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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2020年 07月 05日

1970年代の農場で働くシェフとファーマーたちの記録(ウラジオストクの写真家展 その16)

ウラジオストクの「ザリャー(фабрика ЗАРЯ)」で開催された企画展「FARFOCUS.PHOTOGRAPHERSOFVLADIVOSTOK(極東フォーカス、ウラジオストクの写真家たち)」の第3のテーマ「職場にて:"靴の修理"または黒い広場に飛び込む」の次なる「職場」は農場です。

<その1>で、ウラジオストクにある航空機検索機器メーカーのダルプリボル社の工場労働者のポートレイトを撮ったゲオルギイ・フルシチョフが、同社の農場で働くシェフやファーマーたちの暮らしを1970年代に撮ったものです。


まず左の写真は、ミルク牧場で乳絞りをしているおばさんです。右は、雪道の中、どうしたのでしょう。太ったおばさんが馬に足をかけ、紐を引っ張っています。キャプションによると「給水車」とありますが、水の入ったタンクを馬が引かせているのでしょうか。なんともユーモラスな一コマです。

1970年代の農場で働くシェフとファーマーたちの記録(ウラジオストクの写真家展 その16)_b0235153_11081175.jpg

Георгий Хрущев

Летняя дойка. Поселок Алексеевка,Приморский край. 1975

ゲオルギイ・フルシチョフ

ミルク牧場。沿海地方アレクセーエフカ村 1975


Водовоз
. Поселок Слинкино, Приморскийкрай. 1974

給水車(直訳)。スリンキーノの村 1974


次は左から、畑を歩く上半身裸の男性たちですが、彼らは調理帽を被っていて、シェフのようです。なぜここにシェフがいるのかですが、展示の解説によると、この農場がダルプリボル社の所有で、彼らは同社の食堂で働く人たちのようです。

1970年代の農場で働くシェフとファーマーたちの記録(ウラジオストクの写真家展 その16)_b0235153_11081533.jpg

ソ連時代の集団農場については詳しくないので、以下はWikiからの転載ですが、おそらく国有のソフホーズではなく、「反官半民で共同組合に近い」コルホーズということでしょうか。このあたりはフルシチョフ氏にお聞きしたいところです。


●コルホーズ

「コルホーズ(ロシア語: колхоз、英語: kolkhoz)とは、ソビエト連邦の集団農場のことである。全て国有だったソフホーズと違い、半官半民で協同組合に近い。ロシア語の «коллективное хозяйство»コレクティーヴノエ・ハジャイストヴァの略で「共同経営」「集団農場」といった意味である。農業に限らず、漁業コルホーズ、林業コルホーズなどもある。


国有地を無料で使用して耕作を行った。主な農機具・家畜等は共有。労働者は組合員としてコルホーズで農作業を行い、賃金を得る。生産物は政府に売却する。組合組織による経営であった。各個人の住宅に付属した小規模農地で野菜の栽培、家畜の飼育が可能で、個人で生産した生産物は自由な販売を認められていた」


そして、真ん中の写真は馬が引く雪ぞりの前に立つおじさん。養豚所の労働者です。そして、右のおばさんは、大きな鍋の隣に立っていますが、パンを焼くのが仕事のようです。


Работник
свинофермы. Север Приморья. 1970

養豚所の労働者 沿海地方北部 1970


Хлеб
печет. Север Приморья. 1975

パンを焼く 沿海地方北部 1975


3
枚の若い労働者のポートレイトが並びます。これは工場労働者の撮影もそうでしたが、つくられた笑顔とは思えない、とても自然な表情です。


そして、下の3枚は収穫の喜びを伝えているのでしょうか。胴上げしています。とても楽しげです。

1970年代の農場で働くシェフとファーマーたちの記録(ウラジオストクの写真家展 その16)_b0235153_11082097.jpg

Сотрудники ПАО ≪Дальприбор≫ работаюткакшефынаполяхсовхозовТереховкаиАлексеевка. Приморье. 1970-1980

「ダルプリボル」の従業員は、州の農場テレホフカとアレクセーエフカの畑で働いている 1970-1980

1970年代の農場で働くシェフとファーマーたちの記録(ウラジオストクの写真家展 その16)_b0235153_11082463.jpg

ギターを弾くブロンドで長髪の青年、ここでも胴上げされるおじさん。それにしても、これらの写真は何の目的で撮られたのでしょうか。<その1>で書いたように、フルシチョフはダルプリボル社の企業内撮影師でした。


ちなみに、これらの写真の舞台は、ウラジオストク近郊のふたつの村で、テレホフカとアレクセーエフカです。前者は
1887
年に設立され、1930年代にウクライナ移民が多数来たようです。アレクセーエフカは1907年設立。ウラジオストクから約50 km離れた場所で、現在はスキー場があります。


アレクセーエフカ・スキー場

https://www.alexeevka.net/


今日、これらの農場にロシア人はどれほどいるのでしょうか。中国の農民に取って代わられてしまっているのか。こうしたことも気になります。



by sanyo-kansatu | 2020-07-05 11:12 | 極東ロシアはここが面白い


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