2016年 04月 09日
3月末からのイースター(復活祭)休暇中、外国人観光客、特にキリスト教圏から来た欧米客が全国各地に多くの姿を見せた。桜の開花とも重なり、日本の春を楽しんだことだろう。 日本政府観光局(JNTO)によると、今年も訪日客数は前年比43.7%(1~2月の集計)の伸びを見せている。基本的に数が増えるのはいいことには違いないが、訪日客が増えると、当然問題も起こる。 大都市圏のホテル不足は国内のビジネス出張者を大いに悩ませていることから広く知られているが、それ以外にも国民が知らない多くの場所で、外国人観光客たちはさまざまな問題に直面している。 たとえば、空港で入国審査をするとき、外国人の長い列を見たことがないだろうか。混雑で出入国審査に時間がかかりすぎることは、訪日客の不満になっている。また不慮のケガや病気になったときの外国人向けの医療機関の情報提供が不十分なこともよく指摘される。 これらは比較的想像しやすいが、我々日本人がサービスの受益者でないため、その内実があまり知られていないのが、「通訳ガイド問題」である。 中国語の通訳ガイドはわずか12% 3月上旬、中国発クルーズ客船が多数寄港する福岡市で、ツアー客の上陸観光のガイドとしてバスに同乗し、免税店を案内するかたわら、売り上げに応じたコミッションを得ていた中国人不法ガイドが摘発された。 報道によると、逮捕された中国人は「就労資格のないビザで日本に滞在し、買い物をする中国人観光客らをボランティア名目で案内。その見返りとして案内先の免税店から計約7500万円の報酬を受け取っていた」(日本経済新聞2016年3月4日付)とされる。そのため、彼らにコミッションを渡していた免税店や業務を委託した旅行会社の関係者も「不法就労助長」容疑で書類送検されている。 なぜこのようなことが起きたのだろうか? 背景には、日本の通訳ガイドを取り巻く特殊な状況がある。 そこで、まず日本の通訳ガイドをめぐる実情を整理しておきたい。 通訳ガイドは、訪日外国人に引率し、外国語を使って観光地の説明や広い意味でのガイディングを有償で行う職業のことだが、これには「通訳案内士」という国家資格の取得が法的に義務づけられている(通訳案内士法第2条、第3条、第18条及び第36条)。日本の文化や歴史を正しく外国人に伝えるには、語学力はもちろん、それ相応の知識を有していることが条件とされるからだ。通訳案内士は「日本文化の発信者」としての重要な役割を担っているのだ。 観光庁では、2008年から関係者を集めて「通訳案内士制度のあり方に関する検討会」を続けている。なにしろ通訳案内士制度が創設されたのは1949年(昭和24年)。すでに60年以上が経過しており、訪日客の急増やニーズの多様化に応じた新たなあり方を検討するためだ。 同検討会では、今日における「通訳案内士制度の課題」として、「語学の偏在」「地理的偏在」「ガイドニーズの多様化」を挙げる。 通訳案内士制度の課題(「通訳案内士を巡る状況及び今後の対応について」観光庁 2015年12月24日資料3より) 「語学の偏在」とは、10カ国の言語に分かれる通訳案内士のうち英語が67.8%と3分の2を占め、訪日客数トップの中国や台湾、香港らの中国語は12.0%しかいないことを指す。 「地理的偏在」は東京や神奈川など4分の3が都市部の在住者が占めること。地方にある観光地も、遠く離れた都市在住の通訳案内士が対応している現状を指す。 「ガイドニーズの多様化」は、訪日客の多様化に即した専門的な知識がこれまで以上に求められる現実に対し、現行のフルアテンドを前提とした通訳案内士資格でどこまでニーズをカバーしきれているかを問うものだ。 さらに、ここでは触れられていないが、観光庁の数年前の調査では、通訳案内士の資格を持ちながら実際の職業にしているのは、全体の4分の1に過ぎないこと。人材の高齢化が進み、若い世代が圧倒的に不足していることも課題といえる。 背景には、通訳ガイドの職業としての不安定さ、フリーランスとして生計を立てていかなければならない難しさがあると考えられる。 だが、それ以上に、政府が「観光立国」を掲げた2003年以降の時代の大きな変化に、制度が合わなくなってしまったことがある。市場と制度のギャップを埋め合わせる見直しが求められているのだ。 「業務独占」をめぐる議論 市場と制度のギャップを指摘する意見は、有識者を集めた観光庁の「検討会」の資料でも詳細に記されている(「規制改革会議の検討状況について」観光庁 2016年2月29日 資料2)。 代表的な意見を挙げると「資格や研修で得られる画一的な知識・体験では、食べ歩き、スポーツ大会時の周辺観光等、個人が有している生のユニークな知識・経験を有償でガイドしたい個人のニーズ及びこうしたユニークな体験をしたいという多様な旅行者のニーズに対応できない」「マッチングサイトを通じた口コミ情報などにより、質の悪いサービスは市場から淘汰されるので、国家資格による一定の品質確保に対するニーズに対応するには、名称独占で対応可能」というものだ。2020年の東京五輪開催やSNSによる情報収集が普及した時代のニーズを意識した内容となっている。 規制改革会議の検討状況について http://www.mlit.go.jp/common/001122871.pdf ここで議論となっているのが、通訳案内士の「業務独占」をめぐる問題だ。 日本における国家資格制度には、有資格者以外に業務の従事を禁じる「業務独占」、有資格者以外は名称の使用を禁じる「名称独占」、事業者に公的資格を有する者の配置を義務づける「必置」の3つがある。 通訳案内士は、これまで弁護士らと同じ「業務独占」資格とされてきた。外国人を有償でガイドするには、国家資格を必要とするのはそのためだ。だが、昨年の訪日中国客が約500万人だったのに対し、中国語の通訳案内士は約2000名しかいないという現実に象徴されるように、訪日客が激増した今日、(通訳案内士制度の理念や目的からすると)有資格者の数がまったく足りないという事態となった。 業務独占のあり方について http://www.mlit.go.jp/common/001122872.pdf この議論をめぐって、当事者である通訳案内士団体からの反論がある。 「中国語や韓国語のガイドが無資格者に市場独占されているためで、数が足りないという意見は正しくない」「ガイドの質を担保するためには業務独占は必要」「訪日客に対する詐欺行為等を取り締まる観光警察を創設すべき」というものだ。 ただでさえさまざまな課題を抱えた通訳案内士のよりどころでもある「業務独占」を「規制改革」という錦の御旗を掲げ、断罪されるのは耐え難いという反発もあるだろう。彼らには高い語学能力を必要とする国家資格が担保する職業意識とプライドもあるからだ。 もっとも、市場の激変を最もよく知る中国語の通訳案内士は、これらの議論についてこう指摘する。 「業務独占廃止問題は、ボランティアガイドや欧米客の事情しか知らない関係者と、アジアのインバウンド市場をよく知る者の意見が衝突している。欧米客のみを相手にしてきた関係者は、業務独占が廃止されても構わないと考えているかもしれないが、アジアを知る者は、これをなくせば、福岡の不法ガイドのような問題が野放しにされ、外国人の資格外活動が常態化すると思われる。この懸念をどう考えるかという視点が議論に欠けている」。 在日中国人ガイドのマッチングサイトも登場 だが、通訳ガイドをめぐる新たな状況を知るとき、制度の迅速な見直しは迫られていると筆者は考える。 なぜなら、このままずるずると見直しを先延ばしにしておくと、さらに厄介な状況が起きることが心配されるからである。 たとえば、日本でも通訳案内士と外国人をネット上でマッチングさせる「トラベリエンス」のようなサービスも始まっているが、同じことは、在日中国人らがすでに始めているからだ。 トラベリエンス http://www.travelience.com/ 仙貝旅行は、留学生や若い在日中国人らが中国本土の訪日客のガイドを有償で請け負うマッチングサイトである。 仙貝旅行 http://www.xianbei.cc 仙貝旅行のガイドたち http://www.xianbei.cc/guide/list 問題は、このサイトに登録しているガイドが通訳案内士の資格を有しているとは思われないことだ。 こうした中国発のマッチングサービスの登場は、この1、2年法的規制をめぐって盛んに議論されている民泊市場において、本家と考えられていた米国系のAirBnBを凌駕する勢いで、中国系の民泊サイトを利用する中国の個人客が増えている動きとも軌を一にしている。 ※中国の民泊サイトについては、中村の個人Blog「都内で民泊をやってる在日中国人の話を聞いてみた」 参照。 今日の中国では、日本よりはるかに速いスピードでオンライン旅行化が進んでおり、さまざまなECサービスが次々と現れている。こうした中国市場の動きに対して、日本の監督官庁の対応は常に後手に回ってきたというのがこれまでの経緯だった。 いや、現実に即していうと、無為無策で状況を見過ごしてきたと指摘されても仕方がない面がある。 冒頭で述べた中国人不法ガイドの一件も、留学生という立場で就労資格がないことが直接の逮捕の理由とされるが、結局のところ、数年間で何倍にも急増したクルーズ客の上陸観光に充てる有資格ガイドを日本側が用意することができなかったこと。それを知りながら、当局がそのままスルーしてしまったために、事態が際限なく進んだのである。 「違法・不当な旅行案内について」(「通訳案内士を巡る状況及び今後の対応について」観光庁 平成27年12月24日資料3より) その意味でも、仙貝旅行のようなサービスの登場は、通訳案内士制度をさらに形骸化させる懸念を感じざるを得ないのだ。 実情に即したルールを設定し、随時修正していく だからといって、「取締りを強化せよ」とだけいうのは見当違いだろう。 仙貝旅行は、中国の個人旅行化がようやく始まり、団体ではなく、自分の足で日本を旅してみたいという若い世代を中心にした新しい層が生まれている事実を反映しているからだ。 日本語を話せず、日本に知り合いがいなくても、このマッチングサービスを通じて知り合った同胞に日本を案内してもらいたいというニーズがあるのは理解できる。そこに金銭の授受があるとしたら、そこを当局が見逃さなければすむだけの話といえなくもない。 しかし、通訳案内士が業務独占資格である限り、それではすまない話である。有資格者しか有償でガイドをしてはいけないという法的な縛りがあるからだ。 ここで考えたいのは、市場の論理でもなく、事業者の保護のためだけでもなく、もっと長期的な視点に基づき、訪日旅行市場をより健全化するための制度の見直しの進め方である。 そのためには、中国に代表されるアジア市場と英語圏の市場の制度設計は、もはや分けて考えるべきではないか。そもそも1948年(昭和23年)に創設された通訳案内士制度は、英語圏の旅行者のために設計されたものといっていい。一方、アジア市場の歴史は浅く、内実も異なっている。まず、それぞれの市場ごとに現実に即した最適なルールを設定し、問題が起これば随時修正していくという臨機応変なスタンスが必要ではなかろうか。 ただし、ルール設定においては、あるべき理想の姿を追うのではなく、あってはならない最悪の事態を想定するという融通無碍な考え方が、特にアジア市場を対象にした制度設計には必要だろう。観光庁も指摘する「違法・不当な旅行案内」の常態化は、海外の旅行関係者からも不信を招いていることは自覚したほうがいい。 VIPに絞った企業化の取り組み アジア市場の制度設計を考えるうえで、ひとつの先例といえるのが、中国語通訳案内士の水谷浩氏が率いる彩里旅遊株式会社の取り組みだ。 同社は2014年4月に設立された中華圏のVIP旅客を対象とした受注型旅行や手配旅行、募集型旅行の企画、販売を行う旅行会社だ。 彩里旅遊株式会社 http://www.ayasato.co.jp/ これまで通訳案内士自身が起業し、集客から旅行の企画、販売まで行う事例は多いとはいえなかった。これが可能となったのも、水谷氏の中国における広い人脈にある。 1980年代、北京と上海に留学した経験のある彼の顧客リストには、日本人ならメディアを通じて誰でも知っているような大企業の幹部も含まれる。2010年、日本政府が中国の個人ビザを解禁したことで、VIP層がお忍びで日本を訪れるようになり、中国語ガイドとして抜擢されたのだ。中国事情をよく知る彼は、中国のVIP層に信任され、口コミでその存在が知られるようになった。 水谷氏は、中国のVIP層についてこう語る。 「彼らは創業者世代が多く、とてもパワフルな人たちだが、日本に対する深い関心も持っている。だが、その中身は欧米客とは少し異なるようだ。彼らの関心のありかを深く洞察することが欠かせない」。 なぜ彼が選ばれたのか。顧客がVIP層だからこそ、生半可な知識しかない在日中国人では物足らず、水谷氏のような中国語のできる日本人に日本を案内してもらいたいからなのだ。 水谷氏は、若い中国語通訳案内士の育成にも力を入れている。企業化という道を選んだのも、後進の育成がこれからのインバウンドアジア市場にとって不可欠だと考えたからだ。 これまで通訳案内士は、旅行会社などのクライアントから仕事を発注してもらうというのが一般的だったかもしれない。だが、英語圏の市場ではそれが可能でも、現状の混沌としたアジア市場では、待っていても仕事が来るとは限らない。ならば自らで集客し、同業の志とのネットワークを活用し、事業化していくまでだ。 通訳案内士の新しいスタイルを切り拓く水谷氏の今後に注目したい。 ※やまとごころ.jp http://www.yamatogokoro.jp/report/2016/report_23.html
by sanyo-kansatu
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