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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2020年 06月 20日

「カメラを持つ男」要塞の跡地に立って影=自画像を撮る(ウラジオストクの写真家展 その4)

ウラジオストク郊外にある小高い丘陵。ひとりの「カメラを持つ男」が太陽を背にして立ち、ファインダーを覗く自分の影を被写体として、巨大なコンクリートのお釜のような物体に重ねて撮影しています。


※ソ連時代のアバンギャルドな実験映画『これがロシアだ/カメラを持った男』(1929年)を連想させますが、こちらはスチールカメラです。


Man with a Movie Camera 1929 - Человек скиноаппаратом

Дзига Вертов

https://www.youtube.com/watch?v=3C-2RgK3WwA


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Михаил Павин

Из серии «Тени крепости». 2008

ミハイル・パヴィン

「要塞の影」シリーズから 2008


彼はいったい何をしようとしているのでしょうか。


それにしても、右上の写真に見られる建造物らしきものは、ゆるやかな曲線を描くような形状で、横脇に空洞があります。これは何なのか。


答えは、軍事要塞の跡地です。かつて建造されたものの、現役ではなく、むしろかなりの長期間使われることなく、放置された堡塁群の跡なのです。


このシルエットの人物は、ミハイル・パヴィンといい、1958年ウラジオストク生まれの写真家です。彼は1980年代のペレストロイカの時代に血気盛んな20代を過ごした世代で、ロックミュージシャンとしても活動しています。もっとも、プロフィールによると、“しぶしぶ”広告写真も撮るプロの写真家だそうです。


ミハイル・パヴィン広告写真サイト

http://www.pavin.ru


この興味深い人物の詳細については、他のテーマでも彼の作品を何度か紹介することになるので、おいおい紹介していくつもりですが、2008年に「要塞の影」シリーズとして撮られたこの作品群には、どんな狙いがあるのでしょうか。

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今回の「ウラジオストクの写真家たち」の企画展のメイン写真もミハイル・パヴィンが撮影。


ここでの展示テーマは「アイデンティティ:ポートレイトとアンチ肖像画」なのですが、彼は自分の顔を隠し、影を作品に写し込むことで何を伝えようとしているのでしょうか。


実をいうと、それ以上に気になったのは、なぜ要塞の跡地を舞台にしたのか、でした。


というのも、ウラジオストクはかつて要塞都市だった過去を持つからです。その歴史を伝えてくれるのは、夏になると海水浴客がのんびり肌を焼くスポーツ湾のはずれ、アムール湾を望む丘の上に立つ要塞博物館です。

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ここは1869年に建造された最初の軍事要塞で、館内には19世紀後半から20世紀初頭、ウラジオストク市街地の周辺に建造された要塞の模型や設計図、実際に使用された砲弾や火器、軍服などが展示されています。


当時、ウラジオストクの市街地は、数多くの要塞群に取り囲まれていました。北はムラヴィヨフ・アムールスキー半島の中央部から南はルースキー島まで16の要塞と多数の砲台が築かれたといわれます。

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そのうち一般公開されているのが、通称「要塞ナンバーセブン」と呼ばれています。1910年に建造された地下要塞で、トンネル部分は全長1・5kmにも及ぶそうです。内部は真っ暗で、専任ガイドの照らす懐中電灯の灯りを頼りに案内されると、司令官室や武器庫トイレ、炊事場などの跡が見られます。この要塞は標高170mの小山の上にあり、外に出ると、アムール湾が見渡せます。そばには無数の銃眼や古い射撃砲が置き捨てられています。

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ミハイル・パヴィンが自分の影を撮ったのは、こうしたウラジオストク郊外にいくつかある要塞跡地のひとつだったのです。


実は、昨冬ウラジオストク市博物館で「要塞の時」という企画展をやっていました。

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ではなぜ、ウラジオストクにはこのような堅牢な要塞群に囲まれているのでしょうか。その理由は、ひとことでいえば、190405年の日露戦争における旅順要塞陥落のトラウマだったのではないかと考えられます。


つまり、二度とあのような無様な憂き目を味わいたくない。だから、当時のロシア軍は旅順要塞の弱点を分析し、最強の要塞を構築したというわけなのです。そして、市街地を取り囲むように半島の中央部やルースキー島などにたくさんの要塞を築きました。


ところが、それらの要塞は一度として実戦に使われることはありませんでした。日露戦争時に日本の連合艦隊がウラジオストク市街地に砲撃したこと、1918年から数年間のシベリア出兵時に日本兵が駐軍したことを除くと、一度も外敵が(その仮想敵は日本軍でしたが)ウラジオストクを襲うことはなかったからです。ですから、これらの要塞群は、実際には一度も使われることがなかったというわけなのです。


ウラジオストク市博物館の「要塞」企画展については、また別の機会で紹介したいと思います。


なおこのシリーズは、手元にある限られた資料をもとに、次回ウラジオストクを訪問するとき、写真家の皆さんにより具体的な話を聞くための準備のつもりで書いています。その際には、パヴィン氏に次のようなことをお聞きしてみたいと思っています。


1)2008年に訪れたこの要塞はどこにあるもので、一般市民はこれら軍事区域にいつ頃から自由に出入りできるようになったのか。
2)そもそも要塞を舞台に撮影をしようと考えた意図は何だったのか。
3)市民はこの廃墟のような要塞についてどんなイメージを持っているのか。






by sanyo-kansatu | 2020-06-20 13:41 | 極東ロシアはここが面白い


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