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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2020年 06月 26日

ユーラシアの極北チュクチと国後島で見つけたノスタルジックな光景(ウラジオストクの写真家展 その10)

ウラジオストクの写真家たちは、ときに町を飛び出し、ロシアの辺境に撮影に出かけます。<その3>でサハリンのウデゲ人を撮ったグレブ・テレショフが、2018年の5月に北方四島のひとつである国後島、7月にユーラシア大陸の最果ての極北にあるチュクチ自治管区を訪ねています。

以下はチュクチ自治管区と国後島の位置を示す地図です。前者はカムチャツカ半島の北側にあるチュクチ半島に位置し、わずか96km離れたベーリング海峡の対岸にはアラスカがあります。後者は、北海道知床半島のほんのすぐ東にあります。

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見るからに荒涼とした寂しげな光景ばかりですが、わかる範囲で簡単に説明してみます。全17点のうち、3点のみが国後島で、残りはすべてチュクチ自治管区で撮られています。

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まず中上から、クジラと思われる海洋動物の散乱した巨大な白骨。撮影場所はセニャビン海峡とあります。チュクチ半島の沖合いにある海鳥やクジラなどの海洋動物が多く生息する地域のようです。

右上は解体され、廃棄された自動車。場所はヤンラキンノトで、ベーリング海峡に面した寒村です。

左下はこれも巨大な海洋動物のミイラ化した骨(ヤンラキンノト)。次は何でしょう。丸い木製の倉庫にあるのは石炭で、ボイラー工場でしょうか(ノーヴォエ・チャプリノ)。民家にベニザケの切り身が干されています(ヤンラキンノト)。


Глеб Телешов

Синявинскийпролив. Чукотка. Июль 2018

グレブ・テレショフ

セニャビン海峡 チュクチ 20187

以下、出てくる地名のみ記します。


Янракыннот.Чукотка. Июль 2018

ヤンラキンノト

Чаплино.Чукотка. Июль 2018

チャプリノ

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左上は町に住む小さな女の子。おませなサングラスをしています。場所はエグヴェキノトというこの地域の行政の中心地だそうです。中上は国後島の写真です。晴れた海沿いの場所にカレイに似たおひょうが干されています。ふぞろいに並んだ様子がユーモラスな風情を漂わせています。右上は北極圏に入るゲートのようです。北極圏とは663344秒以北を指します。


左下はソ連時代の古い団地のようです(プロビデンス村。チュクチ自治管区北東部にある都市型集落)。中下は古い学校のような建物(エグヴェキノト)、右下は食堂でしょうか(ラブレンテエボ。ベーリング海峡に近い、チュクチ自治管区チュチュツキー地区の行政の中心地)。


Эгвекинот.Чукотка. Июль 2018

エグヴェキノト

ПоселокЮжно-Курильск. Остров Кунашир, Курилы. Май 2018

ユジノ・クリリスク(古釜布) 国後島、千島 20185

Полярныйкруг. Чукотка. Июль 2018

北極圏 チュクチ

ПоселокПровидения. Чукотка. Июль 2018

プロビデンス村

Лаврентьево.Чукотка. Июль 2018

ラブレンテエボ

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左上はエグヴェキノトの集落で、ロシア正教会が見えます。中上はラブレンテエボの役場でしょうか。広場と思しき場所にレーニンの像が立っています。右上の男性は先住民族のチェクチ人です。革ジャンを着て、ヘッドフォンを付けています。


左下は国後島です。海辺に古い漁船が放置されています。その脇に豚がいます。海は濃霧に覆われています。中下は港のゲートでしょうか。入江が見えます(エグヴェキノト)。右下は国後島で、こちらの漁船は砂浜に倒れたまま半分埋まっています。


チュクチ自治管区のあるユーラシア大陸の最東端は、17世紀の半ばにロシアの探検家セミョン・デジニョフによって発見されました。以後、アラスカも含めロシアの支配下に入りましたが、1867年ロシアはアメリカにアラスカを売却し、ベーリング海峡は両国の国境地帯となりました。1930年にソビエト連邦はこの地をチュクチ民族管区とします。


ところが、ソ連邦の崩壊で政府の民族政策による支援は途絶え、この辺境の地は危機を迎えます。


企画展の展示カタログの説明では、グレブ・テレショフが撮った抜け殻のような世界、すなわちソビエト時代の遺産とおぼしき建築やレーニン像、さびた漁船などが海洋動物の白骨もろもと打ち捨てられた、うら寒げな光景についてノスタルジックであると評しています。


現在、チュクチ自治管区の人口は約5万人で、チュクチ人の他にシベリアユピック、コリャーク、エヴェン、ユカギールなどの先住民族とロシア人で構成されています。日本人がこの地のことを思うとき、せいぜいホッキョクグマのことか、夏に首都アナディリで開催される「エルガフ」のような先住民族の祭りくらいしかピンときませんが、ロシア人の目には、かつて確かに存在した壮大な社会主義の時代の終焉を思い起こさせる、つらく痛みを感じつつも、どこか懐かしい光景として認識されるのかもしれません。


似たような感慨は、国後島を訪れたときにもあるに違いありません。



by sanyo-kansatu | 2020-06-26 11:36 | 極東ロシアはここが面白い


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