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2017年 03月 25日

今夏から成田・ウラジオストク線が毎日運航になります(これはスゴイ!)

昨日、極東ロシア専門の旅行会社「JATM(ジャパンエアトラベルマーケティング)」の担当者の方にお聞きしたのですが、今年4月30日から成田・ウラジオストク線が毎日運航になるそうです。これには驚きました。

JATM(ジャパンエアトラベルマーケティング)
http://www.jatm.co.jp/

運航するのは、ロシアの航空会社のS7航空(週4便:火木土日)とオーロラ航空(週3便:月水金)です。しかも、S7航空は同じく4月末から関西・ウラジオストク線に水、金の週2便で運航する予定です。
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S7航空、4月30日から成田/ウラジオストク線を増便 週4便で運航
http://flyteam.jp/airline_route/nrt_vvo/news/article/74283
オーロラ航空、夏ダイヤで成田/ウラジオ線再開、週3便
http://www.travelvision.jp/news/detail.php?id=76469
S7航空
https://www.s7.ru/

ちょっと面白いのは、オーロラ航空の使用機材がエコノミークラス70席のボンバルディアDHC8型機で、いまどき珍しいプロペラ機です。

オーロラ航空
http://www.uts-air.com/aurora/

こうして日本とウラジオストクを結ぶ航空路線がいきなり増便します。とても楽しみです。

今年こそ、ウラジオストク観光の年になるか(2017年 02月 04日)
http://inbound.exblog.jp/26607552

極東ロシアへの旅といえば、もうひとつサハリンがあります。成田からサハリンのユジノサハリンスクへはヤクーツク航空が2016年5月から週2便運航しています。

ヤクーツク航空
http://interavia.co.jp/news/post-13/
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個人的な話ですが、いまぼくはサハリン行きを計画しています。今年の仕事のテーマのひとつが、ボーダーツーリズムなんです。詳しくはまた報告したいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2017-03-25 15:18 | ノービザ解禁間近!極東ロシア | Comments(0)
2017年 03月 22日

内蒙古の大草原でパオのお宅訪問

内蒙古自治区の東北部に位置するフルンボイル平原には、なだらかな丘陵と草原がどこまでも広がり、馬や羊が群れなしている。ただし、この絶景が見られるのも、1年のうちわずか3ヵ月間ほど。この時期、中露国境に近い草原とその起点になる町は多くの観光客でにぎわう。
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↑モンゴル族のスー・チンさん一家をパオの前で記念撮影。11歳になる男の子は、わざわざ民族服に着替えてくれた。
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↑パオの中は思ったより広い。5歳になる末娘はひとみしりで、突然の訪問客に身をガチガチに固め、うつむいてばかり。最後には泣き出してしまった。ごめんね。

お邪魔してわかったパオの暮らしはシンプルで快適

内蒙古の草原を訪ねるのが決まったときから、ある計画を胸に秘めていた。モンゴル族の暮らすパオ(中国語。モンゴル語はゲル)を訪ねててみたいと思っていたのだ。

中露国境の町、満洲里から北に向かって草原の一本道を走っていたときのことだった。道路からはるかに離れた地平線沿いにいくつものパオが点在していたが、路端から数百メートルほどのそれほど遠くない場所にひとつのパオを見つけたのだ。「よし、あのパオを訪ねてみよう」。車を停め、同行してくれたフルンボイル市ハイラル区に住むモンゴル族のガイドの海鴎さんと一緒にパオのある場所まで歩いていくことにした。

いわゆるアポなし訪問だったが、そんな大胆なことができたのも旅空の下にいたからだろう。近くで見るパオは意外に小さく、少し離れた場所に何百頭という羊の群れがいた。

最初はためらいを見せていたパオの住人も「わざわざ日本から来たのだから」と温かく迎え入れてくれた。その日の気温は40度近かったが、パオの中がこんなに涼しくて過ごしやすいとは知らなかった。草原を渡る風が突き抜けるとき、熱を遮断する構造なのだ。お邪魔してわかったのは、彼らの住まいは限りなくシンプルで快適ということだった。
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↑パオの中の調理用具はコンパクトで、まるでキャンピングカーのような暮らしがうかがえる。自家製ソーラー発電機も使っている。

パオの主人はスー・チンさんという女性で、親戚の親子と一緒に過ごしていた。ちょうど彼らは食事の最中で、手扒肉の骨肉を口に運んでいた。彼女はモンゴルのミルク茶「ツァイ」をふるまってくれた。ちょっとぬるくてしょっぱかった。
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↑手扒肉はモンゴル族の日常食で、太い骨付き羊肉を塩で茹でた料理。レストランではタレを付けて食べる。 新鮮な肉は臭くない。
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↑羊の放牧は、空が朝焼けに染まる早朝4時半から日が昇るまでの3時間ほど。男の子も父親の仕事を手伝い、羊を追うのが日課。 
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↑3ヵ月間とはいえ、草原の暮らしには水が欠かせない。お隣のパオははるかかなただ。手前にあるのはゆで肉などを調理する鍋。

草原の暮らしについて話を聞いた。この時期、灼熱の日差しにさらされるフルンボイル平原は、9月になると雪が降り始めるそうだ。1年の大半は雪に覆われ、厳冬期にはマイナス40度以下になるという。ちょっと信じられない話だった。

内蒙古の草原を訪れ、意外に思ったことが他にもいくつかあった。近代的な工場があちこちに建てられていたし、丘陵の尾根には風力発電の巨大プロペラが延々と並んでいた。かつて遊牧民だった彼らの暮らしが大きく変わってしまったのも当然だろう。

モンゴル族の多くはずいぶん前から都市で定住生活を送るようになっている。それでも、1年のうち、雪が溶け、草原が狐色に染まる5月末から8月中旬までの間、スー・チンさんのようにパオ暮らしをする人たちがいる。パオは彼らにとって夏を心地よく過ごすための居場所なのだ。「町で暮らすよりパオのほうがずっといい。自由だから」と彼女は話す。

スー・チンさんは「日本人も私たちと同じ顔をしているのね」と笑った。お隣に暮らす最も身近な外国人であるロシア人に比べればずっと自分たちに近いと感じるのだろう。

国境の町、満洲里のホテルでロシア人ダンサーは舞う


スポットライトがステージに照らされると、にぎやかな音楽とともにロシア人ダンサーが一斉に現れた。華やかな衣装に身を包んだ彼女たちは、ロシア歌謡に合わせて舞い、ブロードウェイ風に踊り、サーカスの曲芸のようなパフォーマンスまで見せた。それは、話に聞く1930年代のハルビンのナイトシーンを思い起こさせる光景だった。
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↑観客は中国の国内客。ダンサーはロシア人。国境の町では、両国の経済力の差が「観る」「観られる」関係を決める。

内蒙古自治区フルンボイル平原の西端にある満洲里。龍港酒店という名のホテルで開かれるディナーショーは、ロシアとモンゴルにはさまれた国境の町の夏の風物詩である。ステージに登場するのは、ロシア娘たちだけではない。地元のモンゴル族の人気歌手による歌謡ショーや馬頭琴などのエキゾチックな演奏もある。

ホテルの宴会場では、この地が短い夏を迎える3カ月間、1日2回のショーが行われている。1年の大半を雪に閉ざされるこの町に、国内外の観光客が訪れるのはその時期しかない。ショーの花形であるロシア娘たちは、お隣の国から来た出稼ぎダンサーだ。

ロシア語で「満洲(Маньчжурия)」 を意味するのがこの町の名の由来である。1901年にロシアが東清鉄道の駅を開業したのが始まりで、以来モスクワと極東ロシアのウラジオストクを最短で結ぶ鉄路の要衝となった。戦後、シベリア鉄道の中露国境駅のある最果ての地として、ヨーロッパに向かう日本人旅行者が車窓から眺めた時期もあった。ここ数年前まではロシアから運ばれた木材の集積地として投資が盛んに行われ、バブル景気に沸いていたが、それも中国とロシアの経済減速によって過去のものとなったと地元の人は話している。それでも、市内には一時期の名残のように、高層ビルがいくつか建っている。
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↑満洲里駅にはロシアからの木材が積まれた車両が並んでいる。かつての好況はもはやないが、駅裏には高層ビル群が見える。
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↑短い夏の間、市内は派手なネオンで彩られる。道を歩く大半は中国の国内客だが、ロシア人の姿も見られる。
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↑内蒙古の草原のもうひとつの意外な光景は、白黒斑の乳牛が多く草を食んでいること。草原の産業化が進んでいる。

いまでは草原観光の起点として、中国国内の都市部の人たちが多く訪れるようになっている。高層ビルの林立する過密都市に住む彼らが、地平線のかなたまでなだらかな丘陵や草原の続く内蒙古の風景に憧れてしまうのも無理はない。草原の一本道をレンタカーでドライブすることは、国内レジャーの一大ブームとなっているのだ。
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↑シベリア鉄道の中露国境は、数年前までは観光地として外国人も訪れることができたが、2016年夏には入境禁止になっていた。

この町には、もうひとつの顔もある。中露国境観光(ボーダーツーリズム)の発地としてである。陸路の国境に囲まれた中国の人たちは、お隣の国への気軽な旅を楽しんでいる。

満洲里発の日帰りロシア観光では、朝6時にバスで国境ゲートを抜け、お隣の町ザバイカリスクへ。そこから約140km離れたクラスノ・カメンスク(红石市)を訪ね、ロシア情緒とグルメを楽しむという。日本人がこのツアーに参加しようと思ったら、入国地を記載したロシア観光ビザを事前に取得する必要がある。いつの日か参加してみたいものだ。

撮影/佐藤憲一(2016年7月)

中国の最果ての地、満州里からロシアへの日帰りボーダーツーリズム
http://inbound.exblog.jp/26545706/
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by sanyo-kansatu | 2017-03-22 15:15 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 01月 10日

中国の最果ての地、満州里からロシアへの日帰りボーダーツーリズム

満州里は中国内蒙古自治州フルンボイル市の西端に位置するロシアとの国境の町です。1901年に東清鉄道の駅を開業したのが町の始まりで、日本がこの地に満洲国を建国するまでは、モスクワとウラジオストクを最短で結ぶ鉄路の要衝でした。

※「満州里(Маньчжурия)」はロシア語で「満洲(Manchuria)」 を意味します。
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数年前まではロシアからの木材の集積地として発展していましたが、中国およびロシア経済の減速によって木材バブルが崩壊し、経済的には厳しいと地元の人は話しています。

それでも、市内には一時期の名残のように、高層ビルもいくつか建っています。

これは満州里駅です。市内には車も多いです。1990年代までは、北京からシベリア鉄道に乗ってモスクワへ向かう1週間の鉄道の旅に参加する人たちが、日本人に限らず、けっこういました。いまでは、短い夏の間、フルンボイル草原を観光する国内客のための拠点の町のひとつとしてそれなりににぎわっています。
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満州里のもうひとつの観光テーマがロシアへのボーダーツーリズムです。以前、黒龍江省の黒河のボーダーツーリズム事情について書きましたが、同じような日帰りツアーが満洲里にもあるようです。

黒龍江省北辺の町、黒河のボート遊覧とロシアへの日帰り観光
http://inbound.exblog.jp/26537280/

残念ながら、このツアーに参加するためには、黒河の場合と同様に、ロシア側の国境の町であるザバイカリスクを入国地として記載したロシア観光ビザを東京のロシア大使館で取っておく必要があります。

そのため、以下の情報は現地の旅行会社で入手したツアーパンフレットや、ネット上で見つけた中国人が実際に参加したツアーを報告したブログの記事からの内容を取りまとめたものです。

まず、これが満州里とお隣のロシアの町、ザバイカリスクの位置です。
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もう少し詳しくGoogleMapでみると、こうなります。ちなみに、中国人のボーダーツアーに登場する3つの町は以下のとおりです。
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ザバイカリスク(后贝加尔斯克 Забайкальск)
クラスノ カメンスク(克拉斯诺卡缅斯克(中国名:红石市) Краснокаменск)
ボルジャ(博尔贾 Борзя) ※地図外(左上)

これは中国のオンライン旅行会社大手のCTripのサイトで募集していた日帰りツアーの情報です。現地の旅行会社に聞いたときは、日帰りツアーは500元と言われましたが、ネット上では390元で販売しているようです。

俄罗斯红石一日游(ロシア紅石日帰りツアー)
http://you.ctrip.com/dangdiren/service/18821.html

ここでいう「紅石」というのはどの町を指すのか最初はよくわからなかったのですが、中国のネットを見て回っているうちに、クラスノ カメンスク(克拉斯诺卡缅斯克(中国名:红石市) Краснокаменск)であることがわかりました。

ツアーパンフレットによると、1日のスケジュールは以下のとおりです。

朝6時集合。国際バスで国境ゲートを抜け、ザバイカリスクへ。この間は18kmです。1904年に開業したザバイカリスク駅舎を訪ね、そこから約140km離れたクラスノ カメンスク(克拉斯诺卡缅斯克(红石市)へ向かいます。この町は1968年に建市されたばかりの新しい町で、人口は約8万人。この地域では大きな町のようです。都市施設も比較的整っているようで、訪問先として記されるのが以下のスポットです。

パブロフ広場
東方正教会
レーニン像
第二次世界大戦記念広場
第二次世界大戦英雄戦車

まるで中国国内でかつて一斉風靡した毛沢東と共産党のゆかりの地を訪ねる「紅色観光」のようです。

共産党の歴史や思想がコンセプト、「紅色観光」がブームに―中国
http://www.recordchina.co.jp/a50318.html

もっとも、参加する中国客の関心は、ロシア人の住む町を訪ね、地元料理を食べたりすることにあるようです。詳しいツアーの様子は、実際にこのツアーに参加したふたりの中国人のブログをみると、よくわかります。はっきり言って、シベリアの辺境の鄙びた田舎町を訪ねているのにすぎないのですが、地元のロシア人の結婚式風景に出合ったり、スーパーでロシア食材を購入したり、ほのぼのとしたロシア旅情を味わっている様子です。

俄罗斯红石市--- 一座活在记忆里的城市
http://mozhiyu6.blog.163.com/blog/static/1404415202013710102944554/

俄罗斯猎奇----神秘的克拉斯诺卡缅斯克(红石市)
http://blog.sina.com.cn/s/blog_91658d830102vrzo.html

こちらは、ロシア国境の町のザバイカリスクと日帰りツアーで訪ねるクラスノ カメンスクに加え、ボルジャという町を周遊する2泊3日のツアーです。

满洲里出境-俄罗斯红石、博尔贾、后贝加尔斯克三市两日民俗游(2泊3日ツアー)
http://www.cncn.com/xianlu/649044287354
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以下は、満州里発ボーダーツーリズムの関連スポットです。

これが鉄道のロシア国境です。2年前までは、国門旅游区として中国側の国境塔に外国人も登ることができたのですが、2016年夏に訪ねたときは、外国人はNGになっていました。
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これは前述の日帰りツアーのバスが出る満州里の国境ゲートです。
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ロシアから来た旅行者が荷物をいっぱい車に積み込んでいます。
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これはツアーではなく、中ロの一般旅客が利用する国際バスターミナルです。
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ここでバスチケットを買います。満州里からザバイカリスクまでが92元、ボルジャまでは102元(なぜか復路は132元)です。
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陸路の国境に囲まれた中国の人たちがお隣の国へのボーダーツーリズムを気軽に楽しんでいることがわかります。
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by sanyo-kansatu | 2017-01-10 16:14 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2017年 01月 07日

黒龍江省北辺の町、黒河のボート遊覧とロシアへの日帰り観光

極東ロシア人たちが国境を越えてお隣の中国旅行を楽しんでいる話を以前しましたが、もちろん中国の人たちもロシアへのボーダーツーリズム(国境観光)を盛んにやっています。

ロシア最果ての地の人たちは中国でどんな旅行を楽しんでいるのか(黒河編)
http://inbound.exblog.jp/26503104/
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たとえば、黒龍江省北辺の黒河では、黒龍江(アムール河)のボート遊覧が楽しめますし、対岸のロシア・アムール州の州都ブラゴベシチェンスクへの日帰りや1泊2日のツアーも催行されています。
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シベリアのかなたから黒土を運んでくる黒龍江の河の色は、近くで見ると泥色をしているのですが、夏になると晴れ渡った空の青みを映し出して、まるで海のようです。さすがにここまでは北京のPM2.5は届いてこないため、空気も澄んでいて、避暑を過ごすには気持ちがいい町です。この町の人たちは、約1kmほど離れた対岸のロシアの町を眺めながら暮らしています。この雰囲気は、タイやラオス、ミャンマーが国境を接するゴールデントライアングルで暮らす人たちの様子ととても似ています。

インドシナ3カ国が接するゴールデントライアングル最新国境風景
http://inbound.exblog.jp/22434567/

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冬になると、河は氷結します。この写真は春になって氷が溶け出している時期のものですが、黒龍江から押し出された氷の流れ着く先が、北海道網走の流氷というわけです。
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さて、この辺境の地を訪れた中国の人たちが必ず乗るのが黒龍江の遊覧ボートです。河沿いがずっと公園になっているのですが、その西端にボートの発着場があります。夏の間は、朝8時過ぎから1日6~7回、つまり1時間に1本くらいの間隔でボートは出ます。時間は決まっていなくて、客が数十人くらい集まった頃合いにのんびり船出します。料金は40元でした。所要30分くらいのショートボートトリップです。
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ふと見ると、河で泳いでいる人たちがいます。
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さて、ボートは下流に向かって走り出します。乗客は対岸のロシアをじっと眺めています。
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しばらくすると、対岸が近づいてきました。マンションが見えます。実は、ぼくが初めて黒河を訪ねたのは1990年のことです。その当時は、まだロシアにはこんな高いビルはなく、町並みもくすんでいました。中国側の黒河も同様で、満洲国時代の建物も数多く残っていて、町で「仁丹」と書かれた広告のペイントすら残っていたことを思い出します。もちろん、いまはまったく別の町のようです。
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河沿いでは、ロシア人たちが水浴びを楽しんでいます。
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観覧車も見えます。
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ライフセーバーの監視員もいます。
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以前、ウラジオストクに行ったときも、ロシアの人たちはこの時期(7月)、海水浴を楽しんでいました。おそらくシベリアの果ての極東ロシアで水浴びができるのは、7月から8月上旬くらいまででしょう。短い夏を楽しんでいる様子がうかがえます。

短い夏を満喫。ウラジオストクで海水浴
http://inbound.exblog.jp/20112110/
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サングラス姿の若いママさんもいました。
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ロシアの町だけあって、町並みはきれいです。中国側に量産されているなんちゃってロシア風建築とはモノが違います。
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さらに、下流に向かうと、コンテナ埠頭や中国との国境ボートの発着する港も見えてきました。
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乗客たちはこうしたロシア人の様子を望遠鏡でじっと眺めています。まさにボーダーツーリズムを楽しんでいるのです。
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ブラゴベシチェンスクの町外れあたりでボートは中国側に向かって折り返します。
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途中、ロシア人を乗せた遊覧ボートが近づいてきました。
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彼らもまたボーダーツーリズムを楽しんでいました。
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さて、ここまでは第三国人であるぼくも気軽に参加できるのですが、お互いの国へのビザなし日帰り観光ができるのが両国民の特権です。もちろん、日本人でも東京のロシア大使館で入国地をブラゴベシチェンスクと記載を入れたビザを取れば、中国人と一緒にツアーに参加できるそうですが、まあ面倒です。日露平和条約が結ばれたあかつきには、北方四島で同じことが実現されることになるのでしょうか。
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市内にはいくつかの旅行会社があります。黒河からはロシアの3つの都市へのツアーが催行されているようです。「布市」がブラゴベシチェンスク、「海参威」がウラジオストク、「哈吧」がハバロフスクです。ブラゴベシチェンスク行きは日帰りだけでなく、1泊2日、2泊3日もあるようです。
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日本人が訪ねてくることなどまずないので、珍しがられてロシア日帰りツアーの話をいろいろ教えてもらいました。
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これがブラゴベシチェンスク行きの日帰りと1泊2日のツアーパンフです。日程は、早朝7時に黒河口岸(イミグレーション)に集合。夏は船で、冬は氷結した河上をバスで渡ります。
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主な訪問地は、この写真にあるように、レーニン広場や凱旋門、シベリア鉄道駅、州政府ビルなどの古いロシア建築や教会をめぐり、ロシア料理の昼食を取る。午後は自由行動で、日帰りなら夕方には黒河に戻るというもの。1泊2日は、市内のホテルに宿泊し、ロシア人宅への家庭訪問などのメニューもあります。

ツアー料金は安く、日帰りで450元、1泊2日で750元が相場だそう。

実は、1年後に東京でロシアビザを取って黒河からブラゴベシチェンスクに渡り、シベリア鉄道でハバロフスクまで行き、中国に再び戻ってくる取材を計画しているところです。
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by sanyo-kansatu | 2017-01-07 10:44 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2016年 12月 13日

神社の跡地にできた公園の展望台は北朝鮮を望む絶景スポット(中国遼寧省丹東市)

中国東北地方の各都市には、満洲国時代に建てられた神社の跡地があり、そこはたいてい公園となっています。大連の労働公園(大連神社跡地)がそうですし、今夏訪ねた内モンゴル自治区のフルンボイル市ハイラル区の市街地にある西山広場(ハイラル神社跡地)もそうです。
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中朝国境最大の町、丹東にもかつて神社がありました。安東神社です。創建は1905(明治38)年10月3日といいますから、日露戦争直後に建てられたことがわかります。
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当時の絵葉書をみると、巨大な鳥居の向こうにスロープ状の参道と小鳥居、拝殿が見えます。
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これが跡地で、当時もいまも錦江山公園といいます。以下は、今年7月に訪ねたときの写真です。安東神社の廃絶は、日本の終戦の1945年ですが、いまでは日本の鳥居が中華風の派手な門に置き換えられています。
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これが当時の参道です。
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拝殿に至る階段の手前に石橋が残っています。
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日本時代の年号などが塗りつぶされています。
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ここが拝殿跡地だそうです。
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公園は錦江山の山腹に広がっていて、市民の散策コースになっています。
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緑に囲まれた散策コースは整備されています。
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15分ほど登ると、高台に中華風の「錦江亭」という展望台が立っています。ここからは、鴨緑江の対岸の北朝鮮の新義州の町並みが見渡せます。
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この日は空がかすんでいて、はっきりとは対岸が見渡せませんでしたが、右手に見える丹東駅とその先に鴨緑江断橋が見えます。
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これではつまらないので、2012年夏に錦江山公園の東にある黄海明珠(テレビ塔)から見た写真をお見せしましょう。

鴨緑江遊覧ボートで見る中朝の発展格差をどう考える?(遼寧省丹東市)
http://inbound.exblog.jp/20510174/

鴨緑江をはさんだ中朝の経済格差は歴然としています。はるかかなたに見えるビル群は、旧市街地から政治機能を移転するべく開発が進められている丹東新区です。

ところで、錦江山公園にはもうひとつ「曙光閣」という展望台があるのですが、日本の天守閣を模した不思議な外観をしています。
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さらに面白いのは、「錦江亭」のそばの茂みの中に、「皇帝陛下安東地方巡狩紀念」と刻まれた石碑が立っていることです。
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「巡狩」とは、古代中国で天子が諸国を巡視したことを意味しますが、ここでいう天子は、満洲国皇帝溥儀のことです。

石碑の裏には、満洲国崩壊時に国務院政務長官を務めた武部六蔵の名が刻まれています。
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なぜこんなものがいまも残っているのか。旅順の二〇三高地の山腹に戦死した乃木希典大将の次男の保典の碑が置かれているケースはありますが、基本的に「偽」満洲国時代の石碑等は打ち壊されたはずでした。金州南山の乃木の句を刻んだ碑も倒され、台座のみしか残っていません(碑自体は、旅順日露刑務所旧址に展示)。こんなに堂々と石碑が立っているのはちょっと驚きでした。

地元の日本語ガイドの閻宇飛さんによると「いったん倒して山の中に埋めたのだが、2000年代に入って「愛国歴史教育」の素材として、土から掘り出し、同じ場所に置いた」そうです。
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まあいろんなことがあるものです。錦江山公園は約1時間もあれば散策できますし、何より北朝鮮の町並みが見渡せるので、ぜひ訪ねてほしいスポットです。
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これは1940年代の丹東(当時は安東)の観光マップです。確かに、駅の北側に安東神社があります。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-13 13:29 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2016年 12月 13日

これが2015年9月に完成した中朝国境に架かる新鴨緑江大橋です

今年7月下旬、中国遼寧省丹東を訪ねています。2015年9月に完成した中朝国境に架かる新鴨緑江大橋を見に行きました。
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あいにくの梅雨空で、鴨緑江を霧が覆っているため、巨大な橋梁を確かめることはできましたが、対岸はまったく見えません。
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中国の大手検索サイト「百度」によると、全長約2km、幅33mの吊り橋です。場所は鴨緑江断橋の約20km下流に位置します。

新鸭绿江大桥(百度)
http://baike.baidu.com/view/3301989.htm

以下のデイリーNK情報によると、ちょうどぼくが丹東にいた日(2016年7月27日)は、かつて中朝間で合意されたという丹東から平壌を経て韓国との軍事境界線に近い開城に至る全長410kmの高速道路建設の着工日とされていたそうです。

中朝高速道路、着工式行われなかった訳(デイリーNK2016年08月02日)
http://dailynk.jp/archives/71687

その日、中国側の起点となる新鴨緑江大橋のたもとを訪ねたわけですが、ぼくが見たのは、ご覧のように川べりの釣り人や地元の若者たちがたむろする光景だけでした。
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着工式どころではなかった理由についてデイリーNKは「中国当局は、北朝鮮の相次ぐ核実験、ミサイル発射実験、国連安保理の対北朝鮮制裁決議の採択などで負担を感じ、着工を避けているとの見方がある」と書いています。

中国側は大橋の手前にすでに「国門大廈」というビルやイミグレーション施設を建設しています。地元の人によれば、「国門大廈」には、中国のビジネスホテルチェーン大手「錦江之星」のホテルが入るそうです。
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ぼくはこの橋の着工の決まった2009年頃から2年おきに丹東を訪ねています。以来、いつ開通するのか、毎回地元の人に尋ねてきました。でも、橋の完成をもってもいまだに開通には至っていません。

「新鴨緑江大橋が半分くらいできた」と地元の人に聞きました(2013.6.5)
http://inbound.exblog.jp/20555737/

中朝新国境橋が完成しても開通できない理由(2014.12.30)
http://inbound.exblog.jp/23944673/

この橋からも近い丹東新区には北朝鮮総領事館もあります。
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また中朝が共同で開発するといわれて久しい「黄金坪」も、2年ぶりに訪ねましたが、水田の中に一軒、管理事務所ビルができていただけでした。
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中朝共同開発の工業団地「黄金坪」はいまだ停滞中(2014.12.30)
http://inbound.exblog.jp/23944634/
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今回、鴨緑江を眺めていてちょっと面白かったのは、朝鮮の人たちが乗る船を見かけたことくらいでしょうか。朝鮮領沿いを航行するため、遠く離れているのですが、船に自転車を積んで、上流に向かっていました。
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by sanyo-kansatu | 2016-12-13 11:53 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2016年 12月 13日

高速鉄道で大連から2時間! 日帰り可能になった中朝国境の町、丹東

2015年12月17日、中国遼寧省の大連から中朝国境最大の町、丹東までを結ぶ「丹大快鉄(丹大高速鉄道)」が開通しました。おかげで、これまでバスや車で4時間近くかかっていた両都市間の移動が約2時間に短縮され、日帰りが可能になりました。

今年7月下旬、丹東・大連間を乗車しました。以前は起伏のないトウモロコシ畑の中の高速道路の1本道をバスで延々4時間走り続けるしかなかったのですが、いまや快適な旅と時短が実現されたので、大連を訪ねる人は、ぜひ丹東まで足を延ばしてほしいです。丹東はとても面白い町だからです。特に北朝鮮情勢に関心のある人には、たまらない町でしょう。

これが丹東駅です。この駅は、瀋陽への高速鉄道「瀋丹高鉄」(2015年9月1日開通)の発着駅でもあります。
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高速鉄道の予約はネットででき、駅構内の自動発券所で受け取れます。ただし、中国の身分証名書を持つ国内客のみ利用可能です。外国人のパスポートを読み取るしくみがないため、我々は中国オンライン旅行大手のCTripで予約はできますが、チケットの受け取りは窓口に並ばなければなりません。
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さらに、丹東駅は鴨緑江をまたいだ対岸の北朝鮮・平壌行きの国際列車の中国側国境駅でもあります。
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国際列車95次★丹東~平壌
発 丹東10:00(毎日)
着 平壌17:45

列車編成
1号車  硬臥車 丹東~平壌 ①  
2号車  硬臥車    〃 
3号車  硬臥車 北京~平壌 ②  
4号車  軟臥車    〃 
http://gb-travel.jugem.jp/?eid=9

丹東駅は20世紀初頭に朝鮮鉄道から接続させるべく、鴨緑江に橋を架け、建設した駅です。その歴史については、駅ターミナルにパネルが並べられ、解説されています。

ターミナル構内に展示された駅舎の変遷の記憶(中国瀋丹線・丹東駅)
http://inbound.exblog.jp/20541074/

今回、乗車したのは、18時42分丹東発大連行きでした。瀋陽から丹東を経て大連まで走る便です。
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改札を抜け、ホームに至る通路に2015年10月中旬に丹東で開かれた中朝(貿易)博覧会の電光ポスターがいまだに残っていました。中朝関係の変調で、今年の開催は見送られています。
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これが乗車した「和諧号」で、車両には「CRH380BG」や「CRH5型」などがあるようです。丹東・大連間のチケット代は、2等が108.5元、1等が173.5 元です。2016年12月現在、1日14本走っています。
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両都市間には、13の駅がありますが、1日数回しか停車しない駅もあります。中国の大手検索サイト「百度」をみると、すべての駅の写真が載っていました。

丹大高速铁路
http://baike.baidu.com/view/3898992.htm

ところで、この高速鉄道の正式名は「丹大快鉄(丹大高速鉄道)」で、その理由は最高時速200kmだからです。250km以上を出すのが「高鉄」というわけです。ところが、中国のネット上では、「百度」もそうですが、そのへんはあいまいなようで、一般用語として定着している「高鉄」と表記される場合が多いようです。

20時42分、大連北駅に到着しました。あっという間の列車旅でした。
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今回初めて大連北駅を利用しました。中国の新しい鉄道駅はどこでもそうですが、やたらと巨大です。
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市内へは地下鉄もつながっているのですが、バスも出ています。
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今年5月に続き、10月末大連の地下鉄の2本目が開通しました
http://inbound.exblog.jp/25064248/

これ以外にも、中国東北地方にはすでに6本の高速鉄道が開通しています。おかげで、いまの満洲では都市間移動が飛躍的に便利になっています。
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「地球の歩き方 大連、瀋陽、ハルビン」(2017-18年版)p40より
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by sanyo-kansatu | 2016-12-13 11:52 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2016年 10月 03日

中ロ貿易は縮小中だが、農産品、特にロシア産アイスクリームが中国で人気だとか

新潟県にある公益財団法人環日本海経済研究所(ERINA)のメルマガ「北東アジアウォッチ」は、一般の日本のメディアではまず扱われることのない、中国東北地方、ロシア、モンゴルの現況、そして日本海側各県と対岸の同地域との交流の様子を伝えてくれるユニークなメディアです。

その最新号(2016年9月30日発行)にこんな記事がありました。7月に中国東北地方を1ヵ月かけて視察してきたぼくにとって、このささやかなニュースは現地で見た実感を納得させてくれるものでした。
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これはロシア国境の町、黒龍江省綏芬河にあるマキシム・レストランという西洋料理店のデザートとコーヒーです。

中国を席巻しつつあるロシア産アイスクリーム

2週間前、プーチン大統領は杭州市のG20に出席した際、習近平国家主席にロシア産アイスクリームをひと箱、贈呈した。「貴国のものは良い乳脂肪を使っているから、特に美味しい。非常に気に入っている」と習主席は説明した。

中国人はこの2年間、熱心にロシア産食品を試してきた。彼らが特に惚れ込んだのがロシア産アイスクリームだ。2015年には、アムール州が初めて、中国に食品を供給し始めた。その逆ではない。長年の間で初めて、ブラゴベシチェンスクから黒河へ、ハチミツ、チョコレート、クッキー・ビスケット類、アイスクリーム、粉類、ヒマワリ油、炭酸水を積んだトラックがアムール川の氷を渡った。その結果、アムール州は、何トンもの中国製品の購入が慣例だった地域から、本格的な対中国輸出地域へと変貌した。

概して、中国とロシアの貿易高は昨年、金額では680億ドルに縮小した(28.6%減)。しかし、ロシアから中国への農産品輸出は拡大した。例えば、2015年の結果から、油脂製品の輸出量は9.4倍、油糧種子・果実は4.9倍に拡大した。穀物、豆類、野菜の輸出も増えている。最後に、ロシア産アイスクリームの中国への輸出量は昨年、118%拡大した。

ロシア産アイスクリームの対中国輸出の急成長は今年も続いている。ロシア産アイスは既に、中国の国境の都市、特に綏芬河、満洲里で幅広く認知された。この夏には、ロシア産アイスは市内で最もポピュラーな輸入品となった。今年上半期、綏芬河の国境回廊経由で出荷されたロシア産アイスの量は昨年比で206%拡大した。

プーチンとソ連の継承国・ロシアへの敬愛以外に、当然ながら、経済的要素が大きな役割を演じている。ここ2年のうちに、中国側はロシアの国境地域でロシア産の食品やアイスクリームをより一層、買うようになった。それは、彼らにとってそれらが安くなったからだ。一方、欧州あるいはアメリカの商品は現地通貨の下落によってかなり値上がりした。

これまで、ロシア産アイスの輸出は保存に必要なインフラの欠如によって制約されてきたが、今ではこのような不備は是正された。例えば、2015年下半期、綏芬河に広さ3000平方メートル余りの冷凍食品取扱用複合物流施設が建設された。保管量は日量2000トンとなっている。これが直ちに、ロシア産アイスの輸出量の急成長につながったのだ。(ヴズグリャド9月19日)


記事にもあるように、ロシア経済の不振により中ロ両国の貿易は縮小傾向にあります。2年前はあれほど多くのロシア人が黒龍江省の国境都市(満州里や黒河、綏芬河など)に姿を見せていたものの、2016年の夏は相当少なくなっていました。中国の経済減速もかなり著しいものがあるため、輸入が減っていることも大きいでしょう。

ところが、2015年から中国はロシアの農産品の輸入を拡大してきたようです。これまでであれば、圧倒的に中国からロシアへの貿易量が多かったはずの農産品ですが、これも中ロ関係を重視する現政権の志向と関係がありそうです。
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実際、中ロ国境都市では、習近平主席とプーチン大統領が強く手を握る宣伝ポスターのたぐいをいたるところで見かけます。面白いのは、どちらかといえば、習主席が積極的な姿勢で前に出て、プーチン大統領は控えめなスタンスに見えることでしょうか。このポスターもそうですが、圧倒的に習主席の存在感が大きく見えます。

そんなわけで、中ロ国境都市では街中にロシア産品が売られています。
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以下は、黒河市内にある「ロシア商品街」という通りで売られる主な産品です。
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よく見かけるのが、前述の記事にもある「ハチミツ、チョコレート、クッキー・ビスケット類」です。
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これは何でしょう。ロシア製のミキサーでしょうか。

アイスクリームは、こうした一般の雑貨店で売られるというより、レストランのデザートとして供されることが多そうです。
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もともと以前からこの地域で売られていたロシア産品は、この看板にもあるように「マトリョーシカ、腕時計、推奨、琥珀、金製品、香水、銅器、錫器、望遠鏡、首飾り、各種ロシア工芸品」、さらには「チョコレート、コーヒー、ミルク、ワイン、ウォッカ」などの嗜好品でした。
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最近は、両国合弁のロシア製品も増えているようです。ですから、一見ロシア産品でも、製品表示をよく見ると、中国の投資によって生産されるロシア食品も多いのです。
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実は、このロシア製ビールの多くも、一部中国との合弁企業で作られているようでした。
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両国の経済力の格差が中ロ貿易の中身にも影響を与えているように思います。共に経済の減速が進んでいることも背景にあり、木材や資源系物資ではなく、これらの嗜好品が街を彩るようになっているのです。
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by sanyo-kansatu | 2016-10-03 12:06 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2016年 01月 14日

境港が中国クルーズ船の寄港地に選ばれる理由

鳥取県境港は、昨年逝去した水木しげる先生のおかげでいまでこそ「ゲゲゲ」のまちとして広く知られていますが、残念なことに、この港町の本来の姿はあまり知られていません。せいぜい冬場に松葉ガニ(山陰の呼称。ズワイガニのこと)の水揚げがどうしたといった話題が出るくらいですが、それもいまはロシア産に押されて厳しい状況です。

しかし、ぼくは境港ほど渋い港はないと思っています。渋すぎるといっていかもしれません。なぜって、境港は極東ロシアのウラジオストクと定期旅客航路を有している日本唯一の国際港なんですから。
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この地図を見てください。すでによく知られていると思いますが、日本列島を南北逆さにした「環日本海諸国図」です。かつて日本海側こそ北東アジアの歴史の表舞台だったことを理解するうえで有効なため、よく日本海側の自治体の人などが使う地図です。あらためて見ると、やはりこうした発想の逆転は面白いと思います。

さて、この地図が大きく貼られているのを見たのが、境港の国際旅客ターミナルのロビーです。ここから週に1回、韓国東海岸の東海と極東ロシアのウラジオストクを結ぶDBSクルーズフェリーが定期運航しています。

境港(鳥取県)発ウラジオストク行き航路をご存知ですか?
http://inbound.exblog.jp/20162860/

3年ほど前、ウラジオストクに寄港するDBSフェリーを見たことがあります。だから、一度日本側の発地である境港の国際ターミナルを訪ねてみたいと思っていました。実現したのは昨年末のことです。
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極東ロシア:北東アジア未来形
http://inbound.exblog.jp/i33/

JR境港駅を降り、駅前の観光案内所でレンタルサイクルを借り、水木しげるロードを突き抜け、東に向かって5分くらい走ると、海鮮市場(境港水産物直売センター)があります。その裏手はカニの水揚げ港です。そこからさらに海沿いを走ると、国際旅客ターミナルが見えてきます。
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DBSフェリーが境港に入港するのは毎週金曜、出港は土曜なので、その日は船は停泊していません。それでも、旅客ターミナルは開いていました。中に入ると、電気は点いていなくて、静まり返っていました。
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入口のそばに、中国語や韓国語の各種観光パンフレット、なかでも特筆すべきはロシア語版が置かれていました。韓国ウォンやロシアルーブル、ユーロなどの為替レートが書かれた手書きの紙が何気なく貼られていたりします。いかにも境港的な光景といえるでしょう。
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その種のパンフレットをひとりで物色していると、背後から突然男の人の声が聞こえてきました。

「今日は船が入港していないので閑散としていますが、DBSクルーズフェリーは今年で運航開始から6年目になりますよ」。

そう話すのは、米子で輸入雑貨商を営む塩谷晃司さんでした。塩谷さんは英語と中国語が堪能なので、半ばボランティアのような立場で、国際旅客ターミナルの案内人を務めているのだそうです。

来訪の目的を話すと、塩谷さんはぼくを件の日本列島逆転地図の前に連れて行きました。
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「これを見てください。境港と釜山がどれほど近いか。船で4~5時間です。この週3便というのは物流船のことですが、DBSフェリーの向かう東海もこんなに近い。2015年はMERSの影響で一時韓国客が減りましたし、ロシアも経済苦境で確かに利用者が少なくなっています。でも、18年に韓国で開催される冬季オリンピックの会場の平昌は、東海から近い。境港から船でオリンピック観戦に行けるんですよ」。

そう言って塩谷さんは、平昌五輪の英語のパンフレットや東海の観光ガイドマップを取り出して手渡してくれました。なるほど、そんな行き方があったんですね。
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DBSクルーズ2016年料金
http://www.city.sakaiminato.lg.jp/index.php?view=7345

「山陰の高校のスキー部の子たちがDBSフェリーで東海に渡り、平昌の近くのスキー場で合宿したりもしてるんですよ」。

日本人の利用もあるのですね。

「上海からも物流航路があり、境港へはこんなに近いんです。中国からのクルーズ客船の寄港地として境港が選ばれるのは理由があるのです」。
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中国発クルーズ客船の最もポピュラーのコースは上海や天津を発地とした4泊5日。その日程内で周遊できるのは、九州(福岡、長崎、熊本、鹿児島など)や韓国の済州島、せいぜい釜山くらいで、それ以上東に向かうと日程を延ばす必要が出てくるため、これがツアー商品の造成上そんなに簡単ではないのです。1日日程を延ばすだけで、一般に認知されている相場より高いツアー代を設定せざるをえないからです。これは日本でも同じことです。いまでは渡航者がかなり減っているようですが、たとえばソウル2泊3日のツアー代金はいくらくらいという相場観が消費者の側にあって、それより少しでも高く設定すると売れにくくなるという話です。

さらにいうと、境港は島根半島が防波堤となっているため、天然の良港なのです。クルーズ客船の船長たちも、これほど利用しやすい港はないと言っているそうです(塩谷さん談)。実際、これまで境港に中国発クルーズ客船が寄港するケースは、たいてい九州側の事情で受け入れが難しかったとき(たとえば、台風などの影響で)、臨時で境港が選ばれることが多かったのです。

その意味で、境港は日本海側の港の中でも、中国発クルーズ客船の誘致において最も優位性があるといえます。

後日、境港管理組合の方に中国発クルーズ客船の境港への寄港動向については話を聞いたのであらためて紹介するつもりですが、塩谷さんは「鳥取県や島根県にとって中国クルーズ客船の寄港は地域経済の起爆剤になる」と言います。

塩谷さんは1970年代という日中が国交を回復したばかりの早い時期に、当時は珍しかった中国語を大学で学び、その後、台湾や香港、東南アジアなどで商売をされてきたそうです。そのため、山陰を訪れるVIP外国人客の案内などを市から依頼されることも多いといいます。

「山陰を訪れる外国人を案内して必ず喜ばれる場所をご存知ですか。それは島根県安来市にある足立美術館です。ここは横山大観のコレクションと日本庭園の美しさが日本一と評価され、ミシュランでも3つ星をもらっているんですよ」

そうなんですね。知りませんでした。

足立美術館
https://www.adachi-museum.or.jp/

鳥取県西部と島根県東部の中海を囲むエリアは、地元では中海圏と呼ばれ、県の枠を超えて観光振興を進めているそうです。中国からのクルーズ客船の受け入れも、まだ回数は少ないですが、数年前から始まっています。ただし実際には、山陰のインバウンドのメイン顧客は韓国人で、DBSフェリーもありますが、米子空港へはソウルからの定期便もあり、彼らは好んで皆生温泉や大山登山などを楽しんでいるそうです。
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ちなみにこれロシア語の「中海」観光ガイドです。ロシア語の「H」は英語の「N」です。だから、これで「Nakaumi」と読みます。
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塩谷さんは言います。「山陰といえば過疎で何にもないと言われがちですが、温泉と自然はあって、逆に何もないことが外国客にとってはいいのだそうですよ。惜しむらくは、もっと多くの日本人にその良さを知っていただき、DBSフェリーも利用してもらいたいです」。
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インバウンド時代を迎え、こんな地方都市にも、塩谷さんのような方が現れているのですね。昔は地元でもちょっと変わり者と思われていたおじさんが、俄然活躍する場面が増えてきた。そんな感じでしょうか(失礼!)。

これを機に、ぼくも一度DBSフェリーに乗船してみなければと思ったのでした。

※関連記事
4500人の中国クルーズ客が山陰の人口3000人の村に押し寄せ、住民を困窮させたというのは本当か?
http://inbound.exblog.jp/25247278
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by sanyo-kansatu | 2016-01-14 09:08 | “参与観察”日誌 | Comments(0)
2015年 01月 16日

鴨緑江断橋の展示に見られる中国の歴史認識がわかりやすい

中朝国境最大のまち・丹東(遼寧省)には、朝鮮戦争時代に米軍によって落とされた鴨緑江断橋があります。
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断橋の隣には、中朝友誼橋(写真・左)が架かっています。そちらは朝鮮と結ぶ鉄道と車両の両用の橋です。

断橋の遊歩道を歩くと、橋の断たれた先が展望スペースになっていて、朝鮮に向かって橋脚だけが残る光景が見られます。対岸の北朝鮮の風景も眺めることができます。
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この橋は1909年に日本が朝鮮領内の京義線を中国につなげるため、「鴨緑江橋梁」として建設されたものです。当時鴨緑江を航行する船舶のために橋の中央部が旋回できるよう設計されていました。そのための駆動軸がいまも残されています。
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断橋の歩道の両サイドには、数十枚にわたる写真パネルが展示されており、そこにはこの橋の100年の歴史が記されています。日本がからむこの地域に関する中国の歴史認識を考えるうえで、とてもわかりやすい素材だと思ったので、以下主なパネルを紹介します。

まず全体像を理解するために。これが現在の断橋と中朝友誼橋の全貌です。
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1908年8月、日本は朝鮮側の橋の基礎工事を始めています。展示によると、09年4月日本は腐敗した清朝政府に圧力をかけ、5月には橋の建設を強行したとあります。
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船舶の航行時は、橋の中央部が90度旋回したことが解説されています。一度の使用時には20分要したそうです。
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開通は1911年10月。線路の両脇に歩道があり、当時の人たちは歩いて渡ることができたようです。
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1943年4月、「日本侵略者」はもうひとつの橋(第二橋梁・現「中朝友誼橋」)を建設します。45年8月15日、日本は第二次世界大戦に無条件降伏し、以後この橋は中朝両国が共有することになります。
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ところが、50年6月25日、朝鮮戦争が勃発し、鴨緑江沿岸にも危機が迫るとあります。
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毛沢東は「抗美援朝、保家衛国」(米国に対抗し朝鮮を支援することで、国家を防衛する)政策を決定し、朝鮮半島への派兵を開始します。
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同年10月19日、中国人民志願軍は安東(丹東)、河口、輯安(集安)の3カ所から朝鮮領内に入ります。
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同年11月8日午前9時、B29が鴨緑江大橋を爆撃し、一部の橋桁が落ちます。
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さらに同月14日、米軍は再び来襲し、朝鮮側の橋桁は完全に落ちてしまいます。
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53年7月27日、朝鮮戦争の停戦協定が結ばれます。「こうして2年9か月の抗美援朝戦争に勝利した」とあります。
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58年、中国人民志願軍が凱旋帰国するとあります。停戦から5年間も朝鮮領内にいたとは。何をしていたのでしょう。
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停戦直後の鴨緑江断橋の両岸を撮ったもののようです。この当時は、当然のことながら、戦火のため丹東も対岸の新義州も疲弊していたことがわかります。
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断橋の改修が始まったのは、朝鮮戦争停戦から約40年後の93年6月です。
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94年6月28日、断橋の改修工事は完了し、旅游区として正式に対外開放されます。
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さて、このパネル展示には、1910年の開通後から終戦末期の43までの約30年間の歴史は省かれてしまっています。そして、朝鮮戦争における米軍の爆撃や人民志願軍の「抗美援朝」政策に基づく出兵がメインストーリーとして語られます。さらにいえば、人民志願軍の帰国から90年代までの30数年間についても、触れられていません。

中国側がつくった展示ですから仕方がないことでしょうが、この地域の過去100年に関する中国人の歴史認識を形作るうえで、彼らが史実を採用する基準がどこにあるかを理解するには、とてもわかりやすいパネルだと思います。

それは言うまでもなく、抗日&朝鮮戦争を「勝利」に導いた共産党政権の正統性(ことの成否はともかく)に関わる基準です。ここでその歴史認識の是非を問うことに意味はありません。むしろ、何を採りあげ、何を採りあげないのか。その判断の基準を知っておくことで、彼らと仮に歴史について話す機会があるとき、議論を深めるうえで参考になるだろうということです。そういう意味では、鴨緑江断橋は今日の中国の歴史認識を語るうえで、きわめてシンボリックなスポットとなるのは当然なのでしょう。

ちょっと面白いと思ったのは、以前丹東駅のターミナル構内に展示されていたこの駅の100年の変遷を物語る十数枚の写真との比較です。1910年から45年までの30年間の駅舎とその周辺の様子も知ることができます。そこには駅のプラットフォームに着物姿の日本人が写っている写真も含まれ、興味深いです。丹東駅では中国の歴史認識に関わる事件が起きてはいなかったため、こういう見せ方ができたのでしょう。

ターミナル構内に展示された駅舎の変遷の記憶(中国瀋丹線・丹東駅)
http://inbound.exblog.jp/20541074/

断橋のたもとには、いまでもトーチカが残っています。
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最近、断橋の前にへし折れた鉄骨をアート仕立てにした展示と石碑が置かれました。断橋が戦跡であることをさらに強調するための作品のように見えます。
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下流域についに新しい大橋(正式名は「中朝鴨緑江公路大橋」)が完成したものの、朝鮮側の事情ですぐには開通に至らないなど、中朝関係が以前と比べずいぶん様変わりするなか、「抗美援朝」を強調する戦跡というこのスポットの意味づけは、今後どうなっていくのでしょうか。

中朝新国境橋が完成しても開通できない理由
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丹東の抗美援朝紀念館とあやうい愛国主義「歴史」教育について
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by sanyo-kansatu | 2015-01-16 12:16 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)