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2016年 04月 07日
ここ数年、3月下旬から4月にかけてのイースター(復活祭)休暇の時節になると、多くの外国人ツーリストがまちをにぎわすようになりました。桜の開花も重なり、キリスト教圏以外の人たちも多いです。 ふとこのような光景は、日本列島の歴史が始まって以来のことではないだろうか、などと大げさに思ったりもします。 空気もぬるみ、まちに出かけるのが楽しくなるので、ぼくもつい仕事場を抜け出し、そこらをふらふらと散策してしまいます。 ※ここ1、2年のイースターウォッチングの記録。 イースター(復活祭)休暇中の京都、大阪はにぎわってました http://inbound.exblog.jp/25634021/ イースターも近い原宿では非英語圏の言葉があちこちで聞かれた http://inbound.exblog.jp/24322287/ イースター休みに渋谷スクランブル交差点に出没した外国人をシューティング http://inbound.exblog.jp/24348359/ 自分の暮らすまちに外国人があふれる光景を見ていると、ぼくはよく1980年代のヨーロッパのことを思い出します。 いまでも鮮明に覚えているのは、1980年代半ばのイースターの頃に訪ねたウィーンの光景です。市の中心部に「リンク」と呼ばれる石畳の広場があり、その背後にはゴシック様式のシュテファン大聖堂の尖塔がそびえていました。 広場にはあふれんばかりの外国人ツーリストの大群衆がいたのです。ぼくもそのひとりでした。 当時は「ペレストロイカ」の時代。米ソ冷戦構造が雪解けを迎え、東側との境界に位置したウィーンには、周辺の国々から人々が集まっていました。 実は、同じ光景は、お隣のハンガリーの首都ブタペストでも見られました。学生だったぼくは、春休みを使って自由化の進む東ヨーロッパの国々を一つひとつ訪ねていたのです。イスタンブールからベルリンまでの旅でした。 ひとつの都市にこんなに大勢の外国人が姿を現わすということがあるものなのか……。 そして、思ったものです。日本にもこのような状況が起きる日は来るのだろうか……。 当時それはまったく考えられないことでした。80年代の東京には、確かにアジア系移民労働者の数が増えていましたが、彼らはツーリストと呼べる存在ではなかったからです。 ですから、2010年代半ばの日本の大都市に見られる状況は、驚きを禁じえないものがあります。 1980年代というのは、日本がグローバル・ツーリズムの大衆化を迎えた時期でした。 いまでは特別なことではありませんが、アルバイトで貯めたわずかなお金で、学生がヨーロッパを数ヶ月かけて旅して回れるようになったのは、この頃からです(それ以前の時代にもヒッピー的な放浪はありましたが、1980年代に起きたのは、大学のクラスの大半が卒業前に同じような旅行をしていたという意味で、大衆化していたわけです)。1985年のプラザ合意による円高が引き金であったことは確かです。 ちょうどいま、日本を訪れているアジアのツーリストたちの多くが、当時の日本のような時代の空気を吸って旅しているのだと思います。 ぼくが彼らの姿を写真に収めたり、ウォッチングをしたりしているのは、旅空の下にいる彼らの思いがよくわかる気がするからです。それが懐かしいからでもあるんです。
by sanyo-kansatu
| 2016-04-07 15:19
| “参与観察”日誌
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