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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2018年 09月 03日

ラストエンペラーが過ごした温泉ホテル

遼寧省にはかつて日本が開発した温泉地がいくつもある。なかでも現存する湯崗子温泉(鞍山市)や熊岳城温泉(営口市)、五龍背温泉(丹東市)は、清朝のラストエンペラー溥儀をはじめ著名な文人が訪れ、当時からにぎわっていた。いまこれらの温泉地はどうなっているのか。訪ねてみた。(取材/2010年5月)(写真/佐藤憲一)
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↑1930年代に溥儀のためにつくられた豪華浴室(湯崗子龍宮温泉)

絢爛豪華な溥儀の個室風呂
いまはロシア人が訪れる療養施設に

噂に聞くラストエンペラーの個室風呂は、皇帝専用の「龍池」と皇后専用の「鳳池」が隣り合って仲良く並んでいた。龍は皇帝、鳳凰は皇后を象徴する架空の動物だが、それぞれを力強くイメージした内装を施された豪華絢爛たる浴室だ。
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↑皇帝夫妻の浴室入口に浦島太郎のタイル絵がある 
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↑皇后のためにつくられた「鳳池」の浴室には鳳凰が描かれている
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↑浴室の隣にマッサージルームや休憩室もある 
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↑龍門温泉ホテルの客室は広くて豪奢 
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↑清朝最後の皇帝溥儀が訪れた記録を展示 

製鉄の町として知られた遼寧省鞍山市の南方に日本が開発した温泉地がある。唐の太宗の高句麗出兵の頃から知られるという湯崗子温泉だ。

この浴室は湯崗子随一の温泉ホテル「対翠閣」が溥儀夫妻を迎えるために1930年代につくったものだ。当時の湯崗子温泉を訪ねた与謝野晶子はこう書いている。

「鉄道の本線に沿って便利なために、在満の邦人が絶えず南北から来て浴遊し、ことに夏期には露西亜人や支那人の滞浴客もあって賑ふそうである」(『満蒙遊記』)。

与謝野夫妻がこの地を訪れたのは1928(昭和3)年。この時代、湯崗子は日本国内より一足先に外国客も訪れる国際的な温泉リゾートになっていたのだ。

東北地方は吉林省の長白山山系や黒龍江省の五大連池などを除くと火山が少ないため、温泉の数はそれほど多くない。泉質も硫黄や酸性泉など刺激のある火山性ではなく、地熱で温泉が湧く非火山性がほとんどだ。

湯崗子温泉もそうで、当時の旅行ガイド書『満洲の温泉』によると「アルカリ性炭酸泉にして無色透明、特種の臭気があり、晝夜間断なく湧出し、温度は摂氏五十一乃至七十三度」とある。リウマチや皮膚病、婦人病に効能があるという。
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↑『満洲の温泉』(東亜旅行社刊 1943年)という当時のガイド書は、東北三省や内モンゴル自治区に点在する各温泉の泉質や効能、宿泊施設などを紹介している

1945年以降、湯崗子温泉はソ連の影響を受けた医学的な療養施設として使われるようになった。現在、湯崗子は温泉療養のための国際医療センターとなっている。主要客はお隣の国、ロシアに住む人たちだ。腰痛や関節痛、糖尿病などの湯治のため、2週間から1ヵ月滞在するという。温浴施設の付いた数軒のホテルに加え、病院やリハビリ施設があり、エステなどの現代的な施術も受けられる。
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↑美顔やエステなどの女性向け施設も揃う 
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↑ロシア客の姿が多く見られる 

なかでもユニークなのが、温泉地区内の湖沼から掘り出した温かい泥土に身を沈める健康療法の「泥風呂」だ。日本の砂風呂に似ているが、屋外ではなく、屋内施設に用意された泥の床の上にロシア人のおばさんたちと一緒に水着で寝転び、全身に泥をかけてもらう。5分もすると、顔に汗が噴き出し、全身が泥の熱でほてってくる。約15分後、掘り起こしてもらい、冷たいシャワーで汗を流すと最高の気分。
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↑泥風呂は腰痛や関節炎に効く健康療法だ
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↑現代的な泥風呂の施設 

泥風呂もそうだが、ラストエンペラーの豪華個室風呂も、料金を払えば誰でも利用できる。こんな極上な温泉体験はどこでもできるものではない。
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湯崗子龍宮温泉
遼寧省鞍山市湯崗子温泉旅游度暇区
哈大高鉄線「鞍山西駅」下車

明治の文豪も訪れた温泉地は
露天風呂もあるリゾートに変貌

当時の温泉を世に広めるのに一躍買ったのは、明治の文豪たちだった。

最初の話題提供者は『満韓ところどころ』を書いた夏目漱石である。彼が訪ねたのは日露戦争後わずか4年目(1909(明治42)年)で、漱石は熊岳城温泉と湯崗子温泉を訪ねており、兵士の療養小屋に毛の生えた程度の温泉宿の様子を「すこぶる殺風景」と辛口に評している。

大正期に入ると、紀行作家の田山花袋のベストセラー『温泉めぐり』や『満鮮の行楽』などの読み物の中にこれらの温泉の滞在記がある。

花袋が訪ねた1920年代になると、洋風の温泉ホテルができていて、「私達はビイルを飲んだり、湯に浸かったりして、そこに午後二時までいた」(熊岳城温泉)「温泉場としては、内地では、とてもこれだけのものは何処にも求めることが出来なかった。日本風の室ではあったけれども、副室がついていて、半ばベランダのように椅子だの卓だのが並べてあるのも心地が好かった」「今までに嘗て見たことのない、箱根、塩原、伊香保、何処に行ったって、こうした設備の整ったところはないと思われる立派な浴槽」(湯崗子温泉)と書いている。この時期この地にモダンな温泉地ができていたことがわかる。

その後、日本時代の温泉ホテルは老朽化し、多くは姿を消した。ところが、2000年代に入ると、日本風の温泉リゾートを開発する動きが各地に起こった。
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↑熊岳城温泉は大連から瀋陽に向かう在来線「熊岳城駅」のすぐ近くにある

かつて満鉄社員の保養地として親しまれた熊岳城温泉は砂湯が有名だった。河沿いに穴を掘り、半身を埋める行楽客の姿でにぎわったが、現在では「営口熊岳温泉度暇村」と名を変え、日本の高級スパにも劣らぬ温泉施設が建てられていた。館内には60以上の岩風呂や露天風呂があり、水着姿の中国のレジャー客が楽しんでいた。
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↑営口熊岳温泉度暇村のリゾートの和風露天風呂 
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↑同リゾートの現代的なフロント 
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↑温泉街の南の熊岳河では温水が湧く 
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↑周辺には古い城郭も残る

五龍背温泉も日本の手を離れた後、中国鉄道局の保養地になっていた。ここでも日本風の露天風呂をつくっていたが、やはり水着で入るのがルール。唯一、敷地のはずれに1936年満鉄がつくったという露天風呂と湯小屋が残っていた。
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↑唯一残っていた満鉄時代の露天風呂(五龍背温泉)
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↑満鉄の湯屋には岩盤浴も 
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↑朝食はお粥などの精進料理
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↑日本時代の温泉ホテルの建物 
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↑在来線「五龍背駅」 

五龍背温泉は北朝鮮との国境の町、丹東から車で40分。温泉を丹東市内の温浴施設に運んでいて、市内でも天然温泉が楽しめる。丹東新区に2016年2月にオープンした「江戸温泉城」は、日本式の岩風呂や壺風呂まであり、湯船から鴨緑江と対岸の北朝鮮が望めるおすすめのスポットだ。何より裸で入れるのがうれしい。

これらの温泉地はすべて大連から高速鉄道で1~2時間圏内にあり、アクセスも便利だ。ぜひ訪ねてほしい。

熊岳城温泉
遼寧省営口市経済技術開発区熊岳鎮温泉村鉄東街
哈大高鉄線「鮁魚圏駅」下車

五龍背温泉
遼寧省丹東市五龍背鎮温泉路303号
瀋丹高鉄線「五龍背東駅」下車


by sanyo-kansatu | 2018-09-03 10:45 | 現代満洲記録プロジェクト


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