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ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

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2020年 09月 06日

ペレストロイカからソ連崩壊に至る激動の時代に撮影を始めた世代がアートシーンを牽引してきた(ウラジオストクの写真家展 その46)


「FAR FOCUS.PHOTOGRAPHERS OF VLADIVOSTOK(極東フォーカス、ウラジオストクの写真家たち)」という企画展の出品者を3つの世代に分け、前回は「ソ連時代に現役で活躍していた世代」の特徴を見てきました。1991年まで閉鎖都市だったウラジオストクでこんなことが起きていたのかという発見と驚きがありました。

今回は「ペレストロイカからソ連崩壊に至る激動の時代に撮影を始めた世代」です。彼らは20代を迎えた青年期に起きた社会の混乱期をくぐり抜けてきただけに、とてもエネルギッシュで、さまざまなテーマの作品を精力的に発表してきた人たちです。なかでもミハイル・パヴィンとグレブ・テレショフは今回の企画展でも、ゲオルギイ・フルシチョフに次ぐ出品数の多さゆえ、目立っていました。


まずミハイル・パヴィンから。1958年ウラジオストク生まれの彼は、今回登場した写真家の中でも徹底したアート志向の作品を多数出品しています。面白いのは、192030年代のパリで活躍したシュールレアリスト写真家のマン・レイを愛好し、当時一斉を風靡したレイヨグラフィーやソラリゼーションなどの実験的手法を1990年代に無邪気なまでに模倣し、試みています。


このタイムラグは、ペレストロイカがもたらした西側のモダンなアートシーンのソ連の各層への流入を受けての素直な反応であり、それを同時代のように彼が採用することができた理由だったのではないでしょうか。


一方、ペレストロイカという政治変動の時代ゆえの自由を希求するほとばしりのような作品も多く撮っています。マン・レイ的な手法を使いながら。そこが彼のひとつの特徴といえるかもしれません。 


もっとも、そういうところに、ソ連崩壊に至る政治変動がほとんど無血で行われ、穏健な体制解体ですんだがゆえの楽天性とでもいうべき逼迫感の乏しさを感じないではありません。むしろ、ロシアの人たちが辛酸を舐めたのは、崩壊後の経済的混乱であり、ペレストロイカの時代は、この世代にとって明るく希望に満ちたものと認識されていたのかもしれません。いずれにせよ、そんな話をパヴェル氏に聞いてみたいものです。

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4回「カメラを持つ男」要塞の跡地に立って影=自画像を撮る

30回 それは20世紀モダンアートの無邪気なおさらいから始まった

31回 あらゆる技法を試してみるのは21世紀に入っても変わらない


その点、1966年生まれのグレブ・テレショフは、まるでこの激動の時代を感じさせないクールな視点に貫かれた作品を長きにわたって発表してきました。いまやウラジオストクを代表する写真家といえるのではないでしょうか。


彼の作品はコンセプチュアルな要素が多い一方、社会学的というか、ジャーナリスティックな視点に基づくものも多く、ぼくのような人間には知的興奮を感じさせてくれます。


たとえば、この写真展に出品した中で最も古い時期に撮られたのは1988年のもので、ソ連崩壊以前はウラジオストクに多くいたベトナム人労働者の女性のポートレイトでした。他にもサハリンのウデゲ人のような先住民族や、ソ連崩壊によって社会解体が進んだ北極圏に近いチュクチ地方の荒涼な風景を、まるでノスタルジックな光景でもあるかのように撮っています。ウラジオストク市街地にいるとあまり感じませんが、郊外に車を走らせると、とたんにインフラの疲弊が露わとなり、似たような光景を目にするとき、ロシア人のソ連時代に対する思いについて、さまざまに想像をめぐらす機会を与えてくれます。


また彼は映画の撮影の仕事も手掛けていて、ストーリーを感じさせる街角フォトも多く撮っています。ウラジオストクのアンダーグランドな歴史を物語るミリオンカ地区に惹かれて、撮影も続けているようです。


彼はカザフスタンのアルマータ出身で、ウラジオストクの外地から来た人間です。だからこそ、地元出身の写真家以上に、外国人や先住民族、ミリオンカといったテーマに惹かれるではないかと思います。

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3回 色丹島のうら若き漁村の女性、サハリン島の先住民族ウデゲ人

10回 ユーラシアの極北チュクチと国後島で見つけたノスタルジックな光景

13回 街並みのリズムを刻む都市の構造物を切り撮る

18回 商売人から観光客に変貌したキタイスキーたち

23回 ミリオンカ ―この町の秘密の出自を語る街区のいま

33回 人気フォトアーティストが撮ったダンサーの身体と奇妙な花崗岩の流動性の類似

37回 映画のワンシーンのようなストーリーを感じさせる日常の捉え方

40回 ヌードモデルは欲望のシンボルなのか?


最後のひとりはウラジーミル・シュタフェドフです。彼の本職は医師で、プロの写真家たちとはスタンスが少し違うせいか、題材の選び方が斬新で、着想もユニークなので、ぼくのお気に入りです。


このゾウはウラジオストクのビーチで撮られたものですが、あとで述べるサーカス一座が連れてきたものです。「極東の海に巨大ゾウ現わる」といった出来事に注目するところや、サーカス一座の舞台裏を延々撮り続けるというやり方も好きです。

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9回 ビーチで過ごすサーカスのゾウと兵士たちの休暇

14回 サーカスという職場はとってもフォトジェニック!

17回 1970年代vs.2010年代 新旧靴の修理屋の肖像の違いから見えてくること


この3人は1950年代後半から60年代半ば生まれで、この世代がウラジオストクのアートシーンを牽引してきたことは確かです。その一方、次回述べる「21世紀の新しい現実の中で作品を撮り始めた世代」の年長者が1979年生まれのアレクセイ・コロトコフ(しかもモスクワ生まれ)であることを除くと、80年代半ばから90年代後半に至る若い世代が大半であるように、この写真展では1970年代生まれがほぼ不在です。


想像するに、この世代は少年期から多感な年頃を迎える時期をペレストロイカとソ連崩壊という混乱の中で過ごさなければならなかったことと関係あるのかもしれません。新世代の登場は、1980年代半ば以降に生まれた、ソ連時代を知らない世代まで待たなければならなかったようです。



# by sanyo-kansatu | 2020-09-06 11:44 | 極東ロシアのいまをご存知ですか?