2013年 06月 18日
中国吉林省の延吉を起点に国際定期バスで極東ロシア入りしたぼくは、シベリア鉄道の終着駅のあるウラジオストクで数日過ごした後、中国に戻ることになりました。でも、往路と同じように路線バスに乗るのではつまらないので、復路はランドクルーザーをチャーターして途中いくつかの場所に立ち寄りながらドライブすることにしました。そして、国境の町の宿で一夜を明かすことにも。 ロシア時間の17時(中国時間は14時。当然まだ陽は高い)、ウラジオストクを出発。市内はあれほど渋滞がひどかったのに、郊外に出ると車が減りました。ウラジオストクは半島の先にある都市なので、中国国境方面に向かうには、いったん北上し、半島の付け根で折り返さなければなりません。その頃にはもう対向車もたまにしか現れなくなります。 往路で休憩したドライブインを通り過ぎました。大きなトラックが停車しています。小さな村を通ると、人影が見えます。 ほぼ無人の一本道を日本製のランドクルーザーはひた走ります。ウラジオストクから1時間も走ると、徐々に道路の舗装が悪くなります。 ザルビノという港町に立ち寄りました。トロイツァ港は日本から完成した自家用車を陸揚げし、列車でモスクワ方面に運ぶ積替港でした。トヨタ車やマツダ車だといいます。緑の湿原に囲まれた何もない場所に、突如何千台という車が並ぶという光景はちょっとした奇観といえるでしょう。 港は入り江になっていて、対岸には小さな集落と缶詰工場があるそうです。そこで働くのは北朝鮮からの労働者と聞きます。 次に立ち寄ったのは、ポシェット湾の石炭積み出し港でした。ロシア人労働者がふたりビール瓶を片手に現れました。ここには中国からの労働者も働いているそうです。 ウラジオストクはすっかり化粧直しされて、ソ連時代を強く思い起こさせる痕跡はそんなに見つからない印象でしたが、こうして田舎町を訪ねてみると、この古い団地もそうですが、社会主義時代の裏さびれた停滞感を連想させる物件に出会います。しかし、それも仕方がないことというか、沿海州というのは、言うまでもなくロシアの最果ての場所なのです。 ポシェット湾の入り江を見渡す場所で車を停めました。実はこのあたりは、いまから1000年以上前にこの地に勃興した渤海(698年-926年)が日本との交流のために計34回送り出した使者が出航した港があった場所ではないか、といわれています。当時の渤海の版図に極東ロシアの沿海州南部はすっぽり収まっています。夕闇が迫ってきて薄ぼんやりとしたポシェット湾でそんなことを考えていると、とても不思議な気分がします。 それから車は西に向かい、ロシア時間の23時になってようやく国境の町クラスキノにたどり着きました。そして、町に一軒だけのオリオンホテルにチェックインすることに。 この国境宿はもともと中国の投資によって建てられたホテルのようです。1990年代初頭のソ連崩壊以降、多くの中国人が行商人や労働者として極東ロシアに入り込みました。ところが、その数の多さに慌てたロシア政府は入国管理を厳しくします。今回のバス旅行でもわかったように、現在の人の流れはむしろロシアから中国に買い出しに来るロシア人のほうが多そうです。となれば、この中国資本の国境宿はさびれるほかありません。現在は地元ロシア人の経営となっています。 ちなみにツインで1泊2000RB(約5000円)。中国の地方都市であれば1泊100元(約1500円)程度の水準のホテルでしかありませんが、ロシアは中国に比べあらゆるものが高いです。それが極東ロシア人の買い出し旅行の背景となっています。 それにしても、場末感がたっぷり味わえる国境宿ならではのホテルでした。極東ロシアと中国辺境の国境の町なんて、そりゃもう世界の最果て。あらゆる世界の動向から置いてけぼりにされている(それはちょっと言い過ぎですが)、そんな場所で一夜を過ごすという気分も悪くはありません。 ロビーの脇に薄暗くだだっ広い食堂がありました。この町ではそこ以外で食事ができる場所なんてないので、遅い夕食をとりました。メニューを見てもロシア語なので詳しくはわからなかったのですが、イカフライやチャーハン、ロシア風サラダなどを適当に注文しました。実は、その晩のメインディッシュは、ウラジオストクでお世話になったロシア人から購入することになった茹でたタラバガニでした(別にこちらが頼んだわけではないのですが、旅先ではよくあることです)。田舎の食堂ですから、そういう勝手な持ち込みにもうるさくないので助かりました。 客は我々以外に数組のロシア人がいましたが、注文した料理はなかなか出てきませんでした。仕方がないので、食堂の隣にささやかなバースタンドがあり、飲み物を注文することにしました。こちらは種類もなかなか豊富です。さすが酒飲みの国ロシアというところでしょうか。ビール30RB、赤ワイン250RB、ウォトカ300RB、それぞれボトル1本の値段です。お酒だけは安いんですね。 さて、翌朝早く起きて町を散策しました。そこかしこにソ連時代の名残が置き捨てられたようにありました。 クラスキノは、中国に向かう道路の両脇に学校や民家、雑貨屋などが並ぶ小さな町です。ロシアの田舎町を歩くなんて機会はそうあるものではないので、1時間ほどふらふら歩いて、町の中心であるバス停に行くと、すでに中国行きのバスが数台停車していて、発車を待っていました。 9時発の第一便に乗りたかったのですが、あいにく満席。仕方なくウラジオストク方面から来るバスを待ち、結局10時20分発の琿春行きのバスに乗り込むことができました。バス代は琿春まで1650RB(うち300RBは国境手配料だそうです)。やはり中国側からロシアに来るのに比べて、運賃も割高ですね。 (2012年6月下旬)
by sanyo-kansatu
| 2013-06-18 10:40
| 日本に一番近いヨーロッパの話
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