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2019年 07月 18日
中国東北地方には、2004年に世界文化遺産「古代高句麗王国の首都と古墳群」に登録された古代王朝のふたつの町がある。最初の都は遼寧省桓仁、次の都は吉林省集安。 そして、最後に遷都されたのは、現在の北朝鮮の首都、平壌だった。古代史は現代の国のありようとは関係はない。古代北東アジアの歴史めぐりの旅に出かけよう。(写真/佐藤憲一、中村正人) ドラマ『太王四神記』の舞台 集安は鴨緑江沿いの遺跡の町 2000年代後半の韓国では多くの歴史ドラマが制作された。なかでも北東アジアの古代王朝である高句麗建国を描いた『朱蒙(チュモン)』(2006)や、ぺ・ヨンジュン主演の『太王四神記』(2007)などの話題作が知られる。 実は、これらの物語の舞台は、現在の中国遼寧省や吉林省である。高句麗は、現在の中国東北地方南部や北朝鮮、韓国北部に版図を有していたからで、それは不思議な話ではない。 古代北東アジアを約700年間支配した高句麗は、『朱蒙』の主人公である東明聖王が紀元前37年に建国したとされる。それまで朝鮮半島は漢によって支配されていたが、4世紀初めには楽浪郡などの中国勢力を滅ぼし、『太王四神記』の主人公である19代高句麗王の好太王(広開土王ともいう。在位は391~412)の時代には、周辺国との戦争で領土を拡大。北は現在の遼寧省や吉林省、南は朝鮮半島の大部分を支配し、全盛期を迎える。 高句麗建国の地は卒本と呼ばれた渾江流域の五女山城(遼寧省桓仁)である。その後、移ったのが、鴨緑江沿いの丸都山城(吉林省集安)。領土が最も拡大したのは、好太王の息子の長寿王(413~491)の時代で、彼は427年に平壌に遷都している。これらが高句麗の三都物語の舞台というわけだ。2004年にユネスコの世界文化遺産「古代高句麗王国の首都と古墳群」にこの3つの古都が登録されたことで、広く注目されるようになった。 なかでも多くの歴史ファンが訪れているのが、『太王四神記』の舞台である集安だ。吉林省東南部に位置し、鴨緑江に面して北朝鮮と国境を接する集安は、東に川が流れ、西に険しい禹山がそびえている。その防御に適した地形を利用し、尾根に沿って城壁を築き、内側の平地に王城を建てた。それは国内城と呼ばれ、背後の山に建てた丸都山城と一体になって王城を構成した。 集安には多くの王陵と貴族の古墳がいまでも残っている。有名なのが、好太王の墓のそばにある好太王碑だ。碑文には高句麗建国と最初の3代の王の伝説、そして好太王の功績が記されている。その石碑は、彼の死後、その功績を称揚する目的で建立されたものだ。4世紀末から5世紀初めの東アジア史を理解するための重要な史料となっている。 また禹山貴族墓地には、兜のようなこんもりした形の古墳がいくつも並んでいるが、そのうち唯一内部を見られる「五号墓」では、墓室の側面と天井に四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)の壁画が描かれている。この壁画は日本のキトラ古墳や高松塚古墳(ともに7世紀~8世紀初)にも見られるもので、これらの成立した時期を考えると、高句麗滅亡後に渡来した絵師が壁画の作成に関わったとみて間違いない。つまり、集安の古墳の壁画は古代日本と高句麗の関係を物語っているのだ。 韓国の歴史ドラマは、好太王碑の碑文などに書かれた建国神話や伝説に大胆なファンタジー化を試み、魅力的な登場人物を設定することで多くのファンを虜にした。これらのドラマは日本でも多くの視聴者を得たが、日本との歴史的なゆかりを考えると、当然だったのかもしれない。物語の登場人物の多くは伝承の人物にすぎないのだが、実際に集安を訪ねると、ドラマの各シーンの時代背景や出来事に関する理解が深まることは確かで、実に面白い。 ↑放課後、駄菓子屋に集まる地元の子供たち 集安へのアクセスは瀋陽や丹東から車で4時間以上と交通の便がよくないが、中国の大都市の喧騒とは無縁の静かな町である。ぜひ「東方のピラミッド」を訪ねてほしい。 チュモンによる建国は五女山城 最後に遷都した第三の都は平壌だった 2006年、韓国で35週間視聴率1位を記録した大ヒットドラマ『朱蒙(チュモン)』は、出生の秘密を知らずに王子として育てられた主人公チュモンが、数々の試練を乗り越え、英雄へと成長していく物語。男女の愛憎や親子愛、陰謀が織り込まれ、一度見始めたらやめられない作品だ。 その物語の舞台のひとつであり、チュモンが高句麗を建国した王城こそ、五女山城(遼寧省桓仁)である。五女山は遼寧省桓仁満州族自治県桓仁鎮から北へ8kmに位置していて、主峰の海抜は804m。岩肌を露出している山頂部は、登ってみるとわかるが、南北1500m、東西300mという長方形をした平たい台状になっている。周辺は断崖絶壁に囲まれているため、天然の要塞として山城を築くのにきわめて適していたことがうかがえる。 山城跡を訪ねるには、ふもとから999段という長い石段を約15分かけて登ることになる。登りきると、ようやく城壁と城門跡が見えてくる。城門跡を抜けると、祭祀が執り行われた広場やチュモンの建てた王宮や住居、水の湧き出す天池がある。半地穴式兵営や瞭望台などの軍事施設もある。尾根や絶壁を利用して造られた王城を囲む城壁も約4・8kmに及ぶ。瞭望台からは、満洲国時代に造られたダムによって人工湖となった桓龍湖が見える。 五女山城の西門の登り口に、五女山城博物館がある。ここでは高句麗建国の歴史を中心に地域の古代史を展示している。解説によると、チュモンが五女山城を築いたのは紀元前34年。館内には王宮の復元模型があるが、ドラマで脚色された王宮の規模や壮麗さと違ってえらく貧相なものだ。当時はキリストの同時代であることを思えば当然だが、そんな発見も面白い。 当時の高句麗にとって鉄具を自前で作れるかどうかは国家の存亡に関わる問題だった。五女山周辺では鉄の武具が多数出土しているが、展示の中に、同じくドラマに出てくるチュモンに最後まで忠実だった鍛冶頭モパルモを思わせる蝋人形があるのは興味深かった。 さて、第三の都は平壌である。今日、北朝鮮の首都で人口250万人の大都市だ。427年に集安から遷都され、当初の王城は現在の市街地からから北東へ8km離れた大城山にあった。現在も山を取り巻く城壁や王宮だった安鶴宮の跡が残る。その後、552年に現在の平壌市街地に王城は移された。周辺に多くの古墳群が残されており、集安同様、墓室内の壁画は日本との関連を指摘されるものもある。 五女山城や集安とは違い、高層ビルが多数建ち並ぶ近代都市である平壌だが、この国の人たちは自らが高句麗の歴史を受け継いでいるという自負は強い。それは10万人もの市民や学生を動員し、人文字を使って民族の物語を表現するマスゲームを見ているとよくわかる。まるで古代の祭典のようで、歴史ドラマを見ているような気分になる。
by sanyo-kansatu
| 2019-07-18 13:39
| 現代満洲記録プロジェクト
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