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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 02月 19日

100年前(1913年)の訪日外客数は2万人、消費額は1300万円

いまでこそ「インバウンド」ということばや「訪日外国人の旺盛な消費への期待」から外客誘致に対する理解が広まってきましたが、歴史を振り返ると、日本の外客誘致はいまからちょうど100年前に始まっています。

それは、1912年3月に創立されたジャパン・ツーリスト・ビューロー(現在のJTBの前身)の活動によってスタートしました。今日の「観光立国」政策や外客誘致のためのプロモーション活動も、すでに戦前期にひな型があったのです。

では、戦前期の外客誘致とはどんなものだったのか。

それを知るうえで格好の資料となるのが、ジャパン・ツーリスト・ビューローが発行した「ツーリスト」(1913年6月創刊)です。JTBのグループサイトによると、同誌は当時の外国人案内所として国内外に次々と設立されたツーリストビューロー間の連絡を密にし、事業進展を図ることを目的として創刊された隔月刊の機関誌で、1943年まで発行されていました。

JTB100年のあゆみ
http://www.jtbcorp.jp/jp/100th/history/

そもそも100年前のジャパン・ツーリスト・ビューローは、今日の日本を代表する旅行会社のJTBとは創立の目的も実態もかなり異なるものでした。むしろ現在の日本政府観光局(JNTO)に近い存在でした。

「ツーリスト」創刊号(1913年6月刊)の巻頭には、「ジャパン、ツーリスト、ビューロー設立趣旨」なる以下の文章(一部抜粋)が寄せられています。
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「日本郵船会社、南満州鉄道会社、東洋汽船会社、帝国ホテル及我鉄道院の有志聯合の上『ツーリスト、ビューロー』を設立せんことを期し、諸君の御会合を請ひたるに、斯く多数其趣旨を賛成して、御参集を辱ふしたるは、我々発起人一同の感謝とするところである。抑も漫遊外客は、我日本の現状に照らし、各種の方面より大いにこれを勧誘奨励すべきは、今更贅言を要せない次第である、外債の金利支払及出入貿易の近況に対し、正貨出入の均衡を得せしめんが為め、外人の内地消費を多からしむるに努め、又内地の生産品を廣く外人の耳目に触れしめて、我輸出貿易を発達せんが為め、国家経済上の見地より、外国漫遊旅客の発達を促すは、刻下焦眉の急たること申す迄もなく、更に一方により考ふれば、東西交通の利便開け、東西両洋の接触日に頻繁を加ふるの際、我国情を洽く海外に紹介し、遠来の外客を好遇して国交の円満を期すべきは、国民外交上忽にすべからざる要点である。随って外客好遇の問題は、国家の重要なる問題であるが、尚我々交通業者、ホテル業者、外人関係商店等の従事者としては、如上の必要と共に、其業務の営利的感念よりするも、廣く遠来の珍客を好遇することは、一層の急を感ずるのである。然るに目下の状態を以てすれば、未だ我日本の風土事物を世界に紹介するの施設も全たからざれば、又一方に渡来の外客を好遇するの設備も乏しく、余は最近萬国鉄道会議に臨席せんが為め、我政府を代表して瑞西国に遊びたるが、彼国に於ける外客待遇設備の完備せるを見て、大に彼に学ぶこと多きを考へ、又帰朝後朝野各方面の人士よりも、此事業の必要なることを勧誘せらるるあり玆に於いて原総裁とも相談の上、今日諸君へ連名御案内したる在京有志と会合し、我々当業者進んで此任に当るの決心を以て、本会設立を申出たる次第である」。

ここには、今日の外客誘致の必要を提唱する基本的な考え方(「外人の内地消費」「内地の生産品を廣く外人の耳目に触れしめて、我輸出貿易を発達せんが為め」「遠来の外客を好遇して国交の円満を期す」など)とほぼ変わらない内容が書かれています。

さらに、ジャパン・ツーリスト・ビューローの事業として以下の点を挙げています。

「一、漫遊外人に関係ある当業者業務上の改良を図ると共に、相互営業上の連絡利便を増進すること。
 二、外国に我邦の風景事物を紹介し、且つ外人に対して旅行上必要なる各種の報道を与ふるの便を開くこと。
 三、我邦に於ける漫遊外人旅行上の便宜を増進し、且つ関係業者の弊風を矯正すること。
右三項の外、總て外客を我国に誘致し、是等外客に対し諸般の便利を図るため各種の事業を計画実行せんとするの希望である」

現在の日本政府観光局(JNTO)や観光庁がやっていることは、すでに100年前に企画され、実施されていた事業だったのです。

ところで、当時の訪日外客の規模はどのくらいのものだったのでしょうか。同誌の創刊を告げる「発刊之辭」でこう述べられています。

「想ふにツーリスト、ビューローの事業たる、欧米諸国にありては早く業に其必要を認め、今や各国其設備整はざるなしと雖も、本邦にありては其規模誠に小さく、世上一般は之に対して殆ど知るところないものの如し。然れども漫遊外客の来遊するもの年々二萬人内外を有し、其費す金額も一年大略一千三百萬圓を下らずと云ふに至りては、是を国家経済上より見るも亦決して軽々に看過すべからざる事實たらずんばあらず」。

100年前(1913年)の訪日外客数は2万人、消費額は1300万円でした。つまり、2013年に訪日外客数が1000万人を超えたということは、この100年で500倍になったということになります。

これから何回かに分けて「ツーリスト」の約30年の軌跡を追いながら、戦前期の外客誘致の姿について見ていきたいと思います。当時と現在では大きく違うこと(当時の外客は客船で来日。航空機時代を迎えた戦後の輸送量の飛躍的拡大)があるものの、基本的な誘致に対する考え方はそれほど違わないことがわかり、とても興味深いです。そこには、今日から見ても学べる多くの知見があります。

また最初にいってしまうと、1913年に始まった日本の外客誘致の努力に対して、その10年後、20年後を見る限り、戦前期における外客数の大きな増加は、結果として統計的には見られなかったという事実があります。いったいそれはなぜだったのか。これも検討してみようと思います。

by sanyo-kansatu | 2014-02-19 11:15 | 歴史から学ぶインバウンド


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