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2013年 06月 17日

国境を越えるとこんなに風景が違うのか!?【中国からバスで行くウラジオストク(後編)】

ロシアの入国手続きをすませると、それまで空を覆っていた黒雲がウソのように消え、快晴になりました。

あとで聞いた話では、ロシア沿海州南部は日本海に近いため、この季節の朝方は霧に覆われることが多く、お昼どきになると急に晴れるのだそうです。

琿春のバスターミナルを出てロシア入国が終わるまでに、約2時間かかっていました。ところが、極東ロシアは中国に比べ3時間も時差が進んでいます。つまり、中国ではまだ午前10時過ぎなのですが、ロシアでは午後1時になります。

ロシア側の国境の町はクラスキノといいます。スラビャンカに向かってバスは走り出しました。
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車窓の風景には手つかずの自然と緑の大地が広がっていました。中国側の至る所で土地を掘り起こし、耕作地にした風景とはまったく違います。
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国境を越えると、こんなにも風景が違うのかという驚きがありました。ここ沿海州南部は古代、のちに清朝を建国する満洲族などの少数民族が暮らしていました。本来この地域の自然や風土は同じなのに、国境が敷かれることで、国家と民族のありようが自然の景観を大きく変えてしまったということなのでしょう。
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2時間ほどでスラビャンカに到着しました。田舎町の小さなバスターミナルです。
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残念なことにその日スラビャンカからのフェリーは運航していなかったため、ウラジオストク行きの路線バスに乗ることにしました。

1時間ほど時間があったので、ターミナルの周辺を歩くことにしました。ロシア人の子供たちや若いママさんたちとすれ違いました。
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ターミナルの裏に町の市場がありました。野菜や果物、衣類、靴などがふつうに売られています。モノの値段は、モスクワから遠く離れたこの地だけに、中国製品が多く、安くはないようです。
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雑貨屋に入ると、中国では見ることのないロシアの食材が並んでいました。海産物が多いのも、沿海州ならではでしょう。
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小さな食堂でロシア風餃子のペルメニとサラダのランチを食べました。ロシアビールも悪くありません。
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さて、いよいよバスが発車します。ロシアのローカルバスの中はこんな感じです。
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のどかな一本道をバスは疾走します。ただし中国の幹線道路に比べると、舗装はいまいちで、よく揺れます。
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途中1回ドライブインで休憩。コーヒーショップもあります。
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ウラジオストクが近づくと、道路も2車線になりました。
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市内に入ると、急に風景が都会になったのですが、ひどい渋滞です。
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朝6時に中国の延吉を出て、ウラジオストクのバスターミナルに到着したのはロシア時間の18時(中国時間の15時)でした。ほぼ丸1日かけての国境越えの旅でした。
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【Travel Tips】スラビャンカからウラジオストクへの路線バスの運賃は367RB(約900円)でした。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-17 18:52 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(0)
2013年 06月 17日

意外にすんなり!? ロシア入国ドキュメント【中国からバスで行くウラジオストク(前編)】

中国吉林省の延辺朝鮮族自治州は、中国、ロシア、北朝鮮の3つの国境に囲まれたエリアです。以前、本ブログでも中国側からこれら3カ国の国境が重なる場所を見渡せる防川展望台を紹介したことがあります(→「中朝ロ3か国の国境が見渡せる防川展望台(中国吉林省)」)。

でも、ただ眺めているだけじゃ、つまらないじゃないですか。そこで、中国から国際定期バスに乗って極東ロシアのウラジオストクまで小旅行に出かけてみたのが、ちょうど1年前の2012年6月下旬のことです。
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当初からウラジオストク行きの直行バスで行く予定でした。延辺朝鮮族自治州の中心都市の延吉からロシアのウラジオストク経由でウスリースクまで行く国際定期バスが1日1本あるからです。バスの出る「延吉公路客运总站‎」の掲示板には、中朝ロ3カ国語で地名表示してあります。
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ところが、出発日の前日に延吉のバスターミナルでチケットを購入しようとしたところ、満席とのこと。なぜもっと早く予約しておかなかったのか……。いきなり出鼻をくじかれてしまいました。そこで、ひとまずロシア国境のある琿春までタクシーで行き、そこからロシア行きの国際バスは1日何本かあるらしく、それに乗ろうということになりました。けっこう行き当たりバッタリの旅だったんです。
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朝6時、延吉市内のホテルからタクシーに乗って琿春方面行きの高速を走りました。約1時間で琿春到着。琿春のバスターミナルは、国境の町を意識しているのか、ロシア風の建築でした。
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ターミナルの構内には、ロシア行きのチケット売り場があります。ウラジオストク直行バスの発車時刻までかなり時間があるため、7時50分発のスラビャンカ行きに乗ることにしました。
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スラビャンカは中国語で「斯拉夫杨卡」。ウラジオストクに行く途中の町ですが、地図によると、そこからウラジオストクにつなぐフェリーが出ているようです。バスとフェリーを乗り継いで行くなんて、ちょっと楽しそうではないですか。 
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出発時刻が近づいたので、バスに乗り込むと、乗客の大半はロシア人でした。なんでも国境の向こうに住む彼らは琿春によく買い物に来るそうです。こうして我々はロシア人観光団ご一行と一緒にウラジオストクを目指すことになったのでした。
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バスターミナルを出ると、ロシア語と中国語とハングルの併記された琿春市街を抜け、郊外にある琿春口岸(出入国施設)に向かいます。車窓に見る国境近くの風景は畑が広がり、中国ではあらゆる場所が耕作地だと、あとでロシアと比べてあらためて気づくことになります。
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「中華人民共和国 琿春口岸」と書かれた出入国管理所の巨大な門の前でいったんバスを降り、出国手続きに向かいます。
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ロシアのおばさんたちはずいぶん買い物しているようです。
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なかにはロシアと商売をしている中国人客もいました。出国書類を書いていました。
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いよいよパスポートチェックです。我々日本人もそうですが、ロシア人もただ出国するだけなので、時間はかかりません。
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再びバスに乗り、ロシア側の出入国施設に移動します。
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中ロ両国の国旗が掲揚されるボーダーを抜けると、ロシア側のずいぶん簡素な出入国施設が見えてきました。隣に新しいイミグレーションのビルを建設中でしたから、今頃はこちらに移っているかもしれません。
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さて、ロシアへの入国手続きです。ロシア人と同じ列に並び、「Passport Control」と書かれたゲートに入って、パスポートとビザを渡します。特に何も聞かれることなく、約2分でチェックは終わりました。手荷物チェックでは、一応麻薬犬もいましたが、特に何かを聞かれることもありませんでした。
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出入国管理所を出ると、ロシアの空は青く晴れ渡っていました。
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【Travel Tips】ロシア入国にはビザが必要です。しかも今回のような陸路入国の際は、入国地が記載されたビザでなければなりません(延辺から入国の場合、クラスキノになります)。そのため、今回ウラジオストクの旅行会社から入国地を記載した招聘状(宿泊ホテルの予約も必要)を出してもらいました。それを持って在日ロシア大使館に行けば、所要2週間でビザを発給してくれます(つまり、招聘状は有料、ビザは無料です)。

延辺からの国際定期バスは延吉か琿春のバスターミナルで5日前から購入できます。バスのチケット代は、琿春からスラビャンカまでが285元(約3700円)でした。

※この旅の続きは、「国境を越えるとこんなに風景が違うのか!?【中国からバスで行くウラジオストク(後編)】」をどうぞ。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-17 17:28 | 日本に一番近いヨーロッパの話 | Comments(6)
2013年 06月 14日

長白山(白頭山)が中韓対立の舞台となっている理由(「東北工程」とは何か)

本ブログでは、これまで何度か中国吉林省の長白山の観光開発が進んでいることを報告しました。

※「いま中国で人気の山岳リゾート、長白山」http://inbound.exblog.jp/20458097/
※「長白山(白頭山)は5つ星クラスの高原リゾート開発でにぎわっています」http://inbound.exblog.jp/20386508/
※「フラワートレッキングに行くなら高山植物の宝庫、長白山(白頭山)へ」http://inbound.exblog.jp/20202609/

10年前には何もなかった美しい山麓にたくさんのリゾートホテルが建設され、空港ができたことでアクセスも飛躍的に良くなりました。中国のレジャーブームも後押しし、国内外のトレッキング客も増えています。それ自体はすばらしいことなのでしょうが、手放しで歓迎できない側面があります。

長白山(白頭山)が中韓「歴史」対立の舞台となってしまっているからです。

背景には、中国の独善的な「歴史」認識の既成事実化を推進するうえで政治的バックボーンとなっている、悪名高い「東北工程」があります。

朝日新聞2007年11月14日に「白頭山 中韓揺らす」と題された記事が掲載されています。
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「中朝国境にそびえる名峰、白頭山(中国名:長白山)の観光開発を中国が進めていることに対し、韓国が強く反発している。白頭山は朝鮮民族にとっての『聖地』。北朝鮮問題での対応では近い位置にある中韓だが、対立の背景には古代国家・高句麗をめぐる歴史問題も複雑に絡む」

2005年8月、吉林省政府は「長白山保護管理委員会」(以下、管理委員会)を立ち上げました。西坂を中心に大規模リゾート開発を進め、それまで主に長白山観光のベースだった延辺朝鮮族自治州の関与を制限し始めたのです。長白山の「中国」化を徹底させ、観光利権の独占化を図りたかったからでしょう。

前述の朝日の記事に、以下のような記述があります。

「長白山を世界自然遺産として登録を目指す動きも活発だ。当局は『環境整備のため』との理由で、韓国人らが経営する中国側登山口周辺の宿泊施設や飲食店に、立ち退きを求める通達を出し、10月には一部で撤去作業が始まった」

これを物語る出来事として、在日朝鮮人の事業家が北坂の長白瀑布の近くに建てた「長白山国際観光ホテル」の経営権を管理委員会によって取り上げられた一件があります。同ホテルは、1998年に中日合資で開発されたもので、源泉から引いた温泉やサウナもあり、長白山で登山を楽しむには最適の宿泊施設でした。北朝鮮から服務員を招聘し、サービスを提供していたこともあります。ぼくも2度ほど宿泊させてもらいました。しかし、2008年頃より、管理委員会から施設の買い上げを迫られ、2012年には完全に閉鎖されてしまったのです。
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華やかな山岳リゾート誕生の陰で、中国の「歴史」認識の既成事実化のための工作が進められているのです。

ところで、ここで問題となっている「東北工程」とは、2002年2月から07年1月までの5ヵ年にわたって、中国社会科学院の中国辺疆史地域研究センターを中心に推進された「東北辺疆歴史与現状系列研究工程(東北工程)」という研究プロジェクトを指します。

その内容が、中国政府の掲げる「統一的多民族国家論」の立場から、現在の東北三省で勃興したすべての部族・民族の歴史を中国内の一地方政権の歴史として中国史に編入しようとしたところに批判が集中しているのです。

多民族国家である中国にとって、朝鮮半島とは地続きの東北地方で民族紛争の火種を未然に消し去り、地域の安定化を図りたい事情があることはわかります。そのために、この地域の「中国」化を推し進めようと考えているわけですが、その乱暴なやり方が他の少数民族居住エリアと同様に、波紋を広げてしまっているのです。

何より、政治が歴史を弄ぶにもほどがあります。この地域は古来さまざまな多民族の集住地であり、現代の特定の国家がその歴史を今日の事情で都合よく「解釈」しようとしても無理があります。

結果的に、それは周辺国家の警戒を生み、逆効果をもたらしてしまっています。

韓国や北朝鮮がこれに反発するのは、古代国家・高句麗や渤海を「中国辺境少数民族の地方政権」として縮小し、中国史の一部に属すると決めつけることに、中国のナショナリズムの横暴な反映をみてとるからです。

2000年代半ばに韓国で多数制作された歴史ドラマ(『朱蒙』『太王四神記』『大祚栄』など)は、中国の「東北工程」に対する韓国側のナショナリズムの対抗表現だといわれています。中国が国ぐるみで押し付けてくる北東アジアの「歴史」認識に対抗するプロパガンダの必要が韓国にはあったというのです。

もっとも、ある研究によると、高句麗の最盛期にあたる好太王(主演はぺ・ヨンジュン)を主人公としたドラマ『太王四神記』には、日本統治時代に朝鮮半島で創出された「大朝鮮主義史観」が描かれていると指摘されています。ここでいう「大朝鮮主義史観」とは、一般に日本の皇国史観に影響された朝鮮民族の起源としての檀君神話をあたかも史実であるかのように唱導することです。

「現代の中国ナショナリズムに対抗するために制作された韓国の高句麗ドラマの民族主義的なモチーフは、植民地時代に日本帝国主義に対抗するために創出された近代的な言説である」。その「『大朝鮮主義史観』が、現代の中国ナショナリズムに対する対抗言説として召還され、東アジア全域を流通するグローバルな『韓流』コンテンツの中に甦っている」というわけです(『韓流百年の日本語文学』木村一信、チェ・ゼチョル編 人文書院 2009 より)。

だとすれば、中韓どちらも似た者同士、ということなのかもしれませんけれど、「長白山周辺からハングル表記を減らしている」(前述の朝日記事より)という中国のやり口は大人げありませんね。

ぼくの知る限り、以前は英語と中国語、ハングルの三か国語表記が基本だった現地の観光案内からハングルだけがはずされてしまいました。そんな了見の狭いことでは、世界遺産なんて望むべくもないと思います。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-14 16:11 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 12日

21回 2012年、世界一の海外旅行大国になった中国で、訪日だけが減少。どう考える?

4月9日~11日、北京で開かれた中国出境旅游交易会(COTTM2013)(http://www.cottm.com/)に行ってきました。
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中国の旅行展示商談会といえば、今年5月で10年目を迎えた上海世界旅游博覧会(WTF http://www.worldtravelfair.com.cn/ ※ただし、今年は主催者側より日本ブース参加停止の要請あり)や、6月21日~23日に北京で開催予定の北京国際ツーリズム・エキスポ(BITE http://www.bitechina.com.cn/)などのB2Cのイベントに、これまで日本からも多くの関係者が出展したことで知られています。一方、COTTMは国内外の旅行業者だけが集まるB2Bの商談会で、今年で9年目を迎えます。
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会場は、北京市朝陽区にある全国農業展覧館。社会主義を標榜したかつての中国を思い起こさせる石造りの重厚な建築(1959年開館)で、さまざまな業界の展示会や商談会が頻繁に行なわれています。

海外から62カ国、275団体・企業が出展し、4000名を超える中国の旅行関係者が来場したと公式サイトは伝えています。展示についてはあとで触れるとして、今回興味深かったのは、国内外の業界関係者が登壇し、さまざまなテーマで意見を交わすフォーラムでした。ここで議論される内容は、現在の中国の海外旅行市場を理解するうえで参考になります。

“New Chinese Tourist”(中国新型旅客)とは何者か?

3日間を通じたフォーラムのテーマは、おおむね以下の4つでした。

①中国のラグジュアリー旅行の展望
②旅行業におけるSNS活用(中国で海外旅行に最も影響のあるメディアとして)
③業界の抱える6つの課題(査証問題を中心に)
④不動産投資旅行に対する業界の取り組み

4つのテーマに共通するキーワードは“New Chinese Tourist”(中国新型旅客)です。

いったい“New Chinese Tourist”とは何者なのか? それが今回の最重要キーワードだというのは、十分すぎるほどの理由があります。

2012年、中国がドイツ、アメリカを抜いて海外旅行マーケットで世界一の規模になったからです。

「Are you ready?」。そう問いかけるのが、フォーラムの司会進行を務めるProf. Dr. Wolfgang Georg Arlt(以下、教授)です。
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ドイツ出身のTourism Scientistである教授は、2004年に自ら設立した中国出境旅游研究所(COTRI)の代表として、中国の海外旅行市場に関する継続的な調査研究を行い、今回のCOTTMの企画運営にも参加しています。

フォーラムの冒頭で、教授はこう語ります。

「今年4月4日、国連世界観光機関(UNWTO)は、2012年中国が8300万人の出国者と1020億ドル超の消費額を記録し、ドイツ(前年度1位)、アメリカ(前年度2位)を抜いて世界最大の海外旅行市場になったと発表しました。2013年には9500万人の出国者が推計されています。これはUNWTOがかつて予測した2020年までに1億人というスピードをはるかに超えたものとなっています」

教授によると「いまや中国の海外旅行市場は“洗練とセグメントの時代”を迎えている。その主人公は、“New Chinese Tourist”である。彼らは“新しい顧客”であり、彼らを取り込むには、新しい流通とチャネル、そして新しい要求に応えていかなければならない。

彼らは他人に自慢するために観光地でスナップ写真を撮るためだけの目的では満足せず、特別な場所で特別な体験をしたいと考えている。これからの中国の旅行業界が取り組むべきは、ニッチな商品の開発と新しい渡航先の開拓だ」と結論しています。

※Prof. Dr. Wolfgang Georg Arltのスピーチの詳細は、中村の個人blog「2012年、中国は米独を抜いて世界一の海外旅行大国になった(COTTM2013報告 その2)」http://inbound.exblog.jp/20499744/を参照。

多様な国々が出展している理由

では、出展ブースを覗いてみましょうか。正面玄関を抜けると、目の前の一等地に左右に分かれて巨大なブースを展開していたのは、メキシコ観光局とトルコ観光局です。
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正面に向かって左に進むと、アフリカ諸国のエリアです。エチオピアやチュニジアなど、色鮮やかなブースが並びます。民族衣装を身につけたスタッフも多く、陽気な雰囲気です。もともと中国にはアフリカ諸国からの留学生が多く、経済関係も深いだけに、なるほどという感じがします。
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一方、右側のエリアはヨーロッパや中近東諸国が中心です。ヨーロッパといっても英仏独といった主要国ではなく、スロバキア(中国語で「斯洛伐克」!?)やクロアチア、アゼルバイジャンといった旧社会主義圏の国々を中心とした観光局のブースが続きます。

奥の広いスペースに、今回最大の出展面積を誇るアメリカ各州の観光局の共同ブースや中南米、アジア各国のブースがありました。

出展国のラインナップを見ながら、中国人はこんなマイナーな国々にも海外旅行に出かけるような時代になったのか、と驚かれるかもしれません。旅行マニア向きとでもいうべき多彩な国々の出展ブースが並ぶ光景は見ているだけでも興味深いです。気になるのは、主要国の中で唯一日本からのブースだけがひとつもないことでした。

ただし、それはCOTTMが一般消費者を対象としたB2Cの展示会ではないからともいえます。確かに、ハワイや香港などのブースもありません。旅行業のプロだけが集まる展示商談会だけに、よく知られた人気ディスティネーションは出展の必要がないためでしょう。消費者が来場しない以上、彼らもPRする効果がないと判断するからです。

それでも、個々のブースは小さいため目立ちませんが、ヨーロッパから28か国の出展者がいることに注目すべきでしょう。それらの出展者の特徴は、前述したスロバキアやクロアチアなど、中国市場における新参のディスティネーションが観光局中心であるのに対し、英仏独などの主要国では、極地旅行や海外ウエディング、自由旅行などの専門ジャンルに特化した旅行会社が出展しています。
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すでに団体ツアーが多数訪れている主要国では、個人客を対象としたSIT(スペシャル・インタレスト・ツアー:特別なテーマや目的に特化したツアー)向けの商品を販売する民間の旅行会社のブースが出展しているということなのです。彼らのターゲットが“New Chinese Tourist”(中国新型旅客)であることは明らかです。

※COTOMの出展国のリストや展示ブースの詳しい様子については、中村の個人blog「出展国が渋すぎる!? 北京のB2B旅行展示会(COTTM2013報告 その1)」http://inbound.exblog.jp/20482576/を参照。

中国人はビザ問題に不満を持っている

さて、フォーラム2日目の午後3時からパネルディスカッションがありました。テーマは「中国出境旅游运营商研讨&签证问题(Tour Operators & Visa)」。中国の海外旅行市場でいちばんホットな話題は何か。なかでも市場の個人旅行化のへ動きとビザ問題について、業界としてどう向き合うべきか、というものでした。
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今回のテーマ出しは、中国の旅行関係者の事前の投票によって決められたそうです。彼らがいまどんな問題に頭を悩ましているか。まさに一目瞭然の結果が出ています。 そのうち上位6つの話題が以下のとおりです。

①半自助旅游(160 票)
②中国新型旅客(155票)
③ビザ問題(152票)
④人材育成(149票)
⑤アメリカの新ビザ制度について(赴美签证新规)(143票)
⑥オンライン購入について(129票)

①「半自助旅游」というのは、航空券とホテルを旅行会社で予約するだけの自由旅行のことです。日程と宿泊場所だけが決まっていて、観光や食事などは各自が自由に楽しむツアーで、業界では「スケルトン型」と呼ばれます。日本ではよくあるツアー形態のひとつですが、未だに団体ツアーが主流の中国では、「半自助旅游」が増えることが旅行会社の営業にどんなダメージを与えるのか。それともこれは好機なのか、というのが議論の中心でした。「半自助旅游」が増えれば、旅行会社が顧客のために手配する仕事が減るため、利益も減ることが考えられるからです。

②「中国新型旅客」も①につながるテーマです。まさに“New Chinese Tourist”問題そのもので、旅慣れた「新型旅客」の多様な要求に旅行業界はどこまで応えることができるか、というのがポイントでした。これらのテーマは日本の旅行業界では1980年代からいまに至るまで議論され続けているものです。

一方、③④⑤については、中国固有の問題といえそうです。まず③と⑤ですが、これは共通の内容といえるのでふたつを足せば、ビザ問題が彼らの最大の関心事であることがわかります。

現在、中国人が海外旅行に出かける場合、団体ビザを取得して旅行会社の催行するツアーに参加するのが一般的です。これだけ個人旅行や自由旅行への志向が強まっているにもかかわらず、それを実現できるのは全体で見れば、まだ一部の層にすぎません。これは中国が世界の多くの国々とADS(Approved Destination Status)ビザ協定を結んでいることと関係あります。これは、不法移民を防ぐために各国との間で結ばれた中国在住国民を対象とした特別な協定です。1983年に香港・マカオから始まったこの協定は、2000年代以降、オーストラリアや日本との締結を皮切りに、欧米諸国や南米アフリカ諸国へと急速に広がっていきます。

Approved Destination Status (ADS) policy(China Outbound Travel Handbook 2008)
http://chinacontact.org/information/approved-destination-status-ads-policy

一般にヨーロッパ諸国との締結は2004年以降、アメリカとは2008年。その結果、多くの中国人団体観光客が欧米を旅するようになりました。

最初のうちは、彼らもいろんな国に旅行に行けるようになったことを喜んでいたものの、ふと周囲を見渡すと、日本や香港など他の国・地域の人たちと同じように、自分たちも個人旅行や自由旅行に行きたいと思うようになるのは当然のことでしょう。

近年、日本で中国人に対する個人観光ビザの取得条件が緩和されたり、マルチビザ取得の条件が加わったりしているように、欧米諸国でも同様の緩和措置が徐々に進んでいます。それでも、彼らはまだ不満そうです。「いまや中国は世界一の海外旅行大国になったのに、なぜビザ緩和が進まないのか」と感じているのです。

※パネルディスカッションの詳細については、中村の個人blog「世界一なのに、なぜビザ緩和が進まないのか~中国の不満とその言い分(COTTM2013報告 その4)」http://inbound.exblog.jp/20514969/を参照。

中国の旅行商談会に出展する今日的意味

これまで見てきたとおり、COTTMは中国の旅行業者にとって“New Chinese Tourist”(中国新型旅客)のための新しい旅行先や新機軸の商品を開拓するための情報交換と商談の場となっていることがわかります。それは海外の事業者にとっても絶好のアピールチャンスといえます。

そういう意味では、日中関係が悪化しているとはいえ、この場に日本からの出展者がいないことはちょっと残念でした。中国から見て日本市場はヨーロッパと同様、チープな団体ツアーの大量送客が主流だった段階から、個人客を対象としたSIT(スペシャル・インタレスト・ツアー:特別なテーマや目的に特化したツアー)の時代に移ろうとしているはずなのに、それをPRしようとする事業者がいないというのですから。

確かに、今年は上海世界旅游博覧会(WTF)の主催者側から日本ブースの参加停止の要請があったように、民間ビジネスに「政治」を持ち込む中国の旅行展示商談会に出展する意味をどう考えるかについては、いろんな見方があるとは思います。

とはいえ、これまでのように一般消費者を対象とした海外の旅行展示会に自治体主導で横並びに出展するというスタイルが効果的なのか、いまいちど考え直す必要はあります。一般消費者向けのPRは団体ツアーの集客には適しているかもしれませんが、個人客についてはどうなのか。自分たちが本当に集客したい対象は誰なのかという検討もそうですし、相手のマーケットも時代とともに変容していくことを頭に入れるべきでしょう。

今回の視察を通して、これからは一般消費者向けの展示会はオールジャパン式で毎回特定のテーマに絞り込んだ新しい出展スタイルを採用、競合する他国との差別化を意識して日本独自のPRに徹する。その一方でヨーロッパの専門旅行会社のように、個人客の取り込みを図りたい個別の事業者や団体・地域はB2Bの商談会に出展し、自らの売りを現地のSIT専門の旅行会社にアピールするという2タイプに振り分けてプロモーションするというのが、今日の中国の海外旅行マーケットの実情に即したあり方ではないかと思いました。

※本稿で触れなかったその他、中国の海外旅行マーケットの新しい動向については、以下を参照。
「中国の旅行業界に貢献したアワード2013受賞者の顔ぶれから見えること(COTTM2013報告 その3)」http://inbound.exblog.jp/20501949/
「中国の海外不動産投資ブームをいかにビジネスチャンスとするべきか(COTTM2013報告 その5)」http://inbound.exblog.jp/20520343/

地道な訪日誘客活動は続けられている

中国出境旅游交易会(COTTM2013)の視察や北京の旅行関係者との交流を通して、今回強く感じたことは、中国の海外旅行マーケットの現況に対する日中の温度差でした。今年に入って、日本のインバウンド関係者が中国での営業を諦め、寄りつかなくなったという話を聞きました。この時節、国を挙げた東南アジアシフトのムードに乗りたい気分はわからないではありませんが、現地の旅行関係者からは「なぜこれまであんなに熱心に中国で営業を続けていたのに、あっさりその積み重ねを放り出してしまうのか」と残念がる声もありました。

その一方で、現地では地道な訪日誘客活動が続けられていることも知りました。

今回どうしてもその話を紹介したかったので、日本政府観光局(JNTO)北京事務所の飯嶋康弘所長におうかがいしたところ、以下のコメントをいただきました。昨年秋からの事態の推移と日本側の取り組みについて時系列で語っていただいています。

「昨年9月の尖閣諸島国有化以降、日中関係が悪化し、訪日団体ツアーは相当打撃を受けました。一方で、中国当局は訪日ツアーを直接規制はせず、中国メディアに対し日本に好意的な記事を掲載させないことなどにより、あくまでも中国世論の反日ムードから団体ツアーが催行できなくなったというのが実態でした。

実際、訪日リピーターや親日派は団体でなく個人ツアーで訪日するケースも多いのですが、昨秋も訪日個人ツアーはあまり減っていません。このため、日中関係悪化後も、観光庁とJNTOは、中国当局が正式に訪日ツアーを規制していない以上、訪日誘致プロモーション(VJ事業)を当初計画通り実施する方針を固め、中国側から中止されない限り、予定通り誘致活動を実施してきました(昨年10月の中国旅行会社の日本招請事業や、10月、11月の中国メディア招請事業等)。

ただ、中国の旅行会社は、日中関係悪化後、訪日ツアーの募集広告を出さなくなりました(WEB上での訪日ツアー募集は、昨年12月前後から再開しています)。

その後、10年に一度の権力移行が行なわれた昨年11月の中国共産党大会が終わってからは、中国メディアに対する当局のコントロールも緩和し始め、11月下旬には日本車の広告等が中国の新聞紙上に掲載されるようになりました。

JNTOでは、日中関係悪化後、中国各地の旅行会社に対するヒアリングを集中して実施した結果、彼らが訪日ツアーの募集を躊躇しているのは中国国民世論から叩かれるのを危惧していることが大きな理由と分かったため、中国メディアの流れが11月下旬から変わったのを確認してすぐに中国メディアと調整をはじめ、12月中旬から、地下鉄に広告を出したり、3大市場(北京、上海、広州)の大手新聞にJNTO理事長の歓迎メッセージや日本観光のイメージ広告を出すなど、街中に日本観光の広告を掲出し、訪日しやすい雰囲気作りをすることに専念しました。

さらに、そうした取り組みの結果をJNTO北京事務所から管轄内の中国旅行会社約200社宛てに周知するとともに、訪日ツアー募集広告の再開を要請する異例の協力依頼文書も発出しました。その結果、本年1月には、日中関係悪化の影響が最も強い北京でも、一部の大手旅行会社が新聞紙上での訪日ツアー募集を再開し始めました。

ただ、当時は依然として最大手の旅行会社がまだ紙面上での訪日ツアー募集を躊躇していたため、1月24日には井手観光庁長官が訪中され、中国国家旅遊局長と会談し、中国最大手旅行会社トップに訪日ツアー送客を直接協力要請した結果、ようやく3月中旬には、最大手旅行会社も訪日ツアー募集広告を新聞紙上で開始してくれました。この間も、JNTOは、地下鉄広告や大手ビル内での映像放映等、訪日しやすい雰囲気の醸成に全力で取り組んできました。

日本の観光関係者には、一刻も早く中国へのセールスコールや観光商談会等の誘致活動を再開していただきたい」(2013年6月4日)

昨年9月以降の日中関係悪化で神経のすり減るような現地での対応に尽力された関係者の皆さんの心中は察するに余りあるものがあります。また飯嶋所長のコメントから、昨年秋以降いくつかの潮目があったこともわかります。

依然続く日中関係の不和から中国の旅行展示商談会への出展を見合わせなければならない状況が続く中、こうした潮目をつかんでモノにするためには、今後も現地の視察や関係者の皆さんから教えていただかなければならないことはたくさんあります。ムードに流されるだけでなく、大局を見極めることの必要を実感します。

やまとごころ.jp http://www.yamatogokoro.jp/column/2013/column_129.html
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by sanyo-kansatu | 2013-06-12 13:41 | 最新インバウンド・レポート | Comments(0)
2013年 06月 11日

まるで宮崎アニメみたい!? 伝説の特急「あじあ」の運転席を激写!

この写真は何だと思いますか? 

満鉄の伝説の特急「あじあ」の運転席を撮ったものです。
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まるで生き物のようにも見えます。現代の化石とでもいえばいいのか。ちょっと宮崎アニメの世界を連想させる質感があります。

これを撮ったのは、2006年9月のことです。当時わずかに残る「あじあ」の一車両が大連駅のはずれにある車両倉庫に収められていました。地元のつてを使って倉庫の関係者に小遣いを渡して、内緒で見せてもらったのです。

ぼくは鉄道マニアではないので、「あじあ」の偉大さについて言葉を尽くして語ることはできません。でも、案内人が仰々しく倉庫の扉を開けた瞬間、目の前に現れた「あじあ」の姿に、思わず息を呑んだことは確かです。

撮影は、佐藤憲一カメラマンです。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-11 19:32 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 11日

まもなく100周年を迎える大連ヤマトホテルの現在

大連のホテルといえば、満鉄経営の旧大連ヤマトホテル(現大連賓館)のことを触れないわけにはいきません。このホテルの竣工は1914(大正3)年。まもなく100周年を迎えます。清水組(現清水建設)が手掛けた、いわゆるルネサンス様式の豪奢な建築。“昭和”を醸し出す大衆的でモダンなフォルムとは違いますが、独特の存在感があります。
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実は、中山広場のロータリーに面した現在の建物は3代目にあたります。初代は1907(明治40)年にロシア東清鉄道のビルを借用したもの。2代目が09年に旧ロシア市役所を別館として開業したものです。
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何度も改装されているので、当時の面影をどこまで残しているか疑問ですが、ホテルの概観の猛々しい威容や玄関ロビーの華やいだ雰囲気は、明治末期から大正にかけて、大陸に足場を築いたばかりの日本が最初に建てた迎賓館として精一杯見かけを繕おうとした時代の記憶という意味で、特別の希少価値があるといえるでしょう。

以下、ロビーの写真を見ていきましょう。
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階段を上って客室のフロアに向かいます。
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デラックスルームの客室はこんな感じです。
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窓から中山広場が見えます。
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現在の中山広場のロータリー周辺には高層ビルも建ち並んでいます。
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ロータリーを上から眺めてみました。こういう整然とした景観は、中国でもおそらく大連でしか見られないでしょう。
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最後にどうでもいい話ですが、ぼくが最初に大連賓館に泊まったのは、1980年代の半ばで大学生のときでした。祖母から「大連にはヤマトホテルがあるから、そこに泊まればいい」とだけ聞かされていたので、予約もなしにホテルを訪ねて、チェックインしたことを思い出します。客室はいまのように改装されていませんでしたが、クラシックな大宴会場は見事で、とても印象に残っています。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-11 18:56 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 11日

戦前の旅行ガイドにも載っていたシティホテルの今【昭和のフォルム 大連◆ホテル】

“昭和”のフォルムを愛で歩く喜びを満喫させてくれる物件の一ジャンルとして、当時のホテルは欠かせません。

戦前の大連は大陸の玄関口でしたから、当時市内にはたくさんのシティホテルがありました。そのうち、いくつかは現存しています。
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なかでも最近まで大連飯店として営業していた旧遼東ホテルは1930年竣工のモダンなホテルでした。ぼくも一度宿泊したことがあります。客室をはじめ館内の施設は確かに老朽化していましたが、大連市内にいくつもできた外資系ホテルと比べても、なんともいえない重厚さと風格があります。堅牢な建築なので簡単に取り壊しというわけにもいかないようで、現在は一階部分のみ商業施設のようなつまらない使われ方をしていますが、誰かリニューアルして大連を代表するクラシックホテルとして再生してくれないものでしょうか。
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昭和18年に発行された旅行ガイドブックの「東亜旅行叢書 満洲」(東亜旅行社刊 ※東亜旅行社は終戦末期にジャパントラベルビューローが名称を変更)によると、大連市内の「旅館」として、以下の名前があります。

・ヤマトホテル(播磨町。室料5円・二食付9円)
・遼東ホテル(大山通。室料8円)
・中央ビルホテル(西通。室料6円)
・亜細亜ホテル(信濃町。室料5円)
・天満屋ホテル(西通。室料5円)
・花屋ホテル(信濃町。室料4円~7円)
・東郷旅館(信濃町。室料二食付6円)
・大連ナニワホテル(伊勢町。室料2円半~5円)
・錦水ホテル(信濃町。室料4円~6円)
・南満ホテル(東郷町。室料4円~6円)
・東洋ホテル(伊勢町。室料4円~6円)
・鎮西旅館(信濃町。室料4円~6円)
・春田旅館(監部通。室料4円~6円)
・日本橋ホテル(大山通。室料4円~6円)
・東旅館(信濃町。室料二食付4円~6円)
・大連ホテル(敷島町。室料3円~5円)
・雲水ホテル(信濃町。室料3円~5円)
・常磐ホテル(西公園。室料二食付3円~5円)
・大満ホテル(大黒町。室料二食付3円~5円) 其他

このうち、大連ヤマトホテルや前述の遼東ホテル、亜細亜ホテル、錦水ホテルなどが現存しています。

旧亜細亜ホテルは現在、大連大学付属中山医院として使われていました。遼東ホテルと同様、通りに面したファサードのなめらかな曲線がいかにも時代を表しています。
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旧亜細亜ホテルの隣にあるのが旧錦水ホテルです。3階建ての洋館です。当時の室料からみると、かなり高級なホテルだったようです。
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前述のホテルリストをみると、日本時代の信濃町にホテルが多かったことがわかります。これは現在の長江路の大連駅から勝利橋(旧日本橋)までにあたり、駅から近いのと同時に、大連港からの一本道にあたることから、交通の便が最適だったからでしょう。先ほどの旧亜細亜ホテル、旧錦水ホテルと同じ並びにある旧いわきホテルの当時の広告には以下のように書かれていました。
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「大連駅ヨリ3丁。埠頭ヨリ15丁」「大連中心地ニ近ク交通至便」
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こういうこじんまりとしたシティホテルは、人口の多い中国では重宝がられないのかもしれませんが、ただの商業ビルとして使うのはもったいない気がします。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-11 17:50 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 09日

当時こんなにいろいろあった専門学校【昭和のフォルム 大連◆校舎④】

大連に現存する日本時代の校舎といえば、専門学校がいくつかあります。
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なかでも古いのは、南満洲工業専門学校(大連工業実務学校として1911年5月開校、22年に改組。日本時代は伏見町)です。現在は大連理工大学の一部として使用されています。
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大連市立実業学校(1921年開校。柳町にあったが、41年日出町に移転)は現在、大連の海軍学校です。日本のジャズドラマーの草分けとして有名な故ジョージ川口さんは同校出身だそうです。
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大連高等商業学校(1936年開校。日本時代は紅葉町)も現在、大連市36中学として残っています。
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満鉄社員になるための人材育成学校だった大連満鉄育成学校(日本時代は乃木町)は現在、大連市鉄道技工学校として使われています。
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なお、大連の現存する日本時代の校舎については、大連世界旅行社の桶本悟さんが実地調査を続けています。桶本さんの調査によると、現在未撮影ですが、他にも以下の学校が現存しています。

・大連第三中学校(1938年開校、日本時代は香月台)。現在は、大連の海軍大学校寮。中に入ることは難しく、撮影は困難です。
・大連経済専門学校。現在は大連教育学院。
・満鉄鉄道学院(旧満鉄本社内)
・静浦小学校(1935年開校、日本時代は静浦町)

その他、現存していない学校については、下記サイトを参照のこと。

大連世界旅行社
http://www.t-railway.com/
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by sanyo-kansatu | 2013-06-09 23:57 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(0)
2013年 06月 09日

自分の故郷が永遠に失われたという感覚【昭和のフォルム 大連◆校舎③】

1980年代半ばから90年代にかけて、大連をはじめ中国東北三省への“望郷”ツアーが数多く催行されました。ツアー客の大半は、日本統治時代に現地に住んでいた満洲に縁のある人たちでした。
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ぼくもその頃、現地で何度かツアー客を見かけたことがあります。世代的には、大正から昭和初期にかけて生まれた年代が中心です。当時同じ職場だった人たちとその家族のグループが多かったですが、意外にいたのが、同じ小学校の同窓生のグループでした。

これまで大連に現存する旧制中学や高等女学校の校舎を紹介してきましたが、今回は小学校編です。以下、開校時期の早い順に挙げていきます。

まず、沙河口小学校(1911年9月開校、日本時代は霞町)です。現在は大連市47中学です。沙河口には満鉄の工場があったため、そこで働く満鉄の社員や労働者の子弟が多く通っていたと思われます。教室の窓枠が大きく、現代にも通じるいかにも小学校の校舎らしいデザインです。
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伏見台小学校(1918開校、日本時代は博文町)は元大連第一中学校の隣にあります。大連市の中心に位置する名門校だったことは、現在中国でエリートに特化した教育を実践している大連市実験小学として使われていることからもうかがえます。当時の写真も残っています。
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春日小学校(1920年開校、日本時代は西公園町)の校舎は、屋根の上の小さな塔が特徴的です。現在、大連市24中学です。当時の写真にもふたつの塔が見えます。
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聖徳小学校(1927年4月開校、日本時代は聖徳町)は現在東北路小学です。玄関正面に蔦が覆い、歴史を感じさせる校舎です。
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日出小学校(1937年開校、日本時代は日出町)は現在、大連の海軍学校(当時は大連実業学校)の敷地内にあります。1930年代後半に建てられただけあって、かなり現代風の校舎です。
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先週水曜日、奉天会という満洲国時代の奉天(現在の瀋陽)に縁のある皆さんの連絡組織で事務局を務めている澤田武彦さんのお話を聞く機会がありました。昭和6年生まれの澤田さんは、当時の奉天の鉄西区という工業地帯にあった鉄西小学校出身でした。

澤田さんは1980年代後半から90年代半ばにかけて、3回瀋陽を訪ねています。その旅行は鉄西小学校の同窓生の皆さんと一緒だったそうです。

奉天会のホームページにこう書かれています。

「終戦後半世紀を経て、未だ尚奉天会が続いていて、且つ益々盛大になっている理由は何であろうか。

まず第一に、奉天は我々にとって忘れられない故郷であるということである。しかも二度と戻ってこない故郷である。壮年・青年時代を過ごし、そこで働き、学び色々な人生経験をした奉天。或いはもっと若い年代では、幼年期・小学校・中学校・女学校の思いでの日々を過ごした奉天。二度と戻らない故郷である故に、奉天に対する思いは強いのである。

第二には、世代交代が順次行われてきたことである。奉天時代に壮年期にあった方々が次第に老境に入り、或いは故人となって、会員数が減少傾向になった時、各中学校・女学校の同窓会のメンバーが大挙して奉天会に加入して来たこと。更に時を経て最近では、各小学校の同窓会のメンバーがまとまって加入してきた。又、親の意志を継いで、奉天在住時代は幼年期にあった人達で奉天会に参加してきた人達もいる。

第三に、奉天会に加入していない元奉天在住者が、日本全国にかなり存在するということである。平成10年に奉天会が「瀋陽友好親善訪問団」を結成して瀋陽市を訪問する企画を立案し、広く一般紙の朝日・読売・毎日新聞に広告を出したところ東北や九州を始め、日本各地から多数の参加者が出たのである。訪問団に参加した人々は全員奉天会に加入したが、このように奉天会の会員に成り得る潜在会員が全国各地に多数存在する」。

奉天会(日本瀋陽会) http://homepage3.nifty.com/jiangkou/Kiyoshi/shenyang/seiritu.html

澤田さんによると、これが書かれたのは2000年代の前半だそうで、現在は関係者もかなり高齢化しており、年1回の懇親会が主な活動だそうです。

これを読んであらためて考えるのは、奉天会の皆さんにとって「(奉天は)二度と戻ってこない故郷」であるという認識についてです。自分の故郷が永遠に失われたという感覚とはどのようなものなのか。

ぼくにはその感覚はよくわかりません。ただ想像するに、いまではその地を実際に訪ねてみることはできても、もうそこは自分の国ではない。そこにあるのに、自分のものとはいえないという宙ぶらりんな感じ。一般に故郷とは自分が少年時代を過ごした場所として認識されることが多いと思います。その場所を無邪気に語ることがためらわれるような長い時間の経過と空虚感。せめてそれを埋めるには、同じ時代に同じ場所で過ごした同窓生の存在が大切に思えてくるのではないでしょうか。
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by sanyo-kansatu | 2013-06-09 21:39 | 日本人が知らない21世紀の満洲 | Comments(2)
2013年 06月 09日

これは嵐の前の静けさなのか?(ツアーバス路駐台数調査 2013年6月)

6月に入って、バスの台数に大きな変化は見られません。この夏、訪日客は激増するという声も聞かれます。だとすれば、これは嵐の前の静けさだというのか?

※このカテゴリでは、2011年11月から始めた明治通り新宿5丁目付近における中国インバウンドバスの路駐台数(≒中国客の動向)を記録しています。

1日(土)未確認
2日(日)未確認
3日(月)17:50 2台
4日(火)18:50 1台
5日(水)18:30 1台
6日(木)未確認
7日(金)未確認
8日(土) 未確認
9日(日)未確認
10日(月)17:50 2台
※おなじみ中国団体客専用食堂「林園」の前に停められた大型バスの前では、中国人添乗員が大声で携帯に向かって話していました。
11日(火)19:50 1台
12日(水)11:40 4台 ※お昼前にもインバウンドバスがやって来ます。今日は中国客を乗せたバスばかりでした。
18:20 4台
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13日(木)12:20 5台
※今週に入り、ついに中国からのバスが増えてきました。お昼時、新宿5丁目明治通り沿いは中国客の来訪でにぎわいます。「林園」か隣の焼肉屋バイキングの店「味仙荘」で昼食を取るためです。今日の「味仙荘」は中国客でいっぱいで、後から来たバスの乗客たちは「人太多(客が多くて店に入れない)」と口々にいいながら、歩道で右往左往しています。それにしても、添乗員たちは予約もしないで来ているのでしょうか。
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ちなみに、予約なしでお客さんを路頭に迷わせているのは、中国のネット最大手C-Tripのツアーでした。6月に入って急に中国客が増えたことで、激安ツアーの在日系ランドオペレーター業者の人たちも対応が追いつかないのかもしれません。

14日(金)12:20 3台
※今日も中国客たちが「林園」と「味仙荘」に吸い込まれていく姿が見られました。
15日(土)17:50 1台
16日(日)未確認
17日(月)19:50 1台
18日(火)18:50 1台
19日(水)17:50 1台 ※広東省のバスです。
20日(木)未確認
21日(金)13:20 1台
22日(土)未確認
23日(日)未確認
24日(月)12:20 1台
25日(火)18:30 1台
※そのあと歌舞伎町の中華大飯店の前を通ると、韓国からのツアーバスが1台停車していました。
26日(水)12:15 4台
※今日のお昼過ぎ、バスが4台路駐しているのを見ながら、明治通りで信号を待っていると、花園神社のほうから小柄到着な東南アジア系の女性ばかりの観光客約20名と一緒になりました。中国客と違ってみんなおとなしいのですが、数人が小さな声で話しているタイ語らしい声が聞こえたので、「タイから来たのですか?」とひとりの女性に尋ねると、「Ok!」と答えてくれました。みなさん、そのまま昨年オープンしたばかりのホテル「ヴィアイン新宿」に入っていきました。10年前くらいまでなら、タイの若い女性の観光ビザは不法就労と疑われてなかなかもらえなかったはずですが、ちょうど昨日、外務省から7月1日以降、タイとマレーシアのビザが免除されることが発表されたばかりでした。時代は大きく変わりつつあるようです。

タイ国民に対するビザ免除(外務省)2013年6月25日
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press6_000361.html

18:20 2台
※この日は香港の旅行会社、康泰旅行社(http://www.hongthai.com/)のツアーバスが停車していました。「富士山旅行」というツアータイトルだったので、世界遺産になったばかりの富士山を訪ねるツアーだったのでしょう。最近、新宿5丁目も中国本土以外のさまざまな国・地域のバスが現れるようになって来ました。

27日(木) 未確認
28日(金)18:15 3台
※全然インバウンドとは関係ないことですけれど、中国ツアー専門料理店「林園」の隣に自民党の丸川珠代代議士の選挙事務所ができました。
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29日(土) 未確認
30日(日) 未確認
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by sanyo-kansatu | 2013-06-09 18:32 | 定点観測ツアーバス調査 | Comments(0)