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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2020年 08月 07日

それは20世紀モダンアートの無邪気なおさらいから始まった(ウラジオストクの写真家展 その30)

テーマ6「芸術と実験:コンセプチュアリズムからパフォーマンスへ(Искусствои эксперимент. От концептуализма к перформансу)」の部屋に入ります。

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この部屋の展示はめいっぱいアートしています。これまでのように、写真に写り込んでいる人物や出来事、物件等について社会学的な観点から、あるいは歴史的にあれこれ解読しようとするのは意味がないかもしれません。

恒例のエピグラムは、チェコスロバキア出身の哲学者、ヴィレム・フルッサーの「多くの写真家は、写真の意味、すなわち概念の世界を明らかにするため、モノクロ写真を好みます」(『写真の哲学のために:テクノロジーとヴィジュアルカルチャー』 1983年)というものです。

以下、このテーマの解説です。

「最近のアーティフィス(artifice=巧みな思いつき、策術)フォトやフォトアーティストが付ける作品の題名は、arty(=芸術家気取り、まがいもの)な言葉で表されます。ドキュメンタリーと事実は、写真からますます撤退し、現実(staging)と技術的なイメージの処理方法に道を譲り、プレゼンテーションと普及を行っています」

そして、最初に取り上げるのは、<その4>で登場したミハイル・パヴィンです。

私たちはミハイル・パヴィンのシリーズのドキュメントと芸術、事実とその解釈に幸福な情報非公開の姿勢を見ています。もしソ連時代の道具立てを使った彼の自画像がSots Art1970年代に流行したソビエトポップアート)に属し、義務的な官僚主義、悲哀を排除した場合、ミニマリストのコンセプチュアルな作品は、通常の図版の焼却装置を幾何学的抽象化に変えます。パヴィンが撮った脚が絡み合った奇妙な椅子の写真は、ゴッホとジョセフ・コスース(米国のコンセプチュアルアーティスト。「一つで三つの椅子」の作品で知られる)からアンドレイ・ルブリンスキー(サンクトペテルブルク芸術アカデミーを卒業したデジタル時代のアーティスト、デザイナー)の赤いストリートチェアまでの『アートチェア』全体のパラダイムを参照しています」

ウラジオストクを代表する芸術家のパヴィンらしく、この部屋は彼の独壇場のようにたくさんの作品が展示されています。そこで、大まかに2000年を境にその前後に分けて紹介します。今回はその前編です。

まず自画像2点です。「虹のパースペクティブ」というタイトルが付いています。

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Михаил Павин

Радужные перспективы. 1988-1994

ミハイル・パヴィン

虹のパースペクティブ 1988-1994年

次はふちを削ったり、壊したりしたグラス。人の心理をちょっぴり不安にさせますが、なんとなく見覚えのある写真です。

Стекло. 1987

グラス 1987年

次の3点は、ペレストロイカ時代の1988年に撮られたものですが、それぞれ背景に旧体制の象徴であるソビエト連邦沿海州政府庁舎が写り込んでいます。特に2点は屋根の上で撮られたシュールなカットです。時代的に考えて、政治的な意味でも挑発的なメッセージが含まれているには違いありません。

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Единство. 1988. Из серии ≪Двенадцать видов административногоздания≫

統一 1988年  シリーズ「州政府庁舎の第一の眺め」から


СПИД
не пройдет. 1988. Из серииДвенадцать видов административного здания

エイズは通りません。1988年 シリーズ「州政府庁舎の第一の眺め」から


Пострижение
. 1988. Из серииДвенадцать видов административного здания

散髪 1988年 シリーズ「州政府庁舎の第一の眺め」から

政府庁舎を背後に並ぶこの6名の人々は、グループ「ウラジオストク」と呼ばれる地元アーティストグループのメンバーです。この年、彼らの最初の美術展が開催されました

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ГруппаВладивосток. 1988. Виктор Шлихт, Александр Пырков, Федор Морозов, Виктор Федоров, Рюрик Тушкин, Всеволод Мечковский

グループ「ウラジオストク」1988年

そして、冒頭の解説に出てきた「脚が絡み合った奇妙な椅子」です。打ちひしがれたような男の横顔を撮った「トラップ(わな)」。人体のように見えるニンジン、でしょうか。

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Странный стул. 1988

奇妙な椅子 1988

Западня. 1988

トラップ 1988年 Trap

Из серии ≪Овощная секция≫. 1988-2001

シリーズ「野菜の魂」1988-2001年

顔中に白いコケが生えたような病状に苦しむ男。タイトルは「バイオサイコズ」。一般に「心と行動の神経科学」といわれるバイオサイコロジーの世界をイメージ化したものかと思われますが、この写真にも背後に政府庁舎が写っています。

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ネットで検索すると、ロシアにはБиопсихозというカルトな音楽グループがいて、彼らは1999年からウラジオストクで活動を開始し、現在モスクワに拠点を移しているそうです。

彼らのMTVなどは以下のサイトで確認できます。パヴェルの作品とどう関係するのかわかりませんが、かなりイカレたビジュアル表現が興味深いです。

https://www.biopsyhoz.ru/

https://rockcult.ru/band/biopsyhoz/

https://www.youtube.com/watch?v=zUEgKN8OeSo


Биопсихоз. 1995

バイオサイコズ 1995年

そして、続く3点も政府庁舎を題材にしたコラージュ作品です。1996年に撮られたものですから、すでに新生ロシアの時代ですが、「モスクワの手」がウラジオストクの政府庁舎を頭上から覆いかぶさるように伸びて、こちらを監視しているかのようです。ウラジオストクにとってのモスクワとは? こういう話はぜひ聞いてみたいですね。

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Их паровоз. 1996. Из серии ≪Двенадцать видов административногоздания≫

彼らの機関車 1996年  シリーズ「12種類の政府庁舎」

Рука Москвы. 1996. Из серииДвенадцать видов административного

モスクワの手 1996年  シリーズ「12種類の政府庁舎」

最後はこれまでとは違い、トリックアートのような作品です。

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Искусство требует… 1996

芸術は必要です 1996年

港側の階段は港側から見た中央広場に至るもので、革命戦士の像の頭の部分だけが見えているというカットで、これは<その13>でグレブ・テレショフが撮った「ウラジオストク 2005年」とよく似ています。手前に車があることと、兵士像がわりとくっきり写っていることを除くと。

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Гибрид. 1998
ハイブリッド 1998年

さて、これらの写真を観ながら、いろんなことを感じました。まず、パヴェル氏のプロフィールによると、彼は20世紀が生んだシュールレアリスト・フォトグラファー(超現実写真家)のマン・レイ(1890-1976)を愛好しているとあり、その影響というか、無邪気なまでの模倣が随所に見られることです。

マン・レイは、印画紙の上に直接モノを置いて感光させる「レイヨグラフィー」や、露光を過多にすることでモノクロ写真の白黒が反転する「ソラリゼーション」というような実験写真を始めた人です。しかし、それらの技法が生まれたのは1920年代のこと。ですから、1958年生まれのパヴィン氏が1980年代にそれを大真面目にやるのは、時代遅れといわれても仕方がない気がします。

マン・レイについて

https://www.artpedia.asia/man-ray/


でも、その指摘は間違いかもしれません。なぜなら、彼らは「鉄のカーテン」の向こう側にいて、西側世界で起きていた20世紀の現代アートシーンについて十分知る機会がなかったからで、それが一気に流入してきたのが、ペレストロイカの1980年代だったはずだからです。

※一方、この点について、ウラジオストクのアートシーンに関する現地の論評などをみると「1992年まで閉鎖された都市でありながら、1960年代前半に奇跡のような時代があり、ネオモダニズムの思想がこの地に流入した」「1960年代にすでに最初のアンダーグランドカルチャーが存在した」というような記述があり、その真相も含め、検討が必要と感じています。


同じことを、中国を代表する現代アーティストのアイウェイウェイ(
艾未未)にも感じます。1957年生まれの彼は、高名な詩人が父親が「右派」とされ、幼少期に新疆ウイグル地区に下放されています。1976年になってようやく北京に戻されました。その後、父親は名誉回復し、彼は1981年から86年までニューヨークで美術を学びます。93年の帰国後、彼は北京版イーストヴィレッジを設立に関わります。


アイウェイウェイについて

https://www.artpedia.asia/ai-weiwei/


実は、アイウェイウェイも初期の作品をみると、20世紀初頭の現代アートの着想や気分を模倣するようなものが多く散見されます。知名度でいえば、ふたりを比較するのはどうかと思いますが、日本人からみると、彼らの初期の作品は、とても“懐かしい“感じがするのです。それは中国とロシアのアーティストのふたりが、1980年代以降に初めて50年前のアートシーンに出会い、触発されたことがわかるからです。そのタイムラグが懐かしさを呼ぶのです。彼らにとって、20世紀モダンアートをおさらいする必要があったのだと思います。

もっとも、アイウェイウェイの場合は、とても知略的な人なので、中国人である自分が西洋美術をまっすぐ採り入れることには抗うような姿勢が当初からあり、そもそも自分のやっていることは「フェイク」なのだというような意識も見られ、そこがパヴェル氏とは違うところではないかと思います。


面白いのは、芸術家の誇り高い血統を持つアイウェイウェイがすでに1981年の段階でニューヨークに姿を見せていたのに対し、パヴェル氏は、彼のプロフィールによると、もともとウラジオストクの船会社のエンジニアとして砕氷船に乗って北極に行ったり、1980年代にはカナダや日本、東南アジアなどの港町に出入りしていたことです。

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ミハイル・パヴィンはこれまで何冊かの写真集を発表しています。そのうちの一冊が『屋根裏部屋の地下室』(2007)で、今回(前編)紹介した作品はほぼすべてこの中にあります。この写真集はザリャーで購入できます。

地元メディアによると、2017年10月、ウラジオストクにある現代アートギャラリーの「アルカ」と「アートエタッシュ」で開催されたミハイル・パヴィンの作品展「屋根裏部屋の地下XXX年」では、彼がこれまで30年間に発表した写真やグラフィックアート、ビデオ、インスタレーションなどが展示されました。

「私はいまから30年前の1987年、屋根裏部屋に仕事場を移し、写真を撮り始めました。この間、多くの変化がありました。国が変わり、都市が変わり、パヴィン自身が変わりました。変わらないことがひとつあります。それは、新しいものへの関心、実験へのこだわり、写真への愛情です」


彼は記事の中でそう話しています。いかにも彼らしいコメントだという気がします。

Prim.News 2017年10月26日
Полное собрание многолетнего труда художника Михаила Павина представят во Владивостоке

https://weekend.rambler.ru/places/38263464-polnoe-sobranie-mnogoletnego-truda-hudozhnika-mihaila-pavina-predstavyat-vo-vladivostoke/






by sanyo-kansatu | 2020-08-07 16:38 | 極東ロシアのいまをご存知ですか?


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