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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 06月 14日

昭和9(1934)年の金剛山は今よりにぎわっていた

昨年、ぼくは北朝鮮の金剛山を訪ねたのですが、戦前期には、この地は朝鮮を代表する観光地でした。実際のところ、今より80年前のほうがにぎわっていたし、観光地開発もずっと進んでいたのです。

2013年、金剛山観光はどうなっているのか?
http://inbound.exblog.jp/22561895/

その事実は、昭和9(1934)年9月に刊行された「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)の内容をみるとわかります。同書は国会図書館近代デジタルライブラリーで誰でも閲覧することができます。

「朝鮮旅行案内記」(朝鮮総督府鉄道局)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234893

当時の旅行案内書の記述の詳細さや内容の面白さは、現在書店に並んでいるガイドブックのたぐいとは比較にならないほどです。とりわけ、同書における金剛山の扱いは別格です。金剛山は、当時朝鮮半島を代表する景勝地として理解されていたことがわかります。

いったい当時の日本人にとって金剛山とは何だったのか? 以後、同書の内容を通して考えていきたいと思うのですが、まずはわかりやすいところからという意味で、金剛山の口絵の一部を紹介していきます。
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これは外金剛の九龍の滝の口絵です。
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これは昨年撮った九龍の滝。滝つぼに落ちる水量が少ないことを除けば、80年前とほとんど変わっていません。
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これは玉流洞渓谷の口絵です。
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これは昨年撮ったもの。これも変わりません。
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これは三日浦の口絵。
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これは昨年の三日浦。

当たり前のことかもしれませんが、自然の景観は80年程度の時間の経過で変わるものではないですね。時間がなくて訪ねることができませんでしたが、その他口絵に載っているのは以下の景勝地です。
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これは奥萬物相といい、外金剛にある屹立する岩の連峰です。
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これは海金剛で、金剛山の海岸沿いに林立する柱の奇岩です。
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ちょっと面白いのはこれで、昭和9年当時、金剛山にはスキー場があったようです。昨年北朝鮮の元山の近くに馬息嶺スキー場ができたことがずいぶん報道されましたが、実は昭和の時代にはここだけでなく、朝鮮半島にはたくさんのスキー場があったのです。その話についてはまたいずれ。
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また金剛山にはかつて多くの寺院がありました。これは楡點寺といい、金剛山の南の山中にありましたが、現在は残っていないようです。理由は、金剛山周辺は朝鮮戦争の激戦区だったからです。
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「金剛山探勝径路図」によると、今日残っていない、いくつかの寺院や鉄道路線などが見られます。当時のほうが今より観光地開発が進んでいたといえるのは、そのためです。

by sanyo-kansatu | 2014-06-14 13:02 | 朝鮮観光のしおり


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