タグ:朝鮮 ( 89 ) タグの人気記事


2015年 01月 14日

北朝鮮側から眺める中朝ロ3か国国境

2014年7月、中国・北朝鮮・ロシアの3か国が国境を接する吉林省琿春市の防川地区を訪ねようとしたところ、外国人の入域は禁じられていることがわかりました。15年1月現在もそれは変わっていないようです。

【追記】
2015年夏以降、解禁されたようです。国境事情は日々刻々変わるものです。

これまでぼくはこの地を2回訪ねたことがあり、本ブログでも以下のように報告しています。

中朝ロ3か国の国境が見渡せる防川展望台(中国吉林省)
http://inbound.exblog.jp/20449425/

これは琿春市の旅行会社がつくっているパンフレットの表紙です。中国の古代の城壁に囲まれた塔のような建築物が写っています。これは何なのか。あとで説明します。
b0235153_10191194.jpg

さて、防川国境を訪ねることができなかった背景に、中国政府がこのところ朝鮮国境付近への外国人の立ち寄りに敏感になっていることがあるようです。昨年8月の朝日新聞の記事でも、現地記者からの以下の報告がありました。

中国、脱北者の連行容認 北朝鮮当局、拘束し帰国(朝日新聞2014.8.15)

中国東北部の北朝鮮との国境地帯で、中国の地元当局が北朝鮮の治安当局者による脱北者の拘束や連行を容認している実態があることがわかった。脱北者の北朝鮮への送還をめぐる国際社会の批判を受け、中国側が拘束してきた従来の方法から転換したという。

複数の中国当局関係者によると、北朝鮮国家安全保衛部などの当局者は、独自に集めた脱北者の潜伏情報をもとに、中国への入国を申請。中国側から、中国領内で使う車両の提供を受け、対象の脱北者を拘束後、連行して一緒に帰国する。中国での滞在期間は通常、1日から数日という。

中国は北朝鮮と刑事事件に関する捜査協力条約を結んでいるが、双方とも自国領内での捜査・逮捕までは認めていない。しかし、中国東北部の政府関係者は「送還された脱北者が処刑されているとして中国が国際的な批判を受け、数年前から中国の治安当局は出動しなくなった」と話した。

中国での北朝鮮当局者の活動をめぐっては、遼寧省瀋陽の韓国総領事館が今年3月下旬、「中朝国境で北朝鮮による拉致事件が起きている」という注意喚起を韓国人向けに行った。韓国政府関係者も、「中朝の治安部門でなんらかの協定があるのではないか」とみている。

中国に逃げこんだ複数の脱北者によると、3月下旬、中朝国境近くの旅館に身を隠していた脱北者数人が突如、行方不明になる事件が起きた。北朝鮮当局者が、一度捕まえた脱北者を密告者として教育し、新たな脱北者の拘束に利用しているという。脱北者の失踪は、毎月のようにあるという。国境警備を担う中国軍関係者によると、今年に入り、中国に逃げる脱北者は増加傾向にある。

脱北者をめぐっては、国連の北朝鮮人権調査委員会が今年2月、最終報告書で中国など周辺国に保護を勧告。国連の人権理事会も3月、北朝鮮への非難決議を採択し、安全保障理事会に指導者の責任追及や制裁措置を検討するよう求めた。

一方、中国政府は3月の非難決議に反対。報告書の指摘についても、「中国は一貫して国内法、国際法、人道主義に基づき、対処している」(外務省)と反論している。


中国領内での北朝鮮当局者による脱北者の拘束、連行の容認。中朝国境地域では、あいかわらず「法治」もへったくれもない、乱暴なことが起きているようです。こうしたことに外国人が巻き込まれてしまうことは中国側も望んでいない。そのため、以前は訪問を歓迎していたのに、立ち寄りを禁じる国境地区も一部出てきたという話なのでしょうが、だからといって防川のような場所が禁じられる理由はよくわかりません。

仕方ありません。だったら、防川国境を中国側からではなく、対岸の北朝鮮側から眺めてみよう。それが実現したのが、それから1週間後のことです。

その日、ぼくは北朝鮮の羅先特別市のホテルから車で中朝ロ3カ国国境に近い豆満江駅に向かっていました。道中は豆満江(中国名:図們江)下流域の湿原と水田が広がる緑豊かな風景が続きました。先ごろ完成したロシアとの鉄道路線は東に向かって延びていました。線路の脇に立つコンクリートの電柱も真新しい。いま羅先にあるインフラの大半は老朽化が進んでいますが、ロシアが使う羅津港の第3埠頭とこの鉄道路線は輝いて見えます。
b0235153_1021336.jpg

鉄道路線と並行して走る道路沿いには、こんな標語も見られました。
b0235153_10212448.jpg

「意義深い今年を穀物増産で輝かせよう!
宇宙を征服したその精神、その気迫で経済強国建設の転換的局面を開いていこう!」

おそらく2012年12月の北朝鮮による「人工衛星」と称するミサイル発射(防衛省・自衛隊)について言及しているのでしょう。

湿原には水鳥たちも多く生息しています。
b0235153_10215993.jpg

さて、これがロシアとの国境駅となる豆満江駅です。外観は立派ですが、駅舎の中には人気はありません。運行状況が気になるところですが、現地ガイドがそれを知っているはずもなく、調べるとしたらロシア側に聞くしかないかもしれません。
b0235153_1022434.jpg

これが税関の建物だそうです。
b0235153_10225620.jpg

その向かいに集会場のような建物がありました。駅周辺にあるのは、これだけです。
b0235153_10231095.jpg

さて、ここで車は折り返すのかと思ったら、さらにロシア国境方面に向かって走り出しました。

しばらくすると、北方に中国の旅行会社のパンフレットに掲載された中国風の高い塔が見えました。その背後に展望台も見えます。そうです。それが防川国境展望台だったのです。
b0235153_1023468.jpg

数年前、防川を訪れたときにはこの塔はなかったので、ここ1、2年で建てられたものでしょう。それにしても、ずいぶん時代がかった建造物をこしらえたものです。三国志の時代でもあるまいし……。思うに、中国側からすれば、中朝両民族がこれまで混住してきた図們江流域も、いまや「中華」の支配する地域であることを明確にさせたい意図があるのではないでしょうか。中国風の塔は、その楔のようなものです。一方、朝鮮側からみれば、これまで極東ロシアまで含め、あいまいに広がっていた図們江流域における「中華」の国境(くにざかい)に対する強い意思を読み取るよう強いられる視覚的なシンボルとして映るかもしれません。

防川国境の右手に朝ロ友好橋が見えました。
b0235153_10272845.jpg

車はさらに東に向かってひた走りました。途中、干潟湖のそばに朝鮮風の建物が見えたので、何かと聞くと、宿泊施設だそうです。
b0235153_10274417.jpg

そして、ロシア国境に近い高台を上ると、やはり朝鮮風の建造物が建っていました。その建物の脇を抜け、さらに頂上まで上ると、立派な屋根で覆われた石碑と案内人の女性が待っていました。
b0235153_1028620.jpg

b0235153_10282123.jpg

それは、「勝戦台」と呼ばれる16世紀の李舜臣将軍の戦績を讃える碑でした。石碑には以下のように書かれています。
b0235153_10284770.jpg

b0235153_1029188.jpg

「保存遺跡第1480号 勝戦台碑

偉大なる領導者、金正日同志は次のように指摘された。
『歴史遺跡と遺物をきちんと管理し、長く保存するための対策を徹底して立てなければなりません』。
この碑は、16世紀に李舜臣将軍が女真族の侵入を撃退し、祖国の北端を守り抜いた闘争業績を後世に伝えるために1762年に建てた記念碑である。

碑文には、1587年に辺防の野蛮人たちが侵入した時、ここを守っていた李舜臣将軍が少ない兵力で敵を待ち伏せして叩き潰したので、後世の人たちがここを勝戦台と呼んだという内容が書かれている。

勝戦台碑は、外来侵略者たちを撃退し、国を守り、戦ったわが人民の闘争の歴史を伝える文化遺跡である」。

ということだそうです。北朝鮮が持ち出す歴史がどこまで史実に近いものなのか、常に疑問がつきまとうわけですが、これは中国側の塔と同様、北朝鮮側の国境(くにざかい)を守る意思を表明するシンボルということなのでしょう。

そこからは図們江(朝鮮名:豆満江)とその下流域に広がる水田や、その先に広がるロシア領がよく見渡せました。同じ流域である以上、自然条件はほとんど変わらないと思いますが、朝鮮側は水田が広がっているのに対し、ロシア側は未耕地となっているようです。
b0235153_1030397.jpg

b0235153_10301754.jpg

b0235153_10303130.jpg

それから車は、図們江沿いの道を走り、中国の国境ゲート・圏河口岸の対岸にある元汀里に向かいました。河沿いを走っていると、延吉の知人からの電話がかかってきました。国境近くであれば、中国携帯がふつうに使えるようです。
b0235153_1031020.jpg

図們の対岸の南陽から延びていたかつての「咸北線」の線路も見かけました。これは日本統治時代に敷かれた羅津駅に向かう鉄道と思われます。ただし、ロシアとの新しい鉄道路線に比べると、かなり老朽化していました。客車のような車両が駅に停まっているのも見ましたが、これも相当な代物でした。
b0235153_10311483.jpg

※「咸北線」については以下参照。

1934(昭和9)年初秋、72歳ベテラン編集者の「北鮮の旅」
http://inbound.exblog.jp/20710254/

こうして半日かけての豆満江下流域のドライブの旅が終わりました。2年前に来たときは、雨で道路が使えず断念したことがあったので、ようやく実現できたという感じです。

ところで、中国はいま、やたらと巨大な国境ゲートを周辺国各地に建設しています。北東アジアでいえば、ロシアや北朝鮮、東南アジアではベトナム、ラオス、ミャンマーなどです。

たとえば――

【ロシア国境】綏芬河の新国境ゲート建設は進行中
http://inbound.exblog.jp/23962530/

【ラオス国境】ゴーストタウンと化していた中国・ラオス国境の町ボーテン
http://inbound.exblog.jp/22437603/

それらの多くは、国境を接する相手国に対する圧倒的な力の差を見せつけることが目的であるかのように、どこかこけおどし的な感じがしないではありません。今回見た中国風の塔もそうだったように。

実際、中国と国境を接する国々はどこでもそうですが、人口規模や経済力の面で違いが大きいため、せっせとこしらえた建造物も、視覚的な効果はともかく、人やモノの往来からみたコストパフォーマンスもそうですが、国境の実態とは釣り合っていないように見えるのも確かです。

皮肉な言い方をすれば、もろもろの熱狂の時代が終わったあと、昔はこんなにすごかったんだぞと、未来のための証明づくりにいそしんでいるように見えなくもありません。それが中国の歴史というものの正体なのかもしれない。そんな気がしないでもありません。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2015-01-14 10:36 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 12月 31日

2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【後編】

2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【中篇】の続きです。(→【中編】)

これまで【前編】【中編】を見てこられた方の中には、似たような料理が並んでばかりでうんざりしている人もいるかもしれません。実際、アップしているぼくもさすがにそういう気分になりつつあります。

こうして並べてみると、ある特定の地域を訪ねた以上、よく似た地方料理ばかりが出てくるのは無理もないからです。一方、外貨を落とす客人相手となれば、北朝鮮の地方都市でもこれだけの料理が供されるのか、という見方もあるかもしれません。それをどう理解すべきかについては、まだまだ宿題です。

それでも、【後編】では、これまでと多少趣向の違った料理が出てきます。実は、同行しているカメラマンは韓国料理通で、北朝鮮というより朝鮮半島の地方料理としての咸鏡北道の食の特徴に関心を持っていることから、次はこういうのが食べたいと積極的にリクエストしてくれるので、大助かりなのです。特注品の食の選択はすべて彼におまかせでした。

10)4日目夕食(清津観光ホテル)
この日の夜は、清津市内のホテルに泊まりました。清津駅の裏手にある清津観光ホテルです。

このホテルのオーナーは(後日紹介しますが)、いまからちょうど50年前にこの地に来た日本生まれの在日帰国者です。こういう方と北朝鮮で会うのは初めてでした。彼によると、2000年代前半くらいまでは、戦前期に清津に住んでいた年配の日本人たちがよくツアーで来ていたようで、彼はガイドとして七宝山なども案内していたそうです。彼の兄弟は日本にいて、ときどき訪ねてくるそうですが、それだけに日本の情報もそれなりに詳しいのです。50年も日本に戻っていないのに(彼が帰国したのは、18歳のときだったそうです)、日本語がなんら衰えていないのは驚きました。

そんなオーナー氏は、久しぶりに日本人が訪ねてくるということで、ずいぶんこちらに合わせた料理を用意してくださいました。こんな感じです。
b0235153_23391793.jpg

b0235153_2339596.jpg

b0235153_23401211.jpg

タコの刺身、ハタハタやカレイの唐揚げまでは、これまでどおりです。
b0235153_23413423.jpg

b0235153_23415170.jpg

しかし、エビフライやトンカツが出てきたのは、かえって申し訳ない感じもしました。

面白かったのは、このタコ足ウインナー(でも、たぶん魚肉)の炒めものです。人気ドラマの『深夜食堂』で、やくざに扮する松重豐の好物がタコ足ウィンナーだったことを思い出しました。オーナー氏の趣向はどこか昭和のにおいがして、不思議な気がしました。
b0235153_23422525.jpg

これはちょっとべちょべちょですが、ポテトサラダです。卵の黄身もふってあります。朝鮮では、ポテトサラダがよく出てきます。どういう影響からなのでしょう。ロシア? それとも、戦前期の日本? あるいは、在日の人たちが伝えた? これも宿題にさせてください。
b0235153_23424257.jpg

これもよく出てくるどんぐりの寒天サラダ。中国東北地方でもよく食べられていますが、ネットで調べたら、韓国料理でもあるんですね。
b0235153_2343325.jpg

最後に、ご飯とスープが出てきたので、「こういうのがいちばん落ち着きますね」と言うと、オーナー氏はニコニコ笑っていました。
b0235153_23431898.jpg

11)5日目の朝食(清津観光ホテル)
朝食には、パンが出てきました。これは朝鮮で初めてのことです。気を遣ってくださったのだと思います。インスタントコーヒー付きです。中華料理みたいなのも付いていました。
b0235153_23433239.jpg

これが清津観光ホテルです。
b0235153_23434422.jpg

12)5日目の昼食(羅津の金栄食堂)
この日、朝8時に清津を発ち、昼前には羅先に戻りました。昼食は、2年前に来たことのある金栄食堂でした。食のリクエストはカメラマン氏に一任したと先ほど書きましたが、彼が「串焼きはありますか」と通訳に尋ねたところ、あるということで、この店に行くことになりました。
b0235153_23441951.jpg

中国の延辺朝鮮族自治州は串焼きが有名なので、もしかしたら羅先にもあるのでは、と彼は思ったそうです。実際、炭火焼のコーナーに案内され、中国でいう「羊肉串」が出てきました。これはもともとこの地にあったものなのか。それとも延辺から入ったのか。これも宿題です。

こちらがどんどん写真を撮る気でいるのをいいことに、ガイド氏は「ボタンエビの刺身も食べますか?」と聞いてきます。そういえば、2年前この店で同じものを食べた気がしますが、実はこれまで各地で出された刺身のクオリティには満足していなかったので、「どれ、持ってきてください」。もうにわかお大尽気分です。出てきたのはこれです。これも冷凍でした。
b0235153_23443825.jpg

串焼きときたら、しめは冷麺でしょう。ぼくは韓国の冷麺についてそれほど詳しくないので、朝鮮で出てくる冷麺を食べても、まあこんなものかな、という感じなのですが、カメラマン氏は韓国中の冷麺を食べ尽くしているという食通なので、実はあまり評価していません。
b0235153_2345176.jpg

それでも、グルメ雑誌のようなカットもつい撮ってしまいました。
b0235153_23451815.jpg

この店のウエイトレスは、清津方面の子たちと比べるとずいぶんあか抜けして見えました。化粧の仕方など、中国の都会の子に近いのです。カメラを向けるとピースをしたり、北朝鮮の若い世代も、対外開放されている都市などに限るのかもしれませんが、かなり中国の現代文化の影響を受け始めているに違いありません。
b0235153_23455127.jpg

どうやらこの金栄食堂は、焼肉や海鮮料理など、さまざまなタイプの料理が味わえる羅先を代表するレストランのひとつのようです。
b0235153_23467100.jpg

13)チェコ人経営のビヤホール(海浜公園)
これもある事情通の「羅先に行ったら、最近できたビヤホールに行ってみられるべし」という情報をもとに訪ねました。羅津港の北側に広がる海浜公園の中にあります。

チェコ人経営という話でしたが、すでに彼らは帰国しており、地元の女性が生ビールを入れてくれました。
b0235153_23463467.jpg

味は正直もうひとつです。メニューには1杯10元とあるのに、20元取られました。実はこれまでもこうやってボラれてきたに違いありません。なにしろすべての支払いが人民元なのですから。メニューをみると、いろいろ載っていますが、出せるつまみは限られているようです。
b0235153_23465165.jpg

店内には人っ子ひとりいません。「1年前のオープン当時は、けっこう客もいたが、だんだん来なくなった」と通訳氏。そのうち、チェコ人も帰国し、「ビールの味も落ちた」(これも通訳氏)そうです。
b0235153_23472088.jpg

b0235153_23473712.jpg

14)5日目の夕食(朝鮮料理専門レストラン)
最後の夜は、羅津の朝鮮料理専門レストランに行きました。カメラマン氏のリクエストで特注したのは、海鮮鍋です。彼は韓国での豊富な食体験をもとに、朝鮮でどこまでそれに近いものが味わえるか試しているようです。毛ガニやエビ、タラなどいろいろ魚介の入った鍋が出てきました。
b0235153_23475611.jpg

当初用意されていた料理は鍋の周囲に置かれたもので、これまでどこかで出てきたラインナップと同じです。

これは中国の延辺でもよく食べるジャガイモチヂミです。もともと咸鏡北道の料理です。
b0235153_23484253.jpg

この店も閑散としています。我々は、なるべく他の外国人客とかちあわないように仕向けられているのだろうと思っていましたが、これまで見た限り、羅先の飲食店はどこも閑古鳥のようです。中朝関係の悪化による中国人ビジネスマンの朝鮮渡航の減少が影響しているのではないか、とぼくは推察します。
b0235153_2349423.jpg

というのも、国際旅行社のガイドの話では、中国人ツアー客はそこそこ羅先にも来ているのですが、彼らの参加するツアー代金はあまりに安すぎて、いくら物価の安い朝鮮でも、これまで紹介したような食堂には連れてこれないそうだからです。彼はそれを不満げにこう語っていました。「中国客はお金を出したがらないので、こういう料理を食べさせることができないんですよ」と。要するに、今回我々が訪ねたレストランは、ツアー客ではなく、ビジネス渡航で来た中国人やロシア人たちが利用していたのであり、彼らが頻繁に羅先に来なくなれば、利用者がいなくなるわけです。地元の朝鮮の人たちが利用するには、まだまったく高すぎるからです。通訳氏たちの月収が1か月300元と聞いて、無理もないと思いました。わずかな滞在日数とはいえ、こうしていろいろ見えてくること、明かされることがあります。
b0235153_23492869.jpg

この店のスタッフは品のいい女性たちでした。それにしても、朝鮮の女性はなんと健気に働くことでしょう。

今回あらためて思ったのは、中国の北朝鮮レストランで働くウエイトレス兼歌手の彼女たちと比べて、朝鮮国内の町のレストランで働く女性たちのほうが好感度が高いことです。やはり中国にいると、とかく好奇のまなざしを向けられがちな朝鮮人女性として自尊心を保つために心に鎧をまとわないわけにはいかないからでしょうか。妙にツンケンしていて、あんまり親しみを感じない場合が多いです。そういうクールビューティぶりがかえって、以前韓国で話題となった「美女応援団」的な人気にもつながっているのかもしれませんけれど。
b0235153_23493960.jpg

15)6日目の朝食(東明山ホテル)
最後の日は東明山ホテルに泊まりました。朝食は中国のホテルと同様のビュッフェでした。中国客が多く、中国料理ばかりでしたが、キムパップやキムチ、ミソチゲはありました。我々にはこれで十分です。
b0235153_2350588.jpg

b0235153_23502757.jpg

実は、羅先の最後の宿泊先は、初日と同じ琵琶閣といわれていたので、それじゃつまらない、こちらはなるべくいろいろ見ておきたいのだと主張すると、50ドル追加で東明山ホテルに換えてもらうことになったのでした。羅先でいちばん新しく、館内にはスパやプール、ジムなどもあります。その実態は……これはまた後日にしましょう。
b0235153_23505539.jpg

16)6日目の昼食(琵琶閣のカラオケラウンジ)
今回の最後の食事は、通訳氏の強い希望で、琵琶閣のカラオケラウンジに行くことになりました。彼はどうしても自分の歌う長渕剛の『乾杯』を我々に聞いてほしいというのです。そのいきさつについては、別の機会に譲るとして、実はこの日の昼食はカメラマン氏の希望で、汁なし参鶏湯のタッコンを用意してもらいました。
b0235153_23511482.jpg

鶏を一羽丸ごと使うということで、200元も取られたのですが、通訳氏は「もし自分に頼めば40元で用意した」とこっそり話してくれたほど、最後の最後まで旅行社の人間にボラれまくってしまいましたが、写真を撮るためにはやむを得なかったのです。
b0235153_23513330.jpg

中華系の料理が幾皿か並び、ヨモギの焼酎なんてのも出てきました。

さて、ここで通訳氏は約束どおり『乾杯』を披露してくれました。動画も撮ってあるのですが、これまで名前を伏せてきたように、彼の姿をネットにさらしてしまっていいものか、いまのところまだ躊躇するところがあるので、公開しません(本人はそうしてほしかったみたいでしたが……)。
b0235153_2338645.jpg

その代わり、このホテルの女性服務員が、おなじみの「パンガプスムニダ(お会いできて嬉しいです)」を歌ってくれたので、そちらの動画は配信します。
b0235153_23383014.jpg

羅先(北朝鮮)琵琶閣のカラオケ
http://youtu.be/qaf0a70ZFEk

さて、このような飽食の呆れた日々をかの国で過ごしたわけですが、すでにお気づきのように、食と女性に関してのみ、断然ガードがゆるいという特性に乗じ、1日3回は必ず体験することになる<食>を通して、どこまでこの国の理解に近づけるのか。監視役にずっと見張られ、もとよりたいしたことなどできない環境のなか、冗談半分で試した戯れごとに過ぎないことをお察しいただいたうえで、それでも何らかの発見があればうれしく思う次第です。

※その他、いまどきの北朝鮮事情については「朝鮮観光のしおり」をご覧ください。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2014-12-31 23:53 | 朝鮮観光のしおり | Comments(1)
2014年 12月 31日

2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【中編】

2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【前編】の続きです。(→【前編】)

6)3日目朝食(鏡城観光ホテル)
鏡城観光ホテルの客室はかなり老朽化していているのですが、風呂には温泉が出ました。朝食は中華風で、カステラがメインのように中央に置かれていました。
b0235153_1851521.jpg

昨晩歌を披露してくれた彼女が、制服に着替えて給仕してくれます。
b0235153_18515973.jpg

ご飯とチゲが分かれて出てくるのですが、朝鮮の人たちはスープにご飯を入れて食べるのが好きなようです。
b0235153_1852933.jpg

ホテルのロビーには、これから向かう七宝山の絵が飾られていました。
b0235153_1852992.jpg

7)3日目昼食(外七宝山荘)
鏡城から車で七宝山を登り、この山唯一の宿泊場所である外七宝山荘に来て昼食となりました。今晩はここに泊まります。こちらでよく出てくるハタハタの唐辛子煮や揚げ魚、イカの辛し炒め、豚の角煮など、山の中のホテルなのに、素材は悪くありません。
b0235153_18523767.jpg

何よりこのホテルの女性スタッフはとても気さくで感じが良かったです。
b0235153_18524651.jpg

8)3日目の夕食(外七宝山荘)
夕食も同じ場所。昼間のメニューと若干似ているように見えますが、魚の煮付けや揚げ魚、ポテトサラダなど。この日も朝鮮男性たちは酒にひたっておりました。
b0235153_185302.jpg

9)4日目の朝食(外七宝山荘)
朝食は目玉焼きに海苔とチゲ、そして魚の唐辛子煮です。七宝山は海に近いせいか、魚が毎回出てきます。味付けは唐辛子味になってしまうのですが、油っぽい料理は少ないので助かります。
b0235153_18531454.jpg

レストランの脇の売店では、朝ロ中3カ国の酒やポッカのオレンジ缶ジュースや缶コーヒーが置かれていました。朝鮮モノはどんぐりやビワの焼酎のようです。中国の白酒やロシアのウォトカもあります。確か、ポッカはマレーシアに工場があり、そこから入ってきているものと思われます。
b0235153_21235035.jpg

b0235153_18541399.jpg

チョコパイなど菓子類も売っていました。この手のものも、マニアの人なら面白がって買って帰るのかもしれませんね。
b0235153_18542569.jpg

朝鮮産のミネラルウォーターもあります。
b0235153_18543724.jpg

ホテルのスタッフがどろどろした液体をペットボトルに移しているので、何かと聞くと、天然の蜂蜜だそうです。
b0235153_18545075.jpg

このホテルの服務員のリーダーの崔銀星さん(中央)は清津出身で、地元の経済専門学校で会計を学んだそうです。
b0235153_1855311.jpg

彼女の名前は聞くのを忘れましたが、給仕の仕事が終わると、さっさと私服に着替えていたので素朴な感じのアイドルショット。愛くるしいお嬢さんでした。
b0235153_1855142.jpg

これが外七宝山荘です。山奥の一軒屋なので、いつでも営業しているわけではなく、予約が入ると、食料と共にスタッフらもこちらに来て泊りがけで仕事をするようです。やはり自然の中にいると、この国の特殊な事情や政治のことなどを、つかの間とはいえ、忘れられるのがいいですね。

10)4日目の昼食(海七宝海水浴場)
この日の昼食は、七宝山から日本海側に降りた海水浴場の施設で取ることになりました。ここでも海の幸が山盛りで出てきました。
b0235153_18554050.jpg

b0235153_1856989.jpg

b0235153_18561983.jpg

揚げハタハタ、タラの唐辛子煮……。連日メニューがかぶっているので、せっかく海の前で食事をいただくというのに、あんまり食が進まないのは申し訳ない限りです。
b0235153_18563156.jpg

むしろこういうさっぱり系がいいですね。

しかし、ここで我々を待ち構えていたのは、目の前の浜でとれたウニや貝の売り子でした。地元出身らしい女性がふたり、椅子の上にちょこんと座っていて、目の前にたらいを並べてこっちをじっと見ているのです。
b0235153_18565720.jpg

b0235153_18571843.jpg

b0235153_18572815.jpg

b0235153_18573759.jpg

b0235153_18574551.jpg

こういうときは味見をするしかないですね。だって彼女たちは我々のためだけに用意してくれているわけですから。何か頼んでみましょうか。
b0235153_18582210.jpg

b0235153_18583136.jpg

戦前に朝鮮総督府鉄道局が制作した「朝鮮旅行案内記」などを読んでいると、清津をはじめ朝鮮半島の東側の海沿いの町ではウニが豊富にとれることが書かれています。そこで、ウニやハマグリをその場で調理してもらうことにしました。
b0235153_18592133.jpg

ところがです。どうやらこのあたりでも近年ウニを獲り過ぎたため、相当深く潜らないと良質のウニは獲れないそうで、出てきたものは、正直大いに期待はずれでした。どうも朝鮮東海域の漁業に異変が起きていそうです。

※詳しくは、こちらを参照。

北朝鮮のイカ釣り漁船急増は朝鮮東海岸の中国漁船の操業と関係がありそう
http://inbound.exblog.jp/23807614/

それでも、清津の名物といわれるウニ入りおじやは、ほんのり甘くおいしかったです。
b0235153_190488.jpg

b0235153_1901522.jpg

これがボートに乗って海岸線を遊覧したときに撮った海水浴場の施設です。地元の子供たちなどの海水浴客もいて、海はきれいでした。
b0235153_1902559.jpg

さて、【中編】はここまでにしましょう。

続きは【後編】にて。
http://inbound.exblog.jp/23951727/
[PR]

by sanyo-kansatu | 2014-12-31 19:00 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 12月 31日

2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【前編】

今年7月上旬、ゆえあって北朝鮮咸鏡北道の羅先特別市や清津、七宝山を訪ねました。羅先を訪ねるのは2年ぶりのことです。

その見聞については、追って報告するとして、本ブログでは恒例ともいえる北朝鮮滞在中の食事の内容をすべて公開します。今回はカメラマンが同行している関係で、料理の写真が美しくバリエーションも豊富で、これまで以上に大量の画像をお見せできるかと思います。

羅先(北朝鮮)のグルメ~1泊2日食事4回のすべて(2012年)
http://inbound.exblog.jp/20179579/

2013年版 北朝鮮のグルメ~5泊6日食事14回のすべて
【前編】http://inbound.exblog.jp/21273246/
【後編】http://inbound.exblog.jp/21273691/

まずは簡単な行程から。

1日目 中国吉林省琿春市から羅先市へ
2日目 羅先から清津、鏡城温泉泊
3日目 七宝山へ(外七宝)
4日目 七宝山(内七宝、海七宝)、清津泊
5日目 清津から羅先へ
6日目 羅先から豆満江をめぐり、中国へ

1)1日目昼食(羅先国際旅行社レストラン)
今回の最初の食事は、羅津市内の南山旅館(元ヤマトホテル)の向かいにある羅先国際旅行社のレストランです。中国の国営旅行会社と同様、朝鮮でも外国客の手配を一手に引き受ける国際旅行社は、自前のレストランを営業するケースが多いようです。要は、それも外貨を落とす客の懐の金を囲い込むためのビジネスモデルのひとつというわけです。中国に限らず韓国でもわりと一般的です。
b0235153_1334426.jpg

料理はさしみに水餃子、ちぢみ(なぜかケチャップがかかっています)、唐揚げ、キムチ、そしてキムパップなどです。我々は中国人ではないので、あつあつの料理でなくても気にならないので、レストラン側も用意しやすいかもしれません。隣の部屋には中国人観光客がいましたが、メニューはかなり違うようでした。
b0235153_1345681.jpg

b0235153_1351621.jpg

以前も書きましたが、北朝鮮のキムチは韓国に比べ唐辛子の量が控えめで、そんなに辛くはありません。
b0235153_1353177.jpg

ビールは朝鮮産テガンドンビール。
b0235153_1354497.jpg

もちろん、美女ウエイトレスが華やかなチマチョゴリ姿でかいがいしく給仕してくれます。
b0235153_1362451.jpg

実をいうと、今回我々に同行した監視役のガイドや通訳は少し融通の利かないタイプで、戸外の撮影に関しては不自由を感じる局面が多かったのですが、食事タイムとウエイトレスらの撮影に関しては「どうぞどうぞ」と惜しみない協力ぶりを見せたこともあり、こちらも日本のグルメ雑誌に掲載してもいいくらいの気持ちで写真を撮りまくっています。
b0235153_137206.jpg

これが羅先国際旅行社です。レストランはこの中にあります。

2)1日目の夕食(ロシアレストラン「ノーヴィーミル」)
これは初日の夜の食事ですが、何料理かわかりますか?
b0235153_137379.jpg

ボルシチやポテトサラダ、そしてビールのラベルに書かれた文字を見ればおわかりのとおり、ロシア料理です。もっとも、手前の皿はロシア料理を代表するカツレツを頼んだのですが、衣がついてなくて、ただのハンバーグのようなしろものでしたが。

事情通の友人から羅先にロシアレストランが2軒あることを聞いていたので、行くことにしたのです。「ノーヴィーミル」という店で、ロシア人経営です。
b0235153_1375329.jpg

b0235153_1385041.jpg

ただし、店内には客がほとんどいませんでした。通訳が語るには、「2011年からの不景気で、レストランで食事をする人は少なくなった」とのこと。2011年の意味については、あとで考えるとして、店にはロシアのカラオケや日中ロ朝4か国の酒が揃っています。
b0235153_139864.jpg

店の服務員です。さきほどの国営旅行社のウエイトレスに比べると、庶民的ですね。やはり民間より政府機関に美女が集められるのはお国柄のせいでしょうか。
b0235153_1392935.jpg

メニューは、ロシア語、中国語、ハングル併記ですが、料金は人民元でした。料理の量がグラム単位で掲載されています。
b0235153_13102453.jpg

実は、こちらのリクエストでロシアレストランに来た関係で、ガイドや通訳、運転手も一緒に食事をとることなり(以後、ずっとそうなりました。その結果、彼らのぶんもすべてぼくが支払うことになるのですが……仕方ありません)、「好きなものをどうぞ」というと、ロシア料理ではなく、ご覧のように中華風炒めものやミソチゲ、キムチが出てきました。ロシア料理は彼らの口に合わないそうです。
b0235153_13111661.jpg

これが店の外観です。2軒のロシアレストランが並んでいます。通りの向かいには、中国人経営の中華料理店があり、要するに外国人経営の店は同じ地域に集められているようなのです(あとで紹介するチェコ経営のビヤホールを除く)。あいにくロシア人オーナーは帰国中で会えなかったのが残念でした。
b0235153_13113424.jpg

3)2日目の朝食(琵琶閣の食堂)
初日は、2年前に泊まった琵琶閣という羅津郊外の高台にあるホテルに泊まりました。朝食は、焼き魚に焼き豆腐、目玉焼き、キムチ、ミソチゲというシンプルなもので、おいしくいただきました。
b0235153_1312096.jpg

これが食堂の建物で、屋上に上がると日本海が一望に見渡せます。ただし、この日は霧で覆われていて、眺望はいまひとつでした。
b0235153_13124515.jpg

b0235153_1313170.jpg

4)2日目の昼食(清津船員倶楽部)
この日は、朝8時に羅先を発ち、車で清津に向かいました。昼食は、船員倶楽部という接待施設です。清津は昔から海産物が有名ですが、揚げ魚やタコのさしみなど、正直なところちょっと期待はずれでした。あまり新鮮な素材ではなさそうだったからです。タコも冷凍ものでした。
b0235153_13133035.jpg

b0235153_131423.jpg

そのため、この日のメイン料理は、韓国料理通のカメラマンがリクエストした特注の犬チゲでした。
b0235153_13151932.jpg

これは臭み消しの薬味です。
b0235153_13154264.jpg

今回初めて咸鏡北道の清津に来たのですが、街中は羅先に比べて車の数も少なく、都市の規模のわりには経済的に疲弊感が漂っていました。そのため外国人接待をするスタッフも羅先に比べれば開明的ではないかもしれない、と思っていたのですが、船員倶楽部のウエイトレスたちは場所柄外国人慣れしているのか、カメラマンの注文に気さくに応じてポーズまでとってくれました。
b0235153_1317898.jpg

b0235153_1317236.jpg

b0235153_13173858.jpg

彼女らは会計係で、制服が違います。
b0235153_13175890.jpg

我々は個室で食事をしましたが、こちらが一般の食堂スペースです。
b0235153_1318129.jpg

これが船員倶楽部の外観です。
b0235153_13183480.jpg

5)2日目の夕食(鏡城観光ホテル)
もしかしたら、この日の夕食が今回いちばん豪勢だったかもしれません。ご覧のとおり、海と山の幸がてんこもりです。生野菜も豊富で食のバランスが絶妙です。場所は、温泉地の鏡城にあるホテルです。
b0235153_131938.jpg

b0235153_13192591.jpg

b0235153_13194177.jpg

毛ガニが6つあるのは、我々日本人2名に加え、現地ガイド、通訳、運転手に加え、外国人が羅先の外に出るということで、羅先国際旅行社の部長(とても気のいい酒好きのおじさんでした)までが同行するという大名旅行となっていたからです。こういう監視状態のもとでは、なかなか好きに写真を撮らせてくれません。そのぶん、我々は少々ムキになって料理とウエイトレスの撮影に励んでしまったのでした。
b0235153_13205478.jpg

七宝山に近い鏡城らしく、マツタケ焼酎が出てきました。以前、朝鮮土産として日本に持ち帰り、友人にふるまったところ、不評を買ってしまったマツタケ焼酎でしたが、地元で飲むとそこそこいけます。
b0235153_13211782.jpg

そして、ここでもチマチョゴリ姿の美女ウエイトレスが登場です。少しふっくらとした愛嬌のある顔立ちの彼女ですが、髪型が1970年代の韓国の演歌歌手みたい!? です。やっぱり外国人の多い平壌や羅先と違い、地方に暮らす子はこんな感じなのでしょうか。
b0235153_13213540.jpg

それでも、2日目の夜ということで、すでに無礼講になっていた朝鮮男性4名の積極的なリクエストに応え、彼女は歌を披露してくれました。無礼講というのは、要するに、彼らは支払いが客人持ちであることなど気にせず、どんどん酒を頼みまくるということです。特に部長は焼酎好きのようで、その夜いったい何本の瓶が空いたことか。この日ばかりは、ぼくも先に床に就いてしまいました。

基本的に食事代はツアー料金として事前に支払っているので、翌朝の支払いは酒代だけですが、500元相当とられてしまいました。焼酎は種類にもよりますが、1本20~30元相当。ずいぶん飲んだものです。おかげで、翌日の行動はお昼からということになってしまいました。考えてみれば、ひどい話です。

「朝鮮の人たちと付き合うなら酒から逃げてはいけない。日本人はウイスキーを水割りで飲むからつまらない。水で割るような薄い関係では、何も信じられない、と彼らは言う。とにかく倒れるまでとことん飲む人間が愛される」。事情通の友人からそう繰り返し聞かされていましたが、彼らとの5泊6日は、撮影の不自由さからくるストレスを除けば、ほぼ友好的に過ごすことができたのも、酒のおかげというものでしょう。なぜって、彼らは我々と過ごしている間は、好き放題懐を気にせず酒が飲めるからです。やれやれ、な話ですが、まあ仕方がないと思うほかありません。

この蔦に覆われた建物が鏡城観光ホテルです。
b0235153_13263262.jpg

さて、【前編】はこのあたりまでにしましょう。

続きは、【中編】にて。
http://inbound.exblog.jp/23950361/
[PR]

by sanyo-kansatu | 2014-12-31 13:30 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 12月 30日

いま中朝国境で最もスリリングな遊覧ボートの旅(天逸埠頭)

このおばさんたちはモーターボートに乗ってどこに向かっているのでしょうか? ちなみにこの皆さんは、お子様も含めて韓国から来た観光客です。
b0235153_1761835.jpg

答えは、中朝国境を流れる鴨緑江を遊覧するボートです。
b0235153_1763669.jpg

場所は、遼寧省丹東市の郊外、寛甸満族自治県の天逸埠頭です。万里の長城の東端といわれる虎山長城から鴨緑江上流に向かった場所にある遊覧ボート乗り場ですが、ここの売りは、いま中朝国境で最もスリリングな遊覧体験が楽しめることでしょう。

なぜなら、天逸埠頭の遊覧コースは、鴨緑江流域の朝鮮領の中洲の内側を航行するため(つまり、入国ビザなしで完全に朝鮮領内に入るのです)、朝鮮の民家や労働者を間近で見られるうえ、さらには満洲国時代に造られたという軍事港湾施設(北朝鮮領)のすぐそばまで行けるからです。中国国内客だけでなく、香港や台湾、韓国客の姿も多く見かけます。

8人乗りのモーターボートに乗って国境観光に出掛けることにしました。ボートは中州の内側に向かいます。
b0235153_1784551.jpg

団体客は遊覧船に乗ることもできます。
b0235153_1791058.jpg

だんだん対岸の朝鮮領に近づいてきました。
b0235153_1792956.jpg

山の斜面に畑も見えます。
b0235153_1795139.jpg

そして、北朝鮮の港湾施設が見えてきました。
b0235153_17102340.jpg

さすがは戦前期の建造物らしく、かなり老朽化していますが現役です。
b0235153_17104154.jpg

b0235153_17112540.jpg

b0235153_17111019.jpg

b0235153_17105854.jpg

あっ、北朝鮮の女性兵士の姿が見えます。
b0235153_17114940.jpg

中国客たちが不埒にも「こっち向いてえ」と声をかけると、ちらりと彼女は振り向いてくれました。それもそのはず、中国側から事前に朝鮮側にお金が渡っていて、彼女もそこで待機しているのだとか。よくぞまあ……。でも、たいていの中朝国境遊覧ボートはそんなものです。実際、なんの見返りもなく、軍が観光客の相手をしてくれるはずはありません。逆に見返りさえあれば、それなりの対応をするということでもあります。観光とは、常に利益の交換で成り立っているのです。
b0235153_17122135.jpg

b0235153_17123757.jpg

港湾施設を離れ、対岸の中州に向かいます。
b0235153_1713579.jpg

近づくと、民家が見えてきました。前に丈の高いトウモロコシが植えられ、屋根が見えるだけですが、オレンジ色の瓦に白いしっくいのラインが見える。朝鮮家屋です。
b0235153_1713373.jpg

どうやらこちら岸にも朝鮮の兵士がいるようです。ボート客が船を停め、兵士と会話しているようです。
b0235153_1714177.jpg

あっ、手を振ってくれました。よく観光客が煙草を投げてよこしたりするようです。この程度のことは大目にみてもいいだろう。それがこの国境地帯の流儀のようです。
b0235153_17142351.jpg

なおも中州に沿ってボートを走らせます。
b0235153_1714451.jpg

塔のようなものが見えてきました。よく見ると、対岸に綱が伸びていて、物資を運んだりするのに使うようです。
b0235153_1715970.jpg

b0235153_17153287.jpg

しばらく進むと、山羊飼いが現れました。子供や農家のおばさんの姿も見えます。やがて中州を離れ、ボート乗り場に戻ると、終了です。
b0235153_17155568.jpg

はてさて、わずか20分ほどのボートクルーズですが、自分はいま完全に北朝鮮領内にいる。ここでもしボートから落ちたりしたら……そんなことを夢想しながら、スリリングな気分に浸れることうけあい!? です。

ボートを降りると、朝鮮の人たちにモノをあげるなとか、写真を撮るなとかいった規則があることを知りました。観光客は誰もそれを守っていないのですが。
b0235153_17164495.jpg

確かに、中朝関係が今後極度に悪化したり、この国境地帯で人身事故や朝鮮人と観光客間のトラブルでも起きたりしたら、すぐに問題となり、先ほど述べた流儀もご和算になることでしょう。でも、ここではそういう事態は誰もが望んでいません。望まない以上、何もなければそのまま流儀は継続されるはずですが、必ずそうなるとは限らないのが「法治」とは異なる力学で社会が動く中国であり、朝鮮です。もしこの国境観光に興味のある方は、早めに体験しておくことをおすすめします。ある日突然、営業停止されてしまうかもしれないからです。

そして冒頭でも書きましたが、ここでは韓国の子連れの観光客のような皆さんがふつうに楽しんでいるのです。彼らのある種の不用意さは、今年韓国社会で起きた一連の出来事から、いろいろ心配に思わないではいられないところもある。一般の日本人なら、こんな場所に子供を連れて行くなんて信じられない、というところでしょうが、彼らにとってはそこは同胞の地である朝鮮、距離感が我々とは違うのでしょうね。この感覚の違いを知っておくことは、東アジアで起きてることを理解するうえで、けっこう大事な気がします。
b0235153_17182288.jpg

丹東駅前には、天逸埠頭の遊覧ボート乗り場まで案内してくれる三輪タクシーが停車しています。市内から約40分。営業は6月~10月のみです。ちなみに、8人乗りモーターボートのチャーター料金は300元でした。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2014-12-30 17:19 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 30日

中朝新国境橋が完成しても開通できない理由

今年10月下旬の朝日新聞の海外面にこんな小さな記事が載りました。
b0235153_1320329.jpg

中国・北朝鮮 国境の橋 完成しても不通(朝日新聞2014年10月21日)

中国と北朝鮮を隔てる鴨緑江にかかる新しい国境橋が10月末に完成する。中国の温家宝首相が2009年の訪朝時に合意した中朝協力の目玉事業。ただ、両国の関係悪化もあって、北朝鮮領内では橋に続く道路が造られておらず、開通のめどはたっていない。

橋は中朝国境の最大都市、丹東の開発区で11年5月に建設が始まった。全長3㎞で片側2車線。中国紙によると、中国側が建設費用を負担した。両国を結ぶ国際列車やトラックが現在も使う日本侵略時代の旧橋(1車線)に比べ、大幅な旅行客や貨物往来の拡大が期待されていた。

中国側では、橋のたもとに「10月30日に完成」という看板がいくつもかかる。だが、橋を渡った地元関係者は「北朝鮮側は舗装道路すらできていない」。工事関係者も「来夏に使用できれば御の字」と言う。

中国側は将来の地下値上がりを見込み、橋のたもとでマンションやオフィスビル建設が続くが、北朝鮮側は田園風景が広がったまま。丹東では「北朝鮮政府が自国側の道路建設費も求めたが、関係悪化もあって中国政府は断った」(事情を知る地元関係者)との声も出ている。


本ブログでもこれまで何回か報告してきた「新鴨緑江大橋」(どうやら正式名は「中朝鴨緑江公路大橋」)が完成したというニュースです。1年半前には「半分くらいできた」状態でしたが、ようやくつながったんですね。

「新鴨緑江大橋が半分くらいできた」と地元の人に聞きました(2013.6.5)
http://inbound.exblog.jp/20555737/

今年10月には完成するという話は、7月に丹東を訪ねたとき、聞いていました。これが2014年7月下旬の写真です。橋自体はこの時期もう北朝鮮とつながっていて、橋桁の道路を整備している様子でした。
b0235153_13204335.jpg

b0235153_1321315.jpg

b0235153_13211556.jpg

b0235153_13212735.jpg

b0235153_1321396.jpg

橋のたもとには巨大なイミグレーションビルが建設中でした。
b0235153_13222585.jpg

朝日に掲載された橋の写真はおそらく完成したイミグレーションビルから撮ったものと思われます。
b0235153_13224546.jpg

工事現場にディスプレイされていた完成図のうち、現在どこまで出来上がっているのかわかりませんが、中朝間の最大の国境ゲートとなるだけに、中国側は相当気合を入れていることがわかります。

一方、朝日の記事にもあるように、「北朝鮮側は舗装道路すらできていない」。2年前から地元の人は同じことを話していました。

それにしても、北朝鮮側のこのやる気のなさはどうしたことか。

しかし、考えてみてください。中朝間の経済格差をいやというほど見せつけられた彼らが素直に中国側に従うとは思えません。では、どうするつもりなのか。中国側は「来夏に使用できれば御の字」と言っていますが、彼らはこれまでどおり、国際情勢の変化を注視し、わずかでも自らの立場が優位に傾く時期を見計らいながら、ずるずる先延ばしにするに違いありません。いますぐこの新橋を通って中国から大量の車両に乗って商人や旅行者が押し寄せてきたら、従来通りの外国人管理や経済統制は困難になるでしょう。そうなったら終わりだと彼らは考えているはずだからです。

同じことは、新橋に近い中朝国境の一部に設定された黄金坪開発区の現況にもいえます。

中朝共同開発の工業団地「黄金坪」はいまだ停滞中
http://inbound.exblog.jp/23944634/

それでも、10月17日から20日にかけて丹東では、3回目となる「中朝経貿文化旅遊博覧会」が開催されました。会場は新橋の架かる丹東新区の国門湾家居生活広場と科技五金城でした。
b0235153_13262237.jpg

中国の国内企業や北朝鮮企業、さらには台湾やパキスタンなどの海外企業も出展していたそうです。

会場には一般市民が訪れ、各企業のブースでショッピングを楽しんでいたとか。北朝鮮の企業ブースで主に扱っているのは、焼酎やビール、ソフトドリンク、ハチミツ、高麗人参、朝鮮絵画、コイン、食器、海産物、衣料など。
b0235153_13264335.jpg

ちょうど同じとき、平壌でも国際見本市が開かれ、中国やヨーロッパなどから300社の企業が参加したと報じられていましたが、北朝鮮としては、自国の企業を育成し、海外に商品を輸出できるだけの競争力をつけることが先決で、新橋によって中国から一気に資本や人・モノの流れが押し寄せてくる事態は、できる限り先送りしたいのが実情だと思われます。

北朝鮮、日本企業を歓迎するもう1つの顔
平壌の大規模見本市に押し寄せる市民(東洋経済ONLINE)
http://toyokeizai.net/articles/-/52275

〔追記〕
中国丹東の不動産市場が沈滞傾向 北朝鮮経済開放への期待外れる
DailyNK(2015年3月3日)
http://dailynk.jp/archives/36503

こうしたことから丹東新区として開発中のエリアも停滞しているようです。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2014-12-30 13:29 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 30日

中朝共同開発の工業団地「黄金坪」はいまだ停滞中

橋の建設自体は完成したものの、朝鮮側の工事がまったく進捗せず、開通もままならない中朝鴨緑江公路大橋のすぐそばに、2011年6月、中朝が共同開発する工業団地の予定地である「黄金坪」があります。

中朝新国境橋が完成しても開通できない理由
http://inbound.exblog.jp/23944673/
b0235153_1355698.jpg

b0235153_136333.jpg

中朝陸の国境では兵士も農民も目と鼻の先(遼寧省丹東市)
http://inbound.exblog.jp/20536355/

今年7月、現地を訪ねてみたのですが、開発はほとんど進んでいないようでした。
b0235153_1365571.jpg

b0235153_1371036.jpg

12年7月に訪れた「黄金坪」の中朝両政府による式典が開かれた会場の門は固く閉じられたままで、時折視察に来た人たちが現れ、記念撮影していく姿が見られます。
b0235153_1372495.jpg

「中朝が友好的に経済発展していく」というスローガンがでかでかと書かれた巨大な看板は2年前から変わっていません。

それでも黄金坪の門から500mほど川下に向かうと、工場団地の用地と思われる巨大な敷地にわずかながらですが、動きが見られました。
b0235153_1381144.jpg

中には入れないので、門から眺めたのですが、建設中と思われる建造物があり、それは中朝による共同開発管理ビルだそうです。
b0235153_1385335.jpg

b0235153_139410.jpg

工場誘致の話はほとんどなさそうなのですが、せめて管理ビルだけこしらえておこうかということらしいです。
b0235153_1393630.jpg

計画図を見る限り、工場団地の立地はかなり詳細に描かれているようです。

でも……。鴨緑江下流域の中州である黄金坪の周辺は、いまでもこんな感じです。
b0235153_1310277.jpg

b0235153_13101543.jpg

[PR]

by sanyo-kansatu | 2014-12-30 13:10 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 30日

丹東の朝鮮人街を歩いてみた

中国遼寧省の丹東は、中朝最大の国境都市であるだけに、多くの朝鮮人ビジネスマンが駐在しています。地元の関係者に聞くと、その数約3000人といいます。
b0235153_12541828.jpg

そんな朝鮮人ビジネスマンたちが集住しているのが「朝韓風情街」というストリートです。
b0235153_12543094.jpg

場所は、鴨緑江断橋の裏手にある税関ビルの通りをはさんだ向かいの二経街です。入り口に門が立っています。
b0235153_12544985.jpg

もともと中国の朝鮮族が多く住んでいたエリアのようですが、いまでは胸にバッチを付けた朝鮮の人たちが歩いている姿をよく見かけます。彼らは皆白いシャツにスラックス、肩掛け鞄といういでたちです。目つきの鋭さから地元の中国人とは一目で見分けがつきます。
b0235153_1255245.jpg

通りにはハングルが目につきます。古い集団住宅の1階が商店で、2階以上の住居スペースを一部招待所(ホテル)として利用しているようです。
b0235153_12584024.jpg

b0235153_1258548.jpg

b0235153_1259782.jpg

生活必需品を中心に安く販売する商店があり、朝鮮の人たちもよく購入していくそうです。
b0235153_12593033.jpg

b0235153_12594131.jpg

朝鮮人ビジネスマンには、中国で仕入れた商品を自国で売りさばくケースと、最近では朝鮮産品を中国市場で売り込むケースがあるようですが、後者はまだ十分成果があるとは思えません。ただ今年10月、丹東で開催された中朝経貿文化旅遊博覧会のような見本市で自国の商品をPRするなど、こうした動きは進んでいくと思われます。

※中朝経貿文化旅遊博覧会については以下参照。

中朝新国境橋が完成しても開通できない理由
http://inbound.exblog.jp/23944673/

今年7月、ぼくがちょうど丹東の朝鮮人街を歩いていたころ、朝日新聞のこんな記事が出ました。

「中韓接近」の理由 北朝鮮が情報収集 中国在住の貿易商に指示(朝日新聞2014年7月26日)

北朝鮮政府が今月中旬以降、中国に派遣する自国の貿易商を呼び戻し、中国と韓国の外交関係についての情報収集を命じていることがわかった。中韓は習近平国家主席が今月上旬、北朝鮮首脳との面会に先だって訪韓するなど急速に接近。「血盟関係」とみてきた中国の動向に、北朝鮮が警戒を強めている。

中朝貿易に携わる複数の北朝鮮人貿易商らによると、中国東北部の遼寧省に住む北朝鮮人貿易商が7月中旬に平壌に呼ばれ、政府幹部から指示を受けた。中韓接近の理由や経済協力の現状、中朝貿易への影響などについて、取引相手の中国企業などを通じて情報収集を求める内容という。

中国各地には計数千人の北朝鮮人貿易商が派遣されているとみられる。全体で何人呼び戻されたかは不明だが、遼寧省瀋陽の北朝鮮人貿易商は「ほとんどの貿易商が呼ばれた」という。

中国は、金正恩第1書記が昨年2月に強行した3回の核実験などに不満を強めてきた。乞暮れ年安全保障理事会の制裁に加わるほか、石油輸出も制限。中朝関係の冷え込みが続く。

外交筋などによると、北朝鮮は石油の輸入先を多角化するなどの対策を取るが、貿易量の大半を頼る中国との関係悪化は死活問題だ。北朝鮮高官の側近は「情報収集は中国の出方を見極めるためで、今後の日本とのつきあい方にも影響する」と語る。

中朝関係の悪化が伝えられるなか、朝鮮側も中国との関係改善をいつまでも放置しておくわけにもいかないことは当然でしょう。海外に送り出す朝鮮人ビジネスマンもその大半はやはり中国にいるわけですし、国際見本市を開けば海外から出展してくるのも中国が最大規模という現実は変わらないのですから。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2014-12-30 13:01 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 29日

朝鮮族民俗村に描かれた民族の出自と自画像について

朝鮮族の姜さんは延辺博物館にぼくを連れて行くのは気乗りがしなかったのに、進んで案内してくれた場所がふたつあります。

延辺朝鮮族自治州60周年と延辺博物館の冷めた関係
http://inbound.exblog.jp/23940038/

それは「平江」「百年部落」でした。

19世紀後半に朝鮮から延辺に入境してきた人たちが最初に開墾したのが、延吉の南西に位置する和龍市から龍井市にかけての30kmに及ぶ平原で、「平江」と呼ばれているそうです。「海兰江」(해란강)という河が中央を流れています。もともと森林だったこの地を水田に変えたのは朝鮮族なのです。姜さんによると、平江は「延辺朝鮮族の母なる大地」だそうです。
b0235153_14542045.jpg

同じ時期に漢族も入植し、トウモロコシ畑を広げました。
b0235153_1454417.jpg

この地方の朝鮮族の住む民家の壁には民俗の暮らしを伝える絵が描かれています。
b0235153_145451100.jpg

もうひとつの場所は「百年部落」で、そこは朝鮮族の民俗村です。

中朝国境に近い図們市月晴鎮白龍村の金京南村長が1870年代に建てられた古い民家を修復展示し、朝鮮族の民俗文化を体験できるようにした施設です。朝鮮族がこの地に入境してきた当時の生活道具などを集めた博物館や民謡の演奏スペース、レストラン、宿泊施設があり、1年を通じて四季折々の朝鮮の祭事が開催されます。

これが年代ものの朝鮮民家です。
b0235153_14565036.jpg

内部を観覧できます。
b0235153_14573027.jpg

釜戸やオンドルがあります。
b0235153_14573824.jpg

トウガラシは欠かせないアイテムです。
b0235153_14574610.jpg

b0235153_14575319.jpg

観光客はバスに乗ってやってきます。
b0235153_150252.jpg

朝鮮の民族衣装に着替え、記念撮影したり、歌い踊ったり。
b0235153_1501270.jpg

地元の人たちが朝鮮民謡などを奏でます。
b0235153_15444562.jpg

「百年部落」の演奏(動画)
※ただし、このときは観光客が漢族だったらしく、朝鮮民謡ではなく、中国の曲を奏でているようです。
http://youtu.be/LE6RBn480cU
b0235153_1512593.jpg

この方が館長の金京南村長です。一部私財をなげうって施設をこしらえたそうです。「時代の変化は早い。我々の先祖の生活文化を誰かが残しておかなければと考えたのが、民族村をつくった理由」と話していました。
b0235153_1513586.jpg

金館長に私設博物館の中を案内してもらいました。倉庫のような施設の中には、朝鮮たんすや生活道具などが置かれています。
b0235153_1521863.jpg

正面の壁に朝鮮族の来歴と暮らしを物語る絵巻物のような絵画が飾られていました。
b0235153_1522653.jpg

以下、図們江(豆満江)を渡って対岸のこの地に来た一家の様子から始まり、春夏秋冬、婚礼の祝いなど、朝鮮族がこの地に根付くに至る100年の歴史が描かれます。まさに延辺朝鮮族の自画像ともいうべき世界です。地元の画家が描いたそうです。
b0235153_152439.jpg

b0235153_152532.jpg

b0235153_153472.jpg

b0235153_1531314.jpg

b0235153_1532280.jpg

b0235153_1533393.jpg

b0235153_153423.jpg

b0235153_153581.jpg

b0235153_1541022.jpg

百年部落では、朝鮮料理の食事が楽しめます。これはタッコンといって、延辺名物の汁なしサムゲタン(参鶏湯)です。餅やマッコリも用意してくれました。
b0235153_1542844.jpg

食事は小部屋(14室)に分かれた個室でいただきます。
b0235153_1543757.jpg

百年部落は、延辺朝鮮族にとって失われた家郷を再現した場所なのだと思います。

「失われた」とあえて書くのは、たとえば金館長のご家庭にしても、奥さんは韓国、お子さんは北京で働いているというわけで、こうしたことは今日の延辺朝鮮族の人たちにとってはごくふつうのことです。決して不名誉なことと彼らも考えているわけではないでしょう。

こうして100年前にこの地に家族と一緒にやって来た彼らは、いまや散り散りに暮らしているのです。館長が民族村をつくった背景には、この現実があろうかと思います。

実は、延辺朝鮮族自治州の観光局がつくったパンフレットにも、百年部落で行われる季節ごとの祭事が載っています。ここは政府公認の施設でもあるのです。朝鮮族の人たちが、延辺博物館のような政治的な空間ではなく、百年部落のような朝鮮の素朴な民俗や食事を味わえるスポットに外国人を連れてきたいと考えるのは理解できます。

もちろん、このような中央の意向に沿って政治的に脱色されたスポットの存在についてあれこれ訝しく思う気持ちがぼくにもまったくないわけではありませんが、ただでさえ、少数民族という境遇からくる政治の力学を日々感じながら生きている彼らにとって、そこで表出される自画像や自らの出自をめぐる歴史認識が無理なく好ましいものとみなされることは、せめてもの救いといえるかもしれない気がするのです。
[PR]

by sanyo-kansatu | 2014-12-29 15:05 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 12月 29日

延辺朝鮮族自治州60周年にできた延辺博物館と朝鮮族の冷めた関係

延辺博物館は、2012年9月の延辺朝鮮族自治州創立60周年を記念してオープンした文化施設です。場所は、延吉市(中国吉林省)の市街地西部に位置する朝陽川空港の近くで、現在進められている大規模な新都市建設区域にあります。
b0235153_11212048.jpg

延辺博物館
http://www.ybbwg-china.org
b0235153_11214778.jpg

まるで平壌の人民文化宮か!? と見紛うばかりの朝鮮風の大講堂で、3階に分かれた展示コーナーでは、吉林省東南部にあたる延辺地方の歴史を扱っています。大きく3つに分けると、古代史、朝鮮族が入境して以降の近現代史、そしてお約束の抗日プロパガンダ史です。

まず2階の近現代史のコーナーですが、かつて間島と呼ばれたこの地に朝鮮族が大挙して入境した19世紀後半以降の歴史や独自の民俗文化、生活習俗などを、実物大蝋人形を多用しながら、わかりやすく展示しています。
b0235153_11222618.jpg

b0235153_11224959.jpg

最近新設される中国の博物館はどこも蝋人形だらけということにお気づきの人もいるでしょう。こんな子供だましみたいな展示には価値がない。そう思われる人も多いかもしれませんが、ぼくはそんなに嫌いではありません。カラフルな衣装を身に付けた朝鮮族たちが遊び戯れる姿は、それが史実にどれだけ合うかどうかはともかく、とっつきやすいし、見ていて楽しいものです。
b0235153_1123913.jpg

朝鮮文化の根幹にかかわる「族譜」や伝統的な儒教道徳に関する展示品なども置かれています。
b0235153_11233264.jpg

b0235153_11234853.jpg

b0235153_1124417.jpg

b0235153_11241975.jpg

この地に稲作を根付かせた農耕に関する展示も。
b0235153_11244350.jpg

b0235153_11245746.jpg

なにしろ中国で最もふっくらおいしいお米がとれるといわれる延辺です。いまでも延辺では人の手で田植えをする姿が見られるのですが、実際には農民の大半は漢族といわれています。

さて、延辺博物館の評価をどう考えるかですが、そもそも朝鮮族を主人公にしたわずか100年そこそこの近現代史を語ろうとしても、価値のある展示物をあれこれ探し出すこと自体にそもそも無理があったというべきかもしれません。そこで蝋人形を使って朝鮮族の民俗風習を描こうとするのは、ある意味仕方がないのでしょう。でも、当の朝鮮族の人たちはこの展示をどう思っているのでしょうか。

この博物館を案内してくれたのは、日本留学経験もある30代の朝鮮族の姜さん(男性)でしたが、彼はここにぼくを連れてくるのはあまり気乗りがしないようでした。特に、抗日プロパガンダ史のコーナーの前では「ここは見なくていいですよね」とスル―しようとしたので、「まあそう言わず」と入ってみたのですが、見せるべき展示品が少ないせいか、相変わらずおどろおどろしい写真で埋め尽くされていました。
b0235153_11261662.jpg

このコーナーの見せどころは、雪原で戦う抗日義勇兵の蝋人形の展示でしょうか。
b0235153_112855.jpg

それでも、朝鮮族が最初に開拓した20世紀初頭の龍井のまちを蝋人形を使った展示では、背景のスクリーン画像に当時の間島日本領事館らしき建物が写っていて印象的でした。
b0235153_11282789.jpg

中国東北地方には土地柄、この手のプロパガンダ施設は山ほどあります。これは朝鮮族には限りませんが、友好的な中国人の多くは、日本人にはこの手の場所はなるべく足早に立ち去らせようとするところがあります。なぜって、こんなに生々しく陰惨な展示を見終わったあと、お互い何事もなかったかのようにふるまうのは難しいのが人情だからです。

特に朝鮮族の場合、中国国民として日本を悪者に仕立てるのは仕方がないとしても、共産党の治世が70年近く続くなか、漢族だってずいぶん我々にひどいことをしたじゃないか。そういう気持ちを内心に秘めていると感じることがあります。

さらに、前述した近現代史の展示を見ていて、いまさらながら感じるのは、漢族のまなざしは明らかに朝鮮族を少数民族という下位民族とみなしていることです。雲南省あたりの少数民族と同様に、蝋人形の展示でお茶をにごされている、という言い方だってできるでしょう。
b0235153_11291928.jpg

実際延辺の歴史なんてそんなところじゃないかという話はありますが、自尊心の強い朝鮮族の人たちにとって、これは内心屈辱的なことではないでしょうか。現在、延辺朝鮮族自治州に住む朝鮮族の比率が3割にまで低下している背景にも、この地と自らの来歴に自信が持てないこと、すなはち民族的、歴史的にみて誇れるものを博物館に展示することができない彼らの無力感があるように思います。

さらに、朝鮮族に複雑な思いを引き起こさせるものに、3階の石器時代から始まる古代史のコーナーがあります。ここは撮影NGでした。理由は、7世紀末にこの地に君臨した渤海の遺跡から発掘された文物の展示と関係があります。

実は、延辺地方で発掘された渤海の重要な文物の多くは撤去されていたからです。そのほとんどは吉林省の省都である長春の博物館に持っていかれたのだろうということです。同じことは黒龍江省でも見られました(→奈良・平安時代に日本と交流していた渤海国の都城跡(上京龍泉府遺址)http://inbound.exblog.jp/23955554/)が、それを物語るように、渤海の展示スペースには、空のガラスケースと解説パネルだけが残っていました。

「こういう姿をお見せするのは恥ずかしいことです」と彼は言いましたが、これも渤海が中国の「地方政権」であると主張する政府の意向によるものだと考えられます。「地方政権」である以上、貴重な文物は地方ではなく、省都にある上位の博物館に展示するべきである!? でも、本当は同族である韓国人が多く訪れる延辺の地に、彼らの歴史論争に火をつけかねない文物を置いておきたくないということではないでしょうか。

実際、延辺にあるふたつの渤海遺跡(西古城、八連城)は、現在フェンスで囲まれ、外国人の訪問が許されていません。

渤海国の遺跡を隠したいのは誰だ?
http://inbound.exblog.jp/23955813/

ぼくはこれらの展示をみて、これまで述べたようなことも含め、朝鮮族の彼が館内を案内するのを気乗りしなかった理由、すなはち延辺博物館と朝鮮族の冷めた関係をあらためて理解したのでした。この博物館の名称をめぐって、オープン前の12年当時論争があったそうですが、地元が主張する「中国朝鮮族博物館」という名称は却下され、現在の名称になったそうです。当局は民族名を残したくなかったということでしょうか。

さて、近現代史のコーナーの最後には、これもお約束ともいうべき躍進する延辺経済を標榜する展示がありました。現在着工中の高速鉄道がついには長春から琿春まで延伸されるといいます。これまで夜行列車を使っていた延辺と長春の移動がわずか3時間でつながるわけです。
b0235153_11305258.jpg

この写真の人物は、以前の自治州長です。延辺自治州政府のサイトによると、現在の州長は李景浩という人です。
b0235153_11311142.jpg

延辺朝鮮族自治州政府
http://www.yanbian.gov.cn/

今年7月延辺に来て、延吉市の郊外のインフラ開発がすごい勢いで進んでいることを実感しました。仁川経由のフライトで現地入りしたのですが、着陸前の眼下に広がる市の西方の巨大なマンション建設群がそれです。これは延辺大学などがある旧市街から西へ10数km離れた場所で、まったく新しい都市が生まれようとしているように見えました。
b0235153_11315312.jpg

これは延吉市に限ったことではなく、多くの中国の地方都市で旧市街から離れた場所に新都市(新区)開発が進められています。そこには無数のマンションが林立しており、豪奢な市庁舎はいち早くそちらに移っているようです。

こういう中国式ニュータウンの生成を見るにつけ、いつも思うことがあります。いったいこれは誰のためのニュータウンなのだろうか。それとも、意地悪く言えば、これが世にいう地方政府の債務増大を象徴する光景ということなのか。

中国の地方開発はどこでもこんな感じです(まちづくりの観念は欠落。不動産販売が優先)
http://inbound.exblog.jp/20618946/

はたしてこれから延辺はどう変わっていくのでしょうか。これからも見届けていくことしたいと思います。

ちょっと古い情報ですが、この地域の概要をつかみたければ、ジェトロの発行している「延辺朝鮮族自治州概況」(JETRO2012年 5月 )が参考になります。
https://www.jetro.go.jp/world/asia/cn/tohoku/pdf/overview_yanbian_201205.pdf
[PR]

by sanyo-kansatu | 2014-12-29 11:33 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)