ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2013年 10月 14日

2013年版 北朝鮮のグルメ~5泊6日食事14回のすべて【後編】

北朝鮮5泊6日、計14回の食事の内容の続きです(→前編)。

8)4日目の朝食(金剛山ホテルレストラン)
金剛山ホテルの朝食はブッフェではなく、すべての料理がテーブルに運ばれてきます。鶏肉料理もそうですし、とぐろを巻いたマントウがあるところなど、いかにも中国風の朝食です。雑穀のお粥もありました。
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9)4日目の昼食(金剛山の麓のモンラン館)
この日は朝早く起き、金剛山登山に出かけたので、下山した頃にはすっかりお腹が空いていました。料理は焼き肉です。牛と豚と鴨肉から選べます。ブルーの制服を着た女の子が肉を焼いてくれました。渓流を眺めながらの食事は気分がいいです。最後にビビンバが出てくるところなど、かつて韓国客が多くこの地を訪れた名残でしょうか。今回朝鮮でビビンバを食べたのはこのときだけでした。
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10)4日目の夕食(外金剛ホテル中華レストラン)
韓国が投資した現代的な外金剛ホテルの中華料理店での夕食。中国東北料理風の野菜の和え物の前菜、豚肉&鶏肉料理、ホタテのグラタン風、チャーハンなど、中朝洋折衷とでもいえばいいのか。あるいは、中韓洋折衷なのか。ヨーロッパ人客たちを少し意識したメニューなのかもしれません。
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11)5日目の朝食(金剛山ホテルレストラン)
前日とだいたい同じでした。ポテトをパイのように焼き上げた、ちょっと凝った西洋風の一品もありました。
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12)5日目の昼食(高麗ホテルレストラン)
バスで長時間かけて平壌に戻り、少し遅めの昼食です。おなじみのニシンの煮つけや鶏団子、野菜炒めなど。
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13)5日目の夕食(万寿台創作社の経営するレストラン)
この日の夕食は、北朝鮮が海外向けに朝鮮絵画や陶器などの美術品を制作販売している万寿台創作社(→「北京の朝鮮万寿台創作社美術館のアーティストたち」)の経営するレストランへ。
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料理は最後の日ということで、刺身の舟盛りが出てきました。朝鮮名物というジャガイモの皮の黒い餃子もあります。見た目はいちばん豪華でした。ただ刺身は冷凍もので、口の中でしゃりしゃりしました。これは日本人客だけのサービスだったとあとで聞きました。朝鮮産の瓶詰マッコリもあり、1本10元相当でした。
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店の前にはチマチョゴリの美人さんもいて、美女軍団の歌のショーもありました。
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【動画】平壌万寿台創作社レストランのショー(2013年8月)

14))6日目の朝食(高麗ホテルレストラン)
おなじみのブッフェです。朝鮮では中国でほとんど見かけない揚げ物がけっこう出てきます。炒めものの調理法も、中華より日本食に近い気がします。もちろん、中華料理もたくさん出てくるのですが、基本的に中国とは調理法や味の好みが違うように思います。
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今回、朝鮮でいろんな料理を供されたわけですが、その味の水準はともかく、内容の中朝洋折衷ぶりは、もしかしたら参加者の国籍比率と微妙にシンクロしているのかもしれないと、こうして写真を並べてみて思いました。参加者の人数のうち、7割5分が中国本土、2割が欧米系、5分が日本人でした。これは実際の北朝鮮を訪問する外国人観光客の比率とほぼ近いといえそうです。料理の内容も、その比率に合わせるのは、外国客へのもてなしという観点でみれば、ごく自然なことでしょう。

一点、残念だったことがあります。以前このブログで北朝鮮の発行する旅行ガイドブックの20年間の内容の変遷について書いたことがありますが(→「2012年版北朝鮮旅行ガイドは20年前に比べこんなに変わっていた」 )、その最新版には平壌市内の21軒のレストランが紹介してありました。なかにはイタリア人経営の本場イタリアンがあると書いてあったので(実際、現地ガイドの話では平壌にはイタリアンが3軒あるそうです)、ぜひ行きたいと思ってリクエストしたのですが、予定に入っていないという理由で却下されてしまいました。

なんでもヨーロッパの多くの国が大使館を置く平壌では、各国の外交官たちが数少ない西洋レストランを利用したがるため、直前ではなかなか予約が入らないそうです。少なくともガイドからはそう言い訳されました。専用のピザの焼き釜もあるそうですから、一度は平壌でワインとピザを味わってみたいものです。

※その他、いまどきの北朝鮮事情については「朝鮮観光のしおり」をご覧ください。

なお、2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【前編】をアップしました。
http://inbound.exblog.jp/23948946/
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by sanyo-kansatu | 2013-10-14 00:22 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2013年 10月 13日

2013年版 北朝鮮のグルメ~5泊6日食事14回のすべて【前編】

8月下旬、ゆえあって北朝鮮を訪ね、5泊6日滞在しました。その報告をこれから少しずつしていくつもりです。

さて、どの話題から始めようかと考えたのですが、実は昨年6月、ぼくは咸鏡北道の羅先を訪ねています。本ブログでもその報告をすでにしていますが、いくつか書いたうち、アクセス件数が最も多かったのが「羅先(北朝鮮)のグルメ~1泊2日食事4回のすべて」でした。

北朝鮮の食糧事情に関する深刻な報道が多いなか、いったいかの国を訪ねた外国人にはどんなものが供されるのか、気になるところでしょう。

というわけで、これから5泊6日、計14回の食事の内容をお見せすることにしようかと思います。ただし、今回のぼくの北朝鮮訪問は、旅行会社が募集した一般のパッケージツアーではありません。旅行業界の専門用語でいうところのインセンティブツアー(報奨旅行)に当たります。要は、北朝鮮の政府観光局に招待された旅行なのです(詳細は別の回で)。

ですから、今回供された食事の内容は、ぼくと同じように招待された海外の人たち、とりわけヨーロッパや中国から来た関係者を接待することに重きを置いています。彼らは日本よりはるかに多くの観光客を北朝鮮に送り込んでいるからです。その意味については、おいおい説明していくとして、ひとまず5泊6日の簡単な行程を以下記し、時系列で食事の内容を公開していくことにしましょう。

1日目 北京から平壌へ
2日目 平壌(朝鮮国際旅行社創立60周年記念パーティ。実は、これが今回の訪朝の目的。マスゲーム観覧)
3日目 平壌から金剛山へ
4日目 金剛山観光
5日目 平壌に戻り、市内観光
6日目 平壌から瀋陽(中国遼寧省)へ

1)1日目夕食(高麗ホテルレストラン)
平壌の最初の食事は、宿泊先の高麗ホテルのレストランにて。ニシンの朝鮮風煮つけ、鶏肉入りスープ、水餃子、野菜炒めとキムチにごはんとミソチゲいう内容でした。派手さはありませんが、中華料理と違って油っこさがないぶん口に合います。水餃子をメニューに入れているのは、中国人参加者が多数を占めているからでしょうか。
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2)2日目朝食(高麗ホテルレストラン)
高麗ホテルの朝食はブッフェです。メインのおかずはニシンと大根の煮つけや中華風ジャガイモ千切り炒め、肉野菜炒めなど。あとはキムチとミソチゲとごはんですが、トーストや揚げパンもありました。お粥も2種類ありました。
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3)2日目昼食(玉流館)
平壌冷麺で有名な玉流館にて。大同江沿いにある巨大なレストランで、一度に2000名は食事ができるそう。我々外国人客と朝鮮の人たちが食事をする場所は分けられていますが、店の前に大勢の人たちが並んでいました。暑い日だったので、さっぱりした冷麺は食が進みました。味については、韓国と比べるとどうだとか、いろいろ意見はありそうです。
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トウモロコシのパンケーキや鶏肉料理などがついた定食メニューでした。
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最後にデザートでアイスクリームが出てきました。これは悪くなかったです。
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4)2日目夕食(高麗ホテルレストラン)
実は、この日の夕食が朝鮮国際旅行社創立60周年記念パーティでした。ここではヨーロッパ人たちに合わせたのか、西洋式のフルコースでした。前菜はポテトサラダで、クロワッサンとキムチが一緒に置かれていました。料理はまず白身魚のクリームソースかけ、肉団子のスープ、そしてこれが主菜だったのに写真を撮るのを忘れてしまったのですが、牛肉のステーキでした。味は……、正直なところ、やっぱり朝鮮料理のほうがずっとおいしいなと思いました。
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会場では、白いジャケット姿の男性とピンクのチマチョゴリを着た給仕の女性たちがかいがいしく皿をテーブルに運んできます。なかには日本語を話す給仕の男性がいて、「どうですか。わが国ではこんなに高級な西洋料理も出せるんですよ」という気負いのようなものを感じないではありません。

朝鮮を訪ねた外国人が、う~んと口ごもってしまうのは、こういうときです。彼らはいつでも自信たっぷり気に見えるからです。でも、本当のことを朝鮮の人たちに言ってしまうと、彼らを傷つけるとわかっているから、みんな黙ってしまうだけなのですが……。
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朝鮮産のワインもふるまわれたので、一杯口にしたのですが、10年以上前の中国産のワインに似た甘さが口に残りました。
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5)3日目の朝食(高麗ホテルレストラン)
2日目と変わり映えのしない内容でしたが、今日だけのメニューとしては麻婆豆腐がありました。味付けは、山椒が強く利いていないところが日本の中華料理に近い気がします。
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キムチと朝鮮餅とパンが一緒に並んでいるのが、いまどきの朝鮮風かもしれません。
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6)3日目の昼食(元山東明ホテルレストラン)
この日は平壌からバスで約5時間かけて日本海側の港町の元山に来て、海沿いのホテルで昼食をとりました。ここでもポテトサラダが出ました。日本海沿いらしく、かれいの素揚げや千切りポテトとエビをからめて揚げた、ちょっと凝った料理も出ました。フライドチキンにはちょっぴりケチャップがかかっていました。
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チャーハンはどちらかというとリゾットのようにべとべとで、中国風に強火で炒めて米粒がぱらぱらという感じではありません。これは朝鮮の中華料理の特徴かもしれません。韓国でも中華は本場とはずいぶん違いますものね。
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レストランからの海の眺めは素晴らしかったです。港の対岸に新しいホテルを建設中とのことでした。
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7)3日目の夕食(金剛山三日浦タンプン館)
金剛山の東にある三日浦という美しい湖畔にあるレストラン「タンプン館」での夕食となりました。ところが、食事の内容がこれまでになく寂しい感じでした。なにしろこれ(写真)でワンテーブルの8人分だからです。いったいどうしたのでしょうか。韓国客が金剛山に来なくなってから久しいため、これだけ多くの外国人客(約80名)の接客をするのが難しかったのか……。皆さん、「こりゃひどいねえ」とぶつぶつ言っていました。我々と同席だった一部の中国客たちは、ビールをひと口飲んだだけで、料理には箸もつけずに出ていきました。相変わらず、彼らはやることがはっきりしていますね。
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すでに日が暮れていたので、目の前の湖は漆黒の闇と静寂に包まれていました。昼間来たらきっとすばらしい眺めでしょう。
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さて、4日目以降は後編で。

※もしよろしければ、ナイトライフの話もどうぞ。→「北朝鮮のナイトライフ~カラオケで地元ガイドが歌った意外な曲は?」。その他、いまどきの北朝鮮事情については「朝鮮観光のしおり」をご覧ください。

なお、2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【前編】をアップしました。
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by sanyo-kansatu | 2013-10-13 22:49 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2013年 07月 11日

2012年版北朝鮮旅行ガイドは20年前に比べこんなに変わっていた

先日、北朝鮮の旅行ガイドブック「朝鮮観光案内」(1991)を紹介したばかりですが、発行元の朝鮮新報社のサイトを見ていたら、「朝鮮 魅力の旅」というガイドブックの改訂版が2012年4月1日に刊行されていました。
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そこで、今回は「朝鮮 魅力の旅」の中身を覗いてみたいと思います。

「朝鮮 魅力の旅(改訂版)」
http://chosonsinbo.com/jp/dprk_guidebook/

体裁はA5版変形、オール4色、96ページ。いまは絶版となった「地球の歩き方ポケット版」と同じ縦長の版型です。表紙も女性好みのイラストです。91年版が「革命の聖地」白頭山の天池の写真だったのに比べ、ずいぶんソフトな印象を与えています。

表紙のサブタイトルからしてこうです。
「平壌、妙香山、開城…
社会主義・朝鮮の名勝地と歴史を巡る
平壌グルメの情報も満載」

「社会主義・朝鮮」…ん? わざわざなんでそれを言う? 「平壌グルメ」…ほぉ、何だろう? いろいろ気になりますが、まず目次から見ていきましょう。

1. 平壌(6-27)
地図・平壌市中心部 / 万寿台地区・大同江周辺 / 楽浪地区・西城地区など / 万景台地区 他
2. 平壌グルメガイド(28-49)
玉流館 / 平壌タンコギ / 普通江畔商店3階食堂 / 民俗食堂 / 平壌オリコギ専門食堂 他
3. ショッピング(50-51)
朝鮮人参関連商品 / 化粧品 / チマ・チョゴリ / 切手
4. ホテル(52―53)
平壌高麗ホテル / 羊角島国際ホテル / 平壌ホテル 他
5. 地方の観光名所(54-85)
妙香山 / 開城 / 金剛山 / 白頭山 / 元山 / 七宝山 / 南浦 / 九月山・沙里院
6. 旅のアドバイス(86-95)
これだけ知ってれば安心 / 朝鮮入国と出国 / 旅に役立つ朝鮮語ミニ辞典 / 空港案内 他

今回も気になったことや引っかかったことを以下、書き出していきましょう。

まず巻頭の見開き「朝鮮民主主義人民共和国・地図」です。91年版のように韓国も含めて「これ全部わが国の領土」という無理やり感はありませんが、今回も南北境界線はもとより中国やロシアとの国境線も地図に入っていません。現在の国境は暫定的なものにすぎないという認識なのでしょうか。

次に見開きの大扉「ようこそ朝鮮民主主義人民共和国へ」。興味深いので、リード文を以下書き出してみます。

「朝鮮民主主義人民共和国は、東アジアの朝鮮半島の北部を領土とする国家。最大の特徴は独特の社会主義体制をとっていることで、他の国々とは違った趣きがあり、それが観光の魅力ともなっている。首都・平壌を中心に社会主義国家を象徴するモニュメントが点在する。また、5000年の歴史を誇り、高句麗壁画古墳をはじめとする数多くの遺産が悠久の歴史を感じさせる。そして、豊かな自然、人々の素朴さが魅力だ。豊富な海・山の幸を使った食もリーズナブルな値段で楽しめる」

ここでもあえて「社会主義」に触れたこと、5000年の歴史というくだりに、あれっ?という感じもしますが、高句麗壁画古墳や海・山の幸をリーズナブルに楽しめるといった一般ウケしそうなアピールポイントも盛り込まれています。

何より大きな違いは、91年版に掲載されていた「人民大学習堂の展望台に立つ金日成主席と金正日書記」のような国家の領導ではなく、平壌の一般市民を撮った複数の写真で大扉のヴィジュアルが構成されていることです。

本編は、やはり万寿台の紹介から始まります。「パリの凱旋門より大きい(凱旋門)」というのはちょっと笑いましたけど、「地下100メートルの宮殿(平壌地下鉄)」「朱蒙の武勇を今に伝える(東明王陵)」といったぐあいに、JTBのるるぶ情報版的なコンパクトな小見出しの付け方も、91年版との大きな違いです。本編のデザインも、最近の日本では主流の小型化したポケットガイドのスタイルで、とても読みやすくなっています。単につくり手の世代交代が進んだだけなのかもしれませんけれど、日本の読者に受け入れやすいよう努めていることは伝わります。

91年版にはなかった「朝鮮民族の始祖が眠る 檀君陵」が登場しているのもポイントでしょう。「5000年」のくだりは、これが根拠なわけですから。

なんといっても本書の最大のウリは「平壌グルメガイド」でしょう。22pを使った豪華版で、市内21のレストランやビヤホールが各店1ページずつ紹介されています。それぞれ料理の写真も豊富に使われています。イタリアンレストランや狗肉専門店なども載っています。ツアーで平壌を訪ねれば、このうちのどれかの店に行くことになるのでしょう。

ショッピングのページは見開きのみ。平壌土産の4アイテムは、朝鮮人参、化粧品、チマ・チョゴリ、切手だそうです。ホテルのページも今回は数軒が載っているだけの軽い扱いです。

91年版では詳しく紹介されていた地方都市のページはなくなり、「地方の観光名所」として妙香山 、開城、金剛山、白頭山、元山、七宝山、南浦、九月山、沙里院が厳選されて紹介されています。基本的に、外国人観光客が訪れることができるのは、だいたいこのあたりなのでしょう。そういう意味では、改訂版では全体として掲載案件の絞り込みに注力したことがわかります。

それ以外では、91年版の重要な構成要素だった「あらまし」の章もなくなっていました。北朝鮮という国家の基本的な理解のための同国の自然や歴史、生活、政治、文化などを紹介した章はもう不要というわけでしょうか。代わりに、服装や持ち込み品、撮影に関する禁止事項などの実用情報が書かれた「旅のアドバイス」や出入国の手順、モデルコースなどがありました。

さて、ざっと本書の中身を覗いてみたあとの正直な感想は「なんだかこれではふつうの国みたいだなあ……??」です。

北朝鮮は新しい領導が登場した2012年上半期、積極的に日本をはじめ海外の国々に誘客を働きかけました。実際、多くの日本メディアが平壌を中心に北朝鮮に入国し、映像や写真を配信しました。おかげでぼくも羅先にそろっと入り込むことができました。

しかし、それもつかのま。核実験騒動で夏以降、外国人の姿は北朝鮮から消えました。ヨーロッパ客もいたので、まったく外国客が消えてしまったわけではないですが、少なくとも中国客は大きく減りました。

そして、2013年。北朝鮮は再び誘客を働きかけています。同国にとって観光は数少ない有効な外貨獲得の手段であるという認識は変わっていないからです。

それでも、今後もしばしば中断は起こるに違いありません。行きつ戻りつを繰り返すことでしょう。北東アジアの国々を見ていると、まるで前後の脈絡は関係ないかのように、相矛盾することを平気でしてきます。歴史的にずっとそうです。それは国内の権力闘争という側面もあるでしょうが、結局のところ、中国という超大国と国境を接するゆえに、そのプレッシャーに押しつぶされることなく、なんとか独自路線を貫こうとしてもがいている姿なのだと見ることもできます。

91年版に比べ、見かけも中身も大きく変わった北朝鮮ガイド「朝鮮 魅力の旅」を見て、あれこれ揚げ足取りするのはたやすいことです。そんなことより興味深いと思うのは、これは当然のことなのでしょうけれど、観光で来朝した外国人に自分たちの存在や価値を認めてもらいたいという強い思いが彼らの中にあることです。

自分たちをこう見てほしいと思う彼らの自画像は、必ずしも国際社会が好ましいと考えるものではないため、これからも依然緊張は続くのでしょうけれど、昨年の旅でぼくも彼らの思いは少し理解できました。それを理解しない限り、物事の進展はないように思います。難儀な話ですけれどね。

この新装ガイドブックを手にして平壌を訪ねてみるのも面白いのでは。最近そう考えているところです。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-11 15:43 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2013年 07月 10日

1934(昭和9)年初秋、72歳ベテラン編集者の「北鮮の旅」

坪谷水哉(つぼやすいさい 1862-1949)という明治、大正、昭和前期にわたって活躍した編集者がいます。当時の大手出版社である博文館で編集主幹を務めた人で、日本初の総合雑誌「太陽」の創刊時の編集長でした。

1934(昭和9)年9月下旬、坪谷水哉は京城発4泊5日の北鮮方面への鉄道旅行に出かけています。ここでいう「北鮮(ほくせん)」とは現在の北朝鮮ではなく、日本に併合された朝鮮半島の満州国と国境を接する北東部の辺域(現在の咸鏡北道)を意味しています。

彼の紀行文は、1935(昭和10)年2月に発行された某雑誌に「北鮮の旅」として掲載されています(この資料を入手したのはずいぶん前のことで、誌名を記録し忘れていました。機会をみつけて調べたいと思います)。
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昨年夏、ぼくは北朝鮮の羅先貿易特区を訪ねました。中国吉林省延辺朝鮮族自治州の豆満江(中国では図們江)沿いも何度か訪ねていますが、国境を隔てながらも坪谷が約80年前に訪ねた地域と重なります。当時そこはどんな状況だったのか。とても興味深いです。

ざっと坪谷の4泊5日の行程を書き出してみます。坪谷が鉄道を降りて歩いた場所だけでなく、行程上出てくる鉄道の通過駅も入れてみました。

1日 1934年9月20日
   17:25 京城(ソウル)駅発急行乗車。朝鮮総督府線を北上
   日暮れ 鐵原駅(金剛山鉄道分岐点)
   以後、元山駅、咸興駅、新北青駅
2日 9月21日
   城津駅、朱乙駅(以後、普通列車になる)、羅南駅
   8:51 輸城駅着(総督府線の終点)。満鉄「北鮮線」に乗り換え会寧へ
   (「約四時間を費やし」と本文にあるが?)会寧駅着(満洲国側対岸は三合鎮)
   以後、豆満江沿いを列車は走る
   11:49 上三峰駅(対岸は開山屯)着。「咸北線」に乗り換え。
   以後、高陽駅(現在の南陽。対岸は図們)、穏城駅、訓戒駅、四会駅
   17:15 雄基駅着(大和旅館に宿泊)
3日 9月22日
   8:00 朝一番の乗合自動車で清津へ(約四時間半)。富居という駐車場で休憩
   12:30 清津着(再びバスで郊外の朱乙温泉へ向かい、温泉旅館泊)
4日 9月23日
   正午 バスで清津に戻り、雞林館泊。清津市内散策
   20:15 清津駅発急行乗車
5日 9月24日
   正午過ぎ 京城駅着

今回登場する場所に関する坪谷の記述を抜き書きしてみます。

●輸城から会寧に向かう車窓の描写(輸城は総統府線の終点かつターミナル駅。清津へは別線で9km)
「輸城以西の鉄路の両側は、連山近く迫って、人煙稀疎なる山峡を、紆余曲折して走るに、眼に入る風物はすべて原始的で、車窓はるかに白頭連山の支脈が灰色をした雲の漂ふ間に隠見するのみだ」

※朝鮮側から白頭山(長白山)がどのように見えるのか、見てみたいものです。

●会寧(対岸は三合鎮)について
「(会寧は)豆満江の右岸なる国境の一都会で、対岸の間島から、以前は屡しば匪賊に襲われた土地で、国防の最前線ゆえ、今は歩兵一連隊、工兵一大隊、その他の兵営も多く、人口も今は二萬五千余で其内に内地人が四千余人居る相だ」

※写真は現在の会寧。中国側から撮影したものです。当時日本人が4000人もいたことが書かれています。
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※現在の姿については「過去のにぎわいを忘れたふたつの国境―開山屯と三合鎮【中朝国境シリーズ その9】」http://inbound.exblog.jp/20466441/

●会寧から上三峰に至る豆満江沿い(中朝国境)の描写
「対岸に満洲を眺めつつ走るに、此邊の豆満江は、水色青く、流れ急に、時々筏を流し下すが、渡津場の外には船の上下は見えぬ。金生、高嶺鎮、鶴浦、新田、間坪などといふ諸駅を過ぐる間、何所までも流れに添ひ、朝鮮川には護岸工事も備はり、開修せられたる路傍に、アカシヤも茂って居るのは我が併合以来の功績らしい」

※この鉄路は、中国側から図們江越しに眺めたことがあります。東ベルリンの地下鉄車両が転用されて走っているのを見ました。

●上三峰駅(対岸は開山屯)について
「此所は北満への連絡地点で、豆満江を鉄橋で渡り、新京に通じて居る」

※写真は現在の上三峰の鉄橋を中国側から撮影したものです。
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●高陽駅(現在の南陽。対岸は図們)について
「高陽は現今雄基から満洲の新京へ直通する主要駅で、鉄橋を越えれば対岸は間島の図們駅だ。聞けば図們から百九十キロの敦化までは従来狭軌の敦図線があったのを、新たに広軌に改めて吉林まで延長し、一方には豆満江に架橋して、北鮮鉄道の高陽と連絡せしめたので、此新京図們間の線を京図線と称し、延長五百二十八キロだ。されば高陽駅は今工事中で、純満洲風の壮大なる建築を頻りに急いで居る」

※写真は現在の南陽の鉄橋で、中国側から撮影したものです。当時は国際ターミナル駅だったことを思うと、さびれてしまったなあと思わずにはいられません。
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※現在の姿については「高速で素通りされ、さびれゆく図們【中朝国境シリーズ その10】」http://inbound.exblog.jp/20498623/

●高陽から雄基までの描写
「豆満江も此邊まで下ると間島の諸流を併せて次第に大きくなり、洋々として緩く流れ、船も時々上下して、流石に朝鮮五大河の一と首肯せらる。高陽から二三駅を過ぎ穏城駅から、今まで東に流れた豆満江は急角度に東へ方向を転じ、其れにしたがって鉄道線路も東へ屈曲し、やがて訓戒といふが、かなりの巨駅で、サイダー、牛乳、キャラメルなどと呼んで売って居る。私が隣の某氏に、対岸に露西亜領はまだ見えませんかと尋ねると、まだです。モウ二時間も経つと、四会といふ駅から見えますとて、更に十ばかり駅を過ぎて、四会駅で、向こふに見える山が露西亜ですと教えて呉れた。此邊の豆満江は河幅一里もあるべく、其間に島があったり、岸には湖水があったりして、鉄道も江岸を漸く離れた」

※写真は現在の穏城大橋を中国側から撮影したものです。断橋となって途中で折れています。朝鮮側に当時の鉄道らしき鉄路が見えますが、現在ほとんど運行されていないようです。
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※現在の姿については「図們江、野ざらしにされた断橋の風景【中朝国境シリーズ その8】」http://inbound.exblog.jp/20457456/

●雄基(現在の先峰)について
「今は咸北線の終端なる雄基湾は、鮮満連絡の咽喉で、最近に非常なる躍進を続け、日露戦役当時は僅かに十数戸の漁村だった相だが既に五千戸二萬五千人に激増し、三方に山を負うて一方は海に臨み、港の東に龍水湖が、近く海と連なりて、市街は尚も日々に広がりつつある。当初北満洲の貨客呑口を、何所に定めんかと決せざるとき、北鮮の三港といふ城津、清津、雄基の間で盛んに競争したのが、やがて城津は落伍して、最近まで清津と雄基の競争となったが、結局は雄基より南へ四里の羅津と定まり、今は雄基から羅津まで頻りに鉄道工事を急ぎ、来年八月には竣工の予定」

※写真は現在の雄基線の鉄路。北朝鮮領内の雄基と羅津の間で撮ったものです。この状況では鉄道は運行は難しいと思われます。
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●羅津について
「東北西の三方に山をめぐらし、開けたる南方に大草、小艸の二島が防波堤の如くに横たはり、湾内広く、陸上に市街となすべき平地も多い。成程将来北満の咽喉と決定せられたのも道理である。最近に決定したといふ此地の都市計画によれば、第一期設備として、土地六十萬坪に、人口五六萬を収容し、満鉄埠頭も直ちに着手し、羅津停車場敷地地均し工事と憲兵隊兵営は、請負入札が大倉組に落札したが、停車場建築工事は、何人の手に帰するか未定といふ。但し其等の工事請負や、土地の売買や、利権の探索に、多数の人が入り込み、定住人口二萬の外に、旅客の数は分らぬが、一日に家屋が何十戸づつ建つとか言うて、市街は混雑を極めて居る」

※写真は現在の羅津駅と羅津港。坪谷が訪ねたころにはまだ駅も港もできていませんでした。しかし、羅津の開発のため多くの日本人がこの地にいたことがわかります。
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※現在の姿については「羅先(北朝鮮)はかつての「日満最短ルート」の玄関口」http://inbound.exblog.jp/19752579/

●雄基から清津に向かう道路事情
「道路は東側に日本海を眺めつつ丘陵起伏の間を走るに、仲々よく改修せられて居る」

●清津について
「さて清津を見物する方法はと聞くと、高抹山に上って、清津神社の背後から、港と市街を一と目眺めなさいと教へられ、其の高抹山に上る。成程清津市街は巴の如き高抹山の半島に依り湾内に擁せられ、北端の高抹山と南端の天馬山との間に、夕実の如くに連なる市街で、近年約一千萬円の巨費を投じた防波堤が、湾の左右より出て、岸壁には、四五千トンの船が数隻繋がる相で、折しもそこへ上がってきた高等普通学校、内地ならば中学校の生徒を呼んで説明を聞くと、天馬山腹が無線電信局、その隣りが僕等の学校で、其のしたの茶色の洋館が近頃出来た国際ホテル、今防波堤の外へ出て行く汽船は大阪商船会社の船(中略)。(人口は)昭和七年に二萬五千が今年は四萬人に上ったといふ」

※ぼくは清津にまで行くことはできませんでしたが、当時多くの日本人が住んでいたことがわかります。ここで書かれている高抹山からの日本海と清津市街地の眺めは素晴らしいものだったようです。

ここに描かれる世界が1930年代半ばの“躍進著しい”北鮮でした。現在の姿と比べると、この80年間の停滞ぶりは何だったのだろうか。なぜそうなってしまったのか。そう思わざるをえません。

当時、坪谷がこの地域を視察した理由について、冒頭ではこう書かれています。

「『朝鮮と支那の境の鴨緑江』と所謂鴨緑江ぶしで歌ふ鴨緑江は何人も知るが、反対の国境なる、満洲の間島や、露西亜とも境を接する、豆満江及其沿岸を走る北鮮鉄道は余り知られて居ない。然るに今は北満洲から朝鮮の北方に通じて、鉄道線は頭を日本海の岸に出し、其所に第二の大連港を建設せんとして、着々工事を進めて居り、現に北鮮の雄基からも清津からも、新京まで直通列車が往来して居る。私は最近に其の北鮮の鉄道全線を巡った故、いかに略ぼ之を紹介しようと思ふ」

日本と大陸をつなぐルートとして大連や安東(現在は丹東)のことは知られていたものの、日本海ルートは当時もまだマイナーだったことがわかります。その開発が着手されていよいよこれからというときに敗戦を迎えてしまったわけです。

その年、坪谷は72歳でした。戦前を代表する総合雑誌「太陽」の編集長を経て、その後海外をずいぶん訪ね歩いた坪谷は「世界漫遊案内」(1919)など、明治人らしく海外雄飛を説く多数の著書もあるベテラン編集者ですが、老いてもなお意気軒昂だったようですね。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-10 18:16 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2013年 07月 09日

1993年に発掘された檀君陵。あの蓮池薫さんの見解は?

前回、「朝鮮観光案内」(朝鮮新報社 1991)という旅行ガイドブックを紹介しましたが、実をいうと、同書には今日の北朝鮮を観光するうえで最も重要とされる名所の記述が見当たりません。

それは朝鮮民族の祖とされる檀君陵です。

それもそのはず、檀君陵が発掘されたのは1993年のことだからです。

檀君陵をめぐって、蓮池薫さんは『私が見た「韓国歴史ドラマ」の舞台と今』(講談社 2009)の中で次のように書いています。
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「1993年10月、北朝鮮は『檀君陵発掘報告』なるものを発表した。平壌市江東郡文興里にある高句麗遺跡群から、檀君とその夫人の遺骨を発掘したという衝撃的なものだった。それによると、遺骨86個と金銅王冠の一部などが出土したが、『電子常磁性共鳴法』という方法による鑑定の結果、檀君の遺骨は5011±267年前のものと断定されたというのだ。
(中略)
この発表とほぼ同時に北朝鮮は大規模な檀君陵建設に取りかかる。そして、これまで神話的伝説人物とみなされていた檀君を実在した民族の祖先、古朝鮮の建国始祖として大々的に宣伝し始めた」

こうしたワケで、1991年に刊行された「朝鮮観光案内」には、檀君陵のことは書かれていませんが、唯一檀君のゆかりの地についての記述があります。それは、妙香山山系に連なる渓谷の中にある「檀君窟と檀君台」です。そこにはこう解説されています。

「古朝鮮を創建した檀君王が生まれたという伝説をもつ檀君窟は、万瀑洞渓谷を抜け出て、西側の丘陵を越えた昆盧峰の中腹に位置している。万瀑洞から檀君窟に通ずる道は、九層の滝の2段目から分かれる。そこに『檀君窟950m』と書かれた標識板がある。

海抜864.4mの地点にある檀君窟は、花崗岩が長い歳月にわたって風化してできた洞窟。幅16m、長さ12m、高さ4mである。

洞窟のなかには三間の家がある。洞窟内では、岩の裂け目からきれいな湧き水が流れ出ている。

檀君窟の後の高い綾線には、檀君が向かい側の卓旗峰の中腹に立っている天柱石を標的にして、弓矢のけいこをしたという檀君台がある」(同書72p)。

ここでわかるのは、1991年当時、北朝鮮でも檀君は「伝説」にすぎなかったことです。

蓮池さんは前述の著書でこう書いています。

「北朝鮮では、1993年に『檀君陵』が発掘される以前は、ほとんど檀君について、関心を示していなかった。1972年編の北朝鮮歴史書では、『檀君は歴史的事実ではなく、支配階級が人民の階級意識を麻痺させるために、つくり上げたもの』として、檀君と開天節そのものを否定していた」

いまとなっては、1972年当時の北朝鮮の指摘は正しかったというよりほかありません。北朝鮮の為政者の側に「人民の階級意識を麻痺させる」必要が生まれたということでしょう。

蓮池さんは、北朝鮮にいたころ、テレビで檀君陵を見たことがあるそうです。その規模は、総面積45ヘクタール。東京ドームの10倍に相当する大きさだそうです。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-09 15:37 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2013年 07月 09日

1991年発行のガイドブック「朝鮮観光案内」を読んでみた

ここに「朝鮮観光案内」という旅行ガイドブックがあります。
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1991年発行。発行元は朝鮮新報社です。最近の旅行ガイドブックでは珍しいB6版、オール4色、164ページの体裁です。携帯用の案内書としてはコンパクトによくまとまっています。

表紙の写真は、白頭山(中国名は「長白山」)の天池です。裏表紙は、朝鮮民主主義人民共和国国際旅行社日本総代理店の中外旅行社の広告が入っています。

日本人の北朝鮮観光が始まったのは1987年10月(→「北朝鮮観光25年を振り返る」)。大韓航空機爆破事件(1987 年11月)ですぐに中断されたものの、再開されたのは3年半後の91年6月です。「日朝国交正常化直前限定ツアー」という、いささか勇み足なタイトルが付けられた商品として催行され、その時期に合わせて刊行されたのが、本書だと思われます。

では目次から見ていきましょう。

●目次
朝鮮民主主義人民共和国地図(2p)
朝鮮主要観光案内図(2p)
目次(3p)
平壌 9-51(43p)
平壌近郊 52―64(13p)
妙香山 65―79(15p)
新義州/江界/惠山 80―84(5p)
白頭山 85-96(11p)
清津/咸北 97―98(2p)
七宝山 99―107(9p)
咸興/咸南 108―111(3p)
元山/松寿園 112―114(3p)
金剛山 115―131(17p)
海州/信州 132―136(5p)
開城 137―144(8p)
あらまし(自然、歴史、生活、政治、文化などの紹介) 145-159(15p)
旅行の手引き(入国手続き、滞在メモ、旅行会話など) 160―164(5p)

いろいろ気になったり、引っかかったりするところがありますが、まずあっと思うのは、「朝鮮民主主義人民共和国地図」です。それは朝鮮半島全域がまるで北朝鮮の領土であるかのような地図であり、我々が普段見慣れた南北分断境界線も書かれていません。その一方で、次のページの「朝鮮主要観光案内図」では同様に境界線はありませんが、ほぼ現在の北朝鮮に限られた地図の範囲で主要都市や観光地が落とされています。

本書で最大のボリュームを割いて紹介されているのが、首都平壌です。冒頭の見開きは、チュチェ思想塔からのぞむ平壌市中心部のビルが並ぶ風景と「人民大学習堂の展望台に立つ金日成主席と金正日書記」の2点の写真で構成されています。次が平壌市の見開き地図。本編は金日成主席の銅像の建つ万寿台から始まります。

平壌観光は、ここがかつて高句麗の首都だったことから、古代遺跡めぐりがひとつのポイントです。また首都らしく建国にまつわる歴史施設や文化施設、市民の行楽地なども紹介されています。

なかでも「青春街スポーツ村」に代表される各種スポーツの競技場が写真入りで詳しく解説されているのが特徴でしょうか。これは想像するに、1988年のソウルオリンピックに不参加を表明した北朝鮮としては、自国にもオリンピックを開催できる施設は揃っているのだと訴えたかったのではないかと思われます。

あとは旅行ガイドブックのお約束として、平壌市内のホテルやレストラン、ショッピングに関する施設紹介があります。平壌の名物料理として「平壌冷麺」「神仙炉」「大同江のぼら料理」が挙げられています。

この調子で各地の内容を紹介しているとキリがないので、以下気がついた点だけ列挙していきましょう。

まず北朝鮮観光のハイライトは、四大名勝とされる妙香山、白頭山、七宝山、金剛山の登山だといえそうです。上記四山に割かれたページ数を他の都市と比べると圧倒的に多いからです。一般にガイドブック編集者が最初に手をつける作業は、どの場所を何ページ取るかという台割です。そのバランスは、想定される読者(本書の場合、北朝鮮観光に訪れる日本人を想定しているはず)を意識して割り振られるのが常です。それは本書においても、ほぼいえることだと思います。

それぞれの名山を紹介する写真を見ていると、岩肌の露出した峰や奇岩の多い、いわば中国名山に通じるコンセプトの山岳観光が主体のようです。

唯一違うのが白頭山です。白頭山は、2000年代以降、中国との歴史認識問題の舞台として知られていますが(→「長白山(白頭山)が中韓対立の舞台となっている理由(「東北工程」とは何か)」)、本書では同山を「革命の聖山」として紹介しています。

「白頭山根拠地の密営には、朝鮮革命の参謀部である司令部をはじめ、兵営、兵器修理所、縫製所、出版所、連絡所などが秩序整然と配置されていた」(同書87p)といったぐあいです。この時期まだ中国との歴史認識問題は起きていなかったせいか、「朝鮮民族のルーツ」といったふみ込んだ主張は見られないようです。

さらに、白頭山では雪山登山やスキー場など、冬山レジャーに関する情報も紹介されています。

先般世界遺産登録が決まった開城については、高麗王朝の古都としていくつかの名勝が紹介されていますが、わずか8pしか割かれていません。名物も高麗人参の産地として触れられているくらいです。やはり、北朝鮮にとって自らの国家的ルーツとして重要なのは、高麗ではなく、高句麗なのだろうと思います。

北朝鮮という国家の基本的な理解の手助けとなるのが、同国の自然や歴史、生活、政治、文化などを紹介する「あらまし」の章でしょう。

まず「自然」の項ですが、なぜか冒頭にこっそりこんなことが書かれています。「朝鮮民族は、古くから一つの領土で、同じ血縁と言語を持ち生活してきた単一民族である」(同書145p)。

さらに面白いのは、領土についての記述です。「領土は北から南に伸びた朝鮮半島と済州島(朝鮮最大の島)、鬱陵島、独島など、4,198の島からなっている」(同書145p)。巻頭の地図は、朝鮮半島全域が北朝鮮の領土であるという主張に基づいていることがここで判明します。また「独島」、すなはち竹島も北朝鮮領だと主張しているようです。

「歴史」に関しては、メンドウな議論になりそうなので軽く流すとして、気になるのは「紀元前8~7世紀またはそれ以前に成立」した「古朝鮮」という記述があること。李朝時代は約500年も続いたのに、ほとんど投げやりで簡単な記述しかないこと、などでしょうか。またこの項には、「檀君」についてまったく触れられていません。

その他、「生活」や「民族遊戯」といった文化方面の紹介とともに、「行政区画」「国家体制」「経済制度」など、北朝鮮の国家の性格についてコンパクトに紹介しています。ここでいちいち揚げ足を取るつもりはありませんが、面白いのが、最後に登場する「朝鮮の統一方案」です。

それによると、外勢によって分断された祖国を統一する基本原則として「自主、平和統一、民族大団結」を挙げています。その方案として、北朝鮮が主張するのは「思想・制度はそのまま、連邦国家で」というものです。

「この方案は、北と南がともに相手側に現存する思想と体制をそのまま容認する基礎のうえで、双方が同等に参加する民族統一政府を組織し、その下で北と南が同等の権限と義務を担い、それぞれ地域自治制を実現する連邦共和国を創立して祖国を統一するもの」(同書159p)というわけです。

その統一国家の名は「高麗民主連邦共和国」です。

本書が刊行される前年1990年の新年の辞で、金日成主席は「軍事境界線南側地域にあるコンクリート障壁を崩して、北と南の自由往来を実現し、南北が互いに全面開放しようと」と提案したといいます。1989年11月にベルリンの壁が崩壊したばかりだったことを思うと、この主張も現在とはずいぶん違った受けとめられ方があったことでしょう。

たかが旅行ガイドブックですが、あらためて中身を検討してみると、発行された時代の世界情勢や北朝鮮側の考え方が素直に伝わってきます。

ちなみに、巻末にある「旅行の手引き」では、「入国手続き」として「ビザの発給に必要な費用は、1人当たり10ドル。写真を2葉要する」とあります。また滞在中の両替方法や当地のテレビや新聞の紹介、タクシーの利用法も書かれています。まるで自由にタクシーに乗って市内観光をしても構わないような書き方です。

「国際航空時間表」を見ると、当時平壌はベルリン、モスクワ、北京、ハバロフスクと航空便で結ばれていたようです。「国際列車時間表」でも同じくモスクワと北京を結んでいますが、新義州・丹東・満洲里・ザバイカリスク経由だけでなく、豆満江・ハサンという咸鏡北道経由の国際列車が当時は走っていたことが記されていました。昨年、当地(咸鏡北道の羅先貿易特区)を訪れた印象では、とても国際客車が走れるような鉄路には思えませんでしたが、実際はどうだったのでしょう。こうした疑問をつい見つけてしまうことも、昔のガイドブックを読む面白さです。これは宿題にしたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-09 12:42 | 朝鮮観光のしおり | Comments(0)
2013年 06月 26日

中国のニュータウン建設に強い違和感あり(中朝国境の街「丹東新区」にて)

中国のニュータウン建設地を訪ねると、いつも強い違和感と軽いめまいに襲われます。
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もう5年以上前、日経ビジネスNBOnlineで連載した「上海不動産ミステリー」で、上海郊外に造られた英国タウンハウス風分譲地や、杭州のパリを丸ごと模倣したテーマパークのようなキッチュな新興住宅地を訪ねたころから、その印象は変わっていません。
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そこまで荒唐無稽ではありませんが、中朝国境に現在建設中のニュータウン「丹東新区」にも、同じような印象があります。
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毎年訪れるたび、マンション建設は少しずつ進んでいます。しかし、そこに人が住む気配は見られません。それはそうでしょう。周辺には体育館や遊園地の観覧車といった遊興娯楽施設、新空港ビルは早々とできていますが、人の暮らしに直接かかわるスーパーや病院、学校はまだありません。人が住んでいないからそれで構わないのでしょうが、そもそも優先順位がおかしいのではないか? 
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丹東の市政府の立派な庁舎はすでに建設され、公務員は丹東市内から毎日車で通勤しているそうです。でも、本当にこのニュータウンに人が住まう日が来るのか? 根本的な疑問が頭をよぎってしまいます。
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さらにいうと、都市計画では、新区の西側に工業産業園区が予定されています。韓国やシンガポール、日本、台湾から工場誘致を図る予定でした。誘致は進んでいるのでしょうか? ここは北朝鮮と国境を接する玄関口の街です。当然リスクもあります。以下は2011年当時の計画図です。
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新区の一角に、日本風の温浴施設「江戸城」の建設が進んでいます。それは単なる遊興施設ではなく、マンションも併設したかなり大規模な複合開発案件です。
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「江戸城」のマンション分譲を扱う不動産サイトhttp://ddfw.cn/によると、来年9月末には入居可能だそうで、価格は以下のとおりです。
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楼盘价格:最低价4700元/平方米(※1㎡4700元(約7万円)は北京に比べれば相当安い)
入住时间:2014年9月30日
物 业 费:暂无资料
售楼地址:绿江华府A座101室
开 发 商:丹东江户置业有限公司
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このプロジェクトは、もともと日本からの投資案件だったといいます。ところが、丹東に住む知人によると、その日本の投資家は単なるブローカーで、すでに地元の業者に売却してしまったそうです。

実は丹東市内に近い月亮島という中州の上に、1990年代にある在日中国人が投資したリゾートホテルの廃墟があります。ホテル運営にすぐに失敗し、早々と地元の関係者に売却されてしまったそうですが、「江戸城」を開発途中で売却(売り抜け)したのは、いったい何者なのか? 

所詮よその国の話といえばそれまでなのですが、これまで述べたような光景に強い違和感をおぼえるのは、ぼくが1970年代の首都圏のニュータウンで少年期を過ごした人間だからだろうと思います。

造成地に囲まれ一見殺伐とした歴史も伝統もないニュータウンの生活。引越しした当初は通学路さえ舗装されておらず、雨の翌日はひどいぬか道でした。それでも、自分の成長とともに日々街は整備され、生活が便利になっていく……。今も当時の同級生に会うことがありますが、そこは自分の育ったまちだという思いがあります。

規模でいえば、臨海副都心よりずっと大規模な丹東新区。たとえ、オリンピックが誘致できたとしても、日本ではこんな巨大な開発案件はもうないでしょう。それなのに……。

明らかに、中国経済が2000年代に見せた発展のスピードはすでに失われています。地元の知人によると、「丹東新区が完成するには、まだ5~6年はかかりそう」とのことです。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-26 17:57 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 06月 20日

中国の地方開発はどこでもこんな感じです(まちづくりの観念は欠落。不動産販売が優先)

中国遼寧省の丹東は、鴨緑江をはさんで対岸の北朝鮮新義州と向き合うまちです。近年、市街地南部に広がる鴨緑江下流域一帯を「丹東新区」として開発し、高層マンションの建設ラッシュが続いています。
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いまそこでは北朝鮮側とつなぐ新鴨緑江大橋が建設されています。
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その一画に「国門湾」都市開発情報センターがあります。
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このような都市開発情報センターは、丹東に限らず、中国全土にあります。中国の地方都市の開発とはどういうものかを理解するためには、格好の場所といえます。

中に入ってみましょう。ショールームの正面に、巨大な「丹東新区」のジオラマがドーンと置かれています。周囲には、超高層ビルを配置した丹東新区の未来図のパネルが展示されています。ただし、そのイメージは驚くほど全国の他の地方都市のものと似かよっています。上海の浦東を原型としたイメージを踏襲しているといって差し支えないと思われます。
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都市計画図によると、丹東新区は、工業産業園区、中央行政文化区、国際貿易区の3つに分けられるようです。
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中央行政文化区には、市政府や公共の文化施設、学校などに加え、不動産デベロッパーのマンション予定地がしっかり書き込まれています。
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興味深いことに、ショールームの隣では、不動産会社のブースがいくつか並び、販売が行なわれています。まだ完成していないマンションのジオラマを展示し、女性の販売員が接客しています。
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マンションのジオラマ自体はどれも似たり寄ったりです。間取りの模型もあります。しかし、そこでどんなまちづくりが行われるのか、どんな住まい方になるのか、ほとんど説明されていません。
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これが地方政府とデベロッパーがグルになって進める中国式の地方開発です。地方政府の歳入は土地売却に依存し、不動産投機が主要な原動力といっても差し支えないのではないか。それまで何もなかった0円の土地を売って、箱物建てれば大金になるというわけですから。

確かに日本でも同じような話はあります。再開発によって土地の値段が上がるのを見越して土地の買占めを図る強欲なデベロッパーと政治家のインサイダー取引なんて話は、テレビドラマでもおなじみの設定でしょう。

ただし中国の場合、それを悪びれることもなく政府が推奨しているようなところがあります。国民の多くも、マンション開発の話を聞きつけ、安いうちに複数購入し、資産価値が上がるのを待ち、時が来たら売り抜ける、という中国におけるお手軽資産形成=幸福への最短コースを夢見ています。一見儲けるチャンスは誰にでも開かれているようですが、そんなことは当然ありえませんし、政府関係者の懐にいくら入ったか公表されることはまずありません。

その結果、 日常生活に欠かせない諸物価とはつりあわない不動産価格の高騰が起きているわけです。いまの中国は、土地の値段をつり上げないことには、経済が回らないような社会になっていないでしょうか。

今年に入り、中国経済の成長の減速が伝えられるなか、濡れ手で粟の不動産投機による資産運用に精を出してきたばっかりに、額に汗して働く正攻法の商売を手がけるのがバカバカしいという風潮がこの国に生まれてしまっているように思います。それがあだとならなければいいのですが……。

こうしたことは、中国では大なり小なり全土で起きていることです。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-20 17:46 | のんしゃらん中国論 | Comments(0)
2013年 06月 14日

長白山(白頭山)が中韓対立の舞台となっている理由(「東北工程」とは何か)

本ブログでは、これまで何度か中国吉林省の長白山の観光開発が進んでいることを報告しました。

※「いま中国で人気の山岳リゾート、長白山」http://inbound.exblog.jp/20458097/
※「長白山(白頭山)は5つ星クラスの高原リゾート開発でにぎわっています」http://inbound.exblog.jp/20386508/
※「フラワートレッキングに行くなら高山植物の宝庫、長白山(白頭山)へ」http://inbound.exblog.jp/20202609/

10年前には何もなかった美しい山麓にたくさんのリゾートホテルが建設され、空港ができたことでアクセスも飛躍的に良くなりました。中国のレジャーブームも後押しし、国内外のトレッキング客も増えています。それ自体はすばらしいことなのでしょうが、手放しで歓迎できない側面があります。

長白山(白頭山)が中韓「歴史」対立の舞台となってしまっているからです。

背景には、中国の独善的な「歴史」認識の既成事実化を推進するうえで政治的バックボーンとなっている、悪名高い「東北工程」があります。

朝日新聞2007年11月14日に「白頭山 中韓揺らす」と題された記事が掲載されています。
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「中朝国境にそびえる名峰、白頭山(中国名:長白山)の観光開発を中国が進めていることに対し、韓国が強く反発している。白頭山は朝鮮民族にとっての『聖地』。北朝鮮問題での対応では近い位置にある中韓だが、対立の背景には古代国家・高句麗をめぐる歴史問題も複雑に絡む」

2005年8月、吉林省政府は「長白山保護管理委員会」(以下、管理委員会)を立ち上げました。西坂を中心に大規模リゾート開発を進め、それまで主に長白山観光のベースだった延辺朝鮮族自治州の関与を制限し始めたのです。長白山の「中国」化を徹底させ、観光利権の独占化を図りたかったからでしょう。

前述の朝日の記事に、以下のような記述があります。

「長白山を世界自然遺産として登録を目指す動きも活発だ。当局は『環境整備のため』との理由で、韓国人らが経営する中国側登山口周辺の宿泊施設や飲食店に、立ち退きを求める通達を出し、10月には一部で撤去作業が始まった」

これを物語る出来事として、在日朝鮮人の事業家が北坂の長白瀑布の近くに建てた「長白山国際観光ホテル」の経営権を管理委員会によって取り上げられた一件があります。同ホテルは、1998年に中日合資で開発されたもので、源泉から引いた温泉やサウナもあり、長白山で登山を楽しむには最適の宿泊施設でした。北朝鮮から服務員を招聘し、サービスを提供していたこともあります。ぼくも2度ほど宿泊させてもらいました。しかし、2008年頃より、管理委員会から施設の買い上げを迫られ、2012年には完全に閉鎖されてしまったのです。
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華やかな山岳リゾート誕生の陰で、中国の「歴史」認識の既成事実化のための工作が進められているのです。

ところで、ここで問題となっている「東北工程」とは、2002年2月から07年1月までの5ヵ年にわたって、中国社会科学院の中国辺疆史地域研究センターを中心に推進された「東北辺疆歴史与現状系列研究工程(東北工程)」という研究プロジェクトを指します。

その内容が、中国政府の掲げる「統一的多民族国家論」の立場から、現在の東北三省で勃興したすべての部族・民族の歴史を中国内の一地方政権の歴史として中国史に編入しようとしたところに批判が集中しているのです。

多民族国家である中国にとって、朝鮮半島とは地続きの東北地方で民族紛争の火種を未然に消し去り、地域の安定化を図りたい事情があることはわかります。そのために、この地域の「中国」化を推し進めようと考えているわけですが、その乱暴なやり方が他の少数民族居住エリアと同様に、波紋を広げてしまっているのです。

何より、政治が歴史を弄ぶにもほどがあります。この地域は古来さまざまな多民族の集住地であり、現代の特定の国家がその歴史を今日の事情で都合よく「解釈」しようとしても無理があります。

結果的に、それは周辺国家の警戒を生み、逆効果をもたらしてしまっています。

韓国や北朝鮮がこれに反発するのは、古代国家・高句麗や渤海を「中国辺境少数民族の地方政権」として縮小し、中国史の一部に属すると決めつけることに、中国のナショナリズムの横暴な反映をみてとるからです。

2000年代半ばに韓国で多数制作された歴史ドラマ(『朱蒙』『太王四神記』『大祚栄』など)は、中国の「東北工程」に対する韓国側のナショナリズムの対抗表現だといわれています。中国が国ぐるみで押し付けてくる北東アジアの「歴史」認識に対抗するプロパガンダの必要が韓国にはあったというのです。

もっとも、ある研究によると、高句麗の最盛期にあたる好太王(主演はぺ・ヨンジュン)を主人公としたドラマ『太王四神記』には、日本統治時代に朝鮮半島で創出された「大朝鮮主義史観」が描かれていると指摘されています。ここでいう「大朝鮮主義史観」とは、一般に日本の皇国史観に影響された朝鮮民族の起源としての檀君神話をあたかも史実であるかのように唱導することです。

「現代の中国ナショナリズムに対抗するために制作された韓国の高句麗ドラマの民族主義的なモチーフは、植民地時代に日本帝国主義に対抗するために創出された近代的な言説である」。その「『大朝鮮主義史観』が、現代の中国ナショナリズムに対する対抗言説として召還され、東アジア全域を流通するグローバルな『韓流』コンテンツの中に甦っている」というわけです(『韓流百年の日本語文学』木村一信、チェ・ゼチョル編 人文書院 2009 より)。

だとすれば、中韓どちらも似た者同士、ということなのかもしれませんけれど、「長白山周辺からハングル表記を減らしている」(前述の朝日記事より)という中国のやり口は大人げありませんね。

ぼくの知る限り、以前は英語と中国語、ハングルの三か国語表記が基本だった現地の観光案内からハングルだけがはずされてしまいました。そんな了見の狭いことでは、世界遺産なんて望むべくもないと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-14 16:11 | 北東アジア未来形:満洲の今 | Comments(0)
2013年 06月 06日

「新鴨緑江大橋が半分くらいできた」と地元の人に聞きました

鳴り物入りで建設の始まった新鴨緑江大橋。中国遼寧省の丹東新区と北朝鮮の新義州をつなぐ全長約2kmの斜張橋です。
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昨日(2013.6.5)、丹東に住む友人から「新鴨緑江大橋が半分くらいできました」と現地で撮影された写真付きのメールが届きました。約1年前の2012年7月に現地を訪ねたときにはほとんど存在していなかった斜張橋を支える2つの塔と橋桁の一部が出来上がりつつあります。

中朝経済を結ぶ大動脈となることを期待して2010年2月25日、両国の間で建設協定が結ばれました。工事現場の掲示板によると、建設投資22億元、約3年の工期で完成される計画で工事は2011年5月に始まっています。
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以下、この2年間の工事の進捗を写真で見てみましょう。

2011年7月1日
橋桁をつくるための土台が半分くらい出来ています。
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橋のたもとには工事を眺める地元の人たちがいました。
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2012年7月4日
斜張橋を支える塔の建設が始まったようでした。
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2013年6月5日
塔はだいぶ出来上がりましたが、橋桁はまだ一部しか出来ていません。
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工事現場に掲示された新鴨緑江大橋の完成図のイラストを見ると、スマートなシルエットが魅力です。
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地図によると、大連や瀋陽方面からの高速道路と接続される予定です。
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写真を送ってくれた友人によると、この新鴨緑江大橋は、表向き両岸から工事を進めているとはいえ、投資も建設もその大半は中国にお任せ。そのくせ北朝鮮側は、開通後には通行料を取ると言い出して、そりゃないだろと、中朝間でもめているとか。いかにも両国の関係を象徴しているようで、面白いですね。

もっとも、中朝経済の発展格差の大きさからすれば、中国側は必ずしも工事を急ぐ必要を感じないのかもしれません。また、中国の地方経済が抱える不良債権問題が工期に影響してくる可能性も今後はあるかもしれません。

いずれにせよ、橋が完成したあかつきには、吉林省琿春の圏河橋(中朝第2の国境、圏河・元汀里で見たもの【中朝国境シリーズ その1】)と同じように、中国側からの交通量が一方的に増えることが予想されます。経済的には常に受け身に回らざるを得ない北朝鮮はいろんな手を使って交通量を調整することも考えられます。新鴨緑江大橋開通というインパクトが、この地域にどんな変化をもたらすことになるのか。それが見えてくるのはもうしばらく先のことですが、今後も注視していきたいと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-06 08:51 | ボーダーツーリズム(国境観光) | Comments(0)