2013年 02月 13日
1年ぶりに中国の自主映画(中国独立电影)の作品について書きます。以下、「中国インディペンデント映画祭2011」の報告の続きです。 2011年12月9日、中国インディペンデント映画祭の関連イベントとして、武蔵野美術大学で開かれた徐童監督の「収穫(麦収)」の上映会に行きました。この作品は、第2回中国インディペンデント映画祭(2009)の出品作です。今回の出品作のひとつ、「占い師(算命)」と同じ監督の作品です。 このドキュメンタリー作品のあらすじを語るには、ちょっと下世話な話から始めなければなりません。中国の床屋が、いわゆる風俗店として使われていることをご存知でしょうか。現地駐在の方や出張などで何度か中国の地方都市に足を運んだことのある人なら見たことがあるのではないかと思います。見た目はただのうらぶれた床屋ですが、窓越しに中を覗くと、なにやらケバケバしい女たちが何人も腰かけていて、目でも合おうものなら手招きされそうな妖しい雰囲気がある。そこは地方出身者と都市の下層階級向けの風俗施設というわけです。 北京などの大都市でも、中心部から車で10分も走れば姿を現わす、地方からの出稼ぎ労働者たちが暮らす居住区(「農民工生活区」といいます)にはたいていどこにでもあります。そんな風俗床屋で働く20歳の娘がこの作品の主人公です。 彼女の名はホンミャオ(仮名)。細くつりあがった瞳、平たい顔と低い鼻、決して器量よしというタイプではないのですが、まだあどけなさの残る屈託のない表情と、農民工によく見られる気の強さが彼女の中に同居しています。見た目でいうと、そんな商売に身をやつしているとは思えない子です。出身は北京の南方約90キロの場所にある河北省定興県閻家営村。北京市西南のはずれにある「農民工生活区」に暮らし、東南のはずれにある店に「上班(通勤)」しています。 話は、彼女が河北省の実家に帰省し、父親と会うシーンから始まります。父親は病気のため点滴を受けながらオンドルに横たわっています。彼女は父親に北京の市場で買ったポロシャツをお土産として渡します。それから家族みんなで卓を囲んで食事をします。 そんなのどかな農民一家の団欒風景から一転して場面は天安門広場になり、けたたましいサイレンの音が響き渡ります。この作品が撮られたのは2008年。撮影期間中に起きた5月12日の四川大地震直後の被災者への黙祷シーンがさりげなく挿入されています。つまり、この話は世界中から注目された北京オリンピック開催と同じ年に起きている出来事だということを伝えようとしています。 さて、作品ではホンミャオの私生活のいっさいが次々と公開されます。彼女の仕事や友情、恋愛、家族との関係など、こんなに何もかもさらしてしまって大丈夫なのか、と心配してしまうほどの赤裸々さです。ところが、曇りのない彼女のキャラクターがなせるわざというべきか、決して賤業に身をやつしているというようなじめじめしたところはなく、ある種のすがすがしさすら観客に感じさせるところがあり、これは驚くべきことに違いありません。 「ホンミャオの生活圏」として、作品中に登場する場所を書き出してみました。彼女は北京市南部にある生活圏と実家のある河北省定興県閻家営村をこの1年のうち何回か往復しています。 ホンミャオの北京の部屋は、豊台区の「農民工生活区」にあります。北京と広州を結ぶ京広線の線路のすぐ脇、レンガ塀一枚で隔てただけの場所にあるため、騒音が相当激しそうな環境です。北京では一般に「東富西貴北賎南貧」といいますが、ここはその「南貧」に位置しており、結局のところ、彼女は多くの「農民工生活区」の住人たちがそうであるように、北京中心部の高層ビル群が並ぶ世界に自ら足を運び、越境していくことはまずありません。彼女ら「外地人」は、空間的にも北京生まれの都市戸籍者たちとはまったく分断された生活圏を生きているといえます。 オンドルが中心を占める彼女の小さな部屋には、テレビと衣装棚とわずかな家財道具があるだけですが、女の子らしくクマのぬいぐるみが置かれていたりします。同じ農民工の彼氏と携帯でおしゃべりするのもオンドルの上です。 彼女の「職場」は、朝陽区高西店の風俗床屋です。昼下がり、彼女と同じく地方出身である同僚の女たちは昨晩相手をした、たちの悪い客に悪態をついています。「河北省出身の17歳の処女が1万元で買われたが、そのうち彼女の手元に残るのは7000元だ」などという噂話も、姉御風の同僚が訳知り顔で話しています。 この作品では、彼女らの「職場」の風景が、あきれるほどの率直さで日常的に映し撮られています。女たちは床屋の中の長椅子に座って客が現れるのをひたすら待っているのですが、ひまなときには音楽を聴きながら踊ってみたり、みんなで食事をしたり……。徐童監督は彼女らと同じ場所にいて、その姿を長回しで収めているわけです。 これだけで十分興味深い光景ですが、さらに面白いのは、さまざまな登場人物の姿を通じて、彼女らの「職場」の外に広がる農民工の多様な日常が映し出されていることです。 ホンミャオには農民工の彼氏がいます。彼は建築現場で巨大なクレーンを扱う仕事をしていて、休日に彼女を現場に連れていき、自分の仕事がいかに大変か自慢げに語ります。こういういじらしい感じは、若き日の吉永小百合の主演映画『キューポラのある街』(1962年)みたいです。ただし、前述したように、いまの北京にはそこから車で10分ほどの場所に高層ビル群が林立している別世界があるという現実があります。よくいわれるように、中国にはいくつもの「時代」がモザイクのようにバラバラに折り重なりながら共時的に存在しているのです(もちろん、その「時代」というのは、我々先進国がこれまで経てきた時間軸の括りを便宜上そう呼んでいるにすぎないのかもしれませんが)。 農民工カップルのふたりは、中国の消費時代の申し子とされる都会生まれの「80后」と同年代の若者ですが、三里屯あたりのおしゃれなカフェやレストランには縁がなさそうです。夜のデートは屋台の食事が定番。そこには、いろんな年代の地方出身者たちが集まっていて、世代を超えた会話が繰り広げられています。ランプの明かりに照らされた彼らの表情はリラックスしていて、和気あいあいとしています。 風俗店の老板(経営者)は江西省出身の女性で、ある日彼女の誕生日を店の女の子と一緒に祝うことになりました。彼女の自宅にはなかなか男前の愛人がいて、料理も上手です。食事をすませると、みんなでKTVに行きます。そこは、彼女らと同じ地方出身の若いホストのいる店です。一晩のチップは100元。ホンミャオも遊びと割り切っているのでしょう。お気に入りのホストのひざの上に乗ってカラオケを歌っています。そして今日の主役、老板が歌うのは、テレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』。ああ、なんという場末感。しかし、彼女たちにとってこの時間がどれほど気晴らしになっているのか、よく伝わってくる光景です。 こうして同僚や男友達にも恵まれたホンミャオは、北京でそれなりに楽しく毎日を過ごしているようです。おしゃれしたい年頃ですから、「農民工生活区」にある小さなネイルサロンに行ったりもします。しかし、直接的ではないものの、彼女の職業の内実を暗示するいくつかのシーンも挿入されています。たとえば、彼女がある検査のため病院に通う冒頭のシーンがそうです。検査の結果は問題がなかったことを彼氏と一緒に喜ぶ姿も映されていますが、性病の懸念を彼女がずっと抱えていることがわかります。また、北京で最初に働いた風俗床屋のあった場所を訪ねると、そこは当局によって閉鎖されており、近所の人の話では、老板は懲役5年の刑に服していることを知らされます。北京における彼女自身も、いかにあやうい存在であるかがわかります。 そのうえ、実家の父親が深刻な病気を罹っており、彼女はその治療費を負担しているのです。家族への送金のために双井郵便局に行くシーンもありますが、別の日には手術のために父親が入院した河北省保定市の第一中心医院の病室を見舞いで訪ね、母親に3000元を手渡します。すると、母親はそのうち200元をそっと娘に返しました。 中国では、金勘定は現ナマを第三者に見せないと意味がありません。そもそもなぜ3000元を渡したかわかったかというと、母親が娘から渡された100元札の束を数えるシーンを見ながら、ぼくが枚数をカウントしたからです。カウントできるほど他者にはっきり見せてこそ、親を扶助する孝行娘とその母という関係性が表ざたになるわけで、母娘ともに「面子」が立つというわけです。しかも、いったん娘からもらった金の一部を返すことで、母親の「面子」も維持される。金銭をめぐるこうしたやりとりも、彼らにとって「面子」に関わる重要な行為といえます。外国人からすると一瞬違和感を覚えるような光景ですが、徐童監督はこうしたなにげない、いかにも中国的な親と子のリアルな情愛を感じさせるシーンをしっかり収めています。 さてそのころ、彼女の実家では、麦の収穫の季節を迎えていました。実家の外には、すっかりコムギ色に染まった麦畑が広がっています。北京の「農民工生活区」や風俗床屋の世界をさんざん見せられてきた観客にとって、ハッと胸を打たれる光景です。旧式のコンバインが音を立てて麦を刈り取っていきます。 ホンミャオは農民の娘です。病気の父親に代わって刈り取った麦の籾殻を庭先で分けたり、収穫のすんだ土地にトウモロコシの種を蒔いたりするのは彼女の仕事です。 そんな農作業に明け暮れる彼女も、実家の部屋に戻ると、北京の彼氏からの電話を受けるのですが、なんと彼氏の浮気がばれてしまいます。しかも、その相手は同僚の女友達だったことが判明し、彼女は涙にくれます。そして、心を痛めた彼女は寝込んでしまいます。 こうして実家のオンドルの上であられもない寝姿をカメラにさらしたまま、長い沈黙のあと、彼女はカメラマン兼監督である徐童に向かって言います。 「拍不拍了?(もう撮るの撮らないの?)」 映像は暗転。テレサ・テンの『阿里山的姑娘』が流れ、唐突にエンドロールを迎えます。 「終幕」。 ……とまあこんなストーリーです。 ひとことでいえば、北京の底辺を生きる若い女性、しかも風俗嬢である農民工の私生活をビデオカメラで延々撮り続けるという、常識で考えれば、よくこんなことが可能だったなあと半ば呆れつつも、驚かざるを得ない作品です。 なぜ徐童監督がこの作品を撮るに至ったか、またなぜこのような映像を撮ることができたのかについては、上映後に監督に対する会場からの質疑応答があったので、次回紹介します。
by sanyo-kansatu
| 2013-02-13 11:57
| リアルチャイナ:中国独立電影
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