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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 12月 25日

現存するヤマトホテルのすべて

中国東北地方には、20世紀初頭に始まった日本統治時代に建設されたクラシックホテルが多数現存しています。その代表格が満鉄ホテルチェーンです。
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最初に開業したのが、1907(明治40)年の大連ヤマトホテルです。大連市中心部に位置する中山広場の南側正面にいまも独特の存在感を見せる石造5階建てのルネサンス式建築のホテルですが、実は大連ヤマトホテルとしては3代目で、清水組(現清水建設)が竣工し、14年に開業したものです。
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初代はロシアが造った東清鉄道の建物を借用したものでした。
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2代目は、09年に旧ロシア市役所を別館として開業したもので、日本統治時代は満蒙資源館として、また新中国時代は長く大連市自然博物館として使われていた建物です。ロシア人街のいちばん奥正面に現存していますが、現在は廃墟同然の姿をさらしています。
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実は、09年に満洲を訪れた夏目漱石はここに宿泊しています。その記録は『満韓ところどころ』という彼の直截かつ辛辣な大陸紀行に残されています。

大連にはこれ以外に3つのヤマトホテルがありました。ひとつは、大連郊外の海浜景勝地に10年に開業した大連星が浦ヤマトホテルです。当時の日本ではまだ海水浴というレジャーが鎌倉などの外国人居留地を除き一般化していなかったことを思うと、いかに先進的な存在であったかわかります。
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いまは亡き祖母が大連で洋品店を営んでいた叔父を訪ねたときに、星が浦海岸で遊んだ話をうれしそうにしてくれたことがあります。時代は1940年頃のことですから、すでに周辺はこの絵はがきの写真のように、今日の日本ではもう見られない戦前期特有の優雅で落ち着いた海浜リゾート地だったことでしょう。
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一方、これが現在の星が浦(現・星海)海岸です。残念ながら、星が浦ヤマトホテルは現存していません。
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もうひとつが、旅順ヤマトホテルで08年に開業しています。ここには前述の夏目漱石も泊まっていますし、のちに川島芳子が結婚式を挙げています。
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これが現在の姿で、軍の招待所(「81067部隊招待所」)として使われています。

[追記]
2015年2月上旬に旅順を訪ねた知り合いの話によると、同招待所はすでに閉業しており、いずれ取り壊しされるという貼り紙が書かれていたそうです。残念ですね。(2015.2.21)
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あまり知られていない3つ目が、18年に開業した旅順黄金台ヤマトホテルです。旅順東南部の黄金山と呼ばれる景勝地に位置しているのですが、現在は軍区の中で一般人は立ち入り禁止のため、その地を訪れることは基本的にできません。
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2010年、いまは亡き友人の桶本悟氏が、当局の許可を取っていまは廃墟となっている同ホテルの跡地を訪ねています。これがそのときの写真ですが、荒れ放題で放置されていたものの、「大和旅館」のプレートが残っていたそうです。

さて、場所をかえて瀋陽の奉天ヤマトホテルです。当初、東京駅を模した赤レンガ造りの奉天駅(現瀋陽駅)の一部をステーションホテルとして10年に開業させたものでした。
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現在も大広場(現・中山広場)に堂々たる威容で立っているのが、29(昭和4)年に再開業した現・遼寧賓館です。
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08年開業の長春ヤマトホテル(満州国建国後は新京ヤマトホテルに改称)は、当時最先端のセセッション(アールヌーボー)様式の設計スタイルを採用していました。
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現在は、大部分が改修されてしまいましたが、春誼賓館として長春駅前で営業を続けています。
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ハルビンヤマトホテルも現存しています。このホテルの出自は東清鉄道の施設ですが、時代と共に所有者が移り、満洲国時代は「ハルビン大和旅館」でした。現在は、龍門大廈と呼ばれています。
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当時ヤマトホテルは、満州国各地にあったのですが、現在ではそのほとんどが再開発によって消失してしまいました。現存しているのは、大連・瀋陽・長春・ハルビンという中国東北地方の四大主要都市に建てられた都市のランドマークとして貴重な記念碑的作品だけだと思っていました。

ところが、唯一それ以外に現存しているヤマトホテルがあることを知ったのは、2012年北朝鮮の羅先を訪ねたときのことでした。羅津ヤマトホテルです。なぜこの地にヤマトホテルがあったかというと、当時「北鮮」と呼ばれた鏡咸北道は、満鉄の管轄内にあったためだと思われます。これまで紹介したものに比べると、歴史的重厚感には欠けますが、ロビーや客室、食堂の雰囲気はそれなりにヤマトホテルらしさを残していました。
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これら満鉄が経営したヤマトホテルは、日本の内地のシティホテルと比べても遜色がないばかりか、当時の最新式の設備を誇っていました。近年の中国の経済発展による新しい都市施設の増殖の中で、老朽化が目につくのは致し方がないことですが、20世紀初頭のモダニズム空間の魅力は異彩を放つことはあっても、色褪せることはありません。これから先も大事に使い続けてほしいものです。

今回紹介したそれぞれのホテルの内部の撮影はすべて行っています。後日あらためて。

大連ヤマトホテルの現在
http://inbound.exblog.jp/20581894/

【追記】2017.11
大連ヤマトホテルこと、大連賓館は2017年11月より改装のため営業を停止しています。約1年後にリニューアルオープンする予定ですが、どう改装されてしまうのか心配しています。

by sanyo-kansatu | 2014-12-25 11:55 | 日本人が知らない21世紀の満洲


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