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2013年 07月 09日

1991年発行のガイドブック「朝鮮観光案内」を読んでみた

ここに「朝鮮観光案内」という旅行ガイドブックがあります。
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1991年発行。発行元は朝鮮新報社です。最近の旅行ガイドブックでは珍しいB6版、オール4色、164ページの体裁です。携帯用の案内書としてはコンパクトによくまとまっています。

表紙の写真は、白頭山(中国名は「長白山」)の天池です。裏表紙は、朝鮮民主主義人民共和国国際旅行社日本総代理店の中外旅行社の広告が入っています。

日本人の北朝鮮観光が始まったのは1987年10月(→「北朝鮮観光25年を振り返る」)。大韓航空機爆破事件(1987 年11月)ですぐに中断されたものの、再開されたのは3年半後の91年6月です。「日朝国交正常化直前限定ツアー」という、いささか勇み足なタイトルが付けられた商品として催行され、その時期に合わせて刊行されたのが、本書だと思われます。

では目次から見ていきましょう。

●目次
朝鮮民主主義人民共和国地図(2p)
朝鮮主要観光案内図(2p)
目次(3p)
平壌 9-51(43p)
平壌近郊 52―64(13p)
妙香山 65―79(15p)
新義州/江界/惠山 80―84(5p)
白頭山 85-96(11p)
清津/咸北 97―98(2p)
七宝山 99―107(9p)
咸興/咸南 108―111(3p)
元山/松寿園 112―114(3p)
金剛山 115―131(17p)
海州/信州 132―136(5p)
開城 137―144(8p)
あらまし(自然、歴史、生活、政治、文化などの紹介) 145-159(15p)
旅行の手引き(入国手続き、滞在メモ、旅行会話など) 160―164(5p)

いろいろ気になったり、引っかかったりするところがありますが、まずあっと思うのは、「朝鮮民主主義人民共和国地図」です。それは朝鮮半島全域がまるで北朝鮮の領土であるかのような地図であり、我々が普段見慣れた南北分断境界線も書かれていません。その一方で、次のページの「朝鮮主要観光案内図」では同様に境界線はありませんが、ほぼ現在の北朝鮮に限られた地図の範囲で主要都市や観光地が落とされています。

本書で最大のボリュームを割いて紹介されているのが、首都平壌です。冒頭の見開きは、チュチェ思想塔からのぞむ平壌市中心部のビルが並ぶ風景と「人民大学習堂の展望台に立つ金日成主席と金正日書記」の2点の写真で構成されています。次が平壌市の見開き地図。本編は金日成主席の銅像の建つ万寿台から始まります。

平壌観光は、ここがかつて高句麗の首都だったことから、古代遺跡めぐりがひとつのポイントです。また首都らしく建国にまつわる歴史施設や文化施設、市民の行楽地なども紹介されています。

なかでも「青春街スポーツ村」に代表される各種スポーツの競技場が写真入りで詳しく解説されているのが特徴でしょうか。これは想像するに、1988年のソウルオリンピックに不参加を表明した北朝鮮としては、自国にもオリンピックを開催できる施設は揃っているのだと訴えたかったのではないかと思われます。

あとは旅行ガイドブックのお約束として、平壌市内のホテルやレストラン、ショッピングに関する施設紹介があります。平壌の名物料理として「平壌冷麺」「神仙炉」「大同江のぼら料理」が挙げられています。

この調子で各地の内容を紹介しているとキリがないので、以下気がついた点だけ列挙していきましょう。

まず北朝鮮観光のハイライトは、四大名勝とされる妙香山、白頭山、七宝山、金剛山の登山だといえそうです。上記四山に割かれたページ数を他の都市と比べると圧倒的に多いからです。一般にガイドブック編集者が最初に手をつける作業は、どの場所を何ページ取るかという台割です。そのバランスは、想定される読者(本書の場合、北朝鮮観光に訪れる日本人を想定しているはず)を意識して割り振られるのが常です。それは本書においても、ほぼいえることだと思います。

それぞれの名山を紹介する写真を見ていると、岩肌の露出した峰や奇岩の多い、いわば中国名山に通じるコンセプトの山岳観光が主体のようです。

唯一違うのが白頭山です。白頭山は、2000年代以降、中国との歴史認識問題の舞台として知られていますが(→「長白山(白頭山)が中韓対立の舞台となっている理由(「東北工程」とは何か)」)、本書では同山を「革命の聖山」として紹介しています。

「白頭山根拠地の密営には、朝鮮革命の参謀部である司令部をはじめ、兵営、兵器修理所、縫製所、出版所、連絡所などが秩序整然と配置されていた」(同書87p)といったぐあいです。この時期まだ中国との歴史認識問題は起きていなかったせいか、「朝鮮民族のルーツ」といったふみ込んだ主張は見られないようです。

さらに、白頭山では雪山登山やスキー場など、冬山レジャーに関する情報も紹介されています。

先般世界遺産登録が決まった開城については、高麗王朝の古都としていくつかの名勝が紹介されていますが、わずか8pしか割かれていません。名物も高麗人参の産地として触れられているくらいです。やはり、北朝鮮にとって自らの国家的ルーツとして重要なのは、高麗ではなく、高句麗なのだろうと思います。

北朝鮮という国家の基本的な理解の手助けとなるのが、同国の自然や歴史、生活、政治、文化などを紹介する「あらまし」の章でしょう。

まず「自然」の項ですが、なぜか冒頭にこっそりこんなことが書かれています。「朝鮮民族は、古くから一つの領土で、同じ血縁と言語を持ち生活してきた単一民族である」(同書145p)。

さらに面白いのは、領土についての記述です。「領土は北から南に伸びた朝鮮半島と済州島(朝鮮最大の島)、鬱陵島、独島など、4,198の島からなっている」(同書145p)。巻頭の地図は、朝鮮半島全域が北朝鮮の領土であるという主張に基づいていることがここで判明します。また「独島」、すなはち竹島も北朝鮮領だと主張しているようです。

「歴史」に関しては、メンドウな議論になりそうなので軽く流すとして、気になるのは「紀元前8~7世紀またはそれ以前に成立」した「古朝鮮」という記述があること。李朝時代は約500年も続いたのに、ほとんど投げやりで簡単な記述しかないこと、などでしょうか。またこの項には、「檀君」についてまったく触れられていません。

その他、「生活」や「民族遊戯」といった文化方面の紹介とともに、「行政区画」「国家体制」「経済制度」など、北朝鮮の国家の性格についてコンパクトに紹介しています。ここでいちいち揚げ足を取るつもりはありませんが、面白いのが、最後に登場する「朝鮮の統一方案」です。

それによると、外勢によって分断された祖国を統一する基本原則として「自主、平和統一、民族大団結」を挙げています。その方案として、北朝鮮が主張するのは「思想・制度はそのまま、連邦国家で」というものです。

「この方案は、北と南がともに相手側に現存する思想と体制をそのまま容認する基礎のうえで、双方が同等に参加する民族統一政府を組織し、その下で北と南が同等の権限と義務を担い、それぞれ地域自治制を実現する連邦共和国を創立して祖国を統一するもの」(同書159p)というわけです。

その統一国家の名は「高麗民主連邦共和国」です。

本書が刊行される前年1990年の新年の辞で、金日成主席は「軍事境界線南側地域にあるコンクリート障壁を崩して、北と南の自由往来を実現し、南北が互いに全面開放しようと」と提案したといいます。1989年11月にベルリンの壁が崩壊したばかりだったことを思うと、この主張も現在とはずいぶん違った受けとめられ方があったことでしょう。

たかが旅行ガイドブックですが、あらためて中身を検討してみると、発行された時代の世界情勢や北朝鮮側の考え方が素直に伝わってきます。

ちなみに、巻末にある「旅行の手引き」では、「入国手続き」として「ビザの発給に必要な費用は、1人当たり10ドル。写真を2葉要する」とあります。また滞在中の両替方法や当地のテレビや新聞の紹介、タクシーの利用法も書かれています。まるで自由にタクシーに乗って市内観光をしても構わないような書き方です。

「国際航空時間表」を見ると、当時平壌はベルリン、モスクワ、北京、ハバロフスクと航空便で結ばれていたようです。「国際列車時間表」でも同じくモスクワと北京を結んでいますが、新義州・丹東・満洲里・ザバイカリスク経由だけでなく、豆満江・ハサンという咸鏡北道経由の国際列車が当時は走っていたことが記されていました。昨年、当地(咸鏡北道の羅先貿易特区)を訪れた印象では、とても国際客車が走れるような鉄路には思えませんでしたが、実際はどうだったのでしょう。こうした疑問をつい見つけてしまうことも、昔のガイドブックを読む面白さです。これは宿題にしたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-09 12:42 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2013年 06月 26日

中国のニュータウン建設に強い違和感あり(中朝国境の街「丹東新区」にて)

中国のニュータウン建設地を訪ねると、いつも強い違和感と軽いめまいに襲われます。
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もう5年以上前、日経ビジネスNBOnlineで連載した「上海不動産ミステリー」で、上海郊外に造られた英国タウンハウス風分譲地や、杭州のパリを丸ごと模倣したテーマパークのようなキッチュな新興住宅地を訪ねたころから、その印象は変わっていません。
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そこまで荒唐無稽ではありませんが、中朝国境に現在建設中のニュータウン「丹東新区」にも、同じような印象があります。
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毎年訪れるたび、マンション建設は少しずつ進んでいます。しかし、そこに人が住む気配は見られません。それはそうでしょう。周辺には体育館や遊園地の観覧車といった遊興娯楽施設、新空港ビルは早々とできていますが、人の暮らしに直接かかわるスーパーや病院、学校はまだありません。人が住んでいないからそれで構わないのでしょうが、そもそも優先順位がおかしいのではないか? 
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丹東の市政府の立派な庁舎はすでに建設され、公務員は丹東市内から毎日車で通勤しているそうです。でも、本当にこのニュータウンに人が住まう日が来るのか? 根本的な疑問が頭をよぎってしまいます。
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さらにいうと、都市計画では、新区の西側に工業産業園区が予定されています。韓国やシンガポール、日本、台湾から工場誘致を図る予定でした。誘致は進んでいるのでしょうか? ここは北朝鮮と国境を接する玄関口の街です。当然リスクもあります。以下は2011年当時の計画図です。
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新区の一角に、日本風の温浴施設「江戸城」の建設が進んでいます。それは単なる遊興施設ではなく、マンションも併設したかなり大規模な複合開発案件です。
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「江戸城」のマンション分譲を扱う不動産サイトhttp://ddfw.cn/によると、来年9月末には入居可能だそうで、価格は以下のとおりです。
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楼盘价格:最低价4700元/平方米(※1㎡4700元(約7万円)は北京に比べれば相当安い)
入住时间:2014年9月30日
物 业 费:暂无资料
售楼地址:绿江华府A座101室
开 发 商:丹东江户置业有限公司
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このプロジェクトは、もともと日本からの投資案件だったといいます。ところが、丹東に住む知人によると、その日本の投資家は単なるブローカーで、すでに地元の業者に売却してしまったそうです。

実は丹東市内に近い月亮島という中州の上に、1990年代にある在日中国人が投資したリゾートホテルの廃墟があります。ホテル運営にすぐに失敗し、早々と地元の関係者に売却されてしまったそうですが、「江戸城」を開発途中で売却(売り抜け)したのは、いったい何者なのか? 

所詮よその国の話といえばそれまでなのですが、これまで述べたような光景に強い違和感をおぼえるのは、ぼくが1970年代の首都圏のニュータウンで少年期を過ごした人間だからだろうと思います。

造成地に囲まれ一見殺伐とした歴史も伝統もないニュータウンの生活。引越しした当初は通学路さえ舗装されておらず、雨の翌日はひどいぬか道でした。それでも、自分の成長とともに日々街は整備され、生活が便利になっていく……。今も当時の同級生に会うことがありますが、そこは自分の育ったまちだという思いがあります。

規模でいえば、臨海副都心よりずっと大規模な丹東新区。たとえ、オリンピックが誘致できたとしても、日本ではこんな巨大な開発案件はもうないでしょう。それなのに……。

明らかに、中国経済が2000年代に見せた発展のスピードはすでに失われています。地元の知人によると、「丹東新区が完成するには、まだ5~6年はかかりそう」とのことです。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-26 17:57 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 06月 20日

中国の地方開発はどこでもこんな感じです(まちづくりの観念は欠落。不動産販売が優先)

中国遼寧省の丹東は、鴨緑江をはさんで対岸の北朝鮮新義州と向き合うまちです。近年、市街地南部に広がる鴨緑江下流域一帯を「丹東新区」として開発し、高層マンションの建設ラッシュが続いています。
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いまそこでは北朝鮮側とつなぐ新鴨緑江大橋が建設されています。
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その一画に「国門湾」都市開発情報センターがあります。
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このような都市開発情報センターは、丹東に限らず、中国全土にあります。中国の地方都市の開発とはどういうものかを理解するためには、格好の場所といえます。

中に入ってみましょう。ショールームの正面に、巨大な「丹東新区」のジオラマがドーンと置かれています。周囲には、超高層ビルを配置した丹東新区の未来図のパネルが展示されています。ただし、そのイメージは驚くほど全国の他の地方都市のものと似かよっています。上海の浦東を原型としたイメージを踏襲しているといって差し支えないと思われます。
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都市計画図によると、丹東新区は、工業産業園区、中央行政文化区、国際貿易区の3つに分けられるようです。
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中央行政文化区には、市政府や公共の文化施設、学校などに加え、不動産デベロッパーのマンション予定地がしっかり書き込まれています。
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興味深いことに、ショールームの隣では、不動産会社のブースがいくつか並び、販売が行なわれています。まだ完成していないマンションのジオラマを展示し、女性の販売員が接客しています。
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マンションのジオラマ自体はどれも似たり寄ったりです。間取りの模型もあります。しかし、そこでどんなまちづくりが行われるのか、どんな住まい方になるのか、ほとんど説明されていません。
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これが地方政府とデベロッパーがグルになって進める中国式の地方開発です。地方政府の歳入は土地売却に依存し、不動産投機が主要な原動力といっても差し支えないのではないか。それまで何もなかった0円の土地を売って、箱物建てれば大金になるというわけですから。

確かに日本でも同じような話はあります。再開発によって土地の値段が上がるのを見越して土地の買占めを図る強欲なデベロッパーと政治家のインサイダー取引なんて話は、テレビドラマでもおなじみの設定でしょう。

ただし中国の場合、それを悪びれることもなく政府が推奨しているようなところがあります。国民の多くも、マンション開発の話を聞きつけ、安いうちに複数購入し、資産価値が上がるのを待ち、時が来たら売り抜ける、という中国におけるお手軽資産形成=幸福への最短コースを夢見ています。一見儲けるチャンスは誰にでも開かれているようですが、そんなことは当然ありえませんし、政府関係者の懐にいくら入ったか公表されることはまずありません。

その結果、 日常生活に欠かせない諸物価とはつりあわない不動産価格の高騰が起きているわけです。いまの中国は、土地の値段をつり上げないことには、経済が回らないような社会になっていないでしょうか。

今年に入り、中国経済の成長の減速が伝えられるなか、濡れ手で粟の不動産投機による資産運用に精を出してきたばっかりに、額に汗して働く正攻法の商売を手がけるのがバカバカしいという風潮がこの国に生まれてしまっているように思います。それがあだとならなければいいのですが……。

こうしたことは、中国では大なり小なり全土で起きていることです。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-20 17:46 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 06月 14日

長白山(白頭山)が中韓対立の舞台となっている理由(「東北工程」とは何か)

本ブログでは、これまで何度か中国吉林省の長白山の観光開発が進んでいることを報告しました。

※「いま中国で人気の山岳リゾート、長白山」http://inbound.exblog.jp/20458097/
※「長白山(白頭山)は5つ星クラスの高原リゾート開発でにぎわっています」http://inbound.exblog.jp/20386508/
※「フラワートレッキングに行くなら高山植物の宝庫、長白山(白頭山)へ」http://inbound.exblog.jp/20202609/

10年前には何もなかった美しい山麓にたくさんのリゾートホテルが建設され、空港ができたことでアクセスも飛躍的に良くなりました。中国のレジャーブームも後押しし、国内外のトレッキング客も増えています。それ自体はすばらしいことなのでしょうが、手放しで歓迎できない側面があります。

長白山(白頭山)が中韓「歴史」対立の舞台となってしまっているからです。

背景には、中国の独善的な「歴史」認識の既成事実化を推進するうえで政治的バックボーンとなっている、悪名高い「東北工程」があります。

朝日新聞2007年11月14日に「白頭山 中韓揺らす」と題された記事が掲載されています。
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「中朝国境にそびえる名峰、白頭山(中国名:長白山)の観光開発を中国が進めていることに対し、韓国が強く反発している。白頭山は朝鮮民族にとっての『聖地』。北朝鮮問題での対応では近い位置にある中韓だが、対立の背景には古代国家・高句麗をめぐる歴史問題も複雑に絡む」

2005年8月、吉林省政府は「長白山保護管理委員会」(以下、管理委員会)を立ち上げました。西坂を中心に大規模リゾート開発を進め、それまで主に長白山観光のベースだった延辺朝鮮族自治州の関与を制限し始めたのです。長白山の「中国」化を徹底させ、観光利権の独占化を図りたかったからでしょう。

前述の朝日の記事に、以下のような記述があります。

「長白山を世界自然遺産として登録を目指す動きも活発だ。当局は『環境整備のため』との理由で、韓国人らが経営する中国側登山口周辺の宿泊施設や飲食店に、立ち退きを求める通達を出し、10月には一部で撤去作業が始まった」

これを物語る出来事として、在日朝鮮人の事業家が北坂の長白瀑布の近くに建てた「長白山国際観光ホテル」の経営権を管理委員会によって取り上げられた一件があります。同ホテルは、1998年に中日合資で開発されたもので、源泉から引いた温泉やサウナもあり、長白山で登山を楽しむには最適の宿泊施設でした。北朝鮮から服務員を招聘し、サービスを提供していたこともあります。ぼくも2度ほど宿泊させてもらいました。しかし、2008年頃より、管理委員会から施設の買い上げを迫られ、2012年には完全に閉鎖されてしまったのです。
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華やかな山岳リゾート誕生の陰で、中国の「歴史」認識の既成事実化のための工作が進められているのです。

ところで、ここで問題となっている「東北工程」とは、2002年2月から07年1月までの5ヵ年にわたって、中国社会科学院の中国辺疆史地域研究センターを中心に推進された「東北辺疆歴史与現状系列研究工程(東北工程)」という研究プロジェクトを指します。

その内容が、中国政府の掲げる「統一的多民族国家論」の立場から、現在の東北三省で勃興したすべての部族・民族の歴史を中国内の一地方政権の歴史として中国史に編入しようとしたところに批判が集中しているのです。

多民族国家である中国にとって、朝鮮半島とは地続きの東北地方で民族紛争の火種を未然に消し去り、地域の安定化を図りたい事情があることはわかります。そのために、この地域の「中国」化を推し進めようと考えているわけですが、その乱暴なやり方が他の少数民族居住エリアと同様に、波紋を広げてしまっているのです。

何より、政治が歴史を弄ぶにもほどがあります。この地域は古来さまざまな多民族の集住地であり、現代の特定の国家がその歴史を今日の事情で都合よく「解釈」しようとしても無理があります。

結果的に、それは周辺国家の警戒を生み、逆効果をもたらしてしまっています。

韓国や北朝鮮がこれに反発するのは、古代国家・高句麗や渤海を「中国辺境少数民族の地方政権」として縮小し、中国史の一部に属すると決めつけることに、中国のナショナリズムの横暴な反映をみてとるからです。

2000年代半ばに韓国で多数制作された歴史ドラマ(『朱蒙』『太王四神記』『大祚栄』など)は、中国の「東北工程」に対する韓国側のナショナリズムの対抗表現だといわれています。中国が国ぐるみで押し付けてくる北東アジアの「歴史」認識に対抗するプロパガンダの必要が韓国にはあったというのです。

もっとも、ある研究によると、高句麗の最盛期にあたる好太王(主演はぺ・ヨンジュン)を主人公としたドラマ『太王四神記』には、日本統治時代に朝鮮半島で創出された「大朝鮮主義史観」が描かれていると指摘されています。ここでいう「大朝鮮主義史観」とは、一般に日本の皇国史観に影響された朝鮮民族の起源としての檀君神話をあたかも史実であるかのように唱導することです。

「現代の中国ナショナリズムに対抗するために制作された韓国の高句麗ドラマの民族主義的なモチーフは、植民地時代に日本帝国主義に対抗するために創出された近代的な言説である」。その「『大朝鮮主義史観』が、現代の中国ナショナリズムに対する対抗言説として召還され、東アジア全域を流通するグローバルな『韓流』コンテンツの中に甦っている」というわけです(『韓流百年の日本語文学』木村一信、チェ・ゼチョル編 人文書院 2009 より)。

だとすれば、中韓どちらも似た者同士、ということなのかもしれませんけれど、「長白山周辺からハングル表記を減らしている」(前述の朝日記事より)という中国のやり口は大人げありませんね。

ぼくの知る限り、以前は英語と中国語、ハングルの三か国語表記が基本だった現地の観光案内からハングルだけがはずされてしまいました。そんな了見の狭いことでは、世界遺産なんて望むべくもないと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-14 16:11 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 06月 06日

「新鴨緑江大橋が半分くらいできた」と地元の人に聞きました

鳴り物入りで建設の始まった新鴨緑江大橋。中国遼寧省の丹東新区と北朝鮮の新義州をつなぐ全長約2kmの斜張橋です。
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昨日(2013.6.5)、丹東に住む友人から「新鴨緑江大橋が半分くらいできました」と現地で撮影された写真付きのメールが届きました。約1年前の2012年7月に現地を訪ねたときにはほとんど存在していなかった斜張橋を支える2つの塔と橋桁の一部が出来上がりつつあります。

中朝経済を結ぶ大動脈となることを期待して2010年2月25日、両国の間で建設協定が結ばれました。工事現場の掲示板によると、建設投資22億元、約3年の工期で完成される計画で工事は2011年5月に始まっています。
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以下、この2年間の工事の進捗を写真で見てみましょう。

2011年7月1日
橋桁をつくるための土台が半分くらい出来ています。
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橋のたもとには工事を眺める地元の人たちがいました。
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2012年7月4日
斜張橋を支える塔の建設が始まったようでした。
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2013年6月5日
塔はだいぶ出来上がりましたが、橋桁はまだ一部しか出来ていません。
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工事現場に掲示された新鴨緑江大橋の完成図のイラストを見ると、スマートなシルエットが魅力です。
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地図によると、大連や瀋陽方面からの高速道路と接続される予定です。
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写真を送ってくれた友人によると、この新鴨緑江大橋は、表向き両岸から工事を進めているとはいえ、投資も建設もその大半は中国にお任せ。そのくせ北朝鮮側は、開通後には通行料を取ると言い出して、そりゃないだろと、中朝間でもめているとか。いかにも両国の関係を象徴しているようで、面白いですね。

もっとも、中朝経済の発展格差の大きさからすれば、中国側は必ずしも工事を急ぐ必要を感じないのかもしれません。また、中国の地方経済が抱える不良債権問題が工期に影響してくる可能性も今後はあるかもしれません。

いずれにせよ、橋が完成したあかつきには、吉林省琿春の圏河橋(中朝第2の国境、圏河・元汀里で見たもの【中朝国境シリーズ その1】)と同じように、中国側からの交通量が一方的に増えることが予想されます。経済的には常に受け身に回らざるを得ない北朝鮮はいろんな手を使って交通量を調整することも考えられます。新鴨緑江大橋開通というインパクトが、この地域にどんな変化をもたらすことになるのか。それが見えてくるのはもうしばらく先のことですが、今後も注視していきたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-06 08:51 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 06月 02日

中朝陸の国境では兵士も農民も目と鼻の先(遼寧省丹東市)

中国遼寧省丹東市から鴨緑江を下流に向かって車で30分ほどの場所に、川を隔てていない陸の国境があります。
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地図を見るとわかるように、鴨緑江の下流域には中州がたくさんあるのですが、そのうち鴨緑江の本流から見て北側の中国領に接したいくつかの中州がなぜか北朝鮮領であるため、陸の国境線が敷かれることになるのです。
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国境沿いには、丹東市街から東港国際港に至る道路が延びていますが、北朝鮮が核実験を実施した2006年秋以降、中国政府は一斉に鉄条網を建設しました。地元の中国人によると、それまでは両国の境はなく、のどかな田園風景そのもので、人民同士ごく自然に往来しながら暮らしていたそうです。

ところが、いまでは道路の南側に広がる北朝鮮の田園風景は鉄条網越しに眺めることになります。

地元の知り合いの運転する車で、この国境沿いのコースを何度かドライブしたことがあります。道路のほんのすぐ脇に鉄条網はありますが、その目と鼻の先は北朝鮮の農地です。
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しばらく走ると、北朝鮮の民家もすぐそばに見えます。田植えをする農民たちもいます。
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木陰に北朝鮮の国境兵士と思われる軍服姿の若い男たちもいました。彼らはべつにここで何をするわけでもなく、無聊をかこつという姿にしか見えません。
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ここにも北朝鮮側にモノを投げたり、交換したりするな。また撮影は禁止だと書かれた看板があります。そのせいか、たまに軍の車がこの道を往来していて、そのつど車の走るスピードを少し速めたり、カメラマンは望遠レンズを車の窓の下に隠したりしなければなりません。
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2011年6月、北朝鮮政府はこの陸の国境沿いにある自国領の黄金坪と威化島という中州を「経済地帯」に指定。中朝両国はこの地を共同開発し、工業団地を建設するための着工式を行ったことが、日本のメディアでも盛んに報道されたことがあります。確か、わざわざテレビ局までこの地の映像を流していました。
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ところが、その後いつになっても、建設は始まりません。現在もなお、のどかな田園風景には不似合いなほど仰々しい黄金坪の入り口の扉は閉じられたままです。
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着工式が行われた広場も、「中朝睦邻友好共促经济繁荣」と書かれた大看板が置かれただけで、人の姿はありません。このところの中朝関係の悪化もあるでしょうが、そもそもインフラ整備から投資まで、すべてをオンブにダッコの北朝鮮に対して、さすがの中国側もうかつに手は出せないという感じではないでしょうか。
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黄金坪の向かいの中国側には、最新式の体育館が建設されていました。こちらは「丹東新区」と呼ばれる開発区で、いずれ丹東の都市機能をこちらに移転すべく、現在大規模な開発が進んでいます。なんとも皮肉な光景といえます。
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※掲載した写真は、2008年5月~12年7月にかけて、ほぼ毎年この地を訪れて定点観測した中から選んでいます。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-02 16:01 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 06月 02日

万里の長城の東端とされる虎山長城から見渡す北朝鮮の畑

中国遼寧省丹東市から鴨緑江の上流に向かって約20㎞の場所に、万里の長城の最東端とされる虎山長城があります。
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中国側の主張によると、明の治世の1469年、後金の侵入を防ぐために建造されたものだそうです。1980年代後半、この地で長城の遺跡が発見されたということで、それまで河北省の山海関までとされた長城が東に延長されることになりました。ただし、大連市北郊外の大黒山に残る遺跡と同様、前漢の時代に高句麗が築いた遺構との説もあります。
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1992年以降、北京郊外にある本家の万里の長城をまねて、散策しやすいよう新たに築城されてしまった結果、歴史の真相は塗り消されてしまいました。いまでは、中国のどこにでもある石畳のテーマパークといった感じです。相変わらず、やることが雑ですね。
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むしろ、ここを訪ねて面白いのは、長城から南側に抜け、北朝鮮との国境となる鴨緑江沿いの「一歩跨」という名の展望台でしょうか。
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確かに、そこからすぐ目の前のわずか数メートルの小川を隔てた先は北朝鮮の畑で、農民の姿もよく見えるからです。ここでは、川の手前ではなく、向こう岸に鉄条網が敷かれています。目の前の北朝鮮領は鴨緑江の中州にあるためです。鴨緑江の本流は、畑の向こうを流れているのです。
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これは、中朝国境でよく見かける看板ですが、北朝鮮側にモノを投げたり、物品を交換したりしてはならない、と書かれています。
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さらに、ここにもお約束のように、遊覧ボートの乗り場があります。掲示板の地図を見ると、ここから中朝国境となる狭い小川を通って、長城の終点である長城歴史博物館の場所まで下るようです。実際、その間北朝鮮の畑以外、見るべきものはほとんどないため、乗客の姿は見られません。
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ところで、虎山長城付近は日露戦争時、日本帝国陸軍第一軍が渡河し、ロシア軍と交戦した場所でもあります。1904年4月20日前後のことです。
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占領後に建てられた碑はいまも残っています。丹東市政府による日露戦争の戦跡の碑もあります。大正時代に日本人が造った碑も残っています。
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この地に最初に城壁を築いたのが誰であれ、高句麗の時代から20世紀に至るまで、鴨緑江を渡河するのに、この地が適した場所であったことがうかがえます。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-02 14:19 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 28日

鴨緑江遊覧ボートで見る中朝の発展格差をどう考える?(遼寧省丹東市)

これまで中朝国境沿いに残された断橋や疲弊した北朝鮮の集落、そこで暮らす人々の様子を川向こうからこっそり覗いてきましたが、今回は中朝国境を代表するスポットとして遼寧省丹東を紹介します。
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ここには、朝鮮戦争時に米軍によって落とされた鴨緑江断橋と、それに並行して造られた中朝友誼橋(全長946m)があります。中朝友誼橋には鉄道が敷かれており、中朝間をつなぐ最大の国境ゲートとなっています。

※鴨緑江断橋は1911年11月に開通した橋梁で、1950年11月8日に落とされたまま、反米プロパガンダとして現在もその姿を残しています。中朝友誼橋は1943年に開通し、こちらも米軍によって落とされたのですが、改修して使われています。
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断橋のたもとからは、鴨緑江下流に向かって遊覧ボートが出ています。
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遊覧時間は約40分ほどですが、乗客たちは中朝両国の発展格差を目の当たりにすることになります。遊覧コースについては地図にこうあります。
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以下、橋のたもとから下流に向かって北朝鮮側と中国側の様子を交互に写真で並べて対比してみましょう。撮影は2010年5月のものですから、中国側はともかく、北朝鮮側も現在はもう少し整備が進んでいると思われます。
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北朝鮮側:橋のたもとに小さな観覧車が見えます。
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中国側:橋のたもとには、断橋と対岸の北朝鮮の様子が見渡せる中聯大酒店(ホテル)が建っています。
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北朝鮮側;橋のたもとから数百メートル下流に朝鮮式の2階建て施設がみえます。ここで幹部らが食事でもするのでしょうか。
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中国側:その対岸にはマンションが立ち並んでいます。
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北朝鮮側:そのさらに数百メートル下流に老朽化した2階建ての用途不明の建物があります。
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中国側:その対岸には最新式の高層マンションがあります。
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北朝鮮側:さらに下流に行くと、港湾施設を建設中です。この先には中国の投資による新鴨緑江大橋が建設中です。中国の投資攻勢に北朝鮮も防戦一方ではすまされないでしょう。
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下流に向かって右手が中国、左手が北朝鮮。
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遊覧ボートが引き返して、左手が中国、右手が北朝鮮。
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両国の発展格差をもっと印象に刻みつけたいのであれば、丹東の市街地の北にある元宝山の上に建てられた黄海明珠塔に上るといいでしょう。元宝山の標高が155m、塔の高さが138mで、手前の丹東市内と北朝鮮新義州の街並みを遠望できます。

鴨緑江に面して高層マンションが林立し、ぎっしりとビルと人間が集住している丹東市内に対して、河を隔てた新義州には低層住宅がへばりつくように並んでいますが、市街地の向こうには何もなさそうです。
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少し俯瞰した写真で見ると、新義州のはるか向こうに高層ビル群が見えます。あれは丹東新区と呼ばれる開発区で、いずれ丹東の中心はあちらに移る計画だそうです。すでに丹東市政府の巨大なビルは移転しています。新鴨緑江大橋を架けようとしているのは、丹東新区からです。いずれ、新区の様子も紹介するつもりです。
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さて、こうしてみる限り、中朝両国の発展格差は絶望的なまでに拡がっているといえなくもありません。

この歴然とした格差の光景は、1980年代半ば、香港の新界から眺めた深圳を思い出します。見渡す限り田園風景だった深圳に対し、背後には超高層ビルが林立し、人ごみあふれる香港という対比。それでも、当時その光景をそれほど深刻なものとして受け取る気分になれなかったのは、中国大陸の大きさに比べれば、香港なんてちっぽけな存在にすぎないのだから……。そんな漠然とした思いがあったからだと思います。なんにしろ、中国はこれからゆっくり発展していけばいいのだからと。

ところが、鴨緑江を隔てた中朝の格差の光景には、どこか不穏な印象がぬぐえません。

巨大な中国に対し、北朝鮮はあまりに小さく、デリケートな存在だからです。ハンディが大きすぎるのです。

もし中国の投資家がアフリカやミャンマーでやったように好き勝手に北朝鮮に入りこんできて、フリーハンドで開発を進めたら、中国資本に飲み込まれてしまうであろうことは明らかです。鴨緑江遊覧ボートや黄海明珠塔から見る中朝国境の光景はそれを実感させます。でも、そんなことをあの国の政府が許すはずはないでしょう。北朝鮮の北東アジアにおける超問題児ぶりの背景には、何より中国との関係があるのです。

だからでしょうか、北朝鮮関係者によると、この国では海外からの膨大な投資を飲み込むことで発展してきた中国式モデルではなく、国情の似たベトナム式の改革開放モデルを学ぼうとしているとも聞きます。台頭する中国とじかに国境を隔てる国々の苦悩はこれからも続くと思われます。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-28 14:53 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 26日

高速で素通りされ、さびれてしまった図們

図們は、吉林省延辺朝鮮族自治州の東南部にある中朝国境と接する都市です。
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丹東の鴨緑江断橋が観光名所としてにぎわうのと同様に、図們と南陽(北朝鮮)に架かる図們大橋の手前に建てられた国門とその周辺は、北朝鮮の切手などを売る商店や軽食堂の並ぶちょっとした観光ポイントになっています。
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図們大橋のたもとでは、多くの中国人観光客が対岸の北朝鮮をバックに記念撮影を楽しんでいます。
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国門の屋上は展望台(有料)になっていて、そこから図們大橋の全貌と南陽の街並みが遠望できます。
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さらに、図們大橋の真ん中までが中国領ということで、観光客は国境線とされる中央のラインが敷かれた場所までは歩いていけることになっています(橋自体も中国側と北朝鮮側で色を塗り分けています)。
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もちろん、まったく物流が途絶えているというわけでもなく、北朝鮮側からこの橋をトラックが渡ってくるのをぼくも以前見たことがあります。しかし、ごくたまに、といった頻度です。では、本来中朝間の数少ない物流ルートであるはずの図們大橋が、なぜ日常的には中国側の観光客の散策の場くらいにしか使われていないのか。理由は後述します。

国境観光のその他アトラクションという意味では、図們大橋の北側の図們江沿いは図們江公園となっていて、朝鮮族の歴史や文化、風俗を展示する「中国朝鮮族非物質文化遺産展覧館」(なかなかすごいネーミングでしょう)があります。要は、無形文化財の展示館ということですが、実態は朝鮮の民族衣装を着せた蝋人形館といったほうが近いようです。

また図們江公園には、これまで見てきた中朝国境ではおなじみの国境遊覧ボートもあります。2012年に訪ねたときには、イカダ型をした奇妙なボートがそれほど川幅の広くない図們江を下流に向かって遊覧していました。ある意味、中朝国境沿いの中で最も北朝鮮側に接近したコースを航行するボートといえるかもしれません。

確かに、北朝鮮が中朝国境の近くで核実験を敢行したことで両国関係が緊張した一時期こそ、中国当局の指示で観光客の姿は消えましたが、それもつかの間。実際には、日本のメディアが報道するほど緊迫した事態というのはまれで、のどかな国境風景が見られるのが日常といえます。
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むしろ、図們は延吉や琿春と比べると、発展から取り残されたまちといえるでしょう。どうしてそんなことになったのか。

かつて図們は「西の丹東、東の図們」と並び称される中朝国境のメインゲートでした。ところが、2010年、長春方面から延びてきた高速道路が琿春までつながり、圏河口岸が整備されたことで、中朝間の物流ルートとしての位置付けは琿春に移ってしまったからです。琿春にはロシアとの口岸もあり、今後の発展が期待されますが、図們は高速によって素通りされ、さびれていくばかりというのが近年の状況といえます。
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しかし、歴史的にみれば、この地の重要性が決定的に低下したのは、満州国崩壊にまでさかのぼります。

もともと図們は、日露戦争後に日本が間島協約で清から敷設権を獲得した「吉会鉄路」の終着駅として建設が進められ、満州国成立後には図們南陽橋(現「図們大橋」)を通じて北鮮線と接続、日本海経由の日満連絡ルートとしての地位を確立していました。1930年代の図們について、以下の記録があります。

「図們はわが北鮮南陽と図們江を隔てて相対する国境新興都市、しかしこの国境は友邦両国の捨手地で、その和やかさは全くいわゆる『銃剣のきらめく緊張の国境風景』ではなく、僅かに税関検査が安東・大連と同様に行われる。

この地もともと名もなき小部落であったが、僅かのうちに驚異的躍進を遂げた新開地で、したがって料亭・旅館・飲食店など多く、生気溌剌としている。

列車は進んで豆満江国際鉄橋(420米)を渡ると地はすでにわが皇領をなる。その羅津港はこの橋梁より南陽に出で後162粁5、咸鏡北道北辺を走り直通列車はおよそ3時間で着く」  (ジャパンツーリストビューロー 昭和12年発行)

結局、日本の敗戦で、当時図們から北朝鮮経由の日満最短航路のひとつだった羅津までの路線(図們-南陽-穏城-慶源-雄基)は事実上断たれてしまいました。「図們江、野ざらしにされた断橋の風景【中朝国境シリーズ その6】」で見た橋桁の消えた鉄道橋や、「羅先(北朝鮮)はかつての「日満最短ルート」の玄関口」で紹介した羅津駅や雄羅線(雄基・羅津)の現在の姿からもわかるように、現在線路はなんとか残っているものの、鉄道を運行するには改修工事が必要なようです。

北朝鮮側としては中国の投資によってこの鉄道を改修させたいと考えているようですが、中国は先に圏河口岸から羅津に至る自動車道の舗装化を優先させました。近年の不安定な中朝関係のなかで、鉄道路線を改修するコストを引き受けるのは中国側も抵抗が強かったでしょうし、この辺境の地においても、もはや鉄道の重要性は低下し、モータリゼーションの時代を迎えているからでしょう。いずれにせよ、膠着状態にある昨今の中朝関係の中で、かつて国境のまちとして栄えた図們が今後大きく変貌を遂げる可能性は少ないように思われます。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-26 10:58 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)
2013年 05月 20日

過去のにぎわいを忘れたふたつの国境~開山屯と三合鎮

中国吉林省延辺朝鮮族自治州には、圏河口岸以外にも、北朝鮮との国境ゲイトがいくつかあります。
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そのうちのひとつが、図們江中流域にある龍井市開山屯の口岸です。龍井から東に向かって車で約40分走ると、図們江に出くわします。
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そこには、開山屯と北朝鮮の三峰里をつなぐ三峰橋が架かっています。1927年9月30日に竣工されたものです。
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中朝両国側ともに河原が広く、水の流れはほんの数十メートルほどです。ここにも中朝国境の風景をのんびり眺めている中国の人たちがいます。ほとんど物流の動きはなさそうですが、一応口岸(イミグレーション)のオープン時間が掲示されています。監視用のカメラも一応備えられています。実は、2013年5月、ひとりの日本人旅行客がここで写真を撮影していて、中国の公安に拘束されたことがあるそうです。北朝鮮情勢にもよるのですが、もしこのような写真を撮影したい場合は、現地の知り合いと一緒にいくべきでしょう。
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いまでこそ鄙びた国境ですが、20世紀初頭、日本が朝鮮を保護国化し、1909年の関島協約でこの地域の帰属を清朝に認めるかわりに、鉄道など各種権益の保有(朝鮮移民の土地所有権も含む)を認めさせた頃から、急ピッチで図們江北側の「間島」エリアの開発が進んでいきます。

その後、日本によるこの地の鉄道敷設は中国側の反対に遭い、難航をきわめたのですが、朝陽川から龍井を経由して開山屯を結ぶ朝開線が、1914(大正3)年、日中合弁の天図軽便鉄道会社によって建設されます。

同じ時期、朝鮮側でも鉄道敷設は進み、清津から会寧までの咸鏡北部線が1917(大正6)年、さらに開山屯の対岸の上三峰までの開通が19(大正8)年。結果的に、朝鮮北部の清津(そして羅津)と満洲を結ぶ鉄道がつながることで、日本と満洲を直結する最短ルートが確立するのは、満洲国成立を待たねばなりませんでしたが、開山屯は当時、その重要な拠点のひとつでした。

※当時の鉄道建設に関しては、たとえば「躍進する北鮮の交通展望」(京城日報 1933(昭和8).9.27)参照。

満洲国崩壊後、このルートは用なしとなって現在に至っています。その結果、この路線はもはや鉄道の運行すらほぼ休止したありさまですが、開山屯駅は往時を偲ぶ昭和モダン風の愛嬌のあるデザインのまま、いまも残っています。
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開山屯周辺は、対岸の北朝鮮との川幅が狭く、ある時期までは中朝の民間交流が普通に行われていたと思われます。最近になって、とってつけたように中国側が鉄条網を張り巡らしているので、交流は相当難しくなっているはずです。何より中国側で同胞を受け入れようとする朝鮮族の思いが急速に失われていることが大きいと思われます。
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開山屯から南に向かって国境沿いを車で走ると、高台から北朝鮮の街並みが見渡せるポイントがあります。上三峰から会寧に向かう鉄道が見えるのですが、ベージュに赤と紺のストライプの入った、ちょっと場違いなほどモダンな4両連結の列車が走っていました。鉄道に詳しい友人にこの写真を見せたら、旧東ベルリンの地下鉄だといいます。かつては同じ社会主義圏ということで、転用されたものと思われます。
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さて、もうひとつの口岸が、開山屯より上流にある三合口岸です。三合鎮自体は小さな農村ですが、対岸は会寧といい、そこそこ大きなまちです。前述したように、朝鮮の日本海側を代表する港町、清津と結ぶ鉄道が早い時期から会寧まで敷設されており、当時はずいぶん栄えていたことでしょう。金日成夫人の金正淑(金正日の母)の生まれ故郷ということで、北朝鮮国内では有名なところだそうです。そのせいなのか、美人が多いまちだと彼らは口をそろえていいます。面白いですね。
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実は、この口岸は中朝以外の第三国人には開放されていないのですが、2008年5月、ぼくは地元延辺朝鮮族自治州のある関係者との縁で、国境橋を視察させてもらいました。橋の真ん中までは中国領ということで、国境警備兵の案内で歩いていくことができたのです。上の写真は、橋の中央からみた北朝鮮側の口岸で、下が中国側の口岸です。橋のたもとには「1941年7月竣工」と書かれていました。
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三合口岸の南に見晴らしのいい高台があり、「望江閣」と呼ばれています。ここからは会寧の街並みが一望にできるため、北朝鮮ウォッチングのポイントのひとつとして、よく観光客も訪れます。北朝鮮側の口岸もよく見えます。会寧は、他の中朝国境沿いのまちに比べ、家並みもかなり立派で、整然としていることがわかります。
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このふたつの国境を訪ねると、中国と北朝鮮の建国以来、今日まで続く両国関係の特殊性ゆえに、この地域の発展の可能性が閉ざされてしまったように見えてしまいます。かつて見られたにぎわいをすっかり忘却してしまった静かな国境―開山屯と三合鎮の姿は、現在の延辺朝鮮族エリア、果ては中朝ロ三か国が国境を接する北東アジアの行きづまり感を象徴しています。
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by sanyo-kansatu | 2013-05-20 14:21 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)