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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2014年 02月 23日 ( 2 )


2014年 02月 23日

大正期にスイスから学んだ観光宣伝のさまざまな手法

前回、ジャパン・ツーリスト・ビューロー幹事の生野圑六による1912年夏のヨーロッパ視察が、ニッポンのインバウンドにとって記念碑的な意味を持ったことを書きましたが、今回は彼のスイス視察の報告を紹介します。

ツーリスト2号(1913年8月)「欧州各国に於ける外客誘致に関する施設(続き)」では、当時から観光立国として知られたスイスについてこう高く評価しています。

「瑞西と云へば、三才の童子と雖もよく知って居る通り、景色が佳く、欧州の中心に位置して交通の便も善く、登山鉄道、遊覧船、其他各種の設備整ひ、『ホテル』は到る處に経営されて居るといふ有様で、人民は少なくとも二ヶ国の欧州語を語り、其質朴親切で、物価は比較的低廉で、夏時は清涼にして三丈の暑を忘るるに足り、冬期は寒冷ではありますが、近年『ウィンター、スポーツ』の設備をなして、客を呼んで居る。斯く総ての方面より視て、此国は遊覧地たるに適して居る」。

スイスには外客誘致のための以下の3つの観光宣伝の専門機関があると生野は指摘します。

①スイス政府鉄道
②ホテル協会
③デペロップメント・ソサエティ

以下、それぞれの機関の業務や活動について整理します。

①スイス政府鉄道

スイス政府鉄道には「パブリシティ・ビューロー」という独立した旅行奨励宣伝機関があり、「毎年約拾弐萬乃至五萬圓の費用を投じている」。

業務内容は、以下のとおり。

a.外国における出張代理所の監督(ベルリン、パリ、ロンドン、ニューヨークの4カ所。繁華街に人目を惹くスイスの絵画や写真、印刷物を陳列する。新聞、雑誌にスイスの旅行ニュースの配信を行う)

b.各種広告物の出版(各種スイス旅行宣伝雑誌の出版、旅行地図の製作。これらは英仏独伊語で2~3万部発行。外国出張所、汽船会社、鉄道会社、旅行関連業者などに配布)

c.外国新聞雑誌の広告(英独のでは日刊紙、グラビア雑誌など。「日刊新聞には時として瑞西に関するアーチクルを載せることもありますが、又時として小さいスイスの風景写真を載せて、其下に記事を載せることもあり、絵入雑誌には風景等の写真を頁大に挿入する」

d.海外向けスイスの気象報告

e.外国博覧会への参加

②ホテル協会

ホテル協会は、「パブリシティ・ビューロー」が発行する宣伝媒体や外国出張所に多大な寄付を行い、サポートしている。また各地にホテル組合があり、独自で機関雑誌を発行。バーゼルのホテル協会では、海外向けの宣伝活動を行う。毎年、ホテルリストを発行。各ホテルの客室数、料金、食事代、交通の利便、暖房設備などを記載した冊子10万部を発行し、海外に配布。ローザンヌのホテルスクールでは、ホテル業者の子弟に対して外国語や経理、料理、飲料、給仕、管理などを教授し、ホテル従業員を養成している。

③デペロップメント・ソサエティ


これは日本のツーリスト・ビューローのような会員組織で、会員としては全国の「州、市、銀行、交通業者、ホテル業者、商工業組合、其他雑貨、絹、時計、写真、美術品、菓子食料品等各種の商店等、殆ど其地の主なる団体個人を網羅」している。会費は「10フラン以上」で、各地の繁華街にインフォメーション・ビューロー(観光案内所)を設置し、「其處に二三の事務員が居て、旅行に関する各種の報道は勿論、其他のホテル、商店、素人下宿、商工業上のこと迄も、無料にて質問に応じ、店の窓には必ず人の目を惹くべき時々の写真印刷物等を飾り、室内には市内案内所、附近鉄道お汽船ホテルの案内記は申す迄も無く、国内各地の同業者の印刷物を無数に竝べてありまして、随意に與へるやうになっております。又場所によりて各国のダイレクトリー、新聞、雑誌、タイムテーブル等をも備へております」)

これを読む限り、当時からスイスでは外客誘致のために政府をはじめとしたツーリスト事業者たちがいかに協力して広報宣伝の推進と外客受入態勢の整備に努めていたかよくわかります。

こうしたインバウンドの最前線の姿を目撃した生野は大いに刺激を受けたことでしょう。その一方、スイスのホテル関係者の話として次のようなことも述べています。

「尚談話中にこの人は私に向て、漫遊外客を誘致するために広告其他各種の手段を採ることは必要ではあるが、来遊せる外客を満足して帰国せしむることは最大切である。(中略)ホテルは外客にとりて旅行中の吾家である。一日見聞の愉快を追想のも、旅の疲労を静に慰するのも、皆ホテル内のことである。さればホテルの待遇にして十分ならざる以上は、到底外客を満足せしむることは出来ぬ、最重大なる責任を有する者はホテルであると申しておりました。これは大に理由のあることと存じました」。

さらに、同報告の中には、スイスの周辺国との外客誘致の競争がきわめて激しいことも触れられています。ヨーロッパ各国との外客誘致競争に対抗するために、あるスイスの関係者は以下の取り組みを始めようとしていることを紹介しています。

「政府の一省中に外客奨励中央局の設立を以て焦眉の急務なりと述べ、更に其組織に言及し、最後に其事業として旅客交通に関して発布されたる法令規則の統一、新法令の発布をなし、外客交通上の保護を計ること、旅客交通が経済貿易上に及ぼす影響の研究、各種遊覧遊戯的設備の完成、遊戯的大会の開催、外国博覧会への参加、在外案内所の完成、国際的自動車旅行の研究、特に海外に於いて瑞西国内各種の機関が箇々別々の動作をなし、廣告紹介などを行ひつつあるものを統一し、更に有効なる手段を採ると同時に、冗費を除くこと等を述べております」。

ここには、今日の問題多き日本の外客誘致の現状からみても耳の痛い指摘がいくつもあります。たとえば、外客誘致のための法令(制度設計)の不備や、「海外に於いて瑞西国内各種の機関が箇々別々の動作をなし、廣告紹介などを行ひつつあるものを統一し、更に有効なる手段を採ると同時に、冗費を除くこと」などという指摘がそうです。

100年前のスイスでは、今日の日本がいまだに克服できていない(それ以前に、問題として広く認識されているかすらあやしい)数々の問題点が、すでに指摘されていたことにあらためて驚きます。その一方で、大正時代に一から外客誘致を学ぼうとした日本の先人の心意気を思うと、殊勝な気持ちになるものです。その尽力や知見を断絶することなく、きちんと受け継いでいく必要があると思います。

by sanyo-kansatu | 2014-02-23 16:56 | 歴史から学ぶインバウンド
2014年 02月 23日

100年前、日本は欧州から外客誘致のイロハをこうして学んだ

1912(明治45)年、日本はジャパン・ツーリスト・ビューローを創立し、国家として外客誘致を企図するのですが、当時の日本には西欧の国々から訪れる外国人を心地よく受け入れるためのインフラが、ハード、ソフトの両面でほとんど整備されていませんでした。

そのため、ツーリスト誌においても、外客誘致のために何が必要なのかについて啓蒙するため、西洋諸国をはじめ海外の事情の紹介に努めています。とりわけ創刊号から10号くらいにかけては毎回、外客誘致のための広報機関や宣伝方法、案内所の運営、ツーリスト業者の組合組織のあり方などが提言されています。

それらの海外レポートの多くを執筆しているのは、ジャパン・ツーリスト・ビューロー幹事の生野圑六です。生野は鉄道省の役人で、のちに京浜電気鉄道社長になる人物ですが、1912年夏、ヨーロッパ諸国を視察し、各国の外客誘致の現状について報告しています。彼は日本のインバウンド黎明期に最も積極的に啓蒙活動に取り組んだ論客といえそうです。
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以下、ツーリスト創刊号(1913年6月)「欧州各国に於ける外客誘致に関する施設」という生野の報告を紹介します。これを読むと、今日日本では当たり前になっている外客誘致のための施設や諸施策の導入に向けた取り組みが100年前にようやく始まろうとしていたことがわかります。ニッポンのインバウンドはこの時期、ヨーロッパをモデルに一から形成されていったことが生々しく伝わってきます。

生田圑六がシベリア鉄道経由でヨーロッパ視察に出かけたのは、1912年6月末から9月末にかけてです。ベルリンで開催された国際旅客交通会議に出席するためでした。その目的について、彼はこう記しています。

「欧州に於ける一般鉄道の視察旁々、漫遊外客誘致待遇に関する機関、組織、方法の研究、玆に現場における実況を視察致しましたのでありますが、可也廣くと思ひまして、各国に旅行して、漫遊客の集合するところを出来る丈見物しました。七月上旬には、丁度ストックホルムにオリンピック、ゲームが開会されるので、世界各国の人々が集合して、混雑致すところを見るのには、何よりの好機会と思ひまして、其地に出掛けました」。

その年のオリンピックには日本人選手はわずか2名しか参加していなかったそうですが、オリンピック開催都市となったストックホルムについて彼はこう書いています。

「兎に角、数万人の外国人が入り込んでいるに関はらず、市内秩序整然としているのには感心しました。特にホテル、商店、其他外人が接するのは、待遇上大に注意を払っておりました。日本などではかかる場合、動もすれば目前の利益のみを事として、永遠の利害を打算せず、暴利を貪ると云ふやうなことがあるやうでありますが、之は大に注意しなければならぬことと思ひます」。

生野はそのときスウェーデンのツーリスト・ビューロー本部を訪問し、「スカンジナビア半島では、夏季には外客を誘致することに大に力めて居ることを承知」したといいます。また、コペンハーゲンのチボリパークを訪ね、そこには「各種の音楽、遊戯、カフェ、レストラン等が多数ありまして、夕刻より夜半まで、非常に賑はつて」いること、「概して欧米人は夕食後散歩するとか、音楽を聴くとか、芝居を見るとか云ふような習慣があるので、欧米の遊覧地、海水浴場、其他のリゾートには必ずさう云ふものがあり、又一方にはローンテニス、ゴルフ、其他遊戯、運動の設備」があり、「此點は今後日本でも相当に考慮を要することと思ひます」と述べています。帰国後、彼はツーリスト誌上において、外客誘致のため、日本に西洋的な遊覧地を開発するよう呼びかけますが、このときの見聞がベースになっているものと考えられます。

その後、彼はいったんベルリンに戻り、7月下旬から約1か月間をかけてウィーン、ブダペスト、インスブルック、ベニス、フィレンツェ、ローマ、ポンペイ、そこで折り返してスイスに向かってしばらく滞在し、ニース、モンテカルロ、リオン、パリ、ロンドン、そして再びベルリンに戻り、シベリア鉄道で帰途についています。これはまさに20世紀初頭のヨーロッパに誕生しつつあったモダンツーリズムの最前線をくまなく訪ね歩いたという意味で、ニッポンのインバウンドの歴史にとって記念碑的な出来事といえるでしょう。

この視察で、生野は多くのことに「驚き」「感心」しています。以下、書き出してみます。

・当時のスイスはすでに外客受入態勢が完備していたこと。

「瑞西は何度参りましても實に心地善い處であります。外客に対する遊覧設備の完備せること、案内上の用意の行届いていること、廣告印刷物等の豊富なること、山水風光明媚なると共に、隅々まで清潔なること、停車場などに長さ数間の大写真などが掲げてあること、ホテルの空室の有無を停車場内に掲示する設備などもあること」。

・フランスのエビアンからニースまでモンブラン山脈付近を横断する約700㎞の自動車専用道路が作られていたこと。

「近時欧米に於ける自動車の発達は非常なもので、従て自動車で自国内のみならず、外国に旅行に出掛ける者は甚だ多いのであります。此道路の如きもツーリストを招致するのが目的であります。鉄道会社も夏期は乗合自動車を運転して、一定の賃金を以て旅客の需に応じております。吾国に於いても将来或地方には、自動車道路を設けることなども一の問題であろうと思ひます」。

日本では戦後を待たなくてはならなかった本格的なモータリゼーションによる観光市場の促進が、ヨーロッパではすでに戦前期から始まっていたことがわかります。

・パリには観光客を惹きつけるハードのインフラが充実していたこと。

「巴里には其近郊に風光明媚なる處や、名所旧蹟が沢山ありますが、外客を惹付けるには寧ろ人工的設備、或は人為的方法が興つて力あることと思ひます。即美術博物館の完備せる、公園の大規模なる、市内交通機関の便利なる、市街の美観を保つが為に用意周到なる、皆之であります。暇令ば、公設建造物、廣場、凱旋門、スタチュー、橋梁等一として美術的ならざるはなく、電柱などは一本もなく、電車も高架式は許されて居ません。ホテルの設備は完全にして、而も比較的低廉である。劇場には国立竝に準国立とも称すべきものも四ヶ所を始め、多数あり、名優少なからず、他の諸国に於いては夏時は大劇場は休業する例なるに、巴里は無休で、料理や葡萄酒は廉価にして、而も美味である。尚巴里人はコスモポリタンで、外国人を外国人扱ひせず、吾々の如き異人種でも、白人同様に扱ふ等、其他外国人の為に特に利便を計っていることは、列挙すれば沢山あることと思ひます。之等のことは必ずしも吾国に於いて総て模倣すべきでもないが、又中には大に学ぶべきことがあると思ひます」。

ほとんど手放しの称賛ぶりですが、これが100年前の日本人の正直な実感だったと思われます。

・ヨーロッパでは新聞広告による外客誘致が広く行われていたこと。

「(ヨーロッパ各地で発行される英国のデーリーメール新聞は)英米人の大陸旅行者に中々よく読まるるのでありますが、此新聞社は倫敦竝に巴里の中心に、立派なる案内所を持っておりまして、欧州のみならず世界各国の鉄道、汽船、ツーリスト・ビューロー、ホテル等は固より、静養地、遊覧地、シーズン、遊覧設備、自動車旅行、飛行、学校、貸家、貸別荘等に関する報告を與ふること」。

外客誘致のために、宣伝媒体(メディア)がいかに効果的であるかを生野は知ったのでした。

生野はこうして外客誘致のためのハード面、ソフト面でのインフラ整備やメディア活用のイロハを学んで帰国するのですが、一点のみ、イタリアでの「不快な」体験を反面教師的にこう指摘しています。

「伊太利では一方に流石美術国のこととて、絵画と云はず、彫刻と云はず、建築と云はず、其立派にして豊富なることに驚きましたが、一方には軽微なること乍ら、随分不快なる念を與へられたことがありました。夫は下級鉄道員の吾々に対する態度、行為、或は寺院其他にて付き纏ふ案内者のうるさきこと、馬車の御者の不正直なること等でありましたが、夫に付けて思ひ浮んだのは、我日本の現在漫遊外人に対する関係であります。直接外人に接するものの中には、随分不正直、不親切なるものがあるやう耳にします。是等は日本に於いてツーリストが風景其他より折角得た美威を傷けることがありはせぬか、是に対して吾がツーリスト、ビューローとしても大に注意して、相当の方法を講じなければなりませぬ」。

当時日本ではこういうことが多々あったろうと思います。なにしろ、ときは激動の明治がようやく終わったばかりで、訪日外客数は年間わずか2万人。日露戦争になんとか勝利したものの、まだまだ日本は貧しく、生野の啓蒙する中身が実現できるまでには、相当な時間が必要と考えられていたはずです。

さらにいうと、彼が訪れたわずか2年後、あれほど先進的で華やかに見えたヨーロッパが第一次大戦の戦火に包まれたという事実は、国際観光の歴史を考えるうえで無視できないことです。生野は、のちに「時局と外客誘致策」その他の論説で、当時の国際情勢とインバウンドの関係についてさまざまな提言をしていますが、それはあとで紹介します。

※「歴史から学ぶインバウンド」参照。http://inbound.exblog.jp/i38


by sanyo-kansatu | 2014-02-23 16:36 | 歴史から学ぶインバウンド