ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2015年 08月 12日

チプサム革命史跡は日本時代の別荘地だったに違いない

清津から七宝山に向かう途中にある鏡城郡で、温堡温泉以外にもうひとつ訪ねたのは、チプサム革命史跡でした。
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「共産主義テーマパーク観光」がその実態である朝鮮旅行では、ほぼ毎日のように革命史跡を訪ねることになるのですが、その大半が虚構の歴史を扱っているとしか思えません。そのため、まじめに観る気にはなれないので、本ブログでもほとんど触れていないのですが、この史跡はちょっと面白かったので、紹介しようと思います。

朝鮮側の資料によると、ここは金正日将軍と金正淑女史の革命事跡だそうです。場所は鏡城郡温大津里チプサム村にあります。

ここでは金親子が滞在したとされる住居が革命史跡として紹介されます。チマチョゴリを着た彼女が、同国のテレビアナウンサーのような滔々とした口調で解説をしてくれます。
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ただし、ガイドたちは彼女の話を通訳する気はなさそうです。かつて日本人旅行者が多かった90年代にはそんなこともなかったのかもしれませんが、いまや圧倒的多数派である中国客は、朝鮮の建国史の唯我独尊ぶりを大ブーイングしてきたことから、彼らも聞かれないかぎり、外国人に通訳しても仕方がないと思うようになったのではないでしょうか。実際、彼ら自身どこまで本気で信じているのかあやしいものです。

興味深いのはその住居の中の様子です。

金日成将軍とその家族がこの家に滞在したことを示す写真が飾られています。といっても、金正淑女史は1949年に亡くなっているそうですから、その少し前に撮られたものでしょう。

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さて、住居の中は当時の日本の文化住宅そのものです。これほどきれいに残されているのは珍しいことではないでしょうか。
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書斎は畳の間になっています。オンドルも敷かれているようです。
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炊事場や倉庫も残されていて、ここはおそらく日本時代の富裕な階層の別荘、あるいは官舎だったのではないでしょうか。
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玄関の雰囲気も、いまの日本ではほとんど見ることのできない昭和の住宅です。
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この住居の周辺は同じような文化住宅が点在していて、戦前の軽井沢のような別荘地の趣があります。通りは整備され、並木もていねいに植えられています。革命史跡ゆえにこれほどきれいに残されたのでしょうが、とにかく朝鮮の人たちは清潔好きで、清掃が行き届いています。これは中国との大きな違いでしょう。
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日本時代の住居は中国東北地方にはもうほぼ残っていませんが、朝鮮には残っている。これも面白い現象です。
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羅先にも同じような革命史跡がありましたが、それも日本の住居でした。こちらもきれいに残されていました。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-12 10:35 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 08月 12日

鏡城温堡温泉(朝鮮)は日本式の温泉郷ではなく、ロシア式サナトリウムでした

清津から七宝山に向かう途中に鏡城というまちがあり、その少し北に温堡温泉があります。休火山である白頭山系に属する七宝山の周辺には温泉が多く、戦前期から知られる朱乙温泉のような温泉街もあるはずですが、外国人に開放されているのはここだけのようです。
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そこは日本式の温泉郷ではなく、ロシア式サナトリウム(温泉療養所)でした。

館内に入ると、温泉の入り方や効能など図解と説明が延々書かれています。
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朝鮮側の提供する資料によると、泉質は水素炭酸ナトリウム、硫酸ナトリウムを含む鉱物質希薄珪土泉。効能は関節炎、神経痛、高血圧、婦人病、ガスおよび鉛中毒、慢性大腸炎、手術後遺症、十二指腸潰炎、胃炎などと書かれています。「ガスおよび鉛中毒」というのがよくわかりませんが、飲用もされるようです。

湯船は個室に分かれていて、こんな感じです。情緒はまったくありませんが、お湯は源泉そのものでとても良かったです。湯上り後は、身体の内側からホクホクしてくるような湯の力を感じました。
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これは中国東北地方でも同じですが、かつて日本が大陸や朝鮮半島につくった温泉は日本の温泉郷のような遊興地でした。いまでも現存する遼寧省鞍山にある湯崗子温泉や丹東の五龍背温泉には、日本時代の温泉施設が残っていますが、解放後、ソ連軍が入ってきてから、一部を残しながら、大半はロシア式のサナトリウムに変わってしまいました。これはいい悪いの話ではなく、この地域の覇権が日本からロシアに移ったためで、現在の北朝鮮の温泉地はたいてい療養地になっています。唯一違うのが、金剛山に1990年代後半につくられた韓国資本の温泉施設でしょうか。こうして朝鮮半島の南北で温泉の形態が異なっているというのは、面白いですね。

明治の文豪も訪ねた満洲三大温泉はいま
http://inbound.exblog.jp/23954021/

そばには日本時代のものを思われる給水塔が建っていました。この周辺の水はミネラル分が高いということで、水を汲みにくる地元の人たちの姿も見ました。
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この温泉療養所の近くに温泉ホテルがあります。蔦に覆われた外観が印象的です。
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客室には個室風呂があり、温泉です。これもいいお湯です。
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温堡温泉の周辺は美しい並木に囲まれた避暑地のようです。そこにはいわゆる革命跡地になっています。その話は次回に。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-12 10:28 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 08月 11日

清津電子図書館見学と「共産主義テーマパーク観光」

2014年7月上旬、清津を訪ねたとき、案内されたのが清津電子図書館でした。
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ガイドがいうには、この施設は2011年にオープンしたそうです。清津市民なら誰でも利用できると言います。本当でしょうか。

館内に入ると、PCを使って本の検索をしている人たちがいました。
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また館内正面のフロアでは、子供たちを中心にPCを使っています。なかにはゲームで遊んでいる子もいましたが、仕事をしているような大人もいます。
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これはデザインソフトを教える講座だそうです。
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インターネットを使える部屋に行くと、ある記事を見せてくれました。実は、ぼくが清津を訪ねた前日(昨年7月4日)は北朝鮮に対する日本の経済制裁の一部が解除された日でもあるのです。
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5月の日朝合意に基づく我が国の対北朝鮮措置一部解除
http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201407/__icsFiles/afieldfile/2014/07/04/20140704siryou2_1.pdf
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「政府は4日の閣議で、北朝鮮に対して日本独自で行っていた制裁の一部解除を決定した。閣議では、全面禁止していた北朝鮮籍船舶の入港について、医薬品や食料品の輸送など人道目的に限り解除を決定。併せて、北朝鮮籍者や当局職員の入国禁止、北朝鮮への日本人の渡航自粛など人的往来の制限▽北朝鮮への10万円超の現金持ち出しの届け出義務と300万円超の送金の報告義務−−の制裁も政令改正などで解除した」(朝日新聞2014年7月5日)

これ自体は偶然とはいえ、ちょっと驚きました。

紙の書庫もあります。日本語書籍も相当蔵書があるそうです。
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女子学生が勉強している様子も撮らせてくれます。こういうのは、宣伝になるからいいんですね。
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彼らは見せたいものを見せ、見せたくないものは見せない。「共産主義テーマパーク観光」とはまさにこういうことをいうんですね。
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帰国後、これらの写真を朝鮮通の人に見せたところ、「ここにいる人たちはすべて動員されたのかもしれない」なんてことを言います。

しかし、清津をこの日訪れた2名の日本人のために彼らはそこまでやるものだろうか…。ぼくにはおよそ信じられないのですが、2013年夏、わずか80名の外国人のために10万人規模のマスゲームを実施した国のことです。

なんでも今年平壌ではマスゲームをやらないと聞いています。そりゃそうでしょう。さすがに、あんなにバカバカしい労役がいまの平壌では許されなくなっているのではないでしょうか。でも、その話を聞くと、逆に清津のような地方都市での動員は現実のものにも思えてきます。

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by sanyo-kansatu | 2015-08-11 20:01 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 08月 11日

清津(朝鮮)の路面電車とトロリーバス

2014年7月上旬、清津を訪ねたとき、車窓からすれ違う路面電車とトロリーバスを撮りました。

Wikipediaの「清津市電」によると、「市内には1999年に開業した路面電車(軌道電車、清津市電)、トロリーバス(無軌道電車)が運行している。

清津には1970年にトロリーバス(無軌道電車)が開業していたものの、電力不足により運行本数が激減していた。またゴムの不足によるタイヤなどの整備不良や、輸送力が低いという問題も抱えていたため、平壌市における路面電車投入が成果を収めたことから、1990年代末に清津における路面電車の敷設が政府により決定された。

金正日立会いの下、1998年11月より人力に頼った敷設工事を開始し、1999年7月2日に開通した。第一次開業区間は南清津~鳳泉洞間の6kmである。2000年にはサボン~南清津間が延伸され、総延長は13kmとなった。 しかし、その後は資源不足もあって延伸がなされず、予定路線32kmのうち上記の区間が開業しただけであるという。車両は平壌から運ばれたと伝わる。

電力不足の深刻化により、一時期運行が停止されたが、最近は運行が再開されている」(出典『将軍様の鉄道 北朝鮮鉄道事情』(国分隼人著、2007年 新潮社)。

北朝鮮のガイドは決して車を停めてじっくり写真を撮らしてはくれないので大変です。運転手も嫌がらせのようにトップスピードで清津の駅に向かうメイン通りを駆け抜けていきます。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-11 18:20 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 08月 11日

ようやく撮らせてくれた朝鮮の漁村の遠景ショット

とにかく朝鮮のガイドは写真を勝手に撮るのを許しません。これは職業上、ひどいストレスになります。1日中不快な気分が持続しているようなものです。まったく気が晴れないのです。こちらは見るもの聞くもの、面白いと思ったらなんでも撮ってしまいたいからです。普段はどこに行ってもそうしているのです。

※2014年7月上旬、北朝鮮咸鏡北道の七宝山を訪ねた話をしています。

七宝山(チルボサン)は金剛山とは似て非なる朝鮮の名峰
http://inbound.exblog.jp/24765755/

毎日のようにガイドと言い合いになります。こちらとしては、景勝地や女子供の歓迎の舞踊ショーなどはもう飽き飽きで、本当に撮りたいのは、朝鮮の人々の暮らしぶりや表情が伝わるカットなのですが、それがいちばんこの国ではNGなわけです。

今回いちばん腹が立ったのは、清津から七宝山に向かう鏡城の海岸沿いにある鏡城邑城という高麗時代の城郭跡のそばを通りがかったとき、一部城壁が見えたにもかかわらず、撮影を拒否されたことでした。理由は、1991年に刊行された「朝鮮観光案内」(朝鮮新報社)の以下の鏡城邑城に関する記述にあるようです。
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「鏡城郡勝岩労働者区にある鏡城邑城は、勝岩山を背にして鏡城平野にそびえる代表的な平地城である。

12世紀の始めに高麗の尹瓘将軍が女真を追い北方の要塞として固めたところで、李朝に入っていまの名がつけられた。

その後1615~6年に大幅に拡張、改修された鏡城平野は壬辰戦争の際、若き義兵将鄭文孚が、二王子を縛り加藤清正に寝返った鞠世弻を処断し、侵略者撃滅に立ちあっがった歴史的なところである」。

加藤清正の因縁ゆえ日本人は立ち入りを許さないというのではなさそうです。冒頭の「鏡城郡勝岩労働者区」に位置することが問題なのです。

確かに、ちらりと見えた古い城壁の周囲には、へばりつくような低い家々が並ぶ漁村がありました。どの家の屋根の上にもするめが干されていたことが印象的でした。漁民の暮らしぶりがうかがえるとても迫力のある集落でした。しかし、それは彼らが外国人には見せたくない労働者の世界だったのです。

なぜダメなんですか? そう尋ねると、ガイドは言います。「貧しい人民の姿を撮った写真を宣伝に使われては困ります」。「誰がそんなことをするのです。それに、貧しいことは恥ずかしいことではないでしょう」。そうはっきり言ってやると、彼らも一瞬黙り込みますが、最後は「我々の首が飛ぶからやめてください」と泣きが入るというわけです。

こうした北朝鮮のガイドたちの頑なな構えは、改革開放の始まった1980年代当時の中国とはまったく違います。当時中国では、外国人がどんな写真を撮ろうと、止められることはほとんどありませんでした。もちろん、その街の浮浪者や貧民窟に類する場所にあからさまにカメラを向けると問題があったかもしれませんが、市井の人民の生活の様子を撮ることで「海外の宣伝に使われるから困る」などとは、彼らは言いませんでした。この違いは何でしょうか。

そういう押し問答の日々でしたが、ほとんど唯一朝鮮東海岸の村落のカット(といっても、かなり遠景です)を撮るのを許されたのが、この写真です。
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場所は七宝山の北側の山道から見えた海岸線の小さな漁村です。風光明媚な海岸線にこの土地の伝統的な民家が並んでいます。鏡城邑城の周辺にあった労働者区に比べると、整然とした集落でした。

こういう村をゆっくり歩いてみたいものだと思わせる光景です。今日の世界で、近代以前の風景がじかに見られるような場所はもうどこを探してもほとんどないからです。どんな辺境の地でも現代文明が入り込んでいます。観光用に白粉直しをされたものではなく、そのままの姿で残っているということ自体が奇跡的ともいえます。それがいまの朝鮮にはあるのです。「アジア最後の秘境」といっていいでしょう。それなのに……。
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ガイドが写真を覗いてくるので、ついいやみを言ってやりたくなりました。「今回朝鮮に来て、これがいちばんフォトジェニックなスポットですね」。

これまで見た七宝山のどんな景観に比べても、あなたたちが恥ずかしいと隠そうとする朝鮮の漁村の風景のほうがずっと美しい。そう言ってやりたくなったのです。

ガイドは薄笑いを浮かべていました。その瞬間、ちょっと大人げなかったなと反省したものです。この後味の悪さ、朝鮮旅行につきものです。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-11 17:55 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 08月 11日

朝鮮でホームステイ その奇妙な世界

海水浴場での昼食が終わった後、案内されたのがとても奇妙な場所でした。
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※2014年7月上旬、北朝鮮咸鏡北道の七宝山を訪ねた話をしています。

七宝山(チルボサン)は金剛山とは似て非なる朝鮮の名峰
http://inbound.exblog.jp/24765755/

そこは「海七宝民泊宿所」と呼ばれる2004年にできた民泊施設です。まるで住宅展示場のように朝鮮式の一戸建て民家が並んでいます。なんでも外国人向けのホームステイのための施設だそうで、それぞれ住人も住んでいるというのです。

一軒の家に案内されました。1階は住人の生活する場所で、2階に外国人を泊めるのだそうです。

応接間にはテレビや冷蔵庫が揃っています。
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厨房を覗くと、きれいに食器が並んでいます。
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お約束の金日成・正日親子の肖像写真が飾られています。
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2階の客室です。
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ベランダもあります。
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トイレです。
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このご夫婦が住人です。
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もう一軒を訪ねました。
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この家には母親と小さな娘が住んでいました。
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男性ふたりはガイドです。金親子の肖像画や娘の写真などが貼られています。
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これらの光景を目の前にしながら、そして促されるまま写真を撮っているときに、平壌の高層マンションに住む模範市民の家庭を金正恩第一書記が訪問したというニュース映像を思い出しました。たぶん、ここも同じような場所ではないか。このさびれた漁村の周辺で電化製品に囲まれた文化生活を送る人たちがいるということ自体、おかしなことだからです。
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このあどけない娘の笑顔には癒されますが、この国の人たちはこの奇妙な世界をどう受け止めているのでしょうか。また住人本人もどう考えているのか。単に外国客の接遇役という職務に従事しているだけなのかもしれませんが。

3軒目に訪ねたのが洋風一戸建て住宅でした。
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2階の客間はベッドがあります。欧米客向けなのでしょう。
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ここには全部で20の民家があり、そのうち西洋式は6軒、朝鮮式が14軒です。ガイドがこんなことを言います。「ここには中国人やヨーロッパ人が泊まっています。現在、あなたがた日本人とアメリカ人は泊まることは許されていません。でも、近いうち日本人も泊まれるようになるでしょう」。
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面白いのは、各民家の前には必ず畑があり、裏手には暖をとるための薪木があり、鶏が飼われています。するめを干している人もいます。確かに、ここは生活の場でもあるようです。
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逆にいえば、こうした電化製品と畑と薪木と鶏に囲まれた生活というものこそ、いまの朝鮮の人たちにとって誰もが思い浮かべる理想の生活なのではないでしょうか。それは外国人に見せても決して恥ずかしいものではないと彼らは考えているのでしょう。接遇役として選ばれたこの宿所の住人も、平壌の模範市民に近い存在として自分の役割を受けとめているのかもしれません。

ガイドに「次回来たときはここに泊まるといい」と言われたものの、苦笑するしかありませんでしたが、これはこれでこの国でこれまで大真面目に行われてきた国際交流のひとつの形態なのかもしれません。彼らが外国人に理解してもらいたい自らの自画像こそ、このような恵まれた暮らしを送る人民の姿ということなのでしょう。

この施設の中にはレストランもあります。海水浴場の食事を用意してくれたのは、ここのレストランのスタッフでした。このあたりには、外国客を受け入れられる施設はここしかなさそうです。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-11 16:39 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 08月 11日

海七宝の海水浴場と遊覧ボートとにぎやかな食事風景

外七宝の展望台から見下ろしていた海岸線に下りてきました。このあたりは「海七宝」と呼ばれ、北は漁郎端から南は舞水端に至る約60kmにかけての断崖絶壁や荒波で削られた奇岩などからなる海浜景勝地です。
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※2014年7月上旬、北朝鮮咸鏡北道の七宝山を訪ねた話をしています。

七宝山(チルボサン)は金剛山とは似て非なる朝鮮の名峰
http://inbound.exblog.jp/24765755/

車は海水浴場にやってきました。きれいな海です。子供たちが海水浴を楽しんでいます。
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ボートが近づいてきました。これから遊覧ボートに乗るんだそうです。
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海が碧いです。さすがに汚染されていない海の色です。
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これから海七宝の珍しい岩場を見に行くのかと思ったら、ボートはすぐに折り返し、砂浜の見える海岸線を北に向かって走り出しました。あれあれ。

漁民を乗せたボートと海水浴客のための施設も見えます。
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海鳥たちのコロニーのそばを抜け、あっという間の遊覧でした。
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ガイドたちは地元の海水浴客たちに近づかないよう注意するので、海の上から軽い望遠で撮ってみました。漁村の写真も撮るなとうるさいのです。彼らにとって朝鮮の漁村は遅れていて、外国人に見せたくない場所のようです。
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なんとも拍子抜けの海七宝遊覧でしたが、にぎやかな昼食が待っていました。
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食事の場所は、海水浴客のための施設の中でした。テーブルに揚げ魚やスケソウダラの煮付けなど、咸鏡北道の地元海産料理が並んでいました。

追加で地元の海で採れたというウニや貝類を選んで注文できます。ただし、ウニはあまり新鮮ではなさそうです。
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彼女たちがウニを割ってくれます。彼女たちは地元の子のようです。
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具の中身はかなりさびしいものがあります。ガイドによると、このあたりの海でもウニの採り過ぎで、身のぎっしりつまった上物は海深く潜水しないとなかなか採れないそうです。実は、清津から七宝山にかけての海は昔からウニが有名でした。戦前の旅行ガイドなどに必ず書かれているのが、清津に来たら必ずこれを食すべし、として紹介されるウニのおかゆです。
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このおじさんは羅先朝鮮国際旅行社の部長さんです。とにかく酒好きで、それが理由で我々一行についてきたんじゃないかと思われるほど、昼も夜も酒をガンガン飲んでいました。もちろん、支払いはこちらもちです。たまったもんじゃないのですが、いかにも人のいい田舎のおじさんという感じで、このときも、食事を用意してくれた近くの民宿ホテルの女性スタッフの肩を抱いてじゃれまわっています。平壌にいるきまじめな日本語ガイドに比べると、よほど気が休まるともいえます。
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施設の中にはシャワー室やレンタル浮き輪のカウンター、そして外にはビーチバレーのコートがありました。
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元山の海水浴場でもそうでしたが、朝鮮の東海岸は海がきれいで、環境を保護しながらきちんと無理なく開発することができれば、周辺国から行楽客も訪れる国際観光地になれる素地はありそうです。そのためには、投資を呼び込み、アクセスのための交通を整備することが不可欠ですが、現状では、やることなすこと中途半端なので、簡単ではないだろうというのが率直な印象です。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-11 15:16 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 08月 10日

中国図們発七宝山ツアーの特別列車を撮る

清津から七宝山に向かう道中、車の中から鉄道車両が走る姿を見ました。
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※2014年7月上旬、北朝鮮咸鏡北道の七宝山を訪ねた話をしています。

七宝山(チルボサン)は金剛山とは似て非なる朝鮮の名峰
http://inbound.exblog.jp/24765755/

英語ガイドは言います。「あれは中国のツアー客を乗せたわが国の特別列車です。図們から明月まで走ります」。

これがそのルートです。中国吉林省図們から七宝山のふもとの明月まで。戦前期の鉄道でいうと、満鉄北鮮管理局線の図們線で図們から会寧へ、咸鏡線に乗り換え清津へ、さらに遮湖線で明川までを走ることになります。
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この列車は2012年より運行しているようです。

北朝鮮への観光列車が4月末開通、吉林省図們市から七宝山へ(レコードチャイナ2012年4月17日)
http://www.recordchina.co.jp/a60511.html

「2012年4月16日、新華網によると、中国吉林省延辺朝鮮族自治州図們市と北朝鮮の観光地・七宝山(チルボサン)を結ぶ観光列車が4月末に開通する。

七宝山は北朝鮮の咸鏡北道(ハムギョンプクト)に位置し、「咸北金剛」の別名を持つ名山。奇岩立ち並ぶ独特の自然美と澄んだ空気、美しい渓谷と海を見渡せる山として有名な景勝地だ。近くで温泉を楽しむこともできる。図們江(豆満江)を隔てて北朝鮮と接する国境都市・図們市の李昌勳(リー・チャンシュン)外事旅遊局長は「この観光列車のツアー客は北朝鮮の観光地を巡るだけでなく、北朝鮮が組織した児童5万人によるマスゲームや咸鏡北道芸術団の民族歌舞などを見学することができる」と説明した。

この観光列車を運営する吉林省図們江国際旅行社の担当者によると、ツアーの行程は3泊4日で料金は約1900元(約2万4000円)。参加者は出発5日前までに関係書類を提出し、出発前日には図們市に到着することが義務付けられている。北朝鮮観光列車は1週間1本の運行予定だが、旅行シーズン時には1週間2本に増便される見込み」。

このツアーでは、図們を夜8時に出て翌朝6時に明月に着くそうです。そこからバスに乗って七宝登山をすることになります。

現地関係者の話では、中国人の七宝山ツアーはこの特別列車利用の3泊4日コースのほかにも2つのコースがあるそうです。

同じ吉林省延辺朝鮮族自治州の龍井市の三合鎮税関から対岸の会寧(北朝鮮)に入国し、バスで清津に行き一泊し、翌日七宝山を訪ねる4泊5日コース(このツアーでは鉄道を利用しません)。平壌から漁郎空港に飛び、バスで七宝山を訪ねるコースなどです。

中朝関係はいまも決して良好ではありませんが、中国政府は地方政府を通じて朝鮮との交流を進めているようです。外貨獲得を目指す朝鮮側にとっても吉林省や遼寧省に住む中国人が旅行に来ることは基本的に歓迎しているはずです。ただし、朝鮮国際旅行社のガイドは「中国客の支払うツアー代金は安すぎて儲からない」とはっきり言います。これは世界的な現象ですが、朝鮮でも同じようですね。本当は欧米客や日本人に来てほしいというのが彼らの本音なのでしょう。

さて、車窓の風景を撮影することを極端に嫌う同行ガイドたちも、車から降りてこの特別列車の写真を撮ることは許してくれました。彼らにすれば、この列車であれば撮られても恥ずかしくないと感じているからです。彼らが外国人の撮影を許可する基準がそこにあることがわかると、逆になんとも言えない哀しい気になるものです。あれほど誇り高い彼らが、中国から安く手に入れた中古列車くらいのもので自尊心が保持されるというのですから。以下、走り去る列車のスナップです。
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では、実際このツアーと特別列車の乗り心地はどうなんでしょうか。

聯合ニュース2014年6月17日の「観光立国を夢見る北朝鮮」という記事の中に、特別列車で七宝山ツアーに参加した延辺朝鮮族自治州の住民の声が以下のように記されています。

「図們から徒歩で橋を渡り、南陽駅から列車で282km離れた明川駅に到着するのに12時間かかった。電機で走る北朝鮮の列車は遅いのはわかっていたが、実際に体験してみると、あまりお勧めできるものではない」。

さらに「北朝鮮には非舗装道路が多いうえ、バスをはじめとする移動手段も中古である」「現地の事情で、食事も肉は供されず、山菜が中心になる」といいます。ただし、中国人の朝鮮ツアーは料金を値切りすぎるので朝鮮側も十分なサービスを提供できない面もあると思われます。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-10 18:08 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 08月 10日

外七宝から見渡す雄大な日本海の絶景

翌日は、内七宝より海に近い外七宝の山々を訪ねて回りました。
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※2014年7月上旬、北朝鮮咸鏡北道の七宝山を訪ねた話をしています。

七宝山(チルボサン)は金剛山とは似て非なる朝鮮の名峰
http://inbound.exblog.jp/24765755/
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まず訪ねたのが万物相の展望台です。外七宝を代表する五つの連山で、左から万長峰、宮廷門峰、将軍峰、昇天峰、月落峰です。その右手には寝床岩、ウサギ岩、軍艦岩などがあります。
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ウサギ岩
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軍艦岩

下の方には今朝までいた外七宝山荘が見渡せます。
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次に行くのが、徳溝瀑布です。いまの季節は水流が少なくそれほど迫力はありません。
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また水系の美しさは金剛山には少し劣るようです。決して水質が悪いわけではないのでしょうが、金剛山の水系は魚も棲めないほどの透明度と藍色の美しさであるのに対し、七宝山の水系には小魚がゆらゆら泳いでいたからです。
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むしろ七宝山の魅力は展望台から見下ろす日本海の絶景にあります。

この大きな窓のような岩は降仙門といい、門の向こうには日本海が望めます。
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さらに魚群台と呼ばれる展望台もあります。これはまさに絶景でしょう。
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この山肌を魚の群れが登るように見える奇岩群が魚群台です。
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少し気になるのが、空にガスがかかっていることです。もしかしたら中国から届くPM2.5の影響かもしれません。日本気象協会のサイトを見ても、たいてい朝鮮半島はPM2.5に覆われていることが多いからです。

最も海に近い場所にあるのが、絶景台です。ここは地図には載っていません。一般のツアーではここまでくるのは珍しいそうです。写真左手の海岸線に見える集落があとで訪ねることになる民泊施設です。
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このとおり山道も十分整備されていないからです。
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展望台の帰り際、現地の英語を話すガイドが岩から染み出すさびた鉄分を指しながら、ぽそりとこんなことを言いました。「ほら、見てください。わが国には鉄資源はいくらでもあるんです」。こういうことを外国人に語るとき、彼らは何を伝えようとしているのでしょうか。実は、彼らはいろんな場面でよく自国の資源の話をしてきます。

思えば、朝鮮半島北部の鉄鉱石をはじめとした各種資源を見つけ、最初に投資したのは戦前の日本でした。各地に当時としてはそれなりの規模の製鉄工場などを建設し、それを引き継いだことで、少なくとも1970年代までの北朝鮮は韓国や中国よりも経済的に恵まれていたはずです。それなのに、いまどうしてこのような状況に陥ったのか。その理由を彼らはどう理解しているのでしょうか。
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次に展望台から見た海外線に降りていきます。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-10 17:10 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2015年 08月 09日

朝鮮七宝山にある開心寺という古刹と乾隆29年製造の鐘

内七宝の山々と奇岩の数々を眺めたあと、開心寺という古刹を訪ねました。
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※2014年7月上旬、北朝鮮咸鏡北道の七宝山を訪ねた話をしています。

七宝山(チルボサン)は金剛山とは似て非なる朝鮮の名峰
http://inbound.exblog.jp/24765755/

朝鮮側の資料によると、この寺は「渤海時代の826年に建てられ、高麗時代の1377年に改築、李朝時代に補修を重ねた。現在の建物は1853年に再築されたもの。大雄殿と万歳楼、深剣堂、応香閣、観音殿、山神閣からなる」とあります。
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大雄殿の中に3体の仏像が置かれ、壁面にはいくつもの曼荼羅が飾られています。
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それぞれの曼荼羅が時代を感じさせます。李朝時代の朝鮮では仏教が排斥されていたそうですから、人里離れた山奥にひっそりと息を潜めていた古刹がこうしていまの朝鮮に残っていることはとても興味深く思います。
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この方が住職です。このような国で住職を務めることがどんな人生を意味するのか、いろいろ聞いてみたいことは山ほどありましたが、こちらもまったく心の準備ができていなかったこともあり、この寺の来歴をうかがうことで精一杯でした。
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13年に金剛山に行ったとき、残念ながら、金剛四大寺院のうち唯一昔のまま現存する表訓寺を訪ねる時間がなかったので、今回はちょっとうれしく思いました。この国で歴史を感じさせるものを見る機会は圧倒的に少ないからです。金剛山の4つの寺院は表訓寺を除いて、朝鮮戦争時に焼き払われてしまっています(もうひとつ正陽寺の一部は残っていて、現在は補修されたようです)。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局1936年)によると、「折角の景観も比較的交通不便の地にあるので、探勝者の少ないのは遺憾である」とあるように、戦前期は金剛山が朝鮮を代表する随一の行楽地としてにぎわっていた反面、七宝山はそれほどでもなかったようです。ただ、数少ないとはいえ登山客はいたようで、彼らは開心寺のお堂に宿をとっていたようです。

殿内には「七宝山游山録」「次七寶山原韵」など、この地を訪れた文人の書や漢詩が掲げられていました。
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万歳楼には「乾隆29年」(1764年)に鋳造された青銅鐘があります。この時代の朝鮮は清朝の年号を使っていたのでしょう。
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ここにも記念撮影サービスのパネルが置かれていました。この寺で見かけた唯一俗っぽい物件でした。
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by sanyo-kansatu | 2015-08-09 20:39 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)