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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2020年 08月 09日

あらゆる技法を試してみるのは21世紀に入っても変わらない(ウラジオストクの写真家展 その31)

ペレストロイカの時代からソ連崩壊、そして1990年代にかけてのミハイル・パヴィンというウラジオストク生まれの写真家の作品を前回見てきましたが、今回は2000年以降の作品です。


モノクロ撮影を好む彼の実験的なスタイルや表現は、苦難の時代といわれた当時のロシア社会のうねりに影響されて生まれたというより、そのときどきに彼が見つけた新しい撮影技法を試していく姿の連続のように見えます。


もっとも、そんな彼も旧体制を象徴するソビエト連邦沿海州政府庁舎の「眺め」というものに、ある時期までこだわっていたようです。2001年に撮られたこの写真もそうです(これを最後に被写体の背後に庁舎が写り込んでくることはなくなります)。

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丈の高いシルクハットに裾広がりのフロックコートを着た怪しげな男が高台の上に立っています。右下に政府庁舎が見えることから、おそらくタイガーヒルの上の要塞跡で撮ったものと思われます。


そして、数十匹もの蚊の死骸がからみあって透かしとなった背後に仮面をつけた女性の顔が見えます。明らかに意図と設定が用意されて撮られた作品だと思いますが、何を言おうとしているのかよくわかりません。


Из серии ≪Первое измерение≫. 2001

シリーズ「第一次元」より 2001


これは彼の自画像ですが、まったく本人とは無関係な無数の膨大な小さな写真をコラージュしてつなぎ合わせて構成したものです。

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Автопортрет. 2001. Бромосеребряная печать

自画像 2001 シルバープリント


坊主頭の人物の身体を被写体にしたもので、テーマ8の「ボディランゲージ」の部屋に分類されても良さそうな作品です。

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Без названия. 2002

無題 2002


監獄を取り囲む塀に張られた金網や、逃亡を防ぐために塀の上に並ぶ尖った槍のような忍び返しに突き刺さったままのリンゴ。かと思えば、マッチ棒を4本立て、プロレスリングのようにひもで囲んだ中に小さな芽が出ています。シリーズのタイトルは「勝利の民主主義の刑務所」。

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Из серии ≪Тюрьма победившей демократии≫. 2004-2006

シリーズ「勝利の民主主義の刑務所」より 2004-2006


水が止まった古い噴水の台に置かれた目覚まし時計。


Из серии ≪Путешествия будильника 3-го Московскогочасовогозавода≫. 2010

シリーズ「第3回モスクワ時計工場の目覚まし時計の旅」より 2010


使い古されて放置されたシャベル。冷凍工場で使われた霜取り機? 昔懐かしい電熱コンロのタイトルは「電気スパイラルの迷路」。

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Совковая лопата. 2012

シャベル 2012

Разморозка. 2013

霜取り 2013

Лабиринты электроспиралей. 2016

電気スパイラルの迷路 2016年 


最後の3点については少し説明があります。これらの写真が撮られたボリショイ・ぺリス島についてです。

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О.Большой Пелис. Центр Вселенной. 2015

ボリショイ・ぺリス島 宇宙の中心 2015

О. Большой Пелис. Дом Виктора Федорова.2015

ボリショイ・ぺリス島 ヴィクトル・フェドロフの家 2015


ボリショイ・ぺリス島は、ウラジオストクから南西に70km離れた海域に浮かぶ小島で、1930年代半ばまでは無人島でした。しかし、1938年にソ連軍と満洲国軍の間で発生した国境紛争による武力衝突、いわゆる張鼓峰事件ののち、ソ連は要塞と砲台の島に変え、駐屯地が置かれました。結局、その後紛争は起こらず、1970年代後半に再び島は無人となりました。


現在島は、極東国家海洋保護区に指定されていますが、訪れる人はほとんどいません。

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ボリショイ・ぺリス島について

https://primamedia.ru/news/721248/


でも、かつてこの島に住人がいました。ヴィクトル・フェドロフ(1937-2011という画家です。彼はハンカ湖に近いロシア沿海地方のシュマコフカという村に生まれ、ウラジオストクの芸術アカデミーで美術を学んだのち、モスクワのアートスクールで学びます。4年後、沿海地方に戻った彼は、春から秋の間、ウラジオストクの南海の島で暮らすようになり、1971年から無人島であるボリショイ・ぺリス島に居を構えます。


2015年にパヴェル氏が島を訪ね、写真に収めたのが、廃墟となっているフェドロフの家だったわけです。


ヴィクトル・フェドロフの作品の題材は、もっぱら海辺に佇む女性ですが、作風は20世紀的な抽象絵画でありながら、色遣いは温かみがあります。彼が亡くなった翌年の春、ウラジオストクのギャラリーで回顧展が行われています。

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ヴィクトル・フェドロフについて

https://www.artvladivostok.ru/gallery/fedorov/painting/

https://artvladivostok.ru/2011/02/24/fedorov-painting/


パヴェル氏は、フェドロフの家のモノクロとカラーの2点を撮っています。モノクロ写真の方はちょっと重苦しく幽霊屋敷然として見えるのに対し、カラー写真はありのままを写しているせいか、とても対照的です。ヴィクトル・フェドロフに対するパヴェル氏のオマージュだとしたら、モノクロ写真だけでは意図する表現にはなっていないように思います。ヴィクトル・フェドロフの作風には似つかわしくないからです。




by sanyo-kansatu | 2020-08-09 11:47 | 極東ロシアのいまをご存知ですか?


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