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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2018年 08月 10日

大連の「昭和モダン遺跡」と新世代の想い

かつて多くの日本人が暮らした大連。2000年代以降、再開発によって日本時代の町並みは消えゆくばかりだが、この町で生まれた中国の若い世代の中に、それを懐かし惜しむ人たちもいる。(写真/佐藤憲一、中村正人)

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↑大連駅前の旧連鎖街は昭和の雰囲気を色濃く残している

駅前商店街だった連鎖街は
「昭和モダン遺跡」である

大連駅前に昭和の時間がそのままエアポケットのように残された一画がある。

大連駅の設計が上野駅そっくりなのは有名な話。その駅前を東西に走る長江路の南側、駅を背に向かって右手の青泥窪橋街と交差する街区は、かつて連鎖街と呼ばれていた。

そこは昭和初期の日本の地方都市ならどこにでもあった駅前商店街だった。
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↑駅に面した正面角にジャパンツーリストビューローのオフィスがあった

当時の記憶をもとに書き起こされた地図によると、大陸の玄関口だった国際都市大連だけあって、観光案内所やカフェ、バー、洋品店、航空会社のオフィスなど、ハイカラな店が並んでいたことがわかる。面白いのは、連鎖街の中心を東西に交差する目抜き通りの名が「銀座通り」「心斎橋通り」と呼ばれていたこと。南側の中山路(旧常盤通り)は、今日と同様、路面電車も走る大連を代表する大通りで、三越などの百貨店もあった。
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↑1930年代当時の連鎖街の絵はがき

初めて連鎖街を歩いたとき、昭和の時代にタイムスリップしたような気分になった。映画『3丁目の夕日』に使われたセットによく似た空間だと思ったものだ。
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↑朝夕の通勤タイムは人通りが増える

夕暮れが近づくと、通勤帰りの歩行者相手に野菜を並べる農家の人たちや小吃を売る屋台が出没する。ビルはどれも相当老朽化しており、簡体字だらけの看板を見ていると、ただの中国の古い町並みにしか思えないかもしれない。だが、後方にそびえる現代的な高層建築群と比べると、街区のスケール感がまるで違う。せいぜい3階建ての低層建築であり、このマイクロな空間構成こそ、昭和の町並みと同質であることを身体感覚が教えてくれる。
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↑三船敏郎の生家として知られる「スター写真館」が入っていたビル

曲線の多い優美なビルのファサード、いかにも昭和の文化住宅風の小窓のデザインや配置もチャーミング。通りにたたずんでいると、頭の中に絵はがきで見た当時の風景や喧噪が蘇ってくるかのよう。日本国内でもこれほど昭和の空間が残されている場所は珍しい。そう思うと、大連の連鎖街を「昭和モダン遺跡」とでも名付けたい衝動に駆られるのだ。
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↑戦前の映画スターが大連に立ち寄った際、出演したという常盤座の現在の姿 
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↑内部は廃墟化も進んでいる

大連には「古地図を見て東京を歩く」のと似た楽しみがある。東京の場合、江戸、明治、大正、昭和という時代が折り重ねられた歴史が複雑に絡み合うが、大連では、ロシア人の造った初期近代都市空間と日本人の住んでいた昭和の住まい、改革開放を経て一気にメガロポリス化した現代に至るまでの三つの時間軸で構成されているといえるかもしれない。

連鎖街は昭和モダニズムが体現された都市空間だった。いまでは周囲を高層ビルに取り囲まれているのに、なぜそこだけ取り残されているのか、不思議というほかない。

いつの日か近い将来、この街区もあっさり再開発されてしまうのかと思うと、気になってしょうがない。大連を訪れるたびに必ず足を運んでしまう。
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↑大連の日本時代の家屋のほとんどは再開発されてしまった 
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↑表札のあとが日本住居であったことを物語る
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↑早朝、無人の連鎖街。後方に高層ビル群が見える
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↑大連市南部の高台にかつて多くの日本住居が残っていた

若い世代は日本時代の住居や
路面電車が懐かしいという

大連には「俄罗斯街(ロシア街)」と呼ばれる奇妙なエリアがある。大連の出自がロシアであり、最初に彼らが住み着いた地区の名残だ。いまではド派手にペインティングされたロシア風建築の並ぶテーマパーク然とした観光地となっているが、正直なところ魅力に乏しい。
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↑『瀋小姐的店』の店内に板書される手作り教室の案内

だが、その町のはずれに印象的なカフェがある。地元生まれの若者が経営している『瀋小姐的店(瀋さんの店)』という名の店で、特徴はお茶を飲むだけでなく、版画や手作り工芸を楽しめること。アトリエ風のカフェは創作教室でもある。

店内には、大連の老房子(古い建築)をイラストや版画で描いた絵はがきや日本統治時代の古地図が売られていたりする。絵はがきの作風は中国の若い世代のセンスが感じられるポップ仕立てだ。客層は圧倒的に若い女の子たち。地元だけでなく、中国全土から旅行で訪れた人たちも多いという。
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↑「大連印画」「老大連」「大連の詩」「大連老式電車の旅」「歩く大連」「大連老建築」など、種類もいろいろ

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↑周夫妻がデザインした「大连漫游计划(大連イラストMAP)」には日本時代の老建築がポップに描かれている
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↑路面電車をテーマにした周さんの版画作品 
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↑カフェの入口に自分たちの作った作品を販売
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↑全国から噂を聞きつけた若者が店を訪れている 

カフェを経営しているのは、1984年大連生まれの周科さんと瀋潔さんのカップルだ。ふたりは大学時代の同級生。なぜこの店を始めたか聞くと、周さんはこう答えてくれた。
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↑周科さんと瀋潔さん。ふたりは大連工業大学時代の同級生

「ぼくは子供の頃、祖母の住む古い日本家屋でよく過ごしました。いまはオリンピック広場となっている一画ですが、当時はそれが日本家屋だとは知りませんでした。高校生になった頃、これらの老房子が次々に壊されるのを見て、自分の大切な思い出が失われていくようで惜しいと思いました」。

大連の町並みが大きく変わり始めたのは2000年代に入ってから。大学で美術を専攻した周さんは、老房子の写真を撮り始めた。卒業後、美術教師をしながら、撮りためた写真や版画を絵はがきにして、大連を訪れる観光客に伝えたいと考えたのが、このカフェの始まりだという。
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↑大連では日本時代の車両のデザインを再現した路面電車が走る

瀋潔さんは浙江省出身。大学で知り合った周さんに大連市内をあちこち案内されたとか。そのときの移動の足はたいてい路面電車だった。いまも自宅からこのカフェまで通勤の足は路面電車。車窓から見える老房子を眺めながら大連の魅力を満喫できると思ったことから、イラストマップを作ることを思いついた。彼女自身も毛糸や皮の小物の手作り作家としての手芸本の著書があるという女性である。そんなふたりの噂を聞きつけて、手作り体験と大連の魅力を教えてもらおうと全国からファンが店に訪れるようになった。

中国で「80后」世代と呼ばれ、文化大革命以前の古い社会主義の中国を知らない1980年代生まれの彼らが大連の日本家屋に親しみと懐かしさを感じているという話は興味深いものだった。もちろん、彼らはその感覚を日本時代と結びつけているわけではない。それでも、周さんはレトロな老房子に自らの幼少期の舞台としてのノスタルジーを感じており、大切な思い出と考えている。その姿に同世代の瀋さんが共感し、温かいまなざしを向けていることに微笑ましさを感じさせる。
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↑カフェの窓の外に旧大連自然博物館が見える。かつて東清鉄道事務所や大連市役所にも使われたロシア時代の老房子もなぜかここだけ投資の対象からはずされている。その廃墟然とした姿に痛々しさを覚える反面、ヘンチクリンにお化粧直しされていないぶん味があるともいえる



by sanyo-kansatu | 2018-08-10 10:11 | 現代満洲記録プロジェクト


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