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2015年 01月 14日

北朝鮮側から眺める中朝ロ3か国国境

2014年7月、中国・北朝鮮・ロシアの3か国が国境を接する吉林省琿春市の防川地区を訪ねようとしたところ、外国人の入域は禁じられていることがわかりました。15年1月現在もそれは変わっていないようです。

【追記】
2015年夏以降、解禁されたようです。国境事情は日々刻々変わるものです。

これまでぼくはこの地を2回訪ねたことがあり、本ブログでも以下のように報告しています。

中朝ロ3か国の国境が見渡せる防川展望台(中国吉林省)
http://inbound.exblog.jp/20449425/

これは琿春市の旅行会社がつくっているパンフレットの表紙です。中国の古代の城壁に囲まれた塔のような建築物が写っています。これは何なのか。あとで説明します。
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さて、防川国境を訪ねることができなかった背景に、中国政府がこのところ朝鮮国境付近への外国人の立ち寄りに敏感になっていることがあるようです。昨年8月の朝日新聞の記事でも、現地記者からの以下の報告がありました。

中国、脱北者の連行容認 北朝鮮当局、拘束し帰国(朝日新聞2014.8.15)

中国東北部の北朝鮮との国境地帯で、中国の地元当局が北朝鮮の治安当局者による脱北者の拘束や連行を容認している実態があることがわかった。脱北者の北朝鮮への送還をめぐる国際社会の批判を受け、中国側が拘束してきた従来の方法から転換したという。

複数の中国当局関係者によると、北朝鮮国家安全保衛部などの当局者は、独自に集めた脱北者の潜伏情報をもとに、中国への入国を申請。中国側から、中国領内で使う車両の提供を受け、対象の脱北者を拘束後、連行して一緒に帰国する。中国での滞在期間は通常、1日から数日という。

中国は北朝鮮と刑事事件に関する捜査協力条約を結んでいるが、双方とも自国領内での捜査・逮捕までは認めていない。しかし、中国東北部の政府関係者は「送還された脱北者が処刑されているとして中国が国際的な批判を受け、数年前から中国の治安当局は出動しなくなった」と話した。

中国での北朝鮮当局者の活動をめぐっては、遼寧省瀋陽の韓国総領事館が今年3月下旬、「中朝国境で北朝鮮による拉致事件が起きている」という注意喚起を韓国人向けに行った。韓国政府関係者も、「中朝の治安部門でなんらかの協定があるのではないか」とみている。

中国に逃げこんだ複数の脱北者によると、3月下旬、中朝国境近くの旅館に身を隠していた脱北者数人が突如、行方不明になる事件が起きた。北朝鮮当局者が、一度捕まえた脱北者を密告者として教育し、新たな脱北者の拘束に利用しているという。脱北者の失踪は、毎月のようにあるという。国境警備を担う中国軍関係者によると、今年に入り、中国に逃げる脱北者は増加傾向にある。

脱北者をめぐっては、国連の北朝鮮人権調査委員会が今年2月、最終報告書で中国など周辺国に保護を勧告。国連の人権理事会も3月、北朝鮮への非難決議を採択し、安全保障理事会に指導者の責任追及や制裁措置を検討するよう求めた。

一方、中国政府は3月の非難決議に反対。報告書の指摘についても、「中国は一貫して国内法、国際法、人道主義に基づき、対処している」(外務省)と反論している。


中国領内での北朝鮮当局者による脱北者の拘束、連行の容認。中朝国境地域では、あいかわらず「法治」もへったくれもない、乱暴なことが起きているようです。こうしたことに外国人が巻き込まれてしまうことは中国側も望んでいない。そのため、以前は訪問を歓迎していたのに、立ち寄りを禁じる国境地区も一部出てきたという話なのでしょうが、だからといって防川のような場所が禁じられる理由はよくわかりません。

仕方ありません。だったら、防川国境を中国側からではなく、対岸の北朝鮮側から眺めてみよう。それが実現したのが、それから1週間後のことです。

その日、ぼくは北朝鮮の羅先特別市のホテルから車で中朝ロ3カ国国境に近い豆満江駅に向かっていました。道中は豆満江(中国名:図們江)下流域の湿原と水田が広がる緑豊かな風景が続きました。先ごろ完成したロシアとの鉄道路線は東に向かって延びていました。線路の脇に立つコンクリートの電柱も真新しい。いま羅先にあるインフラの大半は老朽化が進んでいますが、ロシアが使う羅津港の第3埠頭とこの鉄道路線は輝いて見えます。
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鉄道路線と並行して走る道路沿いには、こんな標語も見られました。
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「意義深い今年を穀物増産で輝かせよう!
宇宙を征服したその精神、その気迫で経済強国建設の転換的局面を開いていこう!」

おそらく2012年12月の北朝鮮による「人工衛星」と称するミサイル発射(防衛省・自衛隊)について言及しているのでしょう。

湿原には水鳥たちも多く生息しています。
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さて、これがロシアとの国境駅となる豆満江駅です。外観は立派ですが、駅舎の中には人気はありません。運行状況が気になるところですが、現地ガイドがそれを知っているはずもなく、調べるとしたらロシア側に聞くしかないかもしれません。
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これが税関の建物だそうです。
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その向かいに集会場のような建物がありました。駅周辺にあるのは、これだけです。
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さて、ここで車は折り返すのかと思ったら、さらにロシア国境方面に向かって走り出しました。

しばらくすると、北方に中国の旅行会社のパンフレットに掲載された中国風の高い塔が見えました。その背後に展望台も見えます。そうです。それが防川国境展望台だったのです。
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数年前、防川を訪れたときにはこの塔はなかったので、ここ1、2年で建てられたものでしょう。それにしても、ずいぶん時代がかった建造物をこしらえたものです。三国志の時代でもあるまいし……。思うに、中国側からすれば、中朝両民族がこれまで混住してきた図們江流域も、いまや「中華」の支配する地域であることを明確にさせたい意図があるのではないでしょうか。中国風の塔は、その楔のようなものです。一方、朝鮮側からみれば、これまで極東ロシアまで含め、あいまいに広がっていた図們江流域における「中華」の国境(くにざかい)に対する強い意思を読み取るよう強いられる視覚的なシンボルとして映るかもしれません。

防川国境の右手に朝ロ友好橋が見えました。
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車はさらに東に向かってひた走りました。途中、干潟湖のそばに朝鮮風の建物が見えたので、何かと聞くと、宿泊施設だそうです。
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そして、ロシア国境に近い高台を上ると、やはり朝鮮風の建造物が建っていました。その建物の脇を抜け、さらに頂上まで上ると、立派な屋根で覆われた石碑と案内人の女性が待っていました。
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それは、「勝戦台」と呼ばれる16世紀の李舜臣将軍の戦績を讃える碑でした。石碑には以下のように書かれています。
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「保存遺跡第1480号 勝戦台碑

偉大なる領導者、金正日同志は次のように指摘された。
『歴史遺跡と遺物をきちんと管理し、長く保存するための対策を徹底して立てなければなりません』。
この碑は、16世紀に李舜臣将軍が女真族の侵入を撃退し、祖国の北端を守り抜いた闘争業績を後世に伝えるために1762年に建てた記念碑である。

碑文には、1587年に辺防の野蛮人たちが侵入した時、ここを守っていた李舜臣将軍が少ない兵力で敵を待ち伏せして叩き潰したので、後世の人たちがここを勝戦台と呼んだという内容が書かれている。

勝戦台碑は、外来侵略者たちを撃退し、国を守り、戦ったわが人民の闘争の歴史を伝える文化遺跡である」。

ということだそうです。北朝鮮が持ち出す歴史がどこまで史実に近いものなのか、常に疑問がつきまとうわけですが、これは中国側の塔と同様、北朝鮮側の国境(くにざかい)を守る意思を表明するシンボルということなのでしょう。

そこからは図們江(朝鮮名:豆満江)とその下流域に広がる水田や、その先に広がるロシア領がよく見渡せました。同じ流域である以上、自然条件はほとんど変わらないと思いますが、朝鮮側は水田が広がっているのに対し、ロシア側は未耕地となっているようです。
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それから車は、図們江沿いの道を走り、中国の国境ゲート・圏河口岸の対岸にある元汀里に向かいました。河沿いを走っていると、延吉の知人からの電話がかかってきました。国境近くであれば、中国携帯がふつうに使えるようです。
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図們の対岸の南陽から延びていたかつての「咸北線」の線路も見かけました。これは日本統治時代に敷かれた羅津駅に向かう鉄道と思われます。ただし、ロシアとの新しい鉄道路線に比べると、かなり老朽化していました。客車のような車両が駅に停まっているのも見ましたが、これも相当な代物でした。
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※「咸北線」については以下参照。

1934(昭和9)年初秋、72歳ベテラン編集者の「北鮮の旅」
http://inbound.exblog.jp/20710254/

こうして半日かけての豆満江下流域のドライブの旅が終わりました。2年前に来たときは、雨で道路が使えず断念したことがあったので、ようやく実現できたという感じです。

ところで、中国はいま、やたらと巨大な国境ゲートを周辺国各地に建設しています。北東アジアでいえば、ロシアや北朝鮮、東南アジアではベトナム、ラオス、ミャンマーなどです。

たとえば――

【ロシア国境】綏芬河の新国境ゲート建設は進行中
http://inbound.exblog.jp/23962530/

【ラオス国境】ゴーストタウンと化していた中国・ラオス国境の町ボーテン
http://inbound.exblog.jp/22437603/

それらの多くは、国境を接する相手国に対する圧倒的な力の差を見せつけることが目的であるかのように、どこかこけおどし的な感じがしないではありません。今回見た中国風の塔もそうだったように。

実際、中国と国境を接する国々はどこでもそうですが、人口規模や経済力の面で違いが大きいため、せっせとこしらえた建造物も、視覚的な効果はともかく、人やモノの往来からみたコストパフォーマンスもそうですが、国境の実態とは釣り合っていないように見えるのも確かです。

皮肉な言い方をすれば、もろもろの熱狂の時代が終わったあと、昔はこんなにすごかったんだぞと、未来のための証明づくりにいそしんでいるように見えなくもありません。それが中国の歴史というものの正体なのかもしれない。そんな気がしないでもありません。
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by sanyo-kansatu | 2015-01-14 10:36 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 01月 04日

ソ満国境・対ソ戦の歴史を物語る東寧要塞

昨年7月、アジア最大規模の日本軍地下要塞といわれた東寧要塞を訪ねました。
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場所は、中国黒龍江省の綏芬河から約50km南に位置する東寧県のロシア国境近くにあります。

1934(昭和9)年6月に関東軍によって建設され、主要部分は37年に完成。45年8月9日のソ連軍の侵攻後、この地下要塞に配備された東寧要塞守備隊は敗戦から10日過ぎの26日まで戦い続け、玉砕することなくソ連軍の降伏勧告に応じて武装解除したことから、「第二次世界大戦最後の戦場」という碑が置かれています。
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現在、東寧要塞の一部にあたる勲山要塞の内部が公開されています。

これが勲山要塞の入り口です。
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入り口を入ると、レールと階段が敷かれた急勾配があります。ここは砲台で、砲撃が終わると砲車を中に引き上げるようになっていたそうです。
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炭鉱の坑道のような通路が続きます。
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「軍官宿舎」とあります。そこそこ広いスペースの部屋になっています。
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山の中をくり抜かれた地下要塞の中は、夏でも湿った冷気で長時間過ごすのは大変そうです。
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「作戦指揮室」とあります。
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こちらも相当広い部屋ですが、コンクリートの壁を湿った水がぬめりと覆っています。
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洗面所(トイレ?)でしょうか。
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内部には複数の砲台跡があります。
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これが現在、観覧できる地下要塞の地図です。もちろん、要塞はさらに張り巡らされていたはずですが、安全上などの理由で公開されていません。
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要塞の外はごつごつした岩山で、あちこちに砲台跡や通気口があります。
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当時、満洲国の東部国境地帯の東寧から北に向かって約300㎞の虎頭までの一帯は、対ソ戦に備えて構築された関東軍最大の要塞地帯でした。
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勲山要塞(東寧要塞の一部)
黒龍江省牡丹江市東寧県三岔口鎮南山村南
http://www.dnys.org.cn

この地下要塞を整備し、公開したのは、もちろん中国です。彼らから見た東寧要塞についてはまた後日。
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by sanyo-kansatu | 2015-01-04 10:46 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2015年 01月 03日

綏芬河の新国境ゲート建設は進行中

中国黒龍江省の綏芬河では、ロシアとの国境ゲートの周辺を「国門旅游区」として開発しています。

中国のイミグレーションを訪ねると、帰国の途につくロシア人たちがやって来ました。
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彼らは吸い込まれるように、出境オフィスの中に入っていきます。
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現在、ここでは新国境ゲートを建設中です。
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これが未来図ですが、規模の大きさは半端じゃありません。
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これが古い国境ゲートです。
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中国人観光客も来ていて、記念撮影しています。
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この「旅游区」の中では、2013年夏から中国国際口岸貿易博覧会が開催されています。
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この博覧会について
http://www.erina.or.jp/jp/Library/bn/pdf/bn99.pdf

ネットなどの情報によると、昨年8月も、ロシア各州や韓国、台湾などの名産品(食品や酒)、中国の自動車部品、住宅建材、日用品、衣類、機械などが出展されていたもようです。

会場となった巨大なビルは、ふだんはロシア産品などの販売展示場になっていました。
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やたらと広いスペースに、イクラの瓶詰とかズワイガニの缶詰とかがちょこんと置かれています。
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ロシアのチョコレートも。
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中国客が買い物しています。
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マトリョーシカも売っていました。本来ロシア土産のはずですが、黒龍江省ではハルビンをはじめ、けっこういろんな場所で売っています。
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よく見ると、「中国産」でした。

おそらくロシア人ツーリストの来訪をあてこんで投資されたものと思われますが、ここにはホリディ・インがあります。ただし、館内は閑散としていました。おそらく大半のロシア人たちは、市内のもっとリーズナブルなホテルを利用しているのだと思います。
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はたしてこの中ロ国境は今後も発展していくのでしょうか。

綏芬河の街中にあふれるロシア人と中国商人たちが繰り広げる活気は確かに興味深いことです。

一方、今日の中国とロシア、とりわけ極東における両国の人口規模や経済力の違いを考えると、北朝鮮との関係ほど悲観的ではないものの、どこまで輝かしい未来が待っているかについては複雑な思いがないではありません。
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by sanyo-kansatu | 2015-01-03 18:01 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2015年 01月 02日

朝9時半、綏芬河駅にロシア人が大挙して現れる、の巻

「露語で『国境に沿ふ町』を意味するポグラニーチナヤは、單に北鐡東部線(現名綏芬河線)の終点であると言ふばかりではなく、國境驛として特異な風格を持っている。
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人口約一万、大部分は露人と滿人で、鮮人がこれに次ぎ、日本人も六百人位住んでいる。町は山の斜面に建てられ、その中央には全市をしろしめすかのようにロシア正教寺院の尖塔が聳え、如何にも典型的な露西亜式の『山の町』を成している。

日、蘇の領事館はじめ、両國の税關、滿洲國國境警備隊もあり、滿洲里との間に一週三回往復する北鐡國際列車が着發する日には、蘇聯邦の方から鳥鐡(ウスリー鐡道)の列車も連絡のために本驛に進入して来る。

北鐡の接収によって、ポグラニーチナヤの驛名は永久に解消され、滿洲名の綏芬河だけが残る事になった」(「満洲グラフ」1935(昭和10)年5月号)

昨年7月、中ロ国境にある黒龍江省の綏芬河を訪ねました。

朝9時半、綏芬河(旧ポグラニーチナヤ)駅の降車出口にロシア人が大挙して降りてきました。
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大人から子供までいますが、やはりロシアの若い女の子たちの快活な姿は、中国の辺境のまちを華やかにしてくれます。
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皆さん、大きなバッグやスーツケースを手にしています。彼らは中国のお隣の極東ロシアからやって来たツーリストです。
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彼女らの頭の中は、さぞや滞在中の買い物や食事のスケジュールのことでいっぱいでしょう。
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しばらくすると、皆さん駅前で待っていたバスに分乗して市内のホテルに消え去りました。
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2014年7月中旬午前9時半、綏芬河駅にて(動画)
http://youtu.be/7H7ciL_w3vg
http://youtu.be/K5dvycowSIc

綏芬河の都市建設は、20世紀初頭の東清鉄道の敷設に始まります。ロシアはハルビンからポグラニーチナヤ(綏芬河)までの鉄道建設を着手しましたが、その後、日露戦争や満洲国成立を経て日本の管理下に編入されていきます。前述のグラビア記事は、まさにその直後に書かれたものです。

そして、これがそれから80年後の中ロ国境のまち、綏芬河の姿なのです。

万年モノ不足で悩まされている極東沿海地域に住むロシア人たちが中国東北地方に大挙して現れるようになったのは、1990年代の後半くらいからのことです。

背景には中ロの経済逆転があります。その事実に気づいたロシア人エリートたちは当時、相当ショックを受けたそうですが、一般のロシア市民にしてみれば、国境を越えた先に、こんなに安くてモノが豊富な場所があれば、迷わず足を運ぶことになるのは当然だったでしょう。

こうして綏芬河は、ただの中国の辺境の地からロシア人ツーリスト仕様のにぎやかなまちになりました。もともとロシアが建設したまちに“出戻り”を始めたロシア人たちと商機を求めてこの地に集まってきた中国人がこのまちの主人公なのです。

昨夏見た綏芬河のまちの様子については、次回ご報告します。

「典型的な露西亜式」綏芬河の歴史的街並みを歩く
http://inbound.exblog.jp/23961267/

※実はあとで綏芬河駅の時刻表を確認したところ、9時半に到着する列車は大連発ハルビン経由であることが判明しました。つまり、この写真に写っているロシア人ツーリストは、大連またはハルビンなどをめぐるツアーに参加し、ロシア帰国前の最後の目的地として綏芬河に到着したものと考えられます。実際、大連は金石灘のような海水浴場もあり、ロシア人に人気だという話もウラジオストクで聞きました。綏芬河からだと国際バスでロシアに戻ることも簡単なので、ここで降車するのでしょう。いずれにせよ、皆さん買い物するならやっぱり綏芬河なのです。その様子は以下を参照ください。

綏芬河にはロシア人ツーリストがいっぱい
http://inbound.exblog.jp/23961594/
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by sanyo-kansatu | 2015-01-02 23:55 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 30日

いま中朝国境で最もスリリングな遊覧ボートの旅(天逸埠頭)

このおばさんたちはモーターボートに乗ってどこに向かっているのでしょうか? ちなみにこの皆さんは、お子様も含めて韓国から来た観光客です。
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答えは、中朝国境を流れる鴨緑江を遊覧するボートです。
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場所は、遼寧省丹東市の郊外、寛甸満族自治県の天逸埠頭です。万里の長城の東端といわれる虎山長城から鴨緑江上流に向かった場所にある遊覧ボート乗り場ですが、ここの売りは、いま中朝国境で最もスリリングな遊覧体験が楽しめることでしょう。

なぜなら、天逸埠頭の遊覧コースは、鴨緑江流域の朝鮮領の中洲の内側を航行するため(つまり、入国ビザなしで完全に朝鮮領内に入るのです)、朝鮮の民家や労働者を間近で見られるうえ、さらには満洲国時代に造られたという軍事港湾施設(北朝鮮領)のすぐそばまで行けるからです。中国国内客だけでなく、香港や台湾、韓国客の姿も多く見かけます。

8人乗りのモーターボートに乗って国境観光に出掛けることにしました。ボートは中州の内側に向かいます。
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団体客は遊覧船に乗ることもできます。
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だんだん対岸の朝鮮領に近づいてきました。
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山の斜面に畑も見えます。
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そして、北朝鮮の港湾施設が見えてきました。
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さすがは戦前期の建造物らしく、かなり老朽化していますが現役です。
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あっ、北朝鮮の女性兵士の姿が見えます。
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中国客たちが不埒にも「こっち向いてえ」と声をかけると、ちらりと彼女は振り向いてくれました。それもそのはず、中国側から事前に朝鮮側にお金が渡っていて、彼女もそこで待機しているのだとか。よくぞまあ……。でも、たいていの中朝国境遊覧ボートはそんなものです。実際、なんの見返りもなく、軍が観光客の相手をしてくれるはずはありません。逆に見返りさえあれば、それなりの対応をするということでもあります。観光とは、常に利益の交換で成り立っているのです。
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港湾施設を離れ、対岸の中州に向かいます。
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近づくと、民家が見えてきました。前に丈の高いトウモロコシが植えられ、屋根が見えるだけですが、オレンジ色の瓦に白いしっくいのラインが見える。朝鮮家屋です。
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どうやらこちら岸にも朝鮮の兵士がいるようです。ボート客が船を停め、兵士と会話しているようです。
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あっ、手を振ってくれました。よく観光客が煙草を投げてよこしたりするようです。この程度のことは大目にみてもいいだろう。それがこの国境地帯の流儀のようです。
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なおも中州に沿ってボートを走らせます。
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塔のようなものが見えてきました。よく見ると、対岸に綱が伸びていて、物資を運んだりするのに使うようです。
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しばらく進むと、山羊飼いが現れました。子供や農家のおばさんの姿も見えます。やがて中州を離れ、ボート乗り場に戻ると、終了です。
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はてさて、わずか20分ほどのボートクルーズですが、自分はいま完全に北朝鮮領内にいる。ここでもしボートから落ちたりしたら……そんなことを夢想しながら、スリリングな気分に浸れることうけあい!? です。

ボートを降りると、朝鮮の人たちにモノをあげるなとか、写真を撮るなとかいった規則があることを知りました。観光客は誰もそれを守っていないのですが。
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確かに、中朝関係が今後極度に悪化したり、この国境地帯で人身事故や朝鮮人と観光客間のトラブルでも起きたりしたら、すぐに問題となり、先ほど述べた流儀もご和算になることでしょう。でも、ここではそういう事態は誰もが望んでいません。望まない以上、何もなければそのまま流儀は継続されるはずですが、必ずそうなるとは限らないのが「法治」とは異なる力学で社会が動く中国であり、朝鮮です。もしこの国境観光に興味のある方は、早めに体験しておくことをおすすめします。ある日突然、営業停止されてしまうかもしれないからです。

そして冒頭でも書きましたが、ここでは韓国の子連れの観光客のような皆さんがふつうに楽しんでいるのです。彼らのある種の不用意さは、今年韓国社会で起きた一連の出来事から、いろいろ心配に思わないではいられないところもある。一般の日本人なら、こんな場所に子供を連れて行くなんて信じられない、というところでしょうが、彼らにとってはそこは同胞の地である朝鮮、距離感が我々とは違うのでしょうね。この感覚の違いを知っておくことは、東アジアで起きてることを理解するうえで、けっこう大事な気がします。
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丹東駅前には、天逸埠頭の遊覧ボート乗り場まで案内してくれる三輪タクシーが停車しています。市内から約40分。営業は6月~10月のみです。ちなみに、8人乗りモーターボートのチャーター料金は300元でした。
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by sanyo-kansatu | 2014-12-30 17:19 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 27日

川霧に浮かぶ朝鮮民家はいかにも国境の町らしい眺め(遼寧省丹東市)

今年7月丹東を訪ねたとき、ちょうど雨季で天候には恵まれなかったものの、珍しい光景を見ることができました。鴨緑江一面を川霧が覆うという、ちょっと神秘的な眺めでした。
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面白いのは、川霧のおかげで背景がすっかり消えるため、対岸の朝鮮民家がぐっと浮かび上がり、ふだんより近づいているように見えるのです。
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丹東市内の鴨緑江沿いはプロムナードになっていて、一般市民が散策を楽しんでいます。ふだんは対岸の民家の存在など誰も気に留めていないようですが、この日ばかりは白壁の朝鮮民家が目に飛び込んでくるように見えるので、じっと対岸を眺めている人も見かけました。こんなぐあいです。
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これは写真の撮り方でこう見えるのですが、このふたりにとって朝鮮の村は隣町のようです。
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ご覧のように朝鮮側の民家は質素なものですが、丹東側はどうか。振り向くと、高層マンションが並んでいます。
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いったい丹東の人たちは対岸の人たちについてどう思っているのでしょうか。こんなに経済格差が開いたうえ、これほど近くに対岸の様子が見えるとしたら、日本で語られる北朝鮮の話題とは当然のことながら、ずいぶん違うことでしょう。

丹東在住の友人によると、1970年代の文化大革命の頃、いまと違って中国より経済的に恵まれていた北朝鮮の人たちは、対岸からさかんに文革批判のメッセージを送り続けたそうです。それこそドラや太鼓を鳴らして騒いでいたとか。この距離なら相当うるさかったことでしょう。当時、中国では十分に食べることもできず、毎日トウモロコシのお粥ばかりだった、とその友人は語っていました。
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この写真を撮った1kmほど西には、鴨緑江断橋があります。

鴨緑江遊覧ボートで見る中朝の発展格差をどう考える?(遼寧省丹東市)
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by sanyo-kansatu | 2014-12-27 14:02 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 27日

北朝鮮漁船が目の前を行き交う海鮮レストランで舌鼓(遼寧省丹東市)

中国遼寧省の丹東は、鴨緑江をはさんで北朝鮮の新義州と国境を接するまちです。

このまちの旅行会社に勤める友人の閻宇飛さんは、いつもぼくを珍しい場所に案内してくれます。今年7月丹東を訪ねたとき、連れていかれたのが「江海湾」という海鮮レストランでした。

まずはその店で供された海鮮料理の数々をお見せしましょう。
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ワタリガニやエビ、ハマグリ、アワビなど、すべて近海で採れたものです。
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丹東では海鮮を中華風に濃く味つけしないので、日本人の口に合います。

料理は生簀から素材を選びます。ナマコやフグもあります。
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素材を選ぶと、目の前で豪快に調理してくれます。これでうまくないはずがありません。しかも安い。これだけ頼んで飲み物も入れて400元足らずというのですから。
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さらに、レストランの目の前は鴨緑江の支流で、常連客は店の外にテーブルを出してオープンエアで食事を楽しみます。これが気持ちいいのです。
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レストランの周辺環境を撮ったのがこれです。鴨緑江の支流に面したロケーションにあることがよくわかります。
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さて、このようにこの店の売りは新鮮な海鮮と恵まれた環境にあるのですが、日本人にとってある意味もっと刺激的といえるのがロケーションのもつ特殊性です。

江海湾というのは、丹東市内から仁川行きフェリーが出航する丹東港に向かう途中にある漁港の名です。つまり、漁港が経営するレストランというわけですが、面白いのは、その漁港の前を行き来しているのは中国船だけでないことです。そう、北朝鮮の漁船が通っていくのです。
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なにしろほんの数十メートル先の対岸は北朝鮮領です。つまり、ここは中朝最前線に位置する国境展望レストランなのです。

家族連れも多い中国の客人たちと並んで食事をしているすぐそばを、北朝鮮の漁船がゆるゆると通り過ぎていく光景は、実際のところ、のどかすぎるほどなのですが、何かの拍子で朝鮮の漁民と目が合ったりすると、ひやりとした心持に襲われるのは、ぼくが日本人だからかもしれません。周囲の中国客たちは、そんなことちっとも気にしていない風ですから。

それにしても、中国の地方都市の食の豊かさには毎度驚きます。河川の汚染などからくる食の安全に関しては、どこまで信じていいのかわからないところも正直ありますが、毎年4月から9月まで営業される(冬はこの河は凍ります)というこの海鮮レストランにいると、そんなことすっかり忘れて地元グルメに舌鼓を打ってしまいます。

※丹東のもうひとつの地元グルメについては、以下参照。
中朝国境のまち、丹東は今ハマグリBBQの季節まっただ中!
http://inbound.exblog.jp/20527559/
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by sanyo-kansatu | 2014-12-27 12:09 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 21日

図們江で遊覧ボート乗船。草むらからこちらを覗く北朝鮮兵にドキリ

このいかだのような小さなボートはどこを航行しているのでしょう。
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答えは、中朝国境を流れる図們江です。ずいぶんのどかに見えるかもしれませんが、川の向こうの草むらは北朝鮮領です。
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遊覧ボート乗り場は、吉林省延辺朝鮮族自治州図們市にある北朝鮮との国境ゲート(図們大橋)から徒歩5分ほどの図們江広場の中です。乗船料はひとり60元。わずか15分ほどの遊覧時間だというのに、近頃の中国の観光地はずいぶん金をとるものです。
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でも、観光客はそこそこいて、みなさんライフジャケット着用後、ボートに乗り込みます。
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ボートは図們江を上流に向かって進みます。すぐに図們大橋が見えてきます。
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図們大橋については、以下を参照。この橋は1941年に造られたもので、かなり老朽化しています。

高速で素通りされ、さびれてしまった図們
http://inbound.exblog.jp/20498623/

上から見ると、ボートはこんな風に遊覧しています。中朝国境地帯にいるという緊張感を腰砕けにしてくれる(!?)光景ですね。
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それからもうひとつの鉄道国境橋に向かいます。その手前でUターンするというのがコースです。

鉄道国境橋については、以下参照。

図們から対岸の南陽(北朝鮮)の町を眺める
http://inbound.exblog.jp/23906840/

ところで、ボートに乗る前、係の人から「朝鮮側にカメラのファインダーを向けないでくださいね」と言われていました。なぜかというと、朝鮮の国境兵士が潜んでいるので、彼らを刺激しないためだといいます。

なんだか嫌ですね。ボートが走り出し、川向うを眺めると、確かにいるいる。草むらの陰に兵士らしきおじさんが座わりこんでじっとこちらを見ているのです。ちょっとドキリとする瞬間です。なるべく目を合わせないようにしなくては。

100mおきくらいにぽつんとひとり。それはなかなかに不気味な光景です。他にもお客さんがいる手前、こっそり写真を撮るのは控えざるをえませんでした。

さて、中朝両国は長白山を源流とする鴨緑江(西側)とこの図們江(東側)のふたつの河川が国境線となっているのですが、このような観光客向けの遊覧ボートに乗れるスポットが、2014年7月現在、6カ所あります。ひとたびボートに乗れば、対岸の北朝鮮の山並みや集落、住人の様子が間近で見られるため、夏になると多くの観光客でにぎわっています。中国人というのは実に好奇心旺盛な人たちです。日本のTVメディアが「中朝国境ルポ」と称してこの地域を訪れ、テレビカメラを回しているすぐそばでは、家族連れの観光客がのんびりレジャーを楽しんでいるというわけです。

そのうち5カ所はすべて鴨緑江側にあり、図們江側の唯一の遊覧ボートは図們にあるのみです。

1)丹東(鴨緑江断橋)…鴨緑江の下流に向かって走る。対岸は新義州。
http://inbound.exblog.jp/20510174/

2)天逸埠頭…鴨緑江の中州に沿って走る最も刺激的なコース。満州国時代の軍港が見られる。
http://inbound.exblog.jp/23945373/

3)河口断橋…遊覧ボートは朝鮮戦争で落ちた橋のたもとから出る。
http://inbound.exblog.jp/20443478/

4)緑江景区…鴨緑江中流域の風光明媚な場所でボートトリップが楽しめる。こちらも後日報告予定。

5)集安…好太王碑で有名な世界遺産のまち、集安も北朝鮮との国境のまちです。モーターボートで対岸の満浦の近くまで向かう。
http://inbound.exblog.jp/20429242/

6)図們

なぜ図們江側には1カ所しかないかというと、脱北者の問題があるからです。同族の住む朝鮮族自治州に接する図們江側の国境は両国にとって敏感なエリアであるため、観光客のためにのどかに遊覧ボートを浮かべることができるのは、ここくらいしかないというわけでしょう。
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by sanyo-kansatu | 2014-12-21 16:20 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 21日

図們から対岸の南陽(北朝鮮)の町を眺める

図們は中国吉林省延辺朝鮮族自治州の東南部にある中朝国境と接する都市で、川(図們江)をはさんだ対岸には南陽(北朝鮮)という町があります。

図們については以前紹介したことがあるので、土地のプロフィールについては、以下を参照ください。

高速で素通りされ、さびれてしまった図們
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今年7月、図們を訪ねたとき、市街地の南側のはずれにある展望台から対岸の南陽を眺めることができました。
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これが国境の図們江を高台から眺めた光景で、手前の橋が鉄道橋、遠くにうっすら見えるのが、陸路の国境橋(図們大橋)です。
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展望台には、南陽の主要スポットを落とした地図があります。

これを参考に、簡易望遠レンズで南陽の町並みを撮ってみました。
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これが南陽駅です。右手に列車が見えます。
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少し倍率を上げてみましょう。駅前に人の姿はいないようです。
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これは南陽学校です。校舎が見えますが、子供たちの姿は見えません。これを撮ったのは午後4時過ぎでしたが。
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これは地図によると、金日成研究所という建物のようです。
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図們市街地の南東に日光山森林公園という行楽地があり、ハイキングコースになっています。その地図のいちばん左下の図們江の目の前に展望台はあります。この地図は上が南です。
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南陽自体は小さなまちで、市街地の南方面にも図們江に沿っていくつか集落はありますが、少し離れると民家はなくなります。川の手前は図們側です。
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鉄道橋のたもとには国境ゲート(鉄路口岸国門)があります。
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地図で見ると、ふたつの橋はこのように位置しています。
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ふたつの橋を並べて縦で撮るとこうなります。
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鉄道国境橋のそばにちょっとした撮影スポットがあります。
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観光客も記念撮影に興じています。橋と対岸の北朝鮮の山並みを背景に写真を撮るわけです。
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ちなみに図們江沿いを龍井方面から車で走ってきましたが、川沿いに鉄柵が張りめぐらされています。
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こちらは陸路の国境ゲートから眺めた図們大橋です。観光客が朝鮮とのボーダーである橋の真ん中まで歩いています。
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これが朝鮮側のイミグレーションです。

南陽の町は、人の気配がほとんどなく、その静寂ぶりがいかにも中国と対照的です。

実は今年、図們から南陽を訪ねる日帰りのサイクリングツアーが催行されたそうです。もちろん、中国国籍の人しか参加はできません。ツアー参加者は陸路の国境橋を渡り、南陽の町中を朝鮮側の案内人について自転車で散策するそうです。ちょっと面白そうでしょう。

もっとも、このまちにたいして見るべきスポットがあるわけではなく、市街地より外には出られないので、人気はいまひとつだったとか。朝鮮観光の定番アトラクションである幼稚園児による歌謡ダンスショーの鑑賞だけはあるそうです。その日展望台に上れば、サイクリングツアー一行の様子が対岸から眺められたことでしょう。
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by sanyo-kansatu | 2014-12-21 14:36 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 04月 14日

ゴールデントライアングルの中国カジノに潜入してみた

2013年8月中旬、タイ最北部にあるゴールデントライアングルで王冠を被せたような奇妙な建物を見かけたことを先日、書きました。地元の人に聞くと、カジノだといいます。
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インドシナ3カ国が接するゴールデントライアングル最新国境風景
http://inbound.exblog.jp/22434567/

チェンセーンのボート乗り場に戻ると、すぐにトゥクトゥクに乗ってゴールデントライアングル方面に向かいました。対岸にあるカジノに行く方法を知りたくなったからです。
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メコン沿いの道路を10km近く走ると、右手に大きな施設が見えてきました。
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「湄公河金角万庆公司(MIC)」と書かれています。
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建物の中に入ると、ひと気はなく、休業状態のように見えました。それでもくまなく探すと、「Kings Romans Resort」という旅行会社がありました。

スタッフらしき男性がいたので、「カジノに行きたいのだけど?」と尋ねると、男性は時計を見ながら「いいですよ。でも今日はもう時間がありません。明日またここに来てください。車でイミグレーションまでご案内します」。

すでに午後4時を回っていました。「パスポートを忘れないでくださいね」。やった。明日にはカジノに行けそうです。

翌朝8時、「Kings Romans Resort」を訪ねました。昨日の男性はいませんでしたが、別の男性が車に乗せてイミグレーションまで運んでくれました。
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これがチェンセーンのイミグレーションです。この町に出入国管理所があるなんて知りませんでした。数年前に開設されたそうで、対岸のカジノに行くために特設されたものと思われます。
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出国手続きをしていると、団体ツアー客が上陸してきました。手にしたパスポートを見ると台湾人のようです。なるほど、ゴールデントライアングルの中国カジノはすでに台湾など華人系のツアーの一部に組み込まれているものと思われます。子供連れの家族も多く、いったいこんな人たちもカジノに行くのだろうか、といぶかしく思いましたけど。
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さて、今度はぼくがラオスに向かう番です。ボート乗り場に行って「カジノに行きたい」というと、すぐに対岸に運んでくれました。料金はいらないそうです。
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ところが、ラオス側に上陸しても、ボート乗り場の周辺には誰もおらず、イミグレーションらしき建物も見当たりません。このままだと密入国できちゃうぞと思いながら、ボートの運転手に聞くと「あっちだ」と円形ドームのような建物を指さすだけ。仕方なく歩いていくと、確かにこの立派な建物はイミグレーションでした。
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中に入ると、出入国チェックのブースがありました。入国スタンプをもらったものの、周辺には誰もいません。今度はどうやってカジノまで行けばいいのかわからない。対岸から見た限りでは相当離れているようです。

困り果てていると、しばらくしてイミグレーションの前に車が現れました。手を振り車を停めさせ、「カジノに行きたい」というと、すぐに乗せて運んでくれました。送迎用の専用車でした。
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カジノに向かう道路は整備されていました。両脇に太いパームヤシが植えられ、広い二車線道路が延々のびていました。途中行き交うのはランドクルザーやゴルフ場にあるようなカート、あとは自転車に乗ったラオス人労働たちです。見ると、通りの名は「花园东路(花園東路)」です。
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5分ほど車で走ると、ボートの上から見た王冠の建物が見えてきました。いよいよ潜入です。
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少し緊張しましたが、なんのことはない。カジノに入るには、パスポートのチェックだけであっさりOKでした。
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そこに広がっていたのは、いかにも華人好みの趣味の悪い空間でした。中国の温浴施設やレジャー施設のロビーによくあるやたらと天井の高い構造です。ホント彼らはこういうのが好きですね。
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なおも進むと、広い賭博スペースがあり、ブラックジャックをやっていました。見ると、客層は華人ばかり。ディーラーも華人女性。フロントや両替、飲食の給仕スタッフは華人とラオス人が混じっています。
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さすがに人の顔は写せないので、角度を変えて館内をこっそり隠し撮りしたわけですが、カジノ内は飲食無料で、レストランも併設されていました。彼らはここで数日間、好きに飲み食いしながらギャンブルに興じて過ごすのでしょう。華人がなぜ自国では禁じられているカジノを周辺国の国境付近にやたらとつくりたがるのか。それはマネーロンダリングといった経済的な理由もあるでしょうが、心底こういう遊興が好きだからと思います。中国人のクルーズ好きは船内で気軽にカジノが楽しめるからだといわれるのも、同じ理由でしょう。

ぼくも含めて、一般の日本人はこういう場に慣れていないだけで、中国のカジノは、どれだけ見かけは派手に見えても、それ自体はカジュアルなアミューズメント施設といえそうです。ただし、もう一回海外旅行に来られるくらいのお金は用意しておかないと、存分には楽しめないでしょうけれど。
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奥にはスロットマシーンもありました。ただ、客はそんなに大勢いる感じはありません。
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「賭王大賽」(カジノ王大会?)。イベントもやっているようです。
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外に出て建物の周囲を見て回ると、ローマ時代風のレプリカ像が取ってつけたようにいくつも並んでいます。ラオス人労働者らの姿もあちこちに見かけます。
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車を降りて気がついたのですが、カジノの周辺には想像以上にいろんな施設があります。しばらく歩いていると、こんな立派なチャイナタウンの門がありました。「唐人街」と書かれています。中国の地方都市で、街の中心部を再開発して観光名所にした商店街などによくあるタイプです。
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奥には、これもよくあるテーマパークのような商店が並んでいました。ここにもひと気はありませんでしたが、「老挝人民民主共和国金三角经济特区唐人街揭幕処式(ラオス人民民主共和国ゴールデントライアングル経済特区中華街開幕式)」という赤い垂れ幕が通りに掲げられていました。このチャイナタウンはできたてほやほやのようです。
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ボートから見たホテル「金木花园酒店(Kapok Garden Hotel)」もありました。
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どんなホテルか覗きにいくと、ごく普通の中国のホテルでした。フロントに華人女性がいたので、「どこかで食事はできないか」と尋ねると、「ここにはありません。カジノの中で食べられますよ」とのこと。ホテルのレストランは営業していないそうです。確かに、これだけ広いリゾート施設としては客の数は少なすぎて、飲食施設もやたらと営業できないので、観光客の食事はまとめてカジノ内ですませてもらう、ということのようです。
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ほかにも「商业街(ショッピング・ストリート)」なんてのもありました。おそらくショッピングモールにするつもりだったのでしょう。
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モンゴルの民族家屋パオが並ぶ一画もありました。少数民族のテーマパークのようです。中国各地の地方料理を掲げた食堂街もありました。
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少し離れた場所には、競馬場もありました。ただし、クラブハウス風の建物と馬小屋があるだけで、肝心の馬はいませんし、そもそも中は草ぼうぼうの荒地のまま。

こうしてぼくも事態をだんだん飲みこめてきたのですが、要するにここは、いわゆる中国がラオスにこしらえた総合複合リゾート施設だったのです。いま東京湾で推進の動きが話題となっている「カジノを中核とした複合リゾート施設(Integrated Resort=IR)」というやつです。あくまで華人仕様ですけど。子供連れの台湾客がいたのもそのためでしょう。

実は、「ゴールデントライアングル経済特区」は中国の金木棉集团公司が、ラオス政府から102km²の土地を99年間租借し、リゾート開発したものです。そこでは中国の携帯電話が使え、これまで見てきたように道路の案内表示も中国語表記、チャイナタウンすらできています。2009年9月9日にラオス政府が中国と批准しました。特区内では中国の広範囲な自治権が認められています。

数日前、中国・ラオス国境のボーテンでも見たリゾートホテルが廃墟化した光景に比べると、こちらはさすがに世界的に有名な観光地であるゴールデントライアングルという地の利もあるのか、ゴーストタウンというほどの寂れ方とはいえないかもしれません。でも、欧米客はまずここには訪れそうもありません。わざわざゴールデントライアングルに来て、中国の田舎のリゾート施設に足を運ぶ理由がないからです。カジノに行きたきゃ、彼らはマカオに行くでしょう。

せいぜい華人ツアー客をコースの一部に組み込んで送客するか、年に数回イベントを開いて雲南省あたりの富裕層を集めるか。そんな集客状況ではないでしょうか。これは2000年代に地方政府によって計画され、勢いで立派なハコモノをつくってはみたものの、当初考えたほど運営はうまくいっていないという中国のリゾート開発の典型的なパターンのように思われます。

ゴーストタウンと化していた中国・ラオス国境の町ボーテン
http://inbound.exblog.jp/22437603/

なんでこんなものを作ってしまったのかなあ…。ボーテン同様、ここでもまた釈然としない思いを抱えざるを得ません。

広い敷地にひとり立ち尽くしていると、ボート乗り場に帰る交通手段がないことに気づきました。8月のラオスです。じりじり日が照りつけてきます。これは大変なことだと、かなり焦りました。

幸い、そこに救いの手が現れました。通りをひとりのラオス人青年がバイクに乗って走ってきたのです。手を大きく振り、バイクに乗せてくれと頼んだところ、彼はすぐに応じてくれました。

彼はカジノで働く労働者でした。自宅は敷地内のすぐ外の集落にあるそうです。村人の多くがここで働いているとのこと。確かに、彼の立場からすれば、もともと何もなかった村に施設を建てて、仕事を与えてくれたのは中国資本です。中国を悪くいう筋合いはなさそうです。ちなみに彼との会話は、ラオス北部で会った多くの人たちがたいていそうであるように中国語でした。

イミグレーションまで乗せてくれたので、お金を渡そうとすると、いらないといいます。なんて優しい青年なんだろう。ぼくは無理やりタイバーツを彼の手に握らせて別れました。そして、出国手続きをすませると、わずか数時間の滞在だったラオスにお別れして、タイに戻ったのでした。タイのイミグレーションでは、出入国管理官がぼくのパスポートを見て、「もう帰ってきたの」と笑いながら言いました。
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これがささやかなゴールデントライアングルの中国カジノの潜入記です。

ここ数日ぼくが見たのは、インドシナ北辺で中国がやらかしていることの一部とはいえ、共通して言えることがあります。まず、彼らは2000年代に国内でやっていたことと基本、変わらないことを海外でも同じノリでやっていたようにしか見えないこと。また、いくらラオス政府から安く土地を貸与しているからとはいえ、これらの投資の回収はそんなにたやすくないのでは、ということです。
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by sanyo-kansatu | 2014-04-14 10:47 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)