロシアに囲まれていて、両国民の国境を越えた交流は盛んです。日本人は、このような国境を河で隔てた土地で生きる人たちの自由闊達な生活感覚について、ほとんど知らないのではないかと思います。

今年7月、黒龍江省北部でアムール河(黒龍江)のほとりにあるロシアとの国境のまち、黒河を訪ねました。
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省都のハルビンから夜行列車に乗って、朝6時に黒河到着。
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寝台車両ですでに見かけていたのですが、ロシア人観光客が多く乗っていました。
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これが黒河駅です。
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若いロシア人カップルも多くみかけました。彼らの多くは、黒河の対岸のブラゴビシェンスクというロシアの都市から中国旅行に来た人たちです。
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さて、ぼくは黒龍江のほとりに建つ黒河国際飯店に予約を入れていました。ホテルの屋上から見た対岸のブラゴビシェンスクの町並みです。川辺に浮かんでいるのは、中国人を乗せた国境観光を楽しむ遊覧船です。
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一方、こちらが黒河市内です。都市の規模も人口も、中国側が当然勝っています。
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駅で会ったロシア人たちは、黒河で一泊する場合、市内のもっと安いホテルに泊まるか、その日のうちに船でロシアに帰ります。1泊5000円相当の料金なので、えらそうに言うつもりはありませんが、黒河でいちばんいいホテルとされる黒河国際飯店には、ぼくのような外国人か、遠方から来た中国国内客、ロシア人ビジネスマンなどが利用することが多く、対岸のブラゴビシェンスクから格安ツアーで来るロシア人観光客が泊まる宿はもっとリーズナブルな場所がいくらでもあるのです。

さて、ロシア人たちは黒河で何をして過ごすのでしょうか。実は、黒河は中国にしては(なんていい方は失礼かもしれませんが)、空気も澄んでいて、中国的な猥雑さは少なく、信じられないくらいきれいな町です。1年のうち大半は厳寒の地だけに、短い夏(6月から8月くらい)を惜しむかのように、市民はこの季節を楽しんでいます。もちろん、ロシア側に比べると、町のにぎわいがあるはずです。

ロシア人たちは、そこで買い物に明け暮れます。安価で役立つ日用品や衣料など、ここぞとばかりに買い込んで帰るのです。モスクワから遠く離れた極東という土地ゆえの物価高と慢性的なモノ不足という事情があります。
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彼らが繰り出すのは、ロシアに戻る船の出る国境ゲートに近い大黒河島貿易城のロシア人向けショッピングモールです。
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ここは中国の国内客がロシア産品、たとえば、ロシア産ビールやウォットカ、チョコレートなどを買っていく場所でありますが、ロシア人たちは、中国産の日用品などを購入していきます。
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これがロシアに戻る船です。
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ちょうど護岸工事をしていて、港の周囲は土盛り状態でした。
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黒河市のメインストリートである中央街の一部は歩行者天国で、「中央商業歩行街」と呼ばれています。この界隈もロシア人にとってのショッピングゾーンです。
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この通りで目につくのは、ロシア語の看板を掲げる商店です。
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ロシア料理店もいくつかあります。歩行者天国のはずれにある「レナ・レストラン(列娜餐庁)」はロシア客ばかりでした。
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これがメニューです。基本、西洋料理ですが、ボルシチがあるのが特徴です。
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パスタとボルシチを頼んだら、新疆(ウイグル)料理風のパンが出てきました。
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衣料品の店も人気のようで、ロシア人女性が何人かである店に入ったので、どんなものが売られているのか覗いてみました。3元=100ルーブルが相場のようです。
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失礼しました。下着のお店でした。でも、ロシアの人たちにとって、こういう日用衣料がロシアに比べ中国はとても安いので、まとめ買いしたくなるのです。
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もうひとつ目についたのは、100円ショップならぬ「2元ショップ」です。2元は日本円で35円くらいなのですが、きっと現地感覚では100円くらいの値ごろ感なのでしょう。ただし、売っているのは「安かろう悪かろう」という感じでした。こんなの、ロシアの人たちは買うのだろうか? 
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そんな疑問を感じていたところ、この町でいちばん大きなショッピングモールと思われる華宮商場に、日本の100円ショップそっくりの中国版10元ショップの「メイソウ(名創優品)」が出店していました。
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この10元ショップ、日本のダイソーと無印とユニクロをパクったといわれています。
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MINSO
http://www.miniso.jp/

店内には、中国客も多いですが、ロシア人の若い女の子も多いです。100円ショップは世界中の若い子に人気のようですね。

これは商場の装飾品売り場です。安い中国の装飾品は、彼女らにとってお値打ちでしょう。
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最後は、黒河空港で出会ったロシア娘です。彼女らはスマホを当たり前に使っています。もちろん、中国製でしょう。
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黒河空港では、搭乗まで歩いていきます。
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これまで見てきたのは、中国最北端、さらにいえばシベリアの僻地ともいうべき町での出来事です。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-25 19:46 | ノービザ解禁間近!極東ロシア | Comments(0)
2016年 12月 23日

ハルビンの「中華バロック」文化街が面白い

近年中国東北地方では、外国人租界のあった上海や青島、天津などで十数年前に起きていた1920年代を復古するレトロブームの東北版ともいうべき「百年老街」が各地に生まれています。その多くは、かつての旧市街の一画を再開発した観光地区や当時の町並みを再現したテーマパークです。

中国東北のレトロブーム「百年老街」と丹東のテーマパーク「安東老街」
http://inbound.exblog.jp/26446671/

黒龍江省の省都ハルビンの老道外中華バロック歴史文化区も「百年老街」のひとつ。20世紀初頭、ロシアが建設した東清鉄道は満州里から東南に向かって延び、松花江を渡って市内に入り、ハルビン駅に至るのですが、当時、その鉄路(現在の濱州線)の西側はロシア人を中心にした外国人居留地となり、東側の「道外」と呼ばれた地区に中国人が住んでいました。

その後、この「道外」地区に西洋のバロック建築と中国の伝統的な様式が奇妙に融合した「中華バロック」と呼ばれる折衷建築群が生まれました。その特徴は以下のとおり。

「外観は、一見すると西洋古典系建築と、とくにバロック建築に似ていながら、その細部をよく見ると本来の西洋建築とは大きく異なる。また、建物の内部は伝統的な中国の都市建築、すなわち、一階を店舗として、二階から上を住宅にしたり、あるいは、一階の店舗の部分の中央を二階までの吹き抜けとして、建物の奥に住居部分を加えている。また、通路を通って奥に行けば中庭が広がり、それを取り囲んで長屋のような住宅が建てられていることもある。いずれにしても、道路に面した一階部分は商店や飲食店であることがほとんどである」(『「満洲」都市物語 ハルビン・大連・瀋陽・長春』(西澤泰彦著 河出書房新社 1996年))
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こうした構造上の特徴もそうですが、たとえば、最も代表的とされる元同義慶百貨店(現・順化医院)の場合、過剰な装飾性を特色とする西洋バロック建築に似せて、中国の植物などをモチーフとした彫刻を建築の表面に飾り立てていることでしょう。西洋建築では、古代ギリシャ以降、モチーフとして装飾によく使われたのは、聖なる植物とされた地中海産のアカンサスの葉ですが、ここではまったくの別物です。
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日本で最初にハルビンの「中華バロック」建築を紹介した建築学者の西澤泰彦さんの前述の著書には、建物の正面の柱頭部分の装飾について「西洋建築本来のアカンサスの葉を載せたコリント式の柱頭からはほど遠く、よく見れば白菜に似ている」と書かれていますが、本当にそうですね。
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こちらは、順化医院の通りをはさんだ向かい側の建物です。現在は金を扱う金行です。この建物の壁面の装飾も面白いです。
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これが外観は西洋建築でありながら、近づいてよく見ると、東洋的な印象を与える理由でしょう。当時の中国の職人が見様見真似で西洋建築らしく見えるように急ごしらえした事情もあると思われますが、結果的に、世にも不思議な風合いを持つ世界が現出しているのです。

これは20世紀初頭の道外の写真です。
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その特色ある建築群は長い間放置され、老朽化していました。それでも、2000年代半ば頃から少しずつ補修作業が始まりました。それが老道外中華バロック歴史文化区として全面的に再開発され、多くの飲食店が老舗の看板を掲げ、観光スポットとなってきたのは、2010年代になってからです。
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このポスターは、北京の代表的な老街である后海の名を挙げて、ハルビンの老道外も悪くないだろうと訴えています。
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地区には、創業から100年近い歴史をもつ肉まん屋の「張包舗」のような飲食店もあります。
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また東北地方の古い演芸「二人転」などの劇場もあります。
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二人転
http://www.china7.jp/bbs/board.php?bo_table=2_7&wr_id=31

レンガ造りの老建築のレトロな感覚を活かしたゲストハウスやカフェもでき、国内各地から若い旅行者が訪れるようになっています。
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ところで、東北地方で「百年老街」という場合、南京条約(1842年)や北京条約(1860年)で開港された上海などの沿海都市のケースとは違い、ロシアの南進が顕著となった清朝末期の19世紀半ば頃より、山東省などから満洲へ移民労働者が大挙して渡り、各地に華人街ができたという経緯から、そう呼ばれています。あくまで主人公は当時もいまも、外国人ではなく、華人というわけです。

ハルビン老道外中華バロック歴史文化区
http://laodaowai-baroque.com/
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by sanyo-kansatu | 2016-12-23 10:41 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2016年 12月 21日

蘇る「音楽の都」ハルビン

1920年代、上海や天津に出現した外国人租界では、世界各地から訪れたエミグラントたちが仮初の西欧文化を謳歌していた。同じ時期、遠く離れた中国東北部の新開地だった黒龍江省のハルビンにも、ロシア人やユダヤ人が押し寄せ、可憐な文化の華を咲かせていた。ハルビンは「極東のパリ」と呼ばれたが、上海との違いがあるとすれば、ロシア革命を逃れてきたユダヤ人音楽家が多く留まっていたことだ。この数奇なめぐり合わせは、今日のハルビンが自らのアイデンティティを「音楽の都」とする理由になっている。
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↑2015年12月に完成したハルビンオペラハウスの大ホール。1600人収容可能なホールの内壁は硬質で弾力性に富む黒龍江産のヤチダモの木で仕上げられている。音響効果も抜群
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↑雪原が風によって削られたかのように波打つ外観のデザインは、北京の建築事務所、MADアーキテクツが設計した

ハルビンがエミグラントのあふれる「音楽の都」だった頃

「八月十五日の昼ごろ、ベートーヴェンの『運命』か何か練習していたら、特務機関から正午の放送を聞くようにという電話がありまして、ラジオを持ってこさしてかけたら、一番最初『君が代』で、「立てーッ!」つってロシア人を立たしたら、陛下のお言葉で旗色がよくないんですな」

このどこかとぼけた述懐は、戦前戦後にかけて活躍した名指揮者による回想集『朝比奈隆 わが回想』(中央公論社 1985年)の一節である。昭和19年5月、彼は満洲に渡り、当時の首都新京(現在の吉林省長春)とハルビンで交響楽団を編成し、指揮を務めていた。日露中の混成楽団と一緒に、ハルビンで日本の終戦勅語を聞いたのである。

このエピソードは何を物語るのか。日本が昭和のある時期、中国東北部に勢力圏を置いていたという歴史もそうだが、それ以上に、ハルビンという都市のユニークな成り立ちがわかる。ハルビンは1896 年の露清同盟条約終結後、ロシアが東清鉄道を敷設するために拠点として開発した町だった。松花江沿いの小さな漁村は、瞬く間に西欧的な近代都市へと姿を変えた。

ハルビンにやって来たのはロシア人だけではなかった。1917年のロシア革命以降、多くのユダヤ人が亡命先として逃れてきたのだ。同じ時期の上海がそうであったように、ハルビンは1920年代に入ると、欧州各地から来たエミグラントであふれた。かつてハルビンが「極東のパリ」と呼ばれたゆえんである。

そのなかには、モスクワやサンクトペテルブルグで活動していた音楽家や演奏家の姿もあった。チェロ奏者である劉欣欣の著作『ハルビン西洋音楽史』(人民音楽出版社 2002年)によると、当時のハルビンには多くの観客を収容できる劇場や音楽ホール、映画館などの文化施設が建てられ、室内楽や交響楽、オペラが盛んに上演されていたという。特に市民が待ち望んだのが、海外から訪れた著名な音楽家らの公演だった。音楽教育も盛んで、東清鉄道が運営するハルビン音楽専門学校やユダヤ人バイオリニストが開校したグラズノフ音楽学校など、市内には4つの音楽学校があった。ハルビンはまさに北満の曠野に忽然と現れた「音楽の都」だった。

ハルビンの音楽家たちは当時の日本にも影響を与えている。20年代半ばには、ハルビンのオペラ歌劇団や交響楽団が日本各地を巡演しており、当時の日本人にとって初めての本格的な西欧音楽体験となった。

そんなハルビンの音楽文化は、中国建国後もソ連の影響を受けながら細々と受け継がれていたが、60年代の文革の始まりとともに終焉を迎えたかにみえたのである。
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↑黒龍江省博物館に行くと、1920~30年代のハルビンの音楽事情を物語るユダヤ人音楽家や劇場の写真などが展示されている
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↑ハルビンの音楽文化は当初、ロシア帝国による鉄道敷設とともに生まれたが、革命以降の音楽家たちの来訪が大きく貢献した
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↑1925年にユダヤ人学校に隣接して開校したグラズノフ音楽学校は36年に閉校。2014年に同じ名の音楽芸術学校として78年ぶりに蘇った
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↑巨大なシェル状の野外音楽堂では、夏になると交響楽団の演奏が行われた。老朽化したこの音楽堂は1980年代に撤去されてしまう
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↑グラズノフ音楽学校の隣にあった旧ユダヤ教会は、現在「老会堂音楽庁」という名の音楽ホールになっている。ユダヤの礼拝堂がコンサート会場として使われているのだ
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半世紀かけて音楽祭を続けたハルビンのサウンドスケープ

2016年夏、ハルビンの中央大街で開催された第4回「老街音楽祭」を訪ねた。

夕暮れ時を迎え、松花江の川風が頬を撫でる頃、かつてロシア語でキタイスカヤ(中国街)と呼ばれていた石畳の通りは、短い夏を惜しむハルビン市民や中国各地から訪れた旅客であふれかえっていた。

路上コンサートがあちこちで開かれていた。その舞台は、20世紀初頭に建てられたアールヌーボーやバロックなど、西欧のあらゆる建築様式が集積することから「建築博物館」と呼ばれている美しい通りと公園である。海外から多くの演奏家が訪れ、最もハルビンが輝いていた時代のサウンドスケープが蘇ったかのようだ。

13年夏に始まった「老街音楽祭」は、西欧列強のロシアを出自とするハルビンにとって“先祖返り”ともいうべき出来事だろう。厳冬期にはマイナス30度以下にまで冷え込み、氷雪祭りで知られる中国最北部に位置するこの町で、5月中旬から10月初旬まで、つまり夏の間中、音楽祭が開かれていることに、その本気度がうかがえる。

『ハルビン西洋音楽史』によると、ハルビンで最初の夏の音楽祭が開かれたのは1961年であるが、66年を最後に中断された。中国は長い政治動乱期に入り、開催どころではなくなった。

80年代の半ば、ハルビンを初めて訪れた私は、聖ソフィア大聖堂の大鐘が引きずり下ろされ、地べたに置かれたまま、物置として使われていたのを見た。文革時代には、ハルビンの象徴だったニコライ大聖堂が破壊され、跡形もなく消え去ったことも知った。音楽祭は79年に再開されたもの、その頃のハルビンには、音楽を楽しむ十分なゆとりなどなかったのだろう。

21世紀に入ると、ハルビンはかつての輝きを取り戻すように、徐々に変貌し始めた。煤けていた老建造物が磨かれ、現代的な装いをまとい出す。そうこうするうちに、ビジネスマンや留学生としてロシア人たちも舞い戻り、ロシア料理店も多数開店した。ハルビンの人たちは、たとえその頃自らが主人公ではなかったことを知っていても、確かに存在していた「音楽の都」に近未来の自画像を見ようとしているようだ。

考えてみれば、ハルビンは100年の歴史を有するに過ぎない都市だが、いまでは過去を知らない若いハルビンっ子たちが街を闊歩し、豊かさを謳歌している。聖ソフィア大聖堂の優美な姿は彼らの誇りだろうし、松花江沿いに生まれたハルビンオペラハウスは新しいシンボルといえる。これからハルビンがどんな音楽文化を奏でるか心待ちにしたい。
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↑松花江のほとりにあるロシア料理店「カチューシャ」は、ヤクーツク出身のロシア人女性とハルビン出身の男性とのカップルが経営している。カツレツやロールキャベツなど、ロシア料理の定番メニューを味わえる。ウェイターはロシア人の留学生で、イルクーツク出身のワーリャさん
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↑中央大街にあるモデルンホテルのテラスは、音楽祭のライブスポットのひとつ。毎晩18時半からさまざまな楽器の演奏がある。その日は珍しく中国琵琶の演奏が見られた。1906年開業の同ホテルはユダヤ人経営だった
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↑ハルビンの若いカップルが見つめるのは、1907年に創建されたロシア教会の聖ソフィア大聖堂。ネギ坊主形のドームはハルビンを象徴するアイコンだ

撮影/佐藤憲一(2014、16年7月)

※ハルビンの音楽祭に関する現地報道です。

中央大街开启“迷人哈夏”序幕第四届老街音乐汇彰显“国际范儿”(2016-05-17)
http://www.harbin.gov.cn/info/news/index/detail/431374.htm

ハルビン夏の音楽祭(公式サイト)
http://www.harbinsummermusicconcert.cn/
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by sanyo-kansatu | 2016-12-21 08:04 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2016年 12月 16日

中国クルーズ客の失踪と不法就労摘発報道 なぜ彼らはそこまでやるのか

今日の午後、上海在住の友人が以下のニュースをメールで教えてくれました。

中国クルーズ客の失踪と不法就労摘発報道です。これは、いわばクルーズ市場の制度の裏をついた密入国です。なにしろ、クルーズ客には、観光ビザは不要だからです。

クルーズ客 上陸後帰船せず不法就労 入国審査簡略化あだ(毎日新聞2016年12月16日)
http://mainichi.jp/articles/20161216/k00/00e/040/250000c

クルーズ船客を対象に入国審査を簡略化した「船舶観光上陸許可」を使って来日した外国人客が、寄港中に相次いで失踪していることが法務省入国管理局への取材で分かった。2015年の制度導入以降、今年11月末までに全国で53人に上り、大半が中国人だった。半数近くは今も行方不明で、国内に滞在し働いている疑いがある。兵庫県警が11月に不法残留の中国人を逮捕すると、就労をあっせんするブローカーの存在や入国審査の甘さを突かれた背景が浮かび上がった。

兵庫県篠山市の山あいにあるキノコ園。11月下旬、県警の捜査員らが家宅捜索に入ると、中国人の男女15人が働いていた。県警は在留期間が過ぎていた7人を出入国管理法違反(不法残留)の疑いで現行犯逮捕した。

捜査関係者によると、うち男2人組と夫婦の計4人はそれぞれ中国からクルーズ船で来日。船舶許可による在留期間は2日間だけで、寄港した博多港(福岡市)で姿を消していた。

10月17日に上陸した山東省の男(34)は「船に乗り遅れ、途方に暮れていたら声をかけられた」と弁明したが、一緒に来た男(53)は「仕事をするため船で来た」と就労目的を認めた。ブローカーの手引きで車に乗せられ、港から480キロ離れたキノコ園にたどり着いたという。

11月4日に入国した遼寧省の夫婦は中国版ツイッター「微博」を使って船上でブローカーと連絡を取り、働き口を見つけたという。JR新大阪駅で関係者と合流したとみられ、妻(36)は「子どもの学費を短期間で稼ぎたかった」と供述した。

関係者によると、キノコ園はここ数年で何度も経営者が代わり、最近は休業しているように見えたという。近くの男性は「見慣れない車が出入りし、不審だった」と話す。

中国人らはプレハブ小屋で共同生活し、月給18万円でシイタケ栽培の作業をしていた。中はベニヤ板で仕切られただけの個室で、食事は自炊。ほとんど外出できず、1日12時間以上の労働が常態化していたという。

県警と入管当局は、園の経営者や中国人とみられるブローカーの捜査も進めている。捜査関係者は「就労目的で、審査が甘いクルーズ船を狙ったのだろう。今後も警戒が必要だ」と話す。【矢澤秀範】

大半が中国人、2年で53人

クルーズ船の乗客を対象にした船舶観光上陸許可は、インバウンド(訪日外国人)の増加を目指して2015年1月に導入された。入国審査が大幅短縮され、利用する外国人客が激増している。

船舶許可による上陸はビザが不要で、1寄港地につき最長7日の滞在が認められる。出入国記録の記入も簡略化された。顔写真の撮影も省略され、手続きは1時間ほど短くなった。

クルーズ船の訪日客は14年は約41万人だったが、船舶許可の制度ができた15年は3倍近い約111万人に。今年は既に160万人を超えている。寄港地では乗客がバスや電車で自由に観光に出かけるため、集合時間に現れず姿を消す客が後を絶たない。

入国管理局などによると、船舶許可を受けて失踪した外国人は15年が21人、今年は11月までで32人に上る。博多港(福岡市)や長崎港(長崎市)などからの入国が多いという。

うち27人は国内で見つかり、強制退去になった。観光中に規定の日数を超え、自身で帰国手続きを取った例もあったが、行方が分からないままの外国人も多い。

入管は「クルーズ船の運航会社には入念な乗客の管理を求める。厳格に手続きし、警察当局と協力して不法残留の摘発にあたりたい」としている。


同じことは、朝日でも報じています。

クルーズ船で入国、中国人は姿を消した キノコ園に潜伏(朝日新聞2016年12月16日)
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20161215004491.html

すでに9月下旬に読売新聞が「クルーズ船訪日客の失踪、福岡・長崎で計34人」(読売新聞2016年9月26日)と報じていたので、失踪者が摘発されるのは時間の問題かと思っていました。

中国事情についてある程度、精通している人なら、いまの中国、こんなことが起きてもなんら不思議はないと感じることでしょう。ぼく自身も、頭ではそう思いはするものの、なぜ彼らはそこまでやるのか、理解を超えたところがあります。

中国には、自分の住む村にいても、このままでは一生うだつが上がらない。だったら、密入国してでも金を稼いでやろう…。このように考える人間がいるのでしょう。このニュースを教えてくれた上海の友人も「いまの中国は、制度の網の目をかいくぐってでも、人を出し抜こうとする競争社会。この人たちも、まさにそういうことなんですかねえ」とぼやいていました。

興味深いのは、不法就労する彼らがスマホを手にして中国版SNSのWeChat(微信)で日本国内のブローカーたちと船上で連絡を取っていたことです。不法就労が多発した1990年代とは、通信事情という面でも隔世の感があります。もっとも、それが可能となるのは、在日華人という受け皿があるからです。

中国側の旅行会社は、今回のような失踪者を出すと、ペナルティとして一定期間、日本への送客ができなくなるはずですが、失踪予備軍からすれば、そこがダメなら別の会社に手配を頼めばすむことなので、この問題がすぐになくなるとは思えません。

もっとも、日本を訪れる大半の中国人観光客は、彼らのことをとんでもないヤツだと、まるで人ごとのように罵ることでしょう。彼らの存在が中国の足を引っ張っていることは確かだからです。しかし、自分とはまったく関係ない存在とみなすだけで、自らの属する社会の問題とは考えたがらないのが、たいていの中国人です。

先日も、ある在日上海人が大学時代の友人が日本に遊びに来たので、車で岐阜県の白川郷を案内した話を聞かせてくれました。彼によれば「友人たちは富裕層。金はいくらでもある。1年に2~3回は日本に来る。好きなときにいつでも来られるのは、2015年1月以降、取得要件が緩和された個人マルチビザのおかげだ」と言います。

その話を聞きながら、ぼくは思いました。2009年、中国で大ヒットしたラブコメ映画『非誠匆擾』(邦題「狙った恋の落とし方」)の世界を、いまの上海の富裕層なら誰でも実現できるようになったのだなと。

この映画では、主人公の中年男性が北海道を彼女と訪ね、日本在住の中国人の友人に運転させた車で道東を中心に旅するストーリーでした。

その一方、不法就労目的でクルーズ客船に乗って訪日する輩もいる。全体からみれば、わずかな人たちとはいえ、中国ではこの種のことが必ず起きてしまい、それを誰も止めることはできないようです。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-16 15:15 | 気まぐれインバウンドNews | Comments(0)
2016年 12月 13日

神社の跡地にできた公園の展望台は北朝鮮を望む絶景スポット(中国遼寧省丹東市)

中国東北地方の各都市には、満洲国時代に建てられた神社の跡地があり、そこはたいてい公園となっています。大連の労働公園(大連神社跡地)がそうですし、今夏訪ねた内モンゴル自治区のフルンボイル市ハイラル区の市街地にある西山広場(ハイラル神社跡地)もそうです。
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中朝国境最大の町、丹東にもかつて神社がありました。安東神社です。創建は1905(明治38)年10月3日といいますから、日露戦争直後に建てられたことがわかります。
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当時の絵葉書をみると、巨大な鳥居の向こうにスロープ状の参道と小鳥居、拝殿が見えます。
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これが跡地で、当時もいまも錦江山公園といいます。以下は、今年7月に訪ねたときの写真です。安東神社の廃絶は、日本の終戦の1945年ですが、いまでは日本の鳥居が中華風の派手な門に置き換えられています。
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これが当時の参道です。
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拝殿に至る階段の手前に石橋が残っています。
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日本時代の年号などが塗りつぶされています。
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ここが拝殿跡地だそうです。
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公園は錦江山の山腹に広がっていて、市民の散策コースになっています。
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緑に囲まれた散策コースは整備されています。
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15分ほど登ると、高台に中華風の「錦江亭」という展望台が立っています。ここからは、鴨緑江の対岸の北朝鮮の新義州の町並みが見渡せます。
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この日は空がかすんでいて、はっきりとは対岸が見渡せませんでしたが、右手に見える丹東駅とその先に鴨緑江断橋が見えます。
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これではつまらないので、2012年夏に錦江山公園の東にある黄海明珠(テレビ塔)から見た写真をお見せしましょう。

鴨緑江遊覧ボートで見る中朝の発展格差をどう考える?(遼寧省丹東市)
http://inbound.exblog.jp/20510174/

鴨緑江をはさんだ中朝の経済格差は歴然としています。はるかかなたに見えるビル群は、旧市街地から政治機能を移転するべく開発が進められている丹東新区です。

ところで、錦江山公園にはもうひとつ「曙光閣」という展望台があるのですが、日本の天守閣を模した不思議な外観をしています。
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さらに面白いのは、「錦江亭」のそばの茂みの中に、「皇帝陛下安東地方巡狩紀念」と刻まれた石碑が立っていることです。
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「巡狩」とは、古代中国で天子が諸国を巡視したことを意味しますが、ここでいう天子は、満洲国皇帝溥儀のことです。

石碑の裏には、満洲国崩壊時に国務院政務長官を務めた武部六蔵の名が刻まれています。
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なぜこんなものがいまも残っているのか。旅順の二〇三高地の山腹に戦死した乃木希典大将の次男の保典の碑が置かれているケースはありますが、基本的に「偽」満洲国時代の石碑等は打ち壊されたはずでした。金州南山の乃木の句を刻んだ碑も倒され、台座のみしか残っていません(碑自体は、旅順日露刑務所旧址に展示)。こんなに堂々と石碑が立っているのはちょっと驚きでした。

地元の日本語ガイドの閻宇飛さんによると「いったん倒して山の中に埋めたのだが、2000年代に入って「愛国歴史教育」の素材として、土から掘り出し、同じ場所に置いた」そうです。
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まあいろんなことがあるものです。錦江山公園は約1時間もあれば散策できますし、何より北朝鮮の町並みが見渡せるので、ぜひ訪ねてほしいスポットです。
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これは1940年代の丹東(当時は安東)の観光マップです。確かに、駅の北側に安東神社があります。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-13 13:29 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2016年 12月 13日

これが2015年9月に完成した中朝国境に架かる新鴨緑江大橋です

今年7月下旬、中国遼寧省丹東を訪ねています。2015年9月に完成した中朝国境に架かる新鴨緑江大橋を見に行きました。
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あいにくの梅雨空で、鴨緑江を霧が覆っているため、巨大な橋梁を確かめることはできましたが、対岸はまったく見えません。
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中国の大手検索サイト「百度」によると、全長約2km、幅33mの吊り橋です。場所は鴨緑江断橋の約20km下流に位置します。

新鸭绿江大桥(百度)
http://baike.baidu.com/view/3301989.htm

以下のデイリーNK情報によると、ちょうどぼくが丹東にいた日(2016年7月27日)は、かつて中朝間で合意されたという丹東から平壌を経て韓国との軍事境界線に近い開城に至る全長410kmの高速道路建設の着工日とされていたそうです。

中朝高速道路、着工式行われなかった訳(デイリーNK2016年08月02日)
http://dailynk.jp/archives/71687

その日、中国側の起点となる新鴨緑江大橋のたもとを訪ねたわけですが、ぼくが見たのは、ご覧のように川べりの釣り人や地元の若者たちがたむろする光景だけでした。
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着工式どころではなかった理由についてデイリーNKは「中国当局は、北朝鮮の相次ぐ核実験、ミサイル発射実験、国連安保理の対北朝鮮制裁決議の採択などで負担を感じ、着工を避けているとの見方がある」と書いています。

中国側は大橋の手前にすでに「国門大廈」というビルやイミグレーション施設を建設しています。地元の人によれば、「国門大廈」には、中国のビジネスホテルチェーン大手「錦江之星」のホテルが入るそうです。
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ぼくはこの橋の着工の決まった2009年頃から2年おきに丹東を訪ねています。以来、いつ開通するのか、毎回地元の人に尋ねてきました。でも、橋の完成をもってもいまだに開通には至っていません。

「新鴨緑江大橋が半分くらいできた」と地元の人に聞きました(2013.6.5)
http://inbound.exblog.jp/20555737/

中朝新国境橋が完成しても開通できない理由(2014.12.30)
http://inbound.exblog.jp/23944673/

この橋からも近い丹東新区には北朝鮮総領事館もあります。
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また中朝が共同で開発するといわれて久しい「黄金坪」も、2年ぶりに訪ねましたが、水田の中に一軒、管理事務所ビルができていただけでした。
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中朝共同開発の工業団地「黄金坪」はいまだ停滞中(2014.12.30)
http://inbound.exblog.jp/23944634/
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今回、鴨緑江を眺めていてちょっと面白かったのは、朝鮮の人たちが乗る船を見かけたことくらいでしょうか。朝鮮領沿いを航行するため、遠く離れているのですが、船に自転車を積んで、上流に向かっていました。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-13 11:53 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2016年 12月 13日

高速鉄道で大連から2時間! 日帰り可能になった中朝国境の町、丹東

2015年12月17日、中国遼寧省の大連から中朝国境最大の町、丹東までを結ぶ「丹大快鉄(丹大高速鉄道)」が開通しました。おかげで、これまでバスや車で4時間近くかかっていた両都市間の移動が約2時間に短縮され、日帰りが可能になりました。

今年7月下旬、丹東・大連間を乗車しました。以前は起伏のないトウモロコシ畑の中の高速道路の1本道をバスで延々4時間走り続けるしかなかったのですが、いまや快適な旅と時短が実現されたので、大連を訪ねる人は、ぜひ丹東まで足を延ばしてほしいです。丹東はとても面白い町だからです。特に北朝鮮情勢に関心のある人には、たまらない町でしょう。

これが丹東駅です。この駅は、瀋陽への高速鉄道「瀋丹高鉄」(2015年9月1日開通)の発着駅でもあります。
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高速鉄道の予約はネットででき、駅構内の自動発券所で受け取れます。ただし、中国の身分証名書を持つ国内客のみ利用可能です。外国人のパスポートを読み取るしくみがないため、我々は中国オンライン旅行大手のCTripで予約はできますが、チケットの受け取りは窓口に並ばなければなりません。
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さらに、丹東駅は鴨緑江をまたいだ対岸の北朝鮮・平壌行きの国際列車の中国側国境駅でもあります。
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国際列車95次★丹東~平壌
発 丹東10:00(毎日)
着 平壌17:45

列車編成
1号車  硬臥車 丹東~平壌 ①  
2号車  硬臥車    〃 
3号車  硬臥車 北京~平壌 ②  
4号車  軟臥車    〃 
http://gb-travel.jugem.jp/?eid=9

丹東駅は20世紀初頭に朝鮮鉄道から接続させるべく、鴨緑江に橋を架け、建設した駅です。その歴史については、駅ターミナルにパネルが並べられ、解説されています。

ターミナル構内に展示された駅舎の変遷の記憶(中国瀋丹線・丹東駅)
http://inbound.exblog.jp/20541074/

今回、乗車したのは、18時42分丹東発大連行きでした。瀋陽から丹東を経て大連まで走る便です。
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改札を抜け、ホームに至る通路に2015年10月中旬に丹東で開かれた中朝(貿易)博覧会の電光ポスターがいまだに残っていました。中朝関係の変調で、今年の開催は見送られています。
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これが乗車した「和諧号」で、車両には「CRH380BG」や「CRH5型」などがあるようです。丹東・大連間のチケット代は、2等が108.5元、1等が173.5 元です。2016年12月現在、1日14本走っています。
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両都市間には、13の駅がありますが、1日数回しか停車しない駅もあります。中国の大手検索サイト「百度」をみると、すべての駅の写真が載っていました。

丹大高速铁路
http://baike.baidu.com/view/3898992.htm

ところで、この高速鉄道の正式名は「丹大快鉄(丹大高速鉄道)」で、その理由は最高時速200kmだからです。250km以上を出すのが「高鉄」というわけです。ところが、中国のネット上では、「百度」もそうですが、そのへんはあいまいなようで、一般用語として定着している「高鉄」と表記される場合が多いようです。

20時42分、大連北駅に到着しました。あっという間の列車旅でした。
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今回初めて大連北駅を利用しました。中国の新しい鉄道駅はどこでもそうですが、やたらと巨大です。
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市内へは地下鉄もつながっているのですが、バスも出ています。
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今年5月に続き、10月末大連の地下鉄の2本目が開通しました
http://inbound.exblog.jp/25064248/

これ以外にも、中国東北地方にはすでに6本の高速鉄道が開通しています。おかげで、いまの満洲では都市間移動が飛躍的に便利になっています。
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「地球の歩き方 大連、瀋陽、ハルビン」(2017-18年版)p40より
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by sanyo-kansatu | 2016-12-13 11:52 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2016年 12月 11日

北朝鮮の町並みが露天風呂から丸見え!?  丹東の「江戸温泉城」にて

大連在住の金橋国際旅行社の宮崎正樹さんがツィッターでこんなことを書いています。

丹東クレイジースポット3「丹東江戸温泉城」

「鴨緑江沿いに立地する和風テイストの天然温泉施設。衝撃的なのは眺望抜群の5階の露天風呂から対岸の北朝鮮が丸見えなこと! 写真は休憩処からの鴨緑江ビューで同一風景が露天風呂から眺望できます。実際の風景はご自身の目で‥これは行くしかない!」

https://twitter.com/gbt_miya/status/794818244662001665

はい、これは本当です。ぼくも今年7月、この露天風呂に行ってきました。
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丹東江户(日式)温泉城
中国遼寧省丹東市振興区鴨绿江大街196-6号
http://www.ddjhc.net/

あいにく梅雨空で、鴨緑江は濃霧に覆われ、対岸の北朝鮮の町並みを拝むことはできませんでしたが、確かに晴れた日であれば、のんびり岩風呂に浸かりながら、往来する中朝の漁船や新義州の様子を眺めることができるでしょう。
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館内は日本の温浴施設を模した畳敷きです。
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女性客が目に付きます。写真は館内着を選んでいるところです。
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浴衣姿のスタッフもいます。カメラを向けると、恥ずかしがられてピンポケしてしまいました。
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これが露天風呂です。
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ちなみにこのおじさん、丹東在住の日本語ガイドの閻宇飛さんで、最近彼は現地旅行サイト「丹東旅の友」(http://www.dandts.com/jap/)を立ち上げました。ここに来たのも、彼の案内です。
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鴨緑江がすぐ目の前です。
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館内には岩盤浴もあります。
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休憩室からも北朝鮮が眺められます。
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利用料金が39元とお値打ちなのも、うれしいところです。館内には日本料理店もあり、さらに詳しい写真はこの現地旅行サイトでご確認ください。
http://www.ly.com/scenery/BookSceneryTicket_228469.html?spm=1.68076534.6975.8

さて、この丹東江戸温泉城は、2012年頃から丹東新区の目玉アミューズメント施設として計画が進んでいました。オープンは今年の2月です。

ただし、それはマンションも併設したかなり大規模な複合開発案件です。温泉が使え、鴨緑江を望む高級マンションとして売り出されています。

施設の周辺は、これ以外にも多数のマンション建設が進められていますが、売れ行きはあやしいと言わざるをえません。ゴーストタウン化しているといわれても、否定できない印象です。

ここは丹東新区と呼ばれる、現在の市街地から西へ10数キロの場所です。中国の地方都市では、老朽化した旧市街からの政府機能の移転にともなう新区の建設が盛んです。これが地方経済の債務を膨らませている元凶ともいえます。江戸温泉城のそばには、北朝鮮と結ぶ新鴨緑江大橋も完成していますが、今年訪ねた折にも、まだ開通の見込みは立っていませんでした。経済格差がかつてなく拡大した結果、朝鮮側が中国からのヒトやモノの大量流入を受入れる準備が整わないからでしょう。

中朝陸の国境では兵士も農民も目と鼻の先(遼寧省丹東市)(2013.6.2)
http://inbound.exblog.jp/20536355/
「新鴨緑江大橋が半分くらいできた」と地元の人に聞きました(2013.6.6)
http://inbound.exblog.jp/20555737/
中国のニュータウン建設に強い違和感あり(中朝国境の街「丹東新区」にて) (2013.6.26)
http://inbound.exblog.jp/20643404/
中朝共同開発の工業団地「黄金坪」はいまだ停滞中(2014.12.30)
http://inbound.exblog.jp/23944634/
中朝新国境橋が完成しても開通できない理由 (2014.12.30)
http://inbound.exblog.jp/23944673/
これが2015年9月に完成した中朝国境に架かる新鴨緑江大橋です
http://inbound.exblog.jp/26452293/

そんな周辺事情はともかく、この施設の温泉の泉質は悪くありません。なにしろ丹東は、満洲国時代に日本が開発した「満洲三大温泉」のひとつ、五龍背温泉にも近いからです。

温泉エッセイスト山崎まゆみの満洲三大温泉めぐり
http://inbound.exblog.jp/17067247/

明治の文豪も訪ねた満洲三大温泉はいま
http://inbound.exblog.jp/23954021/

最近、上海では日本のスーパー温泉「極楽湯」が人気を博しています。

上海の「極楽湯」はありがたい存在だけど、料金は「日本の3倍」の意味するもの
http://inbound.exblog.jp/25944594/

東北地方の遼寧省でも、日本式の温浴施設が次々に登場しています。2015年5月、瀋陽に「大江戸温泉」(日本とは別資本)がオープンしていて、やはりぼくは7月に訪ねています。

瀋陽大江戸温泉
http://www.ooedo.cn/

まるでパクリじゃないかと言いたくなる人もいるかもしれませんが、欧米の新種のサービス施設が日本にオープンするときも、勝手に海外のブランド名を使ってしまうことは、最近は少なくなったかもしれませんが、かつては当たり前のようにありました。いまの中国はそんな時代だと思ってください。

これらの温浴施設は、たいてい日本の設計会社がデザイン、施工を担当していて、館内は日本と変わりません。地元でも人気で、今年10月には市内に2号店もできたようです。こちらは料金69元(平日)で、丹東より高いですが、上海に比べると半額近い安さです。清潔で快適な日本式の温浴施設は、今後も中国各地にオープンしていくことでしょう。日本のように、きちんと運営の質が維持できるかが、流行るかどうかのポイントだと思われます。

【追記】(2017.3.13)
テレビ東京の「未来世紀ジパング」で丹東の江戸温泉城が紹介されました。

中国の無料動画共有サイト「MioMIo弾幕網(MioMio.tv)」がアップしています。

未来世紀ジパング【シリーズ中国異変!「○○ブーム」に隠れた大問題】 - 17.03.13
http://www.miomio.tv/watch/cc314699/

この番組では中国の商標登録問題を指摘したかったようなのですが、それなら例の上海の「大江戸温泉物語」の事情をもっとつっこめばいいのにもかかわらず、そこはほとんど触れることなく(日本側が取材に難色を示したのかもしれませんけれど)、なぜ丹東の施設を紹介したのか、その理由がもうひとつわかりませんでした。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-11 12:40 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)