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2013年 02月 22日
2011年12月16日は『花嫁(新娘)』(2009)を観ました。 花嫁(新娘) http://cifft.net/2011/xn.htm 四川省巫山県という長江中流域の地方都市に暮らす4人の中年男の物語です。この作品はフィクションです。映画祭の公式サイトによると、こんなあらすじです。 「長江のほとりの町で暮らす、何をするにも一緒な中年おやじ四人組。彼らはいずれも円満とは言いがたい家庭生活をおくっている。そのうちの一人、妻に死なれたチーさんのために、彼らは嫁探しを始める。ただ、彼らには人に言えないたくらみがあった。哀愁ただよう間抜けな男たちをシュールでユーモラスに描いた、ベテラン監督ならではの味のある一本」。 これだけ読むと、中国の片田舎に住むダメおやじ4人組が繰り広げるほのぼのコメディのようですが、ここでいう「人には言えないたくらみ」の中身を明かしてしまうと、ちょっとガクゼンとしてしまうかもしれません。というのは、主人公のひとりで妻に先立たれた茶館の店主が、山村に暮らす田舎娘と偽装結婚したのち、保険金殺人を図り、それを4人で山分けしようと結託するという大そうな悪だくみだからです。 物語は、4人組がハイキングにでも出かけるような軽装で山あいの村を訪ね、保険金殺人の餌食となる娘を探すために山道を歩いているシーンから始まります。しかし、それはのどかなもので、自分たちがこれからしでかそうとしている非情な行為に対する罪の意識は感じられません。まったくいまどきの都市部に住む中国人というのは、農村やそこに住む人たちのことをどこまでなめきっているのでしょうか。 今日の中国社会には、自分の利益のために他人を道具として利用するという行為は必ずしも悪ではない、という空気が蔓延しているように思います。社会主義から市場経済へのなしくずし的な移行の中で、他人を出し抜いてでもサバイバルしていかなければバカを見るという強迫観念があるからなのか。 実際、彼ら現代中国人の抱えたプレッシャー(中国語でも「圧力」といいます)は、外国人の目から見ると、気の毒なほどです。なぜそこまで無茶しなければならないのか……。男たちは、多額の保険金のために村娘をかどわかし、殺害する計画を、いい歳して実践します。彼らはごくふつうの市井の人間で、特別悪人というわけではないのです。もちろん、これはフィクションですが、昨今の中国社会の風潮をふまえた設定だけにリアリティがあります。 山道でひとりの老人と一緒におとなしく座っている娘に彼らは出会います。声をかけても黙ったままですが、結局、その家族にお金を渡して昼食をとります。最近の中国では手軽なレジャーとして、ふだんは静かな山村に住む農家が観光客相手に地場の食材を使った料理をふるまう「農家菜館」が人気です。男たちは料理を目の前にすると、本来の邪悪な目的もすっかり忘れて舌鼓を打ち、その日は何の収穫もないまま街に帰ります。 ところが、ふとした縁で茶館の店主はその娘と再会します。店のアルバイトを探していたところ、紹介されたのが彼女だったのです。 その子は見るからに地味な田舎娘です。うつむきがちで起伏のない面立ちに小太りの体型。感情を表に出すことはありません。しかし、それには理由がありました。彼女は心臓が弱く、村出身の同年代の多くの若者が都会に出ていくなか、ひとり山村に残っていたのです。 そんな彼女ですが、茶館の住み込みウエイトレスという仕事であれば、重労働とはいえませんし、本当のことをいえば、都会に出てみたかったのです。店主はこれ幸いとばかりに、件の保険金殺人の構想を胸に秘めながら、彼女を雇い入れます。 物静かな娘ですが、初めての都会暮らしとあって、仕事にも慣れていくにつれ、笑顔を見せるようになります。4人組の仲間も店に来て、彼女を見るや、当初の計画を決行するまたとないチャンス到来と小躍りします。そして、店主に早く彼女と結婚するように迫るのです。 こうして田舎娘と晴れて同居することになった店主は、若い彼女にだんだん情がわいてくるのを抗えません。そしてある日、結婚を申し出ると、なんと彼女は承諾するのです。身体的な理由で人並みの人生を送ることをあきらめ、山にこもっていた彼女は、都会の男と結婚したら、自分の運命も変わるかもしれない。いつか子供をみごもって、そのまま都会で暮らすことができるかも。そんな夢に賭けてみたいと考えたのです。 ふたりは新婚旅行に出かけ、初めてホテルで一夜をともにします。実は性の営みは彼女の心臓にとって大きな負担であり、行為の途中ですぐに失神してしまいます。店主は驚きますが、かえっていとおしさがわいてくるばかりです。 歳の離れた若い新妻を手に入れた店主は、新婚生活を満喫します。ところが、それが気に入らないのは、悪だくみを計画した4人組の仲間たちです。彼女の生命保険の支払いもそうですが、ふたりの結婚式や新婚旅行の費用もみんなで用立てていたからです。投資した以上、いつかは回収しなければならないというわけです。 決行を迫る3人との間で葛藤する店主ですが、ついに新妻を手にかけることを決意した夜、家に戻ると、シャワー室で彼女が倒れています。シャワー室に突然侵入したネズミに驚いて倒れたことを暗示するシーンも挿入されますが、彼女は妊娠していたこともあり、心臓がその負担に耐えられなかったせいでもあるようです。そう、彼女はあっけなく亡くなってしまうのです。もともと彼女は出産に耐えられるような身体ではなかったのでした。 実は、3人の仲間も口では決行を店主に迫りながら、彼が決意をしたすぐあとになって、やっぱり人殺しなんて大それたことはやめようと、彼のあとを追いかけてきて、無残な彼女の姿を見ることになります。所詮、人間なんてそんなに冷酷にはなれないものです。彼らは、結果的に自ら手を下すことなく計画を遂行したことになったのですが、後悔と罪の意識にかられ、彼女の故郷の葬儀に出席します。深い山あいの村で繰り広げられる厳かな葬儀のシーンで物語は終幕を迎えます。 この作品の舞台である四川省巫山県は、監督の故郷だそうで、ストーリーも現地の友人から想を得たといいます。きわめてドキュメンタリータッチな作風ゆえに、長江流域の地方都市の雰囲気がよく伝わってきます。 主人公の店主以外の男たちの人生と生活の舞台となるさまざまな場所(住居や職場、遊興地など)や、そこで起こる出来事もなかなか興味深いです。4人組の悪だくみの会合でよく使われるレストランは長江の眺めが抜群ですし、ここでもお約束のように、風俗床屋とそこで働く女たちとのやりとりが出てきます。大学の社会人講座で経済を講じる4人組のひとりは、中国経済の成長ぶりがどれほど素晴らしいか、教壇の上で弁をふるっていますが、これなどいかにも2000年代の中国らしいシーンだと思います。 その講師は、自分の妻とホテルにしけこむ不倫男を目撃し、ボコボコにしたところ、その男は公安の幹部で今度は自分が命を狙われることになり、しばらく山に逃亡するというシーンもあります。一般に中国コメディの笑いのセンスは、日本の感覚とはずいぶん異なり、笑いのツボがつかみづらいことも多いのですが、これには笑いました。 とはいえ、この作品はいわゆる娯楽作ではありません。作品を撮った章明監督については、以前当ブログでも紹介したことがありますが、どうやら『花嫁(新娘)』は中国当局の検閲を通していないものらしく、ミニシアターなどで上映するほかなく、観客は1000人に満たない(2011年12月現在)とご本人が語っていました。 ではなぜそのような作品を撮るのかといえば、誰もが知る首都北京や上海を舞台にした作品ではなく、地方都市に生きる人たちこそ、中国の一般大衆であり、彼らの姿を描くことに意味があると考えているからのようです。以前、章明監督はこう語っています。 「私の作品の特徴は、登場人物に語らせるというスタイルであることです。『花嫁(新娘)』の場合も、地方の小都市に住む人々の生活やモノの見方、態度を描いています。彼らこそ中国の一般大衆です。中国の人々の大部分は大都市ではなく地方の小さな町に住んでいるのです」 作品の舞台として自分の故郷を選び、日常に潜む題材からストーリーを脚色していくという創作スタイルは、現在北京電影学院の教員である章明監督の教え子たちにも受け継がれているようです。たとえば、今回の映画祭の出品作の『冬に生まれて(二冬)』の楊瑾監督、『独身男(光棍儿)』の郝杰監督。またこれはフィクションではありませんが『天から落ちてきた!』の張賛波監督はみんなそうです。 ただし、この創作スタイルでは数多くの観客を得ることは難しいところにジレンマがあります。いわゆる娯楽大作のように、あの手この手で観客を惹きつける魅力的なエピソードや笑いや涙を盛り込むこともなく、その土地の日常を淡々と撮っていくという手法は、そもそも目指すところが違うということでしょう。そこをつくり手としてどう考えるかについては、張賛波監督のように、「(自分のドキュメンタリー作品は)あくまで自己表現の手段です。個人的な考えを表現するためには、フィクションや小説でも構わないのですが、たまたま私はドキュメンタリーを選択しました」と言い切ってしまえば潔いのでしょうが、つくり手によっても考えはいろいろなのだと思います。 今回、『花嫁(新娘)』を観ながら、ともに中年男の悲哀を描いているという意味で、中国人の北海道旅行人気に火をつけた『非誠勿擾』(2008 馮小剛監督)とつい比較してしまったのですが、前者が地方都市に住むさえない男たちの保険金殺人未遂にまでからむドタバタ劇であるのに対し、後者はアメリカ帰りで金には困らない男の優雅でとりすました婚活ラブストーリー。当然、作品を観たあとの登場人物たちに対する印象が違ってきます。 『花嫁(新娘)』では、そこで起きている出来事のすべてが理解できるわけではないのですが、登場人物たちが悪戦苦闘している姿は伝わってくるぶん、許せる気がしてくるのです。だから異質さを強く感じながらもどこか親しみをおぼえるところがある。それに比べ、『非誠勿擾』では主人公に対して“いけすかないヤツ”とツッコミを入れたくなったものです(北海道の小さな教会の牧師の前で主人公がひたすら懺悔しまくるシーンは笑えましたけど)。 日本で『非誠勿擾』の興業を試みた人たちがいましたが、北海道以外ではうまくいかないのは無理もないと思ったものです。日中の笑いのセンスの違いもそうですが、はっきり言っていまの日本人にはバブル臭い設定やストーリー展開がとても古臭く感じられて、たいして面白い映画ではないのです。一方、我々とは異なる時代を生きている中国の観客は逆にそれがいいと感じたはずです。だから大ヒットしたのです。 遠く離れた異国の地、自分とは生活環境も異なるし、一度もその地を訪れたことのない場所に住む人間に対して、一瞬でもなにがしかの親近感をおぼえるというのは、たぶん彼ら間抜けな4人の中年男が繰り出すしがないエピソードの数々、そのディティールにぼくがどこかで身につまされたからでしょう。それは、ちょうど新宿の町に突如現れた、どう見ても都会的な洗練からはほど遠い中国団体ツアーのグループと横断歩道ですれ違う瞬間、場違いにも思える異質な存在に軽い戸惑いをおぼえつつも、よく見るとカメラをあちこちに向け、日本の旅行を楽しんでいる彼らの無邪気な姿を発見することで、親しみの感情が生まれる。そんな日本でもしばしば見かけるようになった異文化接触の光景に似ていたように思います。 監督:章明(チャン・ミン) 重慶市巫山県出身。96年にデビュー作『沈む街』がベルリン国際映画祭で紹介されると、その年の数十カ国の映画祭で上映され、多数の賞を受けた。現在は北京電影学院の教員として多くの監督を育成しながら、脚本家や監督として活躍している。代表作は他に『週末の出来事』(01)、『結果』(05)など。
by sanyo-kansatu
| 2013-02-22 13:18
| リアルチャイナ:中国独立電影
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