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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2016年 04月 26日

横浜中華街の魅力が半減!? ここはもうニューカマーの街なんですね

先週、取材で横浜に行き、仕事の後、元町と中華街を久しぶりに歩きました。平日のせいか、元町の閑散とした雰囲気に比べ、中華街は中国語を話す観光客が多く見られました。
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19世紀後半に生まれたこの街には、中国の洛陽にある三国志の英雄の関羽を祀る関帝廟があります。
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横浜 関帝廟
http://www.yokohama-kanteibyo.com/

この写真は洛陽にある本家の関帝廟です。昨年10月に現地で撮ったものです。
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ただし、横浜中華街はすっかり変わってしまった印象です。正直言って、魅力が半減してしまったといわざるを得ません。
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かつての魅惑的な広東料理店は激減し、1990年代以降に増えたニューカマーの中国東北三省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)出身者によって、都内の中華料理店と変わらない派手な写真入りメニューの看板ばかりが並ぶ金太郎飴のような食街になっていました。横浜中華街でなければ食べられないような特色あるメニューは一部の店を除き、残っていないようです。
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おそらくこの地で何代も続いてきた老華僑の跡を継ぐ世代が日本化していなくなり、代わりに彼らニューカマーがこの地に移り住み、営業し始めたからでしょう。やたらと占いとマッサージの店が増えているのも、興ざめです。

実は、同じことは全国で起きています。1950~60年代に地方から都会に出てきて調理学校や中華レストランで学び、70年代に独立開業した街場の中華料理屋さんの多くが、跡継ぎもなく、一斉に閉店していくなか、ニューカマーの中国人が店ごと買い取り、新華僑特有の「中国家常(家庭)料理」店に看板ごと架け替えていくという事態がこの10年くらいで一気に進んでいるからです。

通りではあちこちで中国語がよく聞かれました。週末こそ日本人客もそこそこ来ますが、バスでこの地に乗りつける中国人観光客が多いからです。わざわざ外国に来て、中華街を訪ねるという観光行動それ自体は、ちょっと興味深い現象だとは思いますが、実際、このように変質してしまった街は彼らにとって面白いものなのでしょうか。
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3月に上海の書店で『世界 唐人街(世界のチャイナタウン)』(広東人民出版社)という本を見つけました。世界各地の中華街の歴史と現状を紹介する内容ですが、なぜか旅行コーナーの棚に置かれていました。どうやら中国人の海外旅行の参考書とされているのです。いったいこれはどういうことでしょうか。
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ネットに同書の宣伝文が載っていました。

《世界唐人街》图书首发:一条唐人街就是一部华人奋斗史
http://www.oushinet.com/news/qs/qsnews/20151201/213956.html

ここでは、同書の出版記念パーティーが広州華僑博物館で開催されたこと。また同書が「世界5大陸、41カ国、67の」中華街を紹介することで、中国人の海外旅行のみならず、留学やビジネス、投資にとって貴重な情報を提供していると解説しています。

内容をざっと見てみましょうか。

まず「前言」で、今日の中国人にとっての「唐人街(中華街)」の位置付けについて以下の6つのポイントを挙げています。

①在外華人の出国の第一ステージ
②在外華人と中国本土人の連帯の絆
③華人文化の全世界的橋梁
④在外華人の愛国主義温床
⑤外国人のための中国文化理解の窓口
⑥在外華人の社会、経済、文化の中心

ちょっと気になる文言(「④在外華人の愛国主義温床」)も含まれていますが、同書は海外に点在する中華街をポジティブな存在として捉え直そうとしていることがわかります。華人の経済的、社会的、文化的な活動が海外で展開していくための拠点として位置付けようとしているのです。

しかし、それにはちょっと違和感があります。もともと中華街とは、早い時期では14、15世紀頃、中国本土の政変や自然災害などから国を逃れた人たちがたどりついた先に形成されたものでした。また、19世紀のアヘン戦争以降は、労働者として太平洋を渡り、北米や日本へ渡ってきた人たちがつくったコミュニティでもあります。それは、在外華人のネガティブな歴史そのもののはずです。

おそらく、彼らはこう思っているのでしょう。いまはもうそんな時代ではない。新時代の中華街とは、興隆する今日の中国人の海外発展のためにあるのだと。

同書には、他にも気になるところがあります。

たとえば、日本の中華街として横浜、神戸、長崎だけでなく、「東京中華街」が挙げられていることです。

いつのまに東京に中華街が? そう思うかもしれませんが、「东京唐人街:中国人的“银座”(東京の中華街:中国人の銀座)」と題されたページがあり、1980年代以降、多くの中国本土の学生が日本に留学し、その後日本で就職したこと。池袋駅北口の周辺に多くの中国人経営の料理店があることなどが書かれています。

実は、同じことはカナダやオーストラリアにもいえて、バンクーバーやトロント、シドニー、メルボルン、ブリスベン、アデレードなどの中華街も紹介されています。これらの中華街は、一部を除き、東京同様、1980年代以降の新華僑がつくったものです。

こうして中国人観光客の訪問先のひとつとして、それぞれ訪れた国の中華街が選ばれるのです。書店の旅行コーナーに『世界 唐人街(世界のチャイナタウン)』のような本が置かれていたのもそういうわけです。
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久方ぶりに横浜の中華街を訪ねて、釈然としないような思いにとらわれながら歩いていたのですが、横浜市立港中学校のそばに、子供たちの描いた龍の墨絵が展示されているのを見かけました。

よく見ると、絵の脇に書かれた名前の多くが簡体字表記だったので、少しびっくりしました。ニューカマーの子たちがこの地に多数実在することがあらためて実感されたからです。
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ネットでみると、すでに2010年にこんな記事が書かれていました。今回実感した中華街の変化はずいぶん前から起きていたことだったのです。

横浜市で増え続ける中国人転校生(中国網2010-06-18)
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2010-06/18/content_20290928.htm

記事では、ニューカマーの中国人の子供たちの進学や進路の問題が指摘されていました。確かに、自分の名前を簡体字でしか書けないようだと、いろいろ支障がありそうです。

「全日制高校合格を望めない生徒は、定時制を選ばざるを得ない。定員割れしていれば誰でも入学できるからだが、中途退学する率も高い。慣れない日本語への挫折、昼間高校に通う友だちとのすれ違い、アルバイト生活から来る疲れ、こうした原因がよく聞かれる。学校を辞めた子どもたちが職を求める先は、やはり中華街だ」(同記事より)。

ニューカマーの街となった横浜中華街。中国からこの地を訪れる観光客は、その現実を知るとき、何を思うのでしょう?

by sanyo-kansatu | 2016-04-26 17:10 | “参与観察”日誌


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