2015年 08月 12日
清津から七宝山に向かう途中にある鏡城郡で、温堡温泉以外にもうひとつ訪ねたのは、チプサム革命史跡でした。 「共産主義テーマパーク観光」がその実態である朝鮮旅行では、ほぼ毎日のように革命史跡を訪ねることになるのですが、その大半が虚構の歴史を扱っているとしか思えません。そのため、まじめに観る気にはなれないので、本ブログでもほとんど触れていないのですが、この史跡はちょっと面白かったので、紹介しようと思います。 朝鮮側の資料によると、ここは金正日将軍と金正淑女史の革命事跡だそうです。場所は鏡城郡温大津里チプサム村にあります。 ここでは金親子が滞在したとされる住居が革命史跡として紹介されます。チマチョゴリを着た彼女が、同国のテレビアナウンサーのような滔々とした口調で解説をしてくれます。 ただし、ガイドたちは彼女の話を通訳する気はなさそうです。かつて日本人旅行者が多かった90年代にはそんなこともなかったのかもしれませんが、いまや圧倒的多数派である中国客は、朝鮮の建国史の唯我独尊ぶりを大ブーイングしてきたことから、彼らも聞かれないかぎり、外国人に通訳しても仕方がないと思うようになったのではないでしょうか。実際、彼ら自身どこまで本気で信じているのかあやしいものです。 興味深いのはその住居の中の様子です。 金日成将軍とその家族がこの家に滞在したことを示す写真が飾られています。といっても、金正淑女史は1949年に亡くなっているそうですから、その少し前に撮られたものでしょう。 書斎は畳の間になっています。オンドルも敷かれているようです。 炊事場や倉庫も残されていて、ここはおそらく日本時代の富裕な階層の別荘、あるいは官舎だったのではないでしょうか。 玄関の雰囲気も、いまの日本ではほとんど見ることのできない昭和の住宅です。 この住居の周辺は同じような文化住宅が点在していて、戦前の軽井沢のような別荘地の趣があります。通りは整備され、並木もていねいに植えられています。革命史跡ゆえにこれほどきれいに残されたのでしょうが、とにかく朝鮮の人たちは清潔好きで、清掃が行き届いています。これは中国との大きな違いでしょう。 日本時代の住居は中国東北地方にはもうほぼ残っていませんが、朝鮮には残っている。これも面白い現象です。 羅先にも同じような革命史跡がありましたが、それも日本の住居でした。こちらもきれいに残されていました。
by sanyo-kansatu
| 2015-08-12 10:35
| 朝鮮観光のしおり
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