ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2013年 03月 25日

フラワーハイキングに行くなら高山植物の宝庫、長白山(白頭山)へ

中国吉林省と北朝鮮の国境をまたぐ長白山(白頭山)は、知られざる高原植物の宝庫です。

中国大陸では珍しいカルデラ湖のある長白山(白頭山)のなだらかな山麓は、冬場はスキー場として知られていますが、夏は高原植物を愛でながらフラワーハイキングを楽しめる場所として、最近ひそかに注目されています。日本からも登山専門旅行会社のアルパインツアーサービスが長白山フラワーハイキングを行うツアーを催行しています。

2012年7月上旬、ぼくは長白山を訪ねました。長白山の中腹で、高原植物が咲き乱れるお花畑にめぐりあうことができました。これはちょっとした感激でした。とにかくいろんな花々に出合ったのですが、花の名前については疎いものですから、いろいろ写真を撮ったあと、アルアパインツアーサービスと提携している現地の延辺大衆旅行社というトレッキング会社の朴春虹さんに教えてもらいました。

アズマギク
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オダマキ
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オヤマエンドウ
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キバナシャクナゲ
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キンバイソウ
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チョウノスケソウ
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ツガザクラ
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ヒナゲシ
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ベンケイソウ
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リシリエンドウ
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高原に咲くキンポウゲのお花畑
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以下、花の名前は調べられていません。来年ぼくは長白山のトレッキングを計画しているので、今度調べてみるつもりです。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-25 23:02 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 03月 24日

延吉の食文化は韓国化しつつあります

大都市なら全国の地方料理が何でも味わえるほど、食文化が多様化しているのが、いまの中国です。延吉のような地方都市でも、各種中国地方料理が味わえますが、この地に特徴的なのは、食文化における韓国化の影響が強まっていることではないでしょうか。

もともと延辺の朝鮮族料理は、図們江を挟んで南にある北朝鮮咸鏡北道の料理がベースにあるといわれます。そこから河を渡って住み着いた人が多いからです。ところが、1992年の中韓国交樹立以降、たくさんの韓国人がこの地を訪れたのもそうですが、労働者として多くの延辺の朝鮮族が韓国に渡りました。同じ朝鮮民族であったとしても、経済の発展段階が違ったことから、現代的な生活文化や習慣は、延辺の場合、韓国から流入してくることになったのです。当然、それは食文化にも影響します。

そんなこともあってか、延吉の人と話していると、「最近、延吉でもおいしい韓国料理が食べられるようになったから、行ってみましょう」と言われることがあります。こちらとしては、「韓国料理なんてそんなに珍しくないので、むしろ延吉でしか食べられない地元料理を味わいたいのにね」と思うのですが、韓国の影響下の強い延辺では、我々旅人と住人の間にこうした認識ギャップが起こるのは、やむを得ないことかもしれません。彼らにしてみれば、韓国料理が食べられることがちょっとした自慢なのですから。

そこで、ここではまず先に正真正銘の延辺料理≒咸鏡北道料理と思われるものを紹介します。これ、なかなかグロテスクでしょう。
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切って盛り付けるとこうなります。スンデといって、もち米入りのブタの腸詰です。
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次はジャガイモチジミとヨモギのチジミです。こちらのチジミは一口サイズみたいです。
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これは延辺風山菜炒めです。延辺に近い長白山のふもとではたくさんの山菜がとれます。実は延辺から日本へ大量の山菜が輸出されていることはあまり知られていないかもしれません。
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トウモロコシ麺も朝鮮族らしい料理です。中国東北地方ではトウモロコシがたくさんとれるので、満洲族の人たちもトウモロコシ麺を食べます。あと延辺の冷麺もソウルとはちょっと違った味です。
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それから、延辺では犬鍋をよく食べます。最近、韓国で犬鍋がどの程度食べられているのか、ぼくは詳しくないので何ともいえませんが、延吉には犬鍋料理店の並ぶ通りがあるほど人気です。独特の濃いタレを付けて食べます。
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最後は、延吉で食べた韓国料理です。プルコギ、ポッサム(ゆで豚肉)、コングクス(豆乳スープ冷麺)、ジャージャー麺など。延吉の人たちは、こういう韓国料理をふつうに食べられるようになったことをいいことだと思っているようです。そのこと自体は別におかしいわけではないのですが、旅人はあんまりときめかないですよね。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-24 23:20 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 03月 24日

延辺でおいしいのはタッコン(鶏飯)と串焼きです

中国吉林省にある延辺朝鮮族自治州でおいしいものといえば、断然タッコン(鶏飯)と串焼きです。朝鮮族の暮らす土地ですから、当然朝鮮族料理≒韓国料理が基本なのですが、韓国でも地方によって素材や味付けが変わるように、ここ延辺では独自の地方料理が味わえるのです。

これがタッコン(鶏飯)です。簡単にいうと、汁なしサンゲタンのようなものです。延辺産のお米は、おそらく中国一おいしいと保証します(これ本当です。戦前、寒さに強く品種改良された日本の稲を持ち込み、水田をおこしたのが延辺の稲作の始まりです。もともと寒冷地なので、それまで稲作はやっていなかったのです)。ホクホクの地鶏のうまみともち米がやさしくマッチした絶品の味です。
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ちなみに、これがサンゲタンです。もちろん、こっちもおいしいんですが、延辺に来たら、汁なしがおすすめです。
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この写真を撮ったのは、延吉で最初に韓国風サンゲタンを始めた店で、「藝玲参鶏湯」といいます。ごくふつうの食堂風のお店です。
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延辺では、この地方独特の羊の串焼きが有名です。特徴的なのは、「串料」といって串焼きにつけるスパイスに凝っているところです。ただのトウガラシだけではなく、クミンとか複数のスパイスを混ぜ合わせて店ごとに違う味を出しています。お店の人に、スパイスの中身や比率を聞いても、もったいぶってるわけではないのでしょうが、教えてくれません。門外不出の“秘伝”というやつなんだそうです。
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地元の人の話では、串焼きのしめに、汁なし冷麺を食べるのが延辺では流行っているそうです。こういうそのときどきで変わる地元の流行というものは、旅人はあんまり気にせず、やっぱり自分は汁あり冷麺が食べたいというべきでしょう。いえ、汁なしがまずいわけじゃないんですが、やっぱりしめはさっぱりスープの冷麺がほしいじゃないですか。
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この串焼きは「白玉串焼」というチェーン店で、11種類のスパイスをブレンドした串料で人気なのだそうです。羊の串焼きは1本2元。うれしい安さです。
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これらのお店の情報は、「地球の歩き方 大連 瀋陽 ハルビン」2013-14年版を参照ください。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-24 22:19 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 03月 24日

ドラマ『朱蒙』の物語が身近に感じられる五女山城博物館

五女山城の西門の登り口に、五女山城博物館があります。ここでは高句麗建国の歴史を中心にしたこの地域(中国遼寧省桓仁満州族自治県)の古代史を展示しています。
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紀元前37年に朱蒙がこの地に高句麗を建国し、34年に五女山城を築いたとあります。
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王宮の復元模型だそうです。韓国歴史ドラマ『朱蒙』の中に出てきた高句麗の王宮の規模や壮麗さと違ってえらく貧相なものです。五女山城の山頂で見た城門や住居跡の遺跡も解説しています。
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五女山城周辺では鉄の武具が多数出土しています。ドラマに出てくる朱蒙に最後まで忠実だった鍛冶頭モパルモを思わせるような蝋人形が展示されていました。高句麗の2番目の都である集安(中国吉林省)にある古代の墓室の復元模型も展示されています。
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五女山城博物館がオープンしたのはわりと最近のことで、2008年5月。『朱蒙』の放映より後のことです。五女山城の遺跡の発掘も1990年代の後半に始まったそうで、山頂までの石段を造り、遺跡跡を有料で公開するようになったのも2000年だとか。その後、2004年に五女山城は世界遺産の一部になります。

蓮池薫さんは『私が見た、「韓国歴史ドラマ」の舞台と今』(2009 講談社)の中でこう書いています。

「韓国で高句麗ブームに火がついたのは、もう一つの理由があった。

2002年から2007年にかけて中国社会科学院の辺疆史地研究センターが行った『東北辺境の歴史と現状系列研究工程』(以下、『東北工程』)と呼ばれる5ヵ年プロジェクトが韓国人を刺激したのだ。(略)中国人研究者たちは古代歴史に関する研究の結果として、『高句麗は独自の国ではなく、中国の一部であった』という結論を出したのだった」。

「高句麗が中国の一部だったという中国の公式見解は、漢民族と55の少数民族からできている多民族国家の現代中国の構図をそのまま過去に当てはめたもの、つまり少数民族を『大中国』の構成要素と考える現代の骨組みを遠い昔にそのまま適用したものなのだ。多くの学者たちは中国の『東北工程』が純粋な研究というより『中国が自国の領土と安定を維持するための行動』だったと考えている」。

このように韓国で歴史ドラマが盛んに制作された背景に、中国の「東北工程」への強い反発があったことを蓮池さんは指摘しています。

現地の旅行会社によると、五女山城のふもとにある桓仁には、毎年2~3万人の韓国人が観光に来るそうです。ドラマで朱蒙を演じた俳優のソン・イルグクも、この地を3回訪れたとか。それだけならいいのですが、2011年に高句麗史の研究者や運動家たちが来て、講演会を開き、会場で「東北工程」に反対するスローガンを掲げるという計画があり、それを事前に知った市の安全局が取りやめさせたということもあったそうです。

ぼくには中韓いずれも似た者同士で、「現代の骨組みを遠い昔にそのまま適用」しようと争っているようにしか見えません。北東アジアのナショナリズムは、古代史とのからみで火がつくところが特徴といえそうです。正直そんなことどうでもいいとぼくなどは思ってしまいますが、蓮池さんも書いているように、彼らの独特の歴史観に対して「相手の主張に従うということではなく、相手の主張に耳を傾け、その背景を知ろうとする姿勢が相互間に必要だろう」ということなのでしょう。

そのうえで、「相手の歴史観を知る上では、韓国の時代劇ドラマが素晴らしい『材料』になる」と蓮池さんは書いています。今回、五女山城を訪ねて、『朱蒙』の物語が身近に感じられたのは確かなので、本当にそのとおりだなと思ったものです。
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五女山城博物館 http://www.wnsjq.com
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by sanyo-kansatu | 2013-03-24 11:27 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 03月 24日

朱蒙が建国した高句麗の最初の都、五女山城を訪ねる

高句麗建国を描いて大ヒットした『朱蒙』(2006)やぺ・ヨンジュン主演の『太王四神記』(2007)など、2000年代半ば頃より盛んに制作されている韓国歴史ドラマの多くは、現在の中国遼寧省や吉林省の一部が舞台となっています。その地は2004年に「古代高句麗王城と古墳群」として世界遺産にも登録されています。
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2012年7月、朱蒙が建国した高句麗の最初の都、五女山城を訪ねました。そこで取材したことは、「地球の歩き方 大連 瀋陽 ハルビン」2013-14年版の「韓国歴史ドラマの舞台を訪ねよう」という特集の中で簡単に紹介していますが、ここでは五女山城の現在の姿をもう少し詳しく案内します。
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五女山は中国遼寧省桓仁満州族自治県桓仁鎮の北8kmに位置しています。主峰の海抜は804m。岩肌を露出している山頂部は、登ってみるとわかるのですが、南北1500m、東西300mという長方形をした平たい台状になっています。周辺は断崖絶壁に囲まれているため、ここが天然の要塞として山城を築くのにきわめて適していたことがわかります。高句麗の山城の建造技術は九州に伝えられたといいます。

999段という長い石段を約15分かけて登ると、城壁と城門跡が見えてきます。
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城門跡を抜けると、祭祀が執り行われた広場や朱蒙の建てた王宮や住居、兵営などの跡、水の湧き出す天池があります。
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展望台からは、満洲国時代に造られたダムによって人工湖となった桓龍湖が見えます。
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高句麗のシンボルは三足カラスです。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-24 08:47 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 03月 23日

中朝第2の国境、圏河・元汀里は中国車がいっぱい

中国と北朝鮮は鴨緑江と図們江の2つの河川を国境としています。両国のイミグレーション(中国語で口岸)は、それぞれの上流域から下流域まで大小合わせてかなりの数があります。そのうち最大なのが、中国遼寧省丹東市(北朝鮮側は新義州)の口岸です。現在その次に規模が大きいのが、吉林省琿春市にある圏河口岸(北朝鮮側は元汀里)です。

圏河口岸は、北朝鮮側が経済特区の羅先で、最近橋も整備され、自家用車で簡単に入れることもあって、交通量が増えています。

まずは中国側のイミグレーションの風景から。車が列をなして並んでいます。大半は羅先経済特区内限定のマイカードライブ旅行の参加者の自家用車ですが、物流関係のトラックも見られます。イミグレーションの中には、小さな免税店があります。洋酒や中国ワイン、タバコなどが売られています。北朝鮮入国後、現地の関係者にいろいろ融通を利かせてもらうためには、土産を手渡すことは欠かせません。売られているものを見れば、彼らの好みがわかります。図們江に架かる圏河橋は、もともと1937年に架けられたものですが、2010年に整備されました。中朝両国間をつなぐ国際バスもあるようです。
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北朝鮮側の元汀里の税関の中はさすがに写真は撮れませんが、出国手続きをすませ、中国に戻る前に北朝鮮側から見た国境の橋を撮りました。北朝鮮に入国するのも出国するのも、ほぼ中国車です。
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中国側の圏河口岸に戻ると、構内に北東アジアの地図が貼られていました。琿春市を中心に400海里(約740km)の円を描くと、韓国、北朝鮮はほぼすっぽり収まるとともに、ロシア沿海州南部、中国遼寧省、吉林省のほぼ全域に加えて、日本の環日本海側の地域が入ります。この中で中国だけが海に面しておらず、自国の港を持っていません。中国が北朝鮮の羅津港の開発に投資しているのはそのためです。
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構内に、中国の都市部でよく見かける別荘地のジオラマが展示されていました。琿春のような最果ての地でもバブルな不動産投資が進められていることに、中国経済のあやうさを感じざるを得ません。
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by sanyo-kansatu | 2013-03-23 13:15 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 03月 17日

中国インディペンデント映画関係者が集まる「宋庄」とは

2012年3月下旬、中国インディペンデント映画祭の主催者、中山大樹さんに都内で会いました。そのすぐあと北京を訪ねる機会があり、彼に教えてもらた中国独立映画関係者の拠点である宋庄を訪ねました。通州区にある宋庄は、北京市中心部から地下鉄と路線バスを利用して約1時間の場所にあります。

このとき訪ねたスポットも「地球の歩き方 北京」2013年度版に掲載しています。まずは北京郊外にある「宋庄」芸術区の紹介から。

「北京は中国の首都だけに今も昔も全国からアーチストが集まって創作活動を行っているが、1990年代半ばころまでは市内北西部の円明園周辺に多く集住していた。

ところが、政府の再開発により立ち退きを強制されたことで、1994年栗憲庭や方力鈞といった中国芸術界の重鎮たちが宋庄へ移り住んだ。多くの若いアーチストたちもそれにならい、当時は農村にすぎない村里にアトリエを構えた。それが北京の郊外芸術区の始まりだ。 

その後、2000年代に入り、大山子の工場跡を利用してアトリエを構えるアーチストが現れ、今日に至るのが798である。またそれ以前にニューヨークのイーストビレッジを真似て「北京東村」と呼び、現在の大山庄の近くの農家に移り住んだグループもいた。彼らが自由を求めて中央の地から離れた場所に集まって生活を伴にし、芸術区を形成するところは、『水滸伝』に出てくる梁山泊の住人にどこか似ているところがある」。

中国宋荘 www.chinasongzhuang.cn

⑤郊外芸術区の拠点「宋荘美術館」
中国を代表する芸術評論家の栗憲庭が館長を務める美術館で2006年10月にオープン。以来、北京市中心から遠く離れた郊外の地にありながら、郊外芸術区の拠点として中国の現代アート作品の企画展を精力的に行ってきた。館内スタッフは近所に住む農民や労働者たちに務めさせることで、美術教育の大衆化に貢献しながら地元に雇用が生まれるような運営をしていることも特徴だ。

宋荘美術館 www.artda.cn

⑥インディペンデント系カフェ「現象珈琲」
海外などに発表の場を求めて自由な作品の創作に取り組む映像作家たちの拠点となっているのが宋庄だ。毎年ここでは国内外のインディペンデント系作品を集めた国際映画祭が行われている。その会場のひとつである現象芸術珈琲は、国内外の映画をプライベートに鑑賞するためのスペースとなっている。上映はたいてい週末の午後から。上映作品はブログでチェックできる。店内には日本をはじめ世界各地の映画祭のチラシやポスターが貼られている。ただし、普段はカフェとして営業している。人里から遠くから離れた場所にあるのが信じられない、いい感じのカフェだ。

現象珈琲 site.douban.com/fanhall/

⑦オーガニックフードの「米娜餐庁」
騒々しい北京市内を離れて宋庄の芸術区で自家製のオーガニック素材を使ったレストランを始めたのが蘇青さんと米娜さんだ。周辺にあまり人通りはないが、食事どきになると店には多くの客が集まってくる。四川風を謳っているが、季節によって食材が変わるため、その日のおすすめ料理を頼むといい。自家製果実酒も豊富にそろう。この店も宋庄のアーチストのたまり場で、外国人の姿もよく見られる。

米娜餐庁
blog.sina.com.cn/minachina
blog.sina.com.cn/suqingchina

実はこの「米娜餐庁」で日本の友人と食事をしていたとき、偶然同じ店に来ていた徐童監督に会いました。こんなことってあるんですね。そのとき、彼はオランダから来た映画プロデューサーと一緒にいたので、あいさつだけ交わして、次回北京に来るときゆっくりお話ししましょうといって別れました。それが実現したのが、7月のことです。彼の仕事場を訪ねた話は、後日紹介します。

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by sanyo-kansatu | 2013-03-17 09:00 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 03月 17日

北京郊外、ちょっとマニアな芸術区めぐり

北京郊外のいくつかのアートスポットを「地球の歩き方 北京」2013年度版に掲載しました。以下、「ちょっとマニアな芸術区めぐり」と題して、いまや国際的にも知られる北京のアートエリアを紹介します。

「さすがは首都北京、798のようなアートスペースが集っている。だが、実際にアーチストたちが創作活動の拠点としているのは、北京中心部から少し離れた郊外にある芸術区であることが多い。なかでも国際的に知られているのが草場地と宋荘だ。1日かけてアートスポットをめぐる小旅行に出かけよう」。

①ギャラリーが有名な「北京中央美術学院」
中国の美術教育の中心である北京中央美術学院は、朝陽区望京地区の閑静な一画にある。キャンパスを歩くと中国の美大生たちに普通に出会えるが、必見は2008年10月にオープンした北京中央美術学院ギャラリーだ。今や世界の有名アーチストの企画展が常時行われる北京の重要なアートスポットのひとつになっている。設計は日本人建築家の磯崎新だ。

北京中央美術学院ギャラリー www.cafamuseum.org/cn

②映画史の殿堂「北京電影博物館」
中国で最初の映画が撮られたのは1905年。国立の中国電影博物館には、中国映画の100年の歴史を紹介する巨大な示スペースがある。時代別・ジャンル(アニメやドキュメンタリーも含む)別の作品紹介に加え、新旧の撮影機材や衣装の展示、台湾・香港の映画史の紹介など、1日かけても観て回ることができないほどだが、アジア映画に関心のある人には面白い場所だろう。中国の近代史と重ね合わせながら作品の変遷をたどると興味深い。

中国電影博物館 www.cnfm.org.cn

③前衛的な芸術区「草場地」
首都機場高路と五環路が交差する北東側の一画に、中国を代表する芸術家のアイ・ウェイウェイのアトリエや外国人経営のギャラリーが集まるようになったことで芸術区として注目されているのが草場地だ。展示される作品の国際性やクオリティでは北京で最も前衛的なスポットいえる。だが、ギャラリーの大半は一般中国人の居住区と混在していて、外からはパッと見わかりにくい。北京のギャラリー情報を紹介する「Gallery Sights」(www.khlart53.com)などで事前に作品と場所をチェックして行くといい。

ShanghART Beijing
上海でも有名なスイス人経営の現代美術ギャラリー
www.shanghartgallery.com

④写真アートの「三影堂撮影芸術中心」
三影堂撮影芸術中心は中国で初めて誕生した写真専門のアートセンターだ。中国の著名な写真家ロンロンと彼の妻で日本人の写真家インリによって2007年6月に開設された。中国における現代写真アートの発掘や普及のために年間を通じてさまざまな展覧会やイベントが行われている。なかでも毎年4月に行われる「草場地春の写真祭-アルルから北京へ」は、海外から多くの観覧客が訪れ、草場地周辺はにぎわいを見せる。

三影堂撮影芸術中心
www.threeshadows.cn/jp

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by sanyo-kansatu | 2013-03-17 08:49 | 現代アートは中国社会の鏡である | Comments(0)
2013年 03月 16日

中国インディペンデント映画祭主催者、中山大樹さんに会う

もう1年も前のことですが、2012年3月25日、中国インディペンデント映画祭主催者の中山大樹さんにお会いした話をしようと思います。

彼にはどうしても聞きたいことがいくつかありました。中国インディペンデント映画の世界をどのように知り、映画祭をやるに至ったか。今回の出展作の中でぼくがいちばん興味深く感じた徐童監督の『収穫』という特異な作品が撮られた経緯や背景、上映後に起きた香港「収穫」事件の顛末。そして中山さんにとって中国インディペンデント映画の魅力は何なのか、といったことでした。インディペンデント系の映画作家が多く集まっているという北京郊外の宋庄についても、教えてもらおうと考えていました。以下、秋葉原のコーヒーショップで約1時間、中山さんにお聞きした話を紹介します。

中国独立映画との出会い

――まず中国インディペンデント映画祭の立ち上げに至る経緯についてお聞かせください。

「最初の映画祭(2008年)を立ち上げたころ、私は日本にいました。実は2005年まで上海で働いていたのですが、帰国してからは東京フィルメックスにかかる中国の映画などを観に行ったりしていました。

2005年、06年と連続で應亮という監督の作品が2回かかったのですが、ひとりの監督が低予算で、自分で映像を撮り、編集もするという、いわゆるインディペンデント映画というのを初めて観たんです。それまでジャ・ジャンクーなどは観ていたのですが、中国にもインディペンデントな映像作家がいることに、とてもびっくりしたんです。

最初の年の應亮監督の作品が『あひるを背負った少年』、次の年が『アザー・ハーフ』(ともに中国インディペンデント映画祭第1回出展作)でした。ちょうどそのとき、應亮監督も来日していたので、会場で直接声をかけて、「こういう作品があるのなら、もっと紹介してほしい」と伝えたのです。

当時彼は四川に住んでいましたが、実家は上海です。その後、私は上海や北京に行って彼に会い、いろんな監督を紹介してもらったり、作品のDVDをもらったりしました。そのとき、日本では中国のインディペンデント系の作品はほとんど紹介されていないから、上映イベントをやりたいなと思ったんです。最初に彼に話しかけたのが2006年で、上海に行ったのが07年のことです。

インディペンデント系の作家は北京に多くいるので、いろんな人に会えました。当時私は日中貿易の仕事をしていました。もともと1998年に初めて上海に留学して、その後は行ったり来たり。02年~05年は現地で会社員として働いていました。その頃から映画は趣味で、映画館でよく観ていました。好きな監督の舞台あいさつを撮って、ホームページで紹介していたのです」

――インディペンデント映画の存在に気づいたのはいつごろですか?

「インディペンデント映画は技術の進歩と関係があります。デジタルビデオが中国で普及し始めたのは2000年ごろからで、作品も02年ごろから現れます」 

――第1回の中国インディペンデント映画祭は?

「2008年8月でした。2回目が09年12月。今回が11年12月」

――作品を選んだりするのは1年くらいかけて……。

「そうですね。日本にいたころは、中国でインディペンデント映画の映画祭があるときは必ず出かけていって、作家と会って話をしました。中国のインディペンデント映画祭は、北京でも開催されますが、おそらく最大規模なのが、毎年9月か10月に南京で開かれるものと、雲南省で2年に1回、3月に開かれるものです。それから先ほどの應亮監督がやっている重慶。北京ではこれまで5月と10月にやっていたのですが、今年から少し状況が変わるようです」

――一部中止になるとか。確か、中国の著名な現代アートの評論家が主催しているのですよね?

「実は私が以前働いていたのは、その評論家の栗憲庭の電影基金で、2006年に設立されたものです。07年以降、毎年北京独立電影展をやっているのですが、それ以前にもうひとつ、5月に開催される中国記録映画祭があったのです。栗憲庭電影基金ではこのふたつの映画祭を主催していたのですが、今年から一本化しようということになりました。今年は8月に開催される予定です」

※2012年8月に開かれた北京独立影像展については、中山さんの以下の報告を参照。
「北京独立影像展の報告」 http://webneo.org/archives/3959

――場所は?

「宋庄です」

――中山さんが電影基金で働いていたのは?

「2010年3月から11年5月までです」

――その経緯は?

「2007年から宋庄の映画祭には毎年通っていました。そのうち関係者の人たちと親しくなって、彼らが日本の映画を上映するときに、中国語字幕をつくる仕事を手伝っていました。

日本で映画祭をやることを決めて、私は仕事をやめたので、わりと時間があったんです。日本で映画祭を立ち上げるとき、彼らにずいぶん助けてもらいました。そしたら、向こうでスタッフが辞めて手が足りないというので、ちょっと手伝いにいきましょうかという話になったんです」

――映画祭立ち上げのために仕事をお辞めになったのですか。

「仕事と映画祭の両立はできなかったんです。自分の経営していた会社を売ってしまいました」

――すごいですね。それだけの価値があると思ったのですね。

「仕事はそれなりに順調でしたが、そんなに面白くなかった。せっかくなら自分の好きなことをやりたい。それで……」

――いまは北京にいらっしゃるのですね。

「はい、特になにもやっていないのですけど(笑)。人の映画の制作を手伝ったり、インディペンデント映画について執筆したりしています」。

徐童監督と『収穫』事件の顛末

――さて、今回ぜひお聞きしたかったのが、徐童監督の作品についてです。映画祭の関連イベントとして武蔵野美術大学で上映された『収穫』には驚きました。主人公はいわゆる地方出身の風俗嬢ですが、監督は彼女の生活のあらゆる場面でそばにいてカメラを回しています。しかもカメラと彼女との距離が近い。それは物理的にも精神的にもそうだと思うのですが、なぜそのようなことが可能だったのか。これはぼくがこれまで観てきた中国インディペンデント映画にも共通する驚きであり、疑問なのですが……。

「そうですね。個々の作品に関してというより、全体的な傾向なんですが、中国の人は撮られることに抵抗がないんです。おそらくそれをどこかに流されたりしたら困るという意識がなくて、だから撮られても特に構えたり、撮るなといって騒いだりすることがほとんどないんです」

――確かに、ぼくも中国各地をカメラマンと一緒にずいぶん訪ねていますから、撮られることに抵抗のない中国の老百姓というのか、民衆の人たちの存在はそれなりに理解しています。ただ、『収穫』の場合、対象が風俗嬢でもあり、ちょっと普通ではないな、と思ったんです。さらに驚いたのは、武蔵野美術大学の上映会場に、『占い師』の登場人物であった唐小雁さんがいたことです。どこかで見たことのある人だなあと思っていたのですが、本当にご本人だったとは。確か、彼女はドキュメンタリーの被写体として中国で何かの賞を受賞されたとか。これはどういうことですか。

「徐童監督は自分の作品を上映するとき、唐小雁さんを必ず上映会場に同行させていたんです。国内でもそうですが、そのうち香港やロッテルダム、北欧にも同行するようになって、彼女はだんだん有名になったんです。それで、中国の映画関係者が、彼女の映画以外の貢献も含めて表彰しようということになったんだと思います」

――確かに、彼女は特異な人生を歩んできた人ですものね。『占い師』の中では一時彼女は失踪してしまいますね。それにしても、当時は北京郊外のスラムで売春婦としてすさんだ生活をしていていたのに、東京で会った彼女はずいぶんあか抜けて、きれいになっていましたね。こういうことが起こることも含めて、中国のドキュメンタリー映画の世界は面白いですね。

「彼女は上映会場でも自ら進んで観客と話をするんです。『占い師』の後、今度は彼女のお父さんを主人公にした作品が撮られたのですが、その作品を上映するときも、彼女は上映会に必ず立ち会います。彼女は自分のことを撮られることも、それを人に観られることも、なんら問題とは思っていないようです。

――かつて彼女に起こった辛い出来事が次々と公開されるというのに……。

「彼女自身も上映会でいろんな人たちと会うことで、生活も変わってきた。いろんな国に行ったり、雑誌のインタビューに出たりして、鼻が高いみたいです」

――それからもうひとつ、座談会で話題となった『収穫』事件についてお聞きしたいです。作品上映に対する反対運動が起きたのですね。主人公のホンミャオの人権問題が議論されたということでした。中国のメディアでも取り上げられたのでしょうか。

「香港や大陸の一部のネットメディアで断片的に取り上げられた程度だと思います。最初に問題が起こったのは、2009年3月の雲南の映画祭でした。実はその前に北京で上映されたときは何も問題にはなりませんでした。

上映後の質疑応答の中で、徐童監督に対して批判的なことを言う人がいたんです。その人が『これは上映すべきではないのではないか』と掲示板に書き出して、賛否を問うたのです。映画祭の討論会でも、この作品が取り上げられました」

――論点は何だったのですか?

「作品の中で主人公以外の売春婦やお客さんが映っているけれど、彼らに許可を取っているのか。もしそうでないとすると、それは暴力的なことではないか。監督は彼らを利用しているのではないか、というような意見がありました。なぜなら、中国では売春は犯罪ですから、彼女らの顔をそのまま映画に出すこと自体、危険に身をさらさせることになるからです」

――こうした主張をする人たちには何か特別な政治的な立場があるのでしょうか。というのも、ここで言われていることは、国際社会の通念からしても、ごく常識的な見解だと思います。ただ、それが中国ではどう議論されるかに興味を感じました。

「そのときに発言をした人物のことは知りませんが、その話が香港に伝わって、香港の映画祭に出品することになったとき、セックスワーカーの人権を守ろうというNPO団体が上映反対運動を展開したのです。若い人たちが中心だったようです」

――中国では国際的な通念に対する認識は世代によってずいぶん違う気がしますものね。徐童監督はこうした批判が出ることを予測していたのでしょうか。

「最初はまったく予期していなかったそうです。そんな反応が出るのは意外だったと言っていました。北京ではむしろすばらしいという評価でしたから」

――徐童監督の反論はどのようなものだったのですか。

「彼女たちの顔にモザイクをかければいいというものではない。むしろ覆い隠してしまわないで、ひとりの人間として見る方が正しいコミュニケーションが取れるのではないか、というものです」

――確か、座談会でも徐童監督は「ビデオカメラはコミュニケーションの道具だ」と発言していましたね。もしこの議論が日本で起こったら、また別の展開になったでしょうが、作品がすでに撮られてしまったという事実がそこにあり、被写体との関係もきわめて良好であるということに、我々はいまさらながら驚くわけです。

「彼女らにとっては、監督も自分と同じ仲間であって、撮られたことに抵抗はないのですが、確かにその作品をDVD化して発売したり、ネットにアップしたりするのはどうかということが問題になりますよね。それはまずいだろうということで、それはしないことにしました。監督が許可した上映のみで、場所を選んでやるということです」

――いまの中国というのは、こうした微妙でギリギリの関係性というものが成立しうる社会だということですね。

「徐童監督が言っていたのは、彼女たちは失うものが何もないからオープンなのだということでした」

――『占い師』でも知的障害者のおばあさんの姿を延々撮っていますね。

「中国の場合、どこまでが良くて、どこまでが良くないというモラルというようなものがまだ確立していないということなのだと思います」

――それにしても、今回の映画祭は興味深い作品ばかりでした。たとえば、『独身男』のような農村を舞台にした夜這いの話は、あくまでフィクションなのでしょうけれど、まるで文化人類学のフィールドのような異界だったと思います。

「ああいう農村の実情については、中国でも都市に住む人たちはほとんど知らないと思います。この作品を撮った郝杰監督は、農村の実情というのが決してきれいなものではなく、ドロドロしていて、だから面白いのだということをストレートに伝えたかったのです。この作品について、中国の農村の醜い姿をあえて外国人にみせるようなことはけしからん、というようなことをいう人が中国にはたくさんいるのですが、いや実際はこんなもんですよ。あなたたちは知らないだけだ。そう監督は話しています」

――そういう心意気というか、ポジティブな率直さが中国インディペンデント映画の監督たちの魅力ですね。撮られたって何も失うものはないというホンミャオや唐小雁さんと似ている気がします。

今後は楽観できない?

ところで、もうひとつ気になったのは、徐童監督もそうですが、今回来日した張賛波監督も2008年からドキュメンタリー作品を撮り始めたと言っています。それは偶然だったのでしょうか。彼らにとって2008年という年には何か特別な意味でもあるのでしょうか。北京オリンピックの年ということですけれど。

「何か共通点があるのかどうかわからないのですが、2008年から撮り始めたという人は多いんです。でも、そういう指摘はまだ誰もしていないです。ただ、個人的には、2008年が何かの転換点になっているのではないか、と思っています。逆に2008年以降、作品を撮らなくなっている人もいます。たとえば、『あひるを背負った少年』の應亮監督がそうです。07年までは撮っていたのに、そこからぴたりと止まってしまった。いま彼は教壇に立って教える側にいます。だから、まだそこはなんとも言えないですね」

――それにしても、映画祭のために会社を売ってまで取り組んでいる中山さんですが、何がそこまでさせるのでしょうか。

「よく人から聞かれることなんですが、ひとつは日本で誰も中国のインディペンデント映画の上映イベントをしていなかったので、やってみようと。誰かがやっていたら、たぶんやらなかったと思います。それと、第1回をやったときは、続けるつもりもなかったんです。結果的に評判がよくて、みんながまた観たいというので、続けることになった」

――次回はいつですか。

「まだ決まっていません。作品が集まったらやろうかなと。そんなにたくさんの作品があるわけではないんです。まだ次回向けは数本しか集まっていないので……」

――量産できる世界ではないでしょうしね。しかし、イベントのためには現地で監督に会ったり、彼らを招聘したり、お金がかかりますね。スポンサーはあるのですか。

「スポンサーはいないので、みなさんから寄付を募っています」

――ところで、中国では一般にインディペンデント映画の上映はどのように行われているのですか。

「最初に話した南京や雲南、重慶、北京で開かれる4つの映画祭と、あとは有志がカフェなどで独自に数十人くらい集めて上映しているという感じです。中国国内でもこの世界を知っている人は少ないです」

――この先、中国インディペンデント映画の可能性についてはどうお考えですか。

「中国の映画界では、『第六世代』という呼び方があって、1990年代後半くらいからインディペンデント作品をつくり始めた人のことを指すのですが、『第七世代』という呼び方はないんです。

インディペンデント映画が今後どうなっていくのかよくわかりませんが、あまり楽観できないのではないかと私は思っています。もしかしたら、もうあまり撮られなくなるのではないかと思うことがあります」

――それはどうしてですか。

「あまり若い世代が育っていないからです。確かにいることはいるんですが、たとえば、ショートムービーをネットにアップしようとする人はいます。でも、昔のように、気負って重い作品をつくろうとしている人は若い世代にはいないです」

――映画祭の関連イベントで、慶応大学日吉キャンパスで中国の1980年代生まれの映像作家の短編をいくつか観ましたが、盧茜監督の『北京へようこそ』はよくできていましたね。あのような才能ある若い世代がどんどん出てきたら、面白いことになると思ったのですが、彼はその後作品を発表していないのですか。

「聞かないですね」

――いまの中国の若い世代は、社会への関心が低下し、内面に向かっているといいます。もちろん、日本はずっと以前からそういう状況ですが、中国では、都市に住む若者の生活環境こそ、先進国に近づいたとはいえ、国全体でみると、社会問題は何ひとつ解決されていないわけで、こんなことで大丈夫なのか、と思いますね。

「そうなんですよね。中国にはまだ描くべきものはたくさんあるんです」


最後のくだりで、ぼくは中山さんにいたく共感してしまいました。彼の主催した映画祭のおかげで、中国インディペンデント映画の世界を知ることになり、本当に感謝しています。

中国インディペンデント映画は、ひとつの独自のスタイルを確立していると思います。

重要なのは、自分たちの社会をきちんと見つめ、向き合おうとする姿勢でしょう。そこにしかオリジナルな世界は生まれないという恰好の事例だと思います。政府がいくらお金をつぎ込んでも、良質なアニメが中国でなかなか生まれないのとは対照的です。

中国インディペンデント映画は、いまの中国が世界に誇れる重要な文化的なジャンルのひとつだと思います。

中山大樹(なかやま・ひろき)
中国インディペンデント映画祭代表。1973年生まれ。中国に滞在しながら、インディペンデント映画の上映活動や執筆をしている。
ブログ『鞦韆院落』
http://blog.goo.ne.jp/dashu_2005


ネットを検索していたら、中山さんの以下のインタビューが見つかりましたので、紹介します。
『映画芸術』2011年11月25日
中国インディペンデント映画祭2011
中山大樹インタビュー
http://eigageijutsu.com/article/236962523.html
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by sanyo-kansatu | 2013-03-16 16:17 | リアルチャイナ:中国独立電影 | Comments(0)
2013年 03月 16日

中国吉林省延辺朝鮮族自治州・延吉の朝市 後編★地元グルメもいっぱい

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中国吉林省にある延辺朝鮮族自治州・延吉の朝市の写真の後編です。市場の中には屋台もたくさんあり、地元グルメを食べ歩きできてしまいます。

写真を見ればおわかりのように、延辺は朝鮮族と漢族が集住する地域らしく、両民族の食文化が混交しています。実際には、すでに朝鮮族の比率は3割といわれるほど、漢族化が進んでいるという実情もあります。

後半に朝市で売られる北朝鮮の歌謡VCDやこの地域特有の食材などを紹介していますが、一部見る方によっては問題を感じられるかもしれない写真も含まれています。それは犬食の習慣に関わるものですが、この地域では、ごく普通に見られる光景であることをご理解ください。決して覗き見的な意図や露悪趣味によるものではなく、我々が延辺朝鮮族自治州という地域を訪ねるとき、インパクトの強い光景ではあるけれど、この地の食文化を理解するうえで、はずせないものだと考えるからです。(撮影:佐藤憲一/2012年6月下旬)
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by sanyo-kansatu | 2013-03-16 13:26 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)