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カテゴリ:朝鮮観光のしおり( 75 )


2014年 04月 10日

北朝鮮のナイトライフ~地元ガイドがカラオケで歌った意外な曲は?

以前、2013年夏に出かけた北朝鮮旅行5泊6日、計14回の食事の内容を公開しましたが、その続編として食事の後のナイトライフ、お酒の話を書いてみようと思います。

とはいえ、入国以降はガイド付きでなければ自由行動できないこの国では、夜の街に勝手に繰り出そうなんてこと、基本的にはできません。仕方がないので、まずはホテルの中で探すことにしましょう。
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平壌に来た外国人がたいてい最初に宿泊することになる高麗ホテルの1階ロビーには、ビヤホールがあります。真っ赤な制服に身を包んだ女性服務員がジョッキを運んでくれます。ここには、一般の平壌市民は入れないはずですが、外客接遇の仕事や海外との貿易を営む、この国では特別の階層と思われる地元の人たちもいます。目の前にいるのは、ロシア人でした。

ホテルの地下にはカラオケもあります。2006年の対北制裁以降、めっきり数が減ったものの、以前は上客として優遇された日本人がこの店を多く利用したことを物語るように、日本語のカラオケメニューも、新しくはありませんが、一応揃っています。
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ただおかしいのは、カラオケのビデオを見ると、日本の曲なのにバックの映像は平壌市内の凱旋門が映っていたりします。これはこれで、なかなか不思議な気分にさせてくれます。
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たまたまニュージーランド人の男性客と朝鮮の英語ガイドたちのグループも来ていて、欧米のポップスなどを歌っていました。そのうち、まだ20代半ばくらいに見える朝鮮の女性ガイドが、マドンナの『ライク・ア・バージン』を軽快に歌い始めました。
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歌詞の意味を考えると、こんなハレンチな(!?)歌をこの国の若い女性が歌って大丈夫なの? と思わないではありません。それとも、外国帰りの新しい領袖のことを思えば、いまどきの北朝鮮の若者にとっては、この程度のこと、たいしたことではないのか。まあ、所詮マドンナですし、ずいぶん昔の曲です。彼女の歌う姿を見ながら、改革開放からまだ間のない1980年代の中国でも似たような場面があったことを思い出したのですが、それは一応同時代の音楽だったといえるわけで。いまの北朝鮮の開放度はようやくその段階に至ろうとしているのかどうかはなんとも言えません。それに外客を接遇するのが職業である彼女は一般市民と同じ感覚とはいえないでしょうから。

さて、場所は変わって、金剛山ホテルにて。
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一時期は韓国客でにぎわっていたこのホテルも閑散としていました。1階ロビーのバーでは韓国の「Hite」のビールサーバーがあったのですが、出てきたのは朝鮮の瓶ビールでした。

面白かったのは、最上階のカラオケスナックです。地方の観光地となると、外国人はホテルの外に出ることができない以上に、気の利いた場所などあるとは思えません。ホテル内で過ごすしかありませんが、それも悪くはないものだと思いました。
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エレベーターで最上階に上がると、店は真っ暗でした。はたして営業しているのかと訝しながら扉を開けると、カウンターの周囲だけぼんやり明かりが点いていて、ふたりの女性が現れました。
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彼女たちには中国語も英語も通じませんでした。2001年頃、韓国から船で金剛山入りするツアーに参加した日本の友人の話では、外客を接遇するのは、北朝鮮人ではなく中国の延辺出身の朝鮮族たちだったと聞いたことがあります(おそらく当時は南北の一般国民を接触させたくないと北側が考えていたからではないかと思われます)。

地元の出身かどうかは定かではありませんが、外客向けに専門的に教育されたとは思えない女性たちでした。実をいうと、ひとりの男が一時ドアの外からガラス越しに監視していることに気がつきましたが、こちらも見られて困ることをしているわけでなし。しばらくすると、男はいなくなりました。

言葉が通じないというのも、たまには楽しいものです。ハングルが読めないので、メニューを見せられても、何を注文していいのかわからない。どんなお酒があるか見せてよ、と手ぶり身ぶりで伝えると、気さくな彼女たちは、テーブルの上に朝鮮焼酎を気前よく並べてみせてくれたのです。けっこう種類があるんですよ。
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焼酎の材料も高粱だけでなく、どんぐりとかいろいろですし、マツタケとか薬草のエキスを入れたタイプもあります。
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ほかにも、日本のウィスキーや洋酒、ワインなども置いてありました。こういうの誰が飲むんでしょう。
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実は彼女、ぼくがスマホで写真を撮っていることに気づいていないんです。カメラだったらバレたに違いありませんが、よくわからなかったみたいです。

そこは場末感たっぷりの世界でした。しかし、この国の管理された「観光」では、ガイド抜きで朝鮮の女性と素の交流ができる機会は少ないだけに、面白かったです。

さて、こんな写真を並べていては、まるで北朝鮮で毎晩飲み歩いてばかりいたみたいですが、これで最後です。平壌に戻って、ホテルの外のカラオケに行ったときの写真です。

これが実現するためには、事前に我々のグループの担当女性ガイドさんに根回ししておくことが必要でした。たいしたことではありませんが、前日くらいから、最後の夜はホテルの外のカラオケに行きたいから連れていって、とお願いしていたのです。
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さて、これがそのカラオケ店の入り口です。基本的に、平壌の夜はネオンも少なく暗いので、いかにもあやしげな雰囲気にも見えますが、店内はわりとふつうです。
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これはカラオケルームが空くまでの時間を過ごす待合室。ここで軽く一杯できます。
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待合室に置かれていた朝鮮の酒です。ずいぶん種類が多くて、驚きました。
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これがカラオケルームです。席に着くと、ノリのいいふたりの女の子が突然現れて、歌のセッティングをしてくれるのはもちろんですが、歌謡ショーのように本人たちが歌い出したり、客の手をとって一緒に踊り出したり、なにかと場を盛り上げようとしてくれます。あっけにとられたというか、拍子抜けしました。この国の昼と夜の落差はどうしたものか、と思わざるを得ません。まあそんな辛気臭いことを言っても仕方ありませんけど。

10年ぶりに平壌に来たという日本人によると、「当時のカラオケクラブでは、こんな軽いノリの子ではなく、絶世の美女がチマチョゴリで接遇してくれた。ちょっとガッカリ」とか。もしかしたら、その手の美女は日本人よりはるかに訪朝数の多い中国客や欧米客の行く店に移ってしまったのではないか、などと事情通なことをいう人もいました。残念です。

楽しかったのは、滞在中ずっと同行してくれた女性ガイドさんと一緒に日本の曲を歌ったことでしょうか。ガイドさんは30歳。独身だそうです。ちなみに、彼女が歌ったのは、90年代のスピッツの曲『渚』でした。こういう選曲がどうして出てきたのかわかりませんが、先ほどのマドンナを歌った英語ガイドの子に比べれば、外国の歌をよく知っているなあとひとまず感心しておいてよさそうです。

by sanyo-kansatu | 2014-04-10 11:58 | 朝鮮観光のしおり
2014年 01月 04日

朝鮮半島の迷走ぶりを暗示する半世紀前の記録――金達寿『朝鮮-民族・歴史・文化-』を読む

ある年長の朝鮮通の友人のすすめで、金達寿の『朝鮮-民族・歴史・文化-』(岩波新書)を読みました。

同書の初版は1958年9月ですから、いまから50年以上前に書かれた本ですが、実に面白いです。当時ひとりの「在日朝鮮人作家」によって書かれた日本人に対する朝鮮理解を目的とした書(反面、韓国に対する手厳しい糾弾の書でもある)が、半世紀後の朝鮮半島で起きている不可解な出来事を理解するいくつもの手がかりを与えてくれるからです。
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同書の構成はきわめてシンプルです。

Ⅰ 民族
Ⅱ 歴史
Ⅲ 植民地化と独立
Ⅳ 文化
Ⅴ 今日の朝鮮

以下、同書の記述に沿って、なるほどと思ったこと、気になったことなどを書き出します。

Ⅰ 民族

この章では、まず「日本との関係」(いわゆる「日朝同祖論」的な話です。当時の日本の思想状況とも関連しているのでしょう)に軽く触れ、朝鮮半島特有の「姓氏と族譜」について解説します。そして次に、朝鮮半島の地誌を紹介し、その独特の風土の中でどんな風俗習慣や階級制度が生まれたか。その中核をなす儒教的価値観の支配についてこう説明します。

「(日本に比べ)いっそう儒教・朱子学の教えにしたがってガンジガラメにされ、それが徹底したかたちで様式化しているということである。しかもそれが農村にまで深く浸透している」。

さらに、こんな興味深い点も指摘しています。

「旧日本支配時代は、私たちもそれを意識的にできるだけゲンシュクにとりおこなったものである。それによって、一つの、ある抵抗感をかんじることができたからである。どうやら、植民地になることによって、これはいっそう温存され助長されたふしがある」。

なるほど、そういうことだったのか。つまり、日韓併合によって儒教的価値観がかえって朝鮮半島で温存されたというのです。さらに、面白いのはその続きです。

「しかし、私は考えないではいられなかった。『これでは、朝鮮がホロびたのもムリはない』と」。

そして、「儒教・朱子学によってみがきをかけられ、固定化された」階級制度が日韓併合によって崩壊したはずだったのに、新しい支配者は統治のためにそれを利用したと指摘しています。しかし、それ以上に残念なのは、「抵抗というものをはきちがえた私たち自身もこれを温存し、助長した」ことだと吐露します。

こういう著者ですから、李朝時代の地方官吏の家柄でありながら、のちに没落し、戦前に労働者として日本に渡り、早死にした自分の父についても「いわゆる日韓併合という谷間に生きた人間の悲劇と言ってしまえばそれまでのようなものであるかも知れないが、しかし、そうとばかりはいってしまえないものがそこにはある」ときっぱり書くのです。

この書きぶりに、今日の朝鮮半島の人たちの「悪いのはすべて日本」と決めつける独善ぶりからは想像できない透徹した認識が感じられます。そして、こう明快に「儒教決別」宣言をするのです。

「だが、こんどこそは、こういう(儒教的)人間タイプは急速に崩壊しつつある。何しろその儒教の本家本元である中国がああいうしだいであるから崩壊せざるをえないが、そしてこればかりは、きれいさっぱり崩壊して少しも惜しくない」。

加えて、1950年代らしい政治認識を背景として、北では「その風俗も急速に改変されていることはいうまでもない。だが一方(南朝鮮)では、まだそれが濃厚にのこっていることも否定することはできない」としめるのです。

Ⅱ 歴史

この章では、古代から李氏朝鮮までの歴史が概説されます。冒頭に語られるのが、次の一文です。

「 朝鮮の歴史のながれをひと口でいうとすれば、それは一貫して、外圧と抵抗とのそれであるということができると思う」。

なにはともあれ、この点ばかりは、朝鮮半島の人たちに同情を禁じ得ません。

「わが朝鮮のように、終始一貫、その生れでるときからして戦争という外圧にさらされてきたものはないであろう。しかもそれは、今日になおつづいている――」。

こう書かれてしまうと、こちらも黙りこむほかありません。もっとも、最近の彼らを見ている限り、それだけ言って毅然としていればよかったのに、なにやらことを大げさに荒立て始めたことで逆効果を生んでいるのでは、と思わざるを得ませんけれど。

さて、以下、時代に沿って気になる指摘を挙げていきましょう。

「当時(古代)の『朝鮮』は、現在の中国東北・満州にまたがっていた」(「朝鮮人の先祖」)という指摘。これは今日もなお中国との歴史論争につながる認識です。

次に、「この時期(三国時代)がまた、朝鮮にとってはもっとも奔放闊達な時代」(「三国時代」)という指摘。その理由をこう述べています。

「北方に早くから漢文明の洗礼をうけてしかも戦争慣れした高句麗があり、中南部にはおなじ扶余・高句麗族がそれの中心であるとはいえ、何とはなしに文化的なにおいのする百済、かとみればどちらかというと土着的発展のうえに立っているとみられる新羅があるという工合いで、彼らは相互に力をつくし、シノギを削ってたたかった」。

ここでいう「戦争慣れした」高句麗、「文化的」な百済、「土着的」な新羅という古代国家のそれぞれの地域像の違いに注目したいと思います。

一方、「百済は、南北朝の時代に入っていた中国の権威をたよったり、となりの新羅と同盟したり、また縁故の深い日本にも援助をもとめたりしたが、しかしとうてい巨大な高句麗には抗しきれず」(「高句麗・百済・新羅」)とも書いています。これなど、中朝関係や日中関係が悪化しているなか、中国に近づこうとしている近年の韓国の姿と百済がダブって見えてしまうのが面白いところです。

朝鮮の歴史において著者が重んじるのは、農民による反抗・叛乱です。

それは「農民がなぜ暴動をおこすかということについてはいうまでもなく、このような封建体制のもとにあっては、それは時期さえくればいつでもおこりうるものなのである」(「統一新羅」)。「私はここで白状するが、私がもしこの自民族の歴史について少しでも誇りをもっているとすれば、それは一〇数万面の大蔵経の彫板でもなければ、また世界さいしょの活字の発明といったものでもない。それは、実に、この奴婢・奴隷といった最下層民によって絶えることなくくりかえされた反抗・叛乱である。これこそは、この民族の質の核をなすものである」(「高麗王朝」)という主張に表れています。

では、朝鮮の「封建体制」というのはどのようなものだったのでしょうか。

「(蒙古襲来に際して高麗王朝の王侯貴族連中は)あいかわらず立派な宮殿や邸宅をつくって本土人民の苦闘をよそに豪奢な生活をつづけ、ただ、することといえばひたすら『国難をはらいたまえ』と仏に祈るばかりであったが、一向にキキメはない。やがて狭い島のなかで武臣と文臣との対立抗争が激化し、一二五八年崔竩が文臣の金俊によって殺されることで、崔氏四代の専権がたおれた」(「高麗王朝」)というようなものです。なんだかいまの北朝鮮のようにも思えてきますね。

朝鮮史の中で、最もマイナスの評価がなされているのが李朝時代です。この時代、「儒教・朱子学を、それまでの仏教とかえて国教とした」ためのようです。「以後、これによって近世の朝鮮は大きく特徴づけられた」といいます。どうなったというのか。

「儒教は、ただ封建政治体制の具であったばかりでなく、ひろく社会生活全般を支配する原理であり、強化の具でもあったからたまらない。停滞的といわれたアジア全体をみわたしても、もっともひどいと思われる家父長的名文主義、尚古的事大主義、繁文縟礼のみの形式主義等々、それはみなこの李朝時代に入って強じんな内容をあたえられたのである」(「李氏朝鮮」)。

それだけではありません。

「李朝時代に入って、実に朝鮮的ともいってよい悪習が成立したことである。それは、偏狭な差別の慣行である」。しかも「朝鮮には儒教・朱子学によってつらぬかれたそれ(階級的差別)のほかに、地方差ということまでがつけ加わって暴威をふるった」(「李氏朝鮮」)。

だとすれば、冒頭で述べたように、李朝時代に人々をガンジガラメにした儒教・朱子学に対する著者の拒絶感がこれほどに強いのも当然でしょう。「これ(儒教)ばかりは、きれいさっぱり崩壊して少しも惜しくない」と書くほどですから。

さらに、朝鮮民族の悪習に対する批判は続きます。たとえば「李朝名物の党争」。そのため結束力がないことです。

「(秀吉の朝鮮出兵に際して)日本軍の征服がこのように成功したのは、日軍が朝鮮の不意をおそい、朝鮮の政府が党争のために結束がなく、防衛が不統一・不充分であったためである」「李朝の政治、――代々にわたった彼らの党争がいかに民心を離れていたかは、宣祖が京城をでるときの一事をみてもわかる」(「続・李氏朝鮮」)。

Ⅲ 植民地化と独立

状況は近代に入っても変わりません。日清戦争後の朝鮮についてこう書いています。

「朝鮮政府はいまはもうまったくその自主性を失い、これら日露のなすがままになっていたが、そんなふうでありながら、彼らはまた何のつもりであったのか、一八九七年国号を『大韓』と改め、国王を大韓光武帝と称した。何が大韓だといいたくなるが、それがいまや滅亡を前にして、こういう偏狭なセクト性と大看板をもちだすということは一考に値する」(改革と協約)。

滅亡寸前にもかかわらず、「偏狭なセクト性と大看板を持ち出す」愚を露呈した李朝に対して、著者がきわめて辛辣かつ「一考に値する」といったある種の余裕を感じさせる表現を採っているところが面白いです。 こう続きます。

「もともと、韓などということばをひっぱりだすからには、それは南方のいわゆる三韓・韓族というセクト的意識が働いたことは疑いない。いまこそ偏執的な地方的差別をもすてて全民族が一致してことにあたらなければならないというときに、これ自身、それは滅亡の象徴でもあった。まさに、韓国は滅びつつあった」(「改革と協約」)。同書はこうした南へのあてつけのような指摘が頻出するのが特徴です。

その後は、日韓併合時代の朝鮮民族の独立運動に関する(今日彼らが好むアジテーションと比べても)比較的穏健かつ公平と思われる記述が続き、最後に「全朝鮮人の希望の星」としての金日成率いる抗日パルチザンを称揚する内容でしめくくられます。

なるほどこうしてみると、同書の歴史認識は、この結末に至るために書かれたことがわかります。

それを知ってがっかりするかどうかはさておき、興味深いのは、当時著者はどうしてここまで率直に自民族の批判を展開できたのか、です。自らのことは棚に上げ、他者を批判することに熱心な、いまの朝鮮半島の人たちを見ていると、ちょっと不思議な気すらしてきます。

おそらくそこには建国されたばかりの新国家の未来が信じられた1950年代という幸福な時代背景があるのでしょう。加えて、著者の金達寿さんが母国を離れて外国である日本に住んでいたことから、たびたび指摘される朝鮮の「悪習」やその後の母国の現実から一定の距離を置いていられたからではないでしょうか。

なにしろ1950年代後半というのは、著者の信奉する北の優位性が強く信じられていた時代でした。南はともかく、少なくとも北ではかつての「悪習」を一掃できたと思うことができたのかもしれない。だからこそ、ある種“上から目線”で、南の実情をわが身と切り離して冷徹に叩きのめすことができたのではないかと思います。

Ⅳ 文化

朝鮮の文化についての解説はコンパクトでわかりやすいものとなっています。

そこでは、朝鮮文化の代表として、高句麗壁画や朝鮮青磁などが挙げられています。なかでも、朝鮮青磁について「吸い寄せられるような弾力のある肌触り」という名言を残しており、ちょっとうならせます。

また、「東洋的観念論的な朱子学にもとづく空理空論」が跋扈した李朝にも、科学の発展した時代があったという指摘や、朝鮮文学の歴史に外来思想としての漢文学との一貫した闘争があったことなど、興味深いものです。

Ⅴ 今日の朝鮮

ここでいう「今日」とは、朝鮮戦争が休戦し、朝鮮半島が南北に分断された直後のことです。

「日本帝国主義の敗退によって朝鮮は解放された。だが、それにもかかわらず、朝鮮民族の前にはまたあらたな困苦と困難とが立ちふさがっていた。そして、それは、いまもなおつづいているのである」(「二つの朝鮮」)。

著者はここでふたつの面白い指摘をしています。

まず、誰が南北統一を叫んでいるのか。それについて「元来、統一運動は独立運動の延長であり、かつての独立運動が戦後に発展転化して統一運動になった。したがって統一運動が従来の民族運動の伝統――革命的性格をもったのは当然である。三・一事件の敗北以後、民族運動の主流が左翼的勢力であった」という日本の東洋学者の旗田巍の文章を引用しながら、朝鮮半島で統一運動に積極的なのは、北および南の左翼勢力だと説明していることです。

これを読んで気になるのは、「386世代」と呼ばれた韓国の学生運動世代が社会の重要ポストに就き始めたいま、彼らが1980年代に唱えた「北寄り」の思想が現在の韓国社会に影響を与えていることと、昨今の「反日」の機運の盛り上がりが無縁ではないのでは、と思われることです。

もうひとつが、「南鮮内部の統一運動を抑え、北鮮からの呼びかけを拒否しつづけた」「反共を旗幟とする南鮮政府」の主体として、アメリカや李承晩以外に、旧日本軍将校や旧総督府警官がいたことを弾劾する指摘です。これも近年韓国で制定された親日反民族特別法などにつながる認識といえないでしょうか。

それにしても、半世紀のタイムラグをへて韓国で顕現化してきた「反日」的な衝動を我々はどう見なせばいいのでしょう。彼らはいったいどこに向かおうとしているのか。

さて、本書はこうしめくくられています。

「明るい朝鮮(北)と暗い朝鮮(南)――。しかしながら、近い将来、それは必ず明るい一つの朝鮮に統一されるであろう」。

刊行後、何十刷もされるほど長く読み継がれた同書は、日本の左派に限らず、広く大衆的な朝鮮理解の基本認識を支えたものと思われます。儒教的価値観の支配が根強かった朝鮮半島での階級闘争の思想が独立運動、そして統一運動へと結びついたことへの共感は、戦後日本においてもある時期まで、それなりの説得力をもっていたのでしょう。同書が書かれてから50年以上もたつ2014年のいま、これを信じた当時の人たちは何を考えているのでしょうか。

朝鮮半島の歴史に見られる数々の問題について、いまの韓国メディアなどと比べても、容赦なく批判的に書かれている同書から学べることがこれほど多いことには新鮮な驚きがありました。朝鮮半島の迷走ぶりを暗示する半世紀前の記録として、いまあらためて読み直すことができるように思いました。

by sanyo-kansatu | 2014-01-04 17:46 | 朝鮮観光のしおり
2013年 11月 19日

平壌の高麗飯店で見られるTVチャンネルは?

一般に平壌を訪ねた外国人は、平壌駅の近くにある高麗飯店に宿泊することが多いようです。ホテルのロビーには、さまざまな国籍の人たちが行き交っています(もっとも、数の多い中国からの団体客は大同江の中州に建つ羊角島ホテルに泊まることが多いよう)。日朝首脳会談のとき、小泉首相らが宿泊したのも高麗飯店だそうです。
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客室には、テレビが置かれています。チャンネルは数えると、12ありました。どんなテレビ局の番組が見られるのか、チェックしてみました(2013年8月現在)。
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① 朝鮮中央放送(KCTV)
朝鮮の国営放送局である朝鮮中央放送は、平日は夜間(17:00-23:00)のみ、日曜・祝日は午前中から放送しているようです。

②と③はチェック時には番組が放映されていませんでしたが、朝鮮には他にも「万寿台テレビ(娯楽番組が多い)」や「竜南山テレビ(教養番組、語学番組が多い)」があるそうで、時間帯が合わなかったのかもしれません。

④アルジャジーラ(Al Jazeera)
http://www.aljazeera.com/
カタールの衛星放送局。同国の国営放送とされているが、事実上アラビア語による国際ニュース専門局。

⑤ NHK World(英語)
http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/
NHKワールドはNHKの海外向けサービスです。公式サイトの「海外で英語放送を見る」のページを見ると、視聴できる国として北朝鮮は入っていませんが、なぜか高麗飯店では視聴できました。

⑥ 中国中央電視台(CCTV-4 英語)
http://www.cntv.cn/
中国の国営放送局の英語チャンネル。

⑦ 香港フェニックステレビ(香港)
http://v.ifeng.com/live/
香港の衛星放送局。

⑧ 中国中央電視台(CCTV-1 中国語)
中国の国営放送局の総合チャンネル。

⑨ BBC world news(英国)
http://www.bbc.co.uk/news/world_radio_and_tv/
英国BBC放送の国際ニュースチャンネル。

⑩ Утро России (Rossiya 1 ロシア)
http://russia.tv/
ロシアの国営放送局の第1チャンネル。

⑪  RT news(ロシア/英語)
http://rt.com/on-air/
RT(旧称:ロシア・トゥデイ)はモスクワを拠点を置くニュース専門局。

⑫ НТВ МИР(NTV Mir ロシア)
http://www.ntvmir.ntv.ru/
ロシアのケーブルテレビ。ロシアのドラマなどが多い娯楽系チャンネル。

敵国アメリカのテレビ局はさすがに見当たりませんが、かなりの多国籍メディアが視聴できることがわかると思います。そのバランス感覚は興味深いです。

中国系とロシア系が各3チャンネル、欧州系はBBC、そしてアルジャジーラが見られるのも面白いです。NHKワールドが見られるのは、2000年代前半まで、そこそこの数の日本人客が平壌を訪問していたころの名残かもしれません。いまでは、日本人は平壌では圧倒的に少数派です。

一般市民の家庭では、これらのチャンネルは視聴できるとは思えません。金剛山のホテルでは、外国のチャンネルは見られませんでした。

ちょうど平壌に滞在していたころ、中国の中央電視台で薄熙来が山東省済南市中級人民法院で裁判を受ける報道が流されていました。
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平壌にある各国大使館や外交官たちは、どれだけのTVチャンネルを見ることができるのでしょうか。

by sanyo-kansatu | 2013-11-19 20:19 | 朝鮮観光のしおり
2013年 11月 17日

高麗航空の乗り心地はいかに?

今年8月、初めて高麗航空(Air Koryo)に乗りました。高麗航空は北朝鮮の国営航空会社です。
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なんでも高麗航空は、英国の航空リサーチ会社、スカイトラックス社によるエアライン・スター・ランキングで1つ星の評価だといいます(ちなみにANAは今年5つ星を獲得したばかり)。国情からいって無理からぬとは思いますが、実際の乗り心地はどうたったのか。友人の中にもけっこう興味のある人が多いんです。そこで、搭乗から機内、降機に至るまでの間に撮った写真を並べてみることにしました。高麗航空のエアラインコードは「JS」です。

●8月某日 JS222 北京→平壌 12:00発
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北京第2ターミナルの高麗航空チェックインカウンターにて
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これが北朝鮮入国のための「Tourist Card」です。
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機体が見えてきました。ロシア製のTU-204-100です。
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機内はこんな感じです。これはビジネスクラスの座席です。
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ようやく北京を飛び立ちました。
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客室乗務員は真っ赤な制服を身に付けています。
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一応国際線ですから、機内食が出てきます。アップルタイザー(炭酸入りリンゴジュース)とハンバーガーでした。味は……まあ見た感じのとおりです(あとで触れますが、時事通信社がこのハンバーガーの中身を開いて撮った写真を同社のサイトで公開しています。なかなかやりますね(笑))。
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トイレも撮ってしまいました。
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平壌が近づいてきました。市内の街並みが遠望できます。
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見えました。あれが有名な柳京飯店です。ひときわ高くそびえたっています。
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着陸態勢に入り、空港のある平壌郊外の街並みが近くに見えます。
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着陸しました。平壌国際空港には、高麗航空機が多数駐機しています。
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タラップを降りると、徒歩で空港ターミナルまで歩きます。
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2013年8月現在、新空港ターミナルを建設中です。
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現空港ターミナルはちょっと薄暗い場所でした。将軍様親子の肖像画が飾られています。

●8月某日 JS155 平壌→瀋陽 11:50発
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この日、なぜか北京線がないということで、瀋陽に行くことになりました。電光掲示板を見ると、ウラジオストク線も飛んでいることがわかります。
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フライトまで時間があったので、空港にあるカフェでカプチーノを注文しました。
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チェックインをすませると、デューティーフリーショップやお土産屋を覗いてみました。朝鮮人参や朝鮮の焼酎、各種バッチ、切手などが売られています。
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いよいよ搭乗です。この日は台湾からのツアー客と一緒でした。
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高麗航空の発券するチケットには、白頭山の天池と平壌の主体思想塔が描かれていました。
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この機体は、TU-204-300です。
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フライト前にビデオを見ながら安全確認をします。瀋陽へはほぼ定刻通り到着。瀋陽桃仙国際空港には、新しいターミナルができていました。

さて、暇にあかせて撮った高麗航空の搭乗写真でしたが、帰国してから時事通信社の以下のサイトでも、ぼくと同じような写真を撮っていたカメラマンがいたことがわかり、苦笑してしまいました。同じ飛行機に乗ったわけですから、内容的にはかなりだぶっていますが、さすがはプロのカメラマンだけに、よく撮れたなと感心した写真がいくつもありました。彼らは今年の6月に搭乗しているようです(その後、9月に再度北朝鮮入りしたときの写真も加わっていました)。もしよければ、見比べていただけると面白いかもしれません。

北朝鮮唯一のエアライン「高麗航空」写真特集(時事通信社)
http://www.jiji.com/jc/d4?p=nko004&d=d4_museum

で、高麗航空の乗り心地は? というと、そもそも1時間程度のフライトでもあり、なんてことありませんでした。朝鮮の人たちは基本的に清潔好きなので、確かに機材は新しくないのでしょうけれど、きれいに使っているという印象はあります。客室乗務員の女の子には、窓から外の風景を撮るなと一度言われましたが、それほどきつい感じでもなく、気にせずばしばし撮ってしまいました。彼女たちは軍人出身と聞いています。

ちなみにこれが北朝鮮の国際線フライトの時刻表です(高麗ホテルロビーに掲示)。
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※いまどきの北朝鮮事情については「朝鮮観光のしおり」をご覧ください。

※ところで、2014年7月4日の渡航自粛解除により、北朝鮮ツアーが解禁されています。
http://inbound.exblog.jp/23661388/

【追記】
この2年後、再び高麗航空に乗りました。その変化は以下参照。

2回目の高麗航空  CAの制服が変わり、機内ビデオも洗練された!?
http://inbound.exblog.jp/24957475/

by sanyo-kansatu | 2013-11-17 18:53 | 朝鮮観光のしおり
2013年 10月 14日

平壌で見かけた台湾人観光客たち(万寿台創作社レストラトランにて)

平壌では多くの中国人観光客を見かけました。外国人客の泊まるホテルは限られており、ぼくの滞在していた高麗ホテルには、ヨーロッパ人客もずいぶんいました。エレベーターに乗り合わせた外国人に片っ端から「Where are you from?」を繰り返したところ、イギリス、ニュージーランド、フィンランド、ロシアなどの観光客が確認できました。純粋な観光客もいましたが、我々のような招待旅行、学術研究の会議の出席者など、いろんなタイプの旅行者がいます。
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今回、平壌では台湾客も見かけました。北朝鮮が海外向けに朝鮮絵画や陶器などの美術品を制作販売している万寿台創作社(→「北京の朝鮮万寿台創作社美術館のアーティストたち」)の経営するレストランでのことです。
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彼らの食事をする個室では、朝鮮の女の子たちによる歌と踊りのショーが繰り広げられていて、我々も一緒に観ることになったのです。
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このレストランには画廊が併設されています。朝鮮の陶器や国内の名勝を描いた風景画などが展示販売されていました。台湾客たちの中には何枚か絵を購入している人もいました。
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ぼくは風景画にはあまり興味がないのですが、何枚か朝鮮の現代の姿を描いた作品もありました。一点は現在の首都平壌を描いた作品。実際の夜はこんなに明るくはないけど……というつっこみはともかく、もう一点は、いつぞや話題となった朝鮮美女軍団を描いた作品です。真っ赤なポロシャツにキャップのロゴはナイキ。ところで、ここに描かれている女の子は、みんな同じ顔に見えてしまうのは気のせいでしょうか。
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ところで、2013年10月14日の朝日新聞朝刊に「北朝鮮貿易博 台湾が初出展」という小さな記事がありました。

「中国・遼寧省丹東市で14日まで開催中の北朝鮮貿易の博覧会で、初めて台湾の中小企業6社が出展した。電子機器や化粧品、自転車のほか特産の高山茶などを売り込み、会場そばには約20店の台湾飲食店も並んだ。中国に生産拠点を広げる台湾企業は、北朝鮮の安い労働力に注目している」とのことです。

「国連の厳しい経済制裁下にある北朝鮮に対して、台湾は日韓のようにすべての貿易を禁じておらず、染料などの化学製品や医療機器などを輸出している」

「中朝両国が北朝鮮領内で進める経済開発区の関係者によると、すでに台湾系の大手電子機器メーカーに区画が割り当てられているという。別の関係者は『視察は中国企業に次いで台湾企業が多い』と明かす」

レストランで台湾客を見かけたとき、「あれっ(中国本土客が多いのはわかるけど、台湾客も来ているんだ…)」と一瞬意外な感じがしたのですが、こういう事情であれば、平壌で台湾人観光客に出くわすのは当然でしょう。

by sanyo-kansatu | 2013-10-14 09:33 | 朝鮮観光のしおり
2013年 10月 14日

2013年版 北朝鮮のグルメ~5泊6日食事14回のすべて【後編】

北朝鮮5泊6日、計14回の食事の内容の続きです(→前編)。

8)4日目の朝食(金剛山ホテルレストラン)
金剛山ホテルの朝食はブッフェではなく、すべての料理がテーブルに運ばれてきます。鶏肉料理もそうですし、とぐろを巻いたマントウがあるところなど、いかにも中国風の朝食です。雑穀のお粥もありました。
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9)4日目の昼食(金剛山の麓のモンラン館)
この日は朝早く起き、金剛山登山に出かけたので、下山した頃にはすっかりお腹が空いていました。料理は焼き肉です。牛と豚と鴨肉から選べます。ブルーの制服を着た女の子が肉を焼いてくれました。渓流を眺めながらの食事は気分がいいです。最後にビビンバが出てくるところなど、かつて韓国客が多くこの地を訪れた名残でしょうか。今回朝鮮でビビンバを食べたのはこのときだけでした。
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10)4日目の夕食(外金剛ホテル中華レストラン)
韓国が投資した現代的な外金剛ホテルの中華料理店での夕食。中国東北料理風の野菜の和え物の前菜、豚肉&鶏肉料理、ホタテのグラタン風、チャーハンなど、中朝洋折衷とでもいえばいいのか。あるいは、中韓洋折衷なのか。ヨーロッパ人客たちを少し意識したメニューなのかもしれません。
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11)5日目の朝食(金剛山ホテルレストラン)
前日とだいたい同じでした。ポテトをパイのように焼き上げた、ちょっと凝った西洋風の一品もありました。
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12)5日目の昼食(高麗ホテルレストラン)
バスで長時間かけて平壌に戻り、少し遅めの昼食です。おなじみのニシンの煮つけや鶏団子、野菜炒めなど。
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13)5日目の夕食(万寿台創作社の経営するレストラン)
この日の夕食は、北朝鮮が海外向けに朝鮮絵画や陶器などの美術品を制作販売している万寿台創作社(→「北京の朝鮮万寿台創作社美術館のアーティストたち」)の経営するレストランへ。
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料理は最後の日ということで、刺身の舟盛りが出てきました。朝鮮名物というジャガイモの皮の黒い餃子もあります。見た目はいちばん豪華でした。ただ刺身は冷凍もので、口の中でしゃりしゃりしました。これは日本人客だけのサービスだったとあとで聞きました。朝鮮産の瓶詰マッコリもあり、1本10元相当でした。
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店の前にはチマチョゴリの美人さんもいて、美女軍団の歌のショーもありました。
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【動画】平壌万寿台創作社レストランのショー(2013年8月)

14))6日目の朝食(高麗ホテルレストラン)
おなじみのブッフェです。朝鮮では中国でほとんど見かけない揚げ物がけっこう出てきます。炒めものの調理法も、中華より日本食に近い気がします。もちろん、中華料理もたくさん出てくるのですが、基本的に中国とは調理法や味の好みが違うように思います。
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今回、朝鮮でいろんな料理を供されたわけですが、その味の水準はともかく、内容の中朝洋折衷ぶりは、もしかしたら参加者の国籍比率と微妙にシンクロしているのかもしれないと、こうして写真を並べてみて思いました。参加者の人数のうち、7割5分が中国本土、2割が欧米系、5分が日本人でした。これは実際の北朝鮮を訪問する外国人観光客の比率とほぼ近いといえそうです。料理の内容も、その比率に合わせるのは、外国客へのもてなしという観点でみれば、ごく自然なことでしょう。

一点、残念だったことがあります。以前このブログで北朝鮮の発行する旅行ガイドブックの20年間の内容の変遷について書いたことがありますが(→「2012年版北朝鮮旅行ガイドは20年前に比べこんなに変わっていた」 )、その最新版には平壌市内の21軒のレストランが紹介してありました。なかにはイタリア人経営の本場イタリアンがあると書いてあったので(実際、現地ガイドの話では平壌にはイタリアンが3軒あるそうです)、ぜひ行きたいと思ってリクエストしたのですが、予定に入っていないという理由で却下されてしまいました。

なんでもヨーロッパの多くの国が大使館を置く平壌では、各国の外交官たちが数少ない西洋レストランを利用したがるため、直前ではなかなか予約が入らないそうです。少なくともガイドからはそう言い訳されました。専用のピザの焼き釜もあるそうですから、一度は平壌でワインとピザを味わってみたいものです。

※その他、いまどきの北朝鮮事情については「朝鮮観光のしおり」をご覧ください。

なお、2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【前編】をアップしました。
http://inbound.exblog.jp/23948946/

by sanyo-kansatu | 2013-10-14 00:22 | 朝鮮観光のしおり
2013年 10月 13日

2013年版 北朝鮮のグルメ~5泊6日食事14回のすべて【前編】

8月下旬、ゆえあって北朝鮮を訪ね、5泊6日滞在しました。その報告をこれから少しずつしていくつもりです。

さて、どの話題から始めようかと考えたのですが、実は昨年6月、ぼくは咸鏡北道の羅先を訪ねています。本ブログでもその報告をすでにしていますが、いくつか書いたうち、アクセス件数が最も多かったのが「羅先(北朝鮮)のグルメ~1泊2日食事4回のすべて」でした。

北朝鮮の食糧事情に関する深刻な報道が多いなか、いったいかの国を訪ねた外国人にはどんなものが供されるのか、気になるところでしょう。

というわけで、これから5泊6日、計14回の食事の内容をお見せすることにしようかと思います。ただし、今回のぼくの北朝鮮訪問は、旅行会社が募集した一般のパッケージツアーではありません。旅行業界の専門用語でいうところのインセンティブツアー(報奨旅行)に当たります。要は、北朝鮮の政府観光局に招待された旅行なのです(詳細は別の回で)。

ですから、今回供された食事の内容は、ぼくと同じように招待された海外の人たち、とりわけヨーロッパや中国から来た関係者を接待することに重きを置いています。彼らは日本よりはるかに多くの観光客を北朝鮮に送り込んでいるからです。その意味については、おいおい説明していくとして、ひとまず5泊6日の簡単な行程を以下記し、時系列で食事の内容を公開していくことにしましょう。

1日目 北京から平壌へ
2日目 平壌(朝鮮国際旅行社創立60周年記念パーティ。実は、これが今回の訪朝の目的。マスゲーム観覧)
3日目 平壌から金剛山へ
4日目 金剛山観光
5日目 平壌に戻り、市内観光
6日目 平壌から瀋陽(中国遼寧省)へ

1)1日目夕食(高麗ホテルレストラン)
平壌の最初の食事は、宿泊先の高麗ホテルのレストランにて。ニシンの朝鮮風煮つけ、鶏肉入りスープ、水餃子、野菜炒めとキムチにごはんとミソチゲいう内容でした。派手さはありませんが、中華料理と違って油っこさがないぶん口に合います。水餃子をメニューに入れているのは、中国人参加者が多数を占めているからでしょうか。
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2)2日目朝食(高麗ホテルレストラン)
高麗ホテルの朝食はブッフェです。メインのおかずはニシンと大根の煮つけや中華風ジャガイモ千切り炒め、肉野菜炒めなど。あとはキムチとミソチゲとごはんですが、トーストや揚げパンもありました。お粥も2種類ありました。
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3)2日目昼食(玉流館)
平壌冷麺で有名な玉流館にて。大同江沿いにある巨大なレストランで、一度に2000名は食事ができるそう。我々外国人客と朝鮮の人たちが食事をする場所は分けられていますが、店の前に大勢の人たちが並んでいました。暑い日だったので、さっぱりした冷麺は食が進みました。味については、韓国と比べるとどうだとか、いろいろ意見はありそうです。
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トウモロコシのパンケーキや鶏肉料理などがついた定食メニューでした。
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最後にデザートでアイスクリームが出てきました。これは悪くなかったです。
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4)2日目夕食(高麗ホテルレストラン)
実は、この日の夕食が朝鮮国際旅行社創立60周年記念パーティでした。ここではヨーロッパ人たちに合わせたのか、西洋式のフルコースでした。前菜はポテトサラダで、クロワッサンとキムチが一緒に置かれていました。料理はまず白身魚のクリームソースかけ、肉団子のスープ、そしてこれが主菜だったのに写真を撮るのを忘れてしまったのですが、牛肉のステーキでした。味は……、正直なところ、やっぱり朝鮮料理のほうがずっとおいしいなと思いました。
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会場では、白いジャケット姿の男性とピンクのチマチョゴリを着た給仕の女性たちがかいがいしく皿をテーブルに運んできます。なかには日本語を話す給仕の男性がいて、「どうですか。わが国ではこんなに高級な西洋料理も出せるんですよ」という気負いのようなものを感じないではありません。

朝鮮を訪ねた外国人が、う~んと口ごもってしまうのは、こういうときです。彼らはいつでも自信たっぷり気に見えるからです。でも、本当のことを朝鮮の人たちに言ってしまうと、彼らを傷つけるとわかっているから、みんな黙ってしまうだけなのですが……。
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朝鮮産のワインもふるまわれたので、一杯口にしたのですが、10年以上前の中国産のワインに似た甘さが口に残りました。
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5)3日目の朝食(高麗ホテルレストラン)
2日目と変わり映えのしない内容でしたが、今日だけのメニューとしては麻婆豆腐がありました。味付けは、山椒が強く利いていないところが日本の中華料理に近い気がします。
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キムチと朝鮮餅とパンが一緒に並んでいるのが、いまどきの朝鮮風かもしれません。
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6)3日目の昼食(元山東明ホテルレストラン)
この日は平壌からバスで約5時間かけて日本海側の港町の元山に来て、海沿いのホテルで昼食をとりました。ここでもポテトサラダが出ました。日本海沿いらしく、かれいの素揚げや千切りポテトとエビをからめて揚げた、ちょっと凝った料理も出ました。フライドチキンにはちょっぴりケチャップがかかっていました。
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チャーハンはどちらかというとリゾットのようにべとべとで、中国風に強火で炒めて米粒がぱらぱらという感じではありません。これは朝鮮の中華料理の特徴かもしれません。韓国でも中華は本場とはずいぶん違いますものね。
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レストランからの海の眺めは素晴らしかったです。港の対岸に新しいホテルを建設中とのことでした。
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7)3日目の夕食(金剛山三日浦タンプン館)
金剛山の東にある三日浦という美しい湖畔にあるレストラン「タンプン館」での夕食となりました。ところが、食事の内容がこれまでになく寂しい感じでした。なにしろこれ(写真)でワンテーブルの8人分だからです。いったいどうしたのでしょうか。韓国客が金剛山に来なくなってから久しいため、これだけ多くの外国人客(約80名)の接客をするのが難しかったのか……。皆さん、「こりゃひどいねえ」とぶつぶつ言っていました。我々と同席だった一部の中国客たちは、ビールをひと口飲んだだけで、料理には箸もつけずに出ていきました。相変わらず、彼らはやることがはっきりしていますね。
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すでに日が暮れていたので、目の前の湖は漆黒の闇と静寂に包まれていました。昼間来たらきっとすばらしい眺めでしょう。
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さて、4日目以降は後編で。

※もしよろしければ、ナイトライフの話もどうぞ。→「北朝鮮のナイトライフ~カラオケで地元ガイドが歌った意外な曲は?」。その他、いまどきの北朝鮮事情については「朝鮮観光のしおり」をご覧ください。

なお、2014年版 北朝鮮のグルメ5泊6日のすべて【前編】をアップしました。
http://inbound.exblog.jp/23948946/

by sanyo-kansatu | 2013-10-13 22:49 | 朝鮮観光のしおり
2013年 07月 11日

2012年版北朝鮮旅行ガイドは20年前に比べこんなに変わっていた

先日、北朝鮮の旅行ガイドブック「朝鮮観光案内」(1991)を紹介したばかりですが、発行元の朝鮮新報社のサイトを見ていたら、「朝鮮 魅力の旅」というガイドブックの改訂版が2012年4月1日に刊行されていました。
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そこで、今回は「朝鮮 魅力の旅」の中身を覗いてみたいと思います。

「朝鮮 魅力の旅(改訂版)」
http://chosonsinbo.com/jp/dprk_guidebook/

体裁はA5版変形、オール4色、96ページ。いまは絶版となった「地球の歩き方ポケット版」と同じ縦長の版型です。表紙も女性好みのイラストです。91年版が「革命の聖地」白頭山の天池の写真だったのに比べ、ずいぶんソフトな印象を与えています。

表紙のサブタイトルからしてこうです。
「平壌、妙香山、開城…
社会主義・朝鮮の名勝地と歴史を巡る
平壌グルメの情報も満載」

「社会主義・朝鮮」…ん? わざわざなんでそれを言う? 「平壌グルメ」…ほぉ、何だろう? いろいろ気になりますが、まず目次から見ていきましょう。

1. 平壌(6-27)
地図・平壌市中心部 / 万寿台地区・大同江周辺 / 楽浪地区・西城地区など / 万景台地区 他
2. 平壌グルメガイド(28-49)
玉流館 / 平壌タンコギ / 普通江畔商店3階食堂 / 民俗食堂 / 平壌オリコギ専門食堂 他
3. ショッピング(50-51)
朝鮮人参関連商品 / 化粧品 / チマ・チョゴリ / 切手
4. ホテル(52―53)
平壌高麗ホテル / 羊角島国際ホテル / 平壌ホテル 他
5. 地方の観光名所(54-85)
妙香山 / 開城 / 金剛山 / 白頭山 / 元山 / 七宝山 / 南浦 / 九月山・沙里院
6. 旅のアドバイス(86-95)
これだけ知ってれば安心 / 朝鮮入国と出国 / 旅に役立つ朝鮮語ミニ辞典 / 空港案内 他

今回も気になったことや引っかかったことを以下、書き出していきましょう。

まず巻頭の見開き「朝鮮民主主義人民共和国・地図」です。91年版のように韓国も含めて「これ全部わが国の領土」という無理やり感はありませんが、今回も南北境界線はもとより中国やロシアとの国境線も地図に入っていません。現在の国境は暫定的なものにすぎないという認識なのでしょうか。

次に見開きの大扉「ようこそ朝鮮民主主義人民共和国へ」。興味深いので、リード文を以下書き出してみます。

「朝鮮民主主義人民共和国は、東アジアの朝鮮半島の北部を領土とする国家。最大の特徴は独特の社会主義体制をとっていることで、他の国々とは違った趣きがあり、それが観光の魅力ともなっている。首都・平壌を中心に社会主義国家を象徴するモニュメントが点在する。また、5000年の歴史を誇り、高句麗壁画古墳をはじめとする数多くの遺産が悠久の歴史を感じさせる。そして、豊かな自然、人々の素朴さが魅力だ。豊富な海・山の幸を使った食もリーズナブルな値段で楽しめる」

ここでもあえて「社会主義」に触れたこと、5000年の歴史というくだりに、あれっ?という感じもしますが、高句麗壁画古墳や海・山の幸をリーズナブルに楽しめるといった一般ウケしそうなアピールポイントも盛り込まれています。

何より大きな違いは、91年版に掲載されていた「人民大学習堂の展望台に立つ金日成主席と金正日書記」のような国家の領導ではなく、平壌の一般市民を撮った複数の写真で大扉のヴィジュアルが構成されていることです。

本編は、やはり万寿台の紹介から始まります。「パリの凱旋門より大きい(凱旋門)」というのはちょっと笑いましたけど、「地下100メートルの宮殿(平壌地下鉄)」「朱蒙の武勇を今に伝える(東明王陵)」といったぐあいに、JTBのるるぶ情報版的なコンパクトな小見出しの付け方も、91年版との大きな違いです。本編のデザインも、最近の日本では主流の小型化したポケットガイドのスタイルで、とても読みやすくなっています。単につくり手の世代交代が進んだだけなのかもしれませんけれど、日本の読者に受け入れやすいよう努めていることは伝わります。

91年版にはなかった「朝鮮民族の始祖が眠る 檀君陵」が登場しているのもポイントでしょう。「5000年」のくだりは、これが根拠なわけですから。

なんといっても本書の最大のウリは「平壌グルメガイド」でしょう。22pを使った豪華版で、市内21のレストランやビヤホールが各店1ページずつ紹介されています。それぞれ料理の写真も豊富に使われています。イタリアンレストランや狗肉専門店なども載っています。ツアーで平壌を訪ねれば、このうちのどれかの店に行くことになるのでしょう。

ショッピングのページは見開きのみ。平壌土産の4アイテムは、朝鮮人参、化粧品、チマ・チョゴリ、切手だそうです。ホテルのページも今回は数軒が載っているだけの軽い扱いです。

91年版では詳しく紹介されていた地方都市のページはなくなり、「地方の観光名所」として妙香山 、開城、金剛山、白頭山、元山、七宝山、南浦、九月山、沙里院が厳選されて紹介されています。基本的に、外国人観光客が訪れることができるのは、だいたいこのあたりなのでしょう。そういう意味では、改訂版では全体として掲載案件の絞り込みに注力したことがわかります。

それ以外では、91年版の重要な構成要素だった「あらまし」の章もなくなっていました。北朝鮮という国家の基本的な理解のための同国の自然や歴史、生活、政治、文化などを紹介した章はもう不要というわけでしょうか。代わりに、服装や持ち込み品、撮影に関する禁止事項などの実用情報が書かれた「旅のアドバイス」や出入国の手順、モデルコースなどがありました。

さて、ざっと本書の中身を覗いてみたあとの正直な感想は「なんだかこれではふつうの国みたいだなあ……??」です。

北朝鮮は新しい領導が登場した2012年上半期、積極的に日本をはじめ海外の国々に誘客を働きかけました。実際、多くの日本メディアが平壌を中心に北朝鮮に入国し、映像や写真を配信しました。おかげでぼくも羅先にそろっと入り込むことができました。

しかし、それもつかのま。核実験騒動で夏以降、外国人の姿は北朝鮮から消えました。ヨーロッパ客もいたので、まったく外国客が消えてしまったわけではないですが、少なくとも中国客は大きく減りました。

そして、2013年。北朝鮮は再び誘客を働きかけています。同国にとって観光は数少ない有効な外貨獲得の手段であるという認識は変わっていないからです。

それでも、今後もしばしば中断は起こるに違いありません。行きつ戻りつを繰り返すことでしょう。北東アジアの国々を見ていると、まるで前後の脈絡は関係ないかのように、相矛盾することを平気でしてきます。歴史的にずっとそうです。それは国内の権力闘争という側面もあるでしょうが、結局のところ、中国という超大国と国境を接するゆえに、そのプレッシャーに押しつぶされることなく、なんとか独自路線を貫こうとしてもがいている姿なのだと見ることもできます。

91年版に比べ、見かけも中身も大きく変わった北朝鮮ガイド「朝鮮 魅力の旅」を見て、あれこれ揚げ足取りするのはたやすいことです。そんなことより興味深いと思うのは、これは当然のことなのでしょうけれど、観光で来朝した外国人に自分たちの存在や価値を認めてもらいたいという強い思いが彼らの中にあることです。

自分たちをこう見てほしいと思う彼らの自画像は、必ずしも国際社会が好ましいと考えるものではないため、これからも依然緊張は続くのでしょうけれど、昨年の旅でぼくも彼らの思いは少し理解できました。それを理解しない限り、物事の進展はないように思います。難儀な話ですけれどね。

この新装ガイドブックを手にして平壌を訪ねてみるのも面白いのでは。最近そう考えているところです。

by sanyo-kansatu | 2013-07-11 15:43 | 朝鮮観光のしおり
2013年 07月 10日

1934(昭和9)年初秋、72歳ベテラン編集者の「北鮮の旅」

坪谷水哉(つぼやすいさい 1862-1949)という明治、大正、昭和前期にわたって活躍した編集者がいます。当時の大手出版社である博文館で編集主幹を務めた人で、日本初の総合雑誌「太陽」の創刊時の編集長でした。

1934(昭和9)年9月下旬、坪谷水哉は京城発4泊5日の北鮮方面への鉄道旅行に出かけています。ここでいう「北鮮(ほくせん)」とは現在の北朝鮮ではなく、日本に併合された朝鮮半島の満州国と国境を接する北東部の辺域(現在の咸鏡北道)を意味しています。

彼の紀行文は、1935(昭和10)年2月に発行された某雑誌に「北鮮の旅」として掲載されています(この資料を入手したのはずいぶん前のことで、誌名を記録し忘れていました。機会をみつけて調べたいと思います)。
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昨年夏、ぼくは北朝鮮の羅先貿易特区を訪ねました。中国吉林省延辺朝鮮族自治州の豆満江(中国では図們江)沿いも何度か訪ねていますが、国境を隔てながらも坪谷が約80年前に訪ねた地域と重なります。当時そこはどんな状況だったのか。とても興味深いです。

ざっと坪谷の4泊5日の行程を書き出してみます。坪谷が鉄道を降りて歩いた場所だけでなく、行程上出てくる鉄道の通過駅も入れてみました。

1日 1934年9月20日
   17:25 京城(ソウル)駅発急行乗車。朝鮮総督府線を北上
   日暮れ 鐵原駅(金剛山鉄道分岐点)
   以後、元山駅、咸興駅、新北青駅
2日 9月21日
   城津駅、朱乙駅(以後、普通列車になる)、羅南駅
   8:51 輸城駅着(総督府線の終点)。満鉄「北鮮線」に乗り換え会寧へ
   (「約四時間を費やし」と本文にあるが?)会寧駅着(満洲国側対岸は三合鎮)
   以後、豆満江沿いを列車は走る
   11:49 上三峰駅(対岸は開山屯)着。「咸北線」に乗り換え。
   以後、高陽駅(現在の南陽。対岸は図們)、穏城駅、訓戒駅、四会駅
   17:15 雄基駅着(大和旅館に宿泊)
3日 9月22日
   8:00 朝一番の乗合自動車で清津へ(約四時間半)。富居という駐車場で休憩
   12:30 清津着(再びバスで郊外の朱乙温泉へ向かい、温泉旅館泊)
4日 9月23日
   正午 バスで清津に戻り、雞林館泊。清津市内散策
   20:15 清津駅発急行乗車
5日 9月24日
   正午過ぎ 京城駅着

今回登場する場所に関する坪谷の記述を抜き書きしてみます。

●輸城から会寧に向かう車窓の描写(輸城は総統府線の終点かつターミナル駅。清津へは別線で9km)
「輸城以西の鉄路の両側は、連山近く迫って、人煙稀疎なる山峡を、紆余曲折して走るに、眼に入る風物はすべて原始的で、車窓はるかに白頭連山の支脈が灰色をした雲の漂ふ間に隠見するのみだ」

※朝鮮側から白頭山(長白山)がどのように見えるのか、見てみたいものです。

●会寧(対岸は三合鎮)について
「(会寧は)豆満江の右岸なる国境の一都会で、対岸の間島から、以前は屡しば匪賊に襲われた土地で、国防の最前線ゆえ、今は歩兵一連隊、工兵一大隊、その他の兵営も多く、人口も今は二萬五千余で其内に内地人が四千余人居る相だ」

※写真は現在の会寧。中国側から撮影したものです。当時日本人が4000人もいたことが書かれています。
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※現在の姿については「過去のにぎわいを忘れたふたつの国境―開山屯と三合鎮【中朝国境シリーズ その9】」http://inbound.exblog.jp/20466441/

●会寧から上三峰に至る豆満江沿い(中朝国境)の描写
「対岸に満洲を眺めつつ走るに、此邊の豆満江は、水色青く、流れ急に、時々筏を流し下すが、渡津場の外には船の上下は見えぬ。金生、高嶺鎮、鶴浦、新田、間坪などといふ諸駅を過ぐる間、何所までも流れに添ひ、朝鮮川には護岸工事も備はり、開修せられたる路傍に、アカシヤも茂って居るのは我が併合以来の功績らしい」

※この鉄路は、中国側から図們江越しに眺めたことがあります。東ベルリンの地下鉄車両が転用されて走っているのを見ました。

●上三峰駅(対岸は開山屯)について
「此所は北満への連絡地点で、豆満江を鉄橋で渡り、新京に通じて居る」

※写真は現在の上三峰の鉄橋を中国側から撮影したものです。
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●高陽駅(現在の南陽。対岸は図們)について
「高陽は現今雄基から満洲の新京へ直通する主要駅で、鉄橋を越えれば対岸は間島の図們駅だ。聞けば図們から百九十キロの敦化までは従来狭軌の敦図線があったのを、新たに広軌に改めて吉林まで延長し、一方には豆満江に架橋して、北鮮鉄道の高陽と連絡せしめたので、此新京図們間の線を京図線と称し、延長五百二十八キロだ。されば高陽駅は今工事中で、純満洲風の壮大なる建築を頻りに急いで居る」

※写真は現在の南陽の鉄橋で、中国側から撮影したものです。当時は国際ターミナル駅だったことを思うと、さびれてしまったなあと思わずにはいられません。
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※現在の姿については「高速で素通りされ、さびれゆく図們【中朝国境シリーズ その10】」http://inbound.exblog.jp/20498623/

●高陽から雄基までの描写
「豆満江も此邊まで下ると間島の諸流を併せて次第に大きくなり、洋々として緩く流れ、船も時々上下して、流石に朝鮮五大河の一と首肯せらる。高陽から二三駅を過ぎ穏城駅から、今まで東に流れた豆満江は急角度に東へ方向を転じ、其れにしたがって鉄道線路も東へ屈曲し、やがて訓戒といふが、かなりの巨駅で、サイダー、牛乳、キャラメルなどと呼んで売って居る。私が隣の某氏に、対岸に露西亜領はまだ見えませんかと尋ねると、まだです。モウ二時間も経つと、四会といふ駅から見えますとて、更に十ばかり駅を過ぎて、四会駅で、向こふに見える山が露西亜ですと教えて呉れた。此邊の豆満江は河幅一里もあるべく、其間に島があったり、岸には湖水があったりして、鉄道も江岸を漸く離れた」

※写真は現在の穏城大橋を中国側から撮影したものです。断橋となって途中で折れています。朝鮮側に当時の鉄道らしき鉄路が見えますが、現在ほとんど運行されていないようです。
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※現在の姿については「図們江、野ざらしにされた断橋の風景【中朝国境シリーズ その8】」http://inbound.exblog.jp/20457456/

●雄基(現在の先峰)について
「今は咸北線の終端なる雄基湾は、鮮満連絡の咽喉で、最近に非常なる躍進を続け、日露戦役当時は僅かに十数戸の漁村だった相だが既に五千戸二萬五千人に激増し、三方に山を負うて一方は海に臨み、港の東に龍水湖が、近く海と連なりて、市街は尚も日々に広がりつつある。当初北満洲の貨客呑口を、何所に定めんかと決せざるとき、北鮮の三港といふ城津、清津、雄基の間で盛んに競争したのが、やがて城津は落伍して、最近まで清津と雄基の競争となったが、結局は雄基より南へ四里の羅津と定まり、今は雄基から羅津まで頻りに鉄道工事を急ぎ、来年八月には竣工の予定」

※写真は現在の雄基線の鉄路。北朝鮮領内の雄基と羅津の間で撮ったものです。この状況では鉄道は運行は難しいと思われます。
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●羅津について
「東北西の三方に山をめぐらし、開けたる南方に大草、小艸の二島が防波堤の如くに横たはり、湾内広く、陸上に市街となすべき平地も多い。成程将来北満の咽喉と決定せられたのも道理である。最近に決定したといふ此地の都市計画によれば、第一期設備として、土地六十萬坪に、人口五六萬を収容し、満鉄埠頭も直ちに着手し、羅津停車場敷地地均し工事と憲兵隊兵営は、請負入札が大倉組に落札したが、停車場建築工事は、何人の手に帰するか未定といふ。但し其等の工事請負や、土地の売買や、利権の探索に、多数の人が入り込み、定住人口二萬の外に、旅客の数は分らぬが、一日に家屋が何十戸づつ建つとか言うて、市街は混雑を極めて居る」

※写真は現在の羅津駅と羅津港。坪谷が訪ねたころにはまだ駅も港もできていませんでした。しかし、羅津の開発のため多くの日本人がこの地にいたことがわかります。
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※現在の姿については「羅先(北朝鮮)はかつての「日満最短ルート」の玄関口」http://inbound.exblog.jp/19752579/

●雄基から清津に向かう道路事情
「道路は東側に日本海を眺めつつ丘陵起伏の間を走るに、仲々よく改修せられて居る」

●清津について
「さて清津を見物する方法はと聞くと、高抹山に上って、清津神社の背後から、港と市街を一と目眺めなさいと教へられ、其の高抹山に上る。成程清津市街は巴の如き高抹山の半島に依り湾内に擁せられ、北端の高抹山と南端の天馬山との間に、夕実の如くに連なる市街で、近年約一千萬円の巨費を投じた防波堤が、湾の左右より出て、岸壁には、四五千トンの船が数隻繋がる相で、折しもそこへ上がってきた高等普通学校、内地ならば中学校の生徒を呼んで説明を聞くと、天馬山腹が無線電信局、その隣りが僕等の学校で、其のしたの茶色の洋館が近頃出来た国際ホテル、今防波堤の外へ出て行く汽船は大阪商船会社の船(中略)。(人口は)昭和七年に二萬五千が今年は四萬人に上ったといふ」

※ぼくは清津にまで行くことはできませんでしたが、当時多くの日本人が住んでいたことがわかります。ここで書かれている高抹山からの日本海と清津市街地の眺めは素晴らしいものだったようです。

ここに描かれる世界が1930年代半ばの“躍進著しい”北鮮でした。現在の姿と比べると、この80年間の停滞ぶりは何だったのだろうか。なぜそうなってしまったのか。そう思わざるをえません。

当時、坪谷がこの地域を視察した理由について、冒頭ではこう書かれています。

「『朝鮮と支那の境の鴨緑江』と所謂鴨緑江ぶしで歌ふ鴨緑江は何人も知るが、反対の国境なる、満洲の間島や、露西亜とも境を接する、豆満江及其沿岸を走る北鮮鉄道は余り知られて居ない。然るに今は北満洲から朝鮮の北方に通じて、鉄道線は頭を日本海の岸に出し、其所に第二の大連港を建設せんとして、着々工事を進めて居り、現に北鮮の雄基からも清津からも、新京まで直通列車が往来して居る。私は最近に其の北鮮の鉄道全線を巡った故、いかに略ぼ之を紹介しようと思ふ」

日本と大陸をつなぐルートとして大連や安東(現在は丹東)のことは知られていたものの、日本海ルートは当時もまだマイナーだったことがわかります。その開発が着手されていよいよこれからというときに敗戦を迎えてしまったわけです。

その年、坪谷は72歳でした。戦前を代表する総合雑誌「太陽」の編集長を経て、その後海外をずいぶん訪ね歩いた坪谷は「世界漫遊案内」(1919)など、明治人らしく海外雄飛を説く多数の著書もあるベテラン編集者ですが、老いてもなお意気軒昂だったようですね。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-10 18:16 | 朝鮮観光のしおり
2013年 07月 09日

1993年に発掘された檀君陵。あの蓮池薫さんの見解は?

前回、「朝鮮観光案内」(朝鮮新報社 1991)という旅行ガイドブックを紹介しましたが、実をいうと、同書には今日の北朝鮮を観光するうえで最も重要とされる名所の記述が見当たりません。

それは朝鮮民族の祖とされる檀君陵です。

それもそのはず、檀君陵が発掘されたのは1993年のことだからです。

檀君陵をめぐって、蓮池薫さんは『私が見た「韓国歴史ドラマ」の舞台と今』(講談社 2009)の中で次のように書いています。
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「1993年10月、北朝鮮は『檀君陵発掘報告』なるものを発表した。平壌市江東郡文興里にある高句麗遺跡群から、檀君とその夫人の遺骨を発掘したという衝撃的なものだった。それによると、遺骨86個と金銅王冠の一部などが出土したが、『電子常磁性共鳴法』という方法による鑑定の結果、檀君の遺骨は5011±267年前のものと断定されたというのだ。
(中略)
この発表とほぼ同時に北朝鮮は大規模な檀君陵建設に取りかかる。そして、これまで神話的伝説人物とみなされていた檀君を実在した民族の祖先、古朝鮮の建国始祖として大々的に宣伝し始めた」

こうしたワケで、1991年に刊行された「朝鮮観光案内」には、檀君陵のことは書かれていませんが、唯一檀君のゆかりの地についての記述があります。それは、妙香山山系に連なる渓谷の中にある「檀君窟と檀君台」です。そこにはこう解説されています。

「古朝鮮を創建した檀君王が生まれたという伝説をもつ檀君窟は、万瀑洞渓谷を抜け出て、西側の丘陵を越えた昆盧峰の中腹に位置している。万瀑洞から檀君窟に通ずる道は、九層の滝の2段目から分かれる。そこに『檀君窟950m』と書かれた標識板がある。

海抜864.4mの地点にある檀君窟は、花崗岩が長い歳月にわたって風化してできた洞窟。幅16m、長さ12m、高さ4mである。

洞窟のなかには三間の家がある。洞窟内では、岩の裂け目からきれいな湧き水が流れ出ている。

檀君窟の後の高い綾線には、檀君が向かい側の卓旗峰の中腹に立っている天柱石を標的にして、弓矢のけいこをしたという檀君台がある」(同書72p)。

ここでわかるのは、1991年当時、北朝鮮でも檀君は「伝説」にすぎなかったことです。

蓮池さんは前述の著書でこう書いています。

「北朝鮮では、1993年に『檀君陵』が発掘される以前は、ほとんど檀君について、関心を示していなかった。1972年編の北朝鮮歴史書では、『檀君は歴史的事実ではなく、支配階級が人民の階級意識を麻痺させるために、つくり上げたもの』として、檀君と開天節そのものを否定していた」

いまとなっては、1972年当時の北朝鮮の指摘は正しかったというよりほかありません。北朝鮮の為政者の側に「人民の階級意識を麻痺させる」必要が生まれたということでしょう。

蓮池さんは、北朝鮮にいたころ、テレビで檀君陵を見たことがあるそうです。その規模は、総面積45ヘクタール。東京ドームの10倍に相当する大きさだそうです。
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by sanyo-kansatu | 2013-07-09 15:37 | 朝鮮観光のしおり