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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2020年 07月 06日

1970年代vs.2010年代 新旧靴の修理屋の肖像の違いから見えてくること(ウラジオストクの写真家展 その17)

ふたりの若い青年が路上で靴の修理をしています。ときは1973年。ソビエト連邦がまだ社会主義国家として磐石と信じられていた時代です。

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Георгий Хрущев

Сапожники дома быта. Владивосток. 1973

ゲオルギイ・フルシチョフ

靴の修理屋 1973年

とはいえ、彼らの仕事は一般的には社会の底辺に位置すると考えられます。社会主義の国では労働に貴賎はなかったのかどうか、この時代のロシアについて我々は本当に何も知りませんが、油まみれの手で靴底を修繕するふたりの澄んだ目と表情からネガティブな印象は感じられません。

ふたりを撮ったのは、<その1>で工場労働者、<その16>で農場労働者のポートレイトを撮っていたゲオルギイ・フルシチョフです。

では、なぜフルシチョフはこの時期、靴の修理屋を撮ったのでしょうか。彼は地元の大手企業ダルプリボル社の企業内撮影師でした。ですから、ふたりを撮ったのは仕事外の時間だったのではないでしょうか。


彼が追い求めたテーマは「社会主義リアリズムの美学」でした。確かに、ふたりは労働に真摯にいそしむ模範的な青年像に見えなくもありません。大量生産・消費の時代が到来する前、すなわちプレ消費時代の労働者の姿ともいえます。


一方、
2010
年代にフルシチョフ同様、ウラジーミル・シュタフェドフは靴の修理屋を撮っていますが、被写体はウラジオストクに移り住んできた中国人たちです。

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シュタフェドフは<その9><その14>でサーカス一座やビーチで過ごすゾウを撮ったハバロフスク出身の写真家です。


彼らは路上に店を開き、簡易なマシーンを使いつつ、靴の修繕をしていますが、基本手仕事です。昼寝している人もけっこういます。カメラを向けられ、本で顔を隠す女性もいますが、たいてい笑顔で受け入れています。仕事の様子をじっと見つめるロシア人少女の姿もあり、なんとも微笑ましいカットです。

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Владимир Шутафедов

Сапожники. 2010-е

ウラジーミル・シュタフェドフ

靴の修理屋 2010年代

 
それにしても、ここはウラジオストクです。彼らはいったい何者なのか。現地の友人に聞くと、
1990年代のある時期から多くの中国人商人が当時ロシアで圧倒的に不足していた日用雑貨や衣料品、靴などをこの地に運び込み、巨大な市場が形成されました。今日、通称「キタイスキー市場(中国市場)」と呼ばれる場所で、市内東部の一角に広がっています。

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地元のロシア人はこの呼称を使いたがりません。よその国の人間が来て、市場を開いて商売を手広く行うという事態ですから。とはいえ、ソ連崩壊後の経済破綻という現実ゆえに、当時は受け入れざるを得ませんでした(もちろん、いまもです)。好ましくは思えないのは当然です。ただし、このような「キタイスキー市場」はロシアのほとんどの都市に存在しています。


もっとも、靴の修理屋は地元のロシア人にとっても重宝な存在だと思われます。
1970
年代に存在したロシア人職人は、彼らに取って代わられたに違いありません。実際、彼らのような路上職人の姿は、いまでも中国の東北三省(黒龍江省、吉林省、遼寧省)の地方都市の市場周辺にわりと普通にいますが、彼らはどうしてウラジオストクまで来て働いているのか。


経済規模という観点でみると、ロシアは中国の足元にも及ばないほど、引き離されています。それが明らかになったのは
2000
年前後のことで、気がつくと、中国が自分たちよりはるかに豊かな国になっていたことを知って、多くのロシア人はショックを受けたと聞きます。


それでも、物価という観点でみると、実はロシアは中国より全般的に高めなのです。飲食費などもそうですが、靴の修理代金もそうでしょう。国全体の中国の
GDP
はロシアの何十倍でも、1人あたりのGDPとなると、確かロシアの方が上です。今日もはやその国の人々の豊かさとGDPはそれほどリンクしないようにも思いますが、社会の底辺にいる中国人にとってロシアは出稼ぎの場所でもあるのです。


※2018年の1人あたりGDPランキング
ロシア 65位(11,289ドル)
中国 72位(9,580ドル)

こうしたことから、写真展の解説では、シュタフェドフが撮った彼らの存在は「中国のディアスポラ」であると説明していました。確かに、彼らの姿は世界中で見られるものです。彼らにとって共産党体制下の自国で働くよりある意味自由で、差別も逆にいえば少なく、多少は儲かるから、ここにいるわけです。


少々気になるのは、新型コロナウイルスの感染拡大で、ロシアでは中国人に厳しい対応があったと聞きますから、彼らはいまどうしているのか…。


これらの写真をみていると、
100
年前のウラジオストクに実在した中国人居住区「ミリオンカ」のことを思い出します。この話は別の機会に書くことにしましょう。



by sanyo-kansatu | 2020-07-06 11:02 | 極東ロシアはここが面白い


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