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2014年 12月 21日

図們から対岸の南陽(北朝鮮)の町を眺める

図們は中国吉林省延辺朝鮮族自治州の東南部にある中朝国境と接する都市で、川(図們江)をはさんだ対岸には南陽(北朝鮮)という町があります。

図們については以前紹介したことがあるので、土地のプロフィールについては、以下を参照ください。

高速で素通りされ、さびれてしまった図們
http://inbound.exblog.jp/20498623/

今年7月、図們を訪ねたとき、市街地の南側のはずれにある展望台から対岸の南陽を眺めることができました。
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これが国境の図們江を高台から眺めた光景で、手前の橋が鉄道橋、遠くにうっすら見えるのが、陸路の国境橋(図們大橋)です。
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展望台には、南陽の主要スポットを落とした地図があります。

これを参考に、簡易望遠レンズで南陽の町並みを撮ってみました。
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これが南陽駅です。右手に列車が見えます。
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少し倍率を上げてみましょう。駅前に人の姿はいないようです。
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これは南陽学校です。校舎が見えますが、子供たちの姿は見えません。これを撮ったのは午後4時過ぎでしたが。
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これは地図によると、金日成研究所という建物のようです。
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図們市街地の南東に日光山森林公園という行楽地があり、ハイキングコースになっています。その地図のいちばん左下の図們江の目の前に展望台はあります。この地図は上が南です。
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南陽自体は小さなまちで、市街地の南方面にも図們江に沿っていくつか集落はありますが、少し離れると民家はなくなります。川の手前は図們側です。
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鉄道橋のたもとには国境ゲート(鉄路口岸国門)があります。
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地図で見ると、ふたつの橋はこのように位置しています。
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ふたつの橋を並べて縦で撮るとこうなります。
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鉄道国境橋のそばにちょっとした撮影スポットがあります。
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観光客も記念撮影に興じています。橋と対岸の北朝鮮の山並みを背景に写真を撮るわけです。
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ちなみに図們江沿いを龍井方面から車で走ってきましたが、川沿いに鉄柵が張りめぐらされています。
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こちらは陸路の国境ゲートから眺めた図們大橋です。観光客が朝鮮とのボーダーである橋の真ん中まで歩いています。
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これが朝鮮側のイミグレーションです。

南陽の町は、人の気配がほとんどなく、その静寂ぶりがいかにも中国と対照的です。

実は今年、図們から南陽を訪ねる日帰りのサイクリングツアーが催行されたそうです。もちろん、中国国籍の人しか参加はできません。ツアー参加者は陸路の国境橋を渡り、南陽の町中を朝鮮側の案内人について自転車で散策するそうです。ちょっと面白そうでしょう。

もっとも、このまちにたいして見るべきスポットがあるわけではなく、市街地より外には出られないので、人気はいまひとつだったとか。朝鮮観光の定番アトラクションである幼稚園児による歌謡ダンスショーの鑑賞だけはあるそうです。その日展望台に上れば、サイクリングツアー一行の様子が対岸から眺められたことでしょう。
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by sanyo-kansatu | 2014-12-21 14:36 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2014年 11月 29日

北朝鮮のイカ釣り漁船急増は朝鮮東海岸の中国漁船の操業と関係がありそう

おととい(2014年11月27日)の朝日新聞に「北朝鮮、外貨を求めて海へ 日本海 イカ釣り漁船急増」という記事が掲載されました。
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「日本海の排他的経済水域(EEZ)境界で操業する北朝鮮のイカ釣り漁船が急増している。木造の小型船。監視役を合わせた少人数のグループ。軍への上納金――。難破して保護された北朝鮮の漁師らの証言から、外貨獲得のため、漁獲量を増やそうとして活発な動きを見せる北朝鮮の状況が明らかになった」

なんでも水産庁と海上保安庁が確認した北朝鮮漁船の数は、「2011年約15隻、12年約80隻、13年約110隻、14年約400隻」だといいます。確かに増えていますね。

同紙によると、「深刻な経済難 操業命がけ」と急増の背景を解説。「2013年2月の核実験で後ろ盾の中国との関係が急速に悪化。金融制裁に加え、中国とのパイプ役だった張(成沢)氏が粛清されると貿易量が激減し、食糧支援の向上も見込めず、政府関係者は『海に活路を求めている』とみている」という。

確かにそういう側面はあると思います。いまの北朝鮮が外貨獲得のために必死になっているのは事実だからです。

しかし、日本海の排他的経済水域(EEZ)境界に北朝鮮のイカ釣り漁船が出没するようになった理由は、朝鮮東海岸近海でイカが獲れなくなっているからではないか。ぼくはそう考えます。

今年7月上旬、ぼくは北朝鮮咸鏡北道の羅先と清津、七宝山を訪ねています。羅先では、現地ガイドの案内で水産加工工場を視察しました。関係者らによると、近年羅津港での漁獲量が激減していて、加工工場は長らく休業しているそうです。

戦前期に羅津に住んでいた日本人の話では、羅津港の漁獲量はハンパじゃない多さで知られていました。朝鮮半島の東海岸近海はもともと豊富な漁場だったのです。そこで1990年代頃から在日同胞が水産加工工場設立のためこの地に投資し、冷凍魚介類を中国などに輸出していたのです。経済制裁前は、日本にも朝鮮産のカニなどの水産物は流れていたでしょう。羅先には現在、ふたつの大きな水産加工工場がありますが、どちらも運営はうまくいっていないとのこと。

ではなぜ漁獲量が激減したのか。

現地の人間によると「北朝鮮政府は中国政府との話し合いで、中国漁船の朝鮮東海域の操業を認めた影響だ。2013年には約4000隻の中国漁船がイカを根こそぎ獲りまくったことが大きい。イカは還流性魚類なので、食物連鎖が崩れてしまった。そのため、近海ではかつてのような水揚げが望めなくなった」とのことです。

その結果、日本の排他的経済水域(EEZ)境界近くまで操業せざるを得なくなったのでは……。ぼくは朝日の記事を読んで直観的にそう思いました。

なぜ羅津港の漁獲量が激減したことを知ったかというと、現地ガイドの案内で羅津市場を訪ねたときのこんなエピソードがきっかけでした。

羅津市場の門の前に小さな川が流れ、橋が架かっています。その上空を大量のカモメが徘徊しているのです。確かに港町ですから、カモメがいてもおかしくないけれど、そこは市中なので、ちょっと不思議な光景です。ぼくはガイドに訊きました。「どうしてカモメがこんなに街中にいるの?」。

彼はこう答えました。「海に魚がいないからです。市場では魚のあらを取り出し、川に捨てています。それが餌になるから、カモメはこんな街中まで飛んでくるのです」。

ぼくは再び訊きました。「なぜ海に魚がいなくなったのですか?」

理由は前述したとおりです。

この話を聞きながら、北朝鮮はあらゆる資源を中国に切り売りしながら、つかの間の平穏を維持しているのだと実感せざるを得ませんでした。鉄鉱石などの地下資源だけでなく、水産資源までも。いまでも羅先の市中上空を徘徊する大量のカモメの異様な光景を思い出し、不穏な気持になります。

以下の写真は、羅津港近海で操業しているイカ釣り漁船です。朝日新聞の記事に載っていた漂流する漁船と同様の小型船です。これでは中国漁船にはかなわないでしょうし、とても遠海で操業できる代物ではなさそうです。
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もうひとつの写真は、某水産加工工場の中です。関係者によると、しばらく稼動していないようでした。
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中国漁船の違法操業は、今秋の小笠原諸島沖の赤サンゴ密漁問題でも話題となりましたが、彼らが例の調子で徒党を組んで北朝鮮の漁場を荒らしたことが(ただし、朝鮮東海域の操業は両国間の了解はあったとみるべき)、今回のニュースにつながっているのではないか……。羅先での見聞はまたあらためて。

※朝鮮半島近海の中国漁船の操業問題については韓国でも黄海上でいろいろ起きているようです。

[ルポ]中国不法操業漁船を取り締まる韓国海洋警察船

禁漁解除を控え経済水域に群がる
一群を追い出せば別の一群がやって来る
夜通し命賭けのかくれんぼ
鉄格子にひっかかり短艇転覆
「武力抵抗に命の危険を感じることも」

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/18535.html
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by sanyo-kansatu | 2014-11-29 16:44 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 10月 30日

拉致協議と北朝鮮ツアー解禁

一昨日(10月28日)、北朝鮮による拉致被害者らの調査をめぐる日本政府代表団と北朝鮮の特別調査委員会の協議が終わりました。この先どうなるかについて懸念ばかりがつのる虚しい交渉に終わってしまい、拉致問題の解決はもとより、朝鮮側も日本からの経済的な利益供与の実現性は、はるかかなたに遠のいてしまったようです。

もっとも、今年7月4日、日本の北朝鮮に対する制裁の一部解除が行われ、日本人の北朝鮮への渡航自粛が解除されたことから、今夏以降、一般日本人の北朝鮮ツアーはすでに解禁されているのをご存知でしょうか。

5月の日朝合意に基づく我が国の対北朝鮮措置の一部解除
www.mofa.go.jp/mofaj/files/000044431.pdf

在瀋陽日本国総領事館のサイトでも以下のように記されています。

北朝鮮への渡航情報(危険情報)の発出(在瀋陽日本国総領事館)

2014年7月4日、日本国政府は日本から北朝鮮への渡航自粛措置等の解除を発表しました。

1.この発表を受け、北朝鮮について新規に危険情報「渡航の是非を検討してください。」を発出します。

2.北朝鮮については、安全保障上の状況変化等により、事態が急変することがあります。また、北朝鮮当局による外国人旅行者の逮捕・拘束の事例も報告されています。

3.日本と北朝鮮との間には国交がなく、北朝鮮には日本の在外公館等の日本政府の機関がありませんので、北朝鮮において事件・事故等何らかのトラブルに巻き込まれた場合でも、通常行われている邦人援護活動を行うことは極めて困難です。例えば、旅券(パスポート)紛失時の再発給を含め、通常行われている邦人援護活動を十分に行うことができません。

4.つきましては、北朝鮮への渡航を検討されている方は、報道機関関係者を含め、上記事情に十分留意し、不要不急の渡航は控え、渡航すべきか否かは、渡航目的の緊急性や妥当性、とりうる安全対策等について慎重に検討した上で判断してください。その上で渡航する場合には、可能な限り最新情報の入手に努め、十分な安全対策を講じるとともに、不要不急の外出は控えるなど、自らの安全確保に努めてください。

http://www.shenyang.cn.emb-japan.go.jp/jp/connection/fr_worklead_01_01_01.htm

この渡航自粛解除を受けて企画されたのが、アントニオ猪木議員の「インターナショナル プロレスリング フェスティバル in平壌」(8月30,31日)でした。

インターナショナル プロレスリング フェスティバル in平壌
http://www.igf.jp/event/pyongyang/

関係者の話によると、このイベントは日本政府の北朝鮮渡航自粛の解除を見据えて早い時期から計画されたものでしたが、解除日(7月4日)から開催までの募集期間が十分なかったこともあり、一般客は約60名、マスコミを入れて130名程度だったようです。思いのほか、集まらなかったのです。

実はこのツアー、日本から申し込まなくても参加できたようです。以下の情報は、中国遼寧省大連市にある旅行会社の日本語サイトのものですが、この旅行会社を通せば、自分で北京までの往復航空券を手配し、個人で参加できたのです。実際に日本人もわずかですが、いたようです。

中国で申し込む8月30日の平壌プロレスツアー
http://gb-travel.jugem.jp/?eid=35

このツアーを催行したのは、以下の旅行会社です。同社には宮崎正樹さんという日本人スタッフがいて、彼が北朝鮮ツアーを担当しています。

大連金橋旅行社
http://www.gbt-dlcjp.com/

こういう裏技もあったのですが、日本在住の日本人が北朝鮮ツアーに参加しようとする場合、朝鮮総連系の中外旅行社を通すのが一般的です。同社は1968年創業の旅行会社です。かつてJTBをはじめとした日本の大手旅行会社も北朝鮮ツアーを催行していたこともあったのですが、現在は様子見のようです。一部の中小旅行会社が代行手配を始める計画も耳にしています。

中外旅行社
http://www.chugai-trv.co.jp/

現在、中外旅行社では、以下の5つのコースの北朝鮮ツアーを催行しています。2006年の日本人の渡航自粛以降、ストップしていた北朝鮮観光がようやく再開されつつあるのです。
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拉致問題の解決の見通しが立たないいま、のんきに旅行になんか行ってる場合か、という厳しい意見も多そうですが、なぜあの国を相手にまっとうな交渉ができないのか。一度でもその地に足を運んでみると、納得できるかもしれません。

今年7月、ぼくは性懲りもなく、かの地を訪ねています。その報告は後日また。

【追記】
これを書いたあとすぐに気づいたのですが、北朝鮮はエボラウィルス感染者の入国を阻止するため、10月24日から外国人観光客の受け入れを停止しました。なんだよそれ、って感じですが、もともと冬季は観光客の受け入れに積極的ではなかったこともあり、今年の北朝鮮ツアーは打ち止めのようです。来春を期待しましょう。それとも、もっと別の国内事情でもあるのでしょうかね?
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by sanyo-kansatu | 2014-10-30 23:25 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 06月 17日

かつて金剛山の古刹めぐりは登山客を魅了した。しかし今は…

昭和9(1934)年9月に刊行された『朝鮮旅行案内記』(朝鮮督府鉄道局)の編集上の特徴として、モデルコースが豊富に紹介されていることがあります。さまざまなテーマで朝鮮旅行が楽しめるように、日程と訪ねるべきスポットが簡潔に整理されています。さすがは朝鮮総督府鉄道局の編集とうならせます。

「旅行日程のいろいろ」の項に、「内地方面から(日本から)」と「金剛山探勝(京城(ソウル)から)」のぺージがあり、それぞれ金剛山旅行のモデルコースを紹介しています。これが驚くほどバリエーションに富んでいて、面白いのです。

まず「内地方面から(日本から)」から。

●金剛山探勝 七日間

「第一日 釜山朝着の関釜連絡船で来朝、京城行急行列車に乗車、京城驛着、京城夜景見物、宿泊。

第二日目 朝城津行旅客列車で出發鐡原驛下車、金剛山電気鉄道に乗換へ内金剛驛着、長安寺宿泊。

第三日 徒歩で内金剛探勝の上、毘慮鋒へ(長安寺―明鏡臺―表訓寺―萬爆洞―摩訶衍―毘慮鋒)、久米山荘宿泊。

第四日 久米山荘―九龍淵(九龍の滝)―玉流洞―神渓寺―温井里、宿泊。

第五日 萬物相、探勝後元山行列車にて出發、安邊驛で乗換へ京城行列車に乗車、車中泊。

第六日 朝京城驛着市中見物の上、宿泊。

第七日 釜山行急行又は旅客列車で京城驛出發、夜航便の関釜連絡船にて内地へ」

関釜連絡船で下関から朝鮮に渡り、釜山から京城(ソウル)に向かい、京城で一泊。翌朝京城からいまは途中断たれてしまった京元線に乗り、鐡原駅でこれもまたいまは存在しない金剛山電気鉄道に乗り換え、内金剛駅で降ります。金剛山では、内金剛から外金剛に向かう一泊二日の登山を楽しみ、温井里で温泉にでも浸かるのでしょう。翌朝午前中を使って萬物相まで往復し、鉄道で元山方面へ。夜行列車で京城に戻り、一泊してから釜山に向かい、関釜連絡船に乗るというものです。

このコースは、南北が分断され、交通手段もほとんど壊滅してしまった現在では、実現不可能です。それでも、当時は乗り継ぎもうまく考えられた効率的なコースになっていると思います。鐡原と内金剛山をつないでいた金剛山電気鉄道(1924年11月運行開始)は、険しい地形によって観光客の訪れを阻んでいた金剛山を誰でも訪ねることのできる景勝地にした観光電車でした。「昭和9(1934)年の金剛山は今よりにぎわっていたhttp://inbound.exblog.jp/22786781/」というのは、金剛山電気鉄道のおかげだったといえます。

さて、「金剛山探勝(京城(ソウル)から)」は、朝鮮在住者向けのモデルコースです。「内金剛探勝 一日間」「同二日間」「外金剛探勝 二日間」「同三日間」「内外金剛探勝 三日間(内金剛から入山)」「同(外金剛から入山)」「内外金剛探勝 六日間」と日程や内・外のどちらから入山するかなどによって異なる7つのコースが紹介されています。

たとえば、最も旅程の短い「内金剛探勝 一日間」の場合、「(土曜日及祝祭日の前日に限る)内金剛行直通列車(清津行列車に連絡)にて京城驛出發、車中泊」とあるように、前日に夜行で内金剛に向かい、朝着後、一日かけて内金剛を散策し、再び夜行列車で京城に戻るという強行軍です。確かに、いまでも金曜日の夜に東京を車で出て、未明から登山を楽しむというような日帰り登山はよくありますから、当時もあったのでしょう。

最も中身が充実しているのが「内外金剛探勝 六日間」です。

●内外金剛探勝 六日間

「第一日 福渓行汽動車にて京城驛出發、鐡原驛乗換、内金剛驛に至る。晝食後徒歩にて、長安寺―表訓寺―正陽寺―萬爆洞―摩訶衍―白雲臺―摩訶衍、宿泊。

第二日 摩訶衍―毘慮鋒―内霧在嶺―蔭仙臺、楡點寺、宿泊。

第三日 楡點寺―彌勒峯―楡點寺、宿泊。

第四日 楡點寺―開残嶺―百河橋―自動車にて海金剛へ、海金剛遊覧後自動車にて温井里へ、宿泊。

第五日 温井里―神渓寺―玉流洞―上八潭―九龍淵(九龍の滝)―温井里、宿泊。

第六日 温井里―六花岩―??萬物相―新萬物相―温井里、温井里から自動車にて外金剛驛へ、元山行列車にて出發安邊驛乗換、京城行旅客列車に乗車、車中泊。翌朝京城驛着」

このコースは、いわば金剛山登山のフルコースというべきもので、三日浦や海岸沿いに岩の柱が並ぶ海金剛の景観を訪ねたり、当時「新金剛」と呼ばれた外金剛の南に広がる新しい登山コースも訪ねるものです。新金剛の拠点は楡點寺ですが、「朝鮮戦争のとき米軍に爆撃され、破壊」(『朝鮮観光案内』(朝鮮新報社 1991年)されたようです。同様に、これらのモデルコースには、他にも長安寺、表訓寺、正陽寺、神渓寺などの寺院が出てきますが、現存するのは表訓寺だけで、残りすべては朝鮮戦争時に破壊されてしまっています。

金剛山登山の魅力のひとつに、深い山あいに佇む古刹めぐりがあることは、『朝鮮旅行案内記』の中に次のように解説されています。

「此勝景をして一層の光彩を添へるものは建築美と傳説美である。即ち興味深い史跡傳説を有し朝鮮藝術の粋を蒐めた碧棟朱楹の長安寺・表訓寺・神渓寺・楡岾寺等の大伽藍と多數の末寺は金剛山の怪奇なる紫峰を背景として絶壁の下或は幽谷の裡に點在し天工と人工の美を渾然一致して吾々に強い印象を與へている」

これらの古刹は、登山者の宿としても使われていたようですから、そこで過ごす一夜は実に味わい深いものとなったことでしょう。当時の日本人が金剛山を愛でていた理由に、千年以上前からこの地にあった古刹の存在が大きかったことは想像に難くありません。しかし、それらも朝鮮戦争時にほとんど破壊されてしまったというのですから、なんと痛ましいことか。

次回金剛山を訪ねるときは、唯一現存する表訓寺にぜひ足を運んでみたいものです。かつて登山客を魅了した表訓寺は、新羅時代の670年に初めて建てられたという由緒ある古刹だそうですから。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)国会図書館近代デジタルライブラリーより
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893/189
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by sanyo-kansatu | 2014-06-17 11:50 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 06月 16日

金剛山は昔、ロッククライミングの穴場だった?

昭和9(1934)年9月に刊行された『朝鮮旅行案内記』(朝鮮督府鉄道局)の「金剛山案内」の項には、ロッククライミングの案内も掲載されています。

「従来金剛山は宗教的に遊覧的に探勝せられていたが、永年の風化浸食によって削られた勇壮な其岩骨は、最近ロッククライミングにも好適とされ、登山家により數多の未登の峻峯が征服せられている。最も多く登攀せられ岩も優れているものに集仙峯と世尊峯がある」

それぞれ次のように紹介されています。

●集仙峯(主峯一三五一米)
「外金剛の東端に、海に臨んで立並ぶ一群の岩峯でそれ自身多くの岩峯を持ち、複雑なる地形を示すグループである。

主峯一三五一米ピークより派出するヂャンダルム(前衛峰のこと)は東北及西北に走り、前者は東北愛稜(第一峯~第七峯)、後者を西北稜と呼んでいる。

温井里より神渓寺への途上極楽峠に立てば南方に其の全貌が望まれ、更に神渓寺より神渓川を渡って動石洞に至れば、集仙峯の峭壁は目前に迫り、岩肌さへ詳細に見取る事が出来る。

主峯一三五一米ピークのピラミダルな山頂、これより西北に伸びている鮫の歯の様な岩稜、そして巨濤の如く入亂れたる東北稜の諸岩峯は力強い魅惑的な岩頭を現はし、強く登攀慾をそそる。

之が登攀を行ふに當って先づ中心的根拠地と定め、それより放射状に各峯頭へ攀る方法が最も自然的であって、動石洞又は東北稜第一峯西鞍部にベースキャムプを張るのが最も有利である。两キャムプサイトには豊富なる水を有し、動石洞は一三五一米ピーク、西北稜は第三峯以北へ、又東北稜第一峯西鞍部は第一峯、第二峯に至るコースの根拠地となっている」

●世尊峯
「集仙峯の西方、動石渓の源流に簇立する世尊峯は東西に延びた屋根状の岩峯(一一六〇米)を主峯とし、北方にの鮫歯状の骨張った岩稜を派出した一群のヂャンダルムである。

その全貌は集仙峯一三五一米ピークから最もよく見られ、灌木の多い稜線の上にくっきりと浮び上った東南面の大峭壁は厭迫的の力強さを持ち、近づき難い感をさへ抱かせる。

根拠は動石洞のベースキャムプ或は動石渓を約三十分遡った澤の北手にある岩小舎(温突式となり約五六人の収容可能)を選ぶのが最も適當である。

登攀コースは動石渓を遡行して一一六〇米南鞍部に至り、之より岩場に取付くのが普通であるが、又玉流洞川、飛鳳瀑の右壁を登って、岩場に取付き主峯から動石渓側へ下降するのも亦快適なるものがある」

さらに、金剛山の岩質として「粗粒の斑状複雲母花崗岩と正片麻岩」からなり、「岩角は風化の為丸味を帯びている」こと。「浮石は殆ど落ち切っているが、只風化による岩質は相當脆き部分がある為登攀に際し、この點充分なる注意を要する。概して拳大以下のホールドは信頼出来得ないものと考ふべきであろう」。「登攀靴としては岩質の関係からトリコニ―を主としたる鋲靴が最も適し、又ゴム底地下タビにても不自由はない」などの登攀上の諸注意も記しています。

昭和9(1934)年当時、日本にロッククライマーがどのくらいいたものかはよく知りませんが、昭和初期にはすでに登山ブームが始まっていたはずですから、朝鮮にも先駆者たちが姿を現わしていたことは確かでしょう。金剛山は当時のロッククライミングの穴場だったのかもしれません。ただし、実際にどの程度行われていたかについては資料もないので、知る由はありません。
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実は、戦後になって金剛山でロッククライミングをやった人たちの記録があります。

女性で初めてアルプス三大北壁登攀に成功した今井通子さんとカモシカ同人隊で、その記録は『白頭山登頂記』(朝日新聞社 1987年)にまとめられています。

同書によると、今井さんと8名の日本人による「カモシカ同人日朝友好親善登山隊」は、北朝鮮の3つの名山(白頭山、金剛山、妙高山)に登るため、1987年2月10日成田から北京に飛び立ちました。北京からは平壌行きの国際列車に乗り、丹東経由で北朝鮮に入っています。

3つの名山のうち最初に登攀したのが金剛山でした。一行は平壌から鉄道で元山に向かい、バスに乗り継いで金剛山の温井里のホテルに宿泊しています。

翌日(2月18日)7時半にホテルを出た一行は、前述したように、かつてロッククライミングに好適とされた集仙峯を登っています。

朝鮮建国以来、スポーツ登山として外国人登山隊が金剛山に入るのは、チェコスロバキア隊とユーゴ隊が無雪期に数回訪れた程度で、2月という厳冬期に入ったのは、日本のカモシカ同人隊が最初のことだったといいます。

1987年というのは、北朝鮮が一般日本人の観光客の受け入れを発表した年(6月)で、10月から実際に北朝鮮ツアーが始まっています。カモシカ同人隊の北朝鮮入りは、当然のことながら、このタイミングに合わせた宣伝効果を狙って北朝鮮側が企画したものでしょう。報道担当として朝日新聞記者やテレビ朝日の社員も同行していました。

ところが、この年の11月大韓航空爆破事件が起きました。すぐに日本人観光客受け入れも停止しています。

はたして金剛山でロッククライミングが再び行われるのはいつの日になるのでしょうか。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)国会図書館近代デジタルライブラリーより
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893/189
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by sanyo-kansatu | 2014-06-16 16:59 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 06月 15日

金剛山の最適な探勝シーズンは10月上旬。紅葉の美しい絶景が見られるそうです

昭和9(1934)年9月に刊行された「朝鮮旅行案内記」(朝鮮督府鉄道局)の「金剛山案内」と題された章の中には、この地をいつ訪ねるべきかについて詳しく解説されているページがあります。

「金剛山の自然美は四季の變化に伴ふ山容も自ら異り各々特徴ある風景美を以て探勝者を喜ばせ、詩歌に繪畫に其の藝術的詩情を多分に現はしている。金剛山の探勝は一年を通じて探勝に差支へなく鐵道局でも之等探勝客の便を圖つて年中各驛から割引乗車券を發賣しているが毎年五月一日から十月末日までは金剛山探勝に最適の時季であるので山内の宿泊、交通機関を整備せしめ、汽車自動車の連絡を圖ることになっている」

金剛山の登山シーズンはいつなのか。その答えは、「五月一日から十月末日」です。金剛山は「四季の變化に伴ふ山容も自ら異り各々特徴ある風景美」を見せるといいます。

そこでは、月ごとの山容の微妙な変化をていねいに描き分けています。

「五月 峰も溪も潭も一様に美しい濃淡の若葉に蔽はれた所謂新緑の探勝季である。

六月 翠緑濃やかな山峰は碧潭、深淵の清らかな水に映じて初夏の鮮麗な山水美が見られる。

七月 例年七月上旬から雨季に入るのであるが、變化極りない雲の躍動は山容に一層の勇壮さを加へ渓流は水勢鞺鞳として豪怪な觀を呈する。

八月 強い陽光を受けて碧空に聳ゆる奇鋒、碧水を湛へた悽艶な渓谷の深淵等の景致は何れも盛夏ならでは味ふことの出来ない情趣である。八月も末になるとはや秋風が吹いて朝夕は餘程涼しくなる。

九月 樹間を透して吹き来る涼風は柔かく肌身に觸れて探勝者に氣持よい感を與へる。秋特有の青澄な空に浮き出た峰巒は殊に美しい色彩をなし、九月の末には内金剛地方は早くも紅葉を呈する。

十月 上旬から中旬にかけて金剛錦繡紅衣に彩られ金剛山探勝に最適の時季で、例年内金剛の見頃は外金剛より幾分早く十月五、六日前後、外金剛は十日前後が酣である。下旬になると涼氣も餘程身に沁み毘慮鋒頂では岩間の水は既に氷結している。愈々探勝の好季節も終わりを告げて全山冬眠に入るのである。

十一月から翌年四月まで 十一月に入ると気温頓に低下して金剛風が吹き初め全山概ね落葉して岩骨を露出し、雲さへ降って皆骨金剛の豪怪な山容を現出する。十二月神秘な冬の粧ひをなし、毘慮鋒では例年積雪丈餘に及んで壮快なるスキー登山が出来る。又山麓の温井里は温泉とスキー場があるので年末年始にかけての休暇を利用し出掛けるものも多い。積雪は大概二、三月頃まで残り、年によっては三月下旬までスキーも出来ることもあるが流石四月に入れば概ね解けて草木も永い冬眠より甦り春の季節を待つこととなる」

最適のシーズンは10月上旬。紅葉の美しい絶景が見られるそうです。昨年ぼくが訪ねたのは8月下旬でしたが、「強い陽光を受けて碧空に聳ゆる奇鋒、碧水を湛へた悽艶な渓谷の深淵等の景致」という表現は、なるほどと納得したものです。

秋に金剛山を訪ねたことのあるという友人のひとりは「紅葉の美しさは、日本でも見たことがないほどの素晴らしさだ」と語っていましたから、もし次回行く機会があるなら10月上旬にすべきだと思いました。

冬は木々がすべて落葉し、花崗岩の岩肌が露出して迫ってくるようなんですね。「豪怪な山容」との記述がありますが、「豪快」」ではなく「怪」の字を使っている理由も、なんとなく想像できます。現在、外金剛ホテルなどの宿泊施設のある温井里には、温泉とスキー場があったと書かれていますが、いまでも温泉施設はあります。

四季によってこんなに風景が変わる金剛山。「因に四季各々自然の變化によって金剛の山水美を讃へたものに春を「金剛」夏を「蓬莱」秋を「楓岳」、冬を「皆骨」と称する別名がある」そうです。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)国会図書館近代デジタルライブラリーより
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893/189
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by sanyo-kansatu | 2014-06-15 09:59 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 06月 14日

金剛山の魅力は奇鋒と渓谷、美しく青みを帯びた深潭の醸成する幽寂な景趣にある

昭和9(1934)年9月に刊行された「朝鮮旅行案内記」(朝鮮督府鉄道局)の内容から、金剛山に関する記述を検討したいと思います。もともとこの本は、当時の朝鮮を鉄道で旅行するための案内書で、概説編(236p)と案内編(309p)の2部構成になっています。

概説編では、朝鮮の地勢や気候、産業、歴史、風習、年中行事などとともに、「金剛山案内」(38p)に多くのページを割いています。個別の観光地として概説編に紹介されるのは金剛山だけであることから、いかに特別の存在であったかがわかるのです。案内編では、朝鮮内のすべての鉄道路線と駅のある町が解説されています。

では「金剛山案内」にはどんなことが書かれているのでしょうか。

「金剛山とは朝鮮半島の東海岸に沿ひ南北に縦走する脊梁山脈中の一群の峻鋒を稱し、江原道の准陽、高城の二郡に跨って廣袤實に十八平方里に亘り日本海に面する斜面と内陸に面する斜面の二帯に分かれている。前者は即ち外金剛、後者が内金剛と稱せられている。

地勢は東は急峻で西は概ね緩やかな高臺状をなし、脊梁山系たる主脈と之より分岐する數多の支脈は変化に富んだ奇鋒峻嶺から成り立ち、千米以上の峻鋒重疉として聳立し岩骨を露出し削壁をなして所謂萬二千衆鋒を形造っている。そして主脈から分岐する支脈は何れも短かく河川は為に幾多の小支流は岐れ岩床は露出して巨岩怪岩を轉じ到る處に急湍激流を造っている」

「金剛山を構成する岩類は太古界から新生界に亙った可なり多くの種類を網羅しているが主なる岩石は斑状複雲母花崗岩及白雲母又は斑晶を缺ぐ黒雲母花崗岩であって、之等は著しく節理に富み其方向は垂直の場合が多く、其の他多種多様の節理を存し岩體は之に沿ふて永年の風化浸食により變幻の妙を極め金剛山獨自の山岳美を成している」

ここでは、金剛山が日本海側に面した外金剛と内陸に面した内金剛に分かれること。一万を超えるという露出した花崗岩から成る巨岩怪岩が屹立し、急流が造る山岳美が「變幻の妙を極め」ていると賛美しています。

それに続く「金剛山の風景と其特色」では、金剛山が「世界的名山」たる理由についてこう解説しています。

「金剛山が世界的名山として賞賛される所以は古来萬二千鋒と謳われる無數の奇鋒峻嶺と之等の峰巒が互ひに錯綜して構成する幾多の渓谷と其渓谷に懸る、瀑布、深潭、奔流等の醸成する豪壮雄渾或は清浄幽玄なる景趣にあることは、探勝者の齊しく認めるところで此勝景をして一層の光彩を添へるものは建築美と傳説美である。即ち興味深い史跡傳説を有し朝鮮藝術の粋を蒐めた碧棟朱楹の長安寺・表訓寺・神渓寺・楡岾寺等の大伽藍と多數の末寺は金剛山の怪奇なる紫峰を背景として絶壁の下或は幽谷の裡に點在し天工と人工の美を渾然一致して吾々に強い印象を與へている」

旧字の多い難解な文面を長々と引用したのは、金剛山を愛でるうえで、こうした漢文調の表現にこそ味わい深さを感じられると思ったからですし、おそらく当時の日本人は、そういうスタイルを好んでいたに違いないと考えるからです。
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金剛山の魅力は奇鋒と渓谷、瀑布、深潭、奔流の醸成する幽寂な景趣にある。これはわずか1日の登山体験をしたにすぎないぼくにも、理解できるものでした。特に心打たれたのは、これまで日本でも、また他の国でも見たことのないほど美しく青みを帯びた深潭でした。
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「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)国会図書館近代デジタルライブラリーより
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893/189
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by sanyo-kansatu | 2014-06-14 13:04 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 06月 14日

昭和9(1934)年の金剛山は今よりにぎわっていた

昨年、ぼくは北朝鮮の金剛山を訪ねたのですが、戦前期には、この地は朝鮮を代表する観光地でした。実際のところ、今より80年前のほうがにぎわっていたし、観光地開発もずっと進んでいたのです。

2013年、金剛山観光はどうなっているのか?
http://inbound.exblog.jp/22561895/

その事実は、昭和9(1934)年9月に刊行された「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)の内容をみるとわかります。同書は国会図書館近代デジタルライブラリーで誰でも閲覧することができます。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893

当時の旅行案内書の記述の詳細さや内容の面白さは、現在書店に並んでいるガイドブックのたぐいとは比較にならないほどです。とりわけ、同書における金剛山の扱いは別格です。金剛山は、当時朝鮮半島を代表する景勝地として理解されていたことがわかります。

いったい当時の日本人にとって金剛山とは何だったのか? 以後、同書の内容を通して考えていきたいと思うのですが、まずはわかりやすいところからという意味で、金剛山の口絵の一部を紹介していきます。
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これは外金剛の九龍の滝の口絵です。
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これは昨年撮った九龍の滝。滝つぼに落ちる水量が少ないことを除けば、80年前とほとんど変わっていません。
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これは玉流洞渓谷の口絵です。
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これは昨年撮ったもの。これも変わりません。
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これは三日浦の口絵。
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これは昨年の三日浦。

当たり前のことかもしれませんが、自然の景観は80年程度の時間の経過で変わるものではないですね。時間がなくて訪ねることができませんでしたが、その他口絵に載っているのは以下の景勝地です。
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これは奥萬物相といい、外金剛にある屹立する岩の連峰です。
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これは海金剛で、金剛山の海岸沿いに林立する柱の奇岩です。
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ちょっと面白いのはこれで、昭和9年当時、金剛山にはスキー場があったようです。昨年北朝鮮の元山の近くに馬息嶺スキー場ができたことがずいぶん報道されましたが、実は昭和の時代にはここだけでなく、朝鮮半島にはたくさんのスキー場があったのです。その話についてはまたいずれ。
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また金剛山にはかつて多くの寺院がありました。これは楡點寺といい、金剛山の南の山中にありましたが、現在は残っていないようです。理由は、金剛山周辺は朝鮮戦争の激戦区だったからです。
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「金剛山探勝径路図」によると、今日残っていない、いくつかの寺院や鉄道路線などが見られます。当時のほうが今より観光地開発が進んでいたといえるのは、そのためです。
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by sanyo-kansatu | 2014-06-14 13:02 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 05月 06日

日本とゆかりのある朝鮮第2の都市、元山のことが少し気になる理由

金剛山に向かうため、平壌からバスに乗った一行は、元山に立ち寄り、港のそばの東明ホテルで昼食をとりました。
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※昼食の様子はこちら「【前編】北朝鮮のグルメ~5泊6日食事14回のすべて」http://inbound.exblog.jp/21273246

食後に少し時間があったので、ホテルの裏手にこっそり行ってみました。こういうとき、中国客の勝手気ままさはありがたい限りです。彼らはガイドの監視を離れて動きがちなので、わずかな時間ですが、ぼくも彼らに紛れて自由に行動することができるからです。
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ホテルの裏には桟橋に向かう吊り橋があり、多くの市民や子供たちが釣りや磯遊びをしていました。
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昭和の子供たち、とでもいうのでしょうか。日に焼けて真っ黒です。
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なかには海に入ってハマグリを獲っている子たちもいます。
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おばさんまで服を着たまま海に入っています。
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桟橋の向こうの葛麻半島の先に白いホテルが見えます。かなり高層のビーチリゾートホテルです。元山の観光開発が進められていることがうかがえます。
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さて、ホテルのすぐ下では、ここで獲ったものでしょうか。ハマグリを炭火で焼いてビールで一杯やっている人たちがいました。
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銭湯の腰掛みたいなものにちょこんと座って炭火を囲んでいます。楽しそうですね。
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なかなかしっかりしたハマグリです。
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そばを歩くとにこにこしているおじさんグループがいたので、記念撮影。いい週末ですね。

さて、こんなのどかな8月最後の日曜を満喫している元山ですが、歴史的にみると、日本とのゆかりの多い都市といえます。
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見るからに良湾である元山港は、李氏朝鮮時代は小さな漁村にすぎませんでしたが、1876年の日朝修好条規(江華島条約)により1880年に対外開港。日本と朝鮮東海岸を結ぶ航路の玄関口となっていきます。1914年にはソウルと結ぶ鉄道が開通し、東海岸最大の港湾都市、軍港として発展していきます。
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2006年以降、日本入港禁止となったものの、長く日朝間の足となった万景峰号の母港も元山です。バスで港沿いを走っていると、万景峰号が停泊しているのを見かけました。

元山の海水浴場は、戦前期から有名でした。以下の写真は1930年代の元山松涛園海水浴場です。当時の資料には以下のように書かれています。
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「松濤園及海水浴場竝に白砂十里で名高い葛麻半島は夏季の楽土として知られ、明媚な風光は朝鮮を訪れる旅客の心を強く惹きつけるのである。

人口五萬二千五百人、内地人九千六百餘人、朝鮮人四萬二千餘人、外國人八百餘人、府内は元山府廰・永興灣要塞司令部その他官衛學校等軒を並べ、文化設備完備し、ゴルフリンク・公設運動場及近郊新豐里にはスキー場がある」(「最近の朝鮮」昭和9年6月 朝鮮総督府刊)

ネットを検索すると、戦前期に元山に住んでいた方の当時の記憶を綴るサイトがいくつか見つかります。昭和10年前後に生まれた世代が多く、少年時代の思い出が語られています。

それらの文章を拝読すると、当時の元山松涛園海水浴場には、別荘地や商店街、ゴルフ場などがあったそうです。花火大会も開かれたとか。

いまの朝鮮の子供たちのように、当時の日本の少年たちも湾でアサリ獲りをしていたそうです。水深50cmくらいの深さのところで、足の指先を使って泥底からアサリを掘り出し、その場でナイフで開き、生のままたべたとか。当時の元山の写真と現在見た光景はほとんど変わりありません。

一方、現在の元山についてメディアはどう報じているでしょうか。

たとえば、朝日新聞2013年12月24日によると、故金日成主席と故金正日総書記の銅像が元山に建てられたそうです。これは金主席の妻で金総書記の母の故金正淑の生誕96年に合わせたもので、「いずれも金正恩第一書記につながる『血統』の偉大さを改めて強調し、権威を高める狙い」があるといいます。

また韓国のメディアは、金正恩第一書記が何度もこの地に足を運んでいることを指摘しています。

なぜ金正恩第一書記が元山を重視するかについてはこんな理由があるようです。中央日報2014年3月19日の日本語版では「ミサイル発射、観光開発計画…金正恩が故郷・元山にこだわる訳は?」という記事を配信しています。

ミサイル発射、観光開発計画…金正恩が故郷・元山にこだわる訳は?
http://japanese.joins.com/article/101/183101.html

それによると、金正恩第一書記が「元山を平壌に続く第2の都市として育成するという意志」を持つ理由として「元山は父・金正日(キム・ジョンイル)時代から開発に集中してきた所であるだけに、遺言に従うという意味で元山を浮上させるためという解釈だ。

国民大学のチョン・チャンヒョン兼任教授(統一学)は『北朝鮮は最近、元山付近に馬息嶺(マシンニョン)スキー場を建設したのに続き、元山を観光団地として開発しようとする計画を持っている』として『元山を第2の都市として開発するためのもの』と話した。元山の重要性を浮上させることによって国際社会にこの地域を観光特区化するよう投資を迂回的に促すメッセージという分析もある。

生母の高英姫(コ・ヨンヒ)が暮らしていた日本から初めて北朝鮮の地を踏んだ場所が元山だという点も、金正恩の元山愛と無関係ではないという観測もある」。

日本とゆかりのある元山の今後が少し気になってきました。
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by sanyo-kansatu | 2014-05-06 19:41 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2014年 05月 06日

元山松涛園海水浴場とビーチパラソル、踊る朝鮮娘たち

北朝鮮観光につきものの、革命歴史博物館をはじめとした対外プロパガンダ施設見学や少年少女らによる舞踊&歌唱ショー、さらには10万人規模の市民動員によるド派手なマスゲーム。いまや北朝鮮名物として広く知られるようになったこれらの各種アトラクションは、もはや外国客にある意味“想定内”の印象しか残さないのではないでしょうか。

それに対して、この国のふつうの人たちが休日に行楽地に繰り出し、レジャーを楽しむ姿を目にすることほど、興味を引くものはありません。

今回その思いをいちばん強くしたのが、元山松涛園(ソンドウォン)海水浴場の光景でした。
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元山は朝鮮の東海岸側最大の港湾都市で、人口は約30万人。元山市内の北の海辺に位置するのが元山松涛園海水浴場です。白い砂浜や赤いハマナス、青い松林が広がっています。その日は、8月最後の日曜日ということもあってか、多くの海水浴客が繰り出していました。砂浜にはビーチパラソルが並んでいます。
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家族連れや若者のグループなどがビニールボートを浮かべて遊んでいます。
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沖には飛び込み台もあり、男たちが群がるように集まっています。
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ビーチバレーに興じるグループもいます。
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さすがにビキニ姿の女性は見かけませんでしたが、グラマラスなふたりの水着美女もいました。
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休憩施設もあり、浮き輪やビニールボートをレンタルしてくれます。
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レストランもあります。
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砂浜のそばには松林が広がっていて、飲み物やお菓子を売る屋台も出ています。
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焼肉バーベキューを楽しむグループがいました。我々が外国人だとわかったせいか、手を振る陽気さです。男性こそ白い下着のようなシャツ姿ですが、女性たちはそこそこおしゃれしているように見えます。
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松林ではあちこちでバーベキューをしているグループがいますが、なかには歌い、踊り出してしまう人たちもいます。お酒を飲んで気分がよくなったおじさんたちだけでなく、若い娘さんたちも踊り出します。それぞれ短いワンショットですが、動画もどうぞ。

朝鮮元山松寿園海水浴場、踊る人々1  
朝鮮元山松寿園海水浴場、踊る人々2  
朝鮮元山松寿園海水浴場、踊る人々3  

我々外国人グループはここで1時間ほど休んだあと、金剛山に向かいました。途中、進行方向左手(東側)に美しい海岸線が続いていました。
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この海沿いの雰囲気は、日本の日本海側の海岸線によく似ています。日本海側の海は日中、太陽を背にしているので、太平洋のように水際がきらきら輝いたりしないぶん、水平線がくっきりと見えます。何より白い砂浜が延々続く光景が日本海側の夏の海そっくりです。

元山から金剛山に向かう中間あたりに位置するのが待中湖です。ここは泥風呂の療養所が有名だそうですが、海水浴場もあります。
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待中湖海水浴場にも赤青黄白のビーチパラソルが並んでいました。
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砂浜にはゴミはほとんど落ちていません。北朝鮮に来て最初に驚いたのは、街がとても清潔だということでしたが、これほどゴミのない海水浴場は日本にもないのではないでしょうか。
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家族連れです。ビールやペットボトルの空き瓶が見えます。
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今回一緒に金剛山に向かう欧米客の何人かは、たまらなくなったのか、海に入っていました。気持ちはわかります。前のふたりはロシア人でしょうか。
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休憩所では、中国客たちがビールを飲んでいました。
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ぼくも1本頼むことにしました。「鳳鶴麦酒」だそうです。
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これは海水浴場の入場料や各種レンタル料金表でしょうか。入場料(大人)280(小人)70 パラソル140 椅子70 などと書かれています。ユーロ表示も併記され、ヨーロッパ客の存在をうかがわせます。 
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この写真は、金剛山から戻ってきた2日後の朝の待中湖海水浴場です。すでに8月末で、白い波が立っていました。日本海ではお盆を過ぎると波が立つといわれますが、その感じもそっくりです。

ところで、最近よくテレビの報道番組で、平壌にできた新しいプールや水族館などのレジャー施設の映像が配信されていますが、どう見ても「特権階級」向けという印象が拭えませんでした。でも、元山の海水浴場でくつろぐ朝鮮の人たちは、ふつうの市民のように見えます。

もっとも、元山の政治的位置づけからすると、そうともいえないという見方もあります。そもそも元山市民は、平壌市民と同様に、この国では特別な存在であり、生活水準も他の地域と違って、そこそこ豊かそうに見えるのは政策的な結果にすぎないのだと。

あるいは、こんなことも思わないではありません。もしかしたら、この海水浴場にいる人たちは、外国客80名のグループの元山訪問のために動員されたものではないか……。平壌のマスゲームのために駆り出される10万人の市民を思うと、これも壮大な演出なのではないか、なんてね。

それは考えすぎだとは思いますが、外国人にそういう疑心暗鬼を与えてしまうのは、日本も含めた海外メディアの印象操作の影響なのか、それとも彼らの「見せたいものしか見せない」というふだんのやり方にそもそも問題があるのか。きっと両方あるのでしょう。

※日本とゆかりのある朝鮮第2の都市、元山のことが少し気になる理由 http://inbound.exblog.jp/22570022/

いずれにせよ、8月最後の日曜日、北朝鮮のある行楽地でこうしたレジャーシーンが見られたことは、知っておいていいかもしれません。

ところで、以下の2枚の写真は1930年代に撮られた元山松涛園海水浴場と松林の光景です。
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当時、同じ場所で人々は海水浴を楽しみ、テントを張ってハイキングをしていたのです。これも知っておくべきだと思います。
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by sanyo-kansatu | 2014-05-06 14:14 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)