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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2011年 11月 15日 ( 3 )


2011年 11月 15日

日経NBonline 「NBO新書レビュー」

中国に関する書籍が巷にあふれる時代です。さすがに、そろそろ一服という感じもしますが、こんなにたくさん出版されたのは、ちょっと唐突ですが、もしかしたら日中戦争の頃以来ではないでしょうか。

昭和10年代は、支那(中国)モノの出版点数がひとつのピークを迎えた時代といえます。大陸では戦闘行為が続いていた一方で、国内では支那文化の魅力を紹介したり、「日支親善」を提唱したりするなど、中国理解のための多彩な書籍が数多く出版されていました。

これに気づいたとき、最初は意外な気がしましたが、日中の人的交流が深まる時代になると、日本人は「中国とは何か」「中国人とはいかなる人たちなのか」と問わすにはいられなくなるのだと思います。

自分は読書家とはとてもいえませんが、中国関連の本やたまに観る映像作品などについて、気になったことをちょこちょこ書いてみたいと思います。

日経NBonline「NBO新書レビュー」
同サイトの書評コーナーで、以前中国関連の新書について少しだけモノ申したことがあります。

2008 年当時、ぼくは北京オリンピック開幕式における究極の時代遅れともいうべき、演出された国威発揚の光景を見てしまったことで、中国の独善的なナショナリズムに対する強い生理的な拒絶反応が高まっていたようです。その嫌悪感はいまも変わりませんが、中国の国情、そして彼らの生きる時代に対する理解も一方で深める必要があると感じています。

それなりに幸せな「格差社会」~『不平等国家 中国』 園田茂人著 中公新書
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080619/162798/


オリンピックは早すぎた
『変わる中国 変わるメディア』 渡辺浩平著 講談社現代新書



「中国を信じる」「信じたい」「信じさせてくれよ…」
『加油(ジャアヨウ)……!』 重松清著 朝日新書



「誠意が“分からない”」人と付き合うには
『日本と中国──相互誤解の構造』 王敏著 中公新書


by sanyo-kansatu | 2011-11-15 19:47 | のんしゃらん中国論
2011年 11月 15日

「職場の人間関係学:なぜ中国駐在1年内に「心の危機」が起きるのか」

プレジデント2011年3.7号
「中国人の操縦術:もし彼らが突然「上司」「部下」になったら」


プレジデント2011年 7月 4日
「職場の人間関係学:なぜ中国駐在1年内に「心の危機」が起きるのか」


by sanyo-kansatu | 2011-11-15 19:36 | のんしゃらん中国論
2011年 11月 15日

移民労働者からレジャー観光客に変貌した中国人(このブログの目的 その2)

ぼくと中国との縁は1980年代半ばに初めて中国に足を運んだことから始まります。当時は中国が慎重すぎるほどゆっくりと対外開放を進めていた頃でした。もともと社会主義の鉄のカーテンの中に閉じこもっていた国ですから、ホテルや交通機関の予約なしに外国人が中国国内を移動できるようになったのは82、3年頃になってから。ちょうどその頃大学に入ったぼくは、いつの時代も若者がそうであるように、まだ誰もやっていないことをやってみたい――ささやかながらも、それが夏休みを使った中国自由旅行でした。

それはぼくにとって「アジア」(=発展途上国)と呼ばれる世界を初めて知る機会となりました。当時の中国では快適に旅行するためのインフラは整備されていませんでしたから、見るもの聞くもの信じられないことばかりで、呆れたり怒ったり情けなくなったり、とにかく大変でしたが、腹の底から笑えるような出来事も多く、とても新鮮に思いました。中国の庶民に囲まれて2泊3日、硬い座席に揺られて鉄道で旅をする苦労なんて、むしろ未知の体験として面白かったのです(以前この話を自分より若い中国の30代の研究者にしたところ、「それは異文化体験でしょう。私たちはそこで生活してたのよ」と言われて苦笑したことがあります)。

その頃から中国社会の変わっていく様子を見てきたものですから、2000年代に入って中国人が海外旅行に出かけるようになったということに強い関心を持ちました。ほんの10数年前まで、一部のエリートを除いて、中国の海外渡航者の大半は移民労働者か留学生でしかなかったことを思えば、彼らが観光客としてレジャーのために海外に出かけられるようになったことは、豊かになったことの反映以外の何ものでもありません。大いに歓迎すべきでしょう。時代は中国のことを「新興国」と呼ぶようになっていました。

ぼくは専門的に中国語や中国経済を学んだ者ではありません。本来の関心事はもっと別のところにあります。

ただ、これもおかしな話ですが、大学時代の都市社会学のゼミで1920年代のアメリカを舞台とした移民コミュニティ研究の文献(たとえば、『ストリート・コーナー・ソサエティ』 w・ホワイト著などのエスノグラフィー)を少しだけかじったことをきっかけに、社会調査の実習先だった都内のダウンタウンで、来日したばかりの「アジア系外国人」の存在に出会うことになります。

それは1980年代のことでしたから、パキスタンやバングラディシュといったイスラム系も含めた実に多国籍の人たちがいましたが、中国系はやはり多かった。ぼくにしてみれば、夏休みの旅行先で会った海外の同年代の若者たちが東京を訪ねて来たようなものでしたから、なんだか面白いことになったなと思ったのです(彼らの国を渡る必死な覚悟に対して、なんとのんきな受けとめ方だったことでしょう。でも、実際に現地ですでに会っていた人も何人かいたんです。特に80年代後半、上海をはじめとした多くの新華僑が来日したのです)。

そんな妙な縁から彼らの存在を知ってしまったことで、ぼくは大学卒業後も、日々の仕事とは直接関係のない在日華人(=移民コミュニティ)の世界の周辺をうろつくようになっていました。どうしてそんなことになったのかな……。見知らぬ世界をうろつきたがるのは、ぼくの習性のようです。この習性を都市社会学におけるフィールドワークとみなすことにして、彼らとのお付き合いを“参与観察”などと称してみるのは戯れにすぎないかもしれません。

一般に参与観察とは、調査対象の現場に入り込み、ときに関係者らと生活をともにしながら、内部から状況を観察していく社会調査手法のひとつ。研究者っぽくいえば、「調査者が対象者の生活する社会や集団に参加し、彼らの視点から対象社会の構造や対象者の解釈過程を観察しようとする方法」です。都市社会学では、異なる出自や背景を持つ人たちが同じコミュニティの中でいかに共生できるかをテーマにする場合が多いようです。……ですが、ぼくは研究者ではないので、もっと自由奔放にやらせてもらっています。

そんな風変わりな“参与観察”の意味を、ぼくが再定義する必要を感じるようになったのは、中国が「発展途上国」から「新興国」へ、あるいは「世界の工場」から「市場」へと変貌していく過程を目撃してきたことと関係があります。移民労働者からレジャー観光客という存在への彼らの転身ぶりは、ぼくにとって世界の構造が大きく変化しつつあることを象徴する現象に見えたのです。

このブログのタイトルには、自分にとって習い性となった“参与観察”を通じて、新しい対象として中国人観光客という外来消費者の実像を明らかにしていこうという意思が込められています。中国インバウンドの実態の理解はどうすれば可能となるのか、という問いに対するぼくなりの変則的なアプローチです。

※実はこのエントリーを書いた当時、本ブログのタイトルは「中国インバウンド“参与観察”日誌」でした。その後、中国だけ見ていては全体像がつかめないと判断し、現行のように変更したのです。観察の対象を広げただけで、基本的なスタンスは変わっていません。

このブログは、気まぐれなぼくの嗅覚に吸い寄せられたモノ・ヒト・コトとのめぐりあいの記録を公開するものです。いわば“参与観察”のフィールドノートです。その一部はちょっとよそゆきに書き換えてビジネス誌やネットメディアに配信してきましたが、とても収まりきらないさまざまな状況の変化と大局とディティールの絶え間ない交錯があり、それらを随時報告していこうと思います。

by sanyo-kansatu | 2011-11-15 19:14 | このブログの目的